僕たちはメシアだ!②中学生編
青春(?)ドラマ②
命より大切なものはない。
夢を持つのはいいことだ。
子どもは素晴らしい可能性を秘めている。キミ達は空へ羽ばたく翼を持っている。
僕らは世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ。
人という字は人と人が支え合って出来ている。
……学校の先生や、テレビの中の大人たちは、よくそんなことを口にする。
しかし、そんな言葉が綺麗事でしかないことを、それなりの歳になった子どもは理解するだろうし、大人たちも本心から口にしていないことに気が付くだろう。
――ちょうどここに、世界に一つだけの少女の命を奪った罪人がいる。そう、僕だ。
伊藤さんの自殺は世間的にも大きな話題となり、ニュースや新聞を騒がせた。
いじめを巡る問題がテレビの奥で議論されていたが……そのニュースを見ようとするたびに、母親はテレビを消した。
結局、伊藤さんの死の原因は連帯責任ということになり、僕個人がどうこうということにはならなかった。
しかし、僕は知っている。
彼女の死のトリガーを引いてしまったのが、他でもない僕であることを。
いじめなければいじめられていた。
だから僕は仕方なく彼女をいじめた。
最初のうちはそうやって自分を正当化しようと努力したけれど、最後に辿り着くのは罪の意識。
他人なんて関係ない。僕が、僕の意志で、手を下してしまったのだ。
中学に進んで最初に驚いたのは、誰一人として伊藤さんの死を全く話題にしないことだった。
というより、生徒も大人たちも世間も、あの事件をなかったことにしようとしている感じだった。
僕は何度もあの時のことを夢に見て、脂汗を全身に滴らせながら飛び起きているというのに。
――ああ、この人達は、あのことを忘れることができる人達なんだ。
現実を過去のものとして処理できる人達を羨ましいと思う。
……と、同時に、自分が罪悪感を背負っていることに……なぜか、僕は誇りを持つことができた。
初めて、自分自身が誇らしいと感じたのだ。罪の意識こそが、僕自身の証明だった。
誰も罪悪感を持たないというのなら、僕は罪悪感を背負い続けよう。
一生を賭けて罪を償おう。きっと、これが僕の使命なのだ。
それは周りの大人や生徒たちに言われたことではなく、間違いなく自分の意志であると断言できた。
初めて、僕は自分の意志を持つことができた。
不謹慎だと知りつつも……正直、嬉しかった。
そして、伊藤さんの死を通して嬉しいなどという気分に浸っている自分が許せなかった。
罪を背負い、罪を贖うこともせずに喜ぶなんて……ゴミクズ以下の人間だ。
――だから僕は、罪を贖うことにした。
僕は少年院に入ったわけでもないし、誰かに『お前が悪い』と言われたわけでもない。
しかし、誰に言われるまでもなく、僕は罪を背負ったのだ。
ならば、罪を贖う方法は簡単だ。
僕自身が最も恐れていることを、僕自身が最も苦しいことを、僕が自ら率先して行えばいいのだ。
◆
中学一年生。梅雨の時期。
隣のクラスにいる中国人の男子留学生が、野球部やサッカー部の面々から熾烈ないじめに遭っていると耳にした僕は、手始めにその中国人を庇うことにした。
すると、中国人を殴っていた面々は進んで僕を殴るようになった。その中には、小学生の頃から僕をいじめていた亮平くんもいた。
最初のうちは中国人も一緒に殴られていたが、それこそナイトの『かばう』コマンド張りの根性を見せた結果、ついに中国人に攻撃は及ばなくなり、一週間もすれば『サンドバッグ木宮』という愛称で呼ばれるようになった。
死ぬほど怖かった。死ぬほど痛かった。嘔吐もしたし、鼻は変な方向に折れたし、顔は紫色になりボコボコに腫れた。
だが……痛みの果てには、必ず贖罪という達成感があった。
僕は感謝した。僕を恐怖のどん底に陥れ、殴ってくれる彼らを。
そんな機会をくれた中国人を。そんな中国人を生み出した中華人民共和国を。
中国人は僕に、片言の日本語で感謝の言葉を述べてきた。もちろん僕は中指を立てて、でかい声でこう返した。
「僕はお前みたいにナヨナヨしてるヤツが大っ嫌いだ。中国に帰れバーカ」
こんなことは言いたくなかったが……だからこそ、僕は言わなければならなかった。
すべては、贖罪のため。
僕の発言はあっという間に学年中に知れ渡った。
最低と人に言われ、教師に怒鳴られ、中国人の母親にも泣きながら怒られた(中国語じゃないから、なにを言ってるかはさっぱりわからなかったけど)。
それが、僕にとっては救いだった。僕は最低な人間だ。もっと蔑んでほしい。怒鳴ってほしい。殴ってほしい。
なんなら殺してくれたって……いや、死んでしまったら罪を償うことができなくなる。だから死ぬのはイヤだ。恐くはないが、イヤだ。
中国人から僕にターゲットを変えた不良達は、暴力だけでは飽き足らず、週一でお金を請求してくるようになった。僕はそれを受け入れた。
最初は母親と父親の財布から金をくすねていたがすぐにバレてしまい、二日間にも及ぶ説教をされてしまったので、年齢を詐称して日雇いの引越しのバイトをしてお金を貯めた。
手に入った給料は、すぐに亮平くん率いる不良達に渡した。
お礼と言わんばかりに、彼らは柔道場の裏で全身筋肉痛の僕をリンチにした。
また少し、罪を償うことができた。
◆
しかし、僕は細身で筋肉もなく、スタミナもなかった。
不良達はすぐにノビてしまう僕に『もっと歯ごたえのあるサンドバッグになれ』と怒鳴ってきた。
……確かに、殴られれば殴られるほど痛みは増してゆく。
痛みを味わうということは、罪を贖うということと同義。
ならば、痛みを味わう時間は多ければ多いほどいい。
その日の朝から、僕はトレーニングを始めた。
早く起きて五キロのランニング、過酷な筋トレ、積極的に鶏肉と卵を摂取……。
少ないお小遣いで買ったプロテインを運動後に飲み、放課後は体育館の筋トレマシーンを使って体を鍛え、運動後も食事とプロテインの摂取を欠かせなかった。
それは、運動神経ゼロの僕にはとても苦しかった。
少し、罪を償うことができた気がする。
引越しのバイトと共に毎日トレーニングを続けると、たった二週間で肉体に変化が現れ、夏休みに入る前には周りから別人と勘違いされるほどに体付きがよくなっていた。
その間も不良達にお金を貢ぎ、サンドバッグになる日々を送っていたのだが……想定外なことが二つ起こってしまう。
一つ。
体が筋肉で覆われてしまったので、彼らに殴られてもたいして痛みを感じなくなってしまった。
むしろ、僕を殴ることで彼らが痛みを感じているようだった。
二つ。
一つめのことがきっかけなのかもしれないが、不良達が僕に絡んでこなくなってしまった。亮平くんも、僕をいじめてこなくなった。
鏡の前に立つと、そこにはザンギエフが立っていた。
もしボディビル部があるとしたら、部長と勘違いされてもおかしくないほどに、僕はムキムキになってしまっていたのだ……。
これでは殴られなくなって当たり前だ。
……それでも僕は、もっと自分を殴ってくれと懇願した。
しかし、不良達は表情を濁らせ、ついに僕の相手をしてくれなくなった。
――どうしよう。これじゃあ、罪を償うことができない…っ!
◆
そんなことを思っていた矢先……学活の授業で、各クラスから必ず一人以上参加しなければならない川のゴミ拾いボランティアの話があった。
誰もやりたがらなかったので、僕が引き受けることにした。
誰もやらないこと=誰もやりたくないこと=面倒なこと=苦痛なこと=痛みを味わう=罪を償う……ああ、なんと素晴らしい方程式。
算数さえも嫌いだった僕が、数学を好きになった瞬間である。
ボランティアには一般の人も参加しており、『よく働くねぇ』『えらいねぇ』などと言われたので、僕は笑顔で
「うるせぇんだよババア。老衰でくたばれ」
と言い放った。
もちろん嫌われ、怒鳴られ、蔑んだ視線を頂いた。教師からも親からも怒られた。そのたびに、僕は辛くて涙を流した。
――そう、肉体的な痛みでなくてもいいのだ。痛みを伴うならば、心の痛みでもいい。
また少し、罪を償うことができた。
◆
授業中にノートを書くのが面倒(苦痛)だというクラスメイトのノートを、代わりに書いた。
木宮はタダでノートをとってくれるという評判がクラスに広がり、二十人以上のノートを書いた。
毎日続けたら腱鞘炎になってしまい、泣きたくなるほど痛かった。それでも僕は続けた。ほんの僅かだが、罪を償えただろうか……?
給食の時間、木宮は頼めば給食をくれるという評判が広がり、皆が僕の分の給食を取っていた。
午後になると空腹(苦痛)でずっとお腹が鳴って辛かった。また少し罪が償えた。
木宮は頼めばトイレ掃除を引き受けてくれるという評判が広がり、積極的にトイレ掃除をした。
流していない大便や、便器にこびりついた溶けたチョコレートのような大便。床に飛び散った小便を食後に処理するのはなかなかキツかった(苦痛)。
また少し罪を償えた。
◆
木宮に頼めばエロ本を買ってきてくれる、木宮に頼めばジュースを買ってきてくれる、木宮に頼めば……。
心は疲弊しつつあったが、罪を償うことで満たされた日々が続いた。
自分を苦しめるため、トレーニングと引越しのバイトも続けていた。
しかし中学二年生になる頃、またまた想定外なことが二つ起こった。
一つ。
生徒の頼みをなんでも引き受けた結果、僕はいわゆる“イイヤツ”になってしまい、頼み事をされるどころか、周りが僕を中心に動くようになってしまった。
二つ。
筋肉と同じように心も鍛えられてしまい、鋼のメンタルを手に入れてしまったことで、ちょっとやそっとのことでは動じなくなってしまった。
また、他人のノートを書いているうちに成績も上がってしまい、気が付けば学年トップレベル。五教科の偏差値は六十五を超えていた。
さらに、誰もが面倒くさがる学校行事に積極的に参加しまくった結果、教師のウケまでよくなってしまった。
体育祭では普通に競技を行っていたつもりが、全競技でぶっちぎりの一位。二年連続で、僕のクラスは優勝した。
皆、僕を救世主のように称えていたが……僕は、喜ぶことなんてできなかった。
「お前らこんなことで喜んでバカじゃねぇの」
などと言っても、誰も本気にしてくれなかった(ツンデレというレッテルを貼られた)。
――なにもかもが、こんなはずではなかった。
周りが僕をもてはやす。そのたびに僕は死にたくなった。
死んでしまえば罪を償うことができなくなるのに、不思議と死にたくなった。
◆
中学二年の冬、日光の東照宮へ修学旅行へ行くことが決まった。
出発前に、社会の授業で日光についてそれぞれ調べ、レポートにまとめて一冊の冊子を作ろうという試みがあった。
周りは皆めんどくさがっていたので、僕は進んでクラスメイトのレポート書きを引き受けようとした。
しかし、誰もが遠慮してしまう。土下座をしてもダメだった。
『木宮くんはいつも頑張ってるから!』『手伝ってくれるだけでいいよ!』『一緒に図書室行こうぜ!』などと笑顔で言われてしまう。
もはや、僕の言葉は意味を為さなかった。
無性に死にたかった僕は、華厳の滝近くの木に彫られたという『巌頭の感』という有名な遺書をまる写しして、そこから自殺した学生のことや、自殺する心のメカニズムの他、ブックオフで百円で購入した『完全自殺マニュアル』や『青少年のための自殺学入門』を参考に自殺する方法の考察や、遺書の書き方をつづり……さらにハイデガーの哲学を交えながら死について明瞭に、詳細に、延々と書き散らした。
他の生徒がレポート一枚、多くても三枚ほどで提出していたが、僕のレポートは実に三十枚にも及んだ。
書いていくうちに、そのあまりに陰鬱とした文章に僕自身、気分がブルーになった。
久しぶりに罪が償えた気がする……いや、これは単なる自己満足か。
提出した二日後、担任の教師に呼ばれた。
これはさすがに載せられないと、発禁処分を食らってしまったのだ。
苦労して書いたものが認められず、悲しかった。
おかげで少し罪が償えた……かと思いきや、そのレポートを地元の弁論大会で読み上げてみないか? という提案をされた。
僕の書いたものが、学校の代表として、一中学生の青春の主張として取り上げられてしまう。
そんな名誉なこと、拒否しなければ。
……しかし、僕は引き受けた。
いい考えがあったのだ。
◆
市民ホールを貸し切って行われる、弁論大会の当日。
大会は市内のお偉いさん、さらには県知事などが出席する大掛かりなイベントだった。
休日だというのに、同級生が僕目当てで見学に来ていたことにも驚いた。
僕の発表は一番目。檀上に上がった僕は軽い挨拶をしてから……僕は、作戦を決行した。
まず、原稿を読むフリをしてから、ジッポで燃やしてビリビリに破くという豪快なパフォーマンスから入る。ジミヘンの気持ちが少しわかった気がした。
すかさず目の前のテーブルに立ち上がった僕はベルトを外し、ズボンとパンツを一斉に脱ぎ、ワイシャツとブレザーも脱ぎ捨てた。
「そうさ僕らは! 世界にぃひーとーつだーけーのはーなァッ!!」
そして、ハンドマイク片手にフルチンしながら笑顔で『世界に一つだけの花』のサビ部分を熱唱した。
――言うまでもなく、会場は罵声と悲鳴で満ち溢れた。
「僕は伊藤夏帆さんのことを忘れませぇん! 僕だけは伊藤夏帆さんのことを絶対に忘れましぇぇん!」
係員にテーブルから下ろされ、ステージの裏へつまみ出されるまで、僕はずっとその言葉を口にしていた。
神聖な催しを台無しにすることに成功……長い時間の説教の末、一ヶ月の停学処分を下された。
ついでに精神病院を紹介され、通うことを義務づけられた。
病院では躁鬱やら自己愛性パーソナリティ障害を医師に疑われ、とりあえず僕はその医師を殴り飛ばしてやった。
僕の贖罪が精神病という免罪符によって許されてしまいそうな気がしたからだ。
――その結果、しばらく施設に入院することになってしまった。
母親は泣いていた。父親には勘当された。
さすがに心にくるものがあった……が、また少し罪を償うことができた。
◆
真っ白な施設に居た期間は長かった。
気が付けば中学三年生になっていて、僕は通信教育で授業を受けていた。
薬物療法はほとんどされず、一日五回のカウンセリングと、資料室での読書で心をケアしていく日々。
退院間近となると、僕は癇癪を起こしたかのようにわざと暴れ回った。
『ママーママー』と喋り続けるハゲたじいさんや、車椅子に乗ってずっと舌をいじっている子どもをぶん殴り、股間をテーブルの角に何度も押しつけながら天井を見つめている女を犯そうとした。そうやって、精神の壊れた人間を装った。
退院は長引き、次第に僕は辺りから隔離されていった。
人格そのものを否定されキチガイ扱いされるのは、今までに感じたことのない喪失感を僕に与えてくれた。
おそらく、元の弱虫な自分に戻ることはできない。
でも、それでよかった。
◆
やがて一年が経ち……結局、僕は卒業式をクラスメイトと迎えることができなかった。
僕は施設のベッドで、久しぶりに涙を流した。
悲しみは苦痛となり、僕はまた少し罪を償うことができた。
◆
桜が咲き、四月になった。
隔離された真っ暗な部屋で『旅立ちの日に』を口ずさんでいると、ドアが開いて光が差し込んで来た。
どうやら、退院の時が来たようだ。いよいよ高校生活が幕を開ける。
ここにいることに慣れてしまった僕にとって、それは新たな贖罪の始まりだった。
そして、僕は高校で……神と出会ってしまった。
待ち受けているのは破滅か、絶望か、それとも……
今となっては、もう判別がつかない。
僕たちはメシアだ!②中学生編