僕たちはメシアだ!①小学生編
青春(?)ドラマ①
僕の犯した罪を、どうか聞いてほしい。
小学生の頃、僕はいじめに加担した。
理由は単純で、その女の子をいじめなければ僕がいじめられてしまうからだった。
彼女――伊藤夏帆さんをいじめることこそが、クラスという集団に溶け込む唯一の手段だった。
強い人間は……きっと、そういう“いじめなければならない空気”をものともせず、周りの視線など気にすることなく自分の感性を信じ、いじめに加担しない……もしくは、いじめを解決へ導こうとする意志を持っているのだろう。
しかし、僕はそんな少年漫画の主人公のような存在とは程遠い、臆病で弱い人間だった。
幼稚園の頃は女の子に泣かされていたし、同じヒヨコ組の子が描いた絵がビリビリに破かれ、その罪をなすりつけられてしまった時も言い返すことができず、やってもいない罪を懺悔しながら大泣きすることしかできなかった。
先生に怒られれば大泣きしていたし、当てられた算数の問題に答えられなくて泣いたこともある。
しまいには家族から『ナヨナヨしている』『女みたい』『弱虫』『泣き虫』『女野郎』というレッテルを貼られてしまう始末だった(女の子に生まれればよかったと何度思ったことか)。
……もちろん、友達なんて一人もいなかった。
そんな僕の趣味と言えば、映画を観ることぐらい。
部屋にはベッドと椅子と、勉強机……勉強嫌いな僕は、机の上には誕生日に父からもらったマグカップと、十二インチの極小アナログテレビと、古いDVDプレイヤーしか置いていなかった。
僕は質素な自室に閉じこもって、父の書斎から持ってきたDVDを毎日のように観ていた。
映画を観ている時は心がウキウキして、とても楽しかった。
けれど、映画が終わってしまうのがとても悲しかった。
だから僕は、映画が終わる前にテレビを消すようにした。
そうすれば映画は終わることなく永遠に続く。
楽しい時間がずっと、ずっと続く……そう思っていた(我ながら女々しいとは思う)。
そんな奇妙な映画鑑賞をしていたせいか……なぜか、僕は観たはずの映画のことを一つも思い出すことができなかった。
ワンシーンどころか、映画のタイトルも。楽しいと感じていたはずの心さえも。
他のことはなんだって思い出せるのに、楽しい時間のことだけが思い出せない。
きっと……妙な映画鑑賞の仕方で何本も観ているうちに、僕は映画に感動を覚えなくなってしまったのだろう。
◆
……話を戻そう。
根暗な僕の境遇を危ういと感じたのか、母親は僕を隣町の極真空手の道場に通わせた。
もちろん、僕の意志など関係ない。まだ小学一、二年生そこらの少年に確固たる意志なんてあるはずがない(イチローとかなら話は別だけど)。
親と先生は、当時の僕にとって絶対的な神様のような存在であり、僕にとっての全てでもあった。
極真空手の道場に通った僕は――二ヶ月でそこをやめた。
理由は、やはり単純。いじめられたからだ。
講師には怒鳴られ叩かれ、泣くたびにひどくどやされた。型を覚えられない、気合が小さい、やる気がないなら帰れetc…死ぬほど辛い日々だった。
そんな僕のことを周りの生徒達は……もちろん嘲笑っていた(彼らはその場で僕をいじめるようなことはしなかったが、講師のいない更衣室やトイレで僕と出会うと殴ってきたり、『お前みたいに泣いてばかりの気持ち悪いヤツの家族なんて、みんな気持ち悪いんだろうな』などと言われていた)。
もうやめたいと母親に泣きついたが『そんなんだからいじめられるんだ』などとさらに怒鳴られ、叩かれる。
とはいえ、神の言うことは絶対だ。一人で生きていくことのできない少年時代の僕は、母親の言うことに従う以外の生き方を知らなかった。
しかし、目元を大きく腫らし、口をズタズタにして帰ってきた僕を見て、ようやく母親は僕を空手道場という地獄から解放してくれたのだった。
◆
僕の弱虫は、そう簡単に治るものではなかった。
小学校でも、殴る蹴るなどの暴行はもちろん、運動神経の無さや成績の悪さで人格を馬鹿にされてきたし、気持ち悪いだのうざいだの言われたり、菌扱いされたりなどは日常茶飯事。
あの時は毎日が辛すぎて、恐すぎて、死ぬことばかり考えていた気がする。
小学四年生の頃、学校をやめたいと母親に泣きついたが『そんなことをすればお前に将来はない』と、やはり頭を引っ叩かれ、頭を冷やして来いと外(夜、しかも冬)に二十分ほど放り出された。もちろん、その間もずっと僕は泣いていた。
……僕は、周りの人とは違うのだろうか? 劣化した人間なのだろうか?
勉強もできない、運動もできない、友達もできない、字も汚い、芸術の才もない。
家ではゲームや映画ばかりで、両親に怒られる日々。
気が付けば、ベッドの中で学校に隕石が落ちる妄想をしながら枕を濡らす日々。
……もう、逃げ道がどこにもなかった。
そして、とうとう“その時”がやって来てしまう。
◆
僕が罪を背負うことになった、小学六年生の二学期。
自分の殻に閉じこもり、閉鎖的になっていた僕は周りを見ることができなかった。
とはえ、閉鎖的な僕の視点から見ても、明らかにそれがいじめであるということは一目瞭然であった。
伊藤夏帆さん……クラスメイトの女の子。
髪が長くて、肌が不健康なほどに白くて、目の大きい女の子。
彼女も僕と同じように運動音痴で成績も悪く、周りと打ち解けられず、グループに入り損ねていた。
しかも……どうしてかはわからないが、彼女は僕なんかよりも過酷ないじめに遭っていたらしい。
ランドセルと筆箱はズタズタにされ、机は彫刻刀で彫ったラクガキだらけ。
鉛筆の芯は全て折られ、机の上に花瓶が置かれていたこともあった(僕はせいぜい、鉛筆や消しゴムを盗まれるくらいのものだった)。
もちろん、所持物だけではない。
黒板消しの粉をかぶったのか、真っ黒でツヤのある髪はしょっちゅう白く汚れていたし、さすがに女の子ということを考慮されたのか、殴る蹴るといった直接的暴力は受けていなかったみたいだが、水をかけられて服にシミを作っていたり、体操服が墨汁の跡だらけだったりと、地味で最悪な嫌がらせを多々受けていた。
しかし、彼女は僕と違い、クラスメイト三十四人の前で泣くようなことは一度もしなかった。
二学期の冬になって、僕はようやく“あること”に気が付く。
六年生になってから、僕に対する暴力が極端に少なくなっていたことに。
そして、その理由は彼女と同じクラスであるということだとわかった。彼女がいじめられたから、僕はほとんどいじめられなかったのだ。
――いじめというのは水量の決まっている波のようなものだ、と僕は思った。
仮に水量を100(単位はなんでもかまわない)とすると、いじめたい相手……すなわち波をぶつけたい対象が一人だけの場合、100の波は全てその一人へと向かっていく。
しかし、波をぶつけたい対象が二人いる場合は、その波は拡散する。
水量は50:50かもしれないし、60:40なんてこともあるだろう。
伊藤さんと僕の場合は、おそらく90:10ほどの極端なものであったと思う。僕に来るはずだった波は、そのほとんどが伊藤さんへと向かっていた。
◆
――十二月のある日。掃除の時間中、とうとう事件が起こった。
「アイツの頭にこれぶっかけてこい」
低学年の頃から僕をからかっていたクラスメイトの亮平くんが、灰色の水がたっぷり入ったバケツを僕に差し出してきた。
床を拭いた雑巾を何度も洗ったのだろう、バケツの中には塗れて固まったホコリがぷかぷかと浮いていた。
僕はそんなことをしたくなかったけど『やらないならお前にぶっかけるぞ』『飲ませるぞ』『毎日飲ませるからな』と脅されて、とうとうそのバケツを受け取ってしまった。
『転んでこぼしたってことにすれば大丈夫っしょ』と亮平くんに言われた通り……
「あ、ご、ごめん」
へたくそな演技をしながら、僕は机をせっせと運んでいる伊藤さんの頭にバケツの汚水をぶちまけた。
伊藤さんは驚きのあまり、体を大きく震わせたかと思うと、次の瞬間にはポタポタと水を滴らせながら、僕のことを睨みつけてきた。
周りは爆笑と嘲笑の嵐だった。『最悪~』『ひど~い』『なにやってんだよ』という言葉が飛び交う。
でも、僕はそんな周りの言葉よりも、伊藤さんの表情に驚いてしまって……
……彼女は、泣いていたのだ。
今まで一度も泣いた顔を見せなかった彼女が、汚水に涙と鼻水を混じらせながら……しかし声を上げることなく、目を真っ赤にして泣いていた。
――あれ、どうして?
――どうして、僕の時だけ泣くの……?
そして、彼女は無言で僕に背中を向けると……吸い込まれるように四階の教室の窓から飛び降りた。
教室中が悲鳴で溢れる中で、僕は理由のわからない涙を流しながら給食で食べたカレーの具材と、牛乳のまじった液体をたっぷりと吐き出した。
「先生! 木宮くんが……!」
伊藤さんを死なせてしまった。これが僕の罪だ。
聞いてくれて、ありがとうございました。
僕たちはメシアだ!①小学生編