梯子のある部屋
夢を見る。起きる時間は大体ばらばらだが、基本的には正午あたりに目が覚める。昼寝をすることもある。その時目覚めるのは夕方だ。
夢の内容はばらばらだ。起きたあと、人に見た夢の話をしようとし、淀みなく夢の内容を語ることができる日もあれば、うまく思い出せず、言葉が詰まる日もある。けど、どちらの場合も、夢の「感触」ははっきりと残っている。夏のうだるような暑い日に昼寝をしてしまった後に、体にべったりと残る寝汗のように、それはとても心地いいものではない。
現実世界の友達、現実世界のクラスメイト、現実世界の道端ですれちがった人、現実世界でまだ会ったことのない人、そもそも現実に存在しない人。彼ら彼女らは起きているときは私たちの味方であったり敵であったりする。友達に関しては、基本的に敵であることはほぼないといえるかもしれないくらいだ。しかし、そう、「起きている時は」この、これみよがしな、仮定法。
夢の中でもし上に述べた人々が現れた場合、ほぼ間違いなく、そいつらは、敵だ。夢の中で、そいつらは皆一様に私を攻撃する役を演じるものとして登場する。
夢という精神世界で、肉体的暴力は大した攻撃手段にはならない。そこでは「ことば」が最たる力をもって行使される。言葉の暴力。やつらは夢の中にすら侵入できるほど、「私」という人物をよく心得ているので、何を言えば私に的確なダメージを与えられるかを知っている。熟知している。それらの言葉は紙に書き落とすのも憚られるほどに強烈だ。いや、やや語弊があるだろう。このような言い方では。言葉の一つ一つは大したものではない。放送禁止用語や差別用語がふんだんに盛り込まれている訳ではないのだ。やつらが使う言葉は、普段私が使う言葉と大差ない。例えば「あの子」。例えば「だわ」。例えば「の方が」。例えば「まだ」。エトセトラ。アンド、ソー、オン。
これらの単語一つ一つを、奴らは巧みに組み立てていく。そして暴力的な一文を完成させるのだ。
そのワンフレーズは私を暗い建物の中に閉じこめる。
そう。私は大抵の場合閉じこめられている。天井が高く高く突き抜けた塔の中。或いは大型ショッピングモール。或いは美術館。室内はほの暗い。階段はなく途切れた梯子だらけ。梯子の目というのはまるで監獄に似ている。
仲間がいることもある。私の仲間だ。「仲間」は必ず一人しかいなくて、その「仲間」は現実世界でも知っている人である。「仲間」は私の拠り所となってはくれるが、とても非力で役には立たない。
私は自分の足で立たねばならないのだ。
私を動かしているものは、舞台裏にひそんでいる。手の施しようがない場所で隠れている、大きな存在。
そして私には、倒れている暇は与えられない。
信用できる人間は一人しかいない。
「私」だ。
身体はもう満身創痍で立っているのも苦しい。病院はない。病院は、私の傷を治してくれる場所ではない。
私は閉じこめられたままだ。
コンクリート。室内の壁は剥き出しのコンクリートだ。外の風は入ってこなく、室温はとても高いまま。
空気の重さで、私は自分の身体が冷えていることに気づく。室温より低い体温。
そうして私は目覚める。目が覚めて布団の中に熱がこもっていることに気がつく。
そしてこれから現実での生活が始まる。現実は夢よりももっと恐ろしいが、楽しい時も、たまにはある。
一日起きて、夜の遅い時間になってようやく眠る。
休息の場はない。
梯子のある部屋