紡ぐ糸 第1章
主人公
渡瀬信二(34歳):大学卒業後、せっかく入社した会社を6年で退社。その後6年間ニート生活が続いたが、ようやく春が……
信二はある法人の募集に応じ、面接試験を受ける事になった。
でも勝手が違い、少し戸惑いを覚えてしまう。
今日は協会の入社試験日。とはいっても面接だけだけど。
今どきSP試験もないって、なにかいい加減だ。
でもそんなことは絶対に口どころか顔にも出してはいけない。
ペーパー試験は苦手なので、逆にありがたいことだ。
この協会は建設材料に関する技術,流通,調査を目的とした協会で、健全で立派な、社会に必要とされている団体だと思った。
健全すぎて、頭がかたくて融通がきかないくらいなのかもしれないが……
場所は東京駅八重洲口から歩いて15分程度の一等地で、通勤は申し分ない。
周辺に『遊ぶところ』はなさそうだが、俺は『金のかかる遊び』はしないタチなので問題ない。
たまに仕事帰りに銀座までテクテク歩いて銀ブラでもしようか、という程度だ。
協会の事は頭に入ったし、その中で一事務員として立派に働いていこうという気概を無理やり心に芽生えさせ、面接に臨もうとしていた。
あまり気負いすぎてもいけないので、1時間前に着いて近くの喫茶店で精神統一をした。
15分前に協会ビルに入り、受付で名前と来訪目的を伝えた。
受付嬢は相当な美人だったが、名札をチェックする余裕はなかった。
「面接室は4階の4B会議室になります。エレベーターでお上がり下さい。エレベーターは通路奥の右手です」
「ありがとうございます」
エレベーターの前に行くと、ガタイのいいおじさん達が数人しゃべっていた。
いかにも建設関係の人、と分かる人達だった。
エレベーターのドアが開き、その人達を先に乗せ、自分はスイッチボックスの前に立ち、4Fとその人達の降りる階のボタンを押した。
4B会議室はエレベーターを降りてすぐの場所にあった。
喫煙ルームがあって、そこでも数人が煙草を吸いながらしゃべっていた。
4B会議室の前に椅子が1脚置いてある。そこに座って待てという事だろう。
だけど座らずに、エレベーター脇の広場で立って待った。
しばらくして喫煙室から3人、これまたいかにも建設関係の人、という風体のおじさんが出てきた。
その中で一番背の低い人が話しかけてきた。
大河ドラマの『天地人』に出てきた、豊臣秀吉役の俳優に似ていた。
「君は渡瀬君かね?」
「はい、本日面接を受けに来ました、渡瀬信二です」
「なんだ、椅子に座って待っていればいいのに」
「いえ、まだ来たばかりですし」
「学生のリクルートじゃないんだから、もっとどっしりと構えてもらってもかまわないよ」
いきなり先制攻撃か? とも思ったが、そうじゃないらしい。
「ではお言葉に甘えて、座らさせて頂きます」
「いや、メンツは揃ったから、もう部屋に入った入った」
やっぱり喫煙室の人達が面接官だったか。
3人の面接官が座り、着座指示があるまで待っていたら、
「だから、学生のつもりでなくていいから。さっさと座って」
……いや、学生でなくても着座指示があるまで立って待つのが普通だと思うが。
席に座ると、早速質問が始まった。
「渡瀬君は、28で仕事を辞めてずっとアルバイト生活を続けていたんですね。早くどこかに就職しなさい、って、親がうるさくなかったですか?」
いきなり調子の狂う質問だ。それともリラックスさせるための質問か。
「それはもう、ほとんど毎日コゴトを言われていました。でも遊んでいた訳ではないので、衝突するほどひどい言い方はされませんでした」
「ふむ、会社を辞めてから、ずっとバイトを続けているね」
「22から28まで会社で働いていた時と、28から今日までアルバイトで働いていた時と、どちらが自分に有意義でしたか?」
これまた意表を突く質問だ。
「正直申しまして分かりません。会社員の時は会社の一員として、充実した時を過ごしていましたし、皆でプロジェクトをやり終えた時の達成感もありました。アルバイトの時は自分の立場に悲観的になりながらも、会社にいる時とは全く違う経験を、様々な職種を通して体験しました。それはそれで充実していたのかもしれません」
「しれません、ね。正直な答えだ」
「では続いて、次の質問……」
こうしてしばらくは、日常生活とバイト時代の質問が続いた。
いつまで経っても本題に入ろうとはしなかった。
紡ぐ糸 第1章
2章に続きます。信二の今後にご期待下さい。