青い髪の先輩の話
創作企画DDDより。かぐー様の創作キャラクター、鶴木みか君をお借りしました。
鶴木先輩と勇魚の出会い(回想)
その日、夢路町の生花店「プロセルピナ」のバイト店員、松浦勇魚が早咲きの矢車草の水切りを済ませ一息つこうとしたその矢先に店を訪れたのは、ここ二ヶ月ほどで不本意ながら交流を持ってしまった「招かれざる客」、鶴木みかであった。
「また来たんですか」
「うん、またひとり?」
「5時まで店番、それから配達です。けど他にも細かい仕事と課題がありますから、先輩と遊んでる暇なんてありませんよ?」
「何か手伝おうか?この間の窓拭きみたいな…」
「結構です。お花、買わないのならさっさと帰って下さい」
「つれないなぁ…」
およそ接客バイトにあるまじき愛想の無さに苦笑しながら、青い髪の青年は困ったように頭を掻いた。
「今日はちゃんとした客のつもりできたんだけどなぁ」
「ほんまですか!?」
疑わしそうな目で見上げ、首を傾げる勇魚である。
「めずらしいですね」
「めずらしい事ないってば。これでも我(わたし)は女の子の誕生日と記念日は絶対に忘れやしませんから。この店のオーナーも我の事は知ってたでしょ?たぶんイオちゃんの手前、詳しい話はしてないだろうけど」
「……鶴木センパイが花を贈るなんて…なんだか悪事に加担しているような気がします」
「ははっ悪事かぁ…それってさりげに酷くない?」
「悪事と言うか、悪用ですね。花が先輩の下心の手先にされるやなんて…罪の意識で胸が張り裂けそうやわ」
「嬢ちゃん、わりとキツいね」
勇魚の渾身の毒舌がツボにハマったのか、小刻みに肩を震わせ笑っている、夏空を映し込んだ海のように揺れる鮮やかな青を眺めながら、花屋のバイト女学生は、思わず溜め息をついていた。
聖フィアナ女子高に通う松浦勇魚が、初めてこの他校生と顔見知りになったのは、学区内にある教会のエントランスホールで、聖母像の献花台に飾る花の手入れをしている時だった。
「」
人の気配に振り返るとにこやかに話しかける彼がいた。
「……てるの?」
辛うじて最後だけ読み取れた唇の動きと、学ランに色鮮やかな青い髪。女子校学区内のこの教会は本来あまり共学の男子生徒を見掛けないような場所だったのだが、不審を覚えるより先に人懐っこい笑顔につられて笑みを返していた。
「あ、気付かなくてごめんなさい、何か御用ですか?」
「……ん?え…と。いや、ここで一人で何してるのかな~って」
訝しげな表情に何度か声をかけられていたのだろうと思い至り、勇魚はパッと頬を赤らめた。
「すみません…私、これで」
緩くまとめた髪をかき上げると、耳に嵌めた小型の補聴器がずれて小さく異音をたてる…相手はふうんと納得したように勇魚をまじまじと眺めた。
「でも、今はちゃんと、我の言うこと、判るんだね?」
「ええ…だいたいは」
「機械の、調子が悪いのかな、ハウリング、みたいな音、してない?」
「あ、これほとんど気休めで…あんまり聴こえなくて。うるさいですよね、電源切ります」
屈託なく笑う勇魚に、大変だね…と口の中で小さく呟く。
「…手話、とかは?」
「手話、わかるんですか?」
「いや、我は、無理だね」
「ですよね。知らなくても別に、私自身も今まだ勉強中だし」
少し区切りを増やして話す、相手の配慮に勇魚は自然と笑顔になる。
「聞くだけ聞いて、なんだか悪いねぇ…」
「いいえ、大丈夫ですよ、気にしてませんし。それに私はこっちの方が得意なんです…読唇」
「どくしん?」
「唇を読むんです、後は筋肉の動きとか…」
「へぇ」
「だから、話すとき相手の顔じっと見てなくちゃダメで。あの、もし嫌だったりお気にさわったら遠慮なく…」
悪い人ではなさそうだ、なんとなくそう確信しながら何気なく一瞬相手から目線を落とし、自分の口元を指差したその時、
「……なっ!?」
突然手首を取られて狼狽える間もあればこそ…青い髪が視野を埋め、次の瞬間、場違いなほど景気の良い平手打ちの音が、教会のエントランスホールの静謐さに充ちた空間に響き渡った。
「あっは、未遂♪」
上体を反らし勇魚の右手を受け止めた、僅かに赤くなった手掌をヒラヒラと振ってみせる。悪びれる様子もなく笑う相手に、勇魚は茫然としたまま声を震わせる。
「な、なっ!?」
「ふうん…見かけによらず、反射神経あるねキミ」
「なに何をっ!!!??」
「何って、キス?未遂だけど」
「わかりますよそれくらいっ!せやなくて、何で!今っ!ついさっき!会って五分も話してないウチにそないなことしはるんですかっ!!!」
「あれぇ、キミ関西の人なんだぁ」
「今それ全っ然関係ないですから!」
明らかに唇を狙ってきた相手にパニックをおこしたまま、ふと以前先輩達から聞いたある人物…青い髪と左目のアイパッチの共学一、二を争う女タラシの噂を思い出していた。
「鶴木…みか!」
叫ぶような大声で、いきなり指差し名指しで本名を呼ばれたみかは、驚いたように軽く眉を上げた…が、すぐにまたいつものおどけたような笑顔に戻る。
「へぇ♪嬢ちゃん我の名前をご存知で?」
「ご存知もなにも、有名人やないですか、鶴木センパイは!!!」
「我も随分と有名になったものだね~」
警戒心もあらわなまま自分の名前を攻撃呪文か何かのように声高に叫ばれたのがよほど可笑しかったのか、みかは軽く笑い声をあげた。
「貴方が誰かくらい、知ってますよ、ジゴロかドンファンみたいな共学の男子高校生。女誑しの不良、あと…あとちょっと下品過ぎて言えません!!!」
「なんだそれ」
「でも!火のないところに噂は立たないっていいますよね?!」
「否定はしないけど誤解だよぉ」
いまだ冷めやらぬ怒りと、会話を読む為に目を凝し、半ばにらむようになる勇魚の眼差しに動じるでもなく、やんわりと口元の笑みを深めるだけで受け流し、みかは目を細めた………
出会いはまぁそんな感じだったなと、本当に花を買うつもりなのか、いつになく熱心に店の中を物色しているみかに溜め息をつく。
あれからしばらく後、バイト先で再会した彼は、以来時々ふらりとやってきて、気が向くと水かえや窓拭きなんかを手伝っていくようになった。
店長の不在が重なるタイミングを見計らうかのように現れるのはたぶん気のせいではないのだが、勇魚はその事実はあえて完全に無視していた。
噂に尾ひれがつくことは差し引いても、なおあまりある芳しからぬ「遊び人」の風評。
一介の高校生にしては華々し過ぎるような素行の数々は、好奇心や品定めの域を超え、くちさがない一部の女子学生達からは、警戒すべき他校生の筆頭に上げられていた。
それを意識の片隅におきながら、勇魚は常にこの油断のならない相手と対峙してきたのだ。
みかの慣れなれし過ぎるくらいの距離の詰め方に、最初は戸惑いあきれ果てながらも、何故か相手になってしまうのが勇魚自身にも謎ではあったのだが。
「ほんとにナンパ癖ひどいんですよね…先輩の彼女になる人がお気の毒過ぎます」
ショーケースの赤いバラを品定めするようにまじまじとのぞき込む背中にわざと嫌みをぶつけてみる…実際、勇魚はみかと付き合う相手に自分自身を当て嵌めシミュレートしてみたことがあったが、気の迷いだとしても絶対に無理、あり得ない、というのが結論であったのだ。
「酷いなぁ…我は一途だよ?ただ相手が長続きしないだけで」
「はぁ…?私が卒業した先輩から聞いた話とは真逆なんですけど」
「あはは、困ったねそれは。嬢ちゃんどっちが嘘吐きだと思ってるの…って、聞くまでもなかったね」
貶されても朗らかなペースを崩しもせず、完璧なウィンクまでしてみせた…なんだろうこの人の軽さは…あきれ果てながらも、目のやり場に困るようなキラキラしたオーラ全開で微笑むみかから露骨に目を反らし、誤魔化すように話題を変える。
「こんなへらへらしたナンパな先輩が闘ってるとこなんて想像もつかへんですよ、一度くらいみせて欲しいですね」
「あれぇ?イオちゃん、我の華麗なバトルシーンまだチェックしてなかったの?」
「…ウチ、基本的にセコンド自認してますし、あまりバトル…興味ないんです」
「ふうん…嬢ちゃんにはレテ狩りの愉しさは理解できないか~」
残念そうなみかの口調に、勇魚は少し意外そうな顔をして、すぐに目を伏せた。
「向いてないんですよ…ウチには」
独り言のように呟く声に、みかは気付かないような素振りで窓の外に目を遣る。
「あ、お客さんだ」
客は町の清掃員をしている常連の老婦人だった。
イオちゃんの彼氏さん?などと悪気なく尋ねるのを
「そうなんですー」
などと答え勇魚からの全身全霊をかけた否定も意に介さず、え~別に照れなくてもいいじゃな~いなどと噂話の種をさらにややこしくしつつ、ホストもかくやと言う愛想を振り撒いて、来た馴染み客全員に普段より大目に花を買わせてしまっていた。
結局、勇魚が追い出さなけれ閉店まで居座っていたかもしれない、通院から戻った店長がお礼にとお茶をすすめるのを辞退して、みかは結局何も買わずに帰っていった。
接客の間中、みかはカウンターの横の円い籐椅子に腰掛けてニコニコしていた。その姿はいつもと変わらなかったが、白髪頭の老店長は外灯の灯りだした病院前の坂道を遠ざかって行くみかを、何故か気掛かりそうに見送っていた。
「彼は、何か前とは違うね…」
「そうですか?変わりませんよ、むしろ少しは変わってほしいくらいです」
「松浦さんは、彼が嫌いかね」
「嫌い…とは違いますけど、好きになっちゃダメな人だと思ってます」
「おやおや…」
「店長だって彼の評判はご存知だったじゃないですか」
「確かに彼は軽率で危なっかしく見えるよ?でも私にはどうも彼がね…いつも笑いながら泣いているように見えてしまうんだよ」
店長の言葉に勇魚はふと、あのピンクの紫陽花を思い出す。
それは以前窓拭きのお礼に好きなものをと言われたみかが、真っ先に興味を示し悩んだ末に結局持ち帰った花だった。
あの時、彼の横顔に浮かんだ表情、その言い様のない沈痛な眼差しと翳りを帯びた自嘲するかのような笑み。
それは紛れもなく切ない恋をしている人の顔だと、勇魚にはわかったのだ。
(……アリサちゃんも、時々あんな顔してたな…別にみか先輩とは関係ない話やけど)
何が、何処がどうとは言えないのだが、以前とは確実に違う。邪険にできないでいるのもそのせいだったのかと、無意識ながらも自分自身の行動の理由に思い至り戸惑う。
(片想い…なのかな、先輩)
すっかり暗くなった店の前で一つだけ売れ残った青い紫陽花の鉢を抱えながら勇魚は
呟いていた。
勇魚が鶴木みかの複雑な片想いの相手である秋吉かすみに出会うのは、まだもう少し先の話。
青い髪の先輩の話