パーフェクト・ドリーマー
*あらすじ
「バンドで飯を食っていきたいんだ」と誰にも告げることが出来ず、密かに夢を叶えるため大阪から東京の大学へ進学した黒崎真人。同じ夢を抱えて地方から出てきたメンバーと必死に夢を追い求めるが、とあることをきっかけに『うまいこといっていた』バンドが就活シーズンを目前にして解散してしまう。東京に身寄りもなく、親に就職はどうするのかと問い質された真人はとっさに「大阪に帰って教師をやる」と言ってしまう。
それから四年後、大阪で高校教師三年目を迎えた真人は、軽音楽部の顧問をしていた。自分が叶えられなかった夢を目指す、自分が音楽で生きたいと思った頃と同じ年齢の生徒と過ごす毎日。そんな教師四年目の春、真人はシンガーソングライターを目指す御山由樹華と出会う。彼女もまた、真人と同じように上京して音楽で生計を立てたいと考えていた。由樹華の生み出す曲と歌声に惹かれた真人は、彼女の音楽活動を応援するようになる。
その年の秋、軽音楽部の生徒に唆された真人は生徒とバンドを組んで文化祭で披露することに。バンドの楽しさを再確認した真人は、一念発起して再び音楽を志そうと決心する。そのステージを、由樹華を見にやってきた関係者が見ていた…。
一. 白い靄の街
小高い丘の上から見る都会には、だいたいいつも白く靄がかかっていた。近くで見ればあれだけ大迫力の高層ビルだって、ここから見たらちっぽけで、多くの取り巻きの中にそれぞれがそれぞれに埋もれているようにしか見えなかった。だけどずっと、ここから遠く見える夜景は自分しか知らないし、百万ドルの夜景なんかに負けないぐらい綺麗だと思っていた。だからここに来るのが好きだった。
あの時から何年が経っただろう。また同じ景色を同じ場所から見ている。街は絶えず変化するものだといっても、やっぱりいつも白い靄に沈んでいるビル群はいつも変わらないし、夜景の儚い美しさも変わらない。ただただ自分だけが変わっていく。
黒崎真人は深夜の遠い夜景に目を細めながら、ギターケースを背負い直し、エフェクターボードを持ち上げた。背中と右腕を合わせた総重量は、おそらく二十キロを超えている。もうこの重さには慣れたものだが、過酷なライブと打ち上げ後の体にはさすがに堪える。そのままゆっくりと長い坂を登っていく。
「…ただいまーっと…」
声を掛けたが、父も母も寝ているはずで、もちろん返事はなかった。部屋の古い掛け時計は午前二時を少し回った辺りを指している。細くライトの点いたダイニングには、ラップを掛けたハンバーグと鍋に入った味噌汁が置かれていた。ハンバーグの乗った白い皿の横には年季の入り始めた達筆でこうあった。
"おかえり。どうせまた遅いだろうと思ったけど正解でしたね。ご飯食べたかもしれないけど、一応真人の分も作っておいたから置いておきます。お米は冷蔵庫。 母より"
「…またハンバーグかよ」
彼の母親は、彼が帰ってくる度にハンバーグを作るらしい。確かに真人の小さい頃の好物はハンバーグだったし、今だって嫌いになったわけではない。大学三年にもなって毎回こういう扱いをされるのはさすがに…というだけである。
「…まあ俺なんかまだまだ子供よな、そりゃ」
打ち上げでかなり飲んだ後だったが、ほとんど何も食べていなかった真人の胃はハンバーグの前に正直だった。次の瞬間には掻き込むようにして平らげてしまっていた。
その頃の彼は、願えば何だって順調に回るものだと思っていた。実際のところ、バンドは上手くいっていたし、今日の大阪に帰って来てのライブだって大成功だった。しかも来年にはインディーズレーベルからデビューするという話さえあった。固定ファンもついてき始め、これからのライブ動員だって右肩上がりのはずだった。
そう、全ては『うまいこといってる』はずだったのだ。
高校はいわゆる"ええとこ"に合格し、それなりに成績も収めていた。軽音楽部で始めたギターとボーカルは上手い上手いと持て囃され、真面目にバンドをやってデビューしたいなんて思っていた彼は、その考えを実行に移した。音楽をやることに反対派の親に悟られないように上京しようと、東京のこれまた"ええとこ"を受け、見事に合格を勝ち取った。大学では同じ考えで地方から上京してきたメンバーと出会い、バンドを結成。そのバンドがあれよあれよと大きくなり、デビュー寸前まで成長していた。
まさに、彼の計画は順風満帆なはずだったのだ。
その船が突如転覆してしまったのは、大阪でのライブから三ヶ月後のことだった。
「…はあ?辞める?あいつが?マジ?」
「なんでそんな縁起でもねえ嘘つかねーとダメなんだよ。マジだってば。だから今日こうやって集まってるんだろーが」
ドラマーに緊急集合をかけられて、真人たちは大学近くのいつものファミレスの、隅の方の指定席に座っていた。ただ、いつもは四人で囲むいつものテーブルには、今三人しかいない。
ベースがバンドを辞めるらしい。真人からしたら、青天の霹靂と言ってもいいぐらいの大事件だった。
「ベースが抜けるって…新しいベース探すのどんだけ大変かって…」
「だから言ってんだろ、とりあえずあいつの後輩がサポートで入ってくれるって」
「俺そんな生半可な曲作ってねーぞ?そいつ大丈夫なのかよ」
「ケンタが大丈夫だっつってるんだから大丈夫だろ」
食べ終わったドリアのスプーンをカチャカチ鳴らしながら、ドラマーは不機嫌そうだった。真人の語気も荒さを帯びてくる。
「つかさ、なんでケンタは俺らには言ってこねえの?なんでシュウにだけ言うんだよ?バンド辞めるって一大事だろ?俺ら四人でテッペン目指すんじゃなかったのかよ?!せめて…」
「だから、それがダメなんだってシュウが言ってんだろ」
水を一気に煽ったギターのアキヒトが捲し立てた。
「俺だってケンタの気持ちは分かる。マコがそういう風に熱すぎるのがよくねーんだってば。お前さ、確かにめちゃくちゃ才能はある。俺もそれは確信してる。だからついていってる。だけど人の心読むのがマジでヘタクソすぎる。言っとくけどあいつ相当前から悩んでたぜ?マコのことは信頼してるけど、もうこれ以上はついていけないかもしれない。ならいっそ音楽辞めたほうがいいのかもしれない、って」
ガーリックトーストを飲み込もうと咀嚼していた口が止まった。
「…アキ、それいつからの話だよ?」
「半年前ぐらいじゃね?俺も正確には忘れたけどさ」
「……」
大成功を収めたと確信していたあの大阪でのライブでも、これからの未来に浮き足立っていたのは真人だけだったのだ。俺はいける、どこまでも高みを目指せる。そう思っていたのも、もしかしたら真人だけなのかもしれない。まず、ケンタが悩んでいたことを知らないのも、メンバーの中では真人だけだったのだ。
「…たぶん俺に話してくれたのも、今思えば俺からマコに話してくれってことだったのかもな…。俺がもうちょっと早く話してればケンタは辞めずに済んだのかもな」
残り少ないペペロンチーノをフォークで弄びながら、アキヒトは寂しそうに呟いた。
「まあ俺も悪かったよ。これからも頑張ろうぜ。俺これからバイトだからさ、先行くわ。金払っといて。お釣りはカンパ」
んじゃっ、と言い残しアキヒトはよくあるOUTDOORの黒いリュックを背負って、そそくさと店を出て行ってしまった。リュックにはやっぱり缶バッジが大量についていて、歩くたびにカラカラと軽い音を出していた。
「ケンタは辞めるって言って聞かなかったけどさ、別にこの件は誰が悪いわけでもないんじゃね?マコもそんなに気にすんなって」
つかやべー次俺コマ入ってるわ、とシュウも帰ろうとし始めたので、真人は次のコマが入っているわけではなかったが、一緒に席を立つことにした。やべえ遅刻する遅刻する、とシュウは走り去ってしまった。
残された真人には、どこに行くわけでもなくふらふらと彷徨うしか選択肢がなかった。こんなことがあった後に勉強しようなんて気にはなるわけがなかった。元々この大学だって、行きたいからではなくネームバリューで選んだようなところだ。
パーフェクト・ドリーマー