O2

20XX年。近代化した戦争。
戦争・ホラー・ミステリー・悲しい系統
初の長編です(*・ω⊂*)

争い

「ねえ、私たちはママにとって、いらないものなの?」
沙衣子が消え入りそうな声で言った。
「そんなことないよ。ただ…ただママが、頭がおかしいだけさ」
僕は彼女の握る小さな手にぎゅっと力を入れた。先ほどからめまいがとまらないのはなぜだろうか。頭の中真っ白で、思考回路が停止しているのはなぜだろうか。
おそらく全てが母さんのせいだろう。藍田ゆりえは4歳の沙衣子と15歳の僕を置いてどこかへ行ってしまった。こんな戦争のまっただ中、子を置いて逃げる親は少なくない。僕の友達“だった”カズヒトも、親に捨てられ、兄弟と離れ、そして寂しく死んでいった。僕は何もすることができなかった。母さんが何もするなと言って話を聞いてくれないのだ。それは自分たちの食料が少ないからなのだろうか。どちらにしろこれはカズヒトからの罰なのではないかと今でも考えさせられる。
「ねえお兄ちゃん?」
幼い沙衣子はおそらく170センチほど地上にあると思われる僕の顔を、見上げないと見る事ができない。僕は彼女に合わせてしゃがみこんだ。
「私、死んじゃうの?」
なぜか沙衣子は、幼いながらも「死」というものを理解していた。僕はその言葉を聞くたびに胸が痛んだ。沙衣子の目は涙の気配さえ感じられなかった。ただ、死を淡々と語る4歳児の瞳は、僕にとっては痛々しかった。
「……生きるさ。お兄ちゃんが絶対に、死なせない」
そう言うと、僕は沙衣子の体を抱きしめた。


僕は慶太という名前だ。生まれたとき、第4地区という一番戦争の激しい地区にいた。父親は出兵中で、周りには祖母と、姉と、母しかいなかった。父親は年に2回ほど、有給を取って家に帰ってきた。僕は地下10階建てのマンションの7階に住んでいた。玄関の鍵はいつも閉められていた。誰の侵入も許可しなかった。強いて言えば家族と、5階に住むカズヒトくらいが入れるのであった。
僕の家はそれほど貧乏なわけでもなかったし、裕福なわけでもなかった。ただカズヒトの家はひどく貧乏だったために、マンションに住んでいるだけで限界だった。彼はよく家に遊びに来て、夕飯を一緒に食べた。彼はおもしろくて、運動神経がよくて、学校ではいつも人気者だった。学校に行く途中に、兵隊に出くわして、そいつを素手で倒したこともあった。女子からも人気だった。優しい奴だった。そんな彼が友達だということが、僕にはすごく自慢できることだった。僕は取り柄がほとんどなかったから、彼といて自分の株を上げるなんていう最低な人間であった。
僕ら二人が8歳のとき、二人で久しぶりに地上に出て、たまたまやっていたアイスクリームの売店でアイスを買った。その日は争いも少ないほうで、遠くの地区で鳴り響く爆撃音に耳を傾けながら、広い大地に座った。
「昔は、ここに東京タワーがあったよな。今はもう、取り壊されちゃったけど」
東京タワーの跡には草むらが広がっている。昔都会だったところももうすでに草原と化し、建物はあとかたもなく消え去っていた。全て、地下で生活を繰り広げているからだ。
草原にはぽつんぽつんと地下への入り口が繋がっているだけで、他には何もなかった。僕と、カズヒトと、アイスクリームの売店のおじさんの、3人だけであった。
「そうだねえ…。カズヒトはまだ地上にタワーがあったころから、みんなの人気者だったな」
僕はアイスにかぶりつきながら言った。すると、となりに座るカズヒトは目をまんまるくしておどろいたように答えた。
「何言ってんの!俺なんかより、ケイちゃんのほうが人気者だよ!背も高いし、優しいし、イケメンだし……」
「お前こそ、何言ってんだよ。僕なんか大した人間じゃないよ」
「いや、大した人間だよ」
人にお世辞を言う時のカズヒトの顔はにやついていることが多かったが、このときの彼の顔は真剣だった。何か、物珍しいものでもみるかのように、僕のことを見つめる。
「そんな、へんな目でみるなよ。…僕はお前なんかより、大それた人間だよ」
「そんなことない」
カズヒトは僕の左手を掴んだ。彼の手はなぜか、死人のように冷たかった。
「俺、本気で言ってるから。ケイちゃんいなかったら、生きてないよ、俺。俺、ケイちゃんに生かされてるようなもんなんだよ。だから、自分をけなすようなこと、言わないでくれよ。な、頼むよ」
彼の、僕を握る手に力が入った。僕はだまって頷いた。
「わかったよ。わかったから、手、離して」
「あ、ごめん、つい……。だって、ケイちゃんがへんなこというから…」
カズヒトはぽっと顔を赤らめた。
「さぁ、帰るか」
アイスクリームを食べ終えた僕は、すくっと立ち上がった。日差しはまぶしい。ずっと向こう側で繰り広げられる激しい戦争に目をやった。大きな黒い基地がひときわ目立つ。
「父さん……」
僕はその基地を見つめて呟いた。
「どうした?」
隣に立つカズヒトが声をかけてきた。
「ああ、なんでもない。さあ、危ないからいこうぜ。いつ兵隊が来るか、わからないからな」
僕はそう言うと、足早にその場から離れようとした。

戦い

それから月日は経って、妹の沙衣子も生まれた。そして、父親は沙衣子と入れ替えに戦死した。
母は号泣し、祖母は何もいわなかった。いや、祖母は病気をかかえていたため、何も話すことができなかったのだ。ただ、黙ってベッドに横たわるだけだった。
そうして僕は、周囲の人がどんどん戦死していくのを目の当たりにしていった。そしてある日、カズヒトの兄弟が、みんな死んだ。兵隊に見つかって、拷問され、そして最後は銃で撃たれ死んだという。なんと、戦争はひどく、酷いことをするのだろうか。その日以来カズヒトは学校に来なくなった。家で、一緒に夕飯を食べる事もなくなった。彼が笑う事もなくなったのだ。
同時に、あのアイスクリームの売店のおじさんも、姿を見せなくなった。
「ある日、僕と姉、そして妹の3人で、食料の配給場へ行った。僕が12歳のときだった。妹は2歳になっていた。姉は、17歳ながらも、兵の看護隊に入隊していなかった。この国では、傷ついた兵士を養う看護隊というものが存在する。それは15歳以上20歳未満の女子は必ず参加しなくてはならないのだが、姉は年齢を偽り、看護隊から逃れているのだ。看護隊の実態を知る女性は多い。本当は兵士を看護したりなどしないのだ……。その実態は、兵の欲求を満たすための道具となるのだ。妻子と離れる兵隊の欲を……。
補給場まで着くと、姉は僕を妹の見張り番に任せて、食料を取りにいった。僕は妹をあやしながら、姉の様子を伺っていた。姉は何も言うこと無く規則正しく列に並んでいた。姉は普通に見たらとても17歳と思えなかった。綺麗だし、背は高いし、スタイルはいいし、教養もあった。淑やかなイメージを崩すことなく、彼女は凛々しく生きている。
「おい、お前、ちょっと来い!」
突然、男の叫び声が聞こえた。僕は妹を抱いたまま、声のするほうを見つめる。
姉が、補給された食料を手に、3人ほどの男に囲まれていた。
「お前、まだ成人していないだろう。なぜ看護隊に入らない?おい、どういうことだ。こいつを調べろっ!」
「いや、私はもう25よ!子供じゃないわ…いや、離して!ねぇお願い…ねぇユウト、ねぇ、お願いよ……」
姉は食料を奪われ、男たちによって着ている服を全て脱がされた。その様子を、僕と幼い妹、そして列に並ぶ大人たちは呆然とした表情で見つめていた。
「ユウト!ねぇ、お願い!!!」
姉が裸になりながらも必死に叫び、頼み狂う男は、姉の恋人であるユウトであった。彼は顔を赤らめ、俯き、うっすらと涙を目に浮かべている。
「姉ちゃん!」
僕は叫んだ。そして姉のもとへ駆け込んだ。しかし姉は、男に押さえつけられ、口を抑えられた。
姉は必死に口を抑える手を離して、僕に向かって鬼のような表情で叫んだ。
「来ないで!慶太!!沙衣子と一緒に逃げるのよ!!!!!!」
姉はそれだけ言うと、力を抜いたように、男のなすがままに全裸のまま連行されていった。ユウトは僕のほうをみつめ、小さく頭を下げたあと、姉たちについていった。
「姉さん!!!!ねえさん、ねぇ、ねえさん……」
僕はその場に倒れ込んだ。妹は僕の胸から離れ、姉のほうをじっと見つめている。
「お姉ちゃん、どこ行くの?はだかんぼ、寒いよ?」
妹の言葉が、心に深く響いた。

僕と妹は、姉が残していった衣類と食料をかかえて、黙って家に帰った。途中、先ほど配給場で並んでいた老婆に声をかけられた。
「坊や。気持ちはわかるがね。ここで抵抗すれば、君も、死ぬんだよ」
老婆はおどろくほど背が低かった。老婆はニット帽のようなものを被り、杖をついていた。歯は全部抜けていて、滑舌も悪く、最初、何を言っているのかわからなかったが、何度か聞いてその意味を理解したとき、彼女のいう言葉がとても恐ろしいことを意味していると知り、咄嗟に妹と繋いでいた手を離してしまった。
「姉さんは、これから死ぬっていうのか」
老婆は僕を悲しそうな目で見つめた。まるで、あのときのカズヒトと同じような視線で。
「…私の娘は3人いたが、そのうちの2人は看護隊を入隊して、半年で死んだ。1人は今も看護隊の中で苦しんでる。男たちは極度な力仕事も看護隊に任せるのさ。そうして夜な夜な……。ああ、あの娘さんもそうなると考えると、本当にもう……」
老婆は泣きながら、僕のほうをみて「頑張りなさい」と言うと、その場を離れていってしまった。

僕は妹の手を再び引き、また家路を歩もうとした。しかしそのとき、沙衣子が咄嗟に手を引っ張って、歩くのを頑に拒んだ。
「どうしたんだ、沙衣子。行くよ、母さんたちが…待ってる」
僕は沙衣子の小さな手を軽い力で引っ張ろうとした。しかし、2歳の彼女とは思えない力で、僕の体を思い切り引っ張ってくる。
「もう…なんなんだよ、沙衣子」
半ばいらついた表情を隠せず、僕は声を荒げて沙衣子を見た。しかし、その幼い顔を見た瞬間、僕は息を飲んだ。
彼女は声を上げて泣いていたのだ。
「……どうしたんだよ」
僕はしゃがんで、沙衣子と目線を合わせる。黒く曇った空には、地上を監視するヘリが2機、飛んでいた。
「…お姉ちゃんが…お姉ちゃん、どっか行っちゃった……。おばあさんが、お姉ちゃん……死んじゃうって…」
沙衣子は溢れ出る涙を両手で必死に抑えようとしていた。僕はもうどうしていいかわからずに、ただ泣きじゃくる沙衣子を見つめていた。
「ねぇお兄ちゃん…?お兄ちゃん、お兄ちゃん!!お姉ちゃんは……ばいばい…なの…ねぇ、ねぇ!!」
「うるさいな、だまれよ!!」
必死に僕の肩を揺する小さな妹を、僕は思い切り突き放した。沙衣子は、いやっ、と小さく悲鳴を上げて、しりもちをついた。それと同時に、どこか向こうの街で、爆撃音が聞こえた。
「姉さんはな…あのばあさんの娘みたいに、死んだりしない。絶対、絶対に帰って来る。戦争が終われば、姉さんは…また家に戻ってくるんだよ!!」
自分自身に言い聞かせるように、僕は沙衣子に向かって思い切り怒鳴った。沙衣子は目を見開いて僕を見つめ、びっくりした様子を隠せていなかったが、やがてしょんぼりしたように立ち上がると、僕のほうへ寄ってきた。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだよ」
僕は落とした食料などを拾い上げ、沙衣子を睨んだ。沙衣子は怯えることもなく、何か考え込むように俯いている。やがて、力なくあごを上げて、僕のほうを見つめた。
「お兄ちゃん、戦争は、終わらないんじゃないかな」
それだけ言うと、沙衣子は、黙って僕の側を通りすぎていった。僕は、前を歩く沙衣子を凝視して、そしてうわぁぁっ、と唸り、泣いた。

この終わりの見えない戦いは、いつ静まるのだろうか。
誰も犠牲になることなく、みんなが平和に過ごせる日は、くるのだろうか。

いろんな感情がこみ上げてきて、いままでの十数年の年月が、とても短く、僕の頭の中を巡り巡る。その記憶の映像の全部が、争いのシーンを映し出している。たった一つ、最後に映し出されたのは、妹のあの泣き顔だった。


あの日から2年ほどたった今、祖母も死に、カズヒトの母親が突然失踪した。それは我が家でも凄まじい衝撃が走るようなニュースであった。
「悪いけど、家にはもう食べ物もないの。ごめんなさいね、配給に行ってらっしゃい」
「でもっ、配給にはお金がー!!」
カズヒトは毎日家にきて、食料を分けてくれるように頼み込んだ。僕はそんな哀れな彼の姿を見るのが辛かった。どうにかしてやりたくて、真夜中に、冷蔵庫からたまたまあったアイスクリームを2つ取り出し、管理人の休止時間を盗んでカズヒトの家まで走った。
カズヒトの家までは一分かかるかかからないかの距離だから、アイスが溶けることもなかったけれど、僕は全身汗だくだった。カズヒトの家のインターホンを鳴らし、応答がくるまで待つ。
やがて、玄関のドアの開く音が聞こえた。
「カズヒト!!」
僕はカズヒトの家に転がり込んだ。しかし、僕を迎え込んだのは、カズヒトとはほど遠い、背の高い男であった。
「君は誰だね。勝手に、人の家に転がり込むのはどうかと思うけどね」
男は背広を着ていた。僕は呆然とその場に立ち尽くした。リビングでは鑑識らしき人々がカメラのシャッターを押しまくっている。リビングの床には、おびただしい量の血が流れていた。
「カズヒト…カズヒト!!」
僕はカズヒトの名前を呼びながら、リビングへと駆けた。しかし、そこに元のカズヒトはいなかった。代わりに、無惨な姿になったカズヒトの遺体が、ソファーの上に寝かされていた。
口から大量の血を吐き、紫色に変色しかけているカズヒトの肌は、しわが寄っていた。大きな目は半開き状態で、体はまるで骨と皮でできているのではないかというほどガリガリにやせ細っていた。
「カズヒト……?」
僕は持っていたアイスクリームを落として、カズヒトのそばに近寄った。彼はすでに息絶えており、そばには食い散らかされたパンや、ゆでていない麺が落ちていた。
「子供がこんな時間に出歩いているのもどうかと思うが……。まあこの時代、こんなことは多いだろう。彼と君は、友達かい?」
背広の男は僕に近づいてきた。顔は無表情だった。
「僕のせいだ……」
僕は体中がガクガク震えた。この部屋にいてはいけない気がした。恐怖に包まれて、背広の男を押しのけ、カズヒトの家を出る。
いやだーっ、と叫びながら、僕は無心になって、いつかカズヒトと一緒にアイスクリームを食べた場所へと走っていた。その場所につくと、力尽きたように倒れ込み、そして空を見た。
まだ戦争が激しくなかったころは、僕と、カズヒトの家族と一緒に東京タワーに来た記憶がある。そのころはまだ、姉さんも、父さんも、祖母もいた。カズヒトの両親と、兄弟もみんないた。建物だって、たくさん建っていた。戦争なんて、ちょっとのデモで終わるんだと、軽く思っていた。何十年も前の太平洋戦争なんて、歴史上で習っただけの、大きな出来事にしかみんな、思っていなかった頃。
蝋人形館に入って、カズヒトと一緒に走り回った。カズヒトと、カズヒトの兄弟と、僕と、姉のみんなで、トリックアートを楽しんだ。展望台まで行って、建設中だったスカイツリーを眺めた。東京タワーから見えるスカイツリーなのに、スカイツリーがとても大きく見えたのを覚えている。あの頃は、そんなことを考えられる余裕があったんだ。
僕はそんなことを考えているうちに、なんだか悲しくなってきた。涙が頬の上をぼろぼろとこぼれていく。ううっ、と唸らないときっと抑えきれない感情だった。僕は、カズヒトへの罪悪感でできた人間にそのときから変化した。

失う

戦争によって失ったものは多かった。家族、親友、今まで自分を取り巻いていた環境が全て一変して、そして消え去っていった。
僕はカズヒトという最高の親友を失ってからーいや、もう僕は親友なんて呼べないのかもしれないが。だけどその日から、多分人柄もずいぶん変わったと思う。性格の明るさは消えたし、やんちゃな子供らしい感情も「死」によってかき消された。神は友を裏切った僕から全てを奪い去ったのだろう。家のなかで一番明るかった僕がこんな調子だから、家族の中には暗い雰囲気が漂っていた。
生き残った家族は、僕を含めた3人であった。あとは、妹と母親のみである。姉は生きているのか死んでいるのかわからないし、その他に肉親はいなかった。妹は日に日にやせ細っていき、母親も日に日に神経を尖らせるようになっていった。
ある日、マンションの立ち退き令が出た。父親が残していった預金が底をつき、マンションから出なくてはならないのだ。立ち退き期間は5日間で、その間に僕らは次に生活する住処を探さなくてはならなかった。僕と母親はなかなか繋がらないインターネットの回線を回したり、雑誌を読んで平穏な土地は無いかを探した。しかし、今の時代でもはや平穏な場所などなかった。他国でも戦争は繰り返され、どこに行っても争いの魔の手が追ってきた。
「あぁ、もう!場所が見つからないなんて……。しょうがないわ慶太。とりあえず……家を出ましょう」
母は何か考えがあるようだった。それがどんな考えかなんて、その時の僕には想像もつかないことであった。
5日経ち、僕たち3人はマンションを立ち退いた。荷物は最低限にまとめ、家具などは全て売り払った。これからどうするのかということを、母は教えてくれなかった。地上にあがると、そこは昔の草原はなく焼け野原に化していた。おそらく爆弾が落ちてこうなったのであろう。ずっと向こう側に見える巨大な黒い基地を見つめ、僕は母親に問いかけた。
「母さん、もしかして軍の援助に行くのか?」
母はだまって頷いた。
「だって、それしかもうないでしょう」
「あそこがどんな場所か知ってるのか?」
「知ってるわよ。だけどもう、生きるための場所はあそこしかないの」
この地域でたった一つだけあるバス停まで歩いた。そこから、大都市に移動し、黒い基地に入って、援護の手当を受けるのだ。しかし、そのための見返りは大きい……。看護隊のようなことをさせられる覚悟で、援護を受けなければならない。
やがてぼろいバスがやって来た。終点の大都市までの料金はやたらに高いが、もう政府のスネにかじり付くように生きるしかなかった。大都市までの時間はそう長くはない。険しい道の上でガタガタ揺られながら、僕たち3人はほとんど乗客のいないバスにいた。
「お兄ちゃん、どこに行くの……?」
沙衣子が僕にそう聞いてきた。僕は黒い基地を指差し、あそこに行くんだよと言った。すると、沙衣子は何も言わずに母のほうに向き返った。
「ママー…」
「なに沙衣子」
母は完全に不機嫌な様子であった。沙衣子はそんな母を見て、口をつぐんだ。僕は、こんな風に性格の豹変してしまった母をみると、改めて、戦争の恐ろしさを感じるのであった。
母はもともと大人しい人で、滅多に人を怒ったりしなかった。それが、戦争が悪化するにつれて、家族のことより自分を優先して考えるようになっていった。最後に配給をもらった日、母は僕らにほとんど食料を与えてくれなかった。弁当3つなのに、母はそれのチキンカツだけを僕にくれた。妹はそんな僕が食べ残したチキンカツしか、食べることができなかったのだ。
「ねぇ、ついたら……まずお母さんが手続きに行くから。そうしたら、あなたたち2人はあっちのバス停で待ってて。多分20分くらいかかるわ。もし20分過ぎたら…これ、このお金使って、ご飯でも食べて待ってなさい」
そう言って母が僕に手渡したのは、現金3万円であった。
「こんなにいらないよ。3000円あれば十分だよ」
「いいえ、持ってなさい!………あとで使うかもしれないでしょ」
母は強くそう言って、窓の外を眺めた。僕は渡された3万円を見つめてから、それをぎゅっと握りしめた。

大都市に着いた。そこは、僕たちの住んでいた街とはかけ離れたくらい進歩した街だった。一つの塀によって、大都市と各地区は分けられている。その塀を通って、一歩大都市に踏み入れば、そこは僕らにとっての未知の世界なのだ。高層ビルが立ち並び、家もある。マンションもある。電車も通っている。バスだってあんなオンボロじゃない。だけど昔は、僕らだってこんな生活をしていたんだ。それが、戦争が悪化しだしてから、この地域と他の地区で大きく違ってきたわけなのだ。
「じゃあ、行ってくるから」
母はそう小さく言うと、僕と沙衣子の顔を交互に見合わせてから、黒い基地の中に入っていった。不思議なことに黒い基地の中には人がたくさんいるのだが僕らのいる屋外にはほとんど人影が見当たらなかった。きっと、いつ敵が攻め込んでくるかわからないから、なるべく屋内にいるようにしているのだろう。いや、それにしても人が少なすぎる。昔テレビでやっていた大都市は、こんなにしんみりとした場所ではなかった記憶がある。黒い基地の中の人混みは決して僕らを見つめるわけではなかった。僕たちは不自然ではないのだ。しかし、どうして、周りの人がいないのだろうか。どう考えてもおかしいと思った。頭が混乱する。
そのとき、僕はなんだか一つのことを悟った気がした。

自分たちは母親に捨てられたのだ。

「お兄ちゃん……」
混乱する僕の手を握る沙衣子が、そう呼びかけた。そのおかげで僕は、現実に戻ることができた。
「ねぇ…私たちはママにとって、いらないものなの?」
その言葉が僕の予感を確定したものへと導いた。僕は固唾を飲み、そして、妹の顔を見つめた。
「そ…そんなことないよ。ただ…ただ、ママが、頭がおかしいだけさ」
しかし不思議なことに、僕がこんなに怯えているのに、沙衣子はちっとも悲しげな表情をみせなかった。
「ねぇお兄ちゃん。私死んじゃうの?」
沙衣子がそう言った瞬間、周りの人々が急に見え始めた。
「……生きるさ。お兄ちゃんが絶対に、死なせない」
僕はそう言って、沙衣子の体を抱きしめた。今はこうすることで、自分の不安を取り除くことができる気がした。

平和

生きるなんて格好つけて言ったところで、僕はこれからどうしていいのか全くわからなかった。一分程度沙衣子を抱きしめたあとやがて静かに離した。次に沙衣子のとき彼女は泣いていた。
目の前にそびえ立つ黒い基地は、他の高層ビルよりかは小さかったが、その図体は他の建物と比べ物にならないくらい大きかった。昔学校で、あの建物の中には軍事施設や看護隊施設など、戦争のための必需品が全て備わっていると習った。まるで犬が伏せをしているような形のその基地を見上げて、僕はまず姉の顔を思い浮かべた。
今、姉はどうしているだろうか。
急にそんな衝動に駆られた。きっと姉はこの基地の中にいるはずだ。そして、苦しい生活を送りながら頑張っているはずだ。そんな姉に無性に会いたくなった。いや、会わなければいけないとそのとき思った。
「なあ沙衣子」
僕は基地を見上げたまま、独り言を呟くかのように沙衣子に呼びかけた。
「なに……」
沙衣子は小さく答えた。僕は基地を見つめたまま、言葉を探す。
「うん……。これからこの中に入ろう」
「えっ」
沙衣子は驚いた声を上げた。
「ここに……姉さんがいる」
僕は大きく深呼吸をしてから、沙衣子の顔を見下ろした。沙衣子の瞳は先ほどまで絶望を見つめていたが、今、消えかけのロウソクがかすかに火を燃やしだしたかのように、希望の光を表しているように思えた。
「お姉ちゃん?お姉ちゃんいるの?ねぇお兄ちゃん!お姉ちゃんいるの?ねぇ、ねぇ!!」
沙衣子は僕の足を揺すって、しつこく尋ねてきた。僕は何も答えずにそんな沙衣子を抱き上げて、黒い基地の入り口へ向かった。
「お兄ちゃんどうするの?ねぇ答えてよ」
「黙ってろ」
僕は入り口前に立つと、中の様子を確認した。屋外よりはるかに混んでいて、なにやら一階奥の手続きの場所のようなところが目的のようだった。恐らく、母さんと同じようにこの軍事施設の中で生活するつもりなのだろうー。僕は入り口から下がり、他に入れる場所はないか探した。
入り口の横には、兵士の格好をした男が2人、立っていた。恐らく不審者を通さないためであろう。僕は黒い基地を見上げたまま、前にある通りを直進した。
まっすぐ行くと一つ目の交差点があった。僕はそこを曲がった。途中で沙衣子の顔を見ると、じっと黒い基地を見つめているようであった。僕は歩む道に集中し、そして黒い基地の裏側までたどり着いた。
裏側の警備はたいしたことはなかった。途中途中にあった細い路地を抜け、一番警備の薄いところをさまよった。防犯カメラはしっかり設置されている。僕は、防犯カメラをなるべく見ないようにして、それからどこか基地へ入れる場所はないか探した。
ふと、エレベーターのようなものを見つけた。そこには兵士がいたが、さほど背も高くなく、僕は妹を下ろしてからそいつに向かって突進し、そして倒した。相手はあっという間に倒れた。僕は倒れた敵を見つめたあと、そいつの着ていた衣類を全て取って、再び妹を抱き上た。エレベーターのボタンを押す。エレベーターには5、4、3、2、B1、B2、B3とボタンがあった。僕はとりあえずB1を押してみた。するとエレベーターの扉があき、僕はそこに乗り込んだ。
エレベーターは黒色で、高速で降りていった。乗り込んで3秒もすれば、地下1階に着いてしまった。僕はエレベーターから足早に降りて、周りに誰かいないかを確認した。
エレベーターを降りた所をすぐ、通路が通っていた。通路の先をのぞくと、そこには誰もいなかった。僕は、防犯カメラを探して辺りを見回した。幸い、防犯カメラらしきものは見当たらなかったため、僕は先ほど倒した兵士の着ていた服を急いで着た。兵士はハンドガンを所持していた。僕は気を抜けば、先ほどやられていたのかもしれないと一瞬思ったが、それを無視して妹を抱き上げた。妹は不安そうな顔をしていたが、それでも泣かずに黙っていた。
通路にでてすぐのところに、休憩場を示すマークのついた扉があった。僕はその扉をそっと押した。そこには誰もおらず、代わりに武器のようなものがたくさんおいてあった。
「ここにいてくれ」
僕は妹を床に下ろすと、壁にかけてあったハンドガンを渡した。
「いいかい、誰か来たら、こんにちはってあいさつするんだ。誰だって聞かれたら、お父さんを待っているって言え。この銃は…そうだな、お前のカバンの中に入れておけ。いざというときに取り出して、この引き金をバーンと…引くんだ。いいな?」
沙衣子はこくんと頷いた。僕は部屋の片隅にある棚に置いてあったハンドガンの弾をズボンのポケットの中にしまった。初めて着る防弾着の感触が少し気に障ったがもうそんなことどうでもよかった。僕は小型のマシンガンも腰ベルトに巻き付けた。そして静かに沙衣子を抱きしめ、休憩場を出た。
通路に出た。まっすぐ歩くと途中で巡回の兵士に会った。彼は僕に敬礼してきたので僕もそれに返した。僕はなんら怪しまれることなく、突き当たりにあった「看護隊施設」に入った。
「ここに……姉さんが」
看護隊施設の扉は大きかった。右側に「兵士番号判定機器」が設置してあった。僕は胸に刺繍されていた「178926」という番号を入力した。すると、大きな扉はブゥーンと音をたてて開いた。

中は想像を絶するものだった。施設は大きく分けて二つあり、右側は各部屋扉が閉まっていて、左側では深い傷を負った兵士の治療を行っていた。左側は普通の病院のようだ。僕は通路をまっすぐ歩いた。すると、右側からは次々に女の喘ぎ声が聞こえてきたのだ。
僕は怒りを必死に抑えて、巡回に来た兵士を装った。奥まではだいたい200m近くあるだろうか。とにかく長かった。僕はゆっくり歩いて、姉がいないかを確かめた。しかし、左側のほうには姉らしき人物は一人もおらず、恐らく姉は右側の部屋で、男の相手をしていると思われた。
一番奥には看護隊の休憩室があった。この部屋が一番綺麗で、一番病院らしかった。中には4人ほどの若い女性がいて、1人は煙草を吸っていた。しかし、僕の影を見ると、彼女はあわてて煙草を隠し、「すみません、つい!!」と僕に向かってぺこぺこと頭を下げた。
「巡回は先ほど終わったんじゃないんですか?」
一番手前に座っていた、おそらく最年長と思われる切れ長の目の女が軽く僕を睨んだ。こいつがここのボスだなと僕は思った。僕は彼女に近づいて、「探している奴がいる」と言った。
「誰でしょう。あなたのお相手なら、私でよかったらしますけど」
半ば口元に笑みを浮かべて、彼女は答えた。好戦的な視線を僕に注いでいる。
「君に興味はない。ここに、梨紗子という奴を連れてこい」
「梨紗子?あぁ、レイね……」
ここでは姉は「レイ」と呼ばれているらしい。みな本名を隠して働いているようだった。
「どうして本名を知っているのかしら」
「俺は兵士だ。上のものからの指令を受けている。早くしろ。でないとこの場で殺すぞ」
「はいはい、わかりましたよ。でも彼女、今はお取り込み中よ。大佐さんのね」
切れ長の女は小さくウインクをすると、立ち上がり、奥にある壁に設置された機械へと移動した。そしてそこで、「204」のとかかれたボタンを押した。
「看護隊No.204。上等部の命令です。至急休憩室へと来なさい」
机に置かれたマイクに向かってそう言うと、彼女は僕のほうを見た。
「ここで私達休憩しているの。外で取り合ってくれませんか?」
僕は黙って外に出た。右…いや、いまの僕から向かって左側の部屋からは、今だ女の喘ぎ声が聞こえていた。
しばらくして、奥の方から髪の乱れた女がやって来た。バスローブのようなものを身にまとい、疲れ果てた表情をしている。こちらに近づいてくるにつれて、それが姉であることがわかった。
「姉さん」
僕は小さな声で姉に囁きかけた。姉はビクンと反応し、僕のほうを見た。
「え…慶太……なんでここにいるの……」
「姉さん!会いたかった!!……ここから抜け出そう、姉さんを迎えにきたんだよ!!」
「そんな……」
僕は姉さんを抱きしめた。姉さんはもう僕より背が小さかった。しかし、姉さんは僕をゆっくりと離した。
「事情はともあれ、私はここから出られないわ……。もう汚れきった体だし」
「そんなことないさ!他の奴らには姉さんが上等部から呼び出されていると伝えてある…。だから来てくれよ!沙衣子だっているんだ」

数分後、僕と姉は一緒に沙衣子の元に向かっていた。
「姉ちゃん!会いたかったよ、姉ちゃん!!!」
「あぁ沙衣子。大きくなって。こんな……こんな愚かな姉でごめんね……」
姉さんはそれだけ言って、沙衣子を抱きしめることはなかった。
「上に突破する。車を拾って逃げるんだ。どこか、遠くの街へいこう……戦争のない、幸せな国へ」
そんなところ、あるのかなんてわからなかった。
だけど僕と姉さんと、沙衣子がいれば見つけられる気がした。
これからどうなるかなんてわからない。もしかすると五分後にはこの世にいないかもしれない。恐らくそうなるだろう。だけど別にそんなのどうだってよかった。姉さんと、沙衣子と、3人でいれば、ちっとも死なんか、怖くなかったから。

終わり

「沙衣子、学校の準備できたの?慶太、あなた今日仕事でしょう。いいの、そんなゆっくりしてて」
戦争は終わった。
朝7時、どこかの静かな街で、姉の声がけたたましく響いていた。
「沙衣子いってらっしゃい!ほら慶太、なにしてるの?勉強?もうそんなのいいから。早くしなさい!!」
「わかったから」
僕はこの最後の1ページを書こうとしている。分厚いノートに、この戦争の一部始終を書いてきた。
僕と姉と沙衣子は今、3人であの国を出て、静かな国へと移った。その経緯はすさまじいものなので説明しないでおくが、僕らが移住した1年後、あの国の戦争は終わったそうだ。
きっかけは1人の女性にあるらしい。その女性は、自分は子供を捨てるという愚かなことをした。この国ではそんな親が今たくさんいる。それでいいのだろうか。それでこの国は繁栄していくのだろうか。果たして戦争が本当に、本当にこの世を良くしていくのだろうか。と説いたらしい。それに賛同した人々が政府に反発を起こし、戦争は終わったという。
僕はその勇気ある女性が誰だかなんとなくわかった気がした。多分姉だって分かってる。だけどあえてそれは言わないでおく。いつかその女性とも一緒に暮らせたら僕は嬉しかった。
平和はいつまで続くかわからない。いつか、ガラスの破片で壊される脆さも持ち、そして、愛する人を失う悲しみを掛け持っている戦争が、僕にひとつだけ教えてくれたことは、人を信じる勇気だと思った。
僕はずっとこの先も人を信じたい。信じ続けたい。それが、亡き友人、カズヒトへできるただ一つの恩返しな気がした。



<END>

O2

O2

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • SF
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
更新日
登録日
2010-10-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 争い
  2. 戦い
  3. 失う
  4. 平和
  5. 終わり