am 8:50

A「おい、大丈夫か!? しっかりしろ! どうした、苦しいのか!?」

B「……ん。お、おぉ、君か。なんだ? どうしたんだい?」

A「寝ていたのか。さっきまで、ひどくうなされていたぞ」

B「おぉ、そうか。心配をかけて申し訳ない。悪い夢を見ていたんだ」

A「どんな夢だ?」

B「……話すのも嫌なくらいの、悪い夢だ。思い出すだけで、反吐が込み上げてくる」

A「そうか。災難だったな」

B「あぁ。それにしても、君と話をするのは、久しぶりな気がする」

A「そうかな」

B「そうさ。ここのところめっきり話しかけてくれなかったから、気になっていたよ」

A「あぁ、ちょっと色々考え込んでいてな。自分の世界に閉じこもっていたみたいだ。こういうのが一番良くないと、わかってはいるんだがな。それより、たまにはお前の方からも、俺に話しかけてくれよ」

B「それもそうだな。知らないうちに、話は君から切り出すものだと、勝手に思い込んでいたようだ」

A「まるで受け身のシャイな女の子だな。会話マグロ野郎と呼んでいいか?」

A&B「あはははははははは」

A&B「はは……」

A「……なぁ、また、あの話をしてもいいだろうか?」

B「あぁ、もちろん。しかし、君も好きだなぁ」

A「気持ちが塞ぐときは、あの話に限る」

B「間違いない。僕もなんだかんだと言って好きだ。それで、今回は何だ、また新しいネタでも考えたのかい?」

A「あぁ、それもあるんだが、まず最初に、この前映画で見て、印象的だったものを話すよ」

B「君は本当に映画が好きだね。人は見かけによらぬものだ。でも、この話題の中で話すということは、スプラッタ物の映画かい?」

A「いや、時代劇だ。80年代くらいの古い映画で、江戸時代の日本を舞台にしていたんだが、序盤に出てきた、キリシタン大名を弾圧するための拷問がすごかった」

B「ほほぉ、どんなだい?」

A「まず、拷問人は、キリシタン大名の両足首をロープでくくって、逆さ吊りにする。そうすると、当然頭に血が上ってきて、苦しむことになる」

B「怖ろしい。しかし、それだけでは終わらないんだろうな」

A「あぁ、そうだ。時間がある程度経って、顔が鬱血してきた頃、今度は、浮き上がったこめかみの血管に、拷問人が爪を食いこませて、切り付けるんだ。その瞬間、キリシタン大名のこめかみから、真っ赤な血がピューッと噴き出す。そのあとも、そこからぽたぽた血が落ち続ける」

B「血抜きをするということか」

A「そういうことだ。こめかみから血が抜けていくせいで、吊られた人間はなかなか死ぬことができない。体から血液が少しずつ失われていく絶望と恐怖の中で、ゆっくり、ゆっくりと、意識が混濁していくんだ」

B「……聞いているだけで、胸が悪くなる話だな」

A「あぁ、映画のワンシーンとはいえ、さすがの俺も直視できなかった。見終わったあと、つくづく、こんな時代に生まれなくて良かったと、心から実感したよ」

B「まったくだ。そんな目に合うことを思えば、今の僕たちは本当に幸せだ」

A「それで、この次が、俺の考えたものだ。話していいか?」

B「おぉ、いいぞ」

A「まず、拷問される人間を逆さ吊りにする。……いや、むしろ逆さじゃない方がいいかもしれない。両手首を縛って、バンザイする格好で吊るすことにしよう」

B「それでそれで?」

A「何の変哲もないペンチを準備する。そいつで、吊るされた人間の体の一部をつまみ、少しずつ千切っていくんだ」

B「これは痛い」

A「すぐに死んでしまってはいけないので、首や太腿みたいな場所は、序盤には千切らない。手の甲とか、足の裏とか、そういう場所からじわじわいくのがいいな。我ながらこの方法は、地獄の苦しみが長く続く、良いアイデアだと思うぞ」

B「特に、君のような肉付きの良い人間は、死ぬのに時間がかかるだろう。カラスが屍肉をついばむように、太鼓腹をちょっとずつブチブチ千切られるんだろうな。」

A「おいおい、怖いことを言うなよ。それからな、この方法は、単に苦痛が持続するだけじゃなく、ちぎる部位によって痛みの程度や種類が変わるから、拷問する方もされる方も、最後まで退屈せずに済むという優れ物なんだ」

B「なるほど。中盤あたりで金玉を潰すのが醍醐味だね。女だと、乳首やクリトリスか」

A「肛門にペンチを突っ込んで、腸をつまみだしてやるのも乙なものだ。気分転換に、髪の毛を何十本もまとめて、ブチっと抜いてやるのもいい」

B「眼球を潰さないままニュルッとつまみだす練習をしたりとか。しかし、ペンチでちぎるというシンプルなやり方なのに、楽しみ方の可能性が無限に拡がっているな。まったく、君のセンスはすごいよ」

A「いやいや、とんでもない。それにしても、もし俺たちがこんな話をしているのを人に聞かれたら、どんなに気の狂った連中かと思われるだろうな」

B「普通の人間が聞いたら、そう思うだろう」

A「でも、もう俺にはやめられないよ。今の自分の幸せを、心から噛みしめるためにな。お前もそうだろう」

B「あぁ、もちろんそうさ。背筋も凍るような拷問について、想像すればするほど、そんな仕打ちを受けずにいられる自分の境遇が、どれほど恵まれているか実感できる」

A「まったくだ。現に今、俺は、さっき落ち込んでいたのが嘘みたいに、心が晴れているよ」

B「それはよかった。しかし、話しているときはいいのだが、あまりにしょっちゅうグロテスクな想像をしていると、少し弊害も出てくる」

A「弊害?」

B「嫌な夢を見るようになるんだ」

A「……さっきうなされていたのも、そういうことか」

B「あぁ。何しろ運動不足なせいもあって、夜の寝付きがすこぶる悪く、毎晩のように夢を見る。日中にこんな話をしているせいか、夢の内容も大体ひどいもので、起きたらいつも、濡れ雑巾みたいに寝汗びっしょりだ」

A「そうか。俺は寝付きの良さだけが取り柄だから、その悩みは無いな」

B「うらやましい限りだ」

A「……なぁ、また聞いてしまって悪いが、さっきうなされていたときの夢は、どんな内容だったんだい?」

B「あぁ、あれか。目を覚ました直後は気持ち悪くてしかたなかったが、いま冷静に思い返してみると、大したことないかもしれないな。分かった、話すよ。前半部分はよく覚えていないので、記憶に残っている部分から話すが、僕はある研究機関で囚われの身になっていた」

A「囚われの身、か……」

B「そしてある日、僕が一人で収容されている部屋に、研究員が数人やってきて、実験をするから付いて来いと言うんだ。抗うこともできず、手術室に連れられ、手術台の上に寝かされた。いつの間に服を脱いだのか、僕は全裸になっていた」

A「なんと怖ろしい」

B「そして、麻酔も打たれないまま、手術が始まった。不思議なことに痛みはまったくなかったが、全身に何か、几帳面な細工を施されているような感覚だけが伝わってきて、とても気持ち悪かったのを覚えている。手術が終わったと伝えられ、上体を起こした僕は、自分の姿を見て愕然とした」

A「一体何が起きたんだ」

B「胴体から、手足の指先まで……頭部以外の全身に、びっしりと歯が生えていたんだ」

A「う…」

B「歯は隙間なく埋め尽くされていて、体を少し動かすだけで、歯と歯がきしきしと擦り合う感触が全身を覆った。関節の内側部分や指先の歯はビーズのように小粒だったが、他の大部分は口の中に生えている通常の歯と同じような大きさで、犬歯と臼歯が半分ずつくらいだった」

A「俺、なんだか、体が痒くなってきた。これはうなされてもしかたがないぜ」

B「自分の変わり果てた姿に虫唾が走り、堪らなくなって脇腹のあたりを掻きむしると、埋め込みの甘かった歯が数本ぽろぽろ抜け落ちて、まるでとうもろこしの粒が抜けたような状態になった。歯に覆われた白色の体に、抜けた跡の肉質な赤紫がポツポツと差し色をつくっていた」

A「俺が想像していたのとは少し違ったが、かなりの悪夢だな」

B「まだこれでは終わらない。気付けば僕は、タイル張りの古い浴室にいたんだ。浴槽は尿のような色の液体で満たされている。シュワシュワと泡立っていて、酸性っぽいにおいが立ち込めていた」

A「ほぉ……」

B「いつのまにか僕の後ろにいた研究員が、浴槽に入れと命令してくる。僕は抵抗したが、信じられないほどの力で浴槽に突き落とされた」

A「するとどうなった」

B「まさに地獄だった。歯と歯の間に液体が染み込んでいくやいなや、体中の痛覚を弄ばれているかのような鋭い痛みが、全身を駆け巡った。例えるなら、難しいが……千枚のカッターナイフの刃が、全方位から執拗に切り付けてくるような、そんな感覚だ。手術中にはまったく痛みがなかったのに、なぜ今はこんなに痛いのかも不思議だったが、そんなことを落ち着いて考えられないほどの、壮絶な痛みだった」

A「……悪夢にもほどがある」

B「僕は必死にもがいて浴槽から出ようとするが、歯の軋み合う手足がもつれて、思うように動けない。そうしているうちに、浴槽の液体が、オレンジジュースのような色に変わってきた。よく見ると、全身の歯と歯の間から、自分の真っ赤な血が滲み出て、元の液体の色と混ざっているのだ」

A「まさに地獄絵図だな」

B「僕は頭がおかしくなりそうだった。そのとき、遠くから僕を呼ぶ声が聞こえてきて、そこで目を覚ましたんだ。それが君の声だった。あのとき呼んでくれなかったら、僕は本当に、ショックで死んでいたかもしれない」

A「無事で良かった。毎晩のようにそんな夢を見ていたら、本当に気が狂ってしまうぞ」

B「まぁ、さすがに毎晩必ずこんな夢というわけでもない。それでも、いつもろくでもない夢ばかりということに変わりはないがな」

A「他には、どんな夢を見るんだ?」

B「そうだな。よく見るのは、仕事の夢だ。おかしいよな。仕事をしていたのなんて、もう何年も前のことなのに。いまだに夢に出てくるんだ」

A「よっぽど仕事のことが思い出深いのか」

B「良い思い出なんて、これっぽっちもないがな」

A「なぁ、俺は生まれてから、仕事というものをしたことがない。一体、仕事をして暮らすというのは、どんな感じなんだい?」

B「そうだな、ひとことで言うのは難しいし、人によっても、感じ方は違うと思う。ただ、僕にとっては、あれもまた、拷問を受けているかのような日々だった」

A「そんなに辛いのか?」

B「うん、辛い」

A「何が辛いんだ?」

B「挙げていくといくらでもあるぞ。上司に怒られる。客先に怒られる。それも人格を否定されるかのようにな。特に傷付いた言葉は、今も夢に出てくるよ。他にもまだまだある。満員電車に揺られる。行きたくもない飲み会に連れていかれる。熱があっても吐き気がしても、働かないといけない。どれだけ睡眠を欲していても、頭を使わないといけない。それだけしんどい思いをしているのに、なぜだかいつも心には、後ろめたさが付きまとう」

A「なるほど。俺にはピンとこないものもあるが、とりあえず、めちゃくちゃ辛いんだろうな」

B「あぁ、辛い。毎朝、目覚ましの音が無情にも現実を突き付けてくる。名残惜しげに布団を出ながら、いつも考えるんだ。次にまた眠りにつけるまでの間に、どのような苦痛を味わわなければならないのだろうと。ただ耐えて終わることならまだいい。しかし、仕事はいつだって、頭を使って、体を動かして、答えを、結果を出さないといけない。そして、必死で答えを出したとしても、罪人に浴びせるような言葉で罵られて、真面目にやれと突き返される。やる気を失っても、やらなければ、仕事は終わらない。仕事が終わらないと、家に帰れない。眠ることもできない」

A「なんだかすごいな。世の中の人間は、皆それに耐えて暮らしているのか」

B「耐えている自覚がない人もいるかもしれない。仕事が大好きな人間もいる。しかし、僕は駄目だった。神経質な僕は、責任を背負い続ける苦痛を無視して過ごすことができなかった。充実感などはまるでなく、ただただ漠然とした後ろ暗さと閉塞感が、胸の中で寄生虫のように大きくなり続けた。そして結局、このザマだ」

A「大変だったな。仕事をしたことがない俺でも、その話を聞くだけで、お前の辛かった気持ちがよく分かるよ」

B「ありがとう。こうして振り返ってみると、やはりあの暮らしは地獄だった。あれを思えば、今の僕や君は、とてつもなく幸せな環境にいる。心からそう断言できるよ」

A「同感だ。お前のおかげで、すごく元気がわいてきたよ。俺はついさっきまで、何を思い悩んでいたんだろう。こんなにも恵まれた環境にいることを見失うなんて、俺は本当に馬鹿だった」

B「まったくだ。しかし、人間というのは、そういうものなのだろう。身近な幸せには、なかなか気付かないものだ」

A「幸せの青い鳥、というやつだな」

B「そうだ。しかし、せっかく一度きりの人生なら、目の前の幸福をしっかり噛みしめて、生きていきた――」


 扉の開く音がした。

 AとBは硬直した。

 コツ、コツ、コツ、と足音が響く。近付いてくる足音は、いつも二人を震え上がらせた。だがしかし、数分後にはきまって、安堵が彼らを包んでくれる。いつもそうだった。

 いつもならば、そうだった。

 コツコツ、コツコツ、コツコツ。足音が鮮明になってきて、AとBは気付いた。微妙にリズムの異なる足音が、二つ分重なっている。つまり、今日は「二人」来ているということだ。いつもは、「一人」だ。「いつもと違う」ということ。それが、ここでは、何よりも重要な意味を持つのだ。

 次第に大きくなった足音は、Aの傍で止まった。大きな体を、怯えた小動物のように震わせながらAが振り返ると、そこにはCとDが立っていた。

C「A死刑囚、本日、執行が決定した。今から、一緒に付いてきてもらう」

 Aは絶句した。

 Bは、肺に溜まっていた息を一気に吐いて、また大きく息を吸った。体中の力が一気に抜けるのを感じた。

C「このあと、牧師さんのところに行って、最後の言葉を聞いてもらう。部屋にはお菓子が供えてあるから、食べたかったら食べてもいい……」

 Cが淡々と話す中、Bは少しずつ平静を取り戻し、Aと交わした約束のことを思い出していた。彼らは数か月前に誓い合った。「自分たちのうち、どちらかが先に“そのとき”を迎えたら、もう片方は、それを心から激励してあげよう」と。

B「おめでとう」

 CとDは、Bの声に反応して一瞬Bの独房を見たが、特に意に介する様子もなく、すぐにまた隣のAの独房の方へ向き直った。Cが一通り話を終えると、Cの斜め後ろにいたDが前に出てきて、Aの独房の鍵を開け始めた。

A「や、やめろ……」

B「おめでとう。友人よ、おめでとう。君はこれでやっと、正真正銘の安心を手に入れた。これでもう、生き地獄のような苦しみを味わうことは、絶対にないんだ。恐怖も、痛みも、苦しみも、何もないところにいけ――」

A「いやだああああああああああああああああああしにたくない、しにたくない、しぬのはいやだたすけてくれだれかあああいやだしにたくない! しにたくない! むりだ! ありえないいやだしにたくない! しねないおれにはむりだいやだあああああ」

 堰を切ったようにAが泣き叫び、Bは言葉を切った。独房の鍵を開けたDが中に入ると、Aは隅に後ずさり、ひっくり返った昆虫のように手足をばたばた動かしながら、言葉の体を成さない叫び声を挙げ続けた。
 屈強なDはAの上に馬乗りになって、頭をおさえつける。Dの顔は怒りに満ちていた。

D「死にたくないだと? てめぇに殺された人達の前で同じことを言ってみろ!! このゴミが!! ウジが!!」

C「やめろD! お前にAを懲らしめる権利はない! 彼は今から、しかるべき刑を全うして、罪を償うんだ」

A「い、いやだあああ……ありえない…しにた…くな…」

 Dに身動きを封じられたAが、絞り出すように声を出す。隣の独房でそれを聞いていたBの胸にもまた、恐怖が甦っていた。

B「友人よ…嘘だろ、死にたくないだなんてさ…。悪い冗談だよ。嘘だと言ってくれ……」

A「いやだ……しにた…くな……いきたい、いきて……なんでもする…いくらでもつみをつぐな……」

B「嘘だ! 嘘だと言ってくれ! 何のためにずっと、僕達はあんな話をしてきたんだよ! 執行の日を…今日という日を、晴れやかな気持ちで受け入れるためだろう!? 一体何が怖いんだよ!? ちょっと目隠しをされて、首に縄がかかって、呼吸が止まって、意識が途絶えて、それでもう終わりじゃないか! 何も怖ろしいことなんて――」

A「いやだああああああああああしにたくないいいいいいいいいい!!」

 Aの体が、Dによって独房から引きずり出されるのを、Bは自身の独房の中から見た。大柄のAが、聞き分けの悪い子どものようにじたばたしているが、CとDにがっちりと捕まえられたその体は、否応なく奥の階段の方へ引きずられていく。

B「待て! 待ってくれ! まだ行かないでくれ! 友人よ、一回でいい、嬉しいと言ってくれ!! 幸せだと言ってくれ!! でないと俺はこれから、何を希望にして生きればいいんだ!?」

A「しにたくない……しにた…くな…」

 扉の閉ざされる、重く無機質な音が響いた。
 
 
 

am 8:50

am 8:50

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-18

Copyrighted
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