芋虫の改竄

 「かずー、漫画だけで良かったんだったけ?」
 母の声がトイレの外から聞こえる。私は出来るだけ大きな声で、それで大丈夫ー、と答えた。入院中にずっと買っていた週刊の少年漫画誌を買ってきてもらおうというのである。自分の年齢を思うと、思わず乾いた笑いが口を吐く。
 六十を過ぎた母に漫画を買いに行かせて、私はというと、トイレの中で摘便(てきべん)の最中なのである。便器に座った状態で肛門に指を突っ込むと、弾力のある独特の感触がゴム手袋越しに伝わってくる。暖かい。自分の大便である。肛門のすぐそこに便があるこの状態を、便が「下りてきている」状態なのだと病院で教わった。便を肛門から摘み出すから摘便とは、そのままの気の利かない名前をつけたものだ――そんなことを思いながら、便を引っ張り出そうと肛門内を掻き回していると、男性器から勢いよく小便が飛び出して来た。飛び散った飛沫は、ぱたた、という小さな音と共に、前方の床に小さな水溜りをいくつも作った。私は、小さく溜息を吐くと、トイレの中に取り付けられた手すりに掴まりながら屈み込み、床をトイレットペーパーで乱暴に拭った。
 摘便を終え、銀色の歩行器――四脚の、腰くらいまでの高さのアルミラックの骨組みのようなもの――に掴まり、廊下に出る。この銀色の骨組みに体重を預けつつ、さらにそれを少しずつ持ち上げて前に出す。病院で教えられたやり方である。これを繰り返しながら、少しずつ歩くのである。しかし今日は、何歩か歩いたところで少しバランスを崩してしまい、歩行器が廊下の手すりにぶつかってしまった。この手すりは、現在は介護施設に入所している祖母の為に取り付けられたものである。こういったバリアフリーのための改装がなされているため、私は他のリハビリ入院をしている患者よりも早く病院を出られたのである。もっとも、この廊下の手すりは今の私にとっては邪魔でしかないのだが。
 自分の机に前に座り、また小さく溜息を吐く。何をしようか。つい二週間前までは、退院したら何をしようか、などと考えていたのであるが、いざ退院すると何もしたいことが無い。やった事と言えば、東京からの帰りに立ち寄ったサービスエリアで、ラーメンを食べた位である。仕方なくPCを開け、ネットサーフィンを始める。特に見たいものもない。ネットサーフィンを止め、何となくPC内の過去のデータを漁ってみる。Dドライブ内に、『大学 文永ゼミ 創作(ゴミ)』と銘打たれたフォルダを見つけた。そのフォルダを開くと、いくつものワードファイルの青がPCに展開された。私はその中から、導かれるように『破顔』と銘打たれたワードのファイルをクリックする。更新日時は、二〇〇六年六月三十日。今が二〇一三年十月十三日だから、七年前位の作品という事になる。自分の鼓動が少し早まっているのが分かる。私はそのファイルを開けた。

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破顔

青井(あおい) 和真(かずま)

 その事件は、田舎の母親から伝えられた。高校の同級生の義行(よしゆき)が、同じく高校の同級生で、彼の親友だった剛(つよし)と一緒に酒を飲みに出かけた、その帰りのバスの中で、いきなり窓ガラスを頭で叩き割ったというのである。顔中にガラスの破片が食い込み、顔の皮膚を剥がすという、けっこうな手術だったそうだ。酔った勢いだったとか、お祖母ちゃんっ子だったから、祖母の死がこたえて、追いつめられていたんじゃないか、など、様々な憶測が飛び交っているようであったが、義行自身が何も言わないので、結局のところ、何も分からなかったようである。高校時代、私は義行と親しくしてはいなかった。しかし、頭でガラスを割ったのに、そんなに顔中にガラスが刺さるとは思えなかった事が引っ掛かり、義行の事を想像して、暇に任せて文章にしてみた。定職につかず、かといって親にも見捨てられず、東京で一人アパート暮らし、という生活を送っている私には、そんな事をする時間だけはあるのであった。

 ――先週の土曜日、義行は剛に呼び出され、彼の実家のある、明智の飲み屋まで出かけた。数時間酒を酌み交わした後の帰り道、義行は、乗客の殆どいないバスに揺られていると、窓に映る自分の顔が、とても物憂げな事に気付いた。それに気付くと、ああ、やっぱり行かなければ良かった、と思い、少しおかしく思った。その飲み屋で、義行がまだ学生であると知った剛は、「俺も学生の頃は良かった」としきりに繰り返し、社会に出る事の辛さを語りだしたのである。義行は正直辟易したが、大学院に進学していた彼は、このような思いをする事は初めてではなかったので、またか、まぁ仕方ないと思い我慢して聞き流していたが、今回はいつものとは少し違っていた。剛は一言、忘れ難い一言を残したのである。
 「お前もしかし、変わらんなぁ。」
 剛と会うのも六年ぶりだったか、と義行は考えた。長年の持病だった糖尿病がいよいよ悪化し、ここ一年ほど入院していた義行の祖母が、先日ついに亡くなったのだが、その祖母が入院していた病院の看護婦が、彼らの高校の同級生であり、その看護婦と今剛が親しくしているという所から、義行は剛に誘われる事になったのである。義行と剛は、高校時代、確かに仲良くしてはいたが、卒業以来、一度も会う事はなかった事になる。その間、お互い連絡をし合わなかったわけだから、それで良いのだと義行は思っていたのだが、今更わざわざ、「飲みに行こう」などという連絡をよこすという事はどういうことなのか、と、誘われたその時に彼は少し考えてみた。しかし、すぐにその考えは立ち消えていった。義行は、人の行動に、あれこれと意味付けをするより、それに流されて行くほうが楽だと考えるようになっていたのである。だが、今回に限ってはこれは間違いだったかな、と義行は考え、苦笑した。
 彼は続けて、剛曰く「今」と「変わらん」という、自分の高校生活を思い出そうとした。すると、剛をはじめとした、教室の自分の席の周囲に居た何人かは思い出す事が出来、その幼い表情を懐かしくも感じた。しかし、彼自身がどういう風だったのかを思い出すことは、どうしても出来なかった。今の自分自身がそのまま高校の教室に居たような気がするのだが、それはきっと虫の良い考えなのだろうな、と義行は思った。周りの昔は思い出せるのに、自分自身の昔は思い出せないのは、自分勝手な事のように感じたのである。
 義行の記憶の中での、高校時代の彼は、それこそ今と変わらず、人の顔色ばかり窺っていた。今と変わらず、「人付き合いに必要ないのは自分の感情」だとか考えていた気がするのだが、どうだったのだろうか、と彼は思った。この考えを、大学になって初めて出来た彼女に言ったら、「つめたい」などと言われ、随分気まずい雰囲気になった事を義行は思い返した。彼は、他人と楽しく過ごしていると、「今俺がこいつを殴ったりしたらどうなるんだろう」という考えに突然憑りつかれる事がしばしばあったのである。何が起こったのか分からない、といった風情の、恐怖と侮蔑を含んだ眼で相手に見られる事を考えると、余計にその衝動が彼を捉えるのであった。殴ってみたい。義行はその感情を、自身のサディズムとして処理をした。それがサディズムといえるのかどうか、彼には分からなかったし、多分そうではないのだろうと思っていたが、そのチープな言葉で自分を表現できるところが、彼を安心させてくれたのである。
 一方で、祖母の付き添いをしていた時は、そのような思いに憑りつかれることはなかった。病院では、いわゆる「良いお孫さん」で通っていた。とは言っても、健康だった頃は触った事もない祖母の手を握り、小さく「おばあちゃん」と言ってみたり、自分の顔が魅力的に見えると感じていた、右の横顔を看護婦に見せられるように座り方を工夫したり、無意味に手で目頭を押さえてみたりと、今考えると、それらは多分に周囲の目を意識しての事だったのだが。
 義行はそれらの自分を外に見せようとはしなかった。周囲にそう望まれていないということを分かっていたのである。彼は、「自分は相手の望むように立ち回れればそれで良い」と思っていた。そして、そのように振る舞えているのなら、義行は確かに、自分が剛の言うような「変わらん」人間だと思った。そう思った時、バスの窓ガラスに映った義行の顔が、彼自身に向かって笑いかけているように見えたのである――

 書き上げると、私は風呂場に向かった。シャワーを浴びながら、随分調子付いた事を書いてしまったものだと思い、少しおかしく感じた。シャワーを止め、久しぶりに髭を剃っていると、薄笑いを浮かべた自分の顔が、鏡からこちらを見つめている事に気付いた。反射的に目を逸らし、肌に剃刀を滑らせていたが、引きつけられるように、もう一度鏡を見直してしまった。シェービングクリームをサンタクロースの髭のように蓄えた鏡の中の自分は、まだ薄笑いを浮かべているように見えた。
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 私は読み終えると、そっと目を閉じた。頭には、祖母の事、当時の彼女の事、妻の事、友人の事、大学のゼミ仲間、先生の事などが浮かんできている。だがそれよりも、幽かに、ぼんやりと、しかし確かに、何か他の事を思い出しているようでもあった。私はさっきまで自分の便を触っていた指で、何度かPCのディスプレイ上の文字をなぞった。暖かい。私はファイル内の「義行」の文字を一つずつ、確かめながら、「和真」に変換していった。

芋虫の改竄

芋虫の改竄

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-17

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