紡ぐ糸 プロローグ
主人公
渡瀬信二(34歳):大学卒業後、せっかく入社した会社を6年で退社。その後6年間ニート生活が続いたが、ようやく春が……
信二は最初の勤め先を辞めてから、ずっとニート生活で過ごしてきた。
就職先を探すも、世の不況は厳しくなかなか勤め先が決まらない。
ある日、信二の元に1通のメールが届く……
俺の名は渡瀬信二。
34歳、男。生まれも育ちも東京。
独身で恋人なし。ていうか、大学を卒業してから、恋人なんていたことがない。
平々凡々な都内の私立大学を出て、就職氷河期になんとか現役で、ある商社に入社した。
東京が本社で、仙台,大阪,広島,福岡に支店のある、まあまあの規模の商社に入れて自分なりに充実感を感じ、一生懸命やってきたつもりだった。
でも、支店があるってことは転勤があるわけで、それは避けられない。
東京本社で4年勤めてから福岡支店に異動したが、そこの上司と折り合いが合わなかった。
最初の頃は良かったが、徐々にその上司の化けの皮が剥がれていった。
きっとどの会社にでもいるのであろう、ミスは他人のミスで功績は自分の功績、口は出すが手は出さない、他人には攻撃的で自分の身はかわいい、典型的な会社の癌細胞。
電車内だろうが会議中だろうがお構いなしで電話するし、どこでも平気で煙草を吸う。
人間としての基本的なモラルすら持っていない。
その上司を信用できなくなり、事あるごとに自分の中で葛藤が生じるようになった。
福岡支店の人達はよくみんな我慢している、と思っていた。
俺は、結果的に無理だった。
ある仕事での自分の確認ミスを、支店長への報告の時に俺と先輩に押し付けて自分は関係ない、という報告をしたため、気付いたらそいつの胸ぐらをつかんで押し倒していた。支店長のまん前で。
こうして22歳の時希望に満ちあふれて会社に入った俺は、28歳にして会社に絶望して辞めた。
今の世の中転職するのは普通、って感じだし、転職情報も沢山あった。
『転職』する事にある意味カッコよさも感じていたりして……
それが会社を辞める後押しになったのも確かだ。
しかし、二ートになった途端、俺は社会から完全に隔離されたかのようだった。
テレビをつけたら映像は見えるけど、音は一切聞こえない、って感じだ。
砂嵐ですら無音の世界……
情報は沢山あっても一方的に垂れ流されているだけで、こちらの発信にはほとんど反応が無い。
半年毎に1社ほど面接を受けたが、「採用」という言葉は遥か遠い。
転職情報誌の、公募が沢山きてニタついているイラストを見るたびに腹が立つ。
完全フリーな訳にはいかないので出来る限りバイトをやったけど、バイトの応募ですら面接の順番待ちで、1~2週間待たされる事はザラだった。
俺が学生時代の頃って、居酒屋やファーストフードのバイトは即日即決だったんですけど?
何なんだよ、この不況は?
誰がこんな世の中にしたんだ?
でも、ずっと実家に世話になる訳にはいかない。
そこまで俺は腐っていない。
そのためにも再就職先を探しつつ、バイトを毎日こなして生活してきた。
バイト先でこのまま拾ってくれないかな? という淡い期待もあったが、やっぱりそこまで世の中は甘くない。
こうして俺の二ート生活は6年続いた。
同世代のサラリーマンが日経新聞を読み、流通,経済,法律,コスト管理にどんどん習熟していくのに、俺は転職情報誌やバイト誌を読み、商品の購買欲をそそる並べ方や、ビルのワンフロアを如何に早く綺麗に掃除出来るか、A町からB町までどう行ったら信号や渋滞に引っ掛からず素早く移動できるか、みたいな事ばかり習熟していった。
そうしてずっと過ごしてきて、34歳の誕生日の日に、登録していた転職情報サイトから、1通のメールが届いた。
ある協会の事務員募集に、俺がノミネートされたようだ。
事務員に男の俺?と思ったが、どうやら力仕事や車移動を頻繁に要求されるみたいで、女性には厳しそうだった。
『社団法人 全国鋼材構造協会』?
うーん、今まで聞いた事も無い協会だ。第一今までとは畑違いのような気がする。
世間一般の『法人』に対するイメージは悪く、俺もあまり良くは思っていなかったけれど、それはそれ。
今の俺には神様が降臨したとしか感じない。
いまだかつて書いた事もないぐらい、丁寧に、何回も繰り返し文章を吟味して「宜しくお願いします」的なメールを返信した。
ちなみにどういう内容の法人かなんて知らない。『社団法人』の意味も知らない。
それは今から面接までに調べればいい事だ。
紡ぐ糸 プロローグ
1章に続きます。信二の今後にご期待下さい。