目に見えるもの

○病院(昼)
   ミエコ、ベッドの上で目を覚ます。
   家族の顔が驚いているのが見える。
ミエコ「私…事故にあって…」
太郎「おはよう、君はしばらくの間眠っていたんだ。でも大丈夫、家に帰ろう」
ミエコ「あなた、少し老けたんじゃない」
   顔を見合わせて、家族、笑う。

○家(昼)
   曇りの日。暗い家の中を掃除するミ エコ。立ちあがって、元気に忙しそうに働く姿。
   電話がかかってくる。
ミエコ「はいはーい」
   電話を取る。
警察「吉岡ミエコさんですか。警察の者ですが…夫の太郎さんのことでお電話を」
ミエコ「警察…夫に何かあったんですか?」
警察「はい、今日の午後2時頃に通報があり、 
太郎さんが、トラックにはねられた、と」
ミエコ「そんな…それで、ぶ、無事なんですか?」
警察「残念ながら…搬送先の病院で…」
パッとミエコの頭に蘇る、ミエコ自身の事故直前の風景。
   ミエコ、我に帰る。
警察「それで、本人確認のため、奥さまに来て頂きたいのですが…」
ミエコ「私、行けません…数年前に事故にあってから、家から出た事がないんです…」
警察「そうですか、では他の親族の方にいらしてもらってもよろしいでしょうか…」
   ミエコ、電話を離し、泣き崩れる。
(F・O)
× × ×
   家のチャイムが鳴る。目を腫らし、元気無くドアを開けるミエコ。
   目の前には死んだはずの太郎が居る。
ミエコ「あ、あなた…!太郎さん?…良かった…変な夢でも見たのかしら」
   太郎、抱きつくミエコを寂しそうな目で見て。
太郎「夢じゃないんだ、僕は太郎じゃない。息子の武だよ、母さん」
ミエコ「あ、あなた、何言ってるの。どっからどうみても、あなたじゃない」
太郎「母さん、父さんの死体、見に行くかい」
ミエコ「だから、父さんって、死んだのはあなたじゃない!」
太郎「だから、僕は太郎じゃないんだ、僕はあなたの息子の、武なんだ」
ミエコ「…なにが何だか分からないわ、冗談なら止めて頂戴…気がおかしくなりそう…」
   ミエコ、ふらりと倒れる。

○車の中
   運転席に太郎。助手席には目をつむったまま気絶しているミエコ。
   ゆっくりと目を開けるミエコ。
太郎「目が覚めた?」
   ミエコ、きょろきょろする。
太郎「もうすぐ病院に着くから」
   病院が近づいてくる。
ミエコ「ねえ、もしかして、あなた病気なんじゃないの?」
   無言で運転する太郎。

○病院
   遺体が置いてある場所に案内される二人。死体には白い布が被さっている。
医者「こちらが、太郎さんの遺体になります、ご確認ください…」
   布がめくられると、老人の死体がある。
   辛そうな顔をする太郎と不思議な顔をするミエコ。
太郎「と、父さん…」
   太郎、泣く。
医者「本人で間違いありませんか?」
太郎「はい、父です…」
   ミエコ、不可解な顔をして。
ミエコ「し、知らないわ…」
   医者、ミエコの声を聞いて。
医者「と、言いますと」
ミエコ「こんな老人、知らないわ…」
太郎「母さん、父さんじゃないか…」
ミエコ「何言ってるのよ、あなたじゃない!私の夫は、あなたよ!こんな老人、見た事もないわ!」
医者「ちょ、落ち着いてください、どういうことですか?」
ミエコ「今回はねられたと言われた男、吉岡太郎は、この人なんです」
   太郎に指をさすミエコ。
太郎「母さん…どうして」
ミエコ「あなた、あなた診てもらった方がいいわ、何か悪い病気なのよ、ね、せっかく病院来たんだから、診てもらいましょう」
   太郎、医者のほうを見る。
医者「…そうですね、すこし気が動転しているのかもしれない。心を落ちつける時間をつくりましょう。太郎さん、こちらへ。お母さんは後でお呼びしますので…待合室にいて下さい」
   太郎と医者、出て行く。

○診察室(夕)
   雨が降っている。ミエコ、医者に診断結果を聞いている。
医者「太郎さんは事故のショックによる、一種の記憶障害です。実は、今回の事故で死んだのは彼の恩師に当たる人でして、そのショックで…」
ミエコ「夫は私を母さんと…?」
医者「はい」
ミエコ「治るんでしょうか…」
医者「正直、分かりかねます。精神治療というのは、確実な治療法が無く、ご家族の努力が必要になってきます」
ミエコ「努力…?」
医者「はい、気を動転させないために、ご家族には太郎さんを息子の武、という風に扱って頂いて、その状態での治療が望ましいかと思われます…」
ミエコ「じゃあ、本物の武は…」
医者「なるべく会わせないようにするのが良い判断かと…」
ミエコ「…分かりました」
医者「お辛いでしょうが、ご協力お願いします。こちらの方も全力を尽くしますので」
ミエコ「いえ、辛くなんかありません。私が事故にあって2年ほど植物状態だったとき、何も答えない私に、何度も何度も話しかけていたそうなんです。これでようやく、恩返しができます」
医者「そうですか…」
ミエコ「夫を、どうかよろしくお願いします」
   ミエコ、頭を下げる。

○診察室(夜)
   太郎と医者が話している。
医者「お父さんの死の間際にね、立ち会ったんです。そうしたらね、ミエコには、秘密にしてくれ、と懇願されまして…申し訳ない…あんな嘘を」
太郎「いえ、結果として僕は息子のままでいられるんですから…でもどうして急に…」
医者「多分、太郎さんが無くなった事を聞いて、ショックを受けたのでしょう、今まで自分の都合のいいように見えていた世界が、元通りになったんです」
太郎「そういうことがあるんですか」
医者「稀に、ですが、あります」
太郎「私は若い時の父に似ていると、親類からはよく言われますが、母親が間違うほどとは…」
医者「…しかし、お父さんが気の毒です」
太郎「いえ、父は大丈夫だと思います。母親が幸せなら。母親が植物状態だった30年間、毎日病院に通って、毎日、答えもしない母に話掛けていたんですから」
医者「…30年間も…」
太郎「ええ…あの人は凄い人だった。最後の最後まで、母さんの事言うなんてな…」
   太郎、少し笑う。
医者「ミエコさんのほうの治療は…?」
太郎「いえ、このままのほうが、母にとっては幸せですので…」
医者「そうですか」
太郎「しかし、妻はどうしようかな…」
医者「なにかあれば、ご相談を」
太郎「ありがとうございます」
   太郎、お辞儀する。
(F・O)

○家(昼)
   晴れ晴れとした夏の日。台所でスイカ
を切るミエコ。茶の間にいる太郎(武)を見て、独り言のようにつぶやく。
ミエコ「(小声)愛してるわ、あなた。(大きな声)たけしースイカ切れたわよー」
   皿を持って茶の間に向かうミエコ。
太郎「ああ、母さん、ありがとう」
   お皿をテーブルに置くミエコと椅子に座った太郎。その姿が鏡に映る。
   鏡には、そのままの姿の太郎と、だいぶ歳の離れた老人が映っている。
               終わり

目に見えるもの

目に見えるもの

目に見えるものなんて、大して信用できませんよね

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-16

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