宗教上の理由・さんねんめ 第一話

この作品は、儀間ユミヒロ『宗教上の理由』シリーズの一つです。作品一覧から前作も読んでいただければ幸いです。登場人物もこれらシリーズから引き継いでおりますので、よろしければご参照いただければと思います。

1

 木花村に春が来た。
 関東地方を襲った記録的な大雪もほとんどの地域で消え、各地から桜開花の便りが届きはじめている。そんな中でも花の頃には程遠く、まだまだ多くの残雪がみられるこの村でも日に日に暖かくなってきており、雪解け水が道路を伝っているなかをもれなく新しい学年に進んだ子どもたちが闊歩する。皆、冬用のスノーブーツからレインブーツに履き替えた。着実に季節は移り変わってきている。

 木花村は標高千数百メートルの高原にある村で、関東甲信越地区にありながら冬の寒さは北海道並み。そのため寒さ対策によりスキーウェアでの登校が許されていた中学校にも、詰め襟やセーラー服一色の景色が戻ってきた。モノトーンに変わった風景と裏腹に、新学年に進んだ生徒たちの表情は底抜けに明るい。
 この物語の主人公、嬬恋真耶もとうとう最終学年へと進んでいた。今年はめでたく真耶とその友人である御代田苗、霧積優香、プファイフェンベルガー・ハンナの仲良し四人組が同じクラスになった。一年生の時はその途中まで長く海外に行っていたハンナは隣のクラス、そして二年生になると真耶だけが別のクラスになってしまっていた。
 今年の担任は渡辺史菜。これまた真耶にとっては一年越しのこととなる。真耶が幼い頃、一人旅の途中に天狼神社を訪れた渡辺は、その神社を守る嬬恋家の人々のすすめもありそのまま居候をはじめた。以来渡辺と天狼神社との付き合いは続き、初めて会った時に幼稚園児だった真耶は成長を重ね、その友達である苗たちとも交友が生まれた。渡辺はこの地域の教員採用試験を受験、前任校を経て木花中に赴任することとなる。
 子供の頃から四人で仲良くしてきた様子をずっと見ている渡辺にしてみれば、二年でも三年でも全員同じクラスにしてあげたかったというのが本音。でもそれをやってしまっては明らかな公私混同となる。そんなことではいけないと自分を律した渡辺は決断をし、二年生の時には真耶を別のクラスにした。真耶も渡辺の意図を汲んでいるようで、何一つ文句を言わず一年間明るく過ごした。
 そのかいもあって、最終学年では四人とも同じクラスになった。渡辺にしてみれば、最終学年をそういう形で締めくくれるのが本人たちにとっても一番良いだろうという思いがある。過去に学年で我慢をさせた分は取り返させてあげようと。幸い、一学年二クラスしかないのでそれくらいの融通は効く。それに相性の良い生徒同士を同じクラスにしたほうが教室運営はうまくいくというのも客観的な事実で、仲良しグループを把握している教師たちがそれを考えつつクラス編成をするのは木花中の慣例だった。
 だが、前途洋々の気分が溢れるなか、真耶たちは目の前に大きな問題を抱えていた。彼女たちの所属する家庭科部に、新入部員が来ないのだ。
 もともと木花中では弱小部活の家庭科部だが、前年は新入部員の獲得に成功していた。しかしこの村の特徴は都会から里子を多く受け入れている点。そして昨年の新入部員はすべて都会からの転入生であり、本人にとっては喜ばしいことに、彼女たちの抱えていた問題はすべて年度内に解決し家族のもとへ帰っていってしまったのだ。

 「みんなお家に戻れたのはは喜ばないといけないけど…。でも、何とかしなきゃ」
三年生しかいない家庭科室では、対策会議が開かれていた。
「あたしにみんな、遠慮してるのかな…」
真耶は自宅である天狼神社において神使という役目を仰せつかっている。普通神使といえば神社で神様に仕える動物のことを言うのだが、天狼神社では日本で唯一、人間の女子がそれを務めることになっている。まぁ、真耶は正確には「女子」ではないのだが…。
 それはさておき、そういった立場のため真耶は崇められつつもどこか遠ざけられてきた経験を持つ。だから新入生も自分を遠ざけたがっていて、それが部員獲得の足を引っ張っているのではないか、それによって苗と優香に迷惑をかけていないか、それを心配している。
「それは無いでしょ」
優香がすかさずフォローした。真耶が神使という崇め奉られる立場にいるがため腫れ物にさわるような扱いを受けてきたことは確かだが、それはかなり克服されてきている。新入生が真耶にお近付きになれた喜びとファン意識を爆発させ、おそるおそる真耶に会いに来て握手を求めたりプレゼントを手渡したりのアイドル扱いは変わらないのだが、それでもついタメ口が出たり、一緒にお昼を食べたいと言われたりと、彼女たちとの距離は確実に縮まっている。
 「もともと地味な部活というイメージがあるからね」
優香は、部員獲得の不振は文化部ゆえの「地味さ」に理由があると考えている。だいたい中学生だったら運動部のほうが人気だし、その意味では他の文化部も苦戦していることが漏れ聞こえてきている。優香は思慮深く分析力を持つ賢い子で、その見立てもかなり的を射ている。しかし、
「運動部も同じじゃん」
という説が、苗の口から出る。運動部でも特に団体競技の部活では選手不足が激しく、下手をすると試合に出られる人数が確保できない。現に今、苗は野球のユニフォームを着ている。まだ新入生募集中の段階では九人のスタメンすら確保できない野球部の練習試合が週末にあるので、女子でしかも文化部所属ながら抜群の運動能力を誇る苗に助っ人のお呼びがかかったのだった。だから苗の見解も決してハズレではない。ちなみに仲良しグループのもう一人、ハンナはフェンシング部に所属。こちらも個人戦はともかく団体戦は…という具合であるらしい。
 ここまで各部活動が苦戦している理由は生徒数に対して部の種類が多いことに由来する。学校としてはもともと、生徒に選択肢を多く与え、やりたい部活が無くてがっかりさせるということをしたくないという優しい思いだった。それは良かった面もあるが、今は裏目に出ている。ひとつの部活あたりの人数が減ってしまっては、運営も大変だ。
 だがその中でも、部員が一人も来ないという家庭科部の深刻さは群を抜いていて、おそらくそれはお手伝いをする良い子の多いこの村の事情も裏目に出ている。この村では子どもたちが自主的に大人顔負けの家事やものづくりなどを行うのが伝統。したがってお手伝いは大好きだが、やるのが当たり前のことをわざわざ部活でしなくても、という意識もあるのだろう。昨年の新入部員が全員村外から転入してきた生徒だったこともそれと無関係では無いと思われる。彼女たちにとっては家のことをするのが珍しいことだったのだ。
 だがやはり、その中でも特に家庭科部が苦戦している理由は、もっと大きな要素が影響しているというのが優香と苗、二人の一致した意見だった。
「二年生がいないのが一番痛いよ」
一学年上の先輩と二学年上の先輩。一年の違いが新入生には大きいし、緩衝材たる二年生がいないのでは尻込みしたくなる気持ちもわかる。いくら気さくで優しい真耶たちでも、新入生からすればふたつ上の先輩であることにはかわりがない。

2

 しかしそんな家庭科部に、ようやく新入部員が現れた。
「は、はじめまして。佐藤楓と言います。あ、あの、家庭科部に、入りたくって…」
家庭科部の顧問でもある渡辺と一緒に家庭科室を訪れた新一年生。その名前を聞いた時に全員があれっと思った。
 メイプルという木がある。木の幹から甘いシロップを採取でき、カナダなどが産地として有名。木花村はかつて外国人の別荘地として開け、そのまま定住した彼らの子孫が多く住む。ハンナもその中の一人。もちろんカナダからの移民も住んでおり、彼らが持ち込んだメイプルの木がどんどん育ち、今はその農園ができているほど。そしてそれの日本での呼び名は、サトウカエデという。
 そのことを知る真耶たちは名の響きに反応してしまったのだが、それを笑いのタネになど決してしない。サトウカエデがどういうものかを説明した上で、
「いい名前だよね。この村にピッタリ」
真耶が言う。

 そういうわけで、彼女の名前はこの村ではちょっと変わっているのかもしれない。だがそれ以上に彼女の出で立ちは真耶たちの目を引くものだった。そして楓が必要以上に緊張しているふうを見せていたのも、二学年上の先輩たちに囲まれているからという理由にはとどまらず、その外見に関係していた。渡辺が説明した。
「佐藤は足に障がいがあるんだ。歩くことは出来るが走るのは無理。それに身体が不安定で転ぶ危険がある。だから運動部は入れないんだ」
彼女の頭には皮製のヘッドギアが被さり、足には装具と呼ばれる歩行や立つことをサポートするものを付けている。それに気付いた瞬間気持ちが高まった真耶に気付くと、渡辺はすぐ制した。
「変に可哀想だ、みたいな目をするなよ。本人にとっては逆につらいこともある。幸い家庭科部の活動なら君たちと同じペースでできる。そういう部活だしな」
家庭科部は伝統的にゆったりした部活で、それは楓にとっても良いだろうと渡辺は言う。
「まあ、ここを勧めたのも私とせっちゃんなんだがな」
楓が家庭科部を選んだのは運動が出来ないこともあるが、手先も不器用だし勉強も得意ではないし音痴なので、芸術系の文化部も敬遠していたことがある。そのため何の部活に入るかずっと決め兼ねていた楓に、その担任である、せっちゃんこと高原が助け舟を出したのだった。彼女は渡辺の同僚であり、よき先輩である。

 楓は生まれ持つ障がいのせいで辛い思いをしたことが少なからずあった。運動会や遠足などの行事では参加をさせてもらえないこともあった。障がいのせいでクラスの行事が滞るうんぬんとクラスメイトから責められたこともあれば、嫌がらせを受けたこともある。要はいじめのターゲットにされていたということ。彼女が木花中に転校してきたのもそういうこと。親元を離れることとなってでも、何とかするべきとの判断を周囲の大人はしたのだった。
 心の傷は楓のなかに深く刻まれているし、彼女にしてみれば同学年の生徒ですら脅威であった。だが木花中の子どもたちはそういう陰険な真似をしない。心優しい子どもが育つ村だからこそ里子の受け入れが盛んなわけでもあるし、現にさまざまな事情でそれまでいた町や学校にいられなくなった子どもたちをこれまでこの村は数多く受け入れてきた実績がある。そして真耶たちも楓を歓迎した。
 家庭科部といっても部屋の中でだけ活動しているわけではない。食材集めに畑や山に出ることもあるし、ボランティア活動もする。楓にとっても他の部員にとっても大変なこともあるだろう。でもそれにあたって楓をサポートすることを彼女たちが厭うはずがなかった。

3

 一方、ある動きがあった。
 雪がどんどん解けてくるとウインタースポーツはシーズンオフを迎えるが、それにあわせてカートやポケバイに興じる子どもが増えてくる。観光目的でつくられたサーキットには料金の安い平日を狙って放課後の子どもたちがやってくる。木花村は観光地なので、子どもたちの間でもレジャー的なスポーツが盛んなのだ。
 そこで。モータースポーツ部を作ろうという気運が生徒たちの間から高まった。これ以上部活の種類が増えていいのかという思いは教師たちにあったが、生徒の自主性を重んじるポリシーやレジャーを重視する地域性を鑑み、学校側はそれに応じた。
 その知らせが家庭科部に届くや否や、
「楽しそう!」
真っ先に飛び付いたのは意外にも真耶だった。意外にもというのは、真耶が筋金入りの運動音痴だから。いやでも、真耶だからこそなのか。
「部活でレーシングスーツ着られるなんて夢みたい!」
家庭科部の中で、もともとカートやポケバイに一番親しんでいたのは苗だ。その苗と最も親しい真耶がそれらの趣味にはまるのは自然なことだが、苗は真耶が嫌いなことを無理強いするような子ではない。真耶にもモータースポーツを好きになる資質があった。
 渡辺は天狼神社に居候していた頃、宿代の代償として買い出し係を仰せつかっていた。足代わりにバイクを持つ彼女には適役で、真耶を後ろに乗せてはツーリングをしていた。
 同時に、真耶はバイクそのものより、むしろライダースーツに惹かれているきらいがあった。ぴっちりしてつるつるの服を好むからなのか、あるいはライダースーツが由来でぴっちりつるつるの服が好きになったのか、どっちが先かは分からないが、ともかく渡辺との思い出が強く作用しているのは間違いないだろう。曾祖父母に子供用のライダースーツを買ってもらってからしばらくは、朝食が済むとそれを着てバイクのそばにちょこんと座り、渡辺を待っているのが日課だった。だから真耶にとって、モータースポーツはそのユニフォームを着ることそれ自体でもある。
 実はモータースポーツ部設立の知らせは、立ち上げにあたってヘルプをお願いするという旨の内容ですべての部活に送られた。新しい部活を作るにあたってはいろいろと準備がいる。それにはある程度の人数がいる。
「行ってみようよ。楽しそうだし」
どの部活も新学期で忙しい中、家庭科部内にそんな機運が生まれるのは必然とも思えた。

 日曜日。野球部の練習試合をさっさと済ませた苗と合流すると、家庭科部の三年生プラス楓というメンバーがサーキットに集結した。モータースポーツ部は順調に部員を集めており、さりとてカートを経験した者ばかりというわけではない。よって、まだ正式に活動を開始してはいないが、前もって自主的にサーキットに集まり試走をしていた。生徒たちの監督はサーキットのスタッフが請け負っている。これも生徒自らが頼み込み、その意気に感じ入ったがための協力である。
 広大なサーキットを疾走するカートやポケバイを眺める家庭科部の四人。ところがふと、真耶があることに気づいた。
「楓ちゃんもやりたいの?」
まじまじとサーキットを見ている彼女の視線が明らかに乗りたがっていることは、同じ心境である真耶にはすぐわかった。それゆえ、
「…い、いえ、別に…」
と言う楓の答えは弱々しい。本音は別にあるのは明白だった。
「速く走れたら、気持ちよさそうだもんね」
優香がカマをかけると、楓はいったんうなずき、すぐそんなことないといったふうに首を振った。やりたいことをさせてもらえないことが続き、結果自己主張をすることを自分で抑えるようになってしまった楓。でも自分の力では無理でも、機械の力を借りれば速く走れることに彼女は希望をみていた。そしてそれは三人にもすぐ伝わったし、そうとなれば行動は早い。
「よし、今日は手伝いだけと思ってたけど勝手にウチ権限で予定変更! あ、二人乗り貸してくださーい」

 苗は速攻で管理棟の二階に駆け上ると、何やらたくさんの荷物を持ってきた。
「二着とも置いといてよかったー、あ、悪いけど手貸してよ」
この村では、スキー場にしろサーキットにしろ常連の子どもたちは事務所に道具を預けている。それは当然の慣例として続いてきた。
 苗は楓を更衣室にいざない、しばらくするとスーツに身を固めて帰ってきた。苗は自分が着ていたが小さくなったレーシングスーツを預けたままにしていた。それが思わぬところで役に立ち、楓専用スーツになり変わった。
 装具をいったんはずしてからスーツを着せ、という作業は苗と楓だけでは出来ない。恐縮している感じが楓から伝わってきたが、
「気を使うの禁止だよ! それが家庭科部のおきて!」
と苗が宣言し、真耶と優香も力強くうなずく。二人は上下つなぎのレーシングスーツに楓の両足を入れ、腰から胸、肩と、ナイロン素材で包み込んでゆく。そしてファスナーを首まで上げると全身が引き締められる。
「こういうの形から入らないとねー」
だいたいのサーキットでは、動きやすい肌を出さない服装であればジャケットにジーンズといった出で立ちでもカートに乗ることはできる。だが形が大事という苗の持論が優先された。いや、苗だけではない。形を大事にするのはこの村の伝統といってもよい。だからレーシングスーツは実はレンタルも出来る。

 レーシングスーツに身を包んだ楓が苗にエスコートされてスタートエリアに登場すると、そこにいた新入部員たちがざわっとなった。
「カッコいい…」
装具とヘッドギアを付けていることを引け目に感じていたのか、楓は地味な私服を着ることが多かった。だがカラフルなレーシングスーツは楓の姿を映えさせた。熱い視線の中、真耶と優香が車庫から出してきた二人乗りカートめがけて少しずつ歩く。
 ヘッドギアをフルフェイスのヘルメットに被り替えて、いよいよシートに恐る恐る身体を任せる楓。いざ座席に入るとドキドキはさらに高まる。シートベルトでしっかり身を固定したことを確認すると、隣の運転席にスタンバイした苗がゆっくり、それでいて力強くアクセルを踏み込む。

 「わあ…」
苗のワイルドかつ的確なハンドリングは、スリルを与えつつも楽しませるに充分だった。ヘルメットの風防から忍び込む涼やかな高原の風。前から後ろへ次々と飛んでゆく景色。木花村の広大な土地を利用した長大なコースを一周してくると、ヘルメットの中に浮かぶ楓の顔は満足感に包まれているのが出迎えた誰からもわかった。それは今までそこにいる誰にも見せたことのない晴れやかなものだった。
 皆が楓にかけるべき言葉はもう決まっていた。
「あ、あの…」
そう小声で言う楓に対し、一斉に答えた。
「ようこそモータースポーツ部へ」

4

 しかし。
「それは酷ではないですか?」
職員会議が紛糾していた。
「せっかく打ち込めるものが見つかったのに、それを取り上げて良いとは思いません!」
怒りをぶつけていたのは渡辺。議題は他ならぬ楓のことだ。
 これまで楓が学校行事にあまり参加できてこられなかったのは勿論実際に足の障がいが影響しているのもある。だが中には、やろうと思えば出来るにもかかわらず諦めさせられてきたことも多いし、そのことは教師たちにも伝わっている。
 そして今、同じことが繰り返されようとしている。楓が提出したモータースポーツ部への入部届。それはいったん受理を見送られ、職員会議の議題にあげられた。

 生徒の自主性を尊重し、やりたいことにチャレンジさせる。それが木花中の伝統で、村の大人たちは皆それを経験して育ったし子どもたちにも同じ経験をしてほしいと願っているし実際そうしている。教師もそれをサポートしてきたのだが。
 悲しいかな、一部にはそういった伝統を無くしたいと思っている教師もいる。楓のモータースポーツ部入りに異を唱えたのもその一派。
「事故が起きたらどうするのだね」
楓がモータースポーツ部に入部を希望しているという話は教師たちにはおおかた好意的に受け止められたように見えた。生徒がやりがいを見つけて何かに打ち込むというのは良いことだと。しかしそうは思わない者も居る。その一人が今、事故への懸念を語った教頭だ。
 この教頭は去年まで学年主任を務めてきたが、事あるごとに木花中の伝統を疑問視し、不自由と管理によって生徒をがんじがらめにしようとしてきた。それを共に推し進めて来たのは去年までの教頭。ややこしい話だが、この二人が揃って昇格、去年の教頭は今年校長に、去年の学年主任は今年教頭になった。去年までのびのび育つ木花中の生徒を暖かく見守ってきた校長は定年退職。その後釜はまんまと去年までの教頭に奪われた。校長教頭が揃って生徒の自由を潰そうとする派ときては、木花中の未来に暗雲が漂っていると言わざるをえない。
 教頭の発言は一見もっともらしい、生徒の安全に配慮した答えに思える。しかし渡辺も負けてはいない。
「それは充分対策をとってあります」
楓の足はまったく動かないわけではない。アクセルやブレーキの操作に問題がないことはインストラクターが確認済みで、安全性に関しては他の生徒と比べて何ら劣るところは見いだせない。むしろ教頭が問題視しているところは別にある。
「あの装具って、目立つからねぇ」
ひそひそ話をしている教師が二名。教師たちの多くは日和見派なのだが、言い換えれば波風をあまり立てたくないということ。だから教頭が言ったことについてはおおむね同意する教師が増えてきている。そして彼らの見解は彼らの立場を象徴していて、楓の付けている補助具が目立つ、そこに心配の種があるようだった。目立たない障がいならスルーしたのだろう、渡辺の頭にそんなことがよぎった。
 もっとも、ひそひそ話が耳に入った渡辺はその教師をキッと睨む。教師は肩をすくめて、そっぽを向く。

 「最近は学校もいろいろ風当たりが強いですからな」
校長が口を開いた。この人は生徒に対してやたら高圧的で、特に学校のトップに立ってからはその傾向が増している。始業式でも管理教育を復活させたいなどと言い放つ始末。学校は親や地域、言うまでもなく子どもに対して優位であるべきだと考えている。
 ところがこの人、なぜかいわゆるモンスターペアレントに弱い。どうやら世間の評判を変なところで気にする人らしく、それが出世できた理由という噂もある。早い話が強きにおもねって弱気をくじくタイプで、そういう人間はえてして良いタイミングで胡麻をすることも得意。逆にクレーマーが変に悪いうわさを流したりして騒ぎが起きたとすれば、それは上層部に知られたくないのだろう。
「保護者から苦情が来るでしょう。なんで障がい者にそんなことをやらせるのかと。事故が起きたらどう責任を取るのかと」
その口で言うか? 渡辺はそう思っていた。学校が優位に立つべきなんだろ? だったらその優位な立場から、楓をカートに乗せることの正しさを押し付けてやればいい。そんな皮肉も思っていた。

 だが、校長教頭こぞって楓のモータースポーツ部入りに反対する理由、そしておおかたの教師がそれに同意する理由。その最大のものにも思い当たる。
 そもそもモータースポーツ部の存在が彼等には面白く無いのだろう。部活動とは大会やコンクールで良い成績や賞を取るためにやること。たぶん教頭も校長もそう思っているし、他校からやってきてここで運動部の顧問を務める教師たちも物足りなさを感じているはずである。レギュラーの確保すら覚束ない木花中の部活のあり方は彼らにとって歯がゆいに違いない。
 でもそれは何より子どもたちが選んだ道。良い成績や賞が欲しいなら自分たちで話し合ってひとつの部活に人数を集中させることをするくらいの自主性をここの子どもたちは持っている。でもそれをしないということは、数ある部活の中から選んだ何かに、勝利とか賞とか関係なく楽しく打ち込むことを自分たちで選んだのだ。それに教師が文句を言える筋合いではないと渡辺は思っているが、そんな考えは校長や教頭には通用しない。
 ましてカートやポケバイなんて彼らにとってはチャラチャラ遊んでいるようにしか見えないだろう。夏は炎天下で汗を流し、冬は寒風吹きすさぶ中に薄着の身体を晒す、それが部活だと思っている。自分の足ではなく動力で走るものは、所詮遊びと思っている。まして勉強にも結びつかない、大会も無い部活では他校や上に自慢出来る実績も出せない、そんな部活は彼らにとって価値を持たない。
 もっと言えば、そんな「遊び」の部活に楓が入ったことは余計面白く無いはずだ。彼らの意識の中には絶対ある。
「障がい者の生徒はおとなしく、良い子にしてろ。目立つことをせず、勉強だけして教師の言うとおりにしていればいい」
遊びの延長のような部活動になどうつつを抜かさずおとなしくしてろ、そう思っているに違いないのだ。
 だから、楓に危険なことをさせてはいけないという口実は彼らには実に使い勝手がいい。
「少しでも危険のあるものは生徒にさせるわけには行きません。これは前例が無いこと。つまり蓄積が無いということ。経験のないことをおいそれとやらせるというのは、見識を疑いますな」
校長のエンジンが温まってきた。教頭も便乗する。
「大体あなたは生徒の味方を気取っているようですが、そんなあなたが生徒に危険なことをさせるというのはどうしたことなのでしょう? さぞや気持ちが良いでしょう、ヒーロー気分でいられるのですから。我々管理職の苦労も知らず」
違う、と言いたかったが声が出なかった。渡辺が生徒思いの良い教師であることは当の生徒も保護者も皆認めている。だが渡辺当人の中に、自分が校長や教頭のような管理主義を嫌うという自身のポリシーのほうが強いことは否定できない。
 それに、弟を重ね合わせている面も自分で思いあたる。渡辺の弟はかつていじめが原因で自殺を試み、命は取り留めたが立って歩くことは叶わなくなった。その弟のすがたを、楓に重ね合わせていることは明白だった。
 同僚にそれらを打ち明けたこともある。勿論そのときは、結果生徒が幸せになっているのだから良い、と慰められたのだが。
 ちなみに、その同僚とは…。

5

 「でも~、佐藤さんには~、体育の授業も~、できる限り受けさせる方針なんだし~」
緊張に包まれた会議室。その凍り付いた空気はいっぺんに解けた。この声、そしてこのしゃべり方。
「楽しいじゃないですか~、サーキット走るのって~」
「た、高原さん、用事は済んだのですか」
それまで上からものを言っていた校長が、明らかに狼狽している。
「ええ~、用事が終わったので~、走って帰って来ました~、やっぱり~、会議って~、大事だし~」
高原はこの日外せない出張が入っていたが、会議はそこに合わせて開かれた。ほかに教師全員が揃う適当な日時が無いという口実だったが、高原を会議から遠ざける校長たちの戦略は見え見えだった。渡辺とともに、木花中の自由を守る側の筆頭格である高原。しかも校長も教頭も彼女を苦手としており、去年までは何度もやり込められてきた。そんな彼女のいない間に色々決めてしまおうという魂胆は、成功しかけていた。
 だが彼らはあることを見逃していた。おっとりのんびりしているし、校内でジャージを着た姿は誰も見たことが無いが、高原は体育教師で並み外れた運動能力を持つ。その脚力をもって村内の出張先からバスよりも早く帰ってきたのだった。フリルの全身についたお洋服を一糸乱さず、汗も一滴も出さずに。ロリータ風のジャンパースカートに厚底の靴でよくも走って来たと思う。
「会議に~、出ないと~、他の先生方に悪いじゃないですか~」
校長たちの慌てた心中を知ってか知らずか、他の教師の迷惑かけたくないという点を強調する高原。渡辺の顔が急に明るくなった。追い詰められた焦燥感が消えた。それを高原は見逃さない。
「もお~、フミちゃんはさみしん坊さんね~、今何の議題なの~?」
渡辺が高原に小声で説明する。だが高原は、首をかしげる。
「フミちゃん~、それおかしくないかな~」
意外な反応だった。普段は渡辺の言動に対して高原が異を唱えることなど無いのだが。
「生徒ちゃんの安全って~、絶対大事なことだから~」
渡辺の顔に一度は戻った元気が再びしぼんだのが分かった。一方校長たちの安堵の表情と言ったらなかった。高原も楓や渡辺につくと思っていたからだ。
 だが。
「でもおかしいですね~、校長~。武道必修化のときは、柔道をやりたいって仰ってらしたのに~。どんなお考えの変化があったんでしょうか~」

 いったん安心させて、落とす。そのほうが相手へのダメージが深い。そして敵を欺くにはまず味方から。そんな兵法だったことに気付いた渡辺の顔に生気が戻った。
「少しでも危険のあるものは~、生徒ちゃんにさせるわけには行きませんし~、事故の起きた前例があるということは~、つまり今後も起きうるということだし~、前例のあることをおいそれとやらせるというのは~、見識を疑いましたけどね~、あのときは~」
オウム返し。校長の発言を骨格はそのままで、そっくり逆の意見に入れ替える。話し相手を苛立たせるには有効な戦術で、校長たちは見事その術中にはまった。校長たちは一昨年、武道必修化の流れに乗って柔道を体育の科目に入れようと画策した。そのことをうまく高原は文脈に乗せてきた。どうやら会議を途中から聞いていたようだ。
 揚げ足を取られた格好になる校長と教頭。だが高原は攻撃の手を緩めない。
「ところで~、まさかとは思いますけど~、佐藤さんをモータースポーツ部に入れるのがダメだとしたら~、他の運動部もダメですよね~? 個人的には~、どこかの運動部に入れるお手伝いを~、したいと思ってたんですけどぉ~」
校長と教頭の表情が一変した。楓が運動をすることが不安なのではなく、レジャー的なスポーツをさせるのが気に入らないという本音を突かれているのだが、障がいがある中でもやっていけるよう本人の状況も考慮しつつ高原がサポートをするという申し出に、つい食いついてしまった。どうですかぁ~? と問う高原に、校長が言った。
「そ、そうですな。ぜひお願いします、で、でも、危険なことはいけませんよ、あくまで安全に配慮しつつ、お願いします」
会議に出ている教師たちは驚くと同時に安堵した。楓がどこかの運動部に落ち着いてくれれば、それは校長たちも含めて満足の行く結果になる。もちろん楓の身体では、ほかの生徒と等しい部活動は出来ないだろうが、そんなことはおおかたの教師にはどうでもいい。楓には可哀想だが、波風立てないやり方としてそれがベストだろうと、彼らは思っていた。
 高原は、それではとばかりに宣言した。
「それでは~、佐藤さんをサポートしたいと思います~。これでめでたく~、佐藤さんはモータースポーツ部に入れますね~」

 唖然。
 その場にいる中で渡辺・高原の二人をのぞいて全員が口をあんぐりさせ、そして高原の策略にはめられたことに気づいた。確かにモーター「スポーツ」なのだかられっきとした運動部。そして高原はモータースポーツ部を除くとは一言も言っていないし、本人の状況を考慮するとも付け加えている。今、楓の心がカートに傾いているという「状況」を鑑みての判断なのだから、高原が言ったこととなんの矛盾もしない。
「やりやがった」
小声で渡辺がほくそ笑んだ。長い付き合いである彼女は、今度は高原の腹づもりに気づいていた。そして白々しく意見を述べた。
「そうですか。佐藤のモータースポーツ部入りは無理かとも思っていましたが、校長がそれでいいと決めたなら仕方ない。私も校長の先ほどまでのご意見に従って佐藤を別の部活に入れさせるべきだと考えを改めようと思いましたが、やはり今の校長先生のご意向にしたがって、佐藤がモータースポーツ部に入ることに賛成します」

6

 レーシングカートは基本的に組み立て式。苗はもともと自分のカートを持っていなかったのだが、サーキットで他の人が使わなくなったパーツを譲ってもらうなどして集め、それを組み合わせて現在の愛車を完成させた。少ないお小遣いをやりくりして作ったマシンにはとても愛着があり、自分でなんとかしよう精神の根づく木花村の子どもの間ではそう珍しいことではない。そしてモータースポーツ部でもマシンの整備は生徒自ら行う。
「こんなに生徒のためになる部活もそう無いと思うんだがな」
渡辺の言う通りだ。自分たちで良い方法を考え、無いものは工夫と人に頼むことで乗り切り、ものを譲ってもらう交渉力を養い、協力しあってひとつのものを作りあげる。それによってあらゆる力が生徒につく。
 もっともそんな渡辺の思いを知ってか知らずか、当の生徒たちは楽しそうだ。
「やっぱレーシングスーツって、着ると気持ちがピシッてなるね」
真耶はこのレーシングスーツが大好き。カート用は中綿が入っていてスキーウェアにも似たところがある。もちろんバイク用のぴっちりしたレザーのスーツも大好きだが、カートのスーツはつるつるでふかふかなところがお気に入りであるようだ。
 でも。
「部活でこのスーツを着るのも最後だね」
ちょっとだけ寂しそうに真耶がつぶやく。モータースポーツ部の活動が軌道に乗り、新入部員も何人か入ったので家庭科部によるお手伝いは今日までとなった。そして、入学以来初の友達が、楓に出来た。彼女は同じモータースポーツ部員。これなら一人ぼっちで寂しいということもない。
 というわけで、家庭科部からすれば期待の進入部員をモータースポーツ部に取られた形になることを、渡辺から職員会議での顛末も込みで聞かされた三人。それをさみしいとは思うが、悔やみはしない。あくまで楓の意志を尊重しよう、そういう統一の思いがあった。
「また、部員集めしなくちゃね」
そう言った真耶とともに、誰もが前を向いていた。

7

 が。
「先輩、こんにちはー」
翌日、三人が家庭科室の戸を開くと、楓が普通に座っていた。そしてその横の席では、渡辺が慣れない手つきでシャツのボタン付けを教えていた。
「…楓ちゃん…なんでここに…」
真耶が思わず口を開いた。だが驚きの顔を見せる真耶とは正反対の冷静な表情で渡辺は答えた。
「いや佐藤がな? やっぱり家庭科部もやりたいっていうからな。ちょうど活動日もかぶらないし」
一同の頭上に、大きなハテナマークがくるくると回っていた。
「だって、もし活動日が重なったら…」
「重ならないだろ。だって顧問がいないのに生徒だけで部活させるわけにもいかんだろ。当然モータースポーツ部の活動日は家庭科部も休みの日ってことになる」
「えっ、どういうこと?」
「だからぁ、どっちも私が顧問なんだから、二つの部活を同時には出来ないだろ? 土曜とかに午前と午後に分けるならともかく。まして平日の放課後じゃ時間が限られてるから、当分モータースポーツ部は土曜の午前限定だよ」

 渡辺先生が、モータースポーツ部の、顧問…。
 渡辺がやたらモータースポーツ部に入れ込んでいるのを見て、おかしな気はしていた。でも部活といえば放課後ほぼ毎日するもので、時々休みのある家庭科部みたいのが普通じゃなくて、だからモータースポーツ部も毎日やってるものだと思っていた。誰が顧問になるかは知らないが、楓がモータースポーツに行けば家庭科部からはいなくなる、そう思っていた。
「でもそれだったら、最初から言ってくれればよかったのに」
そうすれば楓を迎える準備をもっと出来たのに、と優香は言う。だが、渡辺は理由を説明する。
「いや、最初は楓に兼部をさせるつもりなかったんだ。障がいのこともあるから、毎日部活ってのも大変だろうと思っていたんだな。でも逆にそういうのも余計な心配だと気づいてな。本人も特別扱いはイヤだそうだし」
「って、先生そんなこと言ってなかったじゃないですか」
「でも私が職員会議でキレた話はしただろう? 私がモータースポーツ部の顧問と決まっていたから、佐藤のことでもめたんじゃないか。それくらい分かるだろ?」
「わかんないよ!」
一同突っ込んだが、でもそれは嬉しい誤算だった。

 その週の土曜日から、午前はモータースポーツ部、午後は家庭科部というスタイルが、真耶たち三人の習慣となった。

宗教上の理由・さんねんめ 第一話

 宗教上の理由シリーズを書き始めて三年目になります。開始当初から真耶たちの学年は、現実の時間の流れにおおよそリンクさせてきました。ですが次第に遅れ始め、二年生になっているはずの夏にようやく一年生の終わり頃のエピソードが書き終わるという体たらく。
 迷いました。ここから現実と時間をシンクロさせ直そうか、でもそうすると二年生の一学期についての描写がなくなってしまう。そういう迷いの中で書いたのが、コノハナガールズ日常絵巻です。とりあえず宗教上の理由というタイトルを外して、少々外伝的雰囲気を出そうと。
 そういった中で思ったのは、いっそ二〇一四年の春になった時点で物語の中の時間を戻し、現実から一年遅れで話を進めてみてはどうか、ということ。でもそうやって。それまで続けてきた決め事を捨てるのにも抵抗がある。
 あと問題は、二年生の一学期部分にあたる適切な題材が思いついてないんですね。どうしてもここでなければ、というのが思いつかない。木花村の奇妙奇天烈なあれやこれやは結構ストックがあるもののこの時期で無ければ、というものでもない。逆に言えば、今あるアイデアの中で二年生でどうしても書いておきたいものはコノハナガールズ日常絵巻で書き切ってしまったわけです。
 というわけで、やはり三年生の頭から書くことにしました。すでに一ヶ月遅れてますが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

宗教上の理由・さんねんめ 第一話

宗教上の理由シリーズ、続編出来ました。三年生になった真耶たちはどんなことを巻き起こすのか?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-15

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著作権法内での利用のみを許可します。

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