『うさぎ』日記

 第一章・・大津波をのり越えて

 1993年7月12日・・・離別

 私は宇佐美夏帆、5才。

 当時、奥尻島に住んでいた私達家族三人を大きな災難が襲いました。

 それが、北海道南西沖地震、家中がギシギシ音を立てて揺れ、
壁は崩れ落ち、タンスが倒れ、あらゆる物が上から落ちてきたの。

 転がり落ちた目覚まし時計は、22時17分と表示したままで
止まっていたわ。

 地震の直後、父から
「津波が来る前に貴重品を持って逃げるから、お前たちは先に行け」
との指示。

 母と私は、津波警報のサイレンが鳴り響く
暗い夜道を 足元ばかりを見て高台へと急いでいました。

 ところが途中で突然大きな波を受け、
ぐるぐると回転しながら海の中へと沈んだわ。

 それはもう苦しくて、無我夢中で海面に顔を出した途端に、
目の前に大きな大黒柱が現れたの。

 必死でしがみ付き身を乗り出すと、遠くに離れていく母の顔が見えた。

 その顔は穏やかで、あたかも
「私の事は心配しないで、あなたは強く生きなさい。」
とでも言う様な温かい笑顔だったわ。

 私が叫ぼうとすると泥だらけの波が容赦なく耳や口や鼻を塞いだの。

 今思うと、目の前に出てきた大黒柱は母が使っていたもので、
私の方に押し出した反動で母は沖に流され、私は陸に近づいた。

 そんな気がするの。

 あの笑顔は、娘が無事に柱に乗った事を確認し、溢れる喜びに安堵した
母の顔であった。

そう、思えるの。

 あたかもイス取りゲ-ムで
1つしかない生へのイスを娘に譲り、自らは濁流に身を委ねた、母の人生。

 母は、いつもそうだったわ。

 漁師で粗暴であった父につくし、身を削って私を育ててくれた。

 晩御飯だってそう、
身の綺麗な魚は私と父のお皿に、母のお皿にはいつも煮くずれた魚しかなかった。

 私が気付いてお皿を差し出し
「大きなお魚、いっしょに食べよう!」と、言っても
「こっちのお皿の方が美味しいのよ」と、笑っていた母。

 大好きでした。

 幼い私は、
「大きくなったら、ぜったいお母さんと結婚するんだ!」
と言っていたそうです。

 今では叶わない夢、幻影となってしまいましたが・・・。

 その後、二つ目の大きな波がやってきて離ればなれになり、
陸に近づいた私は救助に来てくれた船に引き上げられて
助かったそうです。

 そうですと云うのは、まったく憶えてないんです。

 5才の記憶にあるのは、最後の母の顔ばかり。

 私の父も裏山に駆け上り、無事ではあったのだけれど、
母を失った父にとっての私の存在は、『負担』以外の何ものでもなかった。

 時々、酔っては母を殴る。

 そんな父が私も嫌いだったし、これから先の二人きりでの生活を考えると、
すごく、いやで怖かった。

 結局私は、漁師しか出来ない父と離れ、
札幌に住む母方の叔母の家に住む事になったの。

 ただ、叔母夫婦にも子供があり、
市営住宅での生活が決して裕福な環境とは言えない事は、
子供の私の目にも明らかだった。

 だから、優しくされれば、される程、肩身の狭さを感じたわ。

『 早く、大人になりたい!。』

 いつも、そう思って暮らしていた。

 
 FC2ブログ、ツボミの連載小説より

1995年4月・・・入学


 夏帆は小学校の体育館のパイプイスの上に座っていた。

 付添いで叔母が出席してくれてはいたが
札幌の桜の芽はまだ堅く、遠くの山には残雪が見える。

・・・寂しい入学式であった。

 式のあと、教室に移ると机には名前を書いた紙が貼ってあり
『うさみかほ』の文字を探して座る。

 そのあと担任の先生の紹介があり、全員にいろいろな係が割り振られたが、
夏帆には「名前が似ている」との誰かの一言で、
『うさぎ係』を任命された。

 まんざらでもない。

 友達のいない夏帆の遊び相手はいつも、野良猫や捨て犬ばかりで、
うさぎなど触った事もない。

 授業が終わり、掃除の時間になると自分の担当区域のうさぎ小屋へと向かった。

 そこには既に上級生が整列しており、
「夏帆ちゃんは、うさぎを捕まえて籠に移してね」と命じられる。

 早速小屋に入り、うさぎを目の当たりにすると、結構と怖い。

 中には夏帆の身長の半分もあろうかと云う様な大きなうさぎも居て、
うさぎ初体験の夏帆はどうしていいか分からない。

 暫く先輩の行動を観察していると、何となく要領をつかんだ様な気がした。

 夏帆は、小さめのうさぎを小屋の隅に追い詰めると、
両手で背中とお腹を優しく包み込む。

「あったか~い」

 初体験は、とても気持ちが良かった。

 そのまま抱き上げると、うさぎの横腹に顔をうずめ頬ずりする。

 ふっくらとした毛の感触と地肌の温かさが、どうにも心地いい。

 上級生の中には、耳をつかみ、お尻に手を添えて籠に移している人もいるが、
実にもったいない。

 こうしていると、心も身体も解き放たれ、ストレスがすべて消えてゆく。

 あ~この感触、「快感!」。

 あと少しでお尻の穴まで解き放たれそうになった夏帆は、
「ダメ!」と云う一言を発し、我に返った。

 みんなが見ている。

「それ、最後だから、早く籠に入れて」と責っ付かれ、渋々籠に移した。

 この究極の感覚は、夏帆の脳裏の奥深くに焼き付き、生涯求め続けることとなる。


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2004年3月・・・卒業

 やがて、義務教育を終えると共に上京し、お菓子屋さんの売り子として、就職。

 寮費や、まかないの費用を差し引くと、決して十分なお給料ではなかったけれど、
寮も木造で、共同便所で、お風呂は近くの銭湯で、部屋も六畳一間、畳敷きだったけれど、
誰にも気兼ねや遠慮のいらない自分だけの空間が、私には天国、極楽、シャングリラでした。

 今の時代、中卒の私が就職出来ただけでも恩の字です。

 そして、入寮しているのは地方出身者ばかりなので、さまざまな方言やご当地グルメなどの
情報が飛び交っており、夏帆には目から鱗が剥げ落ちる様な話ばかりでした。

 特に奈良県出身の杉本先輩の昔話は語り口が実に見事で、まさに真に迫る迫力は
恐ろしくさえもあった。

「花札のシカの絵札の横には赤いモミジの木が立っているでしょう。

 あれには、とても悲しい物語が隠されているのよ!。

 昔室町時代の和州、大和の国では、
『鹿は春日の神の使いである。』と言われて人の命よりも大切に扱われていたの。

 鹿を殺せば、死刑と決まっていたらしいわ。

 ところが晩秋のある日のこと、興福寺の小僧さんが写経をしていると
春日山の鹿が寄ってきて習字の紙をむしゃむしゃと食べだした。

 当時、紙はとても貴重で値段も高価であった為、
驚いた小僧さんは咄嗟に鉄の文鎮を投げつけてしまったの。

 そしたら運の悪い事に文鎮は眉間に当たり、鹿は死んでしまったわ。

 直ぐに興福寺を担当する南都奉行の配下の役人が駆け付けて来て、
小僧に縄を打ち、引き立てて行く。

 そこに和尚から知らせを受け、あわてて飛んできた母親が、
縄を持つ役人の腕にすがり付き、何度も、なんども
『犯人は私ですじゃ。息子を殺さんでくれ!。』
と泣き叫び、訴え出たが、聞き入れられる筈もなかったわ。

 その晩、縄を打たれたままの小僧は涙に濡れ眠れない夜を過ごしていたの。

 それは悲嘆に暮れ、咽び泣く母の声が、遠い闇を隔てて夜風にのり、
牢屋敷内の小僧の耳へと届いていたからなのよ。

 そして母親は、あまりの悲しみの大きさについには発狂してしまう。

 翌日、小僧は目を真っ赤に泣き腫らしたままの姿で、
鹿の死体を体に縛り付けられ境内に掘った穴の中に放り込まれると、
石子詰めの刑に処せられたの。

 頭の上から小石が、雨、あられと降り注ぐなか、激しい痛みと苦しさのあまり、
小僧が両手を空に向かい突き出し、小石を掻き出そうとすると
忽ちに指先の爪は剥がれ落ち、血が噴き出してしまったわ。

 そのまま、ほんの数分で小僧は息絶えたそうな。

 それから夕刻になり、
気が狂れた母親がモミジの枝を振りながらやって来たの。

 くるくるっとモミジの実が、
風に揺れ舞い、そして散り落ちたわ。

 その時、ふっと小僧の声が聞こえた様な気がした母親が振り向くと、
ななっ!何と、ジャリで埋まった穴の上には
血で赤く染まった指先をぱっと広げた、小僧さんのモミジのような小さな手が2本
生えとった。

 その後、興福寺境内には、モミジの木が増えはじめ
鹿にモミジの組み合わせが出来たと云う話です。

 時として人間は、本当に残酷なことをするものね!。」

 夏帆が思わず
「小僧さん、可哀そう!」と涙していると

 杉本先輩は
「この話には続きがあってね、
その時不在だった門跡と呼ばれる興福寺の高僧は、後日知らせを聞き
哀れみ悔やんで供養の為にと小僧の享年にあわせて
明けの七つ刻と暮れの六つ刻に十三鐘を鳴らすようになったんだそうよ」
と、締めくくった・・。

 読んで下さった方へのお願い。

 アクセス数が少なく寂しい限りです。

 面白い作品となる様、努力致しますので、出来ますれば、お知り合いの方々に
口コミで宣伝して頂けますれば幸いです。

 宜しくお願い申し上げます!。


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『うさぎ』日記

『うさぎ』日記

大津波に遭って人生が変わってしまった女の子のお話です。 津波が無ければ、どんな一生を送ったのでしょうか?

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-08

Copyrighted
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  1. 1
  2. 1995年4月・・・入学
  3. 2004年3月・・・卒業