左乃助の鬼腕 第一章完結
豪雨の中桶狭間の決戦がついに始まる。
慢心の今川義元。その隙を突くように雨の斜面を下る織田信長軍。
左乃助は戦いの中で何を見るのか?
そして第一章ついに完結。
12話 桶狭間の首
夜半から降り始めた雨は明け方には土砂降りとなっていた。
すり鉢状の地形の桶狭間。その底にあたる部分に今川義元の大群がひしめくように野営をしていた。
今川隊はこの場で戦闘になるであろう織田信長という若者を過小評価し、慢心しきり、夜も暮れきらぬうちから酒盛りをし近隣の農村から若い娘を拉致し家臣達はそれを犯しては酒を煽った。
今川軍の愚行の一部始終は信長の元には手に取るように報告は入っていた。
「なんたる愚よ」
雨粒を受けた信長の顔は高揚していた。
左乃助の鬼腕 第12話「桶狭間の首」
信長隊は今川軍の半数にも満たない。が、志気は高い。
地元民が「田楽狭間」と呼ぶそのすり鉢の底を望む地点から信長は夜明けと共に進軍した。
「藤兵衛!この雨じゃ後方で弓を射よ」
馬上の信長は藤兵衛の方など向かず、ただ前のみ向いて言い放った。
藤兵衛は一瞬不服な顔を見せたが、この雨では火縄銃は無力だ、弓の名手も多い鉄砲隊に与えられた役割としては妥当だろう、しかし、なにより藤兵衛が気に入らなかったのは、信長の馬の横をチョコチョコと着いて行く左乃助が藤兵衛を見てニヤリと笑った事だった。
「皆吠えろ!今川の阿呆をたたき起こすんじゃ」
谷の中腹まで降りた時、信長はそう叫ぶと自ら奇声を発し、馬の腹を蹴り上げ誰よりも早く谷底へ下っていった。
数騎の馬にのる者も叫び声をあげそれを追った。
左乃助はそれに追いつこうと必死に駆け、一番近くにいた騎馬隊の馬の尾を掴み、その背に強引に飛び乗った。
「小僧!何をする!」
騎馬武者は地鳴りのような枯れた声で吠えたが、とうの左乃助は涼しい顔で馬の背に立ち乗りして前を見据えている。
「おっさん前を見ろ!今川の見張りが槍衾を作りはじめとるぞい」
「わかっておる!踏みつぶすのみじゃ!落とされるな小僧!」
騎馬武者は馬の腹を蹴り速度を上げ、槍を構えた。
突然の攻撃に今川軍は哀れなほど狼狽えていた。
第一の守りであるはずの槍衾も穴だらけで容易にすり抜けが出来る。
げんに信長もいち早く槍衾の綻びを見つけだし、中心部に突き進んでいた。
「殿に追いつかねば!」
左乃助の乗った騎馬が信長に追いついた頃には今川軍も徐々に統制を取り戻しつつあり、騎馬武者は雄叫びと共に槍を振り下ろし、槍衾の一人を串刺しにしてその奥へと突き進んだ。
「おのれぇ」
騎馬武者は串刺しになった雑兵を振り落とすと、そのまま果て馬から落ちた。
左乃助は何が起こったのかわからぬまま泥沼のようになった地面に落ちた騎馬武者を見ると、胸に弓矢が胸に数本突き刺さっていた。がそれは雑兵を突き刺す前に刺さった物だろう、致命傷は左目を貫き後頭部で止まっている矢だ。
「オレはぁ・・・オレは死なんぞぉぉ!」
左乃助は主の居なくなった鞍にまたがるが、左乃助の背丈があまりにも小さすぎて馬の腹を蹴り速度を上げることが出来ない、やっと掴んだ手綱を思い切りに引くと馬はその場に立ち止まり、前足を跳ね上げた。
「くそぉ動け動け!」
いくら叫んでも馬は左乃助の言うことなど聞いてはくれない、その間に左乃助は敵に囲まれてしまっていた。
左乃助は馬の背から敵の直中に飛び降り、小刀を抜いた。
目の前には甲冑を付けた大人の腹が犇めいている。左乃助の視線からは雑兵の胴当てと足しか見えない。
左乃助は構わず近くにいる者から短刀で突き刺し、自分の進路を作りだした。
「のぶながぁぁぁ!」
泥だらけの顔を天に向けると雷鳴が轟き、雨の勢いが増した。
もう前に居るのが敵なのか味方なのか判別がつかないまま大人達はもみ合いになりながら、織田隊は押し進み、今川隊はそれをくい止めていた。
左乃助は泥飛沫を切りただただ前進した。
泥の塊と化した左乃助が信長の姿を見つけたのは第二の槍衾の前だった。
信長は数騎の騎馬武者と合流した雑兵等と分厚い槍の壁を切り崩そうと必死に槍を振るっていた。
左乃助は近くにいた雑兵に飛びかかると鬼腕を使いその首を引きちぎると持っていた長槍を奪った。
「のぶながぁ!オレが今川の首とってやるぅ」
左乃助が信長を見上げると、信長は口角をあげ叫んだ。
「左乃助!力の見せ時じゃ」
「オレはのぶながの友じゃい!暴れちゃる」
左乃助の瞳は「俺が信長を守らないで誰が守る」と言いたげであった。
「おおそれぞ共」
それを聞いて左乃助は満面の笑みを信長に投げた。
雑兵の持つ長槍は大人の身長の二倍ほどある。それを左乃助は軽々と持ち、槍の壁に向かい駆けた。
「えぇい!」と吠えると槍を地面に突き立て、左乃助はその反動を利用して壁を越えてしまった。
要するに「棒高跳び」の要領だ。
本陣を守る槍衾は二重三重に作られていたが、左乃助はそれを悠々と越え今川義元のいる本陣の目の前に着地した。
雨でぬかるんだ地面にやや脚をとられたが、体勢を取り直した。
「うぬは怪物か!」
護衛の大男が左乃助の前で目をむいて立っていた。
手には大太刀を持っている。
「オレはのぶながのいちの友じゃい!かかってこい」
「信長のとも?小童がなにを」
大男は笑いながら大太刀を上段に構え、一気に振り下ろした。
左乃助の瞬発力は並のものではない、太刀を寸での所で避け、スルリと大男の股下に潜り込み、足首を握り潰すとそのまま大男を槍衾の方へ投げ飛ばしてしまった。
槍衾を作っていた雑兵もそれに恐怖したのか、槍衾の守りも弱体化していった。
「いまがわよしもとはドコじゃい!出てこい白塗りジジイ!」
左乃助は寒い気配を感じた時、鬼腕の二の腕の部分がザックリと切り裂かれ紫色に近い黒い体液がそこから吹き出していた。
大男と対峙していたときからこの一瞬を狙っていたのだろう、色白な中年男が左乃助の鬼腕の血しぶきを浴びこちらに切っ先を向け間合いを保つように半歩後退した。
明らかに使い手の動きだ。左乃助も用心深く横歩きしつつ間合いを詰めようと試みる。
「オレはいまがわのジジイの首が欲しいだけじゃ、そこをどけ」
「笑わせるな小汚い魔物がぁ!ここを立ち去れぃここはお前のような汚らわしい者が居る場所ではないわぁ」
左乃助は奥歯を噛みしめた。泥の味に混ざって他人の血の味がした。
「オレが魔物なら、ここにおるみなも魔物じゃい」
左乃助は呟くように言うと口の中に入った雨粒を吹き飛ばし男に突進した。
男は無駄のない動きで刀を振り下ろす。
左乃助はそれを鬼腕で受け、左手で小刀を抜くと男の胸を一突きした。
左乃助は顔面に返り血を浴び、正に赤鬼のような形相で本陣の幔幕の中へ進入した。その中には床几に座ったまま震えて動けない今川義元がただ豪雨を浴びていた。
※ ※ ※ ※ ※
信長は雑兵達の押し合いの中必死に槍を振るい活路を見いだそうとしていた。
「押せ押せ!敵はひるんでおるぞ!」
その頃には藤兵衛の弓隊も追いつき、後方支援も充実しはじめていた。
ウオッ!
一瞬敵陣内で呻きともどよめきとも取れる声が上がると槍衾の雑兵達が浮き足立ち、徐々に信長の前に道が開けてきた。
(左乃助か・・・)
信長は槍衾の上を軽々と越えていった少年をおもった。
「今じゃ!ゆけゆけ」
守りが薄くなった場所に攻めを集中させ、信長隊はようやく本陣の前にたどり着いた。
「今川義元!観念しろこの決戦織田信長の勝利なり」
今川義元を自ら幔幕内から出てくるのを待ち、その場で首を落とす。信長はそうすることにより力を見せつけようと思っていた。が、幔幕から現れたのは血と泥と鬼腕から吹き出る黒い体液を浴び魔物と化している左乃助であった。
泥だらけの魔物は信長を見つけると幼い笑みを顔一杯に、手に持っているモノを天高く掲げた。
今川義元の首だ。
「のぶながぁ!芋じじいの首じゃ!どうだどうだ!」
豪雨が嘘のように止み、黒い雲が割れると日差しが差し込み、今川義元の白塗りの生首と左乃助の得も言われぬ表情を照らし出した。
※ ※ ※ ※ ※
ウゥゥゥッウゥゥゥッ
ホラ貝の音が狭い盆地に響きわたった。と同時に地鳴りが後方の今川軍を押し潰してゆく。
「なにっ」
信長は馬上から目を疑う光景を見た。
巨大な化け物数体が今川隊の雑兵を投げ飛ばし、時に雑兵を喰い殺しながらこちらに猛進してくるのだ。
左乃助も他の者との身長差からそれを確認するのが遅れたが確かに「それ」を見た。
「これはあの時の鬼・・・」
左乃助の故郷を襲った巨大な魔獣が何体も咆哮しつつ押し迫って来ている。
「ひけっ・・・引けぇい引くのじゃぁぁ!」
信長はひきつった声で自軍に退却を命じた。
「今川めあのようなモノを用意しておったか・・・」
「殿しかしアレは今川の兵を襲っておりまする」
側近の男が馬を信長に近づけて叫んだ。
「ここは引くのじゃ!退却せよ」
混乱する自軍に吠えると信長の視界の隅に今川義元の首を持った左乃助が入った。
「左乃助、ワシの馬に乗れ!退却じゃ」
この恐ろしい形相の少年を連れ帰らねば、その手にしている物を持ち帰らねば今川義元を負かしたという証ができない。
「のぶながぁ、オレはあれを見てくる」
あの魔獣が何なのかこの目で確かめないと死んだおっとぉおっかぁや村の人達が浮かばれない。左乃助はそう思った。
「これはのぶながの物じゃ」
左乃助は手にしていた「首」を無造作に信長の胸元に向かい投げ、阿鼻叫喚の渦の中へ駆け込んで行ってしまった。
信長は一瞬呆然としたが、今川の首を側近に渡すと再度退却命令を出した。
左乃助は走った。
胸が締め付けられる思いが左乃助の脚を押している。
方々から男の悲鳴が起こっている。
あの「御擬(オンギ)」と呼ばれる巨大な「鬼」から逃げる者、御擬に投げられる者喰い殺される者。正に地獄の光景が広がっている、
その中の一体の御擬が左乃助を見た。
左乃助もそれに気づいてその御擬に駆け寄った。
「オレが相手になってやる」
左乃助は自分を見ている御擬の足下まで行くと、その巨大な魔物の身体に這い登った。
御擬(オンギ)の身長はどれも10尺(約3メートル強)はある。
左乃助がその肩まで登ると御擬に見つめられた。
「はっ・・・」
左乃助は息を呑んだ。
「おっとぉ・・・」
その瞳は紛れもなく左乃助の父のモノだった。
何故?わからない。しかし父親の眼差しに間違えなかった。
「おっとぉか?」
その呼びかけに御擬は弱い唸り声を上げ、肩にいる左乃助の胴体を掴んだ。
「左吉・・・ここにいちゃだめだぁ」
御擬に掴まれながら左乃助の脳内には父親の声がした。
「おっとぉ、なんで鬼なんかに・・・・」
その問いには答えがかえってこなかった。
その時には左乃助は宙を舞っていた。
あの父の瞳を持った御擬に投げ飛ばされていたのだ。
左乃助は退却する織田信長軍の後方に落とされた。
第一章最終話 嫉妬
桶狭間の合戦は呆気なく終わった。
戦後処理も、後から戦いを横取りした堀田堂幻が不気味なほど欲を出さず、スルガの国一国を今川から貰えばそれで何もいらないと、さっさとスルガに引き上げ。今川の近親者を皆殺しにし、重臣達も殺すか追放してしまった。
信長は後味の悪い形でオワリ一国から領土広げる形となった。
一方左乃助はといえば。今川義元の首をあげ、御偽(オンギ)に投げ飛ばされた後退却する雑兵に拾われ信長の元へ戻ってきた。
信長は一番首をあげた左乃助に褒美として、来年の元服後名字帯刀を許し、晴れて「侍」となることを従者を通じて告げてきた。
だが、左乃助の心は晴れやかでなかった。
目を瞑ればあの父の眼差しを持った御擬(オンギ)の事を思い出す。
そして何よりも左乃助の気持ちを沈めて居る事柄がある。
あの合戦の後から信長は、足軽をまとめ上げた藤吉郎というネズミ面の小男を引き立て何かと側におきたがっている。
信長はあのネズミ面と親密になるにつれ左乃助を遠ざけるようになっていたのだ。
大体、一番の手柄をあげたはずの左乃助に間接的に褒美の事を告げるとは何事だ。
「ちっ。オレがノブナガを守ったんじゃ、オレが今川の首をもぎ取ったんじゃ・・・」
左乃助は長屋の濡れ縁に腰掛けつぶやいた。
「哀れじゃのぉ」
突き抜けるような声で声をかけてきたのは藤兵衛だった。
口元には嘲るような笑みがある。
「珍しい物は一時重宝がるが、価値がなくなれば捨てる。それが信長様よ・・・ワシの鉄砲はそのてん先がある」
「そうか・・・オレは珍しいモノか」
左乃助は鱗雲を見上げる。
「なんじゃ今日は口答えせぬのか」
藤兵衛はまた薄ら笑いを浮かべた。
「テッポウじゃって・・・」
左乃助の目は潤んでいる。
「テッポウじゃって、同じじゃ」
「なだと!」
「桶狭間の時のように雨が降れば使えん。堀田が持っている魔物の前じゃ歯もたたん」
「小僧いいおったな」
「ふん!まだいっちゃる!」
左乃助の息が上がる。
「皆があの棒っきれの使い方になれてしまえば藤兵衛なんぞオレと一緒ようなしじゃ!テッポウを最初に使い始めたからちゅて皆がテッポウの使い手になってしまえば藤兵衛なんぞただのフルダヌキじゃい!」
「小僧言わせておけば・・・」
藤兵衛は肩をいからせ、左乃助に歩み寄った。が、そこに居るのはひとりぼっちの哀れなちっぽけな子供だった。
藤兵衛は歩みを止め、ほんの少し左乃助を見ると、なぜこんな子供を恐れ驚異に思っていたのかが解らなくなってきた。
「ふん」と嘲るような鼻息を漏らすと、藤兵衛はゆっくりとその場から消えた。
左乃助は秋空を見上げ「のぶながぁ」と、呟く、すると鬼腕の一部がドクンと脈を打った。
左乃助の鬼腕第13話 「嫉妬」
ある日信長は広間に藤吉郎だけを呼びそっと話始めた。
その信長の顔は目は窪み、頬はこけ力無くただ前だけ見つめていた。
「禿ザルよ」
と信長は藤吉郎とは呼ばず、藤吉郎が率いた足軽隊の名「猿山党」からこの小男を「サル」又は「禿ザル」と親しみを込め呼んでいる。
「このことはお前だけに言うのだが」と前置きをし、信長は少し弱々しい声で語り始めた。
「桶狭間より後ワシはよう眠れん」
「それはよろしくないですなぁ」
藤吉郎は合いの手のように信長の告白を受け返した。信長は渋い表情を藤吉郎に向けつつも、浅く息を吐く、なぜかこの小男の表情を見ていると感情的になっている方が損なのではないかと思えてくるのだ。
「何故ワシが眠れんのかわかるか」
「さて・・・なんでしょうなぁ。私のような神経の鈍いモンにはトンと・・・検討がつきませんなぁ」
藤吉郎はそのネズミのような顔全体に木の幹のようなシワを寄せ、小馬鹿にしたような言葉をいたって真面目に返した。
「まったくお前という奴は」
信長はこの小男が用心深く自分を切れ者に見せる時と、鈍感な男に見せる時を使い分けながら自分と接している事を知っている。なのでここは同じやりとりをしていてもキリがない。信長は話題を一足飛びに本題に移した。
「鬼の刃というのは誠の話か」
「はっ・・・」
流石の藤吉郎もあまりの話題の飛びように意表を突かれた様子で、言葉に詰まった。が、一瞬のうちに頭の中で言葉の意味を整理しそれと同時に返答が口角から漏れ出している。それが藤吉郎という男だ。
「「鬼の刃」のお話、偽りでもなく誠でございまする。拙者の配下に新田希三郎(ニイダキサブロウ)なる山猿がおりまして、その者襲われし娘を助け・・・」
「講釈話はよい!その刀どのような物も両断出来ると申したな」
「はっそれは。新田の申すにはその剣は鬼の骨を削りだして作られた物でして、魔物すら一刀両断にいたすとか」
「そうか、ではその男に魔物を斬って貰おうか」
信長のくぼんだ目が鈍く光った。
「魔物?」とは聞き返さず、藤吉郎は日焼けしたしわくちゃの顔を信長に僅かに寄せ、暫く信長の言葉を待った。
「サルよ察しはついておろう。あの今川の首を引きちぎった小僧のことじゃ、ワシは小僧が血塗れで首を掲げ笑っている顔を思い出すだけで吐き気がするのじゃ、あの姿眼を閉じる度思い出すわ」
そこには鬼神のごとく戦場を駆けめぐる信長はいない。ただ恐怖に怯える弱い青年がいるだけだった。
「左様でありましょうなぁ、あの小僧漏れ伝え聞く「鬼の力」の持ち主でありましょう、「鬼の力」は旨く使えば國を天下に導くと申しますが、力を制御できなくなれば國を滅ぼすと聞きます」
「ワシはあの力が欲しい」
「はぁ?」
この信長と言う男、いちいち言うことが突飛で先が読めない。
藤吉郎は思わず間の抜けた声を発し、信長を見つめてしまった。
「「鬼の刃」あの腕だけを生かして斬ることも出来るか」
「はぁそれはぁ新田に聞いてみんとわからん話ダデ・・・」
藤吉郎は思わず田舎言葉を丸出しになって居ることにも気づかないまま言った後、暫く唸り、廊下で控えていた使いの「カッパ」に新田を呼んでくるよう申しつけると、30分ほどで新田が広間に現れた。
結果だけ言えば、腕の鬼虫だけを斬りはなすのは可能であるらしい、しかしそれを可能にするには対象物、つまり左乃助が身動きをとれない時にそれを行わなければならず、だからといって左乃助を殺してから腕を斬ったのでは鬼虫は元の「虫」に戻ってしまい、鬼虫は結して「意志」にそぐわない者には取り付かないので、その力を自分の物にするのは難しいであろう。
腕のまま切り離せば、例えば信長の腕として取り付かせる事も出来るかもしれない。
左乃助は夜半、妙な気配と息苦しさに目を覚ました。
見ず知らずの大男が腹の上に馬乗りになっている。
その男だけではない、部屋には数人の男が左乃助を見下ろして立っている。
それに気づいた直後、左乃助はもう一つの妙な感覚を覚えた。
視線を自分の真横にうつすと、なにか黒い物体がうねっている。
「腕だ」
左乃助が心の中で叫ぶと、そのさっきまで自分の腕に寄生していたはずの「腕」がまな板の上にあげられた大鯰のようにバタバタと暴れはじめた。
「腕がそれ以上暴れ出さぬうちに捕まえるのだ」
白い刀を持った男が叫ぶ。
「小僧は」
左乃助の上に乗っている大男が言う。
「腕が先だ!ほおっておけば虫に戻るぞ、そうなれば鬼の刃でも太刀打ちが困難じゃ、腕の状態で信長様に渡さねば意味がない」
「のぶながぁ・・・」
その時、左乃助は初めて声を発した。
「のぶなががこんなことをしろと言っただか・・・のぶなががぁぁ!」
左乃助の怒りにうち震えた声に反応するように床の上で暴れていた「腕」が身をよじりながら大男の足首を握り潰した。
大男はもんどりうって倒れた。
左乃助は自由になった身体を跳ね起こし、床で暴れている「腕」を左手で持つと周りの大人たちに叫んだ。
「この腕はワシの腕じゃ二年もワシにくっついておった腕じゃ!わしの言うことしかきかんぞい!」
持っている「腕」を近くにいた男に振りかざすと、「腕」は男の顔を果実でも握り潰すかのように砕いてしまった。
その光景にある者は腰を抜かし、ある者は逃げだしてしまった。
狭い部屋には足首を握り潰されのたうち回る大男と、腰を抜かし動けない男と頭が砕けた死骸。そして刀を持った男新田希三郎だけが残った。
刀を上段にかまえ間合いを詰めようとする新田、左手にどす黒い先ほどまで「自分の右腕」だった物を持ち新田を睨みつける左乃助。
「ほんとうにのぶなががオレの腕を切り離せといっただか」
「そうだ、そしてお前を殺して欲しいとさ」
「うそだ」
「嘘ではない、お前はもう死ぬしかないのだ」
「うそだ・・・のぶながはオレの・・・友じゃ・・・そんなこと言うわけがない」
「哀れなガキよ、人を信じれば裏切ることもあるそれが大人の世なのだ」
「うそだうそだぁ!」
左乃助はもっている腕を振り回すと廊下に飛び出し、立ちふさがる大人達をなぎ倒し、飛び越し、信長の住む館にたどり着くと咆哮した。
「のぶながぁぁぁ!」
突然の雷鳴のような声に部下達は飛び起き、各々武器を持ち集まったが、時すでに遅く左乃助は戸や壁を打ち壊し、館のほぼ中心部にある信長の寝室にたどり着いてしまっていた。
「のぶながぁ・・・」
突然の事に信長は声が出ない、というよりこの頃毎夜みる悪夢の中に居るような感覚にとらわれていた。
左乃助は上半身だけ起こした状態で言葉を失っている信長に「腕」を向けると何故だか涙が溢れてきた。
「のぶながぁ・・・おめぇ・・・友達だって言ったでねぇか・・・」
左乃助の持つ「腕」の「手のひら」が信長の額から眉の辺りを覆い隠す。
「友達だって・・・いったでねぇか・・・・」
左乃助の声は涙声になりもうなにを言っているのかわからない。
その時だ、左乃助の脳内に数々の場面が飛び込んできた。
数々の国主に打ち勝つ信長。国王に謁見する信長。きらびやかな城の中で高笑いを浮かべる信長。味方に焼き討ちにあい怒りの中果てる信長。
左乃助は息を呑んだ。
そして目の前の信長に底知れない恐怖を感じその場を離れようとした。が、信長の額に覆い被さった「腕」が離れない。
「オレより信長を選ぶのか・・・鬼腕・・・おめぇまでオレを裏切るのかぁぁ・・・」
左乃助はゆっくりと持っていた「腕」を離すと寝室を飛び出した。
左乃助の心には憎悪や怒りはすでになく、悲しみと嫉妬だけが渦巻いていた。
・・・左乃助の鬼腕 第一章完・・・・
左乃助の鬼腕 第一章完結