サムライ

サムライ

プロローグ

 「続いて、『きょうは何の日?』のコーナーです。きょうは、沖縄省が中国領となり、100周年を迎える日なんです」
 朝のテレビから、新人の女性アナウンサーのやけにテンションの高い声が聞こえてくる。それに対し、少し年上の男性アナウンサーが、わざとらしく答える。
 「えぇ!そうなんですかぁ。ぼくたちの世代はもう知りませんもんねぇ。沖縄省といえば、日本から最も近いリゾートとして、若者には人気がありますよねぇ」
 「はい。私も大学の卒業旅行は、沖縄省だったんです。近いし、海がきれいだし、ごはんもおいしい。そんな沖縄省事情をレポートしてきました。では、VTRをご覧ください」

 腹が立つ。日課をこなしながら、そう感じた。俺の日課は、毎朝、おにぎりを3つ食べること。そして、熱いみそ汁を思いきり、すする。じわりと食道を通るのを確かめて、今日も生きていることを感じる。最近は、栄養素別のタブレットで、食事をとる人がほとんどだそうだ。俺のように米を買うやつなんて、珍しいご時世となった。確かに米は高い。しかし、米を食べないと、何か大切なものを失ってしまうような気がする。だから、俺は米を食べる。
 それにしても、腹が立つ。自分の父親の故郷である沖縄を、海外の観光地扱いか。かつては、日本の大切な領土だった。それが今では沖縄県という言い方も、ほとんど聞かれない。自分自身のアイデンティティを軽く見られたようで、いやな気分はますますふくらんでいく。しかし、切り替えるしかない。今日は特別な日。いつもはユニフォームを着て家を出るのだが、今日はスーツだ。スーツを着て、家を出るのは、本当に久しぶりだ。いつもなら担いでいくバットも、今日はお留守番だ。玄関のドアを開けようとしたとき、携帯電話が鳴った。エミからだ。
 「おはよう、一郎さん。いよいよきょうね。いつも通り、かっこよくね。ニュース楽しみにしてるから」
 「わかった。ありがとう」

プロ野球新時代 

2199年。日本の沖縄が中国の手に渡り、100周年を迎える。歴史の教科書によると、2010年ごろに、日本と中国が、尖閣諸島をめぐりトラブルが起きた。そのあと、強硬的な中国の姿勢に、日本が弱腰となり、尖閣諸島のみならず、沖縄まで中国に奪いとられたのだ。 北方領土についてもしかり。ロシア領に正式に認められてから、はや50年。これも、日本の弱腰外交に、ロシアがつけ込んだ。
 その対応に、日本国民はどれほど怒ったか。大規模のデモは?と思われるだろうが、悲しいかな、そうでもない。20世紀半ば、太平洋戦争に敗れたあとの日本では、「国」のことを考えることは、「右翼」だと批判されることが、しばしばあった。そしていつしか、国民は「国」について、考えなくなった。領土問題はその最たるもので、大きな反対の声は上がらなかった。北海道、沖縄の当事者をのぞいてだが、その声にも、マスコミは興味を示さなかった。
 その国民のもっぱらの関心事といえば、プロ野球だ。20世紀には、王、長嶋を代表とする読売ジャイアンツが人気を博し、一時期、サッカーに人気をさらわれそうになったが、23世紀を前に、再び、野球熱が高まってきている。ただし、様相はガラリと変わっている。
 まずは球団のスポンサーだ。プロ野球の初期では、新聞社や鉄道会社がオーナーになることが多かった。それが、20世紀末以降の「IT革命」の流れで、インターネット関連の会社がオーナーに。そして、22世紀末の球団名は・・・。
 「ipsタイガース」「ミラクルマッスルジャイアンツ」「Zokiライオンズ」。これらの会社の共通点。それは、「生体培養関連」だということだ。
 21世紀以降さかんになった、「ips細胞」の研究。自分の細胞を1つ取り出して培養すれば、内臓や体の一部分をもう1つ、作ることができる。
生命倫理の問題があるとして、政府は「生体培養禁止法」を成立させ、規制し続けてきた。が、闇市場がふくらんでいく。まずは、業者に自分の細胞を提供する。あとは、どこかの臓器が機能不全を起こした際、その業者に注文すれば、新品の臓器と交換してくれる。もちろん自分の遺伝子で作ったものだから、移植しても拒絶反応はない。数兆円ともいわれる、そんな、一大医療ビジネスが常態化してしまった。そのため、政府は泣く泣く、生体培養の自由化に踏み切ったのが、今から4年前。それまで、闇市場でコソコソとビジネスをしていた会社が、一気に世間に名を広めることとなる。そのきっかけとなったのが、プロ野球だった。
 
 けが

 俺の名前は、石嶺一郎。人は俺のことを「サムライ」と呼ぶ。半分は、親しみを込めてだが、半分は、馬鹿にしているように聞こえる。俺は最後の、純粋な体のプロ野球選手だ。ほかのやつたちは、最近はやりのipsで、腕なり足なりを交換しまくっている。4年前に生態培養が解禁されてから、世間では、当たり前のように、体の部品を交換するようになった。まるで車のように。ロボットのように。俺は、ごめんだった。何か、大切なものを失うような気がして。どうしても、ipsには手を出せなかった。チームメイトからは、「そんな考えは古くさい」といわれた。昔の考えにこだわった自分を「サムライ」と呼んで、嘲笑されるのには、もう慣れた。
 そんな俺も、引退のときが来た。41歳。ipsが解禁される前なら、ごく普通の引退時期だが、解禁後となれば、超異例のことだった。
 原因は、今シーズンの途中にあったけがだ。ipsタイガースの6番として、今年も3割そこそこをキープしていた6月。ミラクルマッスルジャイアンツとの試合だった。相手投手は江ノ川。同期の彼は、オフに右腕を新品に交換して、筋肉増強剤でパワーアップし、MAX168キロを投げる右腕に変身した。打席に立つと、彼の直球は「キュルキュル」と音を立てて、ミットにおさまる。摩擦で、ミットから煙が出て、試合が中断することもしばしばあった。
 2回表。江ノ川が投げた初球だった。うなりを上げてインコース低めに突き刺さるまっすぐ。俺は思い切り腕をたたんで、「ファウルでもいい」という気持ちで、バットを振りぬいた。軽い感触だった。打球はあまりに速く、定位置にいたショートの股の下をライナーで抜けたあと、左中間のフェンスに直撃した。
 センターは、アメリカからやってきたクロマティーニ。彼も48歳になるが、3年前にips移植をして、50メートルを4秒で駆けぬける俊足を手に入れた。この速い打球にも、一瞬で追いつき、セカンドに矢のような送球を見せる。俺は、走った。1塁ベースを回り、2塁ベースをねらった。送球とのタイミングは、クロスプレーになる。ベースの前で足からスライディングを試みた。その時だった。
「ブチッ」
 嫌な音とともに、右足に激痛が走った。そこからははっきりとした記憶がない。ただ、球場全体にかつてのような、心配する様子などなかったことは、簡単に想像できる。けがをすれば「あぁ、またips移植か」と、だれしもが思うだけのことだ。
 実際、意識が戻りつつあった救急車の中で、救急隊員からいきなりいわれた。
「あなたのips移植先はどこ。やっぱり球団のオーナーのips産業?」
「いえ、登録してない」
「えっ?プロ野球選手なのに?」
「いや、プロ野球選手だからだ」
 ぼくはけげんそうな顔をする救急隊員を横目に、行きつけの整形外科に搬送するよう頼んだ。
 そのとき、救急車の備え付けの電話に、親会社の「ips産業」から電話がかかってきた。広報担当からだった。
「石嶺さん。今後、どうされるんですか?」
「どうするって。治療して、リハビリして、復帰を目指すさ」
「いやね。このご時世ですよ。で、サムライと呼ばれる石嶺さんが、うちの移植で見事な復帰でもすれば、ねぇ。ドラマでしょ。ドラマ」
 広報担当は、1人、高揚している。俺は冷静にあしらった。
「俺は、その気はさらさらないから」
 電話を切った。

 リハビリ そして引退

 リハビリは、うまくいかなかった。行きつけの整形外科も、近ごろ患者が減り、売り上げが悪いせいか、十分な設備が整っていない。使い古された高酸素カプセルに1時間ほど入り、細胞の早期再生にかけるしかなかった。しかし・・・。
「うーん。酸素濃度が上がらんねぇ」
カプセルの外からは、頼りない担当医の声が聞こえる。カプセルの中には、今まで聞いたことのない異音が響く。
「なんとかなりませんか?」
「うーん。この機械も20年使ってるからなぁ。ミネちゃん。悪いなぁ」
「かまいませんよ。自分で何とかしますから」
そういったものの、何とかなるようなけがではなかった。足首を固定するプラスチック製のサポーターだけは買った。しかし、歩くだけで、鈍い痛みが走る。1か月、2か月たっても、痛みは引かなかった。全力でプレーできない=引退。決断するのに、そう時間はかからなかった。恋人のエミにだけは、相談した。

 エミ

 エミは俺の恋人だ。5歳年下の36歳。出会ったのは、3年前。ファンレターがきっかけだった。
「石嶺さんのポリシー。私尊敬します。ips移植でパワー、スピードのある野球選手なんて、ファミスタのピノみたいなもの。人間らしい石嶺さん、いつまでも応援させてください」
ビビっときた。俺を応援してくれることに、ではない。「ファミスタのピノ」にだ。俺は、ファミコンが大好きだ。3D映像のゲーム機が当たり前の時代だが、200年ほど前にはやったファミコンを、骨董品屋で見つけて買って以来、オフの日は夢中になって「ファミスタ」をやる。3Dは現実と仮想現実が混乱してしまい、頭が痛くなる。現実へのモチベーションも低くなる。一方、古いゲームは二次元の映像だし、ゲームだと認識しながら、楽しめる。その中でも、ファミスタは大好きな野球ゲームで、ピノは足がめっぽう速く、魅力的な選手だ。しかし、そのソフトは大昔に廃盤になっている。ピノを知っているのなら、この女性もファミコンを持っているのか。その話を、女性としたくなった。
手紙の最後に「エミ」と書かれ、携帯電話の番号が添えられていた。午後9時。遅いかなとも思ったが、我慢できず、電話した。
「もしもし、石嶺です。わかりますか?」
「えっ?本当に石嶺さん?信じられない」
なぜ電話したのか、気持ちを落ちつかせて説明した。ファミスタが好きなこと。その話をしたいこと。俺の世間での印象もあるから、あまり声を上ずらせないようにしたが、相手にはすぐに感づかれた。
「石嶺さんって、もっとこわい人だと思ってました。意外とおちゃめなんですね」
自分の顔に血が上るのが、わかった。が、思い切っていった。
「できたら会って、話がしたいんだけど」
「それはちょっと・・・」
まずい。警戒された。もしや体が目当てでは、と思われたかもしれない。そう思うと、余計に顔が熱くなった。純粋に、ファミスタの話がしたかった。でも、ここは我慢だ。どうしても、1週間は待ってほしいと言われ、受け入れた。
 1週間後。なじみのレストランで待ち合わせをした。見た目は驚くほど、自分の理想に近かった。170センチ近くあり、細身の体型。顔立ちは、鼻筋が通り、上品な口元。笑うと、小さなえくぼができる。すべては俺の好みだった。食事中の会話もはずんだ。ファミスタの話題はもちろん、音楽、映画、旅行、何もかも話題がかみ合った。怖いぐらいに。その夜、俺のマンションに泊まりたいといわれた。それは断った。「大人の関係になるのは、現役引退してから」という信念に反するからだ。
 「そういうのもいいわ。石嶺さんらしくて。でも、私のこと大事にしてくれる?」
 俺がうなづくと、エミは満面の笑みを見せた。小さなえくぼをかわいいな、と思った。
 エミは、けがのことを人一倍心配してくれた。でも、引退の話題を持ち出すと、正直な気持ちを打ち明けてくれた。
 「いっちゃダメだと思っていたけど、いうわ。私、石嶺一郎の引退を待ち望んでいたのかもしれない。一番のファンでありながら。『引退』と聞いて、うれしいと思ってしまったの。だって、一郎さんが引退すれば、ずっと一緒になれるんでしょ。そう思ったら、そう思ったら・・・」
 泣き崩れるエミを、俺はそっと抱きかかえた。
 「ありがとう。引退するよ」
胸の奥のほうが、じんわりと温かくなっていた。

 最終戦

今シーズンの最終戦。球団は、「代打」という花道を用意してくれた。相手はけがをしたときと同じ、ミラクルマッスルジャイアンツ。最終回の先頭打者の代打として、俺の名前が告げられると、客席からはパラパラと拍手が聞こえた。拍手の音が聞こえないほど、球場を包んだのは、俺のテーマ曲。
「Baseball kids ただの baseball kids 意味などないのさ ただ好きなだけ」
軽快なビートに乗せて、浜田省吾の「Baseball kids Rock」が流れる。こうやって聞くのも最後か。そう思うと、いつも以上に、血流がはやくなる。いつものように、左手でバットを「グルグルグル」と大きく3回まわし、打席に向かう。「意味などないのさ ただ好きなだけ」。大好きなフレーズを口ずさむ。世間では、あまり知られていない。200年ほど前に、日本国内で大流行したクラシックロックだ。当時は、ほとんどの若者がこの曲をくちずさんでいたらしい。もちろん、確認しようがないが。
 最終打席は、新人の桑原。若いくせにすでに、両手両足ともに、ips移植を済ませ、MAX200キロを投げる。俺は見事、3球三振。ジャイアンツの原田監督に、情けはないのか、と唇をかんだ。試合後、その原田監督が、わざわざロッカールームにまでやって来た。
「サムライに情けは無用だろ。おつかれさん」
その言葉に、胸が熱くなった。
「お世話になりました。ありがとうございました」。深々と頭を下げた。
シャワーを浴びて自宅に向かおうと、自転車にまたがろうとしたとき、携帯電話が鳴った。エミからだった。
 「おつかれさま。かっこよかったわよ。待ってるから」
 「わかった」
 俺はいつもより、強くペダルをこいで、エミのマンションに向かった。そして、その夜。初めてエミを抱いた。

 記者会見

 引退記者会見の会場は、一流ホテルの「心臓の間」だった。もちろん、このホテルの親会社も生体培養関連の会社だ。薄気味悪い名前だが、1番広いのがここなので、仕方がない。俺がドアを開けて、会場に入ると、久しぶりにたくさんのフラッシュに囲まれた。そして、会見が始まった。質問は、「引退を決意した理由は?」「一番印象に残っている試合は?」とありきたりの質問ばかり。俺もありきたりの返答をした。質問もなく、間が空いたため、あっさり終わるところだった。1人の男性記者が難しそうな顔をして、立ち上がった。
 「どうも、よくわからないのですが、なぜ、石嶺さんは、ips移植をしようとしなかったんですか?こんなに便利な世の中になったのに」
 しばらく沈黙が続く。核心を突く質問だった。「それが聞きたかった」といわんばかりに、ほかの記者からも鋭い視線が、俺に向けられている。
 「意味などない。ただ野球が好きなだけだ」
 そう答えると、その記者はムッとした表情を見せ、たたみかける。
 「それは石嶺さんのテーマ曲のワンフレーズでしょ。はぐらかさないでください」
 はぐらかすつもりはない。ただ、そう答えたかった。それだけだ。しかし、なぜ、俺はips移植を拒み続けたのか、自分でもじっくり考えたことはなかった。なぜか?
 「石嶺さん、野球が好きなら、ips移植をしてでも、長くプレーするほうをとるんじゃないですか」
 確かにそうだ。じゃぁ、なぜ、俺は・・・。その時、ふと記者席の左奥から視線を感じた。そちらに目をやると、見覚えのある人の姿が見えた。親父だ。椅子に座って、きついまなざしでこちらに視線を送っていた。
 「ねぇ、サムライさん」
 せかすように発した記者の言葉で、我に返った。そして、とっさに答えた。
 「何か大切なものを失ってしまうような気がしたから」
 「?」
 会場にいた記者たちが、首をかしげながら席を立つ。不思議そうに顔を見合わせている。
 「これで、記者会見を終わります」
 司会の声で、俺の現役生活は幕を閉じた。親父だけは席を立たず、こちらをただじっと、見すえていた。

  親父

 親父は沖縄省で生まれ、高校卒業後、日本に移住してきた。観光以外に産業が根付いておらず、働く場がなかったからだと聞いた。全国を転々とし、神戸の電器工務店に就職。そこで母親と知り合い、結婚した。俺は長男として生まれた。親父のことは、大嫌いだった。いつも煙草をふかし、家の壁はやにだらけ。マージャン、パチンコ、競艇と、大のギャンブル好きで、子どもの時はよく連れて行かれた。勝ったときこそ、機嫌良く、ソフトクリームを買ってくれたが、負けたときはひどい。腹の虫の居所が悪いときは、くつをぶつけられる。1度、顔に当たって、大泣きをしたことがあった。
 親父との、唯一の楽しみがキャッチボールだった。休みの日には、必ず、公園に行った。親父が空高く投げたボールをキャッチすれば、帰りにごほうびが買ってもらえた。外食に行くとか、立派な誕生日プレゼントとか、そんなものはなかったけど、野球のことにだけは、惜しまずにお金を出してくれた。
 俺は、中学時代にそこそこ目立つ選手だったので、地元の私立高校から声がかかった。高校時代、甲子園には手が届かなかったが、夏の県予選で、3試合で6本塁打という記録を残し、スカウトの目にとまった。そして、ドラフト4巡目で、タイガースに入団した。
 プロ選手になり、1人暮らしを始めた。親と離れると、親のありがたみがわかるかと思ったが、それほどでもなかった。相変わらず、ギャンブル三昧の父親に対する嫌悪感は変わらなかった。
 そんな父が、胃がんを患ったのが、今から7年前。俺が34歳のときだ。手術をしたが、リンパをはじめ、体中に転移していたため、がん細胞を切ることなく閉じたという。親父はそんなことも知らず、「笑ったら、体は良くなるらしいぞ」と、ケーブルテレビの落語番組ばかり見ていた。
 ペナントレースがあったので、2週間に1度のペースでしか、見舞いに行けなかった。みるみるうちに、やせていくのがわかった。少し前までは、横になって、テレビを見ていたが、1か月もたたないうちに、テレビに背を向けて、目をつむるようになった。
 ある日、何か、言いたげな表情をして「やっぱり、やめとこか」と、もらした。
「どうした?」
 そう聞くと
 「スーツでも着て、葬式用の写真でも撮ろうかと思ってな。でも、まだ早いか」
 「おう、まだ早いな」
 弱弱しくなっていく親父の姿。165センチ85キロというずんぐりとした体型だったが、一気に小さくなっていった。やせこけた顔が、自分の顔に似ているな、と思った。こんなときになって、初めて親子を実感した。
 闘病生活は3か月。最後は家族に見守られ、静かに逝った。その数日前のことを母親から聞いた。
「一郎を呼べ」
親父はベッドに横たわったまま、言ったそうだ。母親は、薬の副作用で膨れ上がった親父の足をさすりながら、答えた。
「一郎は試合で東京ですよ。すぐには無理よ」
「そうか・・・。『天国に行く』と伝えておいてくれ」
かすれた親父の声に、母親は「そんなこと言わないで」と泣き崩れたという。
亡骸となった親父を前に、自分自身の生き方が問われているような気がした。素直に「ありがとう」といえなかった自分。恥ずかしい思いでいっぱいになった。

 記者会見を終え、席を立つとき、もう1度、親父のほうを見た。しかし、そこにはもう、だれもいなかった。

 事故

 引退後は、エミと結婚し、大阪のなんばでおにぎり屋を開くことにした。食事はタブレットが常識というこの時代に、もう1度、食の楽しさを見直してほしかったからだ。店の名前は「サムライ」。BGMは「Baseball kids Rock」のみだ。エミも賛成してくれた。
 しかし、事故は起こった。
 その日は、買い物に行ったエミの帰りが遅かった。骨董品屋で、レアなソフトでも見つけたのか、その程度にしか思っていなかった。午後10時。さすがに遅すぎ、そわそわしているところだった。携帯電話が鳴り、ビクッとした。
 「もしもし。警察ですが」
 「は?」
 「石嶺さんの携帯電話ですか?石嶺エミさんが交通事故にあわれました」
 昨日、籍を入れたばかりで、「石嶺エミ」という名前に違和感を覚えたが、そんな場合ではない。マンションの下でタクシーをつかまえて、病院に向かった。
 集中治療室にいたエミは虫の息に見えた。というより、エミかどうか判別がつかないほど、顔の形が変わっていた。医者に呼ばれ、説明を受けた。
 「命の別条はありません。ただ・・・」
 「ただ?」
 「申し上げにくいのですが、奥様は顔を含め、全身の整形手術を複数回行っております。車の軽い接触事故を起こした拍子に、まだなじんでいなかったips細胞がはがれてしまっています」
 「ん?ips?」
 まさか。エミがips移植に手を出した?信じられなかった。俺に初めてくれた手紙に「ips移植をしてる選手なんて」と批判的なことを書いていたはずだ。それがどうして?
そうか。そういうことだったのか。なぜ、エミが俺の理想に近い外見だったのか、合点がいった。鼻がゆがみ、口がとれかけているエミの顔をのぞきこみ、声をかけた。
 「大丈夫か?でも、どうして?」
 「だって。あなたに好かれたかったから。ファミスタも、音楽も映画も、あなたのインタビュー記事を調べまくって、勉強したの。でも、外見だけはダメだった。それで、あなたから連絡をもらってから、1週間待ってもらったでしょ。あの間に、全身を手術してもらったの。そして、定期的に修正してもらったわ。でも、ダメね。時間をかけて、細胞をしみこませていなかったから、こんな顔になっちゃった。ごめんなさい」
 しばらく、沈黙が続いた。俺は、いった。
「俺は、エミと別れる」
 エミの目が涙でいっぱいになるのが分かる。俺は続けた。
「俺は、新しいエミと一緒に暮らす。顔なんてどうだっていい。身長なんてどうだってい。一緒におにぎり屋、成功させよう。休みの日は、ファミスタやろう」
 エミは、涙を一気にこぼしながら、答えた。
 「本当に?ありがとう。でも、ファミスタはもうごめん。私、まったく興味ないの。ファミスタって古くさい」
 俺は固まった。世の中、本当にどうかしている。苦笑いを浮かべるしかなかった。

 最期

 あぁ。気分がいい。モルヒネがしっかり効いているからだろう。まったく痛みを感じない。71歳。ちょうど、親父が胃がんになった年齢だ。まさか、同じ年に、同じ胃がんになるとは。これもまた、親子の証か。
 俺はその後、人相の変わったエミと一緒に、おにぎり屋を成功させた。沖縄産のアグー豚を使った「アグーにぎり」がヒットし、いつも行列ができるほどに。エミは2人の息子を授かり、2人とも独立していった。やり残したことはない。
 少しずつ意識がぼんやりとしてきた。人生の終わりが近づいているのが、分かる。少しだけ開いたまぶたの向こうには、家族みんなが集まってくれている。心拍数が乱れるたびに、表情が曇る。そんな悲しそうな顔をしないでほしい。俺は今、幸せなんだ。本当にありがとう。ありがとう。何度いっても、いい足りない。口が動く間に、この気持ちを伝えておいて良かった。
 俺は、大切な何かを失ってしまうような気がして、ips移植をしなかった。今ここで、その選択が間違っていなかったことがはっきりとわかった。その大切な何かとは・・・。

 病室に「ピー」という音が響き、心拍数が「0」を示した。エミはまだあたたかい夫の手を握り、「ありがとう」と何度もくり返した。

 エピローグ

 23世紀。世間では、ips移植が進み、ついに人が死ななくなった。病気になれば、内臓を取り替え、見た目が気に入らなければ、自分の細胞で整形手術をする。人類は永遠の命を手に入れたのだ。人口増加の心配はない。自分たちの生活を守るために、生殖活動をしなくなった。性欲は、それぞれが3D映像を見ながら処理するようになった。

 「あぁ、今日が最後か。それにしてもひまやなぁ」
 町のはずれにある葬儀屋の火葬担当が、ゴシップばかりの雑誌を読みながら、時間をもてあます。
「そうですねぇ。でも先輩、明日からはウハウハちゃいます?」。後輩の声に、「せやな」と相づちをうつ。せめて、今日ぐらいはゆっくりさせてもらうか。
そこに、珍しく一体のお客さんが舞い込んできた。桐の棺桶に入っているのは、どこかで見たことがある顔だった。
「これ、サムライちゃいます?石嶺一郎。知りません?」
「あぁ、懐かしいなぁ。最後の生身のプロ野球選手の」
そんなたわいもない会話をしながら、棺桶を焼却炉にポンと押し込み、赤いボタンを押す。「ゴー」というけたたましい音とともに、遺体は灰になっていく。
「最後のお客さんやな」。2人はたばこをくゆらせながら、サムライが燃え尽きるのを待っていた。

 翌日。この葬儀屋は、業種変更を役所に届け出た。新たな業種は「医療廃棄物焼却場」だ。医療廃棄物とは、ips移植で不必要になった内臓や、体の部位だ。初日から、使い古された腕、足、心臓などを山積みにしたトラックが、焼却場の前に行列をつくったのは、いうまでもない。

サムライ

サムライ

今年も新しいプロ野球球団ができます。将来は、こんな会社がスポンサーになってたりして・・・。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-06

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