朝、雪の降る寒い日

朝、雪の降る寒い日

一匹の黒猫と女の子の話。

私の母は地域猫活動というものをしてました。
地域の野良猫に、餌を与え、不妊去勢手術を行い、近隣住民に迷惑のかけないようにのらを育てる団体です。
その活動を見ていて思いついた作品です。

真っ白くなって、クロが死んだ。
雪がシルクのベッドのように、クロが安らかに死んで行くように、そう思えて仕方がないくらい、今、とてもはかなかった。しかしクロの表情は険しかった。安らかとは決していえない表情であるのにもかかわらず、それさえも雪は優しく、残酷に包み込んで、クロを安らかに眠らせていた。

クロと初めて会ったとき、彼女は飼い猫だった。「だった」というのは、今はもう野良猫という意味で、それは飼い主にとっても、クロにとっても、ましてや私にとっても思いがけない出来事だった。クロは隣人の愛する娘だった。よくある話で、子供がいない(もう社会に出て家を出て行ったのか、それとも元々子供がいなかったのかは知らないが)老夫婦の大切な娘だった。垣根のほんの小さな隙間から、縁側に座るおじいさんのひざの上で、ゴロゴロとのどを鳴らすクロをよく見ていた。鮮やかな黒のきれいな毛並みによく似合う鈴付きの赤い首輪を自慢げに歩いていたのもよく見かけた。

猫は基本、人が近づくと逃げてしまうが、クロは違っていた。自分から近づくことはなくても、赤い首輪を自慢したかったのか、物陰に隠れることはなかった。高い塀に登ったり、少し距離を置いたり、自分から近づくことはなくとも。『逃げる』ことはしなかった。

一度だけ老夫婦の家にお邪魔したことがあった。母方の実家に帰った際、たくさんの野菜を持たされ、私の家だけでは食べきれない量だったので、母がその老夫婦に届けるよう、私に頼んだのだ。いわゆる『おすそわけ』というやつだ。しかし量は『おすそわけ』というほど、軽いものではなく、私が一人で持つのがやっとな量だった。二人暮らしの老夫婦がこんなにもらっても、逆に迷惑ではないかと、心配してしまうほどだった。しかしチャイムを押して、出てきたおばあさんは、野菜を見て「おすそわけです。」と私が言うなり、温かい笑顔で「ありがとう。」と本当にうれしそうに言ってくれた。それで気分がよくなった私は「重たいので仲間で運びますよ。」と声をかけ、つきあたりにある台所まで運んだ。台所から玄関に帰る廊下で、クロを抱いたおじいさんが、おばあさんと同じ温かい笑顔で「ありがとう、重たかっただろうに。」と言ってくれた。「お隣ですし、大丈夫ですよ。」と私も笑顔で答え、クロに目線を落とし「可愛いですね。」と手を差しのべた。猫や犬は怖がるから下から喉を触る方がいいと、昔誰かに教わっていたから、その通りにした。クロは少しビクっとしながらも、すぐに慣れ、目を瞑り、気持ちよさそうにゴロゴロとのどを鳴らした。それを見るなり老夫婦は驚き「この子が私たち以外に喉を鳴らすところを初めて見た。」といった。その事実に私も驚きながらも、「きっとよく私のことを見かけているだろうし、おじいさんの腕の中にいるから安心しているのですよ。」と言っておいた。自分が特別クロに好かれているとは思えなかったし、正直に言うと、それしか理由が思いつかなかったからだ。

私が初めてクロを触ってから、数か月がたった後、老夫婦の家は火事にあった。冬の寒い日で、放火魔の仕業だったらしい。老夫婦は逃げおくれ、もう人の形さえもしていなかったという。消防隊員によって火が消されるころには、真黒にこげ、クロの鮮やかな黒とは違い、鈍くてむごい焦げた人の跡があるだけだった。野次馬の先頭に、私とクロはいた。私の足元にクロが寄ってきたのだ。自慢の首輪ンの赤とは違う、悲しい赤が、クロの目に映っていた。もう遅いと、もう戻ってこないと、あののどかに喉を鳴らせるだけだった。野次馬の先頭に、私とクロはいた。私の足元にクロが寄ってきたのだ。自慢の首輪ンの赤とは違う、悲しい赤が、クロの目に映っていた。もう遅いと、もう戻ってこないと、あののどかに喉を鳴らせる日々は帰ってこないのだと、悟っているように。
そしてクロは野良猫になった。近所から評判の老夫婦だったから、クロを引き取ろうという人は、何人かいたが、やはりクロは誰にも近づこうとはしなかった。餌あたえようとしても、クロは人がいると、その餌に手をつけようともしなかった。そのため引き取ることを諦め、近所の人たちは、きまった場所に餌と水を置くことにした。小さいころから飼い猫だったクロにとって、野良生活は容易いものではなかったはず。プライドが高いクロだったが、人がいなくなると、彼女はその餌をありがたく受け取っていた。(えさ入れが空になっているところは何回か見たが、食べているところは見たことがなかったので、「ありがたく」というのは、あくまで憶測にすぎないが)そんな微妙な、クロとご近所さんたちのやりとりは、クロが死ぬ数年続いた。クロが今日の今まで生きてこらたことは、少なからずご近所さんたちの優しさもあるだろう。臆病で、それでいてプライドの高いクロが、最後にできた恩返しは「ここを死に場所に選んだ」ことのように思える。
1月の初め。深夜から降り続けた雪のせいで、町中が真っ白になった今日。クロは老夫婦と一緒に暮らしていた家(今は空き地)で、真っ白になって死んでいった。苦しく、険しい顔をしたまま、途中で力尽きたように倒れ、そしてそのまま目を閉じていったのだろう。誰にも気づかれることなく朝を迎え、ボロボロになった自慢の赤い鈴付きの首輪とともにクロは息をひきとった。

最初に気付いたのが自分でよかったと思った。特別な関わりがあったわけではない。強いて言うなら、一度触れたことがあるだけ。正直クロのことを思い出すことなんて、空になった餌箱を見るときだけだったのに、なぜか涙が止まらなかった。

積もった雪に私の涙の跡が残り、また雪がそれを優しく包んだ。学校に行かなければならない時間なのに、足が動かず座り込んでいたら、ご近所さんの一人が通りがかった。声をかけ「私もさっき気付きました。」と言ったら、「ああ。」とその人も静かに涙を流した。「餌を置くだけで、触らしてはくれなかったけど、やっぱりいなくなると寂しいね。」といった。また涙があふれ、しゃべれなかった私は、大きくうなずいて、また素直に涙を流した。

しばらくして餌やりをしていたご近所さんが集まり、クロの墓作りが始まった。そのころには私も落ち着き始め、遅刻であったが、歩いて学校に向かうことにした。雪はやみ、太陽が顔を出しはじめていた。朝とは違う明るい通学路を歩きながら、クロのことを考えた。

きっとこんなにクロのことを考えることはもうない。一か月、半年、一年と過ぎれば、クロを思い出すどころか、クロの顔さえも忘れてしまうだろう。でもクロが私に大切なことと、温かい気持ちを与えてくれたことは忘れない。
今の、この気持ちを忘れないようにしよう。

そうしたらクロは私の中でずっと、赤い鈴付きの首輪を自慢することができるのだから。


  End

朝、雪の降る寒い日

実家で黒猫を飼っています。
まだまだ健全な彼女ですが、いつか先にいってしまうと考えただけでも泣けてきます。

人はそれぞれ
動物もそれぞれ

みな命あるものです。

朝、雪の降る寒い日

1月の初め。深夜から降り続けた雪のせいで、町中が真っ白になった今日。クロは老夫婦と一緒に暮らしていた家(今は空き地)で、真っ白になって死んでいった。苦しく、険しい顔をしたまま、途中で力尽きたように倒れ、そしてそのまま目を閉じていったのだろう。誰にも気づかれることなく朝を迎え、ボロボロになった自慢の赤い鈴付きの首輪とともにクロは息をひきとった。 (作品より抜粋)

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-06

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