みられている

夫のおとうさんがなくなってしまったとき、お葬式のあとで家にかえってきて、すぐ(内容はよく覚えてないので、いつものようにたいしたことではないのだろうけれど)確かにケンカして、そのときさっさと先に寝ていびきをかいている夫にはらわたが煮えくりかえり、私ははらいせに夫の携帯に少々荒れた怒りのメールを送ったのだった。
目覚めたときそれを読めばいい、と思って。がそれをしてすっきりしてベッドにもぐってすぐ、私の手がいきなり冷たく冷えてきて、重たいし、どんどんこわばってきた。
私はとっさに気づいた。あ、おとうさんが上からみている! みられている! 今までこんなことはなかった、今まであのおとうさんが私たちのケンカに気づくなんてことは一度もなかったのに、と思ったらぞっとして、夫の携帯をみてみると、私のメールは確かに受信されていたのだが、夫は寝ているからもちろん未読で、そのうちにもどんどん私の手は圧倒的な冷たさに逃げ場もなく追い詰められていくようだった。
それは冷気と言う言葉が一番似合うような、ほんとうに冷たくて冷たくて、私は耐えられなくなってメールを削除した。そしたらふわあっとなにか抜けてゆくようにすぐに手がやわらかくなってきて、あたたかくなってきて、よかったよかった、読まれなくてよかった、などと思いながらいつしか眠ってしまった・・・・

それから何ヶ月かたってケンカなどしても、なんにも反応はなかったので、亡くなってまもないあのとき一回きりの体験である。しかしその体験によって、死んですぐは、魂がそこらへんをうろうろしているという説を、私は信じてしまっている。
あの冷たさは、この世ではちょっと味わえないような、冷たさだった。氷とか雪とか、そういうさらっとしたタイプのものではなくて、どちらかというと、からみついてくるような、冷気でぐるぐる巻きにされるような、もしも、そんなところにいるとしたら、やっぱりこのような肉体をもった状態では、生きてゆけないだろうと思った。
死んですぐの魂が、その冷たさのど真ん中を、あてもなく徘徊していると思うと、厳しさに胸がやられそうになって、しかし、やられそうになっているその胸はあたたかくて、ケンカしても笑っていても泣いていても、その胸はあたたかくて、時々うっとうしいくらいあつくなったりして、またジメジメとしめっている、ええかげんに、年をとっているというのに、まるで、いつまでも、生まれたてのように、わたしの胸わたしの好きな人の胸も、あたたかくて、しめっている、傷ついてがっかりして怒ったりうちのめされたりしながら、あたたかくて、しめっている。

みられている

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  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-11

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