悲しい人形と壊れた人間の街7
7. 悲しい人形の街
外はすっかり暗くなっていた。バスの車内には古臭い明かりが灯り、湿っぽい匂いが漂っていた。気分は絶望が詰まった闇の中を浮遊し、思考は果てのない平原を歩き続けていた。何も通さない幕で被われた心の周りを、行きどころのない記憶や感情が彷徨い、その様子を上からぼんやり見ているようだった。
「ここを知っていますか?」前の座席に座る斉藤二郎が言った。
大輔は自らの顔が映る窓の奥に広がった闇に目を凝らした。ずっしりとした夜が落ちた荒地に意味のない壁のようなものが見えた。そしてそれが見覚えあるバリケードだとすぐに分かった。ほとんど崩れ落ちた土製のバリケードは空しく夜空を見上げていた。
「道路が村を潰したようです」窓に映る二郎の顔は無表情だった。
村は根こそぎ形を失い灰色の道路になっていたが、村の雰囲気の欠片がぽつりぽつりと道路の周りに落ちていた。村を取り囲んでいた丘の稜線は少しも変わらず、畑は形を変えずにそのまま死んでいた。死んだ人間の顔が浮かび上がると、焦げ付いた感情が微かな異臭を放ち出したが、それはすぐに空気に散った。
「私の村も……鷺の村と言いますが、この道路に潰されました。息子はその時死にました」
「どうして……死んだの?」大輔の声は自然と大きくなっていた。
「村のためにと言って自ら命を投げ出しました」
「道路が無ければ、息子さんは死ななかった?」
「たぶんそうでしょうね」
大輔は立ち上がって運転手のところまで歩き、そして話しかけた。「少しだけ止めてもらえるかな?」
「構わないが、長い時間は無理だぞ。バス停以外では偉そうに止まれないんだ」
バスが速度を緩め、路肩に車体を寄せた。エンジンの音が止むと深い静寂が訪れた。
「トンカチを持っている?」大輔が運転手に訊いた。
運転手は運転席の下から道具箱を取り出した。「この中にある」
「ありがとう」大輔は道具箱の中からトンカチを取り出した。
大輔と斉藤夫妻はバスを降り、道路の脇で三角形を作るようにしてしゃがみ込んだ。耳澄ましても車の音は聴こえず、遠くを見ても車のライトは見当たらなかった。
「何をするんですか?」
「道路を壊すんだ」大輔はトンカチを振り上げた。大輔は憂鬱な気分をコンクリートに載せて、それを叩き割るようにトンカチを振り下ろした。
耳を塞ぎたくなるような悲しげな音が、闇の奥に向かって響いた。
道路には埃のような小さな傷がついていた。
「トンカチを振り下ろしても道路は壊れない。ろくな傷さえ残せない。代わりに僕は大きな傷を思い出した」大輔はトンカチを二郎に渡した。「叩いてみて。道路は途方もなく大きくて、失ったものはもう戻らなくて、自分は無力で、とても悲しくなるから」
二郎はトンカチを手に手にすると、そのまま振り下ろした。
「悲しいかい?」大輔がそう聞くと、二郎は絹子と目を合わせてから首を横に振った。
大輔は立ち上がり、斉藤夫妻と一緒にバスに戻った。
「道路はトンカチで叩いても壊れないぜ」運転手が小声で言った。「大きな人工物はみんなただの象徴に過ぎないんだ。象徴を消したければ元の本質を壊さないといけない」
「止まってくれてありがとう。トンカチは返しておくよ」
バスはまた静かに動き出した。少し走ると、闇の中に輝く大きな街が見えた。街には、沢山の光の粒が建物に付着したり、道路を縁取っていたり、走る車に載っていた。
突然、力が抜けたような音と共にバスの速度が落ちると、道の端にバスが止まった。「客だ」と運転手が言ってドアを開けると、長袖の赤いワンピースを着た女の子が乗ってきた。女の子は不安定な歩き方で車内を縦断し、最後列に辿り着くと「ここに座ってもいい?」と大輔の隣を指した。
「もちろんいいよ。ところで君は一人かい?」
女の子は頷いてから、大輔の隣にちょこんと座った。
「こんなに夜が深い時に一人で外に出ては危ないよ。君は何才?」
「九才。名前は明美。夜に一人でバスに乗るくらいなんともないよ」
バスが動き出した。明美は肩にかけていたバッグを膝の上に置いた。
「そのバックには何が入っているんだい?」
「内緒。すごく大事なものが入っているの」
速度が落ち着くと二郎が前の席から振り向いた。「両親が心配するんじゃないですか?」
「お母さんはいないし、お父さんは明美を叩いたりするだけで心配なんてしないよ」
「よく叩かれるの?」バスの中で一切口を開かなかった絹子が明美に顔を向けて言った。
「うん。背中にも胸にもたくさん傷があるよ」
「背中を見てもいいかしら」
「いいよ」明美は絹子に背中を向けた。絹子は立ち上がって明美の首筋から背中を覗き込んだ。感情を持ち合わせない絹子の表情に若干ではあるが別の色がさした。
「あなたも見て」と絹子が大輔に言うと、明美がくるりと背中を大輔に向けた。明美の背中には無数の切り傷が赤く浮き上がり、打撲の跡が皮膚の一部を深い穴のように黒ずませ、皮が剥がれた部分が乾いて赤茶色になっていた。
「お父さんから離れたいとは思わないのかな?」二郎が優しい顔で言った。
「思うよ。でもお父さんから離れたら、ご飯食べられないから」
「君の家に行ってみてもいい?」大輔は言った。「お父さんと話をしたい」
「いいよ。お父さんを倒してくれるの?」
大輔は首を振った。「話し合うんだ。ところでこのバスは君の家の近くまで行くの?」
「そんなの分からないよ。寂しそうなバスが来たからつい乗ってしまったの」
「どこに行けばいいんだ」運転手が突然声を張り上げた。
「僕らの話、聴こえていたの?」大輔が声を返した。
「当たり前だろ。何年バスに乗っていると思っているんだ。大抵の話し声は聞き取れる」
「この子の家まで行って欲しいんだけど」
「こいつはタクシーじゃないんだぞ」運転手はハンドルを軽く切りながら言った。「でも乗客が皆して同じ場所に行きたいのなら、バスはその場所に行くべきだと俺は思う」
明美が運転手に場所を告げると、バスは大きな道路を外れて街に散らばる光の粒に紛れていった。
―9―-
街の中心に近づくにつれて、光の粒の間隔が狭まっていった。建物は高くなり、人と車の量が増え、たくさんの音が混ざり合う意味の無い騒音に囲まれた。バスは歩行者にも抜かれるような速度でちょろちょろと走り、時間を掛けて繁華街を抜けた。
繁華街を抜けて、大通りをしばらく走ると道路が二手に別れた。一方は繁華街を水で薄めたような雰囲気が続く太い道路、もう一方は古びた電燈が並ぶ暗くて細い道だった。バスは細く暗い道を進んだ。
道の大部分にはひびが入り、端にある歩道は崩れかけていた。道沿いには、何もない暗い空き地がしばらく続いてから、古臭い建物が並び始めた。せいぜい二階建ての建物は、歴史を感じる古さはなく、ただ長年の汚れが壁に浸み込み、人間がひたすら空気を汚し続けてきた罪深さを切なく表現していた。電灯は消えかけた魂のように弱々しく、標識はそのたった一つの役目すら果たせずに黒い泥に塗れていた。
道を進むにつれて微かな明かりはより小さくなっていったが、真っ直ぐ続く道の先には妙な明かりに包まれたずいぶんと大きい建物が見えた。バスはその建物に向かっているようだった。
「着いたよ」その大きな建物の前でバスが止まると、明美が言った。
「大きな家だね。君のお父さん以外にも誰か住んでいる?」大輔が訊いた。
「住んでいるというか。いつも家には男の人がたくさんいるよ」
「行きましょう」二郎は絹子の手をとって立ち上がり、バスの出口に向かった。大輔は明美と手を繋いでバスを降りた。運転手はエンジンを切り、「ここで待っているから必要なら起こしてくれ」と言って座席を倒した。バスは生気のようなものを失い、完全に夜更けに溶け込んだ。
建物の前は砂利の平地が広がり、五台の車が停めれれていた。建物は闇の中に輪郭を隠して不気味な程大きく見えた。正面には両開きの茶色い戸があり、その脇に灰色の背広を着た男が一人立っていた。男は大輔達を見ても興味なさそうに眺めるだけで、他には何の反応も示さなかった。茶色い戸の前に立っても男が声を掛けてくることはなく、明美も男が見えていないかのような様子だった。戸を開くと、白い壁に囲まれた四角い空間が現れ、その奥には一つドアが見えた。玄関と言うには閉鎖的過ぎるし、子供部屋と言うには温かみに欠けていた。空間の隅には、ぼろぼろの白いドレスから顔と手足を出した木製の人形が置かれていた。
人形は口を震わせて笑っていた。
「なぜ人形がここにあるのでしょうか……」二郎が呟いた。
「この人形は私のお友達だよ」明美は人形の頭を撫でた。
「その人形、誰かにもらったの?」大輔が訊いた。
「お父さんがくれたの」
明美は人形を抱えると、体を倒して床の上を転がり始めた。動きは無邪気だが、顔は無表情だった。何回か部屋の中を往復してから、明美は転がることを止めて仰向けになった。「一緒に転がると、この子の声が聴こえるんだよ。彼女は寂しがりやなの」
ガチャと音を立てて奥のドアが不機嫌に開いた。入って来た男は顔を紅潮させて一通り眺めると、表情をがらりと変えた。「何でお前達がここにいるんだ?」
「あなたが……」大輔は声を詰まらせた。「あなたがこの子の……父親……」
沢崎は顔を大きく歪めた。「そうだ。何だお前は。何しに来やがった?」
大輔の腹の深くに、どろどろとした恐怖や絶望が過去から押し寄せてきた。それをどうにか押し込めて口を開いた。「この子が……、父親からひどい暴力を受けていると聞いて――」
「もしかして説教しに来たのか」沢崎は口の片端を上げた。「お前は、自分の家族をバリケードに閉じ込めて殺したんだぞ。それに、このじいさんも自分の息子を自殺させた。そんな奴らが俺の暴力に文句つけるのか。本当に馬鹿だな。だから村が潰れるんだ」
「私が……息子を……」二郎がきょとんとした顔で言った。
「俺はあんたの息子にこう言った。『お前の両親が土地を譲らないなら両親を殺す』ってな。そしたら息子は村民を暴力的に村から追い出し、散々憎まれてから自殺した。あんたらが頑固に土地を譲らないからそういうことになったんだ」
「私は……ただ……」
「道路を通すためにな、お前達の二つの村の他にあと三つの村を壊す必要があった。だけどその三つの村の村長はすぐに土地を俺達に売った。本当に利口だよ。それに比べてお前達は馬鹿だった。お前達の無駄な意地のせいで少なからずの人間が傷つき、そして死人が出た。村から離れた奴らはここらで静かに暮らしている。お前達は誰かを幸せにしたのか?」
「村を敵から守ろうとするのは当然のことじゃないか」大輔は動揺を抑えて何とか言った。
「お前の顔は本当に腹が立つ」沢崎は大輔にそう言ってから、顔を強張らせて明美に手を伸ばして髪の毛を引っ張り上げた。「何でこんな奴らを家に入れたんだ?」
「やめろ」大輔が沢崎を抑え込もうと大きく一歩踏み出した瞬間、固く握られた拳が大輔の顎を撃ち抜いた。脳が揺れ、目に見える世界が歪んだ。大輔は腰から崩れ落ちていた。
沢崎は明美の髪の毛をもう一度引っ張り上げた。
「やめて下さい」二郎が沢崎の腕を両手で抑えた。「この子は悪くありません」
「汚ねぇ手で俺に触るんじゃねぇよ」沢崎は二郎の手を振り払うと、冷え切った目で明美を睨みつけ、白く柔らかな頬を引っ叩いた。明美が床に転ぶと、沢崎は横たわる明美にめがけて、石ころを雑に蹴るように足を引いた。足が振り下ろされる瞬間、二郎がその間に飛び込み、明美を自分の懐の中に抱えた。沢崎の足は躊躇することなく二郎の背中を蹴りつけた。「じじい。邪魔だ!」
沢崎が再度足を引いた時、絹子が片方の足にしがみついた。
「ばばあ。何してんだ」沢崎は平手で絹子を殴りつけた。
絹子は体を震わせながら必死にしがみついていたが、沢崎が自由なほうの膝を絹子の顔面に打ち付けると、絹子の手が解かれた。両足が自由になると沢崎は助走を付けて二郎の腰辺りを蹴り上げた。体が小さく浮き上がったが、二郎は明美をしっかりと抱き隠していた。沢崎は趣味の悪いダンスを踊るかのように、何かのリズムを刻みながら二郎の背中や頭を連続して蹴りつけた。
「やめろ……」大輔は脳震とうをしたまま立ち上がった。世界は相変わらずふらふらしていた。大輔は辛うじて足を進め、二郎の隣に倒れ込んだ。「大丈夫かい。二郎さん」
「この子を守って下さい。この子を抱えてこの家から逃げて……。早く……」
すぅすぅ。二郎の懐から鼻をすするような音が聴こえてきた。
「泣いてる」明美は二郎の腕をどけて立ち上がった。胸には人形が抱えられていた。
人形が涙を流していた。
「大輔達は九人の男達と共に外に出てバスに向かった。大輔は明美の手をつなぎ、明美はぼろぼろの白いドレスを着た人形を抱えながらふらふらと歩いていた。
運転手は気持ち良さそうに寝ていたが大輔は気にせずに声を掛けた。「お願いがあるんだ」運転手は目をこすりながら体を起こした。「どうしたんだ。ずいぶん人が増えたな」
「これからもっと増えるかもしれない。この周辺にいる人達を今すぐたたき起こして、このバスに乗せたいんだ。つまりクラクションを精一杯鳴らしながらこの道を何度か往復して欲しいんだけど、お願いできるかい?」
運転手は腕時計に目をやった。「普通の人は熟睡している時間だぞ。叩き起こして、俺がとんでもなく大きな恨みを買うことはないだろうな」
「大丈夫だよ。怒られたら僕のせいにすればいい」
運転手は迷うことなくエンジンを掛けた。それだけで静かな夜に十分大きな音が生まれた。バスにライトが灯ると、暗い砂利の駐車場に夏祭りのような雰囲気が少しだけ紛れ込んだ。
石を削っているかのような音を立てて、バスは古く汚れた建物の間を走り出した。初めに鳴らしたクラクションは、古代に空を制していた巨大な鳥の鳴き声みたいに、夜空の星を落としかねない空気の震えを起こした。それはそれから何度も続いた。
バスが道を一往復して戻ると、道の両側から静かなざわめきが起こり、操り人形にように不格好な歩き方をした人々が建物から出て来た。
「すごい音だったよ。普通なら絶対怒られる」大輔は運転手に言った。
「普通なら逮捕される」運転手は笑った。「それにしても静かな場所でクラクションを鳴らすっていうのは気分がいいものだ」
「もう一つお願いがあるんだ。僕と二郎さんをバスの上に登らせて欲しい。明美ちゃんと絹子さん、他の男達は中に乗る」
「全くお前はバスというものを全く分かっていない。バスは目覚まし時計でも、劇場のステージでもないんだ。別のバス停まで移動するためにあるんだ」
「天井に乗るのは良くないかな」
「俺は一般的なバスの説明をしただけだ。これは一般的なバスじゃない」運転手は座席から降りると、バスの中央にあるトランクを開き、脚立を取り出した。「このバスは誰かが天井に乗ることも想定済みだ」
「ありがとう」大輔は脚立に足を掛け、バスに上った。そして二郎も続いた。
「人が集まっているところで停めて欲しいんだ」
「あいよ」運転手は脚立を片付けながら返事をした。
バスが砂利を鳴らしながらゆっくりと動き出した。大輔と二郎はバスの上で手をついて体を支えた。
道の先には数十人の人影がバスのライトに照らされていた。
バスが完全に停止すると、大輔はバスの上に立ち上がり地上を覗いた。目に入ってきた光景は、脳にしみ込むことなく拒絶された。何度か瞬きをして、何度も同じ映像を脳に送り込むと、ようやく巨大な恐怖がこみ上げてきた。体の血流が一気にその向きを変え、体が硬直し、口は開いたまま呼吸をすることを忘れていた。
それらは人ではなく、全て木製の人形だった。
人間の大きさをした数十体の人形は、体をカタカタといわせてバスの周りに立っていた。
「人間が何しに来た」一体の人形が言った。
大輔は声を出すことが出来なかった。
「お前は大輔だ」別の人形が言った。
「もう一人は村長だ」また別の人形が言った。
「あなた達は……」大輔はようやく声の出し方を思い出した。「人形……?」
「そうだ。お前達の仲間に渡された人形だ」
「彼らから全てを奪った……」大輔の声は震えていた。「彼らは死んでしまったのかい……?」
「人間達の全ては我々に移った。記憶も含めて」
「人間は家で静かに転がっている」
「あなた達は……彼らではない」大輔がそう言うと、人形達がカラカラと笑った。
「当たり前だろ」
「彼らの記憶があるだけで、我々は彼らではない」
「そうだとしたら」二郎が太い声を響かせた。「全てを彼らに返してやってはくれないか」
「なぜだ。我々は人間達が不要になったものを取り除いた」
「感情も記憶も彼らは要らないと言った」
「なぜ今さら返す必要がある――」
「僕達は」大輔は声を張って人形の声を遮った。「仲間を救いたいんだ」
「お前は裏切られただろう」
「彼らを助ける義理はないだろう」
「あんな奴らは忘れて我々と仲間になればいい」
突然バスの扉が開き、白いぼろぼろのドレスを着た人形が出てきた。
「あなた方は我々と仲間になればいい」
「君は……」大輔の声がまた震えだし、自然と目から涙が落ちてきた。「明美の人形……」
「明美は私の人間」
「明美を返してくれ」
「それは出来ない。明美は苦しみ、生きることを諦めた」
「苦しみながらでも……」大輔は口に入った涙を飲み込んだ。「明美に生きて欲しい」
「明美は生きている。だけど動かない。少し前の我々みたいに」
「人間の言うことは勝手。我々は人間の耐え切れなかった不幸を引き取った」
「いつも我々は不幸になり、人間は楽になる」
「我々は幸せの中では生まれない。我々は不幸の中でしか生まれない」
「我々の中には人間の貯め込んだ苦しみが流れるだけ」
大輔は人形一体一体の目をしっかりと見た。全ての人形の目からは涙が流れていた。しとしとと流れる涙は止まることなく、木製の顔に深い染みを作っていた。人形は口々に言葉を発し続けた。その言葉のどれもが助けを求めているように聞こえた。人形達はひどい絶望の中に生きていた。
大輔は大きく息を吸った。「僕らがあなた達を幸せにする」
「お前達が我々を幸せにする?」
「お前達は我々に幸せをもたらすことが出来るのか?」
大輔は人形達を見回した。「出来る」
「我々は多くを望まない」
「この苦しみをひと時忘れさせる幸せが一粒だけあればいい」
「お前達は一体何をしてくれるんだ?」
大輔はしっかりと頷いた。「僕達はこれから一緒に一本の道を作るんだ」
人形達の純粋な目が静かに大輔に集まっていた。
「道の周りに村が出来て」大輔の声を夜風が運んだ。「そこに笑顔が咲く。友や恋人と心の底から笑い合う。時には悲しむけど友がまた笑い掛けてくれて、太陽と風が涙を拭ってくれる」
「それは幸せか?」
「我々はそれで本当に幸せになれるのか?」
「なれる。一緒に汗を流して村を作ろう。そして共に笑い合おう」大輔は夜空に向けて言った。
「我々と村を作ってくれるのか? 一緒に笑ってくれるのか?」
「そんなことが出来るのか?」
「出来る」大輔の声に二郎の声も重なった。
闇に深い沈黙が訪れた。風が三度ほど道の上を往復した。
「我々も……」人形がカタカタと体を震わせた。「村を作りたい」
希望が溶け込んだ声が続いた。全ての人形の目に不器用な光が灯っていた。
そして次の風が吹き始めた時、人形は次々と倒れていった。
倒れた人形からは表情が失われ、希望に満ちた目の光は完全に消えていた。
「彼らが……自分達が見つけた希望を人間に返してあげたんだ」二郎は両目から涙を流しながら言った。「仲間と人形達を連れて、どこか静かなところに村を作ろう」
大輔は頷いた。
夜空の星の光が地上に落ちてきて、人形達に優しい明かりを当てていた。人形達は相変わらず無表情のまま横たわっていたが、彼らが流した涙はまだ地面に染みを残していた。
風が何度か地面を撫で、涙の染みが完全に消えた頃、道沿いの建物から仲間達が現れた。
悲しい人形と壊れた人間の街7