悲しい人形と壊れた人間の街6

悲しい人形と壊れた人間の街6

酷い思い出 -後半

頭から厚い雲を被っているかのように、「麦色の村」には薄暗く湿っぽい雰囲気が漂っていた。ある日の夜、十五人ほどの住民が大輔の家に押しかけて来ると、三年前に村に住み始めた沢崎という四十代半ばの男が大輔の正面に立った。「今日はお願いがあって来たんです」
「何でしょうか?」大輔は穏やかに答えた。
「道路建設の件はご存じでしょう。道路が出来ればこの村は無くなり、我々は住む場所が奪われてしまう。新しいところに住むお金もない。だから我々は家の土地を売りたいと思っているんです」
大輔は家に押し寄せた人達を見渡した。村に来てから日が浅い住人ばかりだった。
「ここは僕の土地で、その土地を無料であなた方に貸しています。だからあなた方が土地を売ることは出来ません」
「でも我々は今の土地に自分達で家を建てて、ずっとそこに住んでいきたんですよ。我々は土地に対して投資をしてきた。我々にも土地に対する権利があるはずだ」
「申し訳ないですが、その権利はないと思います」大輔は即答した。
「あなた達は何か勘違いしているんじゃないですか」隣にいた紗希が強い口調で言った。
「女は黙っていろ」沢崎の声が急に尖った。
紗希は男達を睨んだ。「あなた達は土地に対して何一つの権利も持たないし、あなた方から私達が何か文句を言われる筋合いはありません。出て行って下さい」
「どうせこの村は潰れるんだ。今からいろいろ考えておいた方がいいと思うけどな」沢崎が顔を歪め声色を変えた。「このままだと村の形だけじゃなくて人も皆壊れちまうぞ」
沢崎達は乱暴にドアを開けて出て行った。
大輔は椅子に座ってはしばらく考えてから、家を出て村を歩いた。土の道を柔らかく踏みつけながら村の様子をじっくりと眺め、空気の香りを噛みしめた。村を半分過ぎると、息苦しくなるような不快感が湧きおこった。村独特の爽やかさが失しなわれ、ねっとりとした感情が浮遊していた。村の形は少しも変わらないが、人の表情が別人のように変わっていた。山から吹きこんできた静かな風は、ろくでもない会話が作り出した濁った雰囲気によって透明感を失った。その場所にいる人々が求めている物は、新鮮な野菜や、泥がついた笑顔や、村に響く元気な挨拶ではなく、数字で表すことが出来る分かりやすい利益だった。子供を笑わせることや老人を喜ばすことに脳を働かせることは無くなり、誰かを騙すことにひたすら頭を使っていた。村の半分は「麦色の村」ではなく、全く別の集合体になっていた。
その集合体に住む人達は、途中から住み出した人々だった。始めから一緒に住んでいる仲間は村の奥半分に家を構え、これまでと何も変わらない生活を送り、村の誕生から続く空気感を保っていた。麦色の村は見えない壁で二つに割れ、その壁は空気感の行き来を完全に遮っていた。村の道を歩いていると、その村を分ける境界線を越えたことをはっきりと肌で感じた。空気に溶け込んでいるものがまるで別々のものだった。
大輔は何回も村の道を往復し、深刻な状況を肌で理解した。日が沈んでから家に戻り、橙色の光を灯して椅子に座ると、まるで汚水が悪臭を放つように言葉に出来ない不快感が体に充満した。思考に集中したが、脳は解決策らしきものを導かず、少しも望んでいない未来の想像を繰り返し頭に浮かばせた。
突然、大希の泣き声が耳に差し込んできた。
「あなた……」紗希は泣き叫ぶ大希を胸に抱え、口を震わせていた。「畑が燃えて……」
絶望は瞬時に理解できた。大輔は椅子を転がして立ち上がると、畑が見える奥の部屋に走った。不自然な熱と、鼻を突く匂いを感じた。とうもろこし畑が黒い闇の中で煌々と燃えていた。人間の背ほどある緑色の茎が、茶色に変わり、次々に腰から倒れていた。それは人間が倒れ死んでいく様子と大して変わらなかった。倒れたとうもろこしは姿が無くなるまで燃え続けていた。
背後で何かが割れた大きな音がした。絶望によく似合うその音は、心をどんと重くした。
元いた部屋に戻ると、ガラスの破片が床やテーブルに飛び散り、血の付いた黒い石が床に落ちていた。窓には鮫が口を開けたようなギザギザした穴が空いていた。
紗希は大希を自分の胸に押し付け、割れた窓に背を向けていた。後頭部からは赤い血が頭に染み出していたが、紗希は柔らかい表情で大希の頭を撫でていた。
「頭から血が出ている」大輔は紗希に言った。
「大丈夫よ。それより道のほうからも煙の匂いがする」
割れた窓から熱が流れ込んでいた。それに混じる微かな煙の匂いは、何か大事なものの破滅を感じさせた。
外に出ると、道の突き当りに大きな炎が見えた。レストランが炎に包まれ、その存在を失いかけていた。
道には仲間達が呆然と立ち尽くしていた。叫びとなった怒りや悲しみは大きな炎に飲み込まれ、空しい余韻だけを残していた。土の道には、湖の底の汚泥のように黒くて汚い憎しみが溜まっていた。
積み重ねた時間を馬鹿にするように、レストランは一瞬で無になった。村を作った十人の男とその家族は、良い生まれ変わりを祈るような目でその最期を看取っていた。黒くなった燃え跡は、食事を楽しむ人の笑顔も、飛び交った冗談も、そのどの記憶とも繋がることはなかった。黒い残骸は、人間の遺骨と大して変わらない悲しみをまといながら横たわっていた。

「おい、原住民」
その声はその状況に全く不釣り合いな浮ついた声だった。声の元には沢崎が立っていた。
「沢崎……。何しにし来た?」新垣が重い声を出した。
「原住民が出す悲壮感を見に来たんだ。ちなみに俺達は元から住んでるあんた達を原住民と呼んでいる。農業しかしないし、頭も悪いからちょうどいい」
「まさか……、お前が火をつけたのか……」
「俺がやったんだ」沢崎は口端を持ち上げた。「俺はあんたのとうもろこし畑を手伝ってやった。火をつけて燃やしちまう権利くらいはあるだろ」
「ふざけるな……」新垣の体が震え出した。「ふざけるなよ」
「この村の欠点は平和過ぎることだ。だから俺みたいな悪者がいた時に対処できるだけのルールも準備もない。今みたいに俺がめちゃくちゃな権利を主張しても通っちまう。つまりあんた達は馬鹿なんだ。そして脆すぎる」
「この村にルールが無くても国にはルールがある」大輔が言った。「あなた達は裁かれる」
沢崎は濁った笑い声を漏らした。「国は神じゃないんだ。国の仕組みを決めているのは、たまたま集まった『人』だ。そして人の集まりには大抵の場合、権力という便利な概念が存在している。だから国の仕組みは権力を持つ数人の利害に基づいて出来上がる。そして俺は、その国の仕組みを作っている人間の利害に基づいて働いているから国に裁かれることはない」
「そんなこと、あるはずがない。国の正義がきっとここを守る」
「こんな田舎に閉じこもっていたら分からないけどな、ここは国から見えていない。正確に言うと、見えているけど見えないことになっている」沢崎は顔を歪ませて大輔を見た。「道路工事の予定が立ったのが三年前、俺がここに来たのが三年前、それがどうゆうことだか分かるか?」
「まさか……。最初から土地を奪う予定で――」
「その通りだ。俺の目的はこの村で綺麗な空気を吸うことじゃなく、この村から人を退かすことだった。俺はこの村に来て、まだ三十にもならないお前らみたいな若造にへこへこしながら、お前ら以外の住民に道路工事のことを伝えて家が無くなる危機感を根深く植え付けてきた。そしてこの前、お前から無料で借りていた土地を国に売っちまおうと提案すると、皆が賛成した。まったく笑っちまう。だが一度埋め込んだ欲はどんどん育つんだ。そしてその欲のせいで今日村の一部が燃えた」
「住民がとうもろこし畑とレストランを燃やしたのかい?」
「そうだ。新入り達が俺の放火を協力した。昼間、お前の家に行っただろ。お前は土地を売ることを許さず、住民は絶望した。『脅すしかない』と如何にも短絡的な方法を提案すると、すんなり受け入れられた。そして夜中に火が上がった」
「この村を手放す気はない。何をしようとも手放さない」
「そうだとすると……、村が燃えカスになっていくだけだ。明日、お前らの家は燃えちまうかもしれない。奴らは純粋で馬鹿だから何でもやる」
「そんなことさせない」大輔は自分の声の中に焦りを見つけた。「僕は彼らと戦う」
「あなた」紗希が横から大輔の腕を握った。「だめよ」
沢崎が呆れたように笑った。「今戦うと言ったよな。そしたらすぐに戦争を始めよう」
「何を言っているの」紗希が言った。「戦争なんか起きないわ。この村の人達は本当に穏やかだし、ここ数年で豊かにもなったわ。豊かな彼らに戦争をする理由なんてない」
「誰が豊かだって。奴らに金なんかないんだよ」沢崎は一段と笑い声を高めた。「あいつらは住む場所がなくなることを恐れて、俺が紹介した業者にちんけな財産を預けた。家を手に入れるには足りな過ぎるその財産で、次の住む場所を確保してやるという約束だった。だが、最近になってその業者は金を持って逃げた。あれはなかなか悲惨だったが、笑えた」
「それもあんたがやったの」
「当たり前だろ。豊かだったら戦争も崩壊も起こらない。俺の計画は、村の内部で勝手に争いが起こって、勝手に村が崩壊して、いつの間にか人が消えて、その上に道路が通るっていう筋書きなんだ」
「そんな思い通りになるわけないじゃない」紗希が強い口調で言った。
「まぁ見とけ。すぐに全てが燃えちまう。気を付けろよ」沢崎がくるりと背を向けた。
その場にいる誰もがぐったり疲れた顔で、離れていく沢崎の背中を見ていた。

大輔達はすぐに準備を始めた。畑に水をやるための器具を村の中に集め、各家の中にはバケツで大量の水を用意した。女性と子供は大輔の家に集められ、男達は見張りについた。大輔とその仲間達以外の住民は村から消え、村の半分は生物のいない星のように白けていた。
三日経っても何も襲ってこなかった。男達はほとんど寝ずに見張りを続けながら、同時に土の道に大きな穴を掘り始めた。数日して、村の真ん中に大きな穴ができた。木で作られた家はすぐに燃やされてしまうので、大輔達は暗い穴の中に家具を運んで住むことにした。
それから二ヶ月後には、穴の周りに高さ三メートル程度の土のバリケードが出来ていた。バリケードの上に見張り台を作り、夜中も含めて四方を見張った。村の周りに広がる畑はすっかり荒れ果てていた。育てていた野菜は枯れ落ち、雑草が畑を支配していた。
五ヶ月が経っても何も起きなかった。疲労が溜まっていたが、バリケードによって村が守れたと仲間達は喜んだ。穴の中に地上の光はほとんど届かなかったが、それでも大輔達は明るく過ごしていた。
レストランが燃えてから八か月後、大希が死んだ。暗い穴の中で太陽の光を浴びずに過ごした体は青白くなり、ところどころに茶色い斑点が出来ていた。足の一部は皮膚が溶けて、肉がほとんど腐りかけていた。紗希は死んだ大希を手放すことなく普段通り抱きかかえていた。何週間も泣くことなく大希にまだ生があるかのように話しかけていた。大輔が大希の死体を取り上げようとすると、紗希は憎しみのこもった目で大輔を睨みつけ、荒々しい言葉を大輔に浴びせた。紗希の表情から一切の柔らかさが失われていた。
大希が死んでから一ヶ月後、紗希は黒く枯れた大希の死体を抱いたまま死んでいった。紗希は最期まで涙を流すことがなかった。紗希の体も茶色い斑点で被われていた。疲弊しきった人々は、穴に充満した死体が腐った匂いに顔をしかめた。同じように茶色い斑点が出来た女性は紗希の死体に悪態を吐き、頭を踏みつけた。穴は、ほとんど憎しみで埋まりかけていた。大輔の仲間やその家族は日に日に穴を出て村を去り、穴に残ったのは大輔一人になった。
大輔は穴の上の見張り台で時を過ごした。丘を越えた先には、途切れた大きな道路に人が群がり、道路の続きを足していた。怖い顔をした巨大な石像が近づいてくるように、その単純な恐怖は日々大きくなっていた。その恐怖をじっと見るだけの日々が何日か続いたある日、突然沢崎がバリケードの根元に現れた。
「どうだそっちは?」沢崎は笑っていた。
大輔は言葉を理解することすらしんどかった。
「俺が言った通りになっただろ?」沢崎は満足げな顔をしていた。「村には何人いる?」
大輔は黙っていた。日差しは憎しみの籠った光を地上に届け、風は拗ねてしまったようにすっかり止んでいた。村の大きな穴からは相変わらず悪臭が吹き出していた。
「お前は知らないかもしれないが、世間はお前らを悪だと言っている。ただのわがままで道路工事を邪魔しているってな。みんな悪が退治されるのを待っている」
人ひとりで抱えるには大き過ぎる恐怖が背中を押し、大輔はバリケードから飛び降りた。死ぬつもりだったのか、逃げるつもりだったのかも分からなかった。足が降り着いた場所は耕したばかりの畑のように柔らかな場所だったが、大輔はそのまま地面に転がった。
沢崎は細い目で大輔を見ていた。「臭ぇガキが。早くどこか行けよ」
大輔は立ち上がって走り出した。自分が逃げているのかも、何かに立ち向かおうとしているのかも分からなかった。とにかく残っている僅かな体力で、出来るだけ速く走った。足が空回りして転ぶ度に、立ち上がることに迷いを感じたが、結局立ち上がって走り出した。

悲しい人形と壊れた人間の街6

悲しい人形と壊れた人間の街6

大輔の人形が突然あくびをした。街の人形作りの家を訪れると、人形作りは街の人形が果たす秘密の役割を話し、大輔はあくびが人形によって奪われたことを知った。人形によって奪われたものを取り戻すために、大輔は老夫婦と共に街を出る。そして、バスに乗って辿り着いた街で、大輔は壊れた過去と鉢合わせた。(第六章:酷い思い出 -後半)

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 冒険
  • ミステリー
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-05-11

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