ビューティフル・ダイアリー(7)

三十一 風鈴をつける女
 ちりりりん。ちりりりりん。
 風に吹かれて風鈴が鳴る。女が窓際に寄る。一個の風鈴を眺めている。
ちり、ちりん。今度は、別の風鈴だ。その風鈴は、さっき鳴った風鈴のすぐ隣に並んで窓際のカーテンレールに吊るされている。
 キン、キン、キン。今度は。また、別の音だ。
 風鈴は、カーテンレールに十個ほど並んでいる。それぞれが、風が部屋に入ってくると同時に、また、別々に鳴り響く。風の合唱団だ。風は、風鈴の鈴を動かすとともに、窓際に立つ女の頬を撫でた。女の肩まで伸びた髪の毛がカーテンのように揺れ、女の顔を露わにする。女はにこっと微笑んだ。風が女の心まで届いたのだ。
まだかな。女が呟いた。その声は、風鈴の音に消されて、はっきりとは聞き取れなかった。
 まだ、来ないかな。今度は、ちょうど、風が凪状態の時に言葉が発せられたので、一言一句聞こえた。
 女は誰かを待っている。誰を待っているのか。
 女は、半間で、高さは一間ある収納ドアを開けた。上段に女の服が吊るされ、下段には、三段の収納ボックスが二つ並べられていた。全て、女のTシャツや下着類など、服類が詰まっていた。いや、一つの段だけ違うものが見えた。女はそのボックスを引きだした。
 あった。あった。
 女がボックスから取り出したのは、風鈴だった。それも一個や二個ではない。数十個もあった。風鈴には、金魚やカエル、しょうぶの花、また、子や丑などの干支の絵の江戸風鈴を始め、ちょうちょうやとんぼ、金色堂など、南部鉄器の風鈴、その他にも、大谷焼や砥部焼など、地域特産の焼き物の風鈴もあった。さながら、ボックスの中は風鈴市のようであった。
 女の商売は、風鈴屋なのか。だが、三十前の女はそうは見えなかった。風鈴を集めるのが趣味なのか。趣味が転じただけなのか。いや、本当は、女の欲望が変形したのだ。代償措置となっただけなのだ。

 女は男を待っていた。男には妻子があった。いわゆる不倫である。「ふりん」を待つために「ふうりん」を好むのは冗談のようかもしれない。だが、女にとっては、男を待つしかなかった。待つ身は辛い。辛さを半減するため、ある日、風鈴を吊った。
 ちりりんと風鈴が鳴った。
 あら、風ね。女が窓際に行き、二階の部屋から下を覗く。そこには、男がいた。今、階段を上がろうとしていたところであった。男が見上げる。女と目が合った。男が少年の顔のように笑った。女も少女のようにはにかんだ。大きく手を振る男、手首だけで振り返す女。男は階段に消えた。女は玄関のドアを開けに行った。

 それ以来、女は、風鈴を眺めていた。風鈴が男を連れてくるものだと信じ込んでいた。信じ込まざるを得なかった。
 ひとつでは足りないと思ったのか、多く吊れば、男が頻繁に訪れると思ったのか、最初の一個が二個に、三個に、四個にと徐々に増え、今では、カーテンレールに隙間がないほど吊るされた、だが、風鈴の数が増えれば増えるほど、少年の顔がこの部屋を訪れる回数が減った。
 女は風鈴をひとつずつ吊ってゆこうとする。だが、カーテンレールには、既に、風鈴は一杯の状態だ。もう、吊れない。女が来て欲しい時に来ない男と同じだ。そう、つれないのだ。
 女は部屋全体を見回す。部屋は窓が一面。後は、白いビニールクロスが二面と、玄関やトイレが付いたユニットバスがある一面。後は天井と床だ。直方体の六面体。風が吹いて、風鈴が鳴る場所。それは、天井からぶら下げるしかない。女はテーブルの上に、数あるだけの風鈴を置いた。
 ちりりりりん。風鈴同士がぶつかり、音が出た。女は手元にある金魚とカエルが描かれた風鈴を右手と左手で持った。お互いをぶつけ合う。
 きききききん。ガラスの風鈴の音がした。ちりりりん。陶器の風鈴の音がした。耳を壊す音と心を癒す音。どちらも、風鈴から出る音だ。女は食堂のテーブルの上にある数多くの風鈴に目をやった。
どれにしようかな。
 女がまず選んだのは、開運だるまだった。椅子に上がり、手を伸ばすと天井に届いた。シーリングの横に押しぴんでひもを差し、開運だるまを吊った。
 女は下から開運だるまを見上げる。開運だるまは居場所を見つけたのか、開放感なのか、ちりりんと喜びの声を鳴らした。女は窓を見る。窓はガラス戸が開いていた。カーテンがステップを踏んでいる。カーテンまで、風鈴が増えるのを喜んでいるのだ。
 開運だものね。
 女は、りんご風鈴、みかん風鈴、金魚風鈴、カエル風鈴、鉄器製の風鈴、陶器製の風鈴を次々と天井に吊って行った。さながら、川崎大師の風鈴市だ。
 天井に吊るされた風鈴が、夕方から吹いてきた風で揺れ、夕食前の賑やかな宴を演じている。女も素直にうれしいと思った、ひとりだけど楽しかった。部屋はまだ灯りを点けていなかった。外から漏れてくる光が天井の風鈴を照らした。女の部屋が星空ではなく、風鈴空で輝いた。
 ひょっとしたら。
 女は風が男の化身ではないかと願った。急いで、台所に行くと、保管していたスーパーのビニール袋を窓際まで持ってきた、袋を窓の外で広げ、風が入ると急いで口を縛った。次々と、ビニール袋の風船を作った。部屋の中には、夜の空気で満たされた風船が所狭しと転がった。
 女は、そのビニール袋が破れ、男の精霊が出てきて、男の体になることを期待して、一晩中、眺め続けた。

三十二 稲妻を待つ女
 あたしは大きな木の下にいた。木は、市の銘木に指定されているケヤキだった。幹は、あたしが手を広げても抱えきれないほどの太さだ。細く、胸も薄いあたしが木を抱くと、木の樹皮と一体化する。それぐらい、あたしは細かった。医者からは摂食障害と診断された。
 だけど、あたし自身は、障害とは思っていない。食べたくないから食べない。やせたいからやせる。無理に食べれば、口から吐き出した。お腹にとどまれば、下剤を飲んで、全て洗い流した。それほど、あたしは、食べ物に気を配った。
 そんなあたしが、今、木にもたれかかっている。木は樹齢二百年を超えている。木の幹には、ところどころ樹皮がはがれるとともに、苔がむしていた。
 うわっ。あたしは自分でも驚くくらいの声を上げた。背中を木に預け、ふと首を傾けるとセミがいた。薄茶色のセロファンみたいなセミ。そう、セミの抜け殻だ。ちょうど、あたしの目の横の高さだ。
 セミの抜け殻は、手や足のギザギザの引っ掛かりを利用して、しっかりと幹に密着していた。幼虫のまま地中で七年間成長し、地上に出て来て成虫となり、短い命を終える。
 あたしはセミの真似をして、幹にしがみついた。だが、体は地面にずれ下がった。生きているあたしはずれ落ちるのに、セミは、抜け殻になってまでも木に引っ付いている。抜け殻の生に対する強い執着心なのか。
 本体のセミはどこへいったんだろう。ここは神社だ。あたしが佇んでいる木以外にも多くの木がある。そのどこからか、セミの鳴き声が聞こえてくる。
 ひょっとしたら、この神社のどこかに本体のセミもいるのかな。
 あたしは見上げた。見上げた先は葉。葉、葉だ。折り重なる葉。その隙間から空の一部が見える。いや、葉が空で、空が葉なのかもしれない。ここでは、葉が世界を支配している。
 その葉の空からセミの鳴き声が落ちてくる。あたしはセミの鳴き声を聞き分けようとしたものの、葉が重なり合うように、鳴き声もハモっているため、聞き分けられない。どれがどのセミなのか。重なり合う葉を見つめ、重なり合う音を聞いているうちに、あたしは軽いめまいを感じた。このままめまいが続き、神社とセミの迷宮の世界に入り込んで、二度とこの地に帰って来られないのではないか、とさえ感じた。
 もう、いや。あたしは目をつぶり、耳をふさぎ、木の根元に座りこんだ。
 その時だ。耳をふさいでいるあたしの鼓膜までも突き破ろうとする音が鳴り響いた。あたしは立ち上がり、目を見開き、両耳から手を離した。
 葉の世界を突き破ろうとする光が覆った。稲妻だった。あたしはケヤキの木の下でいたので、直接、稲光は見なかったものの、葉で覆われた暗闇の下でも、周囲は十分に明るく照らされた。
 あたしはお腹を押さえた。腹痛ではない。稲妻の子を宿したいと願ったのだ。
 稲妻は、雷で受精し、米を実らせると考えられ、そこから稲妻という言葉が生まれた、という話を聞いたことがある。それ以来、雷には、何かを生み出す力があるのではないかと思うようになった。その思いは日増しに強くなり、雷の音を聞けば、自分が妊娠するのではないか、雷の子、神の子を宿すのではないか、と期待、希望、願望、妄想するようになった。
 最初は、雷が鳴れば、部屋に閉じこもり、雷の光も見ないように、音も聞こえないように、どちらかと言えば、雷から逃げようと、逃れようという気持ちであった。だが、人間は不思議なもので、雷の光から、雷の音から、逃れようとすればするほど、いつも雷のことが気になり、空を見上げたり、用もないのに、街を彷徨ったりした。
今日は、ようやくその機会が来たのだ。あたしは、あてどもない散歩、放浪、逍遥、彷徨を続けているうちに、神社にやってきた。手水で手を洗い、賽銭を投げいれ、鐘を鳴らし、二礼二拍手一礼し、社殿の裏側の大木に身を潜めたのであった。
 きゃあ。また、鳴った。こわい。だけど、この子のためだ。
 あたしは、今一度、お腹をさする。もう、雷の子は入ったかな。いや、まだだ。音だけではだめだ。光も入らないと。音と光が受精して初めて、妊娠できるのだ。人間だってひとつの卵子に、数億個の精子が群がるのだ。この程度の数の雷では、あたしは、雷の子を宿せない。だが、あたしは、雷が苦手だ。恐怖だ。それでも、我慢しなければならない。
 あたしは、目を瞑り、両耳を押さえながら、再び、座り込んだ。怖いから逃げ出したい気持ちと、このままここに居て雷の子を宿したい気持ちが拮抗する。
 周囲がぱあっと、明るくなった。閉じたはずの瞼さえもうっすらと明るくなった。
 もうだめ。我慢できない。鳴り響く音や夜空どころか世界さえも切り裂かんばかりの稲妻に、雷の子を宿したい気持ちは耐えられなくなった。
 もう、家に帰ろう。だけど、雨は降りしきっている。傘はない。どこにも行けない。どこにも逃れられない。このまま、まさか、一晩中、このケヤキの下で過ごすのか。
 そう思った時、閉じられた耳には何も聞えなくなった。閉じられた目は、稲妻が落ちる度じゃなく、常時、明るくなった。
 あれ、どうしたのかしら。
 あたしは、目を開け、ふさいでいた耳から手を離した。目の前の水溜りには、雨粒の機関銃は打ち止んでいた。
やんでいる。雨はやんでいる。それに、雷も鳴っていない。
 あたしは立ち上がった。空を見上げる、晴間が見える、黒い雲が青く染まっている。もう、晴れたのか、雨はおしまいか。稲妻は鳴らないのか
 早く、帰ろう。
 あたしは、サンダルのまま、水たまりを避け、ぺたぺたと地面に痕跡を残しながら走り出した。もうすぐ、家だ。アパートの二階の部屋が見える。
 その時だ。再び、開いていた青空が黒く閉じられ、地面に粒粒の穴を開けんかばかりの雨が降り出した。
疑似の好天。騙された。そんな言葉があたしの脳裏をよぎった。瞬間、黒い空も吹き飛んだ。黄金色だけの虹、いや稲妻が世界を覆った。そいて、激しい音。
 きゃあ。あたしはその場で蹲った。あたしの目の前の電信柱に稲妻が落ちた。

 それから三か月。
 あたしはお腹をさすっている。あたしは、稲妻の子を宿した。いや、宿したはずだ。その証拠に、お腹は、以前に比べて大きくせりだしている。あたしは、それ以来、お腹の雷の赤ちゃんのため、朝、昼、晩と食事を取り続けている。もう、吐くことはない。摂食障害はやはり障害ではなかった。いや、障害を乗り越えたのだ。
体重は以前に比べて、十キロも太った。

三十三 ハーブを植える女
 痛い。京子は叫んだ。京子は道路に転んでいた。転ぶだなんて、いつ以来だろうか。小学生の頃は、公園で、友だちと鬼ごっこやかくれんぼなど遊んでいて、追いかけごっこになり、何かの拍子に躓いて転んだりしたものだ。それ以外にも、小学校の一年生の頃、自転車に乗る練習で、補助輪がふたつからひとつになり、ひとつがゼロになり、補助輪の数が減るのに比例して、自転車で転ぶ回数が増えたこともあった。
 それがどうしたことか、今頃、転ぶだなんて。今、京子は四十代だ。転んだ理由はわからない。気が付いた時には、転んでいた。足腰が弱ったのか。体幹がしっかりとしていないので、ふらついたのか。左足が右足の先を踏んだことに気づかないで、右足を持ち上げようとしたため、バランスを崩して転んだのか。
 それとも、右足だけが後ろ足のことなど気にせずに前に、前に進み、左足は左足で、前に進む右足のことなど考えずに、ここが自分の居場所だと、じっとしていたために、股関節がどんどんと開いていき、とうとう我慢しきれずに、転んだのか。
 転んだ原因を突きとめようと、記憶を甦らそうとするものの、自分の足にも関わらず、脳は少しも足の事を覚えていない。京子は立ち上がろうとした。
「どっこいしょ」待て待て、掛け声を上げないと起きあがれないのか。それに、どっこいしょ、だなんて、うら若き(四十歳)少女が出す声じゃない。だけど、意識はいくら若者ぶっても、体は、筋肉は、ついて来ない。仕方がない。
「どっこいしょ」もう一度、声を上げた。
 京子は、何とか、重力が一直線にかかるよう、地面に対し、垂直に体を立て直した。両手で膝についた泥をはらう。その時だ。
「汚い」京子は叫んだ。
 京子の右一指し指の爪の中に、泥が入り込んでいた。親指を駆使して、何とか爪の間に入った泥を取ろうとしたが取れない。人差し指を口に咥える。
 じゃりじゃり。口の中でじゃりが自己主張している。
 ペッペ。
 京子は、口の中から泥を吐き出す。それでも、爪の奥の方に、泥が付着している。泥は、自己主張が強いのだ。
京子は、家に帰ると、すぐさま、手洗い場に行った。石鹸をよくつけ、手を何回もこねくり回し、水道水で、手が野球のグラブになるほど洗った。だが、指の先の泥は取れない。爪の先は黒いままだ。もう一度、洗う。まだ取れない。
 いー。となる京子。爪切りを持ち出し、泥を除去するため爪を切る。爪の白い部分がなくなり、肌色の部分に到達した。それでも、泥はこびりついたままだ。京子は、なおも爪を切る。痛い。肉まで切ってしまった。深爪だ。それでも、奥の方が黒いままだ。もう一度、手を洗う。だが、やはり黒さは薄くなるものの、肌の色には戻らない。
他人から、自己主張が強く、自意識過剰、プライドが高い、ひとりよがりと、言われることがあるが、自分の爪の泥の抵抗には、さすがの京子もあきらめた。ふてくされ、手を洗いすぎて疲れたので、ソファーにごろんと横たわった。
 うつらうつらの夢心地。だが、顔が熱い。傾いた太陽の光が京子の顔を照らしている。この部屋の中でのスポットライトを浴びた京子だけが浮かび上がっている。自己顕示欲の塊の京子としては、主役になるのはいいけれど、あまりの暑さに目を覚ました。まだ、眠い。顔を洗うために、洗面所に行く。いざ、水を出し、顔を洗おうとする。
 あれ?京子の指から緑が生えていた。そう、緑の葉っぱだ。あの泥がとれなかった指の先から、芽が出ているのだ。
 そんな馬鹿な。
 京子は顔を洗った。その拍子に指の先の葉が落ちた。京子は、それを指でつまみ、何回か、水でゆすぐと、口に入れた。甘くて、にがい。まるで、ハーブだ。食べられないことはない。こんなことなら、もう少し大きくなるまで待っていたほうがよかった。
 翌日の朝。再び、爪の先から、双葉が出ていた。今度は、大事に育てようとした。
運よくか、都合良くか、結果としてか、京子は、会社などのホームページやブログなどを作成したり、改修したりする業務を行っている。自宅でやれる仕事だ。人と合うことは少ない。これも、自己顕示欲の強さのせいだ。自宅のパソコンで仕事をしながら、ちょっとひと息つきたい時に、窓から指を出して、葉が光合成できるよう葉を日光浴させた
 数日後。指先の双葉は、茎が伸び、四葉、八葉、十六葉と、倍々ゲームで増えていった。指輪をしている友人はいるが、爪の先にハーブを栽培している人はいない。自分だけだ。これぐらい自己顕示欲を満たされるものはない。京子はなんだか、嬉しくなった。
 ハーブの葉の大きさからすると、そろそろ、摘み取りしてもいい頃だが、なんだか惜しいような気がする。だが、爪の先のハーブは、伸びるに従って、パソコンのキーボタンを打つのには邪魔になってきた。このままでは仕事ができない。おまんまの食い上げだ。最近太り気味なので、やせたい気持ちがあるが、いつ生えてくるかわからない、爪の先のハーブだけに食糧をたよるわけにもいかない。
 京子は泣く泣く、指の先のハーブを収穫した。その時、京子は思った。指の先で、ハーブが栽培できるのならば、おへそだっていいのではないか。おへそならば、成長しても、パソコンを打つのに邪魔にならない。それに、おへそは、適当なくぼみがあって、湿り気もある。ひょっとしたら・・・。
 京子は一縷の望み(そんなことに、望みなんかをかけなくてもいいが)をかけて、指の先をおへそに突っ込んだ。手を抜く。おへそを改めてじっと見ると、黒い粒子が付着している。それが、泥なのか、おへそのごまなのか、判別はできなかった。
 翌日。京子は、おそるおそる、寝巻をめくり、お腹を出した。予想どうりだ。想定内だ。おへそから、緑色の幼葉が二枚生えていた。成功だ。
 京子は、それ以来、口の中や、鼻の中、耳の穴、あそこの穴、そして、体中の皮膚の汗腺にも、人差し指を突っ込み、撫でくり回し、ハーブの種を植え付けようとした。おかげで、今、京子は、体中から、ハーブが生えている。野菜度百パーセントの体だ。見た目も涼しく、いつでも野菜が食べられる。一挙両得だ。
「こんなにも、あたしはきれいで、美味しいのか」
 京子は、これから満足して生きていけそうな気がした。

三十四 紙を集める女
「あら、こんなところにも」女は、道路にしゃがみ込むと紙を拾った。紙といっても、ガムを包装している銀紙である。
「あら、こんなところにも」次に拾ったのは、タバコの箱だった。他にも、パソコン教室のチラシやコンタクトレンズの割引券、三人打ちマージャンのチラシなども拾った。
 これらのチラシは、ポケットティッシュと一緒に配られるけれど、中から広告のチラシだけが抜かれ、道路に捨てられる運命にある。本体のティッシュは、所有者のポケットまたはハンドバッグの中に入れられる。
 女のA3用紙大の袋が、拾った紙でほぼ満杯の状態だ。女はポケットから携帯電話を取り出し、時間を確認する。今は、朝の六時半だ。
「もういいか」女は、誰に話すわけでもなく呟くと、元来た道に向かって戻って行った。ほぼ一時間。女は、毎朝、散歩を兼ね、袋を下げて、道を歩く。女が住んでいるのは、単身者用のアパートで、メイン道路から、歩いて五分くらいの場所にある。通りからひとつ中に入っているだけで、車は走らず、人通りも少なく、閑静な佇まいになっている。
「今日も、袋が一杯だわ」
 女は部屋に戻ると、袋から道路に落ちていた紙を取り出す。牛乳の蓋、ポッキーの箱、近所のラーメン屋が一周年を迎え、百円割引きとなるサービスチケットが付いたチラシ、資源ごみで集められなかったのか、逃げ出したのか、くしゃくしゃによじれた一面だけの新聞紙、などなどだ。
 女は、集めた紙の皺をきれいに伸ばし、A4大の大きさに折り畳み、重ねる。A4よりも小さいのは、新聞紙などに挟み込む。一定の量がたまると、資源ごみの日に、集積場に運んだ。
 それで、何がどうなるわけではなかった。だけど、何かに取りつかれたように、女は紙を、紙の素材を集めては、束にして、重さを図り、日記帳に記録をつけると、昨日よりもよく集まっただの、もっと拾う場所を変えてみようかなどと、自己評価するのだった。
 いつもどおり、朝、散歩がてらに紙を集めようとした女。残念ながら、今日はどういう訳か、紙が落ちていなかった。ポテトチップスの袋や、空き缶やたばこの吸い殻は落ちてはいたが、紙や紙類は落ちていなかった。女が拾うのは紙類だけで、その他のゴミには目もくれなかった。紙以外のゴミで、街が汚れようと関心がなかった。
「今日の収穫はゼロ」
 女は、さっさと散歩をやめた。散歩を始める際には、健康を維持・向上することが目的であったが、今は、紙を拾うのが目的になっていた。目的が達成しない以上、やる気はおこらない。体も意志に従った。
 女は、自宅に戻ってくると、玄関先のポストから新聞を取り出した。その時に、ポストの下にチラシが落ちていることに気づいた。朝、出る時は落ちていなかったはずだ。いや、気づかなかっただけかもしれない。
「どうせ、スーパーのチラシだろう」女はチラシを拾って手に取った。
 チラシには、「紙は、あなたの前にいる」というメッセージが掲載されていた。家の近所に最近建てられた新興宗教会館の信者獲得のためのPRチラシだった。
「紙は、神の誤植だわ。ばっかみたい」女は、紙一枚と少ないけれど、本日の収穫が得られたことに満足し、玄関のドアを開けた。
 今日も、また、美しい一日が始まる。

三十五 ヒッグス粒子の女
「また、通った」あたしは、手のひらを空にかざす。宇宙からは素粒子がこの地球に、この日本に、この四国に、この香川に、この高松に、降って来ているのだ。降っていると言っても、あまりにも粒子が小さいため、あたしの体には当たって跳ね返らずに、すり抜けるのだ。
 痛い。とは感じない。だけど、痛い。
 不思議な感触、感覚だ。
 本当に、あたしの体よりも、小さい物質があって、体をすり抜けているのか。
 光でさえ、あたしの体を通り抜けはできずに、影をつくるのに。
 そう、光でさえ、物質なのだ。どんな強風も、どんな微風も、あたしを通り抜けることはできない。
 それなのに、素粒子は、やすやすと、あたしが感じることもなく、あたしを貫いている。貫かれたにも関わらず、痛さを感じず、生きているあたし。
 あたしは物質だけど、網目状の生き物なのだ。隙間が至る所にあるのだ。だけど、あたしの目はその隙間を見つけることができない。
 だが、感じる。今、素粒子が通った。はずだ。
 素粒子は頭を貫き、前頭葉を貫き、喉を通り、肺を突き破り、心臓を射ぬき、お腹をよじり、アキレス腱を蹴り飛ばし、親指の爪から抜け出ていった。
「もう、どうなってもいい」
 あたしは大の字に寝ころんだ。いや、大の字じゃない。磔の姿勢だ。宇宙から襲ってくる粒子に、あたしは、なすすべもなく、攻撃を受けていた。逃れられない人生ならば、全てを受け入れた方がいい。
 目をつぶる。五感を集中させる。宇宙からの粒子の音が聞こえる。
 あたしの体に突き刺さり、素通りする。
 これまでのあたしの人生と同じだ。父や母、兄弟、姉妹、友人、男たち、あたしと関わる全ての人があたしをすり抜けていった。あたしは、いつも取り残されていた。
 今さら、宇宙からの粒子がどうした。どうなるんだ。それよりも、粒子があたしをすり抜けてくれることで、いらない、余分な物を取り除いてくれているかもしれない。
「そうか」
 あたしは立ち上がった。上からか、下からか、右横からか左横からか来る粒子に、体の全てをさらした。
粒子が通り過ぎる度に、あたしは美しくなる。なれるはずだ。でも、ならなくてもいい。

ビューティフル・ダイアリー(7)

ビューティフル・ダイアリー(7)

三十一 風鈴をつける女 から 三十五 ヒッグス粒子の女 まで

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-10

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著作権法内での利用のみを許可します。

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