To me of ten years ago
十年前の私へ
『十年後の私へ
今、あなたは幸せですか?
昨日、あなたは幸せでしたか?
明日、あなたは幸せだと思いますか?』
つい五分前に見つけた中学時代の卒業アルバムには、たった三行だけしか書かれていない私へ向けた文があった。
未来の自分へ向けてのメッセージというコーナーに、十年前の私の執筆跡がある。
筆の文字はまだ幼くて、文字の書かれた枠の余った場所には、簡単なクローバーの絵も描かれていた。
そういえばクローバーが大好きだったな。
昔はよく四葉のクローバーを探したっけ。確か押し花にしてしおりとかも作った気がする。それでお気に入りの本に挟んで、暇さえあれば一つのクローバーに欲張りすぎなほどお願いをした記憶がある。
小さな嬉しいことがあれば、お願いが叶ったのだと喜んでいたな。
まだ年齢的には多少、心の中身が幼くて夢見がちだった、十五のときをゆっくり思い出す。
あの頃好きだった人。
あの頃苦手だったもの。
あの頃目指していた夢。
なぜか鮮明に甦 《よみがえ》ってくる。
「うわ、――いっけない」
私は記憶の海に泳ぐ思考を無理やり引き戻すと、再び段ボール箱の中身へ手を伸ばした。卒業アルバムは閉じて散らばった床に置く。
明日には引越センターのトラックが来るのだから今日中にけりをつけておきたい。
スピードを上げて、いる物と廃棄していいものを分けていく。しかし心は先ほどの手紙に捕らわれたままだった。
『今、あなたは幸せですか?』
一見何でもない、未来あての手紙にはよくセットになってくる言葉。
バリエーション的には『今、あなたは元気ですか?』とか『今、あなたはあの頃の夢を叶えていますか?』とかがあるだろう。
けれど十年前の私の心情を思い出すと、この一言は何か違う重みを秘めていた。
十年前の私は丁度、高校受験へ向けて励んでいた。
周りの子より、もう一歩ワンランク上の高校を目指していたんだ。
幼い頃からどうしてもそこに行きたくて、必死に勉強していた。そこに行くことが私の夢だった。
けれど、その夢はあっけなく崩れた。
受験に失敗したんだ。
結局、目指す高校へ受かる気満々のなか、滑り止めのために渋々受けた私立高校へ強制的に入学決定。
夢が砕け散った私の心の中は想像通り、荒れに荒れて、すさんでいた。
まあ、よくある話だ。
努力は必ず報われる、なんて言葉は嘘だとその日から確信を得た。
勉強に集中しすぎて元気づけてくれるような友達はなく、親はなぜか不合格になった本人よりも落ち込んでいて宛にならなかった。
だから一人でこっそり、隠しながら泣いて悲しい想いを消化するしか術 《すべ》 がなかったんだ。
黙って「仕方がないよ」と言い聞かせながら私立高校に行くしかなかったんだ。
「悲しいよ」、「辛いよ」なんて誰にも言えない。
その時の私は頼る人も場所も持ち合わせてはいなかった。
そんな幸せの欠片も落ちてない日々に書いた、十年後の自分へ向けてのメッセージ。『今、あなたは幸せですか?』そう問いただしたい気持ちもよくわかる。
なんだか昔の寂しい気持ちを思い出してぼんやり遠くを見つめていたとき、ふいに声が頭上から降ってきた。
「おーい、おーい、聞こえてますか―?」
呼びかけに再び手が止まっていたことに気づく。あーもう、考え込むと他の事が一切静止してしまう癖は昔から変わっていないようだ。
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「そっか。それじゃあちょっと昼食にしよう。休憩とらないと疲れちゃうっしょ」
ぼーっとしていた私に彼は引っ越しの支度で疲れたのかと思ったのか、優しい声で彼は私をリビングの方へ導いた。
確かに食欲をそそられるようないい匂いがする。こ、こら。お腹よ、鳴るな!
ふと、私は足を止めた。
誰かの作った温かいご飯、自分を気遣ってくれる優しい笑顔が目の前にある。
今、私が眼にしているのはもう日常化しつつある風景。けれど目線を変えて他に人から見ると、これはどう映る?
(今の私は……)
十年前の私に聞かれた質問の答えが出て、私はふっと笑った。
「……なに、ニヤニヤしてるの?」
「べつにー。ちょっと大切なものの価値を改めて思い知らされてるところだよ」
ニヤニヤの止まらない私を彼は不審者でも見るかのような眼で見てくる。言動は優しいのに表情は素直だ。
「そういえば私たちが出会ったのって高校時代だっけ」
懐かしむようにぽつりと呟いた。行きたくなかった滑り止めの私立高校。けれどそこで愛しい彼に出会えた。共に頑張ろうと言ってくれる友に巡り合った。思い出すだけで心を温める過去を作れた。
「人生、何があるかなんて分かったもんじゃないなー……。ねえ、」
「ん、なあに?」
「好きだよ。愛してる」
臆面もなく言う私に彼はたちまちふくれっ面になった。頬がリンゴみたいに赤い。
「……なんでそんなに恥ずかしい言葉をさらっと言っちゃうのかな。告白のときだって、俺が告白しようとしたら先に言っちゃうし。」
プロポーズのときも先に言われそうになって焦ったよ。まったく。彼はぶつぶつとふてくされたように文句を垂れる。ああ、可愛いな。
「もー、そういう台詞は男がいうもんなの」
「じゃあ言ってよ」
私のせがむ言葉に彼は急におどおどと慌てた。まさか自分が言う方向へ曲がるとは思っていなかったのだろう。
「……そ、そんなに簡単に言ってたら価値が下がっちゃうでしょ。大切なときに言うからいいの。たとえば普段から好きだよーっていってるのと、ふいに真剣な眼差しで好きだよっていうのじゃキュン度が違うでしょ?」
言い訳をこれでもかってくらい並べる。案外乙女チックなのだな、彼は。
「えー、でも……」
「ほらほら、ごはん冷めちゃうから早く食べよう。午後からまた荷物を詰めて新築に引っ越すんだから、元気補充しよ」
私の抗議の声を遮るように彼は席を進めて、素早く私を座らせる。
なんだ、つまらんと、今度はこっちがふてくされていると、彼はしばらく考え込み、不満げな表情を見て仕方なさそうに私の耳元にそっと顔を寄せた。そして熱い吐息とともにこっそりと二人にしか聞こえない声で囁 《ささや》 く。
聞こえた言葉に満足して私も少しだけ頬を赤くさせた。
十年前の私へ問いかけの答えを返そう。
恐れなくても大丈夫。十年後のあなたには安心して泣ける場所があって、隣で手を握ってくれる人もいるから。
『十年前の私へ
今、私は幸せです』
To me of ten years ago
気が向いたら、十年後の自分へ、手紙を書いてみてください。