<母の日特集> やさしい刑事 第四話 「母地蔵」
<母の日特集> やさしい刑事 第四話 「母地蔵」
それはひょんな出来事から始まった事件だった
歓楽街のはずれにあるホステスたちが住まうマンションで、一人の中国人女性が、隣室に助けを求めて転がり込んだ。
ひどく下半身から下血していて、すぐさま救急車で病院に運ばれたが、手当ての甲斐も無く、そのまま息を引き取った。
死亡原因は、出産後の出血によるものと診断されたが、肝心の産んだはずの赤ん坊が何処にも見当たらかったのだった。
「助けてっ!…って来た時はびっくりしたわよ。だってネグリ(ジェ)の下が血で真っ赤っ赤で…」隣室のホステスは言った。
「どうしてそんなになるまで放っといたんでしょかねぇ~…一人暮らしだったんですか?」主任刑事は尋ねた。
「いいぇ、男が出入りしてたわ…って言うか、同棲してたのかな?背の高いハンサムないい男だったわよ~」
「ふ~ん。同棲ねぇ…で、今その男は?」
「そうねぇ…そう言えば、あの子が病院に担ぎ込まれるちょっと前から見てないわね~」
「時に、隣から赤ん坊の泣き声とかは聞こえませんでしたか?」
「あぁ、そう言えば二、三日前に赤ちゃんの泣き声がしてたような気がするわ」
「そうですか~、やはり…で、その同棲してた男、何処に行ったか分かりませんかねぇ?」」
「分かんないわよ、人の彼氏の事なんか…あぁ、あの子、Mって言うバーで働いてたから、ママさんなら知ってるかも?」
「分かりました。どうもありがとうございました」主任刑事は、隣室のホステスに礼を言っって立ち去った。
聞き込みを終えた主任刑事が出て来たマンションの傍には、更地になっている空き地があった。
どうやら子供たちの遊び場になっているらしく、空き地の中では、何人かの子供たちがたむろして遊びに興じていた。
そのちょうど入り口の脇に、むき出しのままの小さな地蔵尊が安置してあり、一人の老婆が何かお祈りをしている様子だった。
(信心深いこった。俺みたいな無信心なやつもいると言うのになぁ~…)
主任刑事は苦笑いしながら、その側を通って、空き地の前に停めておいた車に乗り込んだ。
主任刑事は、病院で亡くなった中国人ホステスの面倒を見ていたバーのママさんの店に行った。
「シュウちゃん、いい子だったのにねぇ~。まさかあんな死に方をするとは…」バーMのママさんはそう言った。
「付き合っていた男がいたそうですね。何でも同棲してたとか?」主任刑事は尋ねた。
「あぁ、あいつねぇ~。やめなさい!ってシュウちゃんに言ったのよ。女の稼ぎをアテにするような男なんか…」
「その男ってのはヒモですか?…マルジー(ヤクザ)だったとか?ベントウ(前科)持ちだったとか?」
「いや~、そんな根性のある男じゃないわよ。ただのハズレモンよ。元タレントだったとか言ってたけど…」
「ふ~ん。いつ頃からシュウちゃんと付き合い出したかは分かりませんかね~?」
「一年くらい前にお店に来た時からかしら…そう言えば、半年くらい前からシュウちゃんお腹が膨らんでたわね。目立たないようにドレスで隠してたけど…」
「やっぱり妊娠してたんですね。その男の子供を…」
「三ヶ月ほど前に、ビザが切れるからいったん取り直しに帰るって言って…あれ、嘘だったのかしら?」
「そりゃぁ、きっと子供を産むためについた嘘ですよ」
「じゃあ、やっぱり産んだんだ!あんなしょ~もない男の子供を…」
「多分一人で産んだんだと思います。今わの際まで「ウァウァ、ウァウァ(赤ちゃん)」とうなされてたらしいですから…」
「そうだったの~…可哀そうなシュウちゃん」
「ところがですね~。その赤ん坊がどこにも見当たらないんですよ」
「まさかあの男が?…いやいや、あいつは赤ん坊を引き取って育てるようなタマじゃないわ」
「でも、手掛かりはその男しか無いんでねぇ~。男について知ってる限りの事を話していただけませんか?」
「いいわよ。私の知ってる事で役に立つなら…」
そうして主任刑事は、バーMのママから、同棲していた相手の男に関する情報を聞き出し、写真までも手に入れた。
主任刑事が<バーM>のママから入手した情報を元に、男の身元を洗い出した警察は、男に任意出頭を求めた。
だが、ふて腐れた顔をして、警察に出頭してきた男は「女とは別れた」「赤ん坊の事は知らない」とシラを切り通した。
確かに、シュウちゃんの治療をした病院の医師から、死因は出産後の失血によるものと言う死亡診断は出てはいる。
しかし誰一人、肝心の産まれた赤ん坊を見た者もいない上、何一つ証拠らしいものもなかった。
主任刑事は男の聞き取りに全力を尽くしたが、しょせん参考人としての事情聴取には限界があった。
主任刑事は、再び、死んだ中国人ホステスがいた部屋を検証するために、あのマンションにやって来た。
傍の空き地にある地蔵尊の前では、あの日見掛けた老婆が、腰を屈めて草むしりをしていた。
「お婆ちゃん、精が出るねぇ~」主任刑事が声を掛けた。
「あぁ、若いもんが誰も世話せんからのぅ~」老婆は、主任刑事を見上げながらそう言った。
「ここは、もう少ししたら保育園が建つんだろ…そしたら、お地蔵さんも引越しになるんじゃないのか?」
「いんや、引越しなんぞせんよ。この地蔵さんは子供に縁のある地蔵じゃからのぅ~」
「へぇ~、そりゃまたどうして?」
「小さい頃、わしの母親に聞いた話じゃがの…戦時中にこの街に大空襲があったそうな」
「うん、俺も聞いた事があるよ。何でも、街中が辺り一面焼け野原になったそうだなぁ~」
「その時の…空襲から逃れようとした一人の母親が、幼いわが子にはぐれてしまったそうじゃ」
「空襲の最中に子供にはぐれたのか~…そりゃあ、えらい事になってしまったもんだなぁ~」
「その母御はの…爆弾の降る火の海の中を、死に物狂いでわが子を探して走り回り、深い火傷を負ってここにたどり着いて、とうとう倒れて亡くなったそうじゃ」
「なるほど~…それで供養するために地蔵さんを作ったのか~」
「まっ、わが子を思う母親の気持ちなんぞ、男にゃ分からんじゃろうがの」
「いや、何と無く分かるよ。俺も同じような思いをした事があるから…」
「そうかい…それじゃ、せいぜい母親孝行するこったな」
お婆さんに言われて、主任刑事は(確かに自分も母親孝行ではなかったなぁ~)と、何となく後ろめたい気持ちになった。
主任刑事は、マンションの大家から鍵を借りて、死んだ中国人ホステスが住んでいた部屋に入った。
部屋の中は、もうすっかりリフォームされていて、壁紙も血が点々と付いていた畳も取り替えられていた。
きっとシュウちゃんは、この部屋で助産婦の助けも無しに、たった一人で赤ん坊を産んだのだろう。
主任刑事は新しくなった部屋に一人佇んで、部屋の中で起こったであろう出来事に思いを巡らせた。
(確かに、ここに産まれたばかりの赤ん坊と母親が居たはずだ。でも、その赤ん坊は今何処に…?)
異国の地で、誰の助けも無く、一人で赤ん坊を産むのは、きっと大変だったに違いない。
なぜ、そうまでして産もうとしたのだろうか…?妊娠した事に気づいた時に、堕ろす事もできたろうに…
女はわが身の危険を冒してまで、それほどまでに、自分のお腹に宿った赤ん坊が愛おしく思えるのだろうか?
シュウちゃんは、結果的に…多分は、相手の男が連れ去ったであろう、わが子を思い続けながら命を落としてしまった。
わが子に対する母親の深い愛情を思うと、主任刑事は何だかいたたまれない気持ちになっって来た。
(証拠さえ見つかれば何とかなる…今となっては遅いが、亡くなったシュウちゃんのためにも、必ず証拠を掴んでみせる)
部屋の壁をじ~っと見つめながら、主任刑事はそう自分の心に固く誓った。
主任刑事が亡くなった中国人ホステスの部屋の検証を終えて、マンションを出た頃には、すでに日は西に傾き始めていた。
むきだしの地蔵尊の前で草むしりをしていた老婆は、どうやら帰り支度に掛かっているようだった。
「あぁ、お婆さん。もう終ったのかい?」主任刑事は、そう老婆に声を掛けた。
「腰が痛いよ。歳は取りたくないもんだねぇ~」老婆は、よいしょとばかり荷物を持って立ち上がった。
ふと見ると、子供たちが三々五々散って行った空き地の片隅には、大きな犬が横になって寝そべっているのが見えた。
「おぉ~!あそこに大きな犬が寝てるじゃないか。ありゃあ、レトリーバーかなぁ~?」
「寝てるんじゃ~ないよ。子供にお乳をやってるんだよ」
「へぇ~、どうして分かる?」
「ほら、子供をかばうように体を丸めて、時折、舌でペロペロ舐めながら子供をあやしてるだろう」
「そうかなぁ~…に、しては肝心の子犬の姿が見えんがなぁ~?」
「そんな事ぁ~知らないよ…ともかく、子供にお乳をやる仕草にゃあ違いない。女なら誰でも分かる」
「女ならねぇ~、そんなもんか?」
「あぁ、そうだ。だから男は鈍いってんだよっ!」
老婆にそう叱られながら、主任刑事は横になっている犬を見たが、側に子犬の姿はまったく見あたらなかった。
しかし、主任刑事は、心の中に何か不思議なものが湧き上がって来るのを感じた。
警察署に帰った主任刑事は、デカ部屋に詰めていた平野刑事に声を掛けた。
「おい、平野刑事。二、三人警官を呼んでシャベルを用意させろ。お前もついて来い」
そう言うと、早速、シャベルを手にした警官を集めて、全員でパトカーに乗り、さっきの空き地に取って返した。
(あの犬が寝ていたのは、確かこの辺りだったよなぁ~)主任刑事はその場所を確認した。
「ヤマさ~ん。何するんですか~?シャベルなんか担いで来て…」平野刑事が尋ねた。
「花さかじいさんをやるんだよ。宝物がザクザク出て来るかも知れんぞ~」主任刑事は、悪戯っぽくそう言った。
「はぁ~?いくら何でも、こんな場所に宝物が埋まってる訳ないでしょう」
「いいからブツブツ言ってないで、この辺りを掘ってみろ」
そうして、平野刑事と警官たちは、主任刑事が指差した辺りをシャベルで掘り返した。
出て来たのは、生後間も無い赤ん坊の遺体だった。
行き付けの雀荘から出て来た男に、平野刑事は逮捕状を突きつけた。
それを見るなり、男は懐からナイフを取り出してチラつかせながら、走って逃げ出そうとした。
「この野郎っ!こんな所でマッポ(警官)なんぞに捕まってたまるか~」男は逃げながらわめいた。
平野刑事と警官は、怯まずに逃げる男に跳び掛かった。男はナイフを振りかざして、激しく抵抗して暴れ回った。
「やれっ!平野刑事。ホシの腕の一本や二本へし折ったって構わん!」温厚な主任刑事が、いつに無く激高していた。
女を食いものにして、哀れにも死なせた挙句、産まれたばかりの幼い命を奪った男が許せなかったのだ。
男は体中傷だらけになるまで抵抗したが、とうとう、平野刑事にナイフを取り上げられ、腕を捻られて押さえ込まれた。
「くっそ~!こんな所で地獄のイヌに捕まるとはなぁ~」捕まった男は、悔しまぎれに捨てぜりふを吐いた。
「お前の本当の地獄はこれからだ!覚悟しておけっ!」と、主任刑事は男を一喝した。
ガチャリ!と男の手に手錠がはめられた。
男を逮捕して、留置所に連行し、デカ部屋に帰って来た主任刑事は、平野刑事に言った。
「なぁ、平野刑事。お前んとこの実家って、工務店だったよなぁ~」
「まぁ~、田舎の工務店ですけどね…それがどうかしましたか?」
「あぁ、犬小屋を一つ作って欲しいんだが…」
「えぇっ!?ヤマさん。とうとう一人暮らしが淋しくなって、犬でも飼うんですか?」
「馬鹿言えっ!イヌが犬を飼ってどうすんだよ」
「あれぇ…それ自虐ネタですか~?…でもまぁ、これでも高校の頃、オヤジんとこでバイトしてましたから、任せて下さい」
「うん、頼むわ。材料費は俺が払うから…でも工賃は払わんぞ」
「いいですよ~。いつもお世話になってる事だし…」
それから数日後、主任刑事は平野刑事と二人で、出来上がった犬小屋を車に積んで、あの空き地に向かった。
空き地の地蔵尊の前では、いつものお婆さんが、むき出しになっている地蔵の世話をしていた。
「やぁ、お婆さん。お地蔵さんの祠を作って来たよ…犬小屋だけどな」主任刑事は言った。
「なぁに、地蔵さんが雨露しのげりゃ、犬小屋でも何でもいいよ。それに犬は母性が強いって言うからお似合いだわさ」
そうして、主任刑事と平野刑事は、お婆さんとお地蔵さんを綺麗に掃き清めて、犬小屋の中に安置した。
それが刑事にできる せめてものやさしさだった。
一仕事終えた主任刑事は、顔の汗を拭いながら、シンミリした顔で平野刑事に言った。
「なぁ、たった10ヶ月しかお腹の中に居なかったのに、どうして子供は一生オフクロとへその緒が切れねぇんだろうなぁ~」
「どうしたんですか?ヤマさん。急にシンミリして…」
「いや、何でもないよ。何でも…」
あの時、男に殺されて埋められた赤ん坊にお乳を与えていた犬は、空襲でわが子とはぐれて焼け死に、地蔵になった母親なのか?
それとも、男に赤ん坊を連れ去られて、今わの際まで病院でわが子を思い続けながら死んだシュウちゃんの化身だったのか?
さすがの主任刑事にも、そこまでは分からなかった。
思えば、母親のわが子への愛情は、どこまで深いものなのだろうか…
主任刑事は日が落ちて行く西の空を見上げた。そして、一言ポツリとつぶやいた。
「雪…」と。
今は亡き母に捧ぐ・・・
<母の日特集> やさしい刑事 第四話 「母地蔵」