芋虫の体温
退院間近、去来する思い。
その日の夕方、私は確かに焦っていた。退院を明日に控えているというのに、熱を出してしまったのだ。夕食の食器の片付けと検温を兼ねて部屋に来てくれた若い看護婦は、ちょっと待ってくださいね、と言い残し、食器を乗せたトレイを手に病室を出て行った。食事のために起こしたベッドのリクライニングはそのままである。下げて行ってくれれば良いのに、と思いながら体を起こし、ベッドのリモコンに手を伸ばす。ふと目を落とすと、ベッドの手すり横の台に残された体温計の数字が目に入った。38度2分。
「済みません…あ、やっぱりここにあった」
先ほどの看護婦が戻って来た。私は少し笑みを浮かべ、彼女に体温計を手渡すと、彼女は少し恥ずかしそうな表情を浮かべ、それを受け取った。
「退院って、これで延びちゃったりするんですか」と私。
「どうなんでしょうね…結局は先生の判断だから…でも、熱が下がれば大丈夫ですよ」
「こういうので、実際に延びた方って他に居るんですかね」
「や、ちょっと分かんないです…あ、先輩に聞いて来て、後でお伝えしますね」
「いや、そこまでしてもらわなくても大丈夫です。済みません」
夕日が窓から部屋に差し込み、彼女の影を床に縫いつけている。少しの沈黙を挟んで、私は薄く眼を瞑り、リクライニングを倒し始めた。その機械音を合図に、いつものように看護婦が部屋を出入り口に向かった。いつもと違ったのは、看護婦が出入り口で振り返った事だった。彼女は私の方を向くと、改まった口調で言った。
「熱が下がれば、明日でご退院ですね。六ヵ月、お疲れ様でした。リハビリとか本当に大変だったと思いますが、すごく頑張って来られましたね。私が初めてお世話させて頂いた患者さんだったので、色々とご迷惑をおかけしたところがあったかと思いますが、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ…。色々お世話になってしまって…」私は言葉に詰まった。障害の影響で、意思とは無関係に出てしまう排泄物や、時には既に生殖能力を失った筈の性器から排出される精子が付着した、オムツの処理を頼んだことを思い出していたのである。
彼女が出て行った後、私は横になりながら、熱の影響か少し重くなってきた頭で今後の事を考えはじめた。――まず、生活費はどうしていけばいいのだろう。年間70万円ちょっとの障害者年金だけではとてもやっていけないし、そもそも審査に通るかも分からない。就職するにしても、車椅子で、これといった資格もない自分に就職先があるのかどうか、それも分からない。一人でこのまま東京で生活するのは無理だろうけれど、実家に帰ったらそれこそ就職先もないだろうし、大体両親が亡くなったらそれこそどうすれば良いのか分からない。――思考がいつも通りのコースを辿りはじめた事に気付いた私は、別の事を考える事にした。
熱を出すのはいつぶりだろうか。自己導尿を始めた際に、尿路感染を引き起こして発熱するケースが多いと聞いてはいたが、私はそれには幸い当てはまらなかった。元々熱を出すタイプでも無かったしな、と思いながら記憶を辿ると、あぁ、あのVANA-Hと氷枕の時か、と思い当たった。東北の震災の次の日の事であった。
震災の影響で、その時はまだ生きていた妻と二人で新宿から府中まで歩いて帰ろうとしたのであった。私が仕事を途中で切り上げ、青山から新宿まで歩いて妻と合流し、交通機関が動くのを待ったのだが、中々目途も立たないままでいた。すると、妻が「歩いて帰ろう」と言い出したのだった。妻は少し足が悪かったので、大丈夫か、と聞いたのであるが、大丈夫、と力強く返してきた。それで、歩いて帰ることとした。
途中、やはり妻の足に限界が来た。途方に暮れた思いで私が周りを見渡すと、少し離れたところに青い蛍光ランプで『VANA-H』と書かれた看板を見つけたのである。私も妻も、その派手な看板をラブホテルのものと思い込んだ。私は、そこを目指そうと妻に提案した。私達はラブホテルなど利用した事の無い夫婦ではあったが、私は、とにかくそこまで行って、部屋が無くても、廊下でも何でもいいから休ませてもらおう、と考えたのだった。しかし結局その建物は健康飲料の会社の建物で、二人で酷く落胆したのだった。
その日は結局、その後どうにかタクシーを捕まえて府中まで帰ったのであるが、その次の日、私は熱を出して寝込むこととなったのだった。その時には、妻が前日の疲れを押して、氷枕を買ってきてくれた、という事を思い出した。
――目が覚めた。暗い。首の裏がひんやりする。手を後ろに回し確認してみると、氷枕だった。彼女だろうか。枕元の時計に目をやると、既に夜中の9時だった。少し頭が軽くなった気がする。私は、何となく落ち着かない気持ちで10時を待った。看護士の見回りの時間である。
10時。誰かが近付いてくる足音が聞こえる。
「まだ起きてらしたんですか?お休みなさい」
病室に入って来たのは、年配の看護士だった。私は寝返りをうつふりをしながら、自分が何を期待していたのか、考えないようにした。
翌日。私の熱は下がり、無事退院できる事となった。実家から迎えに来てくれた父と母が交互に病室の荷物を車に運び込んでいる間、私はベッドに腰掛け、待っていた。途中、医師が私の病室に来た際に口にした、「こうやって見ると普通の人と変わらないね」という言葉が妙に耳に残った。
準備が終わると、ナースステーションに挨拶にいった。顔なじみの看護士たちは、皆私を励ましてくれた。若い看護婦の姿は見当たらなかった。その時、ナースステーションの奥の方から、何か聞こえてくるのに気付いた。誰かの泣き声のようだった。
病院から出ると、私たちの車は直ぐに首都高に乗り入れた。何の気もなく窓の外を見ていると、青い蛍光の看板が視界に飛び込んできた。私の頭には、何故かさっき聞こえた泣き声が浮かんで来ていた。
芋虫の体温