ほしの子と割れた壺の噺

ほしの子と割れた壺の噺

短編。twitterでの星垂る氏(@colam22)とのクロスオーバー。
星の子を巡る、とある短いおはなし。
(※2014年8月7日 加筆修正)
(※2014年8月7日 ペルシュロン中山氏(@atrntivo)から素敵な表紙を戴きました!感謝!)


あるところに、ほたるちゃんという、女の子がいました。
ほたるといっても、おしりのほうが、ぴかぴかひかる虫のほたるとは、まったくちがいます。
同じほたるでも、ツンツンはねたかみが、オーロラのように、きんやみどり色に光っているのです。
お空の上はさむいので、首までかくれるセーターと、おしゃれなスカートをきて、くろいタイツとかわいいブーツをはいていました。
ほたるちゃんは、いつもおかしな虫とりあみをもっています。
どうしてかっていうと、空のおほしさまをつかまえて、たべるためです。
虫のほたるはお水だけをのんでいますが、お空のほたるちゃんは、くもの上にちょこんと、こしかけて、おほしさまを、おいしくいただくのです。
食いしんぼうのほたるちゃんは、あるひのこと、「りゅうせいぐん」というほしのむれをおいかけていました。
ところが、大へんなことに、あばれんぼうの流れぼしに見つかってしまいました。
この流れぼしは、とてもこわいらんぼうものとして、ゆうめいでしたから、ほたるちゃんもこわがって、ちかづこうとはしませんでした。
きらいなほしに、体あたりしてぶつかったり、かみついてきたりするんですから、みんながこわがるのも、当たりまえです。
流れぼしはほたるちゃんを見つけるなり、カッカとおこって、ぴゅーんとよぞらをひとっぱしり。
「さてはぼくを食べるきだな。そうはさせないぞ」
「食べたりしないわ、かんべんして。きゃーっ」
流れぼしに、さんざんおいかけ回されて、ほたるちゃんはすっかりへとへとです。
あばれん坊の流れぼしは、ほたるに当たらず、地面へとまっさかさまに落ちていきました。
けれども、ほたるちゃんも、つかれているものですから、ねむたくて仕方がありません。
ついには空からおっこちて、大きな木に引っかかってしまいました。
ほたるちゃんが引っかかった大きな木は、ある大きなおうちの、中にわの、りっぱな年よりのかしの木でした。
大きなお家の中では、びょう気の女の子が、こんこん、せきをしながら、ねむっていました。
「あら、どなたかいらっしゃるのかしら」
今までねていた女の子は、お外で大きな音がするものですから、ふしぎに思ってまどをあけました。
するとあらふしぎ、かしの木の天辺に、女の子が引っかかっているではありませんか。
「きゃあ、大へん、たすけなくちゃ。かしの木さん、ちょっとだけがまんしてね」
女の子は、ねまきのまま、かしの木のうでに、よじのぼると、引っかかっていたほたるを、そっと下ろしてあげました。
たすけてもらったほたるちゃんは、ふかくあたまをさげました。
「たすけてくれてありがとう。何かおれいを、させてちょうだい」
「あら、いいのよ。それよりも、どうしてかしの木さんに、引っかかったりなんかしていたの?」
ほたるちゃんは、今まであったことを、すっかりはなしました。
女の子は、ほたるのはなしにすっかりおどろいて、目を皿のように丸くしました。
「おほしさまって、おいしいの?」
「ええ、とっても。ひとつあげるわ」
ほたるちゃんは、女の子に、きらきら光るおほしさまをひとつ、さしだしました。
女の子はおっかなびっくり、おほしさまを……ぱくり!
そのあじの、なんとすばらしいことか。お口の中で、しゅわしゅわはじけて、色んなあじが、ころころとかわっていくのです。
「まあ、なんておいしいの!ほっぺが、おちそうだわ」
あんまりおいしいもんですから、女の子はすっかり元気になって、びょう気はどこかにとんでいってしまいました。
ふたりはすっかり、なかよしさんになって、よるじゅうずっと、くもの上で追いかけっこをしたり、お月さまとかくれんぼをしたり、ほしくずのクレヨンでお空じゅうに絵をかいてあそびました。
そして、おひさまがひがしの空からのぼるころ、ほたるちゃんは、女の子におわかれをつげて、きらきら光るいちばんぼしの向こうがわへと、かえっていきました。

少年は宵闇の野を駆けていた。
濃紺の上着をはためかせ、肩で息をし、足元の草を蹴散らす。
月はなく、満天の星だけが空を彩っていた。
春の夜は、まだ冬の残り香を漂わせている。アブラハムが白い息を吐くたび、傷だらけの分厚い眼鏡が曇る。
身を切る寒さを、たった一枚の布で押し切り、彼は暗闇の丘へと躍り出る。
花はみな頭を垂れ、花弁をしっかり閉じ、少年の逃避を見て見ぬふりをする。
遠い谷の方から、風が囁きかける。唸りをあげ、獣の声を乗せ、アブラハムのつむじを撫ぜる。
途中、草の絡まりに足をとられ、思い切り転んだ。
転んだ拍子に眼鏡が跳んで、草叢の中に消えていく。
痛いと呻く暇もなく、アブラハムは立ち上がる。落ちた鞄を手にとり、眼鏡を探す。
指先はかじかみ、頬や耳は寒さで林檎色に染まっている。どうにか手探りで眼鏡を探し当て、耳にかける。
アブラハムは魔法使いの弟子だ。いや、つい先ほどまで弟子だった。
親元を離れ、祖父と孫の年の差もある魔法使いの下で、物を教わっていた。
家が恋しくてたまらず、修行の厳しさには目を回す日々。それでもまだ、最初のうちは我慢できた。堪えがたかったのは、師の厳しさだった。
師はとにかく、恐ろしい人だ。大人の村人たちにも恐れられるのだから、ほんの小さなアブラハムが師を怖がるのは無理らしからぬ話だ。
以前アブラハムが、知らない老婆から砂糖菓子をもらった時は、五日間も食事を抜かれた。あれほどひもじい日々はなかった。
師匠が飼っていた牝牛を逃がしたときは、見つけるまでは家に入れないと脅された。夜の森を一人で歩き回る心細さと惨めな思いは、今でも忘れられない。
村の子供らの前で魔法を見せたときの師の怒りようなど、あまりに恐ろしすぎて思い出すのも憚られる。
そして今度は、師の大切にしていた壺ときた。
魔法使いの実験室の一角に鎮座していた、綺麗な白銀色の壺を、掃除の最中にうっかり割ってしまったのだ。
陶器が床の上で割れる音は、アブラハムの恐怖を一気に爆発させた。彼は欠片を残さず拾い集め、革の鞄にしまうと、着の身着のまま家を飛び出した。
あてなどない。ただ師匠の怒りが恐ろしかった。まだ十も迎えていない少年にとって、夜の闇よりも牙向く獣たちよりも、師匠の仕置きが一番の恐怖であった。
幸い師は隣の村まで出かけており、事はまだ露見していない。だが見つかったら最後、どんな仕置きが待っているか、アブラハムは考えるだけでも恐ろしかった。
「あ……」
空を仰ぐと、流星が一つ、夜空を横切る。ぼうっと星を見送ると、アブラハムは我に返り、立ち上がる。
ずっと走っていたので、膝は疲労でがくがくと笑っている。だが立ち止まる訳にはいかない。行かなければ。なるべく遠くへ逃げなければならない。
星の並びが正しければ、まっすぐ向かえば太い川に出るはずだ。川を越えれば、さしもの師も追いかけてこないだろう。
「あれっ」
無い。まっすぐ来たはずなのに、川はなく黒々とした木々が肩を組んで見下ろしている。間違って、森の方へ足を進めていたのだ。
アブラハムは焦る心を落ち着け、頭をひねった。正しく進んだはずなのに、なぜ違う道を選んでしまったのだろう。
しかし、と思い直す。むしろ好都合ではないか。森の中ならば、師も追いかけようとは思うまい。
ぽっかり暗闇の口を開けた森の入り口へ、一歩足を踏み出すと、不意に後方から眩い光が差した。
驚いて振り返るアブラハムの目に、燦然と輝く少女の姿が映る。

元気になったほたるは、気ままに空のたびをつづけていました。
ちょいとおなかが空いたら、小さなおほしさまをぷちんともいで、ちょいとつまんでは、また流れぼしを追いかける、そんなぐあいにです。
「今日は、どのほしを食べようかしら」
くもの上にこしかけて、ほたるが考え込んでいますと、下のほうからチカチカとかがやくものが見えます。
ちょうど、元気のなくなったおほしさまの光に、とってもよくにているものですから、ほたるは気になってしかたありません。
「まあ、どうして土の上におほしさまがいるのでしょう」
ほたるはくるん、と回って、人間にすがたをかえますと、そっと土の上におりたちました。
するとどうでしょう、そこには一人の男の子がおりまして、だいじそうにかばんをかかえているではないですか。
ほたるが空の上から見つけたほしの光は、かばんの中からチラチラとのぞいています。
男の子はたいそうおどろいて、ほたるにたずねました。

アブラハムは、眼前の光る少女を警戒し、後ずさる。
「君、いつからここにいた?それと、どうして光ってる?魔物か何かか?」
矢継ぎ早に質問をぶつける。少女は虚を突かれた表情を零し、しげしげと自分の体を見下ろした。
発光していることの何が悪いのか、とやや不満そうだ。
少女は、アブラハムをおびえさせないためか、ゆっくりとした優しい声で語りかける。
「私、魔物じゃない。ほたるっていうの」
体が発光している時点で、ただの人間でないことは確かだ。ならば妖精だろうか。森に巣食う、人食いだろうか。
けれど、外見は普通の少女で、とても人のよさそうな顔をしている。禍々しい角も、鱗も、牙も爪もない。
鞄を握っていた力が少し緩む。人ではないが、こちらを食べたり襲ったりするようなものでもなさそうだ。
「分かった。君が魔物じゃないとして、君はどこからきた?」
尋ねたあとで、愚問だと気づかされる。この森の付近に住むか、もしくは森の中に住処を構えているかぐらい、予想をつけたってよかったはずだ。
ほたるは答える代わりに、空を仰ぐ。アブラハムも空を仰ぐが、満天の星と、紺色がかった黒い雲が漂うだけだ。
少女はくりんとした大きな目を、アブラハムが抱えている鞄に向けた。
「お星さまが地上にあるから、どうしてかしらと思ったの」
少女は紛れもなく、鞄を指さして答える。アブラハムは答えに窮した。が、おずおずと口にする。
「この中に星なんてないよ。ただの割れた壺だ」
鞄を開けて、ほたるに中身を見せる。少女はバラバラになった壺の欠片をひとつひとつ丁寧に拾い上げ、「可哀想に」と呟く。
「なんとか直せないかしら」
「直せてたら、僕はこんなところにいないよ」
アブラハムはその場に座り込んだ。がちゃがちゃとやかましく、欠片がぶつかり合う。
ほたるも座り込んで、アブラハムの目を見た。
「あなたが壊しちゃったの?」
「……うん。お師匠様のものなんだ。掃除中にうっかり落としちゃって、怖くなって、逃げ出して……」
力なく項垂れて、声が次第にか細くなっていく。ほたるは腕を組んで考え込むそぶりをする。
俯きがちのまま、アブラハムは少女を見やる。己より歳はだいぶ上のようだが、顔つきはあどけない。
見たこともない髪の色、目にしたことのない服装に、アブラハムはしばし割れた壺のことも忘れて魅入る。
「あら?」
ほたるが驚いた顔で、アブラハムの手元を指さす。不意に、鞄から光が溢れはじめ、アブラハムは悲鳴をあげる。
ただ白銀色に塗られただけの壺が、命を得たかのように温かみをもち、欠片が蛍の光のように発光している。
知らずうちに、「なんだこれは」、と驚愕の言葉が漏れる。
すると突然、難問の答えに辿り着いたかのような、ほたるが黄色い声をあげた。
「この壺、すごいわ。星の力をかんじる。きっと、流れ星で出来てるんだわ」
まさに流れ星の如し、予想の遥か頭上を行く答えに、アブラハムは目を白黒させる。
夢見がちな子供の妄想だ。アブラハムはそう一蹴してやりたかった。
星は宇宙に点在し空に瞬く力の塊であり、まかり間違っても壺の材料になるものではない。
だが、淡く輝く少女の横顔は、まるであらかじめ用意された答えに納得しているかのようだった。
そしてしばし何か考えこむ素振りを見せると、ほたるはアブラハムの肩をつかんで、目を輝かせた。
「ねえ、この壺、ちょうだい」
「はあ?駄目だよ、ダメ」
アブラハムは仰天して、壺の欠片を背中に隠した。
「どうして?捨てるつもりだったんでしょう」
「そ、それは」
アブラハムは言葉に詰まった。
持ってても仕方のない代物でしかないが、ここで誰かに渡してしまうのは間違っている気がした。
巡り巡って師の手に渡る、一抹の不安もあったかもしれない。
「とにかく、どうしても駄目」
欠片一つでも、渡すつもりはなかった。理由などなく、意地に近い。
「それに、君こそ割れた壺なんて貰って、どうするつもりさ」
「どうって、直すのよ。これが星の壺なら、私の力でこの壺を直せる」
ほたるはそう言って食い下がる。
直せるものか、と今度こそ鼻で笑った。たとえ腕利きの職人だろうと、このバラバラになった壺を元通りにすることなどできるはずもない。
ふと、待てよ、と少年は思い至る。この女は師の手先ではないか、と。
既に自分の悪行は明るみとなり、師が自分を追うためにこの女を使わせたのではないか。
空腹と寒さで、アブラハムの内に潜む疑心は飛躍する。
師の前に引きずり出されるのはごめんだ。アブラハムは踵を返し、森の中に駆け込む。
「あ、待って!」
少女の制止の声を振り払い、闇の中に身を躍らせる。
森は複雑な道のりになっていて、まともな道など殆どない。だがこちらは夜目がきき、相手は体を光らせている。どこにいようと丸わかりだ。
ならばと少年は、より闇が深い方へと足を進める。月の光一筋すら遮られた夜の森は、少年の足音も、荒い息遣いも飲み込んでしまう。
少し前の少年なら、恐ろしさのあまり泣いてしまっただろう。一歩進んだ先に毒蛇がいるかもしれない。熊の足を踏んづけて食い殺されるかもしれない。
或いは毒草で皮膚を裂いて悶えながら死ぬかもしれない。幽霊や魔物だっているかも分からない。
だが不思議と、今の彼は恐怖を感じていなかった。少女の輝きから逃げる彼にとって、闇こそが彼の味方であった。
「ねえ、どこ?」
遠くから、少女の呼ぶ声がする。それに伴って、光が少年の足跡を辿り、近づいてくる。
まずい、このままでは見つかる。
焦った少年は木の根に躓き、段差から転がり落ちた。目の前に、ぼっかり空いた狭い樹洞が待ち構えていた。少年は咄嗟に、うろの中に身を滑り込ませた。じめじめとして、おまけに臭う。冷えた土と水を多分に吸った苔の臭いだ。
早く通り過ぎてくれ。少女の気配が着実に近づいてくる。
さく、さくと、落ち葉を踏みしめる音が、少年の心臓を咀嚼する。うねる木の根が輝きに照らされ、影が踊る。足音が止んだ。
あまりに突然だった。頭上で梢がばきばきと悲鳴をあげ、ずしんと地が揺れた。少年は悲鳴を上げ、うろから転がり出た。小枝や木の葉がぱらぱらと注がれる。
木の根を挟んだ向こう側で、少女は息をのんだようだった。
「こっちこないで」
少女の鋭い声が空を裂く。少年は体についた葉や枝を振り払う事も忘れて、無我夢中で土の上を這い、自然の段差をよじ登る。
ほたるを中心にして、辺りは昼間のように眩しく輝いている。少女は腰を落として身構え、対面したものと睨みあっている。アブラハムはそっと覗きみて、同じく息をのんだ。
ほたるの前に、一頭の獣が悠然と立ち塞がっていた。狼とも、狐ともつかない。ほたると同じように全身は光を放ち、尾は流星の筋のようだ。
ただ立つだけでその存在をいやというほど感じざるを得ず、わけもなく耳鳴りを覚える。獣の放つ気配がその元凶かであるように思われた。
獣が飛来したと思われる梢の穴で、幾つもの星が瞬いている。雲はなく、銀の月がこちらを垣間見ていた。
獣はまっすぐほたるを見つめ、空に向かって吼えた。それは獣の声でなく、雷や嵐の出す轟音にとても似ていた。肌全体が痺れるような刺激を受け、声も出ないほどの威圧が身に染みる。
「なんだ、あれは」アブラハムはそう言葉を紡ぐだけで精一杯だった。
「流れ星よ。この獣に憑依してるんだわ」ほたるは視線を逸らすことなく答えた。
「私を追ってきたのよ。そこから動かないで」
初めからそこにアブラハムがいることを承知していたように見受けられる。
獣は足を地に沈ませると、ほたるに飛びかかる。危ない、とアブラハムが叫ぶより早く、ほたるは跳びあがった。兎のように軽やかに、猫のようなしなやかさで、自身の十倍も背の高い木に飛び移る。
曲芸師のような動きを目の当たりにし、アブラハムは開いた口が塞がらない。間髪いれず、ほたるが飛びのくと同時に、獣が跳躍し、ほたるが留まっていた枝をいともたやすく噛み砕いた。
「そうやって何百年も追い回して、本当にしつこいわ」
ほたるが怒りをこめて呼びかけると、獣は怒り狂うように再び吼える。
何とかしなければ。アブラハムは鞄を強く抱き締めた。今が逃走の好機に違いなかった。
抜き足差し足で、少しずつ後ずさりし、藪の中に隠れて逃げるつもりだった。
しかしいざ、藪の中に足を踏み入れた瞬間、アブラハムの足は空虚を踏んだ。
内臓が急速に冷えていき、空気の抵抗が全身を包む。アブラハムの体は高い崖から、崩れるように放り出された。
アブラハムは悲鳴をあげ、藁にも縋る思いで腕を伸ばす。しかし突き出た枝や蔦などありはしない。真っ逆様に地面へと吸い込まれていく。
今わの際に人は走馬灯を見るという。だが彼はそんなものを見る余裕もなかった。視界が動かなくなったからだ。全身が空気を感じることなく、内臓が冷える感覚もうせていた。
首をひねると、すぐそこに地面があった。水面に浮かんでいる気分だ。それもつかの間、アブラハムは地面に叩きつけられた。
せき込むアブラハムの眼前に、ほたるがいた。泥にまみれて、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「貴方のお陰で逃げる隙が出来たの」
崖の上を見上げると、獣がこちらを睨みつけている。だが追ってくる気配はない。悔しそうにこちらを見つめて、唸り声をあげている。
「きっと、あの生き物はこの森の一部を縄張りにしてるのよ。でもこっち側は別の生き物の縄張りなんだわ。だから、いくら流れ星が生き物に憑依しても境界を超えることができないのね」
ほたるは一人合点がいったように頷き、アブラハムに手を伸ばす。少し迷って、彼はその手をとり、立ち上がる。
「ほたる、君は何者?」
少女は微笑むだけだった。アブラハムの頬に指を乗せ、優しく拭う。
「泥がついてた」
ほら、と土で汚れた親指を見せる。その指の暖かさで、アブラハムは問い詰める気も失せてしまった。鞄を抱きしめたまま、アブラハムは問いかける。
「まだ、壺のこと、欲しいと思う?」
ほたるは首を縦に振った。あくまでも壺は欲しいらしい。
「なら、この壺の持ち主に聞きましょうか。あなたのお師匠様がいいと言ったなら、それでいいでしょう?」
合理的ではある。壺の持ち主が、アブラハムの師匠であることに変わりはない。
それを聞くとアブラハムの顔からみるみる血の気がひく。
「そ、それこそだめだよ、僕が怒られる」
「壺を壊したあなたが悪いんじゃない。素直に謝るのが一番よ」
ぐうの音も出ないとはこのことだ。アブラハムは黙り込んで、壺の欠片の小山を見下ろす。
つるつるの表面に、小さなアブラハムがたくさん映る。どの顔も、後悔で溢れそうだといわんばかりだ。
不意に鼻の奥が、ツンとして、両手で顔を覆う。
そうだ、本当は謝りたかったのだ。だのに、お仕置きされることが怖くて、壺の欠片ごと抱えて逃げ出してしまったのだ。
アブラハムはほたるを見上げて、ゆっくりと答えた。
「……分かった。お師匠様の所に戻って、正直に謝る。一緒にきてよ、ほたる」

「それじゃあ、いっしょに行きましょう。あなたの、おししょうさまのもとへ!」
ほたるはアブラハムの手をにぎって、ぴょーんと、とび上がりました。
とても高く高く、森でいちばん大きなかしの木のてっぺんすら、小さく見えるくらいです。
野のおおかみたちが、空をとぶ二人をみて、わおんわおんと、ほえています。
ほしにも手がとどきそうなほどの高さに、アブラハムはよろこびました。
「すごい、すごいや、きみは空からきたんだね!」
「そうよ、私、ほしの子なのよ」
ほたるは夜空のほしたちにきこえるくらい、大きな声でさけびました。
羊も、牛も、木も人も、何もかもが小さく見えます。
森のなかから、何かがとびだしてきました。おやおや、またあのおそろしいけものです。
あばれんぼうの流れぼしは、しつこくほたるたちをおってきます。
「ひゃあ、おってきた」
「だいじょうぶよ、ここは空の上。やっつけてやるわ」
ほたるは力づよくいいますと、空に手をのばします。するとどうでしょう、空から一本のかがやきが糸になって、大きなあみになったではありませんか。
「そうれ!」とほたるがあみをなげかけますと、あみはけものに、ぐるぐるとからまって、けものはきゃいんきゃいんと泣きながらにげていきました。
「やったあ」と二人は手をふってよころびました。
あれ、あそこにいるのはだれでしょうか。アブラハムはあっと声をあげました。
「おししょうさまだ!おーい!」
まっ白いひげをたくわえた、アブラハムのおししょうさまは、そりゃあとんでもなく目を丸くしました。
空から、女の子といっしょに、でしがふってきたのですから、たまげてしまうのもしかたなのないことです。
「おおアブラハムや、どこに行っていたんだい」
「ごめんなさい、おししょうさま。だいじなツボをこわしてしまったので、にげてしまったのです」
アブラハムは、あたまを下げて、カバンをさしだしました。
おししょうさまはカバンを開けますと、はてや、と首をかしげます。
「のう、アブラハムや、お前の言うとおりツボはあるが、どこもこわれておらんではないか」
あれっ、とふしぎに思ったアブラハムがカバンの中を見ますと、ツボはもとのきれいな形にもどって、ぴかぴかと、かがやいております。
「まあよい、ぶじにかえってきてくれてうれしいよ」
おししょうさまは、だいじそうにぎゅっとアブラハムをだきしめました。
ほたるはそっと、おししょうさまにたずねます。
「おししょうさま、そのきれいなツボを、私にくださいませんか」
「おお、いいとも。アブラハムをつれてきてくれたお礼だ、もっていきなさい」
ほたるはよろこんで、ツボをもらうと、スキップして空へとかえっていきました。
そして、空のすみっこにツボをかくして、ときどき流れぼしをためこんでいるそうです。

おしまい。

ほしの子と割れた壺の噺

星垂る氏に感謝の言葉を。

ほしの子と割れた壺の噺

短編。お気軽にどうぞ。この小説の著作権は星垂る氏(@colam22)と共有するものとします。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-06

CC BY
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