約束、したよね。
≪0・花束の数だけシアワセを。≫
―――そろそろ枯れちゃうなぁ……。
紗一は、壺に生けられた花を見つめ、ため息をついた。美しい花々は、「美男薄命」という言葉のように儚く散ってゆく。
そもそも、いつから花を意識し始めたのだろうか。
扇里(おうぎさと)家は、別に華道に携わる由緒ある一家―――などではない。ただのごく普通の、ありふれた家だ。それでも紗一は、少なくとも小学校を卒業したころには花が好きだった。名前を覚えているわけだはない。ただ、「見ている」だけ、それだけで紗一は幸せになれた。
散ってゆくのはかまわないんだ。それも綺麗だから。
ただ、枯れてしまうのはなんとも悔しいというか切ないというか……。
紅く頬を染めたカーネーションが、母に贈った2日後くらいには茶色くしなびてしまっていたときのことは、どれほど前の話か忘れていても、ショックは記憶に刷り込まれている。
―――おかあさん、ごめんね、ごめんね、また買ってくるよっ。新しいカーネーション、買ってくるからっ
小学生になりもしなかった頃の僕は、泣き泣き母にすがりついていたっけ。
ああ、きっとその頃から花に興味があったんだ。いや、花というより花のもつ「繊細さ」「儚さ」に、興味があったんだ。
今僕は、ほんの少し花弁の先がくるりと巻いて、茶色い部分が見え隠れしているアヤメの生け花の前に座っている。
(かっこいいなぁ。つんと澄ましてて……、スポットライトを浴びて堂々と立ってる女優さんかな、ううん、気高さを忘れない貴族の末裔かな……。少し寂しげなのが人の気を引くんだ……。)
ぼんやりと考える。
アヤメの花に葉っぱが少ないのは、葉っぱが鋭いのはどうしてだろう?
「アヤメは……孤独な姫なんだ。自らで剣士まで務める、たった一人の姫剣士……。」
つぶやいたとき。
「ロマンチックですなぁ。……さっちは乙女かっ。」
僕の斜め後ろから声がした。『さっち』は僕の『紗一』を縮めた愛称。
軽く首をねじって後ろを見ると、先がぴんぴんとはねた、爽やかなヘアワックスの香りの漂う髪が視界に入る。
「燈矢(とうや)、乙女は言い過ぎだと思うよ。乙女に失礼だし、それにちょっと傷付いた。僕は確かに女々しくって情けない男かもしれないけど、仮にも男だし。確かに体力もなくって緊張に弱くて女の子から見たら逆に”守りたい精神”をくすぐっちゃうかもしれないし、それに……、」
僕がつらつらと言い始めると、燈矢の細くて凛々しい腕が待ったをかけた。
「わぁかった、お前が女に守られるわけはよおおぉぉくわかった。……だけどな」
燈矢の顔がずいっと近づく。きょとんとする僕に、燈矢はきっぱりと言い放った。
「俺以外の男の前で、そうやって自慢をすんじゃねえぞ、わかったなっ。」
「それは……、告白、かい?」
僕は目を見開いたまま訊く。
途端、燈矢の表情が3メートルほど遠くにドン引いた。
「ンなわけあるかっ、俺は、お前に『忠告』してんだっ。」
忠告。あのお調子者の燈矢から、そんな言葉が聞けるとは思わなかった。
「いいか?俺はそうゆうの聞いてても別に平気だけど、クラスの大半……いや、世界の大半の男は、そうゆう自慢話でイラッとするわけ。イコール、ハブられたり下手すりゃいじめとかなりかねねぇのっ。だから、俺以外の男の前で自慢話……特に女の話はすんなってこと。」
「……うん。」
優しい燈矢らしい言葉だった。いや、言葉の使い方こそは粗野だったけど、言っていることは温かく、風邪を引いた日のホットココアのように心をほぐしてゆく。
だから僕は、素直にうなずくしかないと思った。義務的にではなく、自分がそうしたくて。
不意に、僕はアヤメの花を一輪、優しく手折って燈矢に差し出した。
「……えっ、お前、何やってんだよっ。花の事そんなに乱暴に扱ったことねぇじゃん、え、俺、気に障ること言ったっ?!」
突如として燈矢は焦り出す。僕は、『女の子みたい』と評された事のある笑顔で、言う。
「ううん。忠告してくれた燈矢に、僕のこと気にしてくれた燈矢に、幸せがやってきますように……って、これをあげる。知ってる?花は幸せを運んでくるんだよ。」
僕は、きょとんとする燈矢に微笑みなおし、もう一度アヤメを差し出す。
燈矢は、やんちゃそうにニッと笑い、アヤメを受け取る。教室に飾られていた花だが、大丈夫だろう。なにしろ、教室に花を持ってくるのは僕だけで、今日のこの花も僕が持ってきたものだから。
花の数だけ微笑みが、
花の数だけシアワセが、
やってきますように―――。
約束、したよね。