題名のない手紙 第02話
もうどれだけ歩いただろう。
次の一歩が、硬いアスファルトに吸い付いているかのように踏み出せなくなる。
足には既に痛いという感覚は無かった。
止まってしまいたい。けど、それをしたらあたしはもう踏み出せなくなるだろう。
病院から抜け出しきて、ただひたすら走って、走れなくなったら歩いて。
気が遠くなるほどの距離を、逃げてきた。
でも、もう少しで目指していた場所に着く。
“先生”が住んでいた町。
そこには、あたしが求めているものがあるんだろうか?
けど、あたしはそこに行く以外ないんだ。
これ以上、あの“檻”の中にいたくない。
だからこれは・・・・・・あたしの人生をかけた脱走劇。
『犯した間違い、償いのために』
◇◇◇
あの後、僕はただ彼女が泣き止むまで、その場で黙り込んでいた。
ただ見ていることしかできず、相変わらず何もできない自分に空しさを感じながら。
彼女は泣き止むと、黙って頭を僕に下げて、自室へと戻っていった。
僕はあの後、これから使う自室へと入った。
一年前も使っていた部屋。
ベットの配置も机の配置もテレビの配置も何もかも変わってない。
まるで、僕が必ず帰ってくると、変わらずにここで暮らせるようにと、準備されているようだった。
部屋に埃一つたまっていない。ちゃんと整理されている。
これは・・・・・・もしかして、紗衣香ちゃんがしてくれているのだろうか。
コンコン。
軽く、ドアを叩く音。
「遅くにすみません・・・・・・紗衣香です」
「紗衣香ちゃん?」
先ほどのこともあり、少しドキっとした。
「・・・・・・ちょっと待って、今開けるから」
気まずさを押し隠しながら、扉を開けるとパジャマの上にカーディガンを羽織った姿で紗衣香ちゃんが立っている。
先ほどまで泣いていた事もあり、目は真っ赤に充血していた。
「あ、その・・・・・・・先ほどは見苦しい所をお見せしてすみませんでした」
紗衣香ちゃんも気まずそうに、そして少し慌てた調子で頭を下げる。
僕に頭を下げる必要なんて無いというのに。
「もう大丈夫です。落ち着きましたから」
僕が、彼女に謝りつづけなきゃいけないのに・・・・・・。
「・・・・・・仕方なかったって分かってますから」
僕が黙っていることに気づいて、そんなことを言った。
「あの時は仕方なかったんだって思ってます。だから先生を恨んでなんかいません」
「・・・・・・紗衣香ちゃん」
僕の目をまっすぐに見据える。
「ですが、例え仕方がなかったんだとしても、あの時の先生の行動は間違っていたものだと思っています」
僕を許してるわけではない。
さっきの激情に駆られたものではなく、静かな怒りの感情。
「だから、許せないということに変わりはありません」
「・・・・・・うん。そうだよね。あの時、僕は間違った行動をした」
気づくのが遅過ぎたんだ。
だからもう、なにも取り返せなくなってしまった。
「・・・・・・これを」
そう言うと、手に持っていた物を僕に手渡した。
なんだろう。この茶色の封筒は。中に何か入っているみたいだけど。
「手紙です」
「手紙?」
「はい。姉さんが生前に書いたものです」
裏を見てみると、小さく「俊也さんへ」と書かれてあった。
彼女の・・・・・・優日の懐かしい丸っこい字で。
「姉さんの部屋を片付けている時に見つけたんです」
「僕宛て・・・・・・」
「好きなときにお読みください」
優日は僕に何を伝えたかったのだろうか。
死ぬ前に一度も彼女の前に現れなかった僕に。
・・・・・・見るのが怖い。
自分の罪を、彼女の言葉で責められるかもしれない恐怖に、僕は耐えられるだろうか。
いや、例えどんなことが書いてあろうと、僕は受け止めなきゃいけない。
それが、僕の責任だから。
彼女に愛してもらっていた、僕の。
「・・・・・・わかったよ。ありがとう」
「あの・・・・・・」
紗衣香ちゃんがおずおずと聞いてきた。
真剣な表情は変わらず、僕の態度を見定めるように。
「どうして、ここに戻ってこようと思ったのですか?」
彼女から沢山聞くことになるだろう言葉。――「どうして」
“どうして”姉の元から居なくなったのか?
“どうして”あの時、あの誘いを受けたのか?
“どうして”最後を看取りに来なかったのか?
“どうして”葬儀に来なかったのか?
“どうして”今頃になって戻ってきたのか?
どうして、どうして、どうして…彼女の頭の中には疑問がたくさんあるはずだ。
これから、少しづつでもいいから答えていこうと思う。
それが責任でもあり、自分に誓ったこと。
「・・・・・・このままじゃいけないって思ったんだ」
素直に打ち明ける。
自分勝手だったあの時の感情を。
「彼女の死が怖かった。弱っていく彼女に対して何もできない自分を恨んで、自分が情けなくなった。そんな自分を認めたくなくて・・・・・・僕は、彼女から逃げ出した」
その時はそれが正しいのだと信じた。
そう信じ込んで、嫌なことから目を背けて、自分の気持ちを正当化した。
「でも、この町から離れても、ずっと彼女の事が頭から離れなくて、逃げ出した事への罪悪感と、何もできない事への焦燥感だけが募って・・・・・・そして、彼女が死んだことを聞いた」
それを聞いた時、僕の中の全てが壊れた。
「・・・・・・何も分からなくなって、どうしようもなく落ち込んで・・・・・・自分がした事への後悔とか罪悪感とか・・・・・・そういった負の感情ばかりが湧き上がってきて・・・・・・自分を責め続けた」
自分で自分を殺そうとまでした。
本当、バカみたいな行動だ。
浩司に殴られて、思いとどまって・・・・・・それでも落ち込み続けた。
「その時、ある人が僕にこう言ってくれたんだ」
僕がここに来た理由の根本
一歩を。たった一歩すら、踏み出せなかった僕に与えてくれた言葉。
「『お前がお前を責め続けて、その人やその人の家族は救われるのか? 良く考えろ。お前が本当にするべき事は自分を責め続けることなのか?』」
部屋に引き篭もっていた僕を殴り、諭すように語ってくれた言葉。
「『違うだろ? お前が最低の行動をしたとしても、自分がした事を相手の為に伝えなきゃ行けない』」
まだ生きなきゃいけない、そう思えた言葉。
「『だから、伝えに行け。必至に自分の想いを伝えろよ。それがお前の責任だろうが』ってね」
紗衣香ちゃんは静かに、僕の言葉を聞いてた。
「僕は・・・・・・僕のした事に、ケジメをつけなくちゃいけない。たとえ許されなくても、恨まれても僕のするべき事は、残された人に僕の気持ちを伝えることなんだ」
僕の心を窺うような、彼女の視線。
「だから・・・・・・ここに戻ってこようと思った。拒絶されることなんて分かっていたけど、償うため、君や僕が前へ進むために・・・・・・必要だから」
だからこそ、しっかりと目を逸らさずに答える。
この意思は僕の本当の気持ちだと、伝えるために。
「・・・・・・わかりました。ありがとうございます。教えていただいて」
紗衣香ちゃんはふっと表情を崩し、お辞儀をした。
「それが自分にした誓いだから」
「誓い、ですか?」
そう。ここに来る前に自分に誓った。
当り前だけれど、とても難しいこと。
「何を聞かれても全部、正直に話そうってね」
紗衣香ちゃんは僕の言葉を聞き、少し考えているようだった。
やがて考えを否定するように首を振り、口を開いた。
「・・・・・・では、私はもう失礼します。こんな遅くにすみませんでした」
「いや。紗衣香ちゃんと話せて良かった」
「・・・・・・はい。それでは、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
彼女を見送り、ベットに横になる。
明日は彼女のお墓へ行こう。
そして、そこで手紙も見るつもりだ。
何が書いてあるんだろう? 彼女の手紙には。
僕を責める言葉が書かれているだろうか?
そうであってもおかしくない。
いや、その確立の方が高いのかもしれない。
もう償えないのだから…なにがあっても背負う。
彼女の言葉、全てを。
「大丈夫。受け止められるさ」
そう自分に言い聞かせ、目を閉じた。
◇◇◇
??朝。
朝の陽射しが窓から射し込み、眩しくて目を開ける。
変わらない日差し、一年前もこうして起きていた。
目覚ましを使わずとも、ここの太陽は皆を起こしてくれる。
朝だ、と知らせてくれるのだ。
「九時、か」
ベットから起き上がり、窓を開ける。
土の匂いをはらんだ風が僕を包み込んだ。
気持ちいい。素直にそう思った。
一つ一つが新鮮で、一つ一つが皆懐かしい。
この町に、この場所に帰ってきたんだと改めて感じた。
「頑張ろう。今日も」
窓から見える全ての景色にそう誓い、部屋を出た。
朝の準備をすまし、ここに住む人が使う、共有の台所に来ていた。
茶の間みたいなものだ。
朝食の用意をしていると、紗衣香ちゃんが入ってきた。
「あ、紗衣香ちゃんに聞きたい事があるんだけど」
「・・・・・・なんでしょうか?」
「優日のお墓はどこにあるんだろう。教えて欲しいんだ」
僕の罪がそこにある。
そして、認めなきゃいけないものが。
それを真正面から受け止めたい。
「そうですね・・・・・・それじゃ、私も一緒に行きます」
「ありがとう」
案内してもらうだけにしよう。
もしかしたら僕は泣いてしまうかもしれないから。
そんな情けない姿を見せたくは無い。
「それじゃあ、お昼頃には出ますから、それまでに準備をしておいてくださいね」
「わかったよ」
「じゃあ、お願いします」
いよいよ、彼女のお墓へ行く。
たぶん、今日は自分にとっての一つの区切りとなる日だろう。
そして、手紙のこともある。
何が書かれているのか・・・・・・。
もう償うことが出来ない人からの手紙。
読むことへの恐れは確かにある。
「でも、僕はもう・・・・・・逃げるわけにはいかない。絶対に」
逃げ続けて、結局は失敗した。
何も救う事が出来ず、彼女をも苦しめてしまった。
何が書いてあっても受け止める。
受け止めなきゃいけないんだ。僕は。
例えそこに僕を責める言葉が書かれていようと。
僕を拒絶する言葉が書かれていようと。
僕を否定する言葉が書かれていようと。
逃げない。絶対に。
題名のない手紙 第02話