ビューティフル・ダイアリー(6)
二十六 肩甲骨の女 から 三十 植え替えする女
二十六 肩甲骨の女
いつの頃だろうか。いや、生まれる前、正確には、お母さんのお腹の中にいる頃からだ。あたしは思い出そうとする。人は、三歳までの記憶は覚えていないと言う。もちろん、自分が三歳であるという認識もない。
両親が写してくれた写真を見て、初めて、自分の小さい頃のことを思い出すのだ。いや、思い出すのじゃない。自分なのだけれど、自分じゃない子どもが、そこに写されているというのが実感だ。その写真に写っている子どもが、現在の自分と結びつきそうで、結び付かない。確かに、顔は似ている。今の顔の面影はある。
父親が大切に保管している毎年の年賀はがきの家族写真を開くと、自分の顔が、毎年写り、連続していることがわかるので、確かに、昔の自分も、今の自分も、自分なのだろうと思う。問題は、存在の話ではない。肩甲骨のことだ。
あたしの肩甲骨は他の人に比べて、異様に引っ込む。日常生活で支障を来すことはないのだけれど、ガクッと音がするぐらいに引っ込むのだ。それも右肩甲骨だけでなく、左肩甲骨も、だ。もちろん、肩一方だけ、引っ込むのは気持ちが悪い。どうせならば、両方がいい。左右対象に、バランス良く引っ込む。シンメトリーだからこそ、体も心も安定するのだ。
両親は、あたしの左右の肩甲骨が極端に落ち込むのを見て、「天使の羽よ。きっと幸せになるよ」と誉めてくれるけれど、鏡で背中を見ると、がくがくとしており、このまま体が変形していきそうで不安な気持ちになる。
普段は服を着ているので、他人に天使の羽根を見せることはない。だけど、学生の頃は、水泳の授業がいやだった。泳ぐことは苦手じゃなかった。どちらかと言えば、得意だった。同級生よりは、泳ぐのが速かった。だけど、速いからこそ、「あなたはいいよね。背中に羽が生えているから」と友だちからからかわれた。友だちにしたら冗談のつもりだろうが、本人にとっては心が痛く傷ついた。その一言で友人関係を断ったこともあった。
羽じゃない。羽だったら、空を飛べるはずだ。空を飛べない羽は羽じゃない。小学生の頃、一度、近所のお山の公園(公園内に盛り土があり、展望台があったことから、友だち同士、お山の公園と呼んでいた)に行って、山に登った。
山と言っても五メートルぐらいの高台で、盛り土には芝生が植えていたが、ところどころ、赤土が見えていた。あたしは、一番なだらかな裾を探すと、手を広げ駆けだした。
ブーン。口からはプロペラの音を出した。風を受ける。スピードが出る。滑走路を半分過ぎた。空を飛べるのか。かけ足の一瞬だけ、宙に浮かんだような気がしたが、すぐに地面に引き戻された。斜の滑走路を過ぎ、公園のちょうど真ん中で、あたしは立ち止まった。やっぱり、飛べなかった。
それ以来、飛ぶことも、人に素肌の背中を見せることはなかった。万が一、背中が見られる場合には、背中に垂直板が背負っているように意識して、決して、肩甲骨が羽に見えないよう、用心した。
人前では、背中を見せないものの、あたしは、自分の天使の羽は気に行っていた。毎朝、鏡の前で、肩甲骨を後ろに下げ、羽のように見せた。空を飛べなくても、人生の空は飛ぶことができるんじゃないか。幸せがどこからかやってくるのを待つのじゃなく、天使の羽で、幸せを掴みに行くことができるんじゃないか。そう思った。
今日もまた、朝、歯磨きやうがい、洗顔をするように、あたしは、肩甲骨を後ろに引き、天使の羽がきちんと付いているかどうかを確認した。
二十七 ミニトマトを栽培する女
まだかな。まだかな。
キャサリンは窓際の鉢をのぞく。
あっ、そうだ。水を遣らなくっちゃ。
台所に行き、ガラスコップに溢れるほど水を注ぐ。こぼれないように運ぶ。ガラスコップの海に波紋が生じる。
おっととっと。
キャサリンは、水がこぼれないように、また、こぼれても鉢に水が遣れるように、手を伸ばす。おっとっと、だなんて、恥ずかしい。おやじ用語だ。ギャルが、しかも外国人のキャサリンが使う言葉じゃない。いや、ギャルなんて言葉も、ミイラ化して、古墳の貝塚の中に放り込まれている。
いや、それよりも、目の前のコップだ。手だけをいくら伸ばしても水はこぼれる。手と同時に足も一歩前に出す。
おっとっと。
また、死語が出た。それよりも、左足が先だ。グラスは、それほど早くに鉢に水を遣りたいのか、後ろを振り返らずに、前へ前へと進む。その意思は正しい。納得する。理解できる。
だけど、手だけが体じゃない。頭も胴体も足も一体だ。手が早いと言うけれど、体も一緒に着いて行かなければ、体ごと倒れてしまう。そう、本体転倒だ。そうなると、鉢に水を遣るという初期の目的が達成できなくなる。それこそ、本末転倒だ。
キャサリンは、右手の意思を尊重するために、ろくろ手に甘んじようとした。この結果、右腕と左腕の長さが異なり、アンシンメトリーの体になっても構わない。キャサリンは重大な意思決定をした。
そのお陰なのか、右手はぐいぐいと伸び、グラスが直角から八十九度、七十八度、六十七度と傾いていくにも関わらず、中の水が、自らの新たなる受け入れ先である新天地を求めて、そう、グラスの中の水にとって、今までいたところには既に関心がなく、これから住む場所が重要であり、新天地を求めて西へ、西へと進んでいく開拓者のように、飛び出した。その先は、一旦、収まる場所がない空中であったが、束の間の散歩を楽しんだ後、植木鉢の中に無事着地した。
グラスが傾くのに比例して、キャサリンの体も支えを失い、傾いたものの、無事、グラスの水が植木鉢の中にかかるのを確認すると、グラスを胸に抱き、右肩からくるりと受け身をとって一回転した。キャサリンも、グラスも、植木鉢も、全員が無事だった。めでたし、めでたし、だ。
それでは、キャサリンが怪我することも厭わずに大切にしている植木鉢の正体を明かそう。植木鉢にはトマトが植えられている。植木鉢にトマトだって?そんなに小さな場所に、植えることが出来るのか、L寸の体なのに、無理やりS寸のTシャツを身に付けているあなたのことだろう、と、突っ込みが入りそうだが、安心して欲しい。トマトはトマトでも、ミニトマトだ。
ミニトマトだから、トマトの実は、キャサリンのおちょぼ口に入るか入らないかの大きさだが、背丈は軽く一メートル近くにまで伸び、キャサリンの座高を遥かに越えている。嬉しいことだ。ここでは、別に、キャサリンの座高とミニトマトの背丈を比較しようという意図はない。キャサリンが、大切に、大事に、そして、キャサリンの美のために、ミニトマトを育てていることを知ってもらいたいだけである。
「早く咲け咲け。トマトの花」
キャサリンは、まだ緑色の花びらをやさしく撫でた。
「早くなれなれ。トマトの実」
今度は、開いた花房を指で軽く弾いて受粉・着果を促した。
「早く色づけ。トマトの実」
キャサリンは、まだ、緑色で固くひきしまった実を、見つめられて恥ずかしさのあまり頬が赤くなるまで、見続けた。
キャサリンの必死の思いが伝わったのか、トマトの実は赤く色づいた。軽くつまんだだけで、手のひらの上で転がった。白魚のような指先で赤い真珠の実を掴むと、水道水で軽くすすぎ、そのまま口の中に放り込んだ。
口の中で転がるトマトの実。すぐには齧らない。二か月以上も、大切に育てたトマトだ。キャサリンは、これまでの苦労をすべてねぎらうかのように、口の中全体でトマトを転がした。口の中は、キャサリンの代表として、しっかりとトマトを堪能した。十分満足したので、次は、歯にバトンタッチした。
ガリリと齧る。中から甘い溶液が舌に広がり、しなやかな感触が歯に伝わる。
これだ。キャサリンはこの感触を、数か月の間、昼もなく、夜もなく、ずっと待っていたのだ。言葉が口から飛び出した。
「ああ。じゅうーしー」
宝石は、キャサリンの口の中を花火のように彩っただけでなく、爪先に、髪の毛に、腋の下に、膝の裏に、足の親指など、体全身に広がった。キャサリンは、ミニトマトの花火で全身を覆われたのだった。
赤い爆弾は、キャサリンの心を戦慄させた。キャサリンは、自分がどんどんときれいになっていっていると感じた。体育座りにしゃがみ込むと、膝頭に口を付けるほど膝を抱き、丸くなって、自分もトマトの実になろうとした。もちろん、緑の帽子を被り、赤いTシャツを着て。
二十八 背中を掻く女。
「かゆい。かゆい」
女は右腕を背中に回し、背中を爪で掻く。だが、どこがかゆいのかわからない。かゆみを覚える場所を掻く。ごりごりがいいのか。ごしごしがいいのか。はてまた、ぽりぽりがいいのか、ざきざきがいいのかわからない。
掻き方の方法が問題ではない。かゆみさえとればいいのだ。じゃあ、かゆみはとれるのか、かゆみが背中にひっついてのではない。千社札やお守りのように、かゆみが張り付いているわけでもない。はてまた、幽霊や祟りが取りついているなんて信じられない。
じゃあ、かゆみってなんだ。背中がかゆいかゆいと叫んでいるのか。それとも、頭が、脳が、勝手に、かゆいかゆいと叫んでいるのか。怪我をしたら痛みが走る。皮膚が破れている。そこの箇所から黴菌が体の中に侵入する。体を守るために、脳に痛みが走るのだ。
だが、かゆみはどうだ。確かに、蚊に刺された後は赤く盛り上がっている。だから、かゆい。かゆみで、蚊がこの部屋に生息していることを知る。蚊は病原菌を持っている。人間の血と引き換えに、病原菌を注入する。なんて、不届きな奴だ、なんて、ふらちな奴だ。ただで、無料で、何の依頼もなく、理解も得られないまま吸血するにも関わらず、なおかつ、病原菌までプレゼントするなんて。女はこの理不尽な行為および蚊の存在に怒りを生じている。
だが、今は、蚊に刺されたわけではない。それでも、かゆい。右腕を背中に回しても届かない場所がある。かゆい。かゆい。左手を下から背中に回す。おっ。やったぞ。右手と左手が届く。女の背中新幹線が開通した。ウレシイ。だけど、かゆい。下から回した左手も届かない箇所がある。どうしてもかゆい。だけど、かけない。手が届かない。どうしたらいい。
女は立ち上がった。手は元の位置に戻す。女が住んでいるのは、マンションの一LDK。鉄骨造りだ。ベッドとテレビとキッチン、トイレ併設のユニットバスがあるだけだ。木造の家じゃないので、柱はない。
女は窓の方に行く。窓ガラスの縁に背中を押しあてる。背中がまっすぐになる。背筋が伸びる。角が背中にあたる。膝を曲げる。背中が下がる。かゆいところに届いた。膝を伸ばした。もう一度、ドアの縁がかゆいところを通過した。気持ちがいい。
これはやめられない。女は上下しだした。かゆみが失せる。誰かに見られたら恥ずかしい光景かもしれないが、 今の、女にとっては恥ずかしさよりもかゆみをとることが先決だ、
ふうう。気持ちよさが勝った。いや、本当に気持ちいいのだ。
確かに、かゆいところをかけば、かゆみはなくなる。だけど、その後は、かゆみじゃなく、肌がこすれた、皮膚が破壊された痛みが生じる。痛みを感じるために、ただ単に、かゆみを感じないだけだ。砂糖よりも、塩味が勝っているだけだ。
この痛みの背後には、かゆみが残っている。その証拠に、かいた後をしばらくの間、ほおっておくと、再び、かゆくなってくるからだ。痛みの地層にかゆみの地層があり、マグマの噴火のごとく、かゆみが上昇して、皮膚にあらわれてくるのだ。
永遠のかゆみとの戦い。このままではいけない。一晩中、ガラス窓の縁に背中をくっつけて、掻くわけにはいかない。だからと言って、何もしなければ、かゆくて仕方がない。一晩中、眠れないかもしれない。
こうなれば、眠ってしまうまで、背中をかきつづけるしかない。かゆみを取れば、あたしは何とかなる。あたしは美しくなれる。マイナスをゼロにしただけでも、人生はきっと豊かになれるはずだ。
女は意を決し、窓ガラスの縁に背中を当て、膝の屈伸運動をしながら、背中をこすり続けた。窓の外からこの部屋を眺めると、カーテン越しに人が上下する影が写るものの、道行く人は誰も気づかなかった。
二十九 グラス一杯の水を飲む女
あたしは外を見ていた。窓ガラス越しに見える外の世界だ。まず、空だ。空は青い。雲ひとつない。晴れ渡っている。光に当たる。熱い。今は朝。これから日が高くなるにつれて、日差しは強くなり、気温も上昇する。
あたしは、庭に目を転じた。そこには、芝生が生えた庭と、低木の植栽がある。あたしは、じっと目を凝らす。太陽が当たっている箇所と日陰の部分。太陽が昇ってくるに従い、日陰は小さくなる。太陽の熱で、地面の水分が、蒸気となって上昇しているはずだ。植物たちは、命の水を求めて、太陽よりも早く、負けまいと水を吸収しようとする。折角、吸収した水も、植物の本体に日が照らされれば、いくら強固な樹皮で覆われていようとも、光合成をおこなう葉からは、呼吸とともに、水分が蒸発する。
早く、早く。今、根が地面深くに、決して届くことのない水脈に辿り着いた、根が、ゆっくりと、計画的に、枯渇しないように、水を吸収する。そうだ。あたしもだ。
あたしは、今は、太陽に直接は照らされてはいない。部屋の灯りもつけていない。だが、太陽の光の粒子は、庭へ、窓ガラスへ、そして、あたしがいる部屋に静かに侵入してくる。防ぐ手はある。カーテンを閉めればいい。だけど、あたしは、光が侵入する方をよしとする。光との共存だ。
あたしは、台所に立った。グラスを持った。水道水を注ぐ。勢いの余り、水は縁をこぼれ落ちる。そのまま手が濡れる。ひんやりとした触感。こぼれた水は掻き集められない。だが、もったいなくはない。皮膚からも、水を吸収すればいいのだ。あたしは、水に自らの指を委ねる。
次は、口だ。喉が渇いた。指からの水の侵入を待っている暇はない。手に水を吸収させながらも、コップに口を付ける。一気に飲み干せ。水は、口の中を溢れ、喉をごくごくと鳴らしながら通過し、食道、胃、小腸、そして、体全体に行き渡る。内からのプール現象だ。
あたしは手を回す。クロールだ。足はバタ足だ。手を横に掻く。平泳ぎだ。足がカエルになった。上を向いた。太陽がまぶしい。先ほど見た空と同じだ。青い。肩をゆっくりと回す。右肩。左肩。次は、背泳ぎだ。体がぐるっと回転する。鼻に水が入らないように、逆に、鼻から息を出す。足は上に向いて水を打つ。
ぶくぶくぶく。胃の中から泡が出る。コップ一杯の水の中で、わたしは、太平洋の泳ぎを体験した。島影も、船影もない。遥か彼方に水平線が見えるだけだ。本当は、胃壁があるのだろうが、今のミクロの粒子となったあたしには、何も見えない。
ああ、一杯の水よ。あたしの母となれ。
あたしは、ひからびた胃から、全身の皮膚から、みずみずしさを取り戻した。
三十 植え替えする女
やっと終わった。郁子は額に滲みでた汗を右腕の手首で拭った。汗はしたたり落ちるほどではなかった。明け方には、雷が鳴り響き、機関銃のような雨粒の玉が、家の屋根やガラス、庭や道路を叩きつけた。風も三者の仲間に入りたいのか、遅れを取り戻さんばかりに激しく吹いた。
ガラス窓の大きく揺れる音で、郁子は何回も、何回も目を覚ました。午前七時過ぎにはやっと雨がやみ、雷の音は消え、空には青空が垣間見え、光が差し出した。
郁子はベッツドから起き上がると窓ガラス越しに外の風景を見た。バルコニーには、いくつかの鉢が置いてあった。ミニトマトに、パセリに、名前を忘れてしまった観葉植物の鉢が置いてある。いずれも、強風と雨脚の強い雨にバランスを崩され、鉢ごと倒れていた。郁子は空を見上げる。
もう、雨は降っていない、風は吹いていないのを確認すると、ベランダに出て、鉢を起こした。うなだれていた花や茎たちは、ようやく自信を取り戻し、天に向かって真っすぐに立ち上がった。その鉢の中に、ひとつだけ、黄色い花が合った。花は、まだ、鉢に植えられておらず、買ってきたままの黒いビニールのカップのまだだった。
忘れていた。その花は、一週間前の日曜日に、近くの生協で、買い物の際に購入したものだった。本当ならば、すぐに鉢に植えかえなければならなかったが、つい、その後、夕食の準備をしたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたりする中で、鉢に植え替えするのを忘れてしまっていたのだ。それから一週間が過ぎていた。
今から、花を植えかえよう。
郁子は戸を開けた。素足でベランダに出た。ベランダの隅には、これまで花を買ってきては枯らした花の鉢だけが、墓標のように積み重なっている。その数は、五個。いずれは新しい住居者が現れ、いつかは陽に照らされるであることを願い、待ち続けている。
その横には、同じくスーパーで買った野菜と花の土のビニール袋が口を開けることなく、銃殺刑で倒れた被害者のように、がくんと体を折り曲げている。
郁子は、五個の墓標の中から、白いプラスチックの鉢を選び、野菜と花の土を持って、ベランダの真ん中に置いた。その横には、狭いながらも楽しい我が家だけれど、やはり、広いお家がうれしいわと言わんばかりの黄色い花が、安アパートの中で、生きながらえていた。
郁子は、鉢に土を半分程度入れ、黒いビニールカップを外側から掴んだ両手の指で、親指、人差指、中指、薬指、小指と順番に押し上げた。その度に、土とビニールカップの間に隙間ができた。それが何回か繰り返されると、花と土は、ビニールカップの殻を抜き出て、新しい住居を探すヤドカリとなった。
新しいお家にどうぞ。
郁子は、墓標からゆりかごに変身した鉢に花を移し替えた。根を深く植え、根もとをしっかりと押さえ、上から更に土を加えた。白い粒の肥料を四個から五個ばらまき、鉢の底から溢れんばかりに水を遣った。花の引越しは終わった。花は、まだ、新しい家がなじんでいないのか、恥ずかしそうにうなだれている。
おしまい。
郁子は立ち上がった。そして、あることを思いついた。まだ、空の鉢に、残っている土を全部入れた。そして、土に向かって、親指から始まり、人指し指、中指と次々と指を土の中に突っ込んで行く。右手が終わると、次は、左手だった。左手の小指を突き刺した。そして、抜いた。郁子の両手の指は、全て黒い土がついた。
両手についた土を見る郁子。そして、もう一度、右手の人差し指を鉢に突き指した。目をつぶる。耳をすます。鼻から息をゆっくりと長く吸い、口から三回に分けて、息を吐いた。風がベランダを通り過ぎると、郁子の右腕の産毛がそよいだ。
あたしは、花だ、あたしは、植物だ。あたしは、生き物だ。
郁子は人差し指から土の湿り気を感じた。黒い土からは、土の栄養分を目で感じた。鼻からは土の匂いを嗅いだ。
郁子は、長い間、植木鉢に指を突っ込んだままであった。そして、そのままうとうとし始めた。
郁子の隣では、黄色い花がすくっと立っていた。
ビューティフル・ダイアリー(6)