初川ユリアの無限回廊
・これは実際にあったクトゥルフ神話TRPGの後日談を小説として書き起こしたものです。何卒。
世界終了へのカウントダウンは、今でも続いている。
『記憶能力者』。忘れない能力として一口に言われるが、私の場合は色々なものが複合しているらしい。
たとえば映像記憶能力。一瞬だけ見たモノを正確に再現できる能力。別名写真記憶、直感像記憶とも言う。通常なら風景や写真に特化したはずの能力だが、私の場合それは文章にも同様に適応されるらしい。それは記憶術の範囲だと医師から説明を受けたがあんまり興味も無いので割愛する。
周囲の人間は天才だのなんだのはやし立てるけれど、正直私が出来ることは周りの人間よりはるかに少ない。少し周りの人たちより覚えることが得意。ただそれだけだ。
……そう。きっとそんな私は誰よりも向こう側の世界に適応していたのかもしれない。
異世界の存在を知った7月。おぞましいほど美しい夕焼けの中、私は彼女に出会ってしまったんだ。
◇
鮮やかなオレンジ色に濃紫が入り混じる。2色は灰色の街に強く影と色を落とし、退廃的なコントラストを奏でていた。夕焼けはいつだって、人の心を狂わせる。
目もくらむような鮮やかな夕焼けの中、彼女は屋上に当然の様にいた。
給水塔の上に腰かけ世界を見下ろす彼女は、腰まで長く伸ばされた茶髪と同じ色の瞳を持つ一見普通の女子学生だ。だが、その切れ長の瞳を覗き込んだ瞬間全身の肌が総毛立つ。すさまじいまでの悪寒は、夏になったばかりだと言うこの気候を酷く冷たいものに変えていた。
直感が警鐘を鳴らす。彼女は人間なんかじゃない。
不意に彼女はこちらに気が付き、顔だけこちらに向けてすっと目を細める。
「……お前、誰だ?」
色素の薄い唇から紡がれた声色は、ややアルト寄りの頭に直接響くような凛とした声。口調こそ粗野ではあるものの、どこか独裁者然とした雰囲気を纏う彼女の様子をつぶさに観察する。
「お話しするのは初めて……ですね。1年3組の初川と言います」
「ああ。初川っつったらあの記憶能力云々の? オレは4組の久遠。まぁ適当に呼んでくれ」
そう言ったきり彼女はまるで興味を無くしたように視線を再び町の方に投げる。……やはり、勘は当たっているようで。
真意の読めない飄々とした表情の微細な動きも漏らさないよう慎重に観察を続ける。どうして、私はこんな化け物のような人に見入ってしまったのやら。いや、もしかしたら化け物であるからこそ惹かれてしまったのかもしれない。
「おかしな話ですよね。たかだか6クラスしかない学校で、棟が違うと言えど今まで一度も顔を見たことが無いなんて」
「さぁ。ま、オレの場合人の顔とか覚えるの苦手だから会ってたかどうかすら知らん。お前は覚えてるかもしれないけどな」
「あら……久遠さん、確か頭はいいと伺っていましたが」
「頭の良さと人の顔の覚えやすさはまた別さ。まぁお前くらい飛び抜けりゃ嫌でも覚えるだろうけど」
彼女の好む質問と嫌う質問を交互に繰返して微かな声色の変化と表情の動きを見る。脳内に作られた彼女と言う人間のディティールをその都度修正。酷く地味な単純作業だが、苦ではない。
「……貴女は、人類に興味が無いんですね」
「興味はある。関心は無い」
「すると貴女は、人類を愛していないのですね」
不意に彼女の口の端が歪に持ち上がる。
「左様、憎んですらいます」
……彼女は、人類と言うものを愛している。だが愛情は一線を越えれば憎しみで、愛情の裏は常に無関心だ。だからこそ、彼女は過剰な愛を憎しみと呼んだ。アイなどと言うくだらない枠に収まらない膨大な感情を興味の一言に収斂させた。
背筋の凍るような矛盾。人の枠に収まらない矛盾を人の形にするために、彼女は人であることを捨て続けているのだ。
愛の名の元に壊し。
愛を歌う故憎しみ。
憎しみすらも愛し。
愛を肯定するため無関心ですらあった。
狂っている。そう表現するしかないだろう。
「……貴女は、私たちとは違う」
「お前も他の連中とは違うな。オレの同族と似た臭いがする」
一部だけどな、と彼女は付け足して酷く妖艶に笑った。
そうなのだろうか。でも彼女がそう言うのだからそうなのだろう。私は無意識のうちに笑みをこぼして、自分の望みを口にする。
「そうですね……久遠さん。二つお願いがあるのですが聞いていただけますか?」
「まぁ、出来る範囲で応えよう。1つめは?」
「……近い将来。貴女もしくは貴女の知る何者かは、この世界を破壊するおつもりですね」
ピクリ、と彼女の眉根が微かに跳ね上がる。新しい反応だ。冷静を装ってはいるが、微かに瞳の奥に猜疑と警戒の色を宿していた。何よりも、それ以上に戸惑っている。
気付かなかったふりをして、私は話を続けた。
「私はその筋書きを教えてほしいんです」
「……出来ないことは無いな。だがそれだと面白くないじゃないか」
ふて腐れたような口調に、私は緩く笑みを漏らす。……そう、興味だ。
終末に直面した人間はどんな行動をとるのか。終わりゆく世界の中で人類は何を想い、どう抗うのか。彼女の最終的な興味の対象はそこでしかない。その過程として彼女は平和と日常を愛し、人間らしさを必要としたのだ。
それこそ彼女にとっては大したことではないだろう。見知った人間の死の認識も砂浜に指先で描いた文字のように脆く消えるほどどうでもいいことだ。確かに愛した人間も中に入るかもしれない。だが彼女の最大の愛は無関心であることだ。
愛は憎悪だ。行き過ぎたアイはいつか相手を焼き尽くす。
「……そこで、2つ目のお願いです。全てを知った後で、今日貴女に出会った記憶を消してください」
猜疑の表情は疑問形で硬直する。が、すぐに疑問は氷解したようで彼女は憐れみとも同意とも知れない顔で細く溜息をついた。
「例えそれで終末を止められなくても?」
「ええ。私は思い出せない、なんて簡単な感覚を知りたいだけなんです。終末に抗う自分自身を、見てみたいだけですよ」
単純な話だ。全てを記憶できることは忘れられないと言う事。そして不幸にも私はその記憶を元に様々に行動、あるいは言動を取捨選択し、時に技術ですらも完璧に模倣してしまう。飛び抜けた才能によって出た結果に努力が付随したことは一度もない。
だからこそ。思い出せないと、ただそれだけの感覚が知りたかった。何かを忘れて、それだけを求めて脳内をさまよってみたかった。
「……そうか。なら、教えようか。世界滅亡の筋書ってやつを」
◇
気が付くと私は屋上に一人佇んでいた。
……どうしてこんな場所にいるのだろう。白い霧に似た睡魔のようなものが頭の中に漂っていて、上手く思考がまとまらない。おそらくだが、眠気を覚ますために無意識のうちに屋外に来ていたのだろう。
そう自分に結論付けると頭を振って一つ伸びをする。少しだけ霧が晴れた。となるともうこの屋上に用事は無いだろう。
踵を返して屋上を立ち去る。その瞬間、誰かの気配を感じて振り返った。だがそこには伽藍とした空間が広がっているのみ。
……どことなく、言い知れない不安に疑問を抱きながら私は今度こそ本当に屋上を立ち去った。
◇
世界終了へのカウントダウンは、今でも続いている。
初川ユリアの無限回廊
キャスト
初川ユリア:NPC
久遠在処:NPC
収録日:無し