「だって、あなたがそこにいるから、わたしは・・・」
大きな立方体の箱の中は大変混んでいた。
人はそれをエレベーターと呼ぶ。
モダンなオフィスビルの18時過ぎは
いつも大体そんな感じで混んでいる。
エレベーターの扉が開いたとき
K氏はちょっとたじろぐ程であった。
そしてK氏は私より先にその箱の中へ乗り込んで行った。
私が乗り込むときにはK氏は既に箱の中へ入ろうとする
私と正面に向き合っていた。
私はK氏と視線が合うのを、ためらい、
うつむいたまま乗り込む。
K氏の脇をすり抜けて私はK氏のななめ後方に立った。
K氏の脇を通るときK氏が至近距離で私を見たことに
私はもちろん気が付いていたけれど、その至近距離で
K氏を見つめる勇気は私にはなかった。
それからわれわれは13階から1階に着く迄の間
廊下に立たされた小学生みたいに、無言で立っていた。
そしてお互いにうつむいていた。
私はK氏の上品なチャコールグレイの冬物のスーツの
上等な服地からのぞく、濃い海老茶色の細身の革靴に
目を奪われていた。華奢なつくりのK氏はエレガントに着こなしていた。
肌色が白く、額が美しく、長めの漆黒のつややかな髪も大変きれいで
誰が見ても45歳の男性に見ることはできなかった。
妻子がいることも、信じられなかった。
K氏の後ろ姿にもどれだけの魅力があるだろう。
上等な生地の白のYシャツ姿の時のK氏の腰のあたりは
本当に美しい。なんて均整の取れている身体であろうか。
黙っていてはそのようなスタイルにはならない。
何かやはり厳しいトレーニングを積んでいなければ、保たれない。
私はK氏のななめ後方でそのように思考していた。
そして、K氏の周りに潜む、その空気を感じていた。
静謐な空間にいるように、ひっそりとしていた。
多くの人々は私の世界からは消えていた。
ただ二人でそこに存在しているように感じていた。
ただ同じ空間にいて、同じ時を過ごしているように。
まるで罪を犯した罪人のように二人は頭を垂れて佇んでいた。
いつの間にか大きな箱は1階に着くと、人々を吐き出し始める。
K氏もその波に流される。その瞬間K氏はななめ後方にいる私に
合図を送る。けれど私はそれに応えることができない。
K氏は箱の外でちょっと立ち止まり、後方を気にしている。
足取りも止まっている。けれど私はK氏が行く方角とは逆の方角に足が向く。
K氏は疑いを持って進むけれど、私はやはりK氏の後方に続きはしない。
どうしてか・・・私はすべてを先延ばしにしていた。
K氏と親しくなることはできたかもしれない。
ただ、親しくなれただろう。
けれど、それだけでは、私は続かないと思った。
すぐに情熱は消えるだろうと思った。
二人をつなぐ絆が足りないと思った。
浅すぎる出会いは、浅い関係しか生まない。
ならば私は遠回りをしようと思った。
もっともっと二人が知り合わなければならない必然を待とうと思った。
「だって、あなたがそこにいるから、わたしは・・・」