GIRL MEETS A GIRL .
第1章 横田麻紀
この『物語』は、みったん(作者)が、横田麻紀さんという女性にインタビューをしながらまとめました。『物語』の途中に入る質問は、みったん(作者)からの質問です。
私の名前は、横田麻紀。
1980年、昭和55年生まれの、32歳独身です。
両親と一緒に、実家に暮らしています。
地元の高校、短大を出て、地元の会社に勤めています。
仕事は、商品の在庫管理です。
えっ、商品は何かって、ですか?
商品は、本です、本。でも、勤め先は、本屋さんではありません。
巨大な倉庫みたいな所で働いています。
管理の仕事とは、ですか?
私のパソコンに、注文がメールで入ると、私は在庫を検索し、そのまま、パソコン上で、手配します。
簡単と言えば簡単ですが、時々、その巨大な倉庫をかけずり廻って、在庫の「商品」、つまり本を捜すこともあります。
仕事の話は、これくらいにして、本題に入りましょう。
これから、皆さんにお伝えするのは、私の、たくさんの出会いについてのお話です。
たまたま知り合った、Mさん(みったん)が、
『ぜひ、あなたのお話を書かせて欲しい』というので。
私もちょうどいい機会かなと思い、Mさん(みったん)に話す事にしました。
でも、私の体験や感想を、Mさん(みったん)が、少し脚色して『物語』にするそうです。
私が卒業した女子高等学校は、地元でも有数の進学校です。
国公立大学や有名私大にも、毎年二桁の合格者数を出しています。
では、なぜ、そんな進学校を卒業した私が、地元の短大に進んだのか・・。
事情を知らない同級生は、みんな、不思議がりました。
やっぱり、そう思いますか?
実は、高校3年の夏休みに、ある問題を起こしてしまいました。
その問題とは、「不純交遊」です。
「不純、交遊」です。いいえ、間に、異性という言葉は入りません。
なぜなら、それは、同性同士の不純な交遊だったからです。
その問題で、ある意味私の人生も軌道修正を余儀なくされました。
硬いですか、いまの言い方が、ですか?
つまり、普通に都会の大学に行くだろうと思っていた人生が、変わったという事です。でも、この問題を起こさなくても、私はたぶん、地元に残っていたと思います。
それで、その女同士の「不純交遊」ですが。
私と、高校の先生との交遊、つまり、交際が、明るみに出たという事です。
高校3年生と、教師との交際ですから、しかも不純な交際です。
学校の中で問題になりました。学校のスキャンダル、ですね。
その相手の先生は、体育の先生です。
そして、その先生は、夏休みのうちに、転勤になりました。
しかし、私には、特にお咎めはありませんでした。
学校からの停学とか、謹慎といったお咎めです。
その先生との交際も、話すのですか?話さなきゃだめ、ですか?
判りました、それではお話しします。
体育の先生の名前は、池上涼子先生です。当時、25歳だったと思います。
体育の先生の名前は、池上涼子先生です。当時、25歳だったと思います。
先生は、陸上部の顧問もしていました。
学生時代は、有望な短距離の選手だったそうです。
「交遊」の、きっかけですか?
それは・・私の「覗き」です。
ええ、「のぞき」です。
変ですか、女の私が、女の人を覗くのは?
ゴールデンウィークで、学校がお休みの日でした。
私は学校の図書室へ行きました。読みたい本があったのです。
読書に飽きて、図書館の窓から、何気なく外を見ていると、池上涼子先生が、誰も居ないトラックで、短距離のスタートダッシュを練習していました。
トラックに両手を着き、腰を高く上げ、自分のタイミングで、何度も、何度もスタートの練習をしていました。
短パンから伸びる太ももの筋肉に、私は見とれてしまいました。
お尻の筋肉も見事だと、思いました。
太ももには、うっすらと汗をかいているのも判りました。
しばらく見ていると、池上涼子先生は、スタートダッシュの練習をやめました。
それから、グランドの芝生に座り、足の筋肉をマッサージし始めました。
それから、立ち上がり、トラック脇に置いたバスタオルを手に、陸上部の部室の方へ歩き始めました。
えっ?池上先生か、涼子先生のどちらかにして欲しい?
長いですか、池上涼子先生では・・。
判りました、涼子先生にします。
涼子先生がトラックを横切り、グランド脇にある陸上部の部室に向うのを、私は図書室の窓から見ていました。
私は図書室の本棚に、読んでいた本を急いで返却。
机のノートやペンケースをバッグにしまい、図書室を飛び出しました。
そこまで私を駆り立てていたのは、ある衝動でした。
涼子先生の着替えを「覗きたい」という、衝動です。
『あの汗に濡れたカラダを、先生は必ず着替えるはず』
その時の私は、単純だったと思います。
とにかく、涼子先生の裸が、見たかったんです。
興味、ですか?女の人の裸に、興味があるのかってこと、ですか?
涼子先生の裸が、というよりも、大人の女性の裸が、見たかったのだと思います。
変なこと、ですか?そうですか・・私は、変ですか・・。
運動部の部室には、シャワーが付いています。
きっと、先生は陸上部の部室のシャワーを浴びるだろうと、考えました。
休日の学校ですから、クラブ活動をしている運動部もありません。
グランドにいたのは、涼子先生だけかもしれないくらい、静かでした。
図書室から走りましたけど、先生はすでに部室に入っているようです。
陸上部は、ソフトボール部と、弓道部、ホッケー部と並び同じ建物に入っています。
その平屋の建物と、2階建ての校舎の間にグランドがあります。
陸上部は、一番左側にあります。
私は、他の部室の前を通らずに、建物の裏の小道を静かに歩きました。
陸上部の裏手まで来ると、かすかにシャワーを使う音が聞こえます。
私は部室の前にまわり、誰もグランドにいない事を確認し、音を立てないよう静かに引き戸を開けました。
いま思えば、大胆な事をしました。
部室の中は、汗の匂いや、芳香剤の匂い、洗濯物の生乾きのような匂いと。
とにかく、スゴい匂いの洪水でした。
その匂いに溺れそうになるくらいでした。
匂いに打ちのめされ、私はそこで立ち止まってしまいました。
それは、我に返った、という感じです。
『涼子先生の裸』を、とても美化していたのかも知れません。
ところが、部室の雰囲気は、十分に現実的だったのです。
私は、部室を出ようとしました。
逃げ出そうとしたのです。涼子先生に見つかる前に出ようと・・。
ところが、ダメでした。この時の一瞬が、私の一生を決めたのかも知れません。
また、言い方が、おおげさ、ですか?
「何をしているの!」と、涼子先生の声が部室に響きました。
私は、ストップモーションのように、片足を踏み出したままの姿で固まってしまいました。
私は、ゆっくりと振り返りました。
そして、『あっ、先生がいたんだ!?』というような、意外な表情を作りました。
いいえ、作ったつもりでした。しかし、そんな私の演技は、無視され、再び涼子先生の質問が出ました。
「何をしているのかな、この部室で・・?」
涼子先生は短パン姿から、トレーニングウェアに着替え、首にはバスタオルを巻いています。
私は何も答えられず、ただ黙って立っていました。
「あなた・・ウチの部員じゃないでしょ・・確か、横田さんよね・・3年2組の・・」
「・・はい・・」
この時の、私の返答が、私の人生を決めたと言ってもいいかも知れません。
『友達がいるのかなと、思って・・・』とか、
あるいは、『・・人のいない所へいきたかったので・・』とか・・。
『すみません、部室を間違えました・・』
そう返事をしてもよかったのかも知れません。
でも、私は、はっきりと言いました。
『池上先生を、追いかけてきました』
私のこの言葉が、私の人生を決めたのと同じように、涼子先生の人生も修正したのかも知れません。
大げさではなく、本当にこの時の返答が、二人の人生を変えたと、思います。
もちろん、その後、悩みましたね・・。
でも、私は、まだ、高校生だったのです・・いい訳かもしれませんが。
「図書室から先生を見ていました。
それから、先生が部室に向うのを見て追いかけてきました」
「・・私を・・なぜ・・?何か用事があるの?」
この質問も、2度目のチャンスでした。
涼子先生への用事を、その場で、でっち上げれば、よかったのです。
でも、再び、はっきりと言いました。
「先生の・・裸が・・見たかったんです」
えっ、信じられませんか?
でも、そう言いました。『先生の裸が見たい』って、です。
涼子先生は、たぶん、15秒くらい黙っていたと思います。
もっと、長かったかも知れません。
首に巻いていたバスタオルをゆっくりと外し、片手に握りました。それから、私への視線も、外しました。
バスタオルを、部室の椅子にかけて、その椅子を引いて座りました。
私は、ずっと、入口を背にバッグを前に抱えて立っていました。
涼子先生は、椅子に座ったまま、私の方を見ました。
「横田さん・・私の裸が見たいって、言ったのよね・・?」
「はい、そう言いました」
「・・それは、なぜ・・かな?」と、小首を傾げて涼子先生。
「・・それは・・」と、口ごもる、私。
自分でも、なぜだろうと思いました。なぜ、私は、涼子先生の裸が見たいんだろうと、考えました。女性の裸を、同性の私は、見たいのか?
「好きなんです、先生が」と、とっさに私は答えました。
「先生が好きだから、裸が見たい・・ってことなの?」
「・・いや・・ええ、そうです。先生が好きだから・・」
「どっち?好きなの、嫌いなの?」
「好きです」
この時、私は自分の気持ちを確信しました。
涼子先生が好きだから、ではありません。
女の人の、裸が、見たかったのです。
大人の、女性の、裸が、です。
しかし、自分の口から出た言葉は、『涼子先生が、好き』でした。
大人の女性の体に興味があったのです。
判るんですか?私の気持ちが、理解できますか、ホントですか?
だから、私の行為は『覗き』なのです。
「判りました、あなたの気持ちは・・」
涼子先生の言葉は、どことなく保護者然としていました。
『しょうがないわね』のニュアンスがありました。
涼子先生は、女性から言いよられる事に慣れていたのだと思います。
事実、涼子先生は、あとで知ったのですが、レズビアンでしたから。
その日のうちに、私と涼子先生は、『不純交遊』の関係になりました。
でも、皆さんが想像するような、濃密な関係ではありません。
今から思えば、ママゴトみたいな関係です。
その、ママゴトの中身を具体的に教えて欲しい、ですか?
わかりました、お話をします。
その日に、涼子先生のアパートに誘われました。
学校から、自転車で10分ぐらい、町外れにあるアパートです。
そこは、『セン公アパート』って、男子から陰口を言われるほど、他の学校の先生も含め、3、4人、入居していました。
すみません、具体的なママゴトの話でしたね。
キスをされました。それだけです、その日は。
私は部室で、「裸が見たい」って言いましたけど、その日はキスだけで帰されました。でも、私は、そのキスだけでも、満足でした。
これは、後になって思ったことですが、涼子先生は、じっくりと私をレズビアンとして育てたかったのだと思います。
いわゆる、「ノンケ」からビアンの「ネコ」に、です。
それから、一ヶ月半は、ちょうど季節と相まって、ギラギラした日々でした。
そうです、お天気は梅雨と初夏の日々ですが、涼子先生はギラギラしていました。私を、強制的にアパートに呼出すこともありました。
私は、ほぼ、一方的に責められました。手や、指や、先生の口で、です。
私は、全部脱がされているのに、先生はパンティを脱がなかったですね。
理由は、今でも判りません。そういうものだと、思っていましたから、その時は。
でも、最後の日は、違っていました。
涼子先生は、私の手を使いました。
結果的に、最後になりましたけど、その日は特に、涼子先生は「燃えて」いました。
アパートへ行くと、いきなり抱きすくめられ、キスをされました。
それは、いつものやりかたです。
それから、涼子先生は、私の制服を脱がし始めます。
アパートへ来る時は、必ず学校の制服でと、言われていました。
抱きしめて、キスをして、それからブラウスのボタンに手をかけます。
ボタンを全部外してから、スカートを脱がされます。
そして、ブラウスを脱がされます。
私は、ブラジャーとパンティと、ソックスだけの姿です。
涼子先生は、特に、その姿が好きだったみたいです。そのまま、アパートの蛍光灯の下に、立たされました。
私が恥ずかしそうに立つと、涼子先生は、喜びました。
それから、あとは、全部、自分で脱ぐように命令されます。
そうです、命令です。自分で、脱ぎなさいって、強い口調で、涼子先生は言いました。全裸になると、涼子先生も脱ぐんです。でも、パンティは穿いたままです。
私をベッドに寝かせると、涼子先生は、キスをして、乳首を吸い、淫部の割れ目に指を入れ、私が興奮しているかを確かめてから、ゆっくりと淫核を擦ります。
そのまま、私が達するまで、涼子先生は私を弄り続けるんです。
でも、その日は、いつもと違っていました。
その日とは、いつの事か、ですか?
涼子先生と私が会い始めて一ヶ月半後の、最後に会った日です。
涼子先生が、初めての事ですが、自分から求めてきたのです。
「麻紀ちゃん・・今日は、先生に、シて・・」
先生は、私を麻紀ちゃんって呼んでいました。
ベッドで横になると、先生は私に乳房を与え、乳首を吸うように言いました。
それから、自分でパンティを脱ぎ去りました。初めての事です。
そして、自分の淫部に、私の手を握り、導きました。
「・・いつも、先生がしているように・・先生のここを麻紀ちゃんの、指でね・・」
先生は、恥ずかしそうに、私に囁きました。
私は、この時初めて、他の女の人の膣に、指を入れました。
『・・濡れている・・こんなに濡れている・・』
私に、嬉しい気持ちが沸き起こりました。自分のカラダで、自分の愛撫で、涼子先生を「濡らしている」と思うと、喜びと合わせ、たまらなく興奮もしてきました。
私は、涼子先生のカラダにしがみつき、乳首を吸いながら、左手で、膣とクリトリスを、一生懸命、愛撫しました。自分にされた事を反芻しながらでした。
えっ、もっと詳しく、話をして欲しい、ですか?
私と涼子先生のセックスを、もっと詳しく知りたい、ですか?
想像してください。
先生のお部屋、シングルベッドの上に、二人がいます。
裸の涼子先生に、裸の私がしがみつくように、抱き合っています。
そして、キスをしています。
今まで繰り返されてきた、二人のセックスのカタチです。
ただ、この日は、いつもと立場が違っていました。
「・・麻紀ちゃん・・オッパイを優しく・・舌の先で転がすようにね・・・」
涼子先生は、私のぎこちない愛撫に、優しく「指導」をしてくれます。
「・・アアン・・いいわよ・・吸ってみて・・強く・・そう、そうよ・・」
私は、左手で涼子先生の乳房を揉みながら、先生の固くなった乳首を吸います。
乳首は尖り、私が強く吸うごとに、涼子先生は背中を反らし喘ぎ声をあげました。
先生も、私の乳房に手を伸ばし、手の平で私の乳首を転がします。
「・・麻紀ちゃん・・早く、指で・・ね・・」
涼子先生は、乳房を揉んでいた私の手を取り、自分の淫部に導きます。
『女の人のここは、こんなに濡れるんだ・・』
涼子先生の膣は、すっかり濡れていました。初めての、体験です。
涼子先生の膣は、私が先生の愛撫を受けて濡らすよりも、もっと濡れていました。
『これが、大人の女なの・・?』と、思いました。
涼子先生は、膣に入れていた指で、今度はクリトリスを触るように言います。
「麻紀ちゃん・・先生の・・クリちゃんも弄ってみて・・優しくね・・」
私は、先生の「指導」通りに、あるいはそれ以上に、大人の女のカラダに没頭しました。乳房、乳首へ愛撫し、膣に挿入した指を、弦をつま弾くように動かします。
自分の手で、こんなに大人の女性が淫乱に、乱れてしまう・・。
このとき、女同士のセックスの喜びの、真髄を知ったのかもしれません。
自分のカラダの中には、同性を求めるという欲望のマグナが、鮮やかな赤で渦巻いています。その噴出する場所を、ついに、発見できたという自覚がありました。
しかし、涼子先生との『蜜月』は、夏休み直前に、突然、終わりました。
1学期最後の土曜日、私は、教頭先生に呼び出されました。
私は、進路指導にしてはずいぶん大げさだな、などと考えながら、職員室隣りの応接室に行きました。
「3年2組の、横田麻紀です。入ります」
応接室には、教頭先生だけがいました。厳しい顔をしています。
私は、呼び出された理由は、進路相談ではなく、涼子先生との事だと瞬時に思いました。でも、私は落ち着いていました。
「横田・・麻紀さんね・・お座りなさい」
教頭先生が座ったまま、応接セットのソファを、手で示しました。
「・・ハイ・・」
私は、神妙にソファに座りました。膝の上で手を重ねて、真面目な顔を作ります。
教頭先生が、ここにいる理由も想像できました。
私のクラス担任も、校長先生も男性だからだと思います。
教頭先生の名前は、白河久恵先生と言います。独身の女性管理職です。
私がソファに座り、教頭先生に軽く会釈をしました。
「・・実は、池上(涼子)先生が、ご自身の都合で、転勤する事になりました」
白河先生は、重大な病名を宣告する女医のような口調で、言いました。
私は、冷静でした。
『先生ご自身の都合で、転勤する?』
これは、とてもおかしな話です。
先生が個人都合で転勤していたら、先生は誰も居なくなり、学校が成立しません。
えっ、なぜそう思うのかって、ですか?
私の父も、母も、教師でした。ですから、先生の転勤の仕組みに、個人の希望はほぼ入らない事を知っていました。
両親が、普段からよくそんな話しをしていました。
「池上(涼子)先生が、転勤ですか・・・」
私は、出来るだけ無表情を装いました。
白河先生は、私の目をじっと見つめています。
「ええ、急なお話ですけど・・」
先生の表情が、一瞬、険しくなりました。
「・・あの・・そのお話と、私がここに呼ばれた事は・・何か関係が・・」
「特に、ありません」と、先生は即答しました。
そして、声を潜め、秘密を打ち明けるように、続けました。
「あなたに、伝えて欲しいと、池上(涼子)先生が、仰っていたのでね・・」
教頭の白河先生は、『池上先生が』の所を、区切るような言い方をしました。
「そうですか・・どうしてですか・・?」
「麻紀さん、それは、あなたが一番よくご存知だと、先生は思いますけど・・」
教頭の白河先生が、皮肉な言い方をしました。
そして、じっと、私を見つめます。
白河先生は、私を問いつめるような質問も、しませんでした。
先生の、この沈黙に、私と涼子先生の「不純交遊」を秘密裏に解決したい、という学校側の思惑を感じました。
私も、特に質問もしませんでした。
「横田さんと、池上(涼子)先生の、その・・関係は私しか知りません。だから・・ね」
と、白河先生は語尾を濁らせました。
『だから、あなたも黙っていなさいって、ことね』
私は、そんな風に解釈しました
私は、白河先生の険しい表情に見つめられ、
『涼子先生との事は、終わった』と、あっさりと理解しました。
そして、夏休みが終わり、2学期が始まると、池上涼子先生の姿は、学校から消えていました。
2週間ほど、涼子先生の転勤が、私たち生徒の間でも話題になりましたが、そのうち、誰も話さなくなりました。
そして、それからの私もすっかり変わっていました。
どう変わったのか、ですか?
それは、上手くい言えませんが・・・でも、確実に、私は変わったのです。
私は、ずっと幼い頃から女の子同士で遊ぶ事が好きでした。
誰かが、男の子を連れてくると、私はすぐに遊びから抜け出し、家に帰ってしまったものです。
それは、中学の時まで続きました。
最も、中学生で、男女で遊ぶなどという事は、ほぼありませんでしたけど。
学校の授業や、行事でも、私の『男の子嫌い』は、徹底していました。
女子校に合格した時には、両親以上に、私が大喜びしました。
『これで男子を見なくてすむ』
私は、心からそう思いました。
高校生活の締めくくりに起きた、池上涼子先生との出会いは、まさに私の人生の僥倖と言えます。
はい、僥倖です。
自信をもって、そう言えます。
高校卒業後、私は地元の女子短大に入りました。
自分が求める世界を求め、積極的に、地元の『女子会』にも入りました。
カルチャースクールや、お料理教室、町のママさんバレーにもお手伝いとして、強引に参加させてもらいました。
とにかく、『出逢い』を、求めたのです。
しかし、18歳から、卒業までの20歳、就職してからの25歳まで、女性と知り合い、親密になる事は、まったくありませんでした。
理由は、『幼い』からです。
いま30歳を越えて、ビアンとの出逢いを考えた時に、18歳から24、5歳までの女性を、敬遠してしまう自分に気がつきました。
レズビアンにとって、肉体の若さは、決してアドバンテージにならないと、知ったのです。
求める方も、求められる方も、です。
もちろん、これは私見です。
振り返ってみると、26歳から、1年に一人位の確率で、出逢いがありました。
今までに、7人のですね。
ゆきずりの、その場だけの関係を含めると、10人を超えるかも知れません。
数ですか?多いのか、少ないのか、ですか?
7人以上というのは、多いと思います。
今までにお付合いした女性の感想だと、私の経験は多い方だそうです。
でも、不思議な事に、出逢いが無かった頃の方が、懐かしいと言うか、無垢な自分が愛おしく感じます。
「処女」のカラダの自分が、愛おしく思い返される時があります。
それでは、短大を卒業し、地元に就職した頃からのお話を、しましょう。
GIRL MEETS A GIRL .