practice(88)
八十八
ミシン台の上に射した斜光はストンと床に落ち着いて,窓側から今度は私が座るテーブルに到着している。暗がりは迷惑そうというか,しょうがないなというかんじで左右に分かれて,うっすらと開いた目を部屋中に向ける。まだまだとばかりに,マグカップの後ろとか欠伸をする私の腕の内側とかに濃く隠れるけれど,私がそれを持ち上げたりするからあっという間に消えたり,ゆっくりと訪れたりしている。そこに入り込むのもまた朝が早い風,影響されて,捲れては元に戻るカレンダーは,使われている紙が柔らかいということもあるけれど,ピンで高く留めた位置がいいんだと思う。見ていて,その月を飾る牛乳配達の少年は忙しそうだけれど,代わりに来月の花屋で女の子が待ち遠しい出番を楽しそうに選んでいる。それを受け取れる日は,あるのかないのか。再来月も待たずして,麻の生地で縫われたクッションカバーに取り替えた,抱きかかえられるクッションの一つは隣の席に置いて,前の椅子まで足を伸ばす。うーん,と伸びることは鳥の鳴き声にお任せする。お出掛けは,もうちょっとだけ遠くなる。
それは小さな別の机の上にあったもの。だからソファーはぐっすりと埋まって,夢も起きている。
『トランジットに移り行く』とか,電話口で交わした思い付きの題名は本文から離して他の本の間に挟んだり,コルクで蓋する無口な瓶に貼り付けられたり。思い出は形にしたい,という言い訳は使いやすくて覚えやすく,愛着もわいているのだから仕方ない。『大切に扱っていることに変わりはないと思うの』,という一番新しいものは私発信で送った長いもの。持って帰るのが難しい,なんて言い訳は聞かない。きちんと手に持って帰って来て,渡してくれるのを待っている。温かい飲み物から湯気が立っている間に,同じところを回る言葉に目を回している,二頭身のブリキのおもちゃは頭を撫でられている。拙い気持ちはきちんと胸に抱かれて,そういうのは向こうからの言葉。それは朝に話した,また違うお話。
顔を出すように芽を出した『子』達に降り注いだ,光の届く範囲も広くなって,葉を零れる滴は居なくなる。プチトマトの収穫時期を考えて,サラダのレシピはおさらいしておく。ドレッシングは選んでおく。色も合わせて見ておく。それから,あとはもう近くにない。カレンダーは捲れていて,ブリキのおもちゃは頭を撫でられている。暗がりに眠りが馴染んで,欠伸はすっかり光の中だった。
『好き嫌いはないでしょ?』,だから材料は簡単に済んでいる。
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