少年K~ある加害者家族の記録
孤独だけが襲ってくる。
逃れられない運命。
どんなに身分を隠しても、殺人者の弟ということがばれてしまう現実。
一億総監視を受けている現実が加害者の家族を追い詰めてゆく。
罪は兄弟までもが償わなければならないのか。
償いの意味を問う。
償うとは何か、真実とは何か?
第一章 逃れられないこと。
「今日、僕は自殺します。」
理由?死ぬ以上に生きる理由がみつからないから。
どうにもならない感情。
想いのたけを目の前にあるノートの切れ端にぶつける。
そこには何もない。
積み上げるものも、
生きている証も、
そこには何もない。
虚ろな目をして空を見上げる俺は、
自分の運命を確認している。
何が悪かったのか…
どうすればこの現実から逃れることができるのか…
他人(ひと)ってさ、
悲惨なことは垣間見たいけど、
悲惨過ぎるものは眼をそむけたくなる。
そんなものでしょ。
それが人間の心情だ。
もう、哀しみの感情すらない。
他にもう何もないんだよ。
よくさ、発展途上国の人は可哀そうだの、
悲惨だのと言われるけれど、
他に比べる対象がないことはある意味幸せなのかもしれない。
物が溢れかえり、
人が溢れかえり、
情報が氾濫し、
何が幸せなのか、選べなくなっていることは、
本当は地獄なのかもしれない。
目の前に人参をぶら下げられ続け、
一生食べることがないのに、幻想を抱かされ続ける、
そんな人生を一体だれが幸せと言えるのか。
世の中は不公平だ。
日本人に産まれたことは幸せだという。
果たして、本当にそうなのだろうか。
昔の日本は貧しかった。「今の人は幸せだ。」
昔は物が食べれなく餓死し、生きるために必死だったという。
口を揃えて出る言葉「悲惨だった」という言葉。
今の若者も必死だよ。
物理的な危険はずいぶん回避されたけど、
みな心が殺されているんだ。
士農工商の時代と一体何が違うのか。
日本では士農工商。
インドではカースト制。
変わらない。
変えられないんだ。
与えられた環境を打破できる人間て、
ほんの一握りだよ。
ピラミットの一角にしか存在しない人間のことを話しても、
根本的な解決にはならないだろ?
それでも、衣食住が揃う日本は幸せだという。
現実を知ってるか?
生活保護を受ける事がどんなに大変か。
餓死する人間や病気死する人間も、
這いあがる人間より多くいるということを。
先のみえない人生。
希望の持てない人生のどこに幸せがあるというのだろうか。
命を無条件に差し出したのが戦争であるならば、
差し出す命にも値しない命はどうすればいいのだろう。
本当の貧しさを知っていますか。
働けど、働けど、暮らしは楽にならないのです。
頑張れど、頑張れど、自分の無力さを突きつけられるのです。
ここは砂漠です。
福祉を頼りなさいというけれど、
頼っても突き放される現実を、あなたは知っていますか。
制度にあぶれた情報弱者は、
ただ野垂れ死にするしかないのです。
自然の摂理からいえば、それは当然の事かも知れない。
そう思って生きていた。
毎日、機械のように働くこと。
ただ何の感情もないままに。
それならまだいい。
仕事に就くことすらできない。
就いても直ぐに辞めざるを得ない。
そんな人生があることをあなたは知っていますか。
中卒。母子家庭。身寄りなし。
住所不定。ネット難民。
住むところすら今のおれにはない。
社会の底辺ってやつだ。
生きるだけしんどい。
頼る親戚すらいない。
親も兄弟も姉妹もみんないない。
一家離散してるんだよ。
自分の努力じゃどうにもならないことってあるんだよ。
知ってる?
突如として降りかかる災難。
だれもが想像しえないことだ。
こんな事ってあるんだろうか。
真面目に生きて、歯を食いしばった生活も、
兄貴の人生の崩壊とともに、
俺の人生も崩壊した。
想像さえしていなっかったこと。
おれの兄貴は殺人者だ。
世間を怨み、無差別殺人をしたんだ。
あんたも知ってるだろ。
車で歩道に突っ込み、
手あたり次第、通行人を切りまくったおれの兄貴を。
あの時の兄貴の状況は、
丁度、今のおれの境遇に似ているかもしれない。
真面目な兄貴だったんだ。
大学中退だけど、小さな町工場に勤め、
仕事も順調にしていたよ。
で、ある冬のあさに、
居眠り運転で歩道に突っ込んできた車に巻き込まれ、
片腕に障害を負ってしまったんだ。
相手は保険にすら加入していない、
無免許運転の未成年の少年だった。
事故後は、しばらく入院をし、
小さな会社だったから、
戦力にならない兄貴はほどなくして職を失った。
通勤途中の事故だったにも関わらず、
会社は労災申請すらしなかった。
完全に歯向かうこともできない。
まず、知識がなかった。
今でいう情報弱者だ。
ほんの20年前まではこんなに情報を得やすい世の中ではなかったんだよ。
職のない兄は、障害認定もされたが、
仕事に就くことも復職することも許されず、
職人だった兄はまさに職を失った。
今となれば、兄貴の無念も怨みも理解できる。
全てが理不尽だ。
兄貴の孤独と怒りは世間に向いたんだ。
インターネットが普及して、
赤の他人と画面上だけで会話ができるようになって、
体温も声色も何もつたわらない冷たい画面だけど、
そんなところでも救いを求めていたんだね。
そんなになるまで、自分を追い詰めていたんだね。
でも、怒りを他人に向けるのは違う気がするんだ。
俺はさ、他人を殺したりしないよ。
自分を殺すんだ。
兄貴の無念もおれの命で償ってやる。
兄貴が殺めた人達へおれが出来る最後のレクレエムだ。
まー恨みごとをいくら話してもしょうがない。
ようやく静寂が訪れる。
兄貴と同じこの血を絶つことにしたよ。
もう何もない。
もう何の感情もないんだ。
やっと楽になれるのか。
生きることがしんどいんだ。
ねえ、兄貴、どんな気持ちだったんだよ。
ねえ、兄貴、孤独だったね。
もうみんなは許してくれるかな。
きっと許してくれないね。
だって、無くなった命は
戻ってこないのだから。
どうして、自分を殺さすに、人を殺めてしまったのかな。
ねえ兄貴、教えてよ。
ねえ、兄貴…答えを下さい。
第二章 母原病
あの日の夕方、俺は家で寝ていたんだ。
久しぶりの休日だったし、
前日の夜勤で、ひどく疲れていて、
吸い込まれるように眠りについたんだ。
日ごろの睡眠不足。
ここのところ、人手不足で仕事も忙しく、
ゆっくり休めることなんてなかったから、
あの日は、泥のように眠っていたんだ。
毎日同じことが繰り返される。
耐えてさえいれば、この結果は積み上げられるだろうと、
僅かな希望を込めて働いていたんだ。
その日の目覚めは特別何にも変わりはなかったよ。
俺は、いつものように重い足取りで
2階から玄関へと続く階段を降っていった。
少し薄暗い廊下の先にあるのはリビングで、
そこに置いてある冷蔵庫へ直行した。
冷蔵庫を開けると、いつものように牛乳があり、
むさぼるようにパックの牛乳を飲んだんだ。
そういえば、うちは変わった家だったな。
飲み物は健康に悪いからと必ず牛乳だけだった。
健康志向であるならば、果汁や野菜ジュースだって良かっただろうに、
必ず「牛乳」。母親のこだわり。
この日の俺は、のどが渇いて、乾いて、
まるで全ての水分が体中から抜かれたような、
そんな渇きだったことを覚えている。
むさぼるように牛乳を飲んだ俺は、
のどの渇きを癒して、少し楽になると、
ふと、扉のむこうの部屋に視線を移した。
そこにはいつものように母親がゆったりと、ソファーに腰を下ろしていた。
相変わらず、ただ、ひたすらテレビを無表情で観つづけている。
何年も見慣れた光景だ。
彼女の眼はいつも絶望に満ちていた。
俺は小さい頃から思っていたことがある。
うちには友人と名のつく大人が集まったことがない。
いつも母親と兄貴、そして俺。
たまに父親はいたけど、家にいる時は決まってお酒を飲んで寝ていた。
彼女には恐らく友人はいない。
たまの休みも、険しい顔でテレビを食い入るように観ているような人だ、
昔からこの人はそうだった。
友人でもいれば、
何か違っていたのか…
でも、まぁー、無理だろうな。
だって、口を開くときはいつでも小言だったし。
「はやくしなさい」
「こんなんじゃみっともないでしょ」
「ばかね」
「役立たずなんだから」
その他の言葉も全て否定だったな。
それに全て命令口調だったし。
きっと、他人にもそうだったんだろうな。
彼女はいつだって人目を気にし、
子供には「躾という名の暴力」を与え続けていた。
そこには「自由」なんて存在しなかった。
全ては母の意のままだった。
そして、子供達の生活環境を整えるという名目で、
僕達の生活を、自由を縛り続けた。
彼女の中では子供達の存在そのものが愛おしいという感覚はきっとない。
彼女特有の「~すべき」や、
「~ねばならない」という思い込みの激しさで、
子供達を縛り続け、世間の評価を上げることに必死のようだった。
少なくとも当時の俺の目にはそう映っていた。
自分のメンツと体裁を守る為に彼女の言葉は使われていた。
俺達に強要した数々の出来事は、
おおかた、過去の自分の育てなおしでもしていたのだろう。
彼女は自分の存在すら否定していたもんな。
宿題って普通自分の力でするものだろ?
友達と教えあったりしてさ、
うちでは違ったんだ。
素晴らしい作品を作り出すため、
母親は「先生受け」の良い作品を、俺達に強要していた。
兄貴と俺はそれを「検閲」と呼んでいた。
作文などは母親が気に入るまで、
何度も書き直しをさせられた。
個性なんてものは全く受け付けなかったな。
とにかく先生受けが最重要項目だったっけ。
もうね、文字なんかも1字1句間違えてもいけなかったんだよね。
自由な発想だとか、
間違えすらも「可愛いね」とか、
そんなものはどうでもよくて、
ただ、ただ、「作品」をつくるために、
目の前で仁王立ちし、赤いボールペンを右腕に持ち、
「完璧な作品」ができるまで、俺達を監視し続けていたな。
先生はそれを知らない。
小学生や中学生の作品を母親が子供風に書き直しているのだから、
それはそれは、『素晴らしい作品』に違いなかった。
お陰で成績は優秀。誰もが一目置く兄弟であった。
小学校や中学校はホント、英雄扱いだったよ。
やがて、そのつけは返ってきたけどな。
そもそもからして、自分の実力じゃないからな。
皮肉だけど、世の中は理不尽だ、
生きることはつらいことだとこの人に教わった。
そして、今日も変わらずの風景だ。
ピクリとも笑わない。
頬笑みもしない。
笑顔が向けられるのは、
俺達がテストで100点を取ったその時だけだったな。
ホント、何のために産まれてきたんだろう。
この人の欲望を満たす道具としてなのか。
それとも俺達の母親に対する理解が間違っていたのか。
今となっては知るよしもない。
考えれば、考えるほど俺のなかの怒りがこみ上げる。
終わる事のない怒り。
もちろん、己に対する怒りも含め。
冷めた己の声だけが心に木霊している。
そういえば、昔、東京の郊外で幼女誘拐殺人を犯した男がいたっけ。
両親、親戚まで世間の憎悪は向けられ、
一家は離散したという。
結婚を間近に控えていた妹は婚約破棄をし、
父親は地元の川へ投身自殺をした。
俺は「なんてバカなことをするんだろう」と思っていた。
この話自体、ずいぶん前の話で、
世間では幼女殺害事件になると、
何かと引き合いに出されていた事件だった。
そして時代が過ぎ、風化されつつあった。
以前、飲み屋で友人と加害者家族と殺人の話題になった時も、
ほろ酔い気分で顔を高揚させている友人に向かって、
「馬鹿だねぇー。そんなのさ、名前を変え、顔を変え、住む土地を変え、海外でもいけばいいじゃん。
なんだかんだで世間は興味なんてなくなるんだからさー。」
酒に酔っていた俺は、調子に乗って声高に友人に向かって話していた。
「だよねー。でもさ、俺に娘ができてさ、そんな殺され方されたらだよ、そいつの血が混じっているもの全てが怨みの対象になるわ。きっと。」
ビールを片手に半分酔っ払った友人は俺の話を聞き、
怪訝そうな眼で、ゆらりとたばこの煙を吐いた。
そして、ダルそうに俺の顔を見上げたのを覚えている。
「でも、でもさ、やっぱ無理だわ。正直、うぜー。てか、俺が殺すとか言っちゃいそ―。」
満席に近い客の中で、友人のあまりに過激な発言に、
殺意すら感じる。
「大げさじゃね?親はともかくさ、妹とか、親戚とか、まったく悪くなくね?な?そう思わね?」
俺はとっさに言い訳をしていたんだ。
この時は俺が同じ立場になるなんて、
夢にも思っていなかったんだ。
第三章 生きる意味
人生の分岐点てあるのかな。
人生は選択の連続だって誰かが言ってたっけ。
朝、目が覚めて顔を洗い、
ひげを剃って、
飯を食べる。
ご飯にしょうか、パンにしようか。
時間がないから牛乳だけにしよう・・・
そんな他愛ないことから選択って始まっているんだ。
毎日、毎日、選択の連続。
その駒を戻せば、人生の分岐点に戻ることができるのだろうか。
分岐点に戻って、
自分の人生のリセットってできるのかな。
あの時こうしていたら…とかね。
もし、分岐点に戻れるのならば、
心が疲れる前に戻りたいな。
そういえば、心が本当に疲れている時にさ、
元気な人に励ましてもらうと余計に疲れるよね。
それなのに、元気な人って「前を向いて歩け」って平然というよね。
本当につらい時はさ、ただ黙って傍に座っている。
それだけでいいのに…。
だって、その人の気持ちはその人のものだから。
自分以上に自分の感情がわかる人間なんていないんだ。
もし、自分の気持ちが解らない奴がいるとすれば、
病んでいる人間か、自分をわかろうとしない人間かのいづれかだ。
それは、常に表面だけで生きている人間だけだ。
それと、絶望の中で迷っている時は、
「前を向け」って言われても、
その壁が大きすぎて壊せないんだ。
それなら壁を避けて通過しろよって
簡単に言うなよな。
わかってるよ。
全ては自分勝手な言葉ばかりだ。
八つ当たりさ。
ああそうだ、全てが自分の都合のいい言葉ばかりだよ。
わかってる。相当ネガティブなんだろ。
でも、この感情の想像ってさ・・・
つまりさ・・・
子供が成長する機会が全くなかったとして、
例えば、生涯、子供のままの能力しかもてないで、
勝てるスキルも逃げるスキルも解らないまま、
それは、やってもやっても努力が報われない。
そんな感じ。
努力はやみくもにやっても無意味だ。
努力するべき場所で努力をして、
かたちになるもんなんだ。
叶わないことが無意味に続けられることは、
心を殺していく行為なんだよ。
極論じゃない。
悲しいけど、世間は動けずにフリーズしている人間に「怠けもの」って烙印を押すんだよ。
「努力が足りない」「情報はあったはず」ってね。
心がドンドン殺されていることも知らずにね。
ばかだな。
携帯だって、テレビだって、ラジオだって、
情報を得るためには、みーんなお金が必要なんだよ。
公的機関に行くとしても、
電車やバス代が必要。
自転車も買えない。
家の近くに市役所があるわけでもないんだよ。
歩いて行けって?
そう言える人間は食えない状況になった事のない人間だな。
動けねーよ。
気力も体力も何もなくなるんだから。
「希望がない」生きる上で一番必要なものだ。
でも、そこから見えてくるものもあるんだ。
本当の意味で生きる意味がわかるんだ。
欲も無くなる。
もう全てがどうでもいい。
笑いしか出なくなるからな。
全てがバカらしく思えて。
失うものはこの身体1つだけしかない。
全てが敵に思えてくる。
あの優しかった人達はなんだったんだろう。
もっと生きながらえて苦しむべきなのか。
兄貴と俺は同じ人間なのか。
未来も、希望も全て失われた。
俺は最近思う事がある。
被害者家族と加害者家族って、
ある意味共通するところがあるな。
・・・・なんていったら怒られるのかな。
本当に申し訳ない。
許せないだろうな。
俺だって許せないんだから。
生い立ちのせいにもしたいし、
そうやって逃げたいんだ。
何かや誰かのせいにしている俺がいる。
絶望の淵
絶望の淵だ。
でも、まだ甘い気がする。
こんなことを思えてること自体、
まだ、余裕があるはずだ。
思考が停止していない。
壊れる音がしていない。
少年K~ある加害者家族の記録
実在した事件を基に書いた全くのフィクションです。