テレフォンボックス
テレフォンボックス
テレフォンボックス
佑香は泣きながら家を出た。雪はしんしんと降り、冬の寒さは夜になって一層増していた。佑香は家を飛び出してきたからコートも何も着ていなくて薄手の格好をしていた。佑香は泣いて真っ赤になった目をこすって道をまっすぐ歩いた。傘もなにも差していない。履いているのは簡単なサンダルだ。こんな格好で雪道を歩いていたら、たとえ都会でも凍え死にそうだった。佑香は体の至る部分をさすって、なんとか寒さに耐えようとした。
ずっとまっすぐ歩いていたら、さっきのけんかのことも忘れられる気がした。家族全員が佑香のことを責めてきた。だけど否定することもできない。自分の成績が悪かったことぐらい、自分が一番わかっているのだから。
「梨花を見習いなさい佑香。ちゃんとこつこつ勉強しているでしょう?あなたはいつも遊んでばかりだから成績が悪いのよ、これじゃあ高校にも行けないわ」
そんな悪い成績を取ってきたつもりは最初はなかった。国語は5を取っていたし、3は三つに減っていた。全体的に以前より上がっていたのだ。なのに母は私を責めた。どう頑張っても届かない姉と比較して、そして私のことをけなす。 しまいには、今まで黙っていた父までも私のことを責めだした。
「どうする。今の成績じゃろくなところへいけないぞ」
大学の教授をしている父親に言われるとさすがに説得力があった。ならどうすればいいのだろうか。授業中は眠らずに一生懸命話を聞いているつもりだし、わからないことがあったら先生にも質問している。家でも最低一時間半は勉強しているし、苦手な社会も3から4にあげたのだ。佑香にとっては満足な成績だったが、両親にここまでいわれると、やっぱり自分はだめなんだろうかと思ってしまう。
佑香は黙って俯いていた。リビングには両親の怒鳴り声しか聞こえない。すると、それまで黙っていた姉が急に口を開いた。
「あんたみたいな頭の悪い子が妹だなんて、最低」
これには、なにか心にぐさっとくるものがあった。次の瞬間佑香は姉の頬を殴っていた。そして泣きながら、家を飛び出し、今に至ったのである。
広い通りにでた。この時間にはまだ人も何人か行き交っている。都心部ではないが副都心ともいえるこの地域に初雪が観測されたのは二日前のことだった。学校で、給食の前の時間に雪が降り始めた。クラスのみんなが一斉に窓際に集まった。一番窓側の席だった佑香はわざわざ立ち上がることもなかったが、それでも静かに降る雪をなんだか幸せな気持ちで眺めていたのを覚えている。
以来この街には雪が降り続けている。通りには様々な店があり、サラリーマンの人がその中へと入っていく光景が何度も見えた。佑香はそれを追いながら、鼻をすすった。
2度目の信号にさしかかったとき、佑香は気になるものを見つけた。ネオンで光る店の前に、ぽつんと置かれたテレフォンボックスだった。佑香はそれに吸い込まれるように、近くに寄ってみた。それは、どこにでもあるようなテレフォンボックスであった。
中に入るとなんだか寒さが軽減した気がした。佑香はなにげなく置いてあるタウンページを手に取った。
設置された腰掛け椅子に座って、それを開いてみた。いろんな店の宣伝をながめ、そして一度閉じてから裏表紙を開く。
ふと、奇妙なものを見つけた。見出しの中にひとつだけ、真っ黒に塗りつぶされて白い文字で書かれた宣伝があった。
『幸せになれます。電話してみてください。 03-XXXX-XXXX』
興味をそそるようなものだった。たったそれだけしか書いていないけれど、何か、心を魅くようなものがあった。
しかし佑香は受話器を手にしてから気がついた。自分は一銭も持っていない。
佑香はどこかにテレフォンカードが落ちていないか探してみた。すると、案の定タウンページの置いてあった場所に使い捨てのカードが一枚入っていた。
電話機に入れてみると、カードの残り使用数は10であった。佑香は意を決して、あの電話番号に電話してみることにした。
プルルルル プルルルル
二回ほどの呼び出し音のあと、はい、と返事をしたのは若い男性の声だった。
「あの、その、タウンページをみて、電話したんですけど……」
佑香は何を言っていいのかわからず、受話器を握りしめた。
「ああ、あれですね」
電話の向こう側の若い男はそう言うと、はは、と笑った。
「それで、あなたはなにか、不幸なことでもあったんですか」
彼の声は優しい、落ち着きのある声だった。佑香はとりあえず自分の今日あった出来事を簡単に説明した。
「つまり、成績のことで家族全員に怒られ、しまいに姉には最低と言われ、怒って家を出たと」
男はそう言うと、うん、そうだね、と何か考えるようにつぶやいた。
「君の気持ちも、わかるよ。僕も君みたいに、家族から成績のことで文句を言われたことがある」
「あなたはそれで、どうしたんですか?」
佑香はつい必死になってそう尋ねた。
「うーん。僕は今まで以上に勉強して、いい成績をとって、どうだ俺だってできるんだって見せつけたかな」
「…そうですか」
佑香はがっかりした気持ちになった。昔にも同じようなことを言われて、勉強に励んでこの成績を掴んだのだ。それを否定された自分と、電話の向こう側の相手との自分の立場は、違うものであった。
「だけど、君の家族も君のことが嫌いでそう言ってるんじゃないんだよ」
「え?」
「君の将来を思ってるんだ。君が、未来で幸せに笑えるように、そう言ってるのさ。そうじゃなくて、自分の子供をどうでもいいなんて思っている親がいるかい?」
佑香は何も言えなかった。ただ黙って、小さく呼吸を繰り返す。
「大事な人には、幸せになってほしいからこそきつく当たってしまう。だけどね、そうしてもらったことは一生の糧になるよ」
「糧?」
「そうだよ、今は辛いかもしれないけど。聞く耳を持つことも大切だ。そしてそれを実行する」
「実行……」
「それに、大事な人ほど自分のそばからすぐいなくなってしまうものだからね……」
彼のその言葉だけは、寂しさが入り交じっているように感じられた。ずきんと、佑香の心が痛む。受話器をぎゅっと握って、そして大きく深呼吸をした。
「私、ちゃんと、お母さんに謝らなきゃ…」
「謝る必要はないさ。ただ黙って、言われたことをやってみてごらん。どうしても、自分に合わないなと思ったら、また僕に電話してみればいい」
彼の声は人を安心させる力を持っていた。佑香はその声に安心して、ほっとため息をつく。
「また、電話してもいいですか……?」
「ああ、いいよ。いつでもかけてごらん。だけどいつまでも僕に頼ってちゃだめだ。いつかは、自分で道を切り開かなきゃならない。そのいつかまで、僕は君の相談に乗るよ」
「……ありがとう」
じゃあ、と言う彼に、待って名前は、と聞こうとしたとき、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「佑香!何してるの!どうして急に家を出てったりするのよ!?心配したのよ」
道をまっすぐ走ってきたのは、両親と姉であった。佑香は受話器を握ったまま、3人の顔を見つめる。
「お母さん、お父さん、お姉ちゃん……」
すると、姉が佑香のほうに駆け寄って、そして抱きしめた。
「バカね、これだからバカな妹は……嫌になるのよ……」
姉の肩は小刻みに震えていた。両親はほっとした表情を浮かべて佑香を見る。
「……家に帰ろう」
父親がそう言って、姉は佑香から離れた。そして四人は、道をまっすぐ歩き始めた。
「待って!」
佑香が咄嗟にそう言って、テレフォンボックスの方へ走る。
「どうかしたの?」
佑香はテレフォンボックスの中のタウンページを手に取った。一番最後のページを開けて、そしてそこに書かれた電話番号を指でなぞった。
もう、電話する必要もないかもしれない。
あの人のおかげで、なにか大事な事を知れた気がする……。
「早くしなさい、佑香」
母親の声で、佑香ははっと現実に戻り、そしてタウンページを元の場所に戻して家族のもとへ走った。
「何してたの?」
姉が、佑香のとなりでそう尋ねた。
「ううん。なんでもない」
佑香はうつむいたままそう言った。
「そういえばさっき、誰かに電話してたな」
前を歩いていた父親が振り返ってそう言う。佑香は、うんと頷いて、そして笑った。
「大事なことを、教えてもらった」
すると父親も、そうか、それはよかったなと、優しく笑ってみせた。
「佑香」
母親がそう言った。佑香は自分のとなりの母親の顔を見る。
「勉強、勉強言われて、嫌かもしれないけど、これはあなたのためを思ってなんだからね。わかってちょうだいね」
「うん。わかってる」
佑香は小さくそう言うと、立ち止まって、振り返り、テレフォンボックスのほうをみた。
テレフォンボックスは、先ほどと同じように、その場所に設置されていただけだった。
テレフォンボックス
ーAfterwordー
よくあることを
小説にしてみましたw
私の家は
いつもこんな空気が
張りつめています(笑)