カップ麺の容器が散乱する部屋の中で、砂城 恭一は、ただぼんやりと座っていた。
部屋の中はカーテンを閉め切っているため、薄暗い。ベッドの布団が雪崩を起こしたみたいに、乱れていた。
砂城 恭一は、寝起きのまだ眠い目をこすりながら大きく欠伸をした。
寝癖がついて、ボサボサの髪の毛を直そうと手で押さえ付けたが、失敗し、仕方なくもう一度欠伸をする。
ぼんやりと、どこか遠い目で壁の一点を見つめていたが、欠伸をすると急にシャキッとして、ベッドから下りた。
カップ麺の容器を踏み付け、容器をグシャッと潰してしまった。すぐに足をどけたが、潰れた容器を捨てようとはしなかった。
砂城 恭一は、一人暮らしの大学生だ。親の元を離れ、このアパートに引っ越してきたのが二年前になる。それまでは、親の元で普通に生活をしていた。
彼の両親は彼が一人暮らしをするということを聞くと、とても心配した。それは、両親は、彼の性格を熟知していたから、本当に彼に一人で生活していく能力があるのか、という点について心配であったのだ。
そして、残念ながらその予感は的中してしまった。
彼は未だに生活を満足に送れないでいた。一人暮らしをするのだから、最低限のことは自分一人で出来なくてはならない。しかし、彼は、料理を作るどころか、部屋の掃除さえまともに出来ない始末だった。掃除くらいすればいいだろう、と思うかもしれないが、彼にとって、掃除というのは面倒なことこの上ないのである。
だから、彼の部屋はいつもカップ麺の容器や、その他のゴミで散らかっていた。捨てることが面倒で、こうしているのだ。料理だって作るのが面倒だからという理由で、毎日カップ麺やコンビニ弁当で済ませていた。もし、誰かがこんな彼の生活を知ったなら、卵かけご飯の存在をいち早く教えただろう。しかし、彼にはそんなことをしてくれる友人はいないため、また、卵かけご飯のことも知らないため、ずっとこの生活が続いていたのだった。
つまり彼の生活は、非常に不健康だった。不健康だが、彼はこの生活を改善しようともしなかった。理由は、面倒だから。

だが、今日の彼は、いつもより少し違っていた。 彼は、洗面所に向かった。顔を洗うためである。
いつもなら、面倒だからという理由で、そんなことはするはずもないのだが、何だか、顔に沢山のゴミがついているような感覚がしたのである。スッキリするため、面倒だが、顔を洗おうと思ったらしい。
洗面所に着くと、彼は鏡をみた。特に良くも悪くもない、平凡な顔が映ると思っていた。しかし、映っていたのは全く別のものだった。
そこに映っていたのは、彼の顔ではなかったのだ。
そこには、想像を絶する程の美しい顔が映っていたのだった。思わず見惚れてしまう程の、そんな顔。
彼は、愕然とした。
これは自分の顔ではない。
では一体誰の顔なのだ。
そんな疑問が浮かんだ。
そうか、夢を見ているんだ、と彼は思った。あまりに平凡すぎる顔故、美男子になりたいという願望が夢に反映されたのだ。
彼は、右頬を右手でつねってみた。夢判別法のうち、最も有名な方法である。それで、夢かどうか判別できるのかは定かではないが、やってみた。
しかし、彼は確かに痛みを感じた。つねっていた手を離すと、頬が赤くなっているのが分かった。
彼の脳は、非常に単純なつくりとなっているため、たったこれだけで、自分は夢を見ているのではないということを断定した。鏡に映っている美しい顔は紛れもなく自分の顔で、今は現実なのだ、夢ではないんだ、と。
しかし、これが現実だとすると、一体何故こんな事態になったのだろうか。もしかして、今まで自分が現実だと思っていたものが夢だったのだろうか。自分の目がおかしくなったのだろうか。等、彼の頭の中では様々な考えが浮かんでは消え、浮かんではまた消える。だがどれも、妥当だとは思えなかった。
彼は、もう一度鏡を見る。そこにはさっきまでと同じ、誰もが見惚れる程の美しい顔が映っている。
細く、綺麗な眉毛。その下にある、凛々しい瞳。よく通った鼻筋に、引き締まった口元。肌は白く、ニキビの一つもない。
にわかには信じられない光景だった。しかし、この顔は確かに自分のものだ、と彼は思った。
そう考えると、急に嬉しくなってきた。今までの平凡な顔とはおさらばなのだ。今までの全く、彼女ができなかった人生は、今日で終わりなのだ、と思った。これからは人並みに、いや、それ以上の人生が送れるのだ。
彼は、狂喜した。この顔は自分のもの。諦めていた恋愛もこの顔のおかげで、することが出来る。もしかしたら、街でスカウトされて、一躍有名スターになるのかもしれない。そう考えると、嬉しくて嬉しくてたまらなくなった。
顔を洗うのも忘れ、彼は意気揚々とその日一日を過ごした。


次の日、彼は気持ちの良い朝を迎えた。
昨日は、休みだったので、一日中部屋の掃除をして過ごした。普段なら、決してやらないことだが、外見の変化というのは、人の心にも大きな影響をもたらすのかもしれない。
その努力の成果もあってか、部屋の中は見違えるように綺麗になった。そうして、迎えた朝は、やはり気持ちが良いのだった。
砂城 恭一、大学生。
今日も彼は大学に行く。しかし、そこで過ごす時間は、今でとは一変し、素晴らしいものになるだろう、と直感した。友人も恋人もおらず、彼はひっそりと生きてきた。しかし、そんなことはもうないのだ。今までの人生に別れを告げ、自分は生まれ変わったのだ。
彼はそんなことを思いながらも、朝食を作り始めた。今まで料理をしなかった彼は、その少ない知恵を絞り、簡単に早く安く作れそうなものを考え、そして辿り着いた、卵をご飯にかけるというアイディアを思い付いた。
彼は自らの力で、卵かけご飯を生み出したのだった。
また彼は、普段みることのないテレビをつけた。朝にやっている、ニュース番組にチャンネルを合わせる。前とは違う自分になったのだ。やはりニュースもみるのだった。
彼は知恵を絞って作った、卵かけご飯を食べながら、椅子に座り、今日までに起こった様々なニュースをみていた。自分が今まで出会ったことのない情報が、頭に入っていくのが楽しくて、卵かけご飯を食べ終わってもみ続けていた。
芸能人が結婚したとか、どこかでパレードが行われたとか、政治に関するニュース等、みているだけで面白かった。
やがて、大学に行く時間になった。彼は机の上のリモコンに手を伸ばし、テレビを消そうとした。そのときだった。
ニュースキャスターが、ある芸能人についてのニュースを読んでいた。
その内容を聞いて、彼は目を見張った。
それは、ある日の番組収録のときに、その芸能人の顔がポロリと取れ、彼の顔が全く違う別の誰かの顔になってしまった、ということだった。彼の顔は今までの、誰もが見惚れてしまうような美しい顔から、誰もが忘れるような平凡な顔になり変わってしまった、と伝え、その芸能人がインタビューで、
「いやあ、何かこんな顔になっちゃいました」
と言っている映像が流れた。
そして、その直後に、彼の元の顔と、なり変わってしまった、平凡な顔の写真が画面に映し出されることとなった。
そこに映っていたのは、砂城 恭一の、元の平凡な顔と、今の美しい顔に他ならなかった。今の彼のこの顔は、もともとはその芸能人の顔だったのだ。
彼は、それを見て、しばらくただ呆然と立ち尽くしていた。
彼は、自分の顔を触った。それはあっけなく、ポロリと剥がれ落ち、その下から元の平凡な顔が姿を現したのだった。

顔が変わった話。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-26

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