ビューティフル・ダイアリー(5)

二十一 万歩計の女 から 二十五 宝石を身に付ける女 まで

二十一 万歩計の女
「歩こう、歩こう。私は元気。歩くの大好き。どんどん歩こう・・・・」
 歩は、体重計の上で、元気よく手を振りながら、足を上下させていた。服装は、Tシャツにジャージのトレーニングパンツ。首にはカラフルな虹色のタオルを巻いている。また、パンツの左ポケットには、万歩計を入れている。  歩が足を上げる度に、振動で万歩計のデジタルの数字が増えていく。
 歩は、万歩計の上を歩くのだけではつまらないので、BGMの代わりに歌を歌う。
「幸せは歩いて来ない。だから、歩いて行くんだよ。一日一歩・・・」
歩は歌を変えた。同じ歌ばかりでは面白くないからだ。腹から声が出れば、腹筋も鍛えられる。一歩で二度美味しい行為だ。
 歩の額に汗がにじむ。首に掛けているタオルの先を右手で持ち、汗を拭う。
と、同時に、ポケットから万歩計を取り出し、歩数を確認する。今は、三百六十五歩だ。
どこかで聞いた数字だ。何かの歌の題名だ。まあ、いい。
 次は、体重計を確認する。体重計の上で足踏みをしていた時は、足の裏が体重計を踏みしめる度に、数字が大幅に増減して、正確な体重がわからない。体が静止している状態ならば、数字も静止している。
 五十一・三。この数字が歩の体重だ。これが適切な数字なのか、軽いのか重いのか、歩にはわからない。身長は百五十七センチだ。体重計の横にある標準表を見た。太り過ぎでもなく、やせ過ぎでもない。標準だ。何だか安心した。だけど、標準って何。体重だけの問題ではないような気がする。生き方にも標準があるのだろうか。
 その標準を決めたのは誰だ?
 歩は、考えながら、再び、体重計の上で、歩きだす。
「標準、ひょうじゅん、ヒョウジュン、標準、ひょうじゅん、ヒョウジュン、・・・」
 言葉が頭の中の巡り、頭の中の標準計の上を歩き続けている。歩は、実際上、体重計の上で歩きながら、頭の中では、標準計を歩み続けているのだ。
「ふう。疲れた」
 頭と足の両方の疲れだ。動きを止めた歩。ポケットから再び、万歩計を取り出し、デジタルの液晶を見る。数字は七八七を表示している。
 どこかで聞いた数字だ。七八六よりはひとつ多い。つまり、なやむ、悩むをひとつ越えた数字だ。
「わっ、すごい。さっきと比べて、二倍弱だわ」
 歩は何だか急にふっきれた。太り過ぎだろうが、標準だろうが、やせ過ぎだろうが、そんなことはどうでもいい。自分は万歩計の上で、万歩していくんだ。
歩は、歩の美に向かって、引き続き、歩き始めた。

二十二 暴言吐きの女
「くそったれ。死んでしまえ」
 女は、狭い部屋の中で叫んだ。だが、叫んだ内容に比べて、やさしく、かぼそい声だった。誰に対する、くそったれなのか、死んでしまえ、なのか、女自身もよくわからなかったが、言葉を発すると、何だか気持ちが落ち着いた。だが、しばらくすると、ムカムカしてきた。吐き気がもよおしてくる。まさか妊娠?
 女は二十八歳。付き合っている男はいた。だが、最近、別れたばかりだ。別れる半年以上は、体の関係はない。だから、妊娠のおそれはないはずだ。別れた原因は、男の暴力。手で頭や体を殴られたり、足で腹を蹴られたりした。
 また、行動による暴力だけでない、馬鹿や死ねなど、ののしられるなど、言葉の暴力も受けた。原因は、男の短気と、女の反撃だった。多分、男とは磁石で言えば、プラスとプラス、マイナスとマイナスの関係だったのかもしれない。
 それなのに、よく付き合ったものだと思うかも知れない。例えば、電池は直流であれ、並列であれ、同じ方向を向くことで、電池が流れる。男との関係もまさに、同じであった。同じ夢を見て、同じ食べ物を食べて、一緒に出掛けて、同じ場所に宿泊した。同じ方向を向いている間はよかった。それが、ある日を境にして、違う方向を向くようになった。多分、それは、男の寝象が悪く、女を足蹴りにして、女がベッドから落ちた時からだ。
そんな馬鹿な話だと言うかもしれないが、そんなものだ。同じ方向を向いているからこそ、理解できたことが、違う方向を向いていると、些細な行為でも全く信じられなくなる。
 男と別れて、暫くしてからだった。突然、マグマの噴火のように、死んでしまえ、のたれじにしろ、などの怒りの言葉が噴き出てきた。抑えようにも、抑えきれない。ある時などは、両手で口を覆ったところ、鼻から怒りの呼吸が噴き出た。耳からも噴き出た。目からは涙が流れ出た。これでは駄目だ。
 女は両手を使い、マグマを喉で閉めた。これなら大丈夫。だが、呼吸ができない。それに、怒りの声が胃や小腸、大腸でガスのように膨張していく。このままでが、いたずら小僧に口からストローを差され、息を吹き込まれたお腹を破裂させられたヒキガエルと同じ運命を辿ってしまう。何とかしないと。何とかしないと。女は喉のから手を離す。
 あほんだら。死んでしまえ。馬鹿にしとんか。上から目線で見やがって。死ね言うんか。
立て続けに吐き出される咳や嘔吐のように、ののしる言葉がダムの決壊のごとく吐き出された。おかげで、見る見るうちに、お腹はしぼんできた。もちろん、やせたわけではない。
 それでも、三十前の女だ。お腹がぽっこりでは、かっこうがつかない。ついでに、脂肪分も吐き出されれば、スタイルがよくなるのに。と、思いながら、とりあえず、怒りの声が発散されたことで、お腹は引っ込み、すっきりした。なんだか、溜まっていた澱や宿便が口から排出されたようだ。
 いやだな。そんなものが口から出るなんて。だけど、よく考えてみれば、人間は、チューブに手や足などが引っついている生き物である。口も肛門もたまたま、位置が違っているだけである。入り口が口で、出口が肛門なだけである。ひょっとしたら、反対の場合だってありうる。肛門からまぐろの刺身を食べ、口から消化されたゴミを吐き出す。口や肛門だけでない。耳の穴や鼻の穴、全身の毛穴からだって可能性がある。どこから排出物を出そうが、同じなことではないか。そう考えているうちに、再び、嘔吐感が。
「くそったたれ」
 部屋中に響く声。声は女の部屋だけにはとどまらず、拡散する。ここはマンション。いいや、安アパートだ。隣に住んでいる人もいる。今は、日中なので、仕事に行っている人がほとんどいないので、女の声が他人に聞こえることはない。安心していたら、ピンポーンとチャイムが鳴った。吐き気はない。女は、玄関へと向かう。
「どちらさまですか」女がドア越しに尋ねる。
「大家の松本です」ドアを開けると、六十歳過ぎのおばさんが立っていた。
「田中さん。困りますよ。昼間から、大きな音を出して。近所迷惑ですよ。サスペンス物かなにかのテレビですか。殺してやる、だなんて、物騒じゃないですか。音を小さくするか、イヤホンで聞いてください。よろしくお願いしますよ」
 大家は、自分の言いたいことだけをしゃべると、ドアを閉めた。
 女にとっては、大家の勘違いはありがたかった。だが、いつ、また、吐き気の怒り声を発するかはわからない。このまま部屋にいるわけにはいかない。
 まただ。胃の中からどす黒い嘔吐物がせり上がってきた。女は口に手を当てた。漏れそうだ。サンダルを掃いて、外に飛び出す。女の部屋は二階だ。急いで階段を下りる。
「こ」が女の口から漏れ出た。両手で口を押さえる。
「ろ」が鼻の穴から漏れた。
「し」が涙と一緒に流れ出た。
「て」と「や」が右耳と左耳の穴からすーという音とともに、噴射された。
 最後に、顔中の毛穴が開き、数千に分裂した「る」が女の顔を真っ赤にした。 それでも、女は口を押さえたまま、近くの児童公園に走って行った。
「ふうう」口から手を離すと大きなため息がでた。罵詈雑言は影をひそめた。両太ももに両手を着き、腰をかがめ、 もう一度、大きな深呼吸をした。
「ふうう」腹の中から、もう声は出ない。女はどこかに座りたかった。ベンチに向かう。だが、ベンチは木の板が腐っていて、座れなかった。他に座る所はないのか。女は、この際、地べたでもよかった。
「あった」女が見つけたのは、ブランコだった。懐かしい。子どもの頃、ただ単に、座って揺らすだけでなく、座ったままの姿勢で飛ぶ競争をしたり、立ち漕ぎをしたりしたものだ。
 女はブランコに座った。ゆっくりと漕ぐ。足が地面から離れた。戻ってくるときは、膝を曲げ、足が地面に着かないようにする。ぶらり、ぶらり。行ったり、来たり。ゆああん、ゆよん。ブランコは振幅が大きくなった。両手は、鎖を握っている。
「くそったれ」女は大きく叫んだ。これまでは吐き気をもよおすような、苦しみから生み出された怒りであったが、ブランコに乗ると、そんな気持ちは沸かず、軽い気持ちで口から言葉が出た。
「くそったれ」何だか、楽しくなった。砂場では、子ども連れの母親たちが女の方を見て何か囁やいている。ブランコに遊びに行こうとしている子どもの手をしっかりと握りしめている。
「ははははは」女は、今度は可笑しくなった。腹の底から笑い声が出た。もう、くそったれ、の言葉は出なかった。

二十三 ラジオ体操の女
 朝、六時だ。目が覚めた。急いで、ふとんを跳ね除け、ベッドから立ち上がる。うーううーん。背伸びをする。りりりりりーん。数秒遅れで、枕元の目覚まし時計が鳴り始めた。今日も、目覚まし時計に勝った。時計は、依頼者からの役目を終えたにも関わらず、今だに鳴り響いている。
 もう、おしまい。あんたの役目は終わったのよ。あたしは、やさしく、そして、皮肉交じりに、時計に話し掛ける。時計は、それを無視してか、関係ない素振りで鳴り続けている。
もういいのよ。一晩中、起きていてくれてありがとう。あたしを見守っていてくれたのね。もう、いいわ。ゆっくりお休み。
 あたしは、時計の裏にある、目覚まし時計の設定ボタンをオンからオフに切り替えた。続いて、電池が入っている蓋を開け、電池を取り除くと、鏡台の上にばらまいた。電池は二個。投げ出された円柱形が自由を得て、転がって行く。だが、行き先は決まっていない。
 時計の針は、六時一分三十秒を指したまま止まっている。これから、時を刻む必要はない。しばらくの間、お休みよ。代わりに、あたしが、あたしの心臓で時を刻むわ。
 あたしは、時計の頭をやさしく撫でてあげた。次は、あたしの頭を撫でる順番だ。
 あたしは立ち上がった。そして、ラジオのスイッチを入れた。
「あたらしい朝が来た。希望の朝だ。・・・・」
 ラジオから流れてきたのは、ラジオ体操の音楽。小学生の頃、夏休みに、スタンプカードを手にして、早朝から児童公園に行ったものだ。もちろん、体操が目的ではなく、カードにスタンプを押してもらうのが目的だった。
スタンプの数によって、商品、つまりお菓子の量、質が変わってくる。今から思えば、たいした話ではないけれど、子どもにとって、何かをしたら、何かをもらえるということは、ものすごく楽しみであり、獲得する喜びがあった。今なら、数百円で買うことができるお菓子も、当時は、自分の力では手に入れることができない宝物であったのだ。そのラジオ体操が今、始まろうとしている。ただし、スタンプカードはない。
 あたしは、ベッドの横に立った。音楽を聞くと、だらんとした背骨に筋が入った。
「ラジオ体操第一・・・」
 そう、第一だ。運動の形を変えた体操を組み入れた第二もある。だけど、やはり、物事は第一から始まる。あたしは、ラジオ放送に合わせて、体を動かし始めた。
 腕を回す。背筋を伸ばす。つま先立ちになる。膝を曲げる。手を伸ばす。その間、鼻から、口から、息が出たり入ったりする。体中から汗がにじむ。ちじみこんでいた筋肉が伸ばされ、痛い反面、伸びた後戻すと気持ちがいい。あたしの体の中を、酸素が、血液が循環する。今日が、始まった。今日、生まれ変わった。そんな気持ちだ。
ラジオからの放送が終わり、天気予報が告げられた。今日は晴れだ。あたしも晴れだ。あたしは、鏡台の鏡に映し出されたあたしを見た。あたしは、びゅーていふるだ。

二十四 ゼリーを食べる女
 朝の八時十分。ここは商店街のアーケード。目の前の片側三車線、両側六車線の国道は、右に左に、バスや車、宅急便、トラックなどが、鎖でつながれているかのように、狭い車間距離のまま行き交っている。その光景を  目の辺りにして、通勤・通学の人々が、信号待ちで横断歩道の前で立ち止まっている。
この街の特性・特徴なのか、ほとんどの通勤・通学の人々が自転車に乗っている。歩行者はわずかだ。商店街の道路の中心部を自転車部隊が占領し、歩行者は両側の隅に追いやられている。歩行者が真ん中を歩こうとすれば、川が急に増水し、中州に取り残された人のように、両側を走る自転車が通り過ぎるのを待つしかしかない。
その自転車の流れの先頭に尚美がいた。尚美も自転車に跨っている。赤信号のため、右足はペダルに乗せ、左足は地面に下ろしている。信号が青から赤に変わったばかりだ。先頭の尚美の自転車の後ろに、次々と自転車が止まり、並んで行く。
 尚美は前かごに手を突っ込んだ。握りしめたのは手のひら大の栄養ゼリーだ。蓋を回す。蓋がはずれた。袋に口をつける。右手で押す。袋からはゼリーが押し出された。尚美は押しだされるスピードでは満足できず、口でちゅるちゅると吸いだした。信号が赤の間に、この栄養ゼリーを吸いこんでしまわないといけないからだ。
 栄養ゼリーは、尚美の朝食だ。尚美は今日も寝坊した。服を着替えたり、髪の毛を整えたり、化粧をしたりであっという間に時間が過ぎた。朝食を食べる時間がなくなった。
 尚美は冷蔵庫からゼリーを取り出すとハンドバックの中に放り投げた。よし、行こう。自転車に跨って家を出た。
ちゅるちゅる。ちゅるちゅる。尚美の頬にえくぼを包含するクレーターが生まれる。それに比例して、栄養ゼリーの袋がちじんでいく。だが、尚美は見る見るうちに巨大化することはない。栄養ゼリーは尚美の口でたまると、喉を通過し、胃に滑り込んでいく。尚美に吸収される栄養ゼリー。
 尚美は、ひたすら、朝食という名の立ち喰い栄養ゼリーを口にする。多くの人が赤信号で待っているにも関わらず、誰も気にしようとしない。信号の横に掲示されている信号待ちのインジケーターが下がって来た。最初は11に見えた数字がもう間もなく消えそうだ。
 尚美は、両手を使って栄養ゼリーを丁寧に絞り出し、口バキュームで一滴残らず吸い取ると、その袋を前かごに乗せてあるハンドバックの中に無造作に放り込んだ。お腹が満たされたおかげで、ややぼおっとした頭も冴え出した。体温も上昇したように思えた。
 自転車の群れが勢いよく跳ねた。

二十五 宝石を身に付ける女
 女は鏡台の前に座った。今日は、何をつけようか。ネックレスの箱の蓋を開ける。お気に入りのネックレスは、ティファニー、〇.〇三カラット。ダイアモンドの宝石だ。
 女は、女の誕生日に女のために買ったプレゼントだ。自分が自分のために買うのは、贈り物と言えるかどうかはわからないけれど、兎に角、女は自分に贈り物をした。それも、誕生日に誕生日プレゼントとして。
 この時の女は、女であって、女ではない。女という女に、女はプレゼントをしたのだ。プレゼントをもらった女は喜んだ。人からプレゼントをもらうだなんて、久しぶり、そう、親からのクリスマスプレゼント以来だ。
 今は、冬じゃない。初夏だ。それも、ちょうど梅雨の季節で、鏡台の前に座っているだけで汗がにじむ。窓は開けている。ひんやりとした空気が流れ込んで来るものの、空気が今にも雲に変わりそうなほど湿気を含んでいるので、体に当たると同時に、皮膚ガラスに水露がつく。毛穴が水で埋まり、皮膚呼吸ができなくなる。全身が空気プールに浸されている。気持ちがいいのか、気持ちが悪いのか。やはり、気持ちが悪い。
 その鬱陶しい気分を爽快にしてくれるのが、ネックレス選びなのだ。今日は、どのネックレスを身につけようかとあれこれ悩むのだが、この悩みが楽しみになる。
 お気に入りのネックレスは、他にも、真珠がついたもの、ゴールドのものがあり、毎朝、この三者による決定戦が行われる。しかし、不思議な事に、いや、当然なことに、ダイアモンドに決まることが多かった。現在、ダイアモンドが選択される確率は約六割六分六厘。三回のうち二回はダイアモンドが選ばれるのだった。
 女はダイアモンドを身に付けると、何だか自分が誇らしい気分になれた。女を見る人も、女じゃなく、まず、胸のネックレス、ダイアモンドに目が吸いつけられる。これ見よがしの、いかにも、高額で、高慢ちきで、他人の存在を否定するようなものじゃなく、こぶりだが、存在感はあり、ふと、目に止まると、そこから目が離せなくなる。そんな、ダイアモンドのネックレスなのだ。
 女は、今日も、ダイアモンドを手に取った。このところ、確率は、七割を超え、八割近くになっている。それでも、いい。女が選んでいるんじゃない。女が手に取る前に、ダイアモンドが胸にひっついてくるんだ。
 ネックレスを身に付けたまま、正面、右斜め、左斜めに体を鏡に映す。似会っている。自画自賛だ。さすがに、後ろは振り向かない。後ろから見られて、ネックレスが似合っていると言われても、嬉しくも何ともないからだ。
さあ、お出かけだ。行き先はない。このネックレスが行き先を決めてくれる。ダイアモンドが女の人生という航海の羅針盤なのだ。
 多面体にカットされたダイアモンドがきらりと光った。女の進む方向を明るく照らした。女は、鏡台の椅子を引くと、一歩前に踏み出した。

ビューティフル・ダイアリー(5)

ビューティフル・ダイアリー(5)

二十一 万歩計の女 から 二十五 宝石を身に付ける女 まで

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-26

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