はじめまして、ソラ先輩

はじめまして、ソラ先輩

Twitter創作企画DDD:松浦勇魚(まつうらいお)のエピソードです。
のざくさん宅の多燈庵そら君との会話を引用させていただきました。有難う御座いました。

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夢路町の外れにある小さな入り江、護岸壁には人影はなく、彼女の日課を邪魔する者は居なかった。



「おいで」

声を張ると、くすぐったいような振動が喉の奥を揺らし、目と耳の敏い海鳥達が餌を投げるより先に集まってくる。

勇魚は耳がほとんど聴こえない。進行性のそれは小学生時代に急速に悪化し、今では自分の声すら聞き取れなくなっていた。

それでも、光が失われるよりはましだと。勇魚は逆にそう言って両親を励ましたものだった。私は覚えているから、二人の声も、鳥たちの羽音も。

音が聞こえなくても、私の世界は変わらないよ、と。

その言葉を嘘にしないために、勇魚はそれからの数年間、手話と読唇の習得に全力を傾けた。技術畑に知り合いの多い父親は発声訓練用に特化したビジュアルイコライザーを開発し、留守がちな両親の不在時にも勇魚が一人で発音を学べるように工夫を重ねた。
その甲斐あってか勇魚は発声に関しては聾者特有の違和感を感じさせずに意思疏通を図れるようになっていた。


海鳥たちに呼び掛ける、その声に応え頭上を旋回する鳥たちの姿は音が失われる以前と少しも変わらず…勇魚はいつものように笑顔になった。


入り江の鳥達に餌をやるようになったのは中等部に入学する直前、始業式の始まる前のまだ肌寒い三月末のこと。この町に来てほんの一週間も経たない頃だった。

初めて実家を離れ不安でたまらなかった春休み。学生寮に人影はまばらで、母親は障害のある我が子が慣れるまでと特別に許可を得て数日だけ泊まり込み付き添ってくれた。

だがそんな気遣いが一人になった夜の寂しさと心細さを却って募らせた、寮の新しい環境にもまだ馴染めず眠れないまま朝を迎えた勇魚は、落ち込みがちな気分を奮い起たせるように一人で町を散策して歩いた。
そして海沿いの地域へと向かい、この入り江にたどり着いたのである。

勇魚の実家は港町を見下ろす小高い丘の上にあった。市街地の喧騒から離れた閑静な住宅街、海からは距離があるが歩いて数分の場所に広い貯水池がある…水辺の景色は勇魚には親しみ深いものだったのである。

池の周辺の葦の群落は渡り鳥にとっては格好の棲み処となっていた。柵越しに鳥たちにパンをやったり産まれたばかりの雛鳥たちを眺めたり…勇魚が両親と共に過ごした、かけがえのない時間。そんな大切な記憶、そこにはいつも水にまつわる場所のイメージがあった。

水面に踊る光を眺めていると今でも自然に心が凪いでいくような気がした。

あの入り江を見つけてから、少し落ち着きを取り戻した勇魚は、帰省せずに寮に残っていた先輩達とも打ち解け、他の生徒たちが入寮する始業式直前にはもとの快活さを取り戻していた。

「初日の貴女を知らなければ、もう3年はここにいるような馴染み方だね」

日頃滅多にないほど心細げな様子を見せた勇魚を知るのはほんの数人だけで、生来明るく人懐っこい性格の彼女は先輩達にそうからかわれるほどの順応力をみせた。

少し早めに入寮したせいもあり積極的に世話をやく側に回ったことで気が紛れたせいもあったのだが。
全寮制である以上、他の生徒達も一律に同じような肉親との別離を経験していることに、別な意味で勇魚は励まされたことも無関係ではなかった。


両親が離婚調停に臨んでいる事に彼女は気付いていた。

自分をわざわざ遠く実家から離れた全寮制のこの学校に入れた理由。単なる一過性の環境変化以上の事態が水面下に進行しつつあること…
それは同時に帰るべき場所の喪失を暗黙のうちに示していた。


自分の親権を争う覚悟で調停を進める両親は、自分達の不和から一番の影響を…被害と言い換えても良いが…受けるはずである娘を遠ざけ「守ろうと」としていたのだと、勇魚は最近になってそう考えるようになっていた。
夫婦のいさかいを娘に見せたくはない…価値観の相違からすれ違う事ばかりだった両親の、そこだけは一致した意見がそれだったのだ。
そしてできるなら彼女が…どちらの両親も憎むことなく、変わらないままで自立してくれることを、この全寮制のミッションスクールという隔絶した環境に期待したのかもしれなかった。

お互いへの配慮と言いながらのエゴと、建て前と世間体から口に出すことを憚るような負の感情を圧し殺した末に夫婦の関係は破綻した、その原因は結局全て自分がこの家に生まれたことから始まったのではないかと勇魚は考えずにはいられなかった。彼らは自分という過大過ぎる試練を与えた運命を、そして試練そのものである自分を恨んでいるのではないかとさえも。



「ウチやなくても良かったんよね、今更やけど」

独り言の相手はこの世に存在する事さえ出来なかった双子の片割れ、気分が沈みがちな時にはかならず姿を現して励ましてくれる空想上の兄だった。

「でも、そないひがみっぽく思うんはイヤやなって」

そうだね…勇魚は強いからね

兄ならきっとそう言っただろう…などと。

「でも、ウチはあの世界では弱虫なんよ…」

溜め息まじりにそう呟いた。

気が付けば用意してきたパンは無くなっていた。

「ほな、また来るよって!喧嘩せんと仲よう待っとりや」

元気出そうと思って来たのに…落ち込んでたらつまらんものね。

他に聞くものも居ない…そんな気がねの無さで自分自身を励ますように大声で叫ぶと、驚いた鳥たちが一斉に飛び立つ、それを悪戯っ子のような笑みで見送り、堤防から降りようと梯子のある場所まで歩き始めた。


「やっぱりいてはるわけないよね~」



ここに来れば、またあの人に会えるかもしれない、そんな…淡い期待を少しだけしていたのだが。

無意識に溜め息をついて、顔を上げたその時。



「やぁ、また会えたね」


堤防の下から勇魚を見上げたその人。

「ソラさ…先輩!?」

裏返った声に、夢の中での笑顔をリプレイするかのように目を細めて。

夢の中とは違いその声が聞こえることはなかったが、明瞭な発音を形作る口元に浮かぶ笑みを見間違えることもない相手、勇魚の「待ち人」、多燈庵ソラ、その人だった。


「覚えていてくれたんだね」

彼と初めて会ったのは数日前の夜のこと。
夢世界中での事だった。

ラフな私服の相手に最初は夢に「堕ちた」人なのかと戸惑う勇魚に話しかけてきた相手。



「キミ、特権者でしょ?はじめまして僕は多燈庵ソラ。男子校の3年なんだ」



手慣れた簡潔な自己紹介と、どこか親しみやすい不思議な笑みで、瞬時に勇魚の警戒を解いてしまった。
生徒会のOBでも紛れ込んだのかと思ったほどに、学生らしからぬ大人びた落ち着きと佇まいを、この青年は身に付けていた。



夢世界と現実世界、そのどちらでも、これまで一度も見かけたことの無い青年。特権者が何人いるのか、正確な数を勇魚は知らなかったが…これは彼女が夢世界で極端に消極的なスタンスを取り続けてきた所為でもあった。


ごくたまに町で出会う彼らの中には本来レテに向けるはずの「能力」を、同じ目的を持つ仲間ともいうべき特権者相手に「腕試し」や「手合わせ」のような体裁をとって行使する者も居た。夢の中のこととは言え、時には流血やあり得ない物理変化を遂げた「被害者」を勇魚は何度も目にした。


勇魚の夢世界での知り合いはごく限られていた。
あまり出歩かないとは言え、レテや他の特権者に出来るだけ出くわさずに町を移動する要領だけは、いつの間にか身に付いていたので、新たな顔ぶれに出会う機会も自然に限定されていた。

勘が働くとでも言うのだろうか…勇魚はレテや他の探索者の気配を何となく察知することができた。彼等には一種独特の威圧感がある…はりつめた糸のような、あるいは固く強固な鎧のような、そして捉え処のない不定形の意思の力の持つ「圧」。角を曲がる前や通りの先に待ち受ける「厄介事」、それを回避する能力だけは磨かれていくことに勇魚は歯痒い思いをしながらも甘んじるより他になかったのだ。

かつて共に行動していたパートナーが口にした「足手まとい」という一言が、いつも勇魚の足を止めていた。

対レテ狩りの戦闘要員としてはサボタージュの常習犯、敵前逃亡、任務の回避と問題児以外の何物でもない勇魚ではあったが、以前はまだもう少し積極性があった。
たまたま仲の良かった華道部の先輩と組んで行動していた頃、勇魚なりに攻撃方法を模索した時期もあるにはあったのだが…。

昨年の12月の末に起こった事件から卒業前に3年生がアレセイアを返却するまでの期間、その華道部の先輩は連日のように夢に降りてはレテを狩っていた。
そして付いて行こうとする勇魚にこの花屋に隠れていろと「命じ」たのである。

「レテは確実に増えてる…だからこれまでみたいな戦いかたは出来ないと思う」

二つ年上の彼女は諭すように勇魚の肩に手を置いて一言一言に力を込めてそう言った…夢の中では読唇や手話に頼らなくても意思疏通可能なことを知りながら、敢えて現実世界と同じように彼女は真正面から勇魚の顔をみつめてそう言い聞かせたのだ。



「夢の中での死は、現実世界でもほとんど同じ意味を持つ、この意味わかってる?」
「一応…」
「一応、じゃないの。勇魚、あんたレテ狩りは向いてない…足手まといになって一緒に巻き添えとかまぢ洒落なんないよ?」


夢の中での死。
病院のベッドに目覚めないままの生徒達の噂は勇魚も耳にしてはいた。
自分がもしもそうなったなら、両親は悲しむのだろうか…それとも…。

パートナーであり庇護者でもあった年上の彼女の卒業後、夢世界での勇魚の活動は酷く限定的なものとなってしまった。レテへの攻撃に秀でた先輩の卒業と共に勇魚は自分の居場所を見失ってしまったのだ。

いずれにせよ選択肢のなかった勇魚は夢世界での他者との接触を極力回避すべく活動範囲を限定し、教えられた隠れ場所…現実世界でもアルバイトを始めた生花店…にひきこもりがちになっていた。

だからソラとの出会いは本当に、偶然だったのだ。

夢の中に「墜ちる」時、場所は時によってバラバラで、その日は市街地から少し離れた海の側に「墜ちて」しまった、勇魚はそこで彼に出会ったのだ。

オカリナを吹く青年、日暮れの海に響いているはずの聴こえない音。

「やってみる?」
唐突に手渡されたオカリナ。
「…ええの?」
「簡単だよ。押さえて吹くだけだから」
「…え~と」



「聴こえない…本当に何も?」
訝しげにオカリナと勇魚を交互に見遣りソラは少し…ほんの少しだけ表情を曇らせた。
「あの…少しだけなら…」

困らせたくなくて。
咄嗟に嘘をついていた。



勇魚はオカリナを聴いた記憶がない…夢の中であっても昔に一度聞いたことがあって、しかも記憶にある音しか再生されないのだという事を、勇魚はその時初めて悟ったのだ。

忘れていた、痛み。失った機能へのもの狂おしいほどの渇望…それは諦めとともに心の奥底に深く沈め、とっくに乗り越えてきたはずの激しい感情だった。

そんな勇魚の波立つ胸の内を知ってか知らずか。
ふぅん…と相手は顎に手をやり、それからにこりと笑みを浮かべた。

「クリアじゃなくても聞こえればいいんじゃない?」

「ん…せやね」

この人、笑うと急に同い年くらいに見える気がする…人懐っこい表情につられるように、思わず微笑んでいた。

聴こえていないことが両親の不和の遠因であることを、勇魚は薄々察していた。
彼女に出来るのは優しい良い子であり続けること。明るく屈託のない子供らしい笑顔を絶やさぬこと。

両親の関係性を維持し続ける手段を他に見出だせなかった勇魚は、そんな戒めを自身に課した。

本音と建前の微妙なニュアンスを聞き分ける事からは判断できない以上、正しくある事を常に求められる。補聴器をからかわれることや細かな嫌がらせや悪口も含め、自分が厄介な問題事…争いのタネであってはいけない…両親にとってのお荷物になれば、嫌われてしまう。

嘘をつくことを禁じられながら嘘をつかざるを得ない立場に置かれつづけた子供は…そうして自らを守るために悪意のない哀しい嘘をつくことを学び、幼いうちからそうすることに慣れきってしまっていたのである。



「君は…… 優しい嘘つきさんなのかな?」

オカリナから顔を上げて、ソラは演奏を止めた。

「聞こえないなら 聞こえなくてもいいんだけどねぇ」
呟く声。

「変な… 事、言うんやね…」

思わず地元の言葉が出てしまうことすら忘れて、勇魚は狼狽をさとられまいと可能な限りの最上の笑みを返す。

「あぁ、そう?変わってるとはよく言われるけど、今のは真面目な話だよ。オレ嘘わかっちゃうから、そういうふうに優しくしてくれなくても大丈夫」

「優しくないですよ、ウチは…怖がりなだけで」

声が震えるのを自覚して、勇魚はくちごもる。

「怖がりなのは痛みを知ってる人だってことだよ」

暮れる事のない夕日を浴びながら、穏やかな口調でそう言って…ソラは眩しそうにゆっくりと目を細めた。


意地を張っても無駄な相手と意地を張る必要の無い相手…小学校時代からの友人に一人そんな相手がいたな、と。

何もかも見透されてしまっているんやな…勇魚は困ったようにソラを見上げ、ふと知らずに入っていた肩の力を抜いた。

この人は……似てるのかもしれない。

憧れとともにどこか懐かしさを感じるのは。

「イオちゃんは、妹みたいで可愛いね」

何気なくそう言われて、思わず噎せて咳き込む。

「ソラさんは…お兄ちゃんみたいですね」


「…お兄ちゃんか、確かにそうだけど…やれやれ…無駄に年くっちゃったからなぁ…」

笑いながらそう返す、その笑顔につられて勇魚も微笑んでいた。


夢と現が交差する。


「あらためまして…はじめましてソラ先輩!松浦勇魚です。こっちの世界でも、どうぞよろしくお願いします」

はじめまして、ソラ先輩

はじめまして、ソラ先輩

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-25

Copyrighted
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