ぼくはリスのぬいぐるみだ
ぼくはリスのぬいぐるみだ。名前はデール。ディズニーのキャラクターで、鼻が赤いほう。赤くないほうがチップで、双子の兄だ。
ぼくが、あの家に初めて連れてこられたのは、去年の11月だった。白い塗り壁の新しいにおいのする部屋に、「ハッピーバースデー」という飾りが見えたので、だれかの誕生日だということはわかった。そして、彼女の誕生日であることにすぐ気づいた。なぜなら、彼女は頭に誕生日ケーキのような不思議な帽子をかぶらされ、いやともいえず、記念撮影をさせられていたからだ。
彼女の名前は、さくら。1歳の誕生日だった。ぼくは誕生日プレゼントとして、チップと一緒にやってきたのだ。さくらは、ぼくのことをすぐに気に入ってくれた。ぼくのほかにも、たくさんぬいぐるみはいたけど、ぼくをんわ番に抱っこしてくれた。ほとんど同じ体型のチップよりも、だ。
事件が起きたのは、今年に入ってから。ぼくは、さくらちゃん家族と一緒に、3泊4日のグアム旅行に連れて行ってもらうことになった。さくらちゃんにとっても、ぼくにとっても初めての海外。ほかのぬいぐるみたちは、留守番。そう、チップもだ。ぼくだけ選ばれるなんて、鼻高々だった。部屋はホテルの10階。水平線まで見える海は最高だった。さくらちゃんのパパに、ベランダにまで連れて行かれ、手すりの上にのせられ、記念撮影までしてもらった。
その最終日だった。ぼくはさくらちゃんのママに、かばんの中に入れてもらい、バスに乗った。空港に向かう途中だった。
「あっという間だったねぇ」。ママが感慨深そうに、窓の外を眺めていると、少し強めのブレーキがかかった。その拍子で、ぼくの体はふわっと浮き上がり、かばんの中から飛び出してしまったのだ。
「あらまぁ」
さくらちゃんのママは、あわててぼくと一緒に落ちた絵本を拾い上げた。その手が、ぼくのほうにのびることはなかった。何しろ、前の座席の奥まで、転がってしまっていた。
そのバスの中、ぼくの話題は1度も上らなかった。さくらちゃんも、いつもなら、絵本でぼくのイラストを見ると、「デデ、デデ」とぼくのことを一生懸命探してくれる。が、その時はぼくがいなくなったことに気づいてくれなかった。でも、それは仕方ないことだ。
な バスは、空港に到着。さくらちゃんの家族は、バスの運転手に「サンキュー」と笑顔でお礼を言い、さっそうと空港の中に入っていってしまった。ぼくはもちろん、ぬいぐるみだから、声を上げることもできず、みんなが出ていったバスに取り残された。運転手が陽気に歌を口ずさみながら、忘れ物をチェックする。ちょっとだけ期待したが、案の定、見つけてもらえなかった。
その日の夜は、バスの中で過ごした。これが日本だったら、寒さをしのぐのに大変だが、グアムは大丈夫だった。むしろ、暑かったらどうしよう、と心配したが、そんなこともなく、快適に眠ることができた。
目を閉じると、さくらちゃんの姿が浮かんできた。ぼくがその家にやってきた時は、まだ、よちよち歩きだった。それがみるみるうちに、歩くのが上手になり、ぼくを片手で抱っこしながら、小走りするほどになった。ぼくは、さくらちゃんのほっぺが大好きだった。すごく柔らかくて、ぎゅっと抱きしめられても苦しくなくて、とても幸せな気持ちになった。いつまでも、こうしていてほしかった。ぼくの居場所を必死に探してくれる真剣なまなざしも大好きだった。くりっとした大きな目で見つめられると、吸い込まれそうになった。
ただ、困ったこともあった。彼女からしてみれば、愛情表現だったのかもしれない。ぼくのことを、思いっきり放り投げることが度々あった。これには、いつもやさしいママも、厳しい口調でしかってくれた。
「ダメでしょ。デールが『痛い痛い』ってゆってるでしょ」
ママはとても、ぼくのことをよく分かってくれていた。本当に痛かった。特に背中から落ちた時。目から火花が出そうだった。それでも、さくらちゃんを嫌いになんて、なれなかった。だって、ぼくのことを、いつも1番に抱っこしてくれるから。
ぼくはしばらく、バスの中で過ごした。毎日、同じように、日本からやってくる観光客を送迎するバス。運転手の声は、いつも陽気だった。座席の下から、足だけを見ていた。みんな、とっても楽しそうだ。中には、けんかをして、お互いだまったままのカップルもいたりするけど。
そんな日々をくり返しているうち、少しずつ、いろいろ考えたりするのがおっくうになってきた。ぼくたちぬいぐるみの意識は、人間に愛されてこそのもの。人にかまってもらう機会がなくなれば、うれしいとか悲しいとかいう感情が薄れ、ただの「ぬいぐるみ」になってしまう。
どれぐらいたったのだろうか。同じ所で同じ景色を繰り返し見ていたせいもあって、感覚がまひしてきた。さくらちゃんとの思い出も、なんだかぼんやりとしてきた。あれは夢だったのか。現実だったのか。白い塗り壁の家も、部屋にただよう新しい木のにおいも、記憶から遠のいていく。ああ、ぼくはただの「ぬいぐるみ」になるのだ。
その時だった。小さな青いくつの間から、さくらちゃんよりも少し大きな手がすっとぼくのほうに伸びてきた。
「あっ。こんなとこにかわいいぬいぐるみがあるぅ」
ふわっと体が浮き上がり、久しぶりに、明るい世界が目の前に飛び込んできた。まぶしい。薄目を開けると、ぼくは、初対面の男の子にじっと見つめられていた。少し恥ずかしくなった。
「だめよ、きたない。置いときなさい」
その母親は、ぼくを男の子から引き離した。すると、男の子は、ぼくの耳がちぎれるかと思うぐらいの大声で泣きわめいた。まわりの乗客の冷たい視線は、なぜかぼくに注がれている。
「きれいにふいたら、いいんじゃないのぉ」
のんきそうな父親は、そう言うと、ぼくについたほこりをはたき、男の子に差し出した。
ぼくは少し、いらだちを覚えた。まるでゴミ扱いだ。だってぼくは、だってぼくは・・・。ん? だれかに、とても大切にかわいがってもらった気がするのに。名前すら思い浮かばない。ふんわりとした、柔らかな感触だけは、思い出せるけど。
ぼくは結局、一緒に飛行機に乗せてもらい、行きとはちがう空港に降り立った。初めて「東京」という町に来た。高層マンションの10階で、暮らすことになった。この高さからの景色には、見覚えがあるが、何かちがうような気もする。でも、いいや。この男の子が、ぼくのことを、いつも1番にだっこしてくれるから。
ぼくはリスのぬいぐるみだ