そらいろ

 ねえ、そこに広がる空は、どんな色をしている?

 【おじいちゃん】
「それは本当なの?」
 ぼくは病院の白い床をけって、ベットに寄りかかった。ベットの上では、おじいちゃんがいつものように、にっこりとほほえんでいる。
「ほんとうさ。おじいちゃんのおじいさんから聞いたんだよ。おじいさんも、おじいさんのおじいさんに聞いたんだ。だから、おじいちゃんもヒロトに話してあげたんだ。《地球》のどこまでも広がる、真っ青な空の話を。大昔のデータベースを見てごらん。空色は青だとちゃんとのっているよ」
 おじいちゃんの言葉に、ぼくは窓からドームの向こうの真っ黒な空を見上げた。真っ黒な空の中心ではギラギラと太陽が輝いている。今は、二週間ごとにやってくる、「昼週」のちょうど真ん中だ。
 けれど、その真っ黒な空をじっと見上げていると、世界中から置き去りにされてしまうようで、だんだんと怖くなってくる。だからぼくは、真っ黒な空があんまり好きじゃない。
 不安がどんどん大きくなって、泣きそうになっているぼくの頭を、おじいちゃんは大きな手で優しくなでた。
「心配しなくていい。どんなに真っ黒な空でも、ヒロトはひとりぼっちではないよ」
「うん。おじいちゃんがいてくれる。それからテンテンも!」
 ぼくは、ベットの上でモゾモゾと這っていた、てんとう虫型ロボットペットのテンテンを指さした。
「青い空は、黒い空と違ってさみしくないのかな?」
「さみしくなんかないさ。無限に広がる青い空は、きっとヒロトを見守ってくれるだろうよ。それに《地球》の空は、青いだけじゃないんだよ。太陽が沈むときは《夕焼け》と言って、空は茜色に変わるんだ。《雨》と呼ばれる水を降らせることをある。そんなにぎやかな空が、さみしいと思うかい?」
 そう言われて、ぼくの心は大きく飛び跳ねた。
 おじいちゃんのやさしい声が、見たこともない《地球》の空を、ぼくの頭の中に描いていく。どこまでも青く広がる空が、さみしいわけがない。
「ねえ、おじいちゃん。いつか、一緒に青い空を見ようね」
 ぼくは白い床の上でもう一度けって、おじいちゃんを見上げる。
 おじいちゃんは、にっこりと笑ったまま、確かにうなずいた。

 ここは月面都市、ダイダロスシティ。
 ぼくたち人間が生まれた、宇宙の宝石(地球)から、そっぽを向き続ける月の裏側、バックサイドの田舎町。
 人間が壊してしまった《地球》を再生させるために、ぼくたち人間は月に移り住んだ。
 もう五百年も経つけれど、人間が《地球》に帰れるまでは、あと千年待たなきゃいけない。

 【月の夜】
 太陽が沈んで、五日目の朝。空が光を取り戻すまで、あと九日。
 おじいちゃんは、「夜週」のさなかに、眠るように死んでいった。
「昼週」の間だったら良かったのに。そうすれば、真っ黒な空の中にまばゆく光る太陽の光が、ほんの少しぼくの心を、照らしてくれたのかもしれない。
 町は人工灯の青白い光につつまれて、ひっそりと息をひそめている。その上に広がる真っ黒でさみしい空は、今のぼくの心を、まるで鏡のように映していた。
 遠い昔に、人間が失ってしまった記憶を、ぼくはひとつひとつ思い出した。おじいちゃんのやさしい声が紡ぎ出す《地球》の物語は、もうぼくの心の中にしか残っていない。
「いつか、一緒に青い空を見ようね」って、約束したのに。
 ぼくは、ポロポロとあふれてくる涙を、上着の袖で何度もぬぐった。
 けれど、いくらぬぐっても、涙は止まってくれない。仕方がないので、「うわーん」と声を上げたら、肩にとまっていた、テンテンが『悲しいね』と、つぶやいた。

 町はずれの葬儀センターで、灰になったおじいちゃんを、みんなでカプセルにつめる。
 カプセルは、ドームの排出口から小さなロケットで飛ばされて、広い宇宙に投げ出される。学校の先生が言うには、そうすることで、死んだ人たちは星になるらしい。ずっと忘れないでいるために。
 でもぼくは、そんなことをしなくても、おじいちゃんのことを忘れたりなんてしない。出来ることなら、おじいちゃんを《地球》に連れていってあげたかった。大昔のように、青く広がる空の下に、埋めてあげたかったと思う。
 だから、ぼくはこっそりおじいちゃんの灰を、テンテンのお腹の中に詰めた。
「いつか、ぼくが青い空を見せてあげるからね」
 小さな声で言ったら、テンテンが不思議そうにぼくを見上げて、『どうしたの?』と聞いた。
「テンテン。いつか、おじいちゃんに青い空を見せてあげようね!」
 ぼくはしゃくり上げながら大声を出した。するとテンテンはふわりと飛び上がる。
『おじいちゃんは、もういないよ。死んじゃったんだから』
「違うよ。おじいちゃんはまだ、ぼくたちと一緒にいる」
 ポロリと流れ落ちた涙を、手のひらでぬぐって、ぼくは精一杯、テンテンに向かって笑顔を作った。おじいちゃんとの約束を果たすまで、ぼくはもう泣かないよ。
『ヒロト。ボクにはよく分からないよ』
 テンテンは、相変わらず不思議そうに、ぼくの周りを飛び回っている。

 【学校】
 どこまでも続く青い空は、どんな感じがするんだろう?
《雨》という水を降らせる空は、何を考えているんだろう?
 きっとおじいちゃんなら、そんなぼくの疑問に答えをくれたに違いない。
 ぼくはお絵かきモードにした、タブレットの画面を青い色にぬって、めいいっぱい高く掲げてみた。もしかしたら、青い空に見えるかもしれないと思って。
 けれどそれは、空と言うよりただの天井だった。どこまでも広がる青い空にはほど遠い。
 ぼくがふくれっ面をしながらタブレットを眺めていると、隣に座っていたカズキが不思議そうにたずねてきた。
「何をしているんだい? ちゃんと絵を描かないと、先生に怒られるよ?」
「そうだね」
 今は図工の時間。自分のペットロボットをモデルにして、絵を描かないといけない。

 大昔、まだ人間が《地球》にいた頃は、絵は《絵の具》を使って紙に書いていたらしいけれど、ぼくたちはそんなことはしない。
《地球》のように、資源がたくさんあるわけではない月面都市では、木から作られる紙は貴重な高級品だ。だから、簡単に紙を使うことは出来ない。
 当然、紙の本は博物館でしか見られない、歴史的遺産になっている。
 ぼくたちは、それぞれが持っているタブレットに文字データや画像データを映しだして、紙の本の代わりにしている。
 もちろん、読んだり見たりするだけじゃなくて、書くことだって出来る。図工の絵はもちろん、文字の練習も全部タブレットだ。データさえあれば、タブレット一つでなんでも出来る。
 おじいちゃんが言っていたけれど、大昔はわざわざ重たい本を持ち歩いていたらしい。今では、誰もそんなことしようとしない。

 ぼくは、机の上でじっとしているテンテンと同じ赤い色を、青い色の中にぽつんと、乗せてみた。
『上手く描けた?』
 テンテンがソワソワしながら聞いてくるので、ぼくはタブレットの画面をテンテンに見せてあげた。まん丸の目がチカチカと点滅している。
『ボクはどこにいるの?』
「ここだよ」
 そう言って、赤い点を指さすと、テンテンは不満そうに目を点滅させた。
『ボク、こんなに小さいの? もっと大きく描いてよ』
「テンテンが空を飛んでるところを描いたんだよ。本物のてんとう虫みたいに、青い空を飛んでいるんだ」
 説明してあげると、テンテンは「わからない」と言いたげに、『ふーん』とつぶやいた。
「ねえ。青い空って、どんな感じがするのかな?」
『わからないよ。ボクは、青い空を飛んだことが無いんだから』
「なにかプログラムされていない? きれいだとか。気持ちがいいとかさ」
 テンテンはしばらく考え込んでから、小さな頭を振った。
『そんなプログラムはないよ』
「そうなんだ」
 ぼくは、がっくりして頭をたれた。
 テンテンはおじいちゃんが作ってくれたから、もしかしたら、おじいちゃんがこっそり何かを、仕込んでいてくれたんじゃないかと思ったんだけど、違ったみたいだ。
 一人で考え込むぼくを見て、カズキがまた声をかけてきた。
「どうしたの?」
 カズキは、最新型のペットロボット、ホログラムの黄色いインコを描いている途中だった。
 今にも飛び立とうと羽ばたく黄色い羽根が、タブレットの画面いっぱいに描かれている。
 ぼくは、青くぬった自分のタブレットをカズキに見せて、テンテンにした質問と同じことを聞いた。
「青い空って、どんな感じがすると思う?」
「青い空?」
 カズキは、ずり落ちそうなメガネを持ち上げながら、ぼくの方に顔を向ける。
「どうして青なんだい?」
「《地球》の空は青いからだよ」
「《地球》の?」
「そう。《地球》の空は月の真っ黒な空と違って、青いんだ。知っていた?」
 カズキは「ううん」と首を振る。
「知らないな。《地球》が宇宙の青い宝石だって言われているのは知っているけど、空まで青いって言うのは聞いたことがないな。それは本当かい?」
「本当だよ。おじちゃんが言ってたんだ。五百年前の《辞書》って言う紙のデータベースにも、そう書かれているんだ。空色は青色だって。空の本当の色は、黒じゃないんだよ」
 ぼくは教室の窓から外をのぞいてみた。
 おじいちゃんが死んでから、丁度太陽が一巡りして、ダイダロスシティには再び「夜週」が訪れていた。
 空は吸い込まれそうなほど真っ黒で、数え切れないほど輝いている星の小さな光は、人工灯の明かりが邪魔をしてよく見えない。
「本物の《地球》を見たことが無いからなあ。青い星だって言われているけれど、本当はどうかわからないじゃ無いか」
「そうなんだよね」
 カズキの言葉に、ぼくはしょんぼりと肩を落とした。
 真っ暗な宇宙の中で青く輝く《地球》は、学校の授業でもホログラムで、飽きるほど見ている。けれど、ぼくたちバックサイドの人間が本物の《地球》を見るためには、月の表側、つまりフロントサイドまで行かないといけない。
 乗り心地の悪いバギーに五日間も揺られるか、高級レストランで、一ヶ月晩ご飯を食べられるだけのお金を払って、シャトルに乗らないとフロントサイドには行けない。
 つまり、滅多なことでは本物の《地球》を見られないということだ。
 本当に青い色をしているのかさえ、ぼくたちには確かめる方法が無い。
「でもね。ぼくは、どうしても青い空を見たいんだよ」
 ぼくはもう一度、タブレットを高く掲げた。青くぬった画面を見上げて、どうにか青い空を想像しようとしたけれど、上手くいかなかった。
 おじいちゃんがお話をしてくれたときは、どこまでも青く広がる空をすぐに想像できたのに。
 カズキも一緒になって、青くぬったタブレットを見上げていると、突然カズキが「そうだな」と考え出した。
「もしドームに、タブレットみたいな液晶パネルがついていたら、青くぬって、青い空に見立てることは出来るかもね」
 カズキの言葉を聞いて、ぼくは「どういうことだろう?」と考えてみた。
 もし、あの透明なドームが青かったら? 想像してみる。
 ドームの高さは決まっているから、どこまでも広がる空というわけにはいかないけれど、それでもずっと高いところに青い色は広がるだろう。
 うん! とっても良い感じだ!
「それは、とっても良いアイディアだね!」
 するとカズキは、「でもそれは、無理だよ」と首を振る。
「例え話だよ。実際、ドームに液晶パネルはついていないから、それは出来ない」
「そうかあ」
 カズキの言葉に、ぼくはもう一度しょんぼりと肩を落とした。
 その拍子に、掲げていたタブレットが、ガタンと落ちた。
「あ、いけない!」
 拾い上げようとしたら、画面いっぱいにぬっていた青い色が消えていて、教科書モードに切り替わっていた。《美術の歴史》というページが立ち上がっている。
 ぼくは、そのページの端っこに書かれた《道具》を見たとたんに、ぱっとひらめいた。
「カズキ。これだよ! これなら、ドームを青く出来る!」
 そう言ってぼくは、タブレットを指さした。画面をのぞき込んだカズキが、「なるほど」とうなずいている。
「《絵の具》かあ。それは良いアイディアかもしれない。《絵の具》だったら、どこにでも色がぬれるからね」
「うん! そうだろう!」
 ぼくは嬉しくなって、チューブに入った《絵の具》の画像をながめた。
 これで、おじいちゃんに青い空を、見せてあげられるかもしれない!
「でもさ、ヒロト」
 喜んでいたぼくに、カズキが言った。
「ドーム全体に色をぬろうとしたら、きっとたくさんの《絵の具》が必要になるよ。それに、《絵の具》なんて高級品は、きっととても高くて、ぼくたちのおこづかいじゃ買えないよ?」
 そう言われて、ぼくは先生に見つからないように、こっそりテンテンに聞いてみた。
「テンテン。ダイダロスシティのドームを青くするには、何本の《絵の具》が必要になる?」
 テンテンは、まん丸の目をチカチカと点滅させて、ネットワークにアクセスしている。
『ダイダロスシティのドームの面積は五百七十二キロ平方メートル。《絵の具》一本につき一平方メートルと考えて、全部で五十七万二千四百六十八本の《絵の具》が必要になるよ』
「五十七万?」
 カズキがびっくりして声を上げる。
 算数のかけ算でしか、見たことのない大きな数字だ。
 テンテンはまだネットワークにアクセスしているのか、目を点滅させている。しばらくすると、テンテンは羽を振るわせてふわりと飛び上がった。
『残念だけど、月中にある青い《絵の具》を全部集めても、六十二本しかないよ。あと、五十七万二千四百六本も足りない。ヒロト。ダイダロスシティのドームを《絵の具》で青く塗るのは、現実的じゃないよ』
「そんなあ」
 ぼくは再び、がっくりと肩を落とした。そんなぼくの鼻先でふわふわと飛びながら、テンテンは続けた。
『ダイダロスシティにある青い《絵の具》は、三本。全て個人の所有物で、持ち主はセンゴク教授になっているよ』
「センゴク教授」と聞いて、ぼくとカズキは思わず顔を見合わせた。

 【大きなお屋敷】
 月で採取される鉱物のチタンからは、白い色しか作ることが出来ないから、月の街はどこまで行っても真っ白だ。
 そんなダイダロスシティの西の外れ。にぎやかな中心街から離れた住宅街。林のように建ち並ぶ団地を抜けると、そこには旧西洋風のおもちゃのような、カラフルで大きなお屋敷が建っている。
 突然現れる茶色のレンガの壁は、道も建物も真っ白な街には不釣り合いで、そこだけ浮き出て見えた。
 広い庭には、緑色の芝が植わっていて、幹の太い本物の大きな木までのびのびと枝を伸ばしている。
 まるでそこだけ、大昔の《地球》を切り抜いて、張り付けたみたいだった。
 センゴク教授は、その広いお屋敷に一人で住んでいる。
 ぼくとカズキは、ぴたりと閉じた格子の門から、広い庭をのぞき込んだ。
 街のみんなは、センゴク教授のことを「変わり者」と呼んでいる。センゴク教授は、フロントサイドの大きな大学の先生をしているんだ。
 きっと、ダイダロスシティでは知らない人はいないと思う。
「本当に行くのかい?」
 カズキはレンガの壁の向こうをのぞき込みながら、恐る恐る聞いた。
「カズキは怖いの?」
「そんなこと、あるわけないじゃないか!」
 カズキは強がって見せたけど、そう言うぼくも、実は怖い。
 お屋敷の中から、大きな声が聞こえてきて、子供をさらって食べてるんじゃないかなんて言う噂がある。だから、大人たちはみんな気味悪がって、お屋敷には近寄ろうとしない。もちろん、ぼくたち子供も、行ってはいけないと注意されている。
 子供を、簡単にさらって食べてしまえるくらいなんだから、恐ろしいくらいの大男なんだと思う。
「ヒロト。早く呼び鈴を鳴らしなよ」
 そう言ってカズキは、ぼくの背中を押す。ぼくは思わず首を振った。
「怖くないなら、カズキが押してよ」
「センゴク教授にお願いがあるのは、ヒロトの方なんだから、ヒロトが押すのがふつうだろ? おれは付き添いで来ただけだからね」
 二人で押し問答していると、門がギギギと重たい音を立てた。
 その音に驚いて、ぼくたちはサッと、門に顔を向けた。お互いの背中を押し合った格好のまま、ピタリと動きを止める。
「なにを騒いでいるんじゃ。用があるなら、ちゃんと呼び鈴を鳴らしなさい」
 しわがれた低い声に、思わず一歩後ずさる。
 門から出てきたのは、よれよれの深緑の上着を着た、真っ白なひげの背の低いおじいさんだった。
 この人がセンゴク教授? 想像していた大男とはぜんぜん違う。
「センゴク教授ですか?」
 恐る恐る聞くと、おじいさんは鋭くぼくたちを見た。
 気むずかしそうに一文字に結ばれた口に、怒っているように眉間にしわを寄せている顔は、大男じゃなくても、十分迫力がある。
「いかにも。わしが、センゴクじゃ」
 しばらくの間、ぼくたち二人を見比べてから言った。
 もしかしたら、どっちがおいしいか見定めていたのかもしれない。そう思うと、ぼくは逃げ出したくなった。カズキもそう思っているらしく、少しずつ後ずさりしている。
「二人の子供が、わしになんの用じゃ?」
「あの! 青い《絵の具》を分けて欲しくて、お願いに来ました!」
 いつまでも黙っていたら、怒って食べられてしまうかもしれないと思って、ぼくはよく聞こえるように大きな声で叫んだ。
「青い《絵の具》を? そんなものを何に使おうと言うんじゃ? 絵を描こうにも紙がなければかけんぞ? まさか、道路に落書きをしようなどと、考えているんじゃなかろうな?」
 センゴク教授は、さらに眉間にしわを寄せて、ぼくをにらみつけた。
「違います! 空を青くしたいんです! あの透明なドームを、青い《絵の具》でぬるんです!」
 ぼくは上に向かって指さした。センゴク教授は、ぼくの指の先をなぞって、真っ黒な空を映すドームを見上げる。
 すると突然、センゴク教授は声を上げて笑い出した。
「ほーほほう! 空を青くするとな? おかしなことを考える子供たちじゃ!」
 そう言って、ぼくたちを見た。顔をくしゃくしゃにして笑っている。
「良いだろう。青い《絵の具》を君たちにあげよう。ただし、交換条件じゃ」
「交換条件?」
「しばらく家を空けるでな。片づけをしなければならない。その手伝いをしてくれるというなら、《絵の具》をやってもかまわんぞ」
「本当に?」
 ぼくは思わずガッツポーズをした。
 センゴク教授は、「変わり者」なんて言われているけれど、とても良いおじいさんじゃないかな。
 そう思ったとたんに、センゴク教授は眉をひそめて、険しい顔をした。
「だがその前に、ちゃんと自分の名前は名乗らんといかんな」
 ぼくたちが、慌ててピシリと姿勢を正して自己紹介をすると、センゴク教授はにっこりと笑った。
「元気が良くて、よろしい。それではさっそく、手伝っていただこう」

「うわあ!」
 センゴク教授が、お屋敷のドアが開けた瞬間、ぼくは思わず声を上げて走り出していた。
 高い天井に、キラキラと輝くシャンデリア。《地球》の風景を描いた大きな絵。そして、ふかふかの絨毯。あちこちに置かれた木製の家具が、香ばしい匂いを立ち上らせている。
 そこは、歴史の授業でしか見たことのないような、昔の《地球》の家だった。
 カズキはメガネを持ち上げながら、物珍しそうに室内を見渡している。
「すごい! すごい! これって、本物の木だよね!」
 ぼくが興奮して絨毯の上で飛び跳ねていると、センゴク教授がゴホンと、一つ咳払いをする。
「最初に、いくつか約束をした方が良いかな」
「約束?」
「そうじゃ。この屋敷の中での約束じゃよ。一つ目、走り回らないこと。二つ目、騒がないこと。良いかな?」
 そう言われて、ぼくはぴたりと飛び跳ねるのをやめた。ぴしりと気をつけをして、元気良く「はい!」と答える。
「いい返事じゃ」
 センゴク教授がうなずいていると、奥の部屋から毛もくじゃらの大きな犬のペットロボットが飛び出してきた。
「ワンッ! ワンッ!」
 ぼくたちを見て、大きな声でほえながら、勢い良くしっぽを振っている。あまりに大き鳴き声なので、お屋敷中に響いた。
 音量ボリュームが調節されていないのかな?
 ぼくは音量ボリュームを少し下げようと、ペットロボットに手を伸ばそうとしたら、ピンク色の舌がぼくの手をペロリとなめた。
「わあ!」
 暖かくて柔らかい感触に驚いて、慌てて手を引っ込める。
「すごい! このペットロボット、柔らかいよ!」
 そう言うと、センゴク教授が「ほーほほう」と笑った。
「ロボットではないぞ。本物の犬じゃ」
「本物の犬だって? そんなの信じられない!」
 カズキが興味深そうに、犬の真っ白な毛をじっと見つめている。
「そうじゃ。本物の動物を見るのは、初めてかな?」
「本当に、本物の犬なの? 動物は、動物園にしかいないんじゃないの?」
 ぼくは興奮して声を上げた。動物園は、フロントサイドにしかないから当然だ。カズキも必死でメガネを持ち上げなら、ピクピク動く耳を観察している。
「本物じゃよ。起動スイッチはどこにも無い。嘘だと思うなら、気の済むまで調べてみると良い。モップが嫌がらなければじゃがな」
「モップという名前なの?」
「そうじゃよ。大きなモップのように見えるじゃろう?」
 モップはしっぽを振りながら「ワンッ。ワンッ」と大きな声でほえる。
 ぼくはふわふわの白い毛をなでながら、安心した。お屋敷から聞こえてくる大きな声は、モップの声だったんだ!
「モップはヒロトとカズキが来て、嬉しいようだの。じゃが、いつまでもモップの遊び相手ではいけないぞ。わしの手伝いをしてもらわなければ」
 センゴク教授が眉をひそめて言うので、ぼくたちは「はい!」と元気よく返事をした。

いくつものドアを通りすぎて、長い廊下を進んでいく。
「君たちの仕事場は、ここじゃよ」
センゴク教授が廊下の突き当たりのドアを開ける。
部屋に入ったぼくとカズキは、驚いて口をあんぐりと開けたまま、立ちつくした。
天井まである背の高い棚に、紙の本がぎっしりと並んでいて、棚に収まりきらなかった本が、床にたかく積み重ねられている。その上、床が見えないくらいに、紙があちこちに散らばっていた。
まるで、誰かがあばれた後みたいだ。
壁には、色あせた大きな地図が額縁に飾られている。部屋の真ん中に置かれた、大きな木製の机の上には、でこぼこした青い球体が、台に乗せて置かれている。
「こんなに紙の本がある! すごいや。博物館みたいだ!」
カズキが声を弾ませて言った。
「わしのひいおじいさんの、そのまたひいおじいさんが、《地球》から持ってきたものじゃよ」
「《地球》から?」
「そうじゃよ。どれも古いものじゃから、ていねいに扱うんじゃよ」
「もしかして、これを全部片づけるの?」
ぼくは、センゴク教授を見上げて言った。こんなに散らかっている部屋を片づけるなんて、すごく大変だ。すると、センゴク教授はにやりと笑う。
「もちろんじゃ」

 カズキはあちこちに散らばった紙を、破れないように恐る恐る拾い集めている。集めた紙は、センゴク教授に言われるまま、三つの箱の中に分けて、ていねいに重ねて入れた。
 ぼくはと言うと、床に積み上げられた本を、表紙の色ごとに分ける作業だ。
 紙がぎっしりと詰まった本は、タブレットとは比べものにならないくらいに重たくて、すぐに腕が痛くなってきた。
 でも、《地球》から持ってきたと言う古い本の表紙は、擦り切れてボロボロになっているので、乱暴には扱えない。
 本当なら本は、博物館で大切に保管されていなければいけないものだ。もしも破いてしまったら、《絵の具》を分けてもらえなくなってしまう。
 ぼくは、慎重に本を両手で持ち上げた。
 そのときだ。何かがすべって、カラカラと音を立てて床に落ちた。
「いけない!」
 ぼくは小さな声でつぶやくと、慌てて本を床に置いて、何が落ちたのかを確認した。見ると、ブーツのような形をした、黄色の平べったいかけらが転がっている。
「なんだろう?」
 拾い上げてみると、意外に重い。プラスチックじゃないみたいだ。断面がギザギザしているので、もしかしたら欠けてしまったかもしれない。
「どうしよう?」
 怒られるかもしれないと思うと、言い出すのが怖かった。けれど、ぼくは覚悟を決めて、部屋のすみで紙を分けているセンゴク教授のところに向かった。
「ねえ、センゴク教授。こんなものが落ちていたよ」
 紙の入った箱をまたいで、センゴク教授に黄色いかけらを見せる。
 すると、センゴク教授は「ほうほう」と嬉しそうに声を上げた。
「どこにあったんじゃ?」
「本の間に挟まっていたよ。知らないでいたら、落としちゃったんだ。ごめんなさい。もしかしたら、欠けちゃっているかもしれない。はしっこがギザギザになっているから」
 すると、センゴク教授は丹念に黄色いかけらを眺めた。
「心配はいらぬぞ、ヒロト。これは、欠けているわけではないのじゃ」
 そう言うと、「よっこいしょ」とイスから立ち上がり、机の上にあるでこぼこの青い球体を、ズズッと引き寄せた。
 カズキも何事かと顔を上げて、机に駆け寄ってきた。
「これは、ここにぴったりはまるんじゃよ」
 パチッと音を立てて、黄色いかけらが青い球体にぴたりとはまった。
「これでよし」
 センゴク教授が満足そうに、うなずいている。
「これは何?」
 様子をうかがっていたカズキが、不思議そうにたずねた。
「これは《地球儀》という、《地球》の模型じゃよ。学校の授業でホログラム映像を見るじゃろう?」
「でもこれは、でこぼこの青い球体だよ。とても《地球》には見えないけどなあ。陸地だってないじゃないか」
 カズキはメガネを押し上げながら、首を振っている。
「このでこぼこのところに、陸地のピースがはまるんじゃよ。わしが子供の頃は、全てのピースがそろっていたんじゃが、いつのまにか無くなってしまったんじゃ。大切なものじゃったんだがの」
 センゴク教授が悲しそうに首を振った。
「じゃあ、ぼくたちが探してあげるよ!」
 そう言うと、ひげの奥の口が嬉しそうに笑った。
「ほーほほう! 本当かい? それは嬉しいの!」
「うん! ぼくとカズキで探してあげる!」
「ええー。おれも?」
 不満そうに声を上げたカズキを知らんぷりして、ぼくはセンゴク教授に聞いた
「ねえ、このかけらは、プラスチックじゃないの? 重みがあったけれど、何かの鉱石?」
「そうじゃよ。これは地球の鉱石で出来ておるんじゃ。この青い石は、《ラピスラズリ》という宝石じゃよ。」
「《ラピスラズリ》?」
「そうじゃ。《地球》の古い言葉で、《群青の空色》と言うんじゃよ」
 空色?
 ぼくはでこぼこの《地球儀》をじっと見つめていると、カズキが横から顔を出した。
「センゴク教授は、学校で何を教えているの?」
 その質問には、ぼくも興味があった。こんなにたくさんの本を持っているし、どう考えても、算数や社会を教えているようには見えない。
「わしは《地球》の先生じゃ。フロントサイドの大学で、君たちより大きな学生に、《地球》のことを教えておる」
「たとえばどんなこと?」
「そうじゃな」
 センゴク教授は、「はて」と考え込むように、ひげをなでなでる。しばらくして、名案を思いついたと言わんばかりに、ぽんっと手を叩いた。
「知っておるかな? 月と違って、《地球》の空は青いんじゃ」
 とたんにぼくは、目をめいいっぱい開いた。
「ねえカズキ、聞いた? 《地球》の空は青いんだって! おじいちゃんの言ったとおりだ!」
「ほう。ヒロトのおじいさんは、《地球》の空が青いことを知っておるのか」
「うん! どこまでも真っ青に広がっているんだって、言っていたよ! ぼく、おじいちゃんと約束をしたんだ。一緒に青い空を見ようねって。だから、その約束を守るために、空を青くしたいんだよ!」
「そうか。そうか。ヒロトのおじいさんは良い孫をもって、幸せじゃのう」
 ぼくは嬉しくて、飛び跳ねるかわりに、思い切り笑った。けれど、カズキがメガネを持ち上げながら、口を挟んできた。
「でも、ヒロトのおじいさんは、一月前に死んじゃったんだ」
 それを聞いて、センゴク教授は悲しそうな顔になる。
「それは辛かったじゃろう?」
「すごく悲しくって、いっぱい泣いたんだ。でもね、ぼくは決めたんだよ。おじいちゃんとの約束を果たすまで、もう泣かないって」
「ヒロトは強い子じゃの。いつか、約束が果たされればいいのう」
「うん! だから、ぼく頑張るよ!」
 そう言って、ぼくは本の仕分け作業に戻った。

 【小さなかけら】
 その日から、ぼくとカズキは学校が終わると、毎日のようにセンゴク教授のお屋敷に通った。
 重い玄関のドアを開けると、必ずモップが嬉しそうに飛びかかってくる。
「こんにちは、モップ」
 声をかけると、モップは「ワンッ」と元気良くほえる。
 モップはテンテンが大好きで、テンテンがふわふわと飛んでいると、必ず飛びかかって、ぱくりと口にくわえてしまう。
『ヒロト、助けて!』という、テンテンの声がモップの口の中から聞こえたときは、心臓が飛び出そうなほどに驚いた。テンテンが食べられちゃったのかと思ったんだ。
 センゴク教授が、どうにかモップの口の中から助け出してくれたテンテンの羽には、モップの歯形がついていた。
 だから、モップの目に届かないように、テンテンをポケットの中にしまうようにしている。
 モップはお利口だけど、ときどき興奮すると言うことを聞かないので困ってしまう。そうセンゴク教授に言ったら、「それが本物の犬の良いところじゃよ」と笑って言った。

 最初の数日間は、重たい本を持つせいで、腕が痛くて仕方なかった。けれど、青い《絵の具》のために、ぼくは頑張った。
 カズキが文句を言いながらも、毎日付き合ってくれるのは、きっとセンゴク教授のお屋敷には、ぼくたちの知らないことが、たくさん詰まっているからなんだと思う。
 片づけ作業の合間に、センゴク教授は砂糖とミルクがたっぷり入った紅茶を入れてくれた。
 そんな時間に、センゴク教授はいろんなことを教えてくれた。
《地球》の表面の七十%が、《海》や《川》と呼ばれる水でおおわれていること。
 水がたくさんあるおかげで、《地球》はたくさんの生命が満ちあふれていること。
 ときどき、《地球》が怒ったように暴れることを、《嵐》と呼ぶこと。
 そして、《地球》の空が青い理由も教えてもらった。たくさんの植物が生み出す酸素などの小さな粒子が、太陽の光を青く変えているんだって。
 おじいちゃんのお話と違って、学校の授業みたいなのは、センゴク教授が先生だから仕方がない。
 それでも、ぼくはいつもわくわくしていた。きっと、おじいちゃんがすぐ近くにいてくれるような気がしたからなんだと思う。

「あった!」
 本の山をかき分けて、小さなかけらを拾う。
 ぼくは立ち上がって机の上の青い球体に、パズルのようにかけらをはめ込んで、「ふう」と息をついた。
「ねえカズキ、そっちにはあった?」
「いいや。見つからないよ。ずいぶん片付いたのに、まだ半分も見つかっていない。最初のかけらが本の間に挟まっていたことを考えると、他のかけらもどこかに紛れているかもしれないな」
 カズキは背の高い本棚を見上げて、ため息をついている。
「せっかく片付けたけど、また部屋中をひっくり返して見てみないといけないぞ」
「ええー! そんなことしたら、センゴク教授に怒られちゃうよ!」
「探してあげるって約束したのは、ヒロトなんだからな」
 ぼくがせっかく片付けた本を、カズキが取り出そうとするので、慌てて止めに入る。
 今日は、センゴク教授がフロントサイドの学校に行っているので、お屋敷にはぼくとカズキとモップだけだ。探すなら今のうちだけど、センゴク教授が帰ってくるまでに、片付けられるかどうかわからない。
「良いのか、ヒロト? センゴク教授との約束を破ったら、《絵の具》を分けてもらえないかもしれないぞ」
「でも! 片付けを手伝うのも、約束でしょ!」
 ぼくたちが本棚の前で押し問答していると、開けっ放しにしていたドアからモップが入っていた。鼻をヒクヒクとさせながら、机の上に頭を乗せて、《地球儀》をじっと見つめている。
「あれ? どうしたの、モップ?」
 それに気がついたぼくは、モップに声をかけた。けれど、モップは《地球儀》に夢中になっていて、ぼくが呼んでも気がついていない。
 どうしたんだろうと見ていると、モップが前足を伸ばして《地球儀》を引っかきはじめる。
「モップ、何をしているの?」
 と聞こうとして、ぼくは「あ!」と声を上げた。
 せっかくはめたかけらが、ぽろりと落ちていく。モップはそのかけらを足で引き寄せて、パクリとくわえてしまった。
「ダメだよ! モップ!」
 駆け寄ろうとすると、カズキが「待て」とぼくを引き留めた。カズキはメガネを押し上げながら、モップを注意深く観察している。
 モップは、ぼくたちのことに気がついていないように、スタスタとドアから出て行ってしまった。
「もしかしたら、残りのかけらが見つかるかもしれないぞ」
 カズキそう言って、こっそりモップのあとをついて行く。

 モップは長い廊下を抜けて、玄関のドアを器用に開けると、小さく空いたすき間から外に出て行ってしまった。外は「夜週」のせいで薄暗い。
 ぼくはポケットに入れていたテンテンを取り出す。光る目をライトの代わりにして、薄闇の中にぼんやりと見えるモップの姿を追った。
 テンテンが『どうしたの?』と眠たそうに声を上げるので、ぼくは慌ててテンテンを黙らせた。
 モップは、ぼくたちの追跡に気がついていないようで、背の低い生け垣を抜けて、柔らかな芝生の庭を横切って行く。
「おい、見ろよ!」
 カズキが小さな声で指さした。
 モップが木陰にうずくまって何かしている。けれど、暗くてよく見えない。こっそりと近づいてみると、何かがライトに光に当たって、キラキラと輝いている。
「あー!」
 ぼくは思わず叫んだ。
 しっとりとした土を掘り返した穴の中に、色とりどりの小さなかけらが埋められていた。
「モップ! 《地球儀》のかけらは、お前が持って行っていたのかい?」
 モップはぼくの声にびくりと体を震わせると、「ワンッ」とひと鳴きして、お屋敷の方に走って行ってしまった。
 ぼくたちは大急ぎで穴の中に埋まっていたものを掘り出す。そこから、両手いっぱいのかけらとが見つかった。
 それだけじゃない。他にも、ピカピカと光る小さな車のおもちゃや銀色のスプーン、大きな宝石のついた指輪。
 モップは、きれいなものをこっそり穴に埋めていたんだ!

 ぼくたちは埋まっていたものをお屋敷に持ち帰って、ひとつひとつていねいに、土を払い落とした。
 それを見ていたテンテンが、ふわりふわりと飛びながら、近寄ってくる。
『ねえ、その指輪についている石は本物? とっても高価なものだよ! ダイヤモンドって言うんだ!』
 珍しくテンテンが興奮している。
「モップはいけない子だね! 大切なものを埋めちゃうなんて!」
「動物にも、音声機能がついていたら良かったんだろうね」
 そんなことを話しながら、かけらを《地球儀》にはめ込んでいく。
 嬉しいことに、モップが土に埋めていたかけらで、《地球儀》は完成した。
「やったあ! これで《地球儀》は、元通りだね!」
 そのとき、門がギギギときしむ音が聞こえた。きっと、センゴク教授が帰ってきたんだろう。
「カズキ! 行こう!」
 ぼくたちは完成したばかりの《地球儀》を持って、玄関に急いだ。
「おかえりなさい! センゴク教授!」
「そんなににこにこして、どうしたんじゃ?」
 ドアを開けたセンゴク教授が、不思議そうに首をかしげている。
「あのね! ぼくたち、とうとうやり遂げたんだよ!」
「片付けが終わったのかの?」
「それも終わったけれど、もう一つの方」
 カズキがメガネを押し上げながら、自慢げに胸を張っている。
「はて。なんじゃったか」
「これだよ!」
 ぼくたちは後ろに隠していた《地球儀》をめいいっぱい高く持ち上げた。それを見たセンゴク教授が、嬉しそうに手をたたいた。
「ほーほほう! これはこれは、なんと嬉しいことじゃのう! ずいぶん久しぶりに見るわい。二人とも、ありがとう!」
「これでぼくたち、《絵の具》を分けてもらえる?」
 そう言うと、センゴク教授は考え込むように、ひげをなで始めた。
「さて、どうするかのう?」
 もしかして、交換条件にはまだ足りないのかな? ぼくは不安になって問いかけた。
「まだ足りない?」
 すると、センゴク教授は「いいや」と、首を振った。
「お礼が三本ばかりの絵の具では、とても足りんな。そうだ。良いところへ連れて行ってあげよう。少し遠出をするが、良いかの?」
 そう言ってセンゴク教授は、ぼくたちをシャトル発着場へ連れて行く。
「どこへ行くの?」ときいても、「良いところじゃよ」と、センゴク教授はにこにこするばかりだ。

 ぼくたちを乗せたシャトルは、あっという間にダイダロスシティを飛び出した。
 シャトルはぐんぐんと高くのぼっていく。窓から外を見ると、ぼくたちの住むダイダロスシティの丸いドームが、みるみる小さくなっていった。
「さあ。窓の外を良く見ておれよ。そろそろ目的地が見えてくる頃じゃ」
 はるか下には、ダイダロスシティとは、比べものにならないくらい大きなドームが、いくつも並んでいる。
「見ろよ、ヒロト! あのドームは、植物園だよ! 森になってる!」
「本当だ! 動物園もあるよ! ねえ、センゴク教授。良いところって、フロントサイドの博物館のこと?」
 ぼくはカズキと一緒になって、窓にへばりついていた。
「ほーほほう。もっと良いところじゃぞ」
 センゴク教授がそう言うと、シャトルはぐんぐんとスピードを上げて、フロントサイドから遠ざかっていく。
「待って! フロントサイドからどんどん離れていくよ! 一体どこへ行くの?」
「目的地は正面じゃ」
 その言葉に、ぼくたちは急いでセンゴク教授の隣に並んで、フロントガラスをのぞく。
 その瞬間、ぼくは思わず叫んでいた。
「《地球》だ!」
 そう。そこにあったのは、青く光る命の星。真っ黒な宇宙の中にぽつんと浮かぶ宝石、《地球》だった。
 海の深い青と、森の鮮やかな緑が作る模様が、近づくたびにはっきりと見えてくる。
 カズキはびっくりし過ぎて、あんぐりと口を開けている。
「《絵の具》でぬった、にせものの空じゃなく、わしが本物の青い空をプレゼントしてやるぞい」
「本物の青い空? 本当に? 青い空が見られるの?」
 ぼくは嬉しくて飛び跳ねそうになったけれど、どうにか我慢した。だって、センゴク教授と約束したからね。
「でも。人間はあと千年は、《地球》に行けないんじゃなかった?」
 カズキが驚きからようやく立ち直って、不思議そうに首をかしげた。
「わしは、研究のために《地球》に行くことを、許可されているんじゃ。君たちは特別じゃぞ。さあ、ちゃんと座席について、ベルトをするんじゃ。地球に着陸するときは少し揺れるでな」
 ぼくたちは素早く座席について、しっかりとベルトをしめた。それからぼくは、ポケットを探ってテンテンを取り出して、手のひらの上に置いた。テンテンは明るいところに出て、自動的にスリープモードから起動する。
『おはよう、ヒロト』
「テンテン、聞いて。青い空が見られるんだよ! おじいちゃんに、青い空を見せてあげられるよ!」
 ぼくがそう言うと、テンテンは目をチカチカと点滅させて、小さな首を振った。
『ヒロト。おじいちゃんは、もうどこにもいないんだよ。死んじゃったからね』
 今度はぼくが首を振った。
「おじいちゃんは、いつでもぼくたちと一緒にいるんだよ」
 そう言って、テンテンをひっくり返して、お腹をなでた。こっそり詰めたおじいちゃんの白い灰は、ちゃんとテンテンのお腹の中に入っている。
「やっと一緒に、青い空が見られるね」
 ぼくはテンテンのお腹にそっと語りかけた。

 【地球】
 シャトルは、広い草原の丘に降り立った。
 堅いドアを開けるとき、カズキが心配そうに「大丈夫なの?」と、センゴク教授を見上げていた。きっと、《嵐》を心配しているんだろう。
 けれど、センゴク教授は、にっこりと笑っている。
「心配はいらんぞ。今日の《地球》はとても穏やかじゃ」
 ぼくはわくわくが止まらなくて、早く外に出たくて仕方がなかった。
 だから、ドアが開いた瞬間、ぼくは一番に走り出していた。
「うわー!」
 目に見える世界の半分が、真っ青だった。あの《地球儀》と同じ、ラピスラズリの色。《群青の空色》。
 ぼくが想像していた青い空よりもずっと、高くて透明でどこまでも終わりなく続いている。
 白く浮かぶ《雲》が、ぷかぷかと揺れている。もしかしたら届くんじゃないかと、手を伸ばすけど、《雲》はずっと高いところに漂っていて、捕まえられない。
 これが《地球》! これが青い空!
「どうじゃ、ヒロト? 本物の空はどんな感じがするかの?」
 気が付くと、センゴク教授が隣に立っていた。
「真っ暗な空とは、ぜんぜん違うよ! すっごく広くて、ひとりぼっちじゃないって思える!」
「ヒロトは、ひとりぼっちなんかじゃないだろ? おれも、センゴク教授もいる」
『ボクもいるよ』
 テンテンが、ふわりとぼくの肩にとまった。
「そうだね。テンテンもいる。でもぼくは、ダイダロスシティの真っ黒な空を見上げるたびに、ひとりぼっちになったようで怖かったんだ」
 ぼくは胸いっぱいに、空気を吸い込んだ。
「おじいちゃん。《地球》の青い空だよ」
 そう言って、テンテンをそっと取り上げた。
 おじいちゃんに青い空を見せてあげようと、テンテンのお腹をそっと外す。白い灰がいっぱいに詰まっている。
 そのとき、びゅーっと強い風が吹いてきた。
「あっ!」
 慌ててテンテンのお腹を押さえたけれど、おじいちゃんの灰は風にさらわれて、高く空に昇ってしまった。
「おじいちゃん!」
 いつもぼくたちと一緒にいてくれたおじいちゃんが、いなくなってしまう!
 そう思うと悲しくて、涙がポロポロとあふれてきた。ぼくは上着のそでで何度も涙をぬぐった。泣かないって決めたのに!
「ヒロトのおじいさんは、《地球》に帰って行ったんじゃよ」
 センゴク教授がぼくの手から、そっとテンテンを取り上げた。開いたままだったお腹をしめて、空に放つ。
 テンテンはふわふわと飛びながら言った。
『ねえ見て、ヒロト。ボク、本物のてんとう虫みたい?』
 くるくると円を描きながら飛ぶテンテンは、嬉しそうだ。いつか描いた、青い空を飛ぶテンテンの絵と、同じだった。
「見てごらん、ヒロト」
 センゴク教授が空を指さした。
「おじいさんは、ヒロトにありがとうと言っておるぞ。ヒロトも、ちゃんとあいさつをしないといけないの」
 見上げると、空は青と茜色が混じり合っていた。白かった《雲》も、うすい桃色に染まっている。
《夕焼け》だ。さっきまで頭の上で輝いていた太陽は、空の端っこで橙色の光を放っている。
「お祭りみたいだ」
 カズキが空を見上げて、ぽつりとつぶやいた。
「本当に、《地球》はいつでもにぎやかなんだね。おじいちゃんは、星じゃなくて、《地球》になったんだね」
 ぼくは大きく息を吸い込んで、出来るだけ高くまで届くように、大きな声で叫んだ。
「おーい! ぼくはここにいるよ! おじいちゃん、そこからぼくが見える?」
 良く見えるように、大きく手を振った。どんなに遠くても、ちゃんとぼくが見えるように。
 やさしい風がそよそよと吹いて、ぼくの髪をふんわりとなでた。
 空は、キラキラと光る太陽を飲み込んで、どんどん茜色に染まっていく。まるで、ほほえんでいるように。
「見えているよ」
 おじいちゃんがそう言っているように、ぼくには見えたんだ。

 ねえ、そこに広がる空は、どんな色をしている?
 どんな顔をして、君を見守っている?

そらいろ

そらいろ

ぼくはおじいちゃんと約束した。 いつか、一緒に青い空をみようね、って。

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-22

Copyrighted
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