不精独楽
公共交通機関のひとつ、列車をモチーフにフィクションを書いてみました
[不精独楽 始発]
無人駅の片隅…
四角い灰皿がポツリと立つその場所に、独りの男が近づく
男は上着のポケットを弄りながら、傍らにある木の切り株の様なベンチに浅く腰掛け、窮屈そうに足を組んだ
ポケットから取り出した皺くちゃな箱を口元に運び、1本くわえると箱を持ったまま器用にマッチを擦った…
男は右肩を持ち上げ煙たそうに顔をしかめながら、peaceと刷り込まれた皺くちゃな箱を上着の右のポケットねじ込んだ
四角い灰皿をトン‥と鳴らすと、焦点の定まらぬ目線の遥か先へフーッと煙を馳せた
左手は終始、ポケットに突っ込んだままで…
男はサラリーマン
通勤の足は専ら自家用車
未だに[国鉄][汽車]と言うくらい鉄道には無頓着
②番ホーム迄しかないこの無人駅で、どちらに立てばよいかと迷うほどである
そんな男が駅に立つには訳がある
数日前、送り主不明の封書が届いたところから始まる
変わったDMだなと封を切ると、中から出てきたのは駅名と日時だけが書かれた一枚の紙切れ
それに添えられた片道切符が一枚
その他には何も入っていなかった…
文字に見覚えがあるような気もするが特定には至らない
バブルの頃は寝る間を惜しんで友と遊んだ男だが、金と共に去ってしまった友の中に、身銭を切ってまで切符を送りつける者など思い浮かばない
何かの罠かとも思ったが、甲斐性なしのサラリーマン
盗るモノが無ければ罠も無いだろうに…
結局、売り捌こうかとも思ったが些か気にはなる…
失われた10年の後の世界大恐慌
何でも有りさと長期休暇をとり駅に立ったのだ
男は列車に乗り込むと、車窓に目を遣ることもなく…
いや、外を見てはいるが目に入らないだけ
まるで不精独楽
男は不精独楽
[少女]
男を乗せた列車、暫くは閑散としていたのだが、間もなくするとラッシュアワーと相俟って身動きも儘ならぬ状況となった
列車に乗る事が初体験に等しい男、長椅子に腰掛けたまま成り行きに任せていると人混みの揺れ方が少し変わる…
見ず知らずの誰かが、少女に席を譲ろうとしているようだ
人波に見え隠れする少女は、今時珍しくお下げを編んでいて、男の斜め前に腰掛けた
少女の膝の上には数冊の絵本
大切そうに両手で抱き抱え、周囲に気遣い申し訳なさ気に俯いていた
暫くすると少女は落ち着きを取り戻した様子で、おもむろに一冊の絵本を取り出し一頁目を開いた
すると、満員の乗客は竹林となり窓から吹き込む風にサワサワと音をたてて笹の葉を揺らす
ハラハラと舞う笹の葉が、男の手元へ落ちてきて…
そっと拾い上げ自分の目の高さで手を止め、向かいの座席へ目を移す
そこには、絢爛な十二単を身に纏う少女がポツン…
綺羅美やかな装いとは裏腹に、俯く少女…
居た堪れないのかパタリと絵本を閉じた
列車内は元のすし詰状態、人波に見え隠れする少女は一瞬男に目配せをしたようにも見えたが、気のせいだろう…
そう思いながらも見守るように、それとなく見ていると、また別の絵本の一頁目を開いた
すると、満員の乗客は針葉樹やブナやクヌギに変わり、空から綿雪が舞い始めた
針葉樹は綿帽子を被り、ブナやクヌギは身に纏う樹氷をキラキラと輝かせた
少女は?
と、座席を見ると
…
真っ白な雪うさぎが一羽…
背中を丸め俯いて…
すぼめた両肩には、綿雪が音もなくそっと降り積もる…
雪うさぎは、雪を払い除けるでもなく俯いたまま、パタリと絵本を閉じた…
マッチ売りの少女は、貧しくてマッチを売っていたんじゃないんだよ
クリスマスの人混みの中、落とした笑顔を探していたのさ
人混なら、そのうち誰かが笑顔を落とすかもしれない…
幸せな家庭になら、笑顔が落ちているかもしれない…
マッチを擦って火をつける度、幾つもの笑顔が零れ落ちるんだ
最後のマッチを擦り終えたとき、足元にはたくさんの笑顔が零れ落ちていたんだよ
マッチ売りの少女はたくさんの笑顔に包まれて旅立ったんだよ
少女は、また次の絵本を開いた
すると、車内は真っ暗になり天井には無数の星たちが輝きだした
やがて列車は光の塊となり、光の塊が通過した跡にはキラキラとした残像が長い尾のように線路を形作る
幾重にも塗り重ねられた残像はキラキラと煌めく川のようにも見えた
それはまるで天の川のように…
“ピュー”
突然、風切り音が男の頭を掠めた!
白鳥?
疑心を抱き目で追う男
「はくちょうさん…」
少女は小さく呟いた
ん?
少女は?
少女は雪うさぎのままだった…
~ウサギは悲しすぎると死んでしまう~
男の脳裏を、その一文が繰り返した
“ピュー”
白鳥は風切り音とともに降り立つと、男に向かい口を聞いた
…さぁ、私の上を渡りなさい…
白鳥は両翼を広げ、星たちの流れに橋を架けた
少女は?
~ウサギは悲しすぎると死んでしまうわ~
少女はウサギなのか…
~自分の目で確かめてらっしゃい~
言われるがまま男は白鳥の橋を渡り、少女…雪うさぎのもとへ降り立った
雪うさぎは俯いたまま…
笑顔を探しに行こうか?
少女は初めて顔をあげた
泣き通しだったのか赤い目が印象的な雪うさぎ…
小さく頷く雪うさぎ…
今夜君と、天の川を渡ろうか…
[腰刀以三尺三寸勝九寸五分表六寸而勝之]
朝のラッシュがひと段落すると、ガタンガタンと規則的に聞こえるレールの継ぎ目を通過する音とギシッギーとレールの軋む音の他、何も無い静寂が列車内に訪れた
ローカル線に有りがちな無人駅に列車が停車すると、ひとりの若者が乗り込んできた
若者は半ば前屈みに吊革を避け、吊り革を吊るした鉄棒で高さを確認するかのように触れ乍ら列車内を進み、男と対座するようにドッカと長椅子に腰を下ろした
目鼻立ちの規凛々とした若者は、腕を組み真正面に男を見据える
男はズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、足を組み若者と対峙する
暫しの沈黙の後、若者が口を聞いた
「どちらまで…」
『あてはない…』
男は怪訝そうに言葉を返した
若者は躊躇することなく言葉をかける
「貴様と私との間合いは5尺…
貴様のその3寸の小刀と、3尺3寸の私の長刀
どちらが生き残れるか試してみないか…」
貴様とは失礼な奴だと思いながらも問い掛けの意味を考えた
‥1mの長刀と30cmの小刀?
間合いが150cmならば奴が長刀を抜く前に私が小刀を抜き1歩踏み出し刺せるはず‥
「試す気になったようだな
貴様の呼吸に合わす」
奴は何を言っているんだ?
益々、怪訝になる男は顔を上げ声のする方へ目をやる
そこには、長い脚を器用に折り曲げ正座をし、身動ぎしない瞑目の若者がいた
腰には3尺3寸の長刀を携えて‥
男はもう一つの異変に気付いた
自身の左腰に3寸の小刀を携えている事に‥
「…」
『…』
殺るか殺られるか、不穏な空気が漂う…
チャリッ‥
鞘(サヤ)を掴む左手の親指で刀の鍔(ツバ)を押し
刀の柄(ツカ)を握りしめていた男の右手がピクリと脈打った瞬間
若者に切られた…
『俺は死ぬのか…』
「もう一度試してみるか?」
長椅子で腕を組み問い掛ける若者に、男はコクリと頷く
5尺の間合いで向かい合う2人
男は先の動作を素速くこなした
だが、小刀を半分も抜けずにひと太刀ち浴びせられた
しかも小刀で自分の左手の親指を傷つけてしまった…
「もう一度試してみるか?」
長椅子にドッカと座り腕組みした若者が問い掛ける
『どうなっているんだ…?』
男は返す言葉を探した
『お前は何…』
男が喋り出す前に若者が語り始めた
「指…大丈夫か?」
見ると小刀で傷ついた左手の親指から血が滴り落ちていた
「腰に差した刀は、刃を上に向けて鞘(サヤ)に収まっている
貴様はそんな事も知らぬのか…」
男は無言のまま、ハンカチでグルグル巻きにした
「示現流抜刀術…
鞘から抜き放つ動作で敵を切る
しかし、私の刀は殺人剣ではない
何度切っても貴様を斬り殺す事ができぬ活人剣…
私は此から田原坂へ官軍を討ちに向かう
この活人剣が役に立つとはとても思えぬが、生きるも死ぬもあの人の志の為に…
貴様は自ら動けるか?
それとも、目標あらば動くか…
私は自ら行動しない
自ら行動など出来ないからあの人に従ってきた
此からも…」
若者は「サラバ」と言い残し駅に降り立った
男は、暫し後ろ姿を目で追った
脹ら脛が程良く収まった編み上げの長靴(チョウカ)
赤裏の外套(ガイトウ・オーバーの意)
銀の装飾刀
そんな後ろ姿に聞き覚えがあった…
奴になら貴様呼ばわりもゆるせそうだ
[夢幻]
磯の香に誘われるように車窓へ目をやると、いつの間にか海沿いを走っていた…
夕凪の海は夕陽に紅く染まり、無数の小さな波たちが黄金色を散りばめる
その煌めきは容赦なく車内にも飛び込み
暖色系のミラーボールを数十,数百と放り込まれたような、影の無い空間を創りだしていた
いつから居たのだろう…
煌めきの中に女がひとり
小さなポシェットを襷にかけ、手提げ袋と並んで座っていた
電車がカーブにさしかかり、ガタンと揺れ手提げ袋がパタンと倒れ…
見てくれと言わんばかりにポケットティッシュが零れ落ちた…
[骨髄バンクに登録をお願いします]
零れ落ちたポケットティッシュには、手書きのポップが添えられ…
女はひとつひとつを几帳面に揃えながら拾い集めると、前に座る男を気にするでもなく手提げ袋の中へと戻した
夕凪の目映さで気づかなかったのか、男の足下にもポケットティッシュがひとつ落ちていて…
それを拾い上げポップを眺めたが財団のロゴが見当たらない
手渡そうと前を見ると、煌めきを失った列車内にはもう人影はなかった…
次の日、ポケットティッシュ1個をわざわざ探しに来るはずもないかと…
そう思いながらも気になった男は同じ時刻の電車に乗る
昨日と同じように、夕凪が車内に飛び込み影の無い空間を創りだし…
そして、女が現れた
…私の隣に…
少し驚いたが幻想的な車内のせいか、不思議と恐怖心は湧かなかった
「これ…」
男はそう云い乍ら女に近付き、昨日拾ったポケットティッシュを手渡した
『ありがとう』
そう言うと、女は手提げ袋の中へ仕舞った
「ボランティア?」
『えぇ、彼の意志を継いで』
女が言うには、白血病で先立った彼が言い残した言葉
[助かる命ならば繋ぎ止めたい]
その言葉を信じてドナーを募り、一人でも多くの患者さんに“日常”を贈りたいのだそうだ
「病を克服して長く生きることが幸せなんだろうか…」
男は呟くように女に問いかけた
『そんな事分かんないわ…
でも、病気になったら、その時は助かりたいってみんな思うでしょ?
子どもが病気になったら替わってあげたいって、親なら誰しもそう思うでしょ?
病気を克服したら、家族や友だちや周りの人たちと幸せを分かち和えるでしょ?
それが彼の意志なの…』
『私ね…
時々、彼の幻を見るの…
初めて見たときは驚いたわ
でも、もう慣れた…
彼ね…
生きろって言うの
彼の幻は、私がふさぎ込んでいるときに限って現れて
生きろって言うの…
だからこうして“影の出来ない”この電車に逢いに来るの…』
女は、今まで話し相手がいなかったのかのように、矢継ぎ早に語り続ける
20年…
この列車内で、幻の彼と逢える[時]だけのために20年も乗り続けているのだと…
20年前のファッションがその長さを物語り
几帳面に詰め込まれたポケットティッシュが彼への想いを語りかけ
目尻に刻まれた皺が涸れたことのない涙を窺わせた
昨日、零れ落ちたポケットティッシュは、その女の涙のように思えた…
「雨の日は…
そう問いかけた時、煌めきを失った列車内に女の姿は確認出来なかった…
それから梅雨に入り暖色系のミラーボールも女も男の前には現れなかった
…
梅雨が明け、痛いほどの光が窓を突き刺した朝、久しぶりに女に会えそうな気がして男はホテルを出た
いつからか天気予報が気になりだした男
今日の降水確率0%に期待すらしていた
やがて列車内は暖色系のミラーボールに埋め尽くされ…
その片隅に女を見つけた
梅雨の間、幻の彼が現れなかったのだろうひどく窶れて見えた…
それでも女は男の方を見ると、ほんの少し微笑んでコクリと会釈をした
“ふさぎ込んでいるときに現れる…”
他人事なのに、まるで自分の事のようにすんなりとその台詞が頭に浮かび
期待までしてしまう自分に、人としての情が欠片ほどでも残っていたことに気付かされた
しかしその期待は、すぐに打ち砕かれた
巨大な綿飴を幾重にも積み重ねたような入道雲が視界を遮ると、雷鳴を轟かせた
目のやり場も、心の置き場さえもなくした男は、女を探そうとはしなかった
探す必要がない
女は煌めきを失った列車内に居るはずがないのだから…
男は、変な安心感を打ち消したくて
あしたこそは…
明日こそはと自分に言い聞かせ、席を立った…
と、瞬間息が止まった
列車内の片隅に女が居たのだ
小さく肩を震わせながら、稲妻に光る車窓から目を逸らそうとはしない…
瞬きを忘れた目元からは、大粒の涙が今にも零れ落ちそうに重力と戦っていた
堪えきれずに閉じた瞼から大粒の涙が零れ落ちた…
その目尻の皺が、愛の,想いの深さを,クシャクシャになりながらも雫を堪えようと肩を震わす女に美しさを感じた…
声をかけなければ…
そう思いはするものの、一言も発せない自分が嫌だった
嫌で嫌で仕方がなかった
逃げるように立ち去ろうとした時
「待たせたね」
若い男の声が確かに聞こえた
声のする方,車窓の向こう側へ目をやると
稲妻の光に照らし出された20歳代の男が微笑みながら手を振っていた
女は立ち上がると稲妻の中へ,彼のもとへ,満面の笑みと大粒の涙を零しながらクシャクシャな顔で歩き始めた
女は一歩踏み出す度に、若さを取り戻し
又一歩踏み出す度に、幾重にも積み重ねた綿飴が蒼空へ消え
一歩、また一歩踏み出す度に暖色系のミラーボールが足元から弾け飛び、蒼空のかなたまで影のない煌めきに変えた
20年間、ただひたすら彼女は待った
彼の言葉を信じ
彼の願いを探し
彼との約束を守り
そうして
彼とまた巡り逢い
彼の胸へと帰れた
ふたりは20年の時を超え再び歩き始める 魂の出発
ふたりの魂は永遠に舞わり続ける
私は不精独楽、独りでは舞われない…
旅を続ける不精独楽…
[棘]
梅雨明け間近の雷鳴轟く寅の中刻、時折青白い稲妻に照らし出される無人駅
場違いな女がひとり、ホームのベンチに腰掛けていた
春めいた軽装の女の脚組した爪先には、蝶をあしらったミュールが今にも飛び立ちそうに停まっている
清楚さとは裏腹に、時折背中から覗かせる蕀(イバラ)が一見して夫人であることを証していた
端麗な顔立ちが揺れ動く蕀に映え、枯れる事のない薔薇を思わせた
「どちらへ?」
『忘れ物を探しに…』
短く切り揃えられた髪は細面を露にし、風に揺れる前髪と切れ長の一重瞼が涼しげな女
身に纏う蕀がスーッ…と引いたとき、単線を挟んだ向かい側のホームのヤサ男が声を掛けた
「忘れ物?」
『そぅ忘れ物…』
視線を逸らし少し俯き加減に呟く表情を、蕀がスサッと覆った
「少し歩きませんか?」
その瞬間2本の蕀がシュルルと線路を飛び越え、ヤサ男の首を挟みピタリと止まった
「…!」
『…何故?』
暫しの沈黙のあと女が呟く
「一人より二人の方が見つけやすい気がするからさ」
言い訳にも似た言葉がヤサ男の口を衝いて出た
それもそうだ、忘れ物を探しに列車で行く程の距離,歩いてどうなるものでもない…
『いいわ、始発まで随分時間があるし…
どこにありそう?』
身を守る蕀への信頼からか不思議と女は受け入れた
単線を挟んだホームのヤサ男は、スッと立ち上がると両腕を肩の高さで広げ…
そうして片方の腕を降ろした
ヤサ男は、上げたままの腕で線路の先の方を指差し
「あした…」
降ろした腕は地面を指差し
「きょう…」
「選ぶのは君だよ」
『…昨日は…?
過去には進めないって事ね…
じゃあ"あした"しかないわ』
彼女は、蕀をシュルルと引き戻しながら立ち上がると、ヤサ男の指差す方向へ歩き始めた
『歩き辛い…』
彼女のミュールは線路の敷石に悲鳴をあげていた
「素足になって線路の上を歩くのさ」
女が振り向くと言うより早く線路の上を素足で歩くヤサ男がいた
女もミュールを右手に持つと、ふらつきながらもヤサ男の後を追い掛けるように着いて行く
交わる事のないレールの上を,交わる筈のないヤサ男と蕀は歩いた
共に忘れ物を探しに…
女は真っ直ぐなレールに馴れたのか、両手の指先に片方づつのミュールを吊り下げ腕を水平に伸ばし…
少女のような微笑みを浮かべ着いて行く
「危ない!」
馴れた調子で歩いていた女はバランスを崩し転けそうになる
ヤサ男は咄嗟に女の腕を掴む
「痛ッ!」
少女のあどけなさとは裏腹な、身を守る蕀の棘が容赦なくヤサ男の手のひらに突き刺さる
『ごめんなさい…』
「大丈夫 甘い傷さ」
『甘いキス?』
「そうだね
甘いキスかもしれないね」
ヤサ男は片方のミュールを左手に持つと、棘の痛みも気にせず女と手を繋ぎ歩いた
「忘れ物って…何?」
『こんな気持ち…』
「忘れたままがいいかもよ」
『探さない方がいいかもね…』
「S.W.A.L.K…」
『え?』
「線路と言えば
Seald whth a loving kiss.でしょ?」
『いゃ~ teenagerじゃないんだし…』
「あの映画、あの後どうなったと思う?」
『鉄道員に取っ捕まって、親と先生にこっぴどく叱られました』
「現実派だねぇ…
クラス全員で結婚式を挙げたんだよ
幼なじみが夫婦になって、沢山の孫に囲まれ旅立つんだよ…きっとね」
『やっぱり teenagerじゃん』
二人はとりとめのない話を続けるが、ヤサ男も蕀もお互いの過去には触れようとはしなかった
人として,異性として最も気になる筈の過去には触れようとはしなかった
どれくらい歩いたのだろうか、線路はそこで途切れていた
『これ以上先へは進めそうにないわ…』
「駅へ戻る?」
『もう後戻りは出来ないの…』
振り返ると、女の歩いてきたレールには蕀が螺旋状に巻き付けられ、一面棘で被われていた
「駅からずっと?」
『そう、身を守る蕀を棄てたくて…
歩き始めた時から線路に絡めてきたの
蕀を捨て去る事が出来たのに、私の"あした"は此処で終わりなのかもしれないわ…』
「それは違うよ、明日へのレールなんて敷かれてはいないんだ
人は日々を振り返りながら暮らしている
それを、レールの上を歩いているって錯覚しているだけなんだ
此処から君の本当の"あした"が始まるのさ
ミュールをそこに置いて…」
女が片方のミュールを置くとヤサ男はもう片方を揃えるように置いた
そうして、両腕を真上に上げると片方の腕をゆっくりと降ろした
振り上げたままの腕は空を指差し
降ろした腕はミュールを指差した
するとミュールは眩い光を放ち淡い乳白色の蝶の羽に生まれ変わった
生まれたての蝶の羽はゆっくりと舞い上がり、花柄のブラウスの背中にそっと寄り添った
まるで蕀を捨て去った傷痕を癒すかのように…
「さぁ行きなさい
あしたへ…」
身を守る棘を捨てても枯れる事のない清楚な薔薇は、ふわりと宙に浮かび上がりヤサ男に近づく
『わたしたち John & Mary になれるかしら…』
棘をなくした薔薇は頬を紅らめヤサ男に呟く
「John & Mary は夢物語…」
ヤサ男は"きのう"へと降り出した雨に濡れたレールの上を歩みながら呟いた…
[南十字星座]
寝台車の通路に佇み街灯りをみていた
心の浄化じゃあるまいし、夜景をみたい訳ではないのだが
人間の目は光に反応するように出来ているらしく、街灯りの方から勝手に飛び込んでくるのだ
しかも冬至ともなれば街は聖誕祭
各家庭ごと工夫を凝らした電飾で彩られており、そんな光の渦が眠ろうとする脳を揺り起こす
いたたまれず列車内を彷徨うと最後尾に薄暗い灯りを見つけた
電飾に苛立ちながらも“蛾”のように薄暗い灯りに惹かれ、連結部のドアを開けた
瞬間、冷えきった風が頬を打つ
確かに連結されてはいるのだが、最後尾の車両とを結ぶ通路がないのだ
体験した事のない状況下に少し驚きはしたものの、興味を引くものが目の前にあり一歩 足を踏み出していた
〔Buffet〕
最後尾のドアにフランス語っぽく見せたいのか知らないが、まるで草書体で書いたようなアルファベットが踊っていた
覚束無い足下にも臆する事なくドアノブに手を掛け〔Buffet〕と書かれたドアを開け中へと進んだ
細長い車両の、奥のドアまで真っ直ぐに延びたカウンターの所々が小さなスポットで照らされていた
スポットを避けるように腰を下ろすと、“蛾”と云う生き物 些か不自由だなと苦笑いを浮かべ乍ら
『バーボン…
ワンフィンガーで…』
苦笑いを圧し殺すように呟いた
徐にワイルドターキーを手に取ったバーテンは、メジャーカップでっかりに1オンス計ると
それをグラスに注ぎカランカランと数回ステアさせ、具象的な絵の書かれたコースターに乗せ差し出した
一口含み飲み込むと苦いだけの冷や水が咽から胃へと滑り込んだ
『聖誕祭だからワイルドターキー?』
冷やかすようにバーテンに尋ねた
「よして下さいよ場末の酒場みたいな洒落は…」
“してやったり”と言わんばかりの顔でバーテンが返した
圧し殺したはずの苦笑いが再び込み上げ、目のやり場を探していると他に客が居た事に今、気が付いた
あまり酌が進まないようで、グラスに付いた水滴がコースターを濡らし、具象的な絵が滲んで見えた
バーテンとの洒落たやり取りが聞こえたのか、ほんの少し口元が緩んで見えた
『聞こえてました?』
「“で”は要らないわ…」
『で?』
「バーボン、ワンフィンガー“で”は要らないわ…」
それを嫌味に感じさせないのは、スポットに映し出されたシルエットの美しさにある
女が独りカウンターで呑んでいれば否が応でも興味を抱く
『連れは?』
「独り…」
『隣は?』
「空いてるわ…」
そそくさと席を立つと隣へ歩み寄る…
結局、ひとつ席を空けて腰を下ろした
“蛾”と云う生き物不自由に出来ている…
スポットのあたる彼女の横にすら座れない…
黒いカシミアのタートルネック、撫で肩が女らしさを醸し出していた
左手には、外したのかネックチェーンが軽く巻かれクロスのペンダントヘッドが揺れていた
『聖誕祭?』
「あのね、十字架には二通りあるの…」
『イエス様の有る無し?』
「そう、意味は?」
『意味は知らない』
「イエス様が居ない十字架はイエス様の復活を意味するの…」
彼女は揺れるクロスをスポットに照らしながら、溜め息混じりに喋り続けた
「イエス様は復活なさったのに、奇跡が起きないの私には…」
スポットに照らされた彼女の薬指には、指輪を外した痕がぼんやりとではあるが、白く浮き立っていた
車窓には聖誕祭を祝う電飾が眩く写り込み、グラスに付いた水滴が虹色の彩りを放つ
その彩をバーボンに浮かぶ氷が屈折させ、指輪の痕を極彩色に染めていた
両手で持つグラスに滴る水滴を指で拭いながら言葉を選ぶように続ける女…
『電飾のひとつひとつって暖かな愛の証なのよね…
私は光を失ってしまったの…
愛に溢れたイエス様でも、光を失った私を見つける事はできなわ…」
『光ならあるさ、指輪の痕を見てごらん』
指輪の痕は極彩色の輝きを更に増し、辺りを照らしていた
彼女はクロスを首に掛け、何かに急き立てられる様に後ろのドアへと急いだ
「お客さん、鍵かかってますから!」
バーテンが注意を促す
極彩色に輝く左手をドアノブに掛けると、スーッとドアが開く…
『おい!』
声を掛ける間もなく彼女のカラダは宙に舞った
車窓から見える電飾はいつの間にか消えていて、代わりに眩いくらいの星屑が空を埋め尽くしていた
極彩色の輝きは、吸い込まれるように南十字星の彼方へ昇っていく
小さくても輝きを忘れない南十字星座は彼女の涙…
夜空に散りばめた彼女の涙…
奇跡は彼女にも訪れた
寝台車の通路に佇み星空を眺めながら、男はそう確信した
[ソラ]
まるで幻想の世界にいるようだ
辺りは濃い霧が漂い汽車は白いベールに包まれていた
車内の蛍光灯以外に光源はなく、汽車のライトに照らされた二本の筋
そこだけが白い帯となって見えた
汽車の移動とともに映し出される白い帯は、形を変えようとはしない
従って、こちらの目には遠近感がなく速度も感じられない
唯一、汽車の揺れだけがカーブにさしかかった事を知らせてくれる
終着駅は阿蘇山
この様子では、山頂からの絶景は望めそうにない
途中駅で乗り込んできた子どもたちも皆ガッカリしたように口を閉ざし、俯き、床を見つめている
『スイッチバックだよ』
元気のない子どもたちに声をかけた
『汽車はね、急な坂を一気に登ることが出来ないんだ
だから、前進と後進を繰り返し登るんだよ』
汽車の揺れでスイッチバックだと判り、そう話しかけたものの車窓からは何も見えず、子どもたちは黙ったまま床から視線を逸らそうとはしない…
次の言葉が見つからない私は、車窓に広がる真っ白な世界をぼんやりと見るしかなかった
ガタンと最後のスイッチバックを終えると、汽車は勢いをつけ更に登り始めた
景色が見えない中、最後のスイッチバックという確信はなかったが、いつになったらこの白い幻想から脱け出せるのかと1回2回と数えていたのだ
汽車は勢いを増し坂道を登る
一瞬、目を閉じてしまうほどの眩さとなり白い世界から脱け出した
視力を取り戻した目には青空が飛び込んだ
車内の子どもたちも一斉に青空を見つめている
『なんて無表情なんだ…』
子どもたちを見てそう思った
汽車は白い坂道から青い坂道へと線路を切り替え、更に登り続ける
そのうちひとりの子どもが何かを見つけたように空を指さした
空には雲がひとつ浮かんでいた
ドーナッツのように丸い形をした真っ白な雲
珍しい雲だと眺めていると、ひとつ、またひとつとドーナッツのような雲が集まってきた
青い坂道を登り続ける汽車は、白い雲の集まる方へ進む
線路の軋みも揺れもなく、藍色の空へ吸い込まれるように進む
集まって来たドーナッツ状の雲は、切れたり繋がったりを繰り返し、幾重もの輪となり右回り左回りと踊っているようにも見えた
後ろから追い翔けてきた雲は、汽車を輪の中心に捕らえるとゆっくりとした速さで通り過ぎ、先にある輪と重なった
またひとつ、輪を作る雲が汽車を取り囲んだ
私は自分の目を疑った
真っ白な曇だと思っていたそれは、白いベールを着た子どもたちだった…
その子どもたちが手を繋ぎ輪を作っていたのだ
汽車を取り囲んだ子どもたちの輪は一ヵ所だけ手を離すと、そこを先頭にして車内へと流れ込んできた
車内の子どもたちは互いを笑みで見つめ会い、流れ込んできた一筋の雲の最後尾に掴まると、手と手を繋ぎ空へと飛び出した
子どもたちはラソフォルのように頭から足元まで白いベールを被り、まるで真っ白な曇のようだ
子どもたちが幾重にもなった輪に合流するのを見届けると、汽車は坂道を下り始めた
青空では、真っ白な環が右回りや左回りをして楽しそうに舞っていた
やがて真っ白な曇は藍色の宇宙へ続くひこうき雲となりソラへ帰る
[風雅]
誰かが開け放った車窓からは、初秋の爽やかな風と木犀の香が滑り込み
ククッと鼻を擽る
青さと甘さの不似合いな関係が、近づく冬を予感させる
縁側の日溜まりにいるような心地好さが、やもすればアンニュイな感覚へと引きずり込む
気だるさを露にさせる風は、肩や腰に重たくのし掛かり、カラダと座席との一体感を密にして消えた
緊張感を呼び醒ますかのようなブザーがドアを開くと、辛気臭い風がドカドカと流れ込んできた
若者言葉という範疇が確立するくらい、新語は膨張し続ける現代
異分野どうしが協力して制作する事を
《コラボ》
と言うらしいが、コラボレーションとは元々単語としてあった訳で、ある意味片仮名語の氾濫みたいなものか…
しかし、異臭どうしの協同制作には我慢ならない
暫くは諦め顔のアンニュイでいようか…
通勤ラッシュも引け車内に静けさが戻ると、再び木犀の甘い香りが漂い始めた
人間の嗅覚は我慢が足りない
だから自律神経が嗅覚を麻痺させたりする
変化もなくしつこい匂いには自らが御免被る訳だ
ん!?
一瞬、春風が私の脳裏を掠めた
木犀には麻痺している鼻腔を、甘い春風が突っついたのだ
記憶を辿りながら春風の元を鼻で探した
いた…
伽藍とした車内の機関室のすぐ後
花柄のブラウスと黒のフレアスカートを履いた清楚な蝶が座っており
薄目に開けた窓から吹き込む秋風を、春風に変えていたのだ
目を逸らすのが勿体なくて吸い寄せられるように見ていたら、パタリと窓を閉じた…
いくら春風に変える蝶でも秋風は冷たく感じたのだろう
腕を組むように両方の手で二の腕辺りを擦る素振りを見せた
上着を貸そうかとも思ったが、見ず知らずの,しかもアンニュイ面した男が
“上着をどうぞ”
何て不粋も不粋、セクハラにも値する…
まさかこんな事考えているなんて思いもしないだろうと、頭の中で自問自答を繰り返していたら、春風がまた脳裏を掠めた
香りの記憶を取り違える訳がない
窓を閉めた筈の蝶の方へチラッと目をやると、衿元がかすかに揺れた…
窓は閉めたままだ
車内の空調かとも思ったが、暖房は足元から吹き出すもの
天井の送風口から風は出てはいない…
不思議に思い、今度は真剣に目をやった
確かに揺れている
左の衿から右の衿元へ…
左の腕から胸元、そして右腕へ…
蝶が背凭れからカラダを起こすとブラウスの背中がふわりと揺れた
それはまるで、ひとつの風が蝶の周りをくるくる回るように…
微笑みながら立ち上がる蝶のフレアスカートの裾を、風は嬉しそうに回った…
いや、舞っているのだ
何周も何周も蝶のブラウスやスカートを揺らしながら舞い踊る
やがて風は衿元に辿り着き、何かを耳打ちすると蝶の髪を解けさせた
悪戯な風は、開いたドアへと歩む蝶の花柄のブラウスを揺らし花弁を散らした
秋の訪れを伝えるように…
不精独楽
云う迄もなくフィクションです