久遠在処の終末物語
・これは実際にあったクトゥルフ神話TRPGの後日談を小説として書き起こしたものです。何卒。
まったく、カミサマ稼業も楽じゃない。
星がきれいな夏の夜。オレは史上最悪の絶望少女に出会った。
◇
いや、星が綺麗なんてただの比喩でしかないんだけれども。
確かにオレの目には無数に瞬く星とその正体がしっかり見えているんだけれど、他の連中に言わせたら空は澱んだ闇色らしい。まったく普通の人間の視界はそこまで面白くないのか。そんな面白くない視界の何に期待してあの連中は生きているのかといつも不思議に思う。
オレはカミサマだ。
いやカミサマと言うよりただの人外だけど。
夜はいつだって澱んでいる。むしろこの町はいつだって穢れている。
人が見て見ぬふりをして外灯とビルの明かりの奥に閉じ込めた化け物はいつだってこっちを見てるし、その化け物なんかよりもっとたちの悪い連中はごろごろいる。一番タチの悪い連中を上げるとすればこの地域の元締めである極道に組しないゴロツキどもだろうか。
被害者はいつだって奇跡をねだる。男も女も関係なくだ。
最近やつらは薄汚い方法で儲けているらしいがそれこそどうでもいい。すでに被害は数十人規模で広がっていてまぁ汚され脅され売られ捨てられ割と大惨事だがそれだってどうでもいい。オレもオレの身内も何があっても被害者にはなりそうにないしね。むしろ人類が追いつけるかわからない脚力を持った人間とどんな大型動物でも十秒で昏倒させる猛毒使いだなんて狙う頭のおかしいやつがいたらちょっとそれは興味がある。
どろりと溶けたコンクリートのビル街に肉塊のように群れる人間がうごめく。雑音に似た喧騒はいつだって不健康だ。
そんなくだらない世界を見下ろすオレの背後で、足音が一つ響く。
……この世界に存在してはならない生き物の足音はいつだって異質だ。響くだけで空気をすべて塗り潰してしまう。
ゆっくりと振り返ると、そこには一人の異質なまでの少女が佇んでいた。
光を梳いて編んだような白髪に、純白のウェディングドレスと同じ色の長弓。月並みな表現だが顔立ちは彫像のように無駄のない作りをしていて、左右の歪みがまるで無い。肌は陶器のように白く、対照的に瞳は何処までも深い赤で一目で底なしだと分かる。底の厚いブーツや大きなグローブから伸びる手足は華奢だが、体格以上の筋力があると容易に想像がついた。……格上か、格下か。まぁそんなことはどうだっていい。彼女も同様に人間ではない。そう簡単に分かってしまったのだから。
「……こんばんわ。よろしくないね、女の子の一人歩きは。リベルタ」
「御心配痛み入るわ。……久遠在処」
歪に口の端が吊り上がるのは両者同時。化け物は化け物同士、お互いが何者であるかを察するには目を見るだけで良い。
稀に化け物じゃなくても分かる人間もいるが、それこそ化け者だ。何もかも人であるくせにそう言う部分だけ敏い辺り一層タチが悪い。……生憎、オレはそう言うやつは苦手だった。人間はちょっと鈍感なくらいがちょうどいい。頭が良ければなおよし。
「この姿で会うのは初めてかしらね……もっとも、他の姿だったとしても何年前の話かも分からないけれど」
「あのころは俺も人の形になるとか思ってなかったぜ……ああ、そういやリベルタは英国育ちか。ダメだぜ? そんな恰好、目立っちまうからな」
「お気遣いは結構よ。気に入っているもの」
「そうかい、なら良かった」
本当に。オレたちは似なくていいところばっかりそっくりだ。その癖一番根幹の部分は正反対だからたちが悪いときている。
「……ところで。私を手伝う気になってくれたかしら?」
「まだまだだよ。あいにくオレは、こんなくそったれな世界でもまだ好きなのさ」
私の手伝い。酷くぼかされたコトバのあり方に少し薄ら寒い物を覚える。人外の言う言葉は大半がロクでもないものばかりだ。むしろ人外に人の言語が通用する現実そのものが最も恐ろしい現実なのだろうが。
言葉の通じない相手に蹂躙されるか言葉の通じる相手に弄ばれるか。どちらがたちが悪いかと言われれば一概にどちらともいえない。まぁ言葉の通じる人外は皆一様に性格がルナティック邪悪なので通じない方が幸せだと思うよ。オレについてはノーコメントで。
「貴女……そろそろ自覚してくれないかしら。馴れ合ったって彼らは救いようなんてないのよ? いつまで曖昧な観測をしているつもりなのかしら?」
「ああ、本当にそうだよ。本当に救いようがない。人類は最高にアホだ。ちょっと手先が器用だからってすぐ自惚れた。今回もきっと過去に滅んだやつらと同じ道を辿るだろうな。それでもさ。オレは割と、人間も嫌いじゃないかな。
それにさ。まだまだこの世界だって捨てた物じゃないさ」
……本当に、人類は救えない。でもそれ以上にカミサマだって救えない。連中は互いは違うってことを理解できていないんだ。奴らは一人で勝手に完結してるくせに足りなくなれば都合よく周りを利用しようとする。そのくせお互いに完結してるモノだから互いの言い分なんざ理解できない。
無論そんな神様を信じて土下座の一つや二つ簡単にする人類はもっとアホだ。カミサマが言いたいことはいつだって一つ。『ウザいから私に関わるな』、その一言だ。オレはたまたま起こった偶然を神の奇跡なんて崇めて偶然をもう一度待ち望んで正座して待ち続ける馬鹿が一番嫌いだ。二番目に餌を待つひな鳥みたいに口をただ開けて美味い餌が転がり込んでくるのを待つ怠惰な屑が嫌いだ。
……嫌いなら蹂躙してしまえばいいものを。何故か俺は、いつだってすんでのところで踏みとどまる。
「本当、貴女は愚かね」
「燃やす以外に能の無いカミサマに期待するお前が間違いだっての。んで、用事は終わりかい?」
神様? と皮肉を込めて問いかけ直す。
再び両者同じタイミングで口の端が持ち上がる。こういうジョークが通じるのはカミサマ同士でしかなしえない。いや、カミサマじゃなくて化け物だけど。
「慌てないで頂戴。聞きたいことはいろいろあるのよ。
……絶望カジノ、カプリチオ。聞き覚えはあるでしょう。あれの支配者を追い出したのは貴女ね?」
「御名答。あんなくだらないゴミ処理場、馬鹿馬鹿しくてやってられねえしな」
「そうね、貴女以外ありえないわね。アブホースの異端児を焼き尽くすなんて貴女、相変わらず信じられないことするのね」
……そんな名前だったのか、あの食器用洗剤。
カジノの倒壊とともに現れた虹色の泡の群体を思い出しながら適当に自分の持っている知識と照合するがどうにも噛みあわない。まぁ、異端児って言ってたしアルビノみたいな珍しいタイプだったんだろうね。
皮肉とあきれを混ぜた視線でこちらを見てくるリベルタに俺は同じような感情を混ぜて手をひらひらと振って言う。
「知らねーよ。仮想空間だったとしても知り合いが目の前でグロ肉に変わるのは寝覚めが悪いじゃねえか」
「炭になるのは寝覚めがいいのね」
「跡形もなくなってくれるならな。生肉は駄目だ。当分飯がまずくなる」
「……本当、貴女って人は良く分からないわ」
ウェディングドレス着込んだアーチャーに言われたくない。
「それこそ知ったこっちゃないね。誰かの理解の範疇に収まろうなんて馬鹿馬鹿しい」
「それには同意するわ。全く、この星の生き物はどうしてあんなに小さな入れ物に脳みそを閉じ込めているのかしらね。あれじゃあ発達が抑制されてしまうわよ」
「あー確かそんな漫画あったな。だけどまぁ賢すぎるのもあれだぜ。オレもその手のタイプは苦手だ。出来れば3を聞いて10を知り、あえて5ぐらい見なかったことにしておいてくれるくらいのやつの方がありがたい」
1を聞いて10を知るタイプが今まで生き延びたためしがないからな、実際。多少鈍感なふりをしておくだけでもぐっと生存率が上がるってもんだ、この世の中。
さて、と一言口にすると俺は思考回路を一つぱちりと切り替える。理由は簡単。そろそろ時刻は10時を回る。これ以上こんな場所にいれば補導なんかで面倒なことになるだろう。そんなものいくらでも切り抜ける術は持っているのだが、まぁそう言うくだらないことは意識するだけでも人間気分が味わえるってものだ。
リベルタのわきをすり抜けながら、去り際に手を振って別れの挨拶をする。
「それじゃ、そろそろ時間だからオレは帰るよ」
「……最後に一つ聞いていいかしら?」
「今度は何だ?」
背を向けたまま、屋上から出る扉に手をかけて彼女に問いかけた。
「すると、貴女は人類を愛していないのですね?」
「……左様。憎んですらいます」
昔誰かが言っていた。憎しみは愛の延長線上にあると。
過剰な愛が憎しみと言うのならその反対は無関心だ。オレは人類を等しく愛している。だが対照的に興味を失ったものは即ち等しく無価値だ。別にそいつが生きようが死のうが、どうだっていい。
人はそれを憎しみと呼ぶのか。ああ、そうだ。全くこの世界はくだらなくも愛おしい。
◇
10時を少し過ぎたくらい喧噪の帰り道。何となく選んだ路地裏は、噂通りの惨劇の現場だった。
何てことはない。暴行と恐喝。それ自体よくあることだ。男が5人がかりで制服姿の男子学生を力任せに殴っている。端々に聞こえる滑舌の悪い言葉の意味を組んだところではまぁカツアゲか何かだろう。囲んでいる連中も同じ制服を身に着けているが、あいにく学校の名前も制服も覚える趣味は無い。
正直に言って興味は無い。このままこの暴行が10分も続けば殴られてる奴は死ぬか障害が残るレベルの大怪我だろうがオレが興味を持つような事象でもない。まぁ唯一面倒な点を挙げるとすれば、彼らがオレの進行方向にいる事だろうか。
不意に合計10の瞳がこちらを見る。理性が溶けた獣の瞳。知性のカケラもない目は血を見てハイにでもなったのか酷くぶっ飛んでいる。連中、薬か安酒でもやってるんだろうか。
ヤンキー以上ゴロツキ未満のチンピラはハイエナのごとくこちらに狙いを定める。どうやら面倒なことになりそうだ。いや、いい。こっちも面倒な奴と長話をしてイライラしていたんだ。少しはオレも理性を飛ばしてみよう。
思考のスイッチをもう一つ強く押し込む。瞬間、夜闇が爆ぜる音を聞いた。
◇
光が収まった時、辺りは酷いありさまだった。囲んでいたチンピラ崩れどもは全員目鼻や口から血液を垂れ流してぶっ倒れている。やっちまった、と後悔する反面どうしてもっと派手に吹き飛ばさなかったのかと少し疑問に首を傾げる。こいつらも今は倒れているがせいぜい角膜に軽い火傷とあばらに骨折を負った程度だろう。とすると死ぬほど手加減をしたはずなのだが、と意識を周囲に巡らせてその理由っぽい物を見つけて納得した。
少し離れたところに、囲まれてタコ殴りにされていたやつが座り込んでこちらをぽかんとした顔で見上げていた。
年齢は同じか少し下だろうか。いかにもこう、文学少年然としておりいいカモっぽいモヤシ君だ。そんなやつに気を使ったのか、と自分の甘さに驚く。それと同時に、最近そんなやつとばかり一緒にいるからかとうとう毒され始めた自分にただ苦笑いを浮かべた。
「あの、あなたは?」
モヤシ君はオレを見上げて震えていてもしっかりとした声で問いかけた。
オレは2秒ほど悩んで、いつもの答えを口にする。
「フォウマルハウトの魔女、そう呼ばれてる。奇跡を起こすのが仕事なんだ。」
まったく、カミサマ稼業も楽じゃない。
久遠在処の終末物語
久遠在処:NPC
リベルタ:NPC
収録日:無し