マヌケな総理大臣
「うーん、きょうはどうかな?どうなのかなぁ?気になるなぁ、センユウリツ。30%いくかなぁ?」
総理官邸の一番奥のほうにある、総理大臣室。赤じゅうたんが敷かれ、50畳はあるだろう大きな部屋で、総理大臣の菅山直夫は机に向かう。こわばった表情で、額には汗。何やら作業をしている。一昨年、国民党に政権交代して以来、菅山はすでに2人目の総理だ。手に定規、鉛筆を持って、新聞を広げている。彼が就任してから、毎朝見られる光景である。どんなに、忙しい時でも。
実は菅山のいう「30%」というのは、内閣支持率のことではない。「政府を批判する記事の占有率」である。これは、菅山が独自に編み出した指標だ。まず、全国紙5紙の1面、社会面、政治面の計5ページを見る。そして、政府に対して批判的な記事が占める面積を定規を使って測り、すべての記事に対する割合を調べる。菅山はマスメディアが世論に大きな影響を与えていると考えていて、政治の話題がどの程度取り上げられているか、こと細かく調べるのが日課になっていた。
この日も毎朝新聞に、国民党の目玉政策「子ども手当」について、「財源がないのに金をばらまくのは、次の選挙の票取りでしかない」と、署名入りの記事がどでかく載っている。菅山はいつものように、おそるおそる定規で縦、横を測り、電卓をたたく。
「13センチ×20センチはぁ、えーと、260平方センチメートルかぁ。うーん、でかいなぁ。くっそー、佐々木の野郎め。この前おごってやったところなのにぃ」
菅山は、頭を両手でくしゃくしゃにする。佐々木とは、この記事を書いた記者である。ほんの数日前、菅山は佐々木と銀座の高級すし屋で会食し、3万円もおごらされた。「あいつの好きな、大トロばっかり食わしてやったのにぃ。あー」。はらわたが煮えくりかえる思いだった。
ほかの4紙にも、批判的な記事が多く、結局この日の占有率は、30%を少しだけ上回った。ちなみに内閣支持率は26%とかなり低いが、こちらはあまり気にならないらしい。
「あちゃー。やばいよー。そうだ!また、お願いしないと」
すかさず、菅山は携帯電話を取り出し、リダイヤルの画面から「秘密結社D」を探し、コールする。
「こちら秘密結社Dでこざいます」
「もしもし、俺だ。菅山だ」
「これはこれは、総理。いつもご愛顧ありがとうございます」
電話越しに、いつもと同じ、バカていねいで落ち着いた男の声が聞こえる。
「そんな前置きはいいよ。また、お願いしたいんだ。どでかい事件を」
「ジャンルはいかがいたしましょう?」
「ジャンルなんて、なんでもいいよ。とにかく、俺たちの記事が小さくなるように。とにかく早く!」
「かしこまりました。では、早急に手配いたします」
菅山は翌日、朝日が昇るよりも早く起きて、新聞受けに急いだ。立ったまま新聞を広げると、不謹慎ながらにやりとしてしまった。
「東京新宿で無差別殺傷事件 死者10人 無職男を逮捕」
この日の、総理への囲み取材で、記者から「新宿の事件について、政府としての対応は?」と聞かれ、
「いやぁ、あれ、実はぼくがお願いしたんですよ」。ポリポリと頭をかきながら話す自分を想像しながら、
「ご遺族の方にはお悔やみ申し上げます。政府として国民の安全を確保する観点から、適切な対応をしていくよう、各省庁に指示を出しております」
と、模範的なコメントをした。囲み取材も無事終了。「やれやれ。この事件のおかげで、今日の俺たちへの批判記事は、10%を切ったんだったなぁ」。朝のうちに計算して出した久しぶりの「センユウリツ」一桁を頭に思い浮かべ、思わずにやついてしまった。すると、
「総理、今、笑いませんでしたか?」
まだ近くにいた女性記者から突っ込まれ、ほかの記者たちも振り向く。
「ハ、ハ、ハックシューン。あぁ、失礼。鼻がむずむずしてまして」。
おっと危ない。何とか乗り切ったけど。あの女、あんな鋭い勘を持ってたら、彼氏の浮気もすぐに気づいちゃうな。きっと幸せになれないだろうなぁ。
菅山はそんな妄想にふけりながら、記者から見えなくなるのを確認して、スキップしながら総理大臣室に戻った。
1週間、2週間がたち、新宿の事件も一段落がつき、またもや政府への批判的な記事が増えてきた。「高速道路無料化は愚策だ」と題した日本新聞の記事は、これまでの記事の中で最も大きい400平方センチメートルだった。菅山はあせった。
「やばい、やばいよー。クビになっちゃうよー」
その日の、批判記事の占有率は、ついに50%を超えてしまった。菅山は携帯電話を取り出し、秘密結社Dに連絡した。
ここで、少し解説。
秘密結社Dの「D」とは「大事件」をアルファベットで表したときの、頭文字である。料金さえ支払えば、だれの、どんな要望にも応え、事件を起こしてくれる。コースは2つあり、こらしめたい相手がいればAコース、相手を指名しない場合はBコースとなる。依頼を受けた本部から、各ジャンルの支部に連絡が入るが、だれから依頼があったかは、支部には伝えられない。それを徹底することで、依頼者のプライバシーを保護しているのである。
では、続きをどうぞ。
「こちら、秘密結社Dでございます」
「俺だ、菅山だ」
「これはこれは総理。いつも、ありがとうございます。今日もお急ぎでいらっしゃいますか?」
「その通りだ。一刻も早く頼むよ。もうあとがないんだよ。超ド級の事件を頼む。いつも通り、Bコースで。とっておきのやつだぞ」
「かしこまりました。支部にはそのように、伝えます」
次の日、菅山が、新聞を読むことはなかった。各紙の1面の見出しは、そろって、次の通りだった。
「菅山総理 官邸で暗殺される 男『今の政治に不満を持っていた』と供述」
マヌケな総理大臣