元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記

元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記

2013.11.16~2014.03までブログを書きながら小説も書いた『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記』小説の部分だけ抜粋したものです。全10万字弱あります。ブログをそのままコピペした個所と小説の部分だけ抜粋したものと混合していますが、そのうち校正してファイル化したいと考えています。って言って全然できてねえ!まあいずれそのうち。

ご無沙汰をしておりました

ご無沙汰をしておりました


こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

あまりにもリアリティを追求し過ぎて、バッシングの後炎上し閉鎖したブログ「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」、以前の森生ゆり子Twitter にアクセスして下さった、コメントを下さった皆様、ご無沙汰をしておりました。

お元気でいらっしゃいますか?

私は元気ですが、今は豊洲には住んでいません。お引っ越し?それとも精神世界?あの世?いいえ、どれも違います。ちょっと俄かには信じて頂けないと思うのですが、私どうやら100年後の世界にタイムスリップしてしまったようなんです。

ブログ閉鎖の要請を受けて、とても悩みました。

それでもやはり可愛い子ども達のために、ブログを閉鎖する事にしました。書きたい事、言いたい事はもっといっぱいあったのに、やっとアクセス数が増えてきて、もっとママ友について考えたり、ママ友のあり方について答えをみつけたいと思っていたのに。

様々な思いで閉鎖したブログを眺めていたら、なんだかもやもやと気が遠くなり…それで、気がついたら100年後の世界だったのです。

今私の住んでいる100年後のこの世界の様子、それから小説やブログに書ききれなかった様々な想い、私の考え等、気持ちも新たにまた書いてみたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

豊洲島からこんにちは

豊洲島からこんにちは

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

100年後の世界にタイムスリップして早一カ月。こちらの世界にも随分と慣れたように感じます。でも、まだまだこちらの文明についていけないというか、初めましての事ばかりで戸惑いも多いです。

例えば昨日は、娘を習いごとに送ろうと100年前のようにバス停に付き添うつもりが、「ママ、頭大丈夫?」と言われてしまいました。今は公共交通機関はどこでもドアのようなものがあり、いえ、ドアを開けると瞬間移動ではなく、玄関の横に卵型のカプセルがあり、そこに入ると豊洲島の中ならどこにでも行けるようになっていました。

便利だけれど、閉所恐怖症の私にはとっても怖い!でもこれ、13歳未満の子どもしか乗れないようになっています。子どもを育てる為の島ならではのもののようです。

子どもを育てる島というのは、ここ豊洲島は、妊婦さんから13歳未満の子どもを持つ家族しか住めないのです。なぜならここは、島全体が放射能除去装置で覆われているから。少子高齢化のピラミッドを将来支える大切な子ども、放射能なぞに曝せないという事らしいです。

13歳までというのには意味があるそうで、13歳はもう大人とみなす感覚が、100年後のこの世界にはあるようです。そういえば、100年前にも、13歳のハローワークという本がありましたね。

昔昔は数え年で男女とも13歳が重要な年だと考えられていたそうでそうした行事がありましたし、今はどうかわかりませんが、アメリカなんかだと12歳まではシッターが必要で、13歳になると、シッターのアルバイトが出来るそうなんです。もうきっちりと、12歳と13歳の間には線が引いてあるそうなのです。

このあたりが13歳までという取り決めの要因になったのではないかしらと思うのですが、豊洲島図書館にまだ行けていないので、資料がありません。

パソコンとかスマートフォンは勿論もう無くなっていて、「ブレイン」という名の端末がありますが、これ、どうやったら使えるのかまだ覚えられていません。娘や息子に聞くのですが、いちいちチンプンカンプンです。昔、パソコン教室でおじいちゃんおばあちゃんがオロオロと操作していたのを思い出します。私は今そんな感じなのです。

話を戻して、豊洲島の事。この島の外にまだ出た事がないからわからないのですが、100年後の文明というのは、L'Arc-en-CielのNEO UNIVERSE 世界のようです。PV観たことがない方にはなんの事かわからないと思うのですが、近未来というのかしら?そういうイメージです。写真真ん中に、光る三本の塔が見えますか?あれが放射能除去装置です。綺麗ですね✨

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「あんな感じ」とか、「そういうイメージ」とか、100年前の豊洲に住んでいた時は、小説家になりたいなどと言っていたけれど、こんなお粗末な語彙や文章でよくそんな厚かましい事を考えていたものだわ。自分で自分を叱ってやりたいくらいです

そう言えば、私の投稿した小説どうなったかしら?確か、新潮社のR18新人賞と、日経の星新一賞に応募した筈。それぞれ、「働かない蟻」と、「La Vie en rose」というタイトルで。「La Vie en rose」は、100年前に住んでいた時の娘のクリスマスプレゼント用に書いたのよ、どうなったかしら?パソコンに保存してあったものを発見してくれたかしら、それとも何か賞をとって公になり、娘に届いたかしら。

そういえば子ども達、どうなったかしら。急に私がいなくなって、悲しんでいなかしら。時々ふらっといなくなる事はあったけれど、ずっといなくなるなんて心配している筈。夫はどうでもいいのよ、心配させておけば。でも子ども達は心配。ちゃんと小学校や(名前をいえないあの幼児施設)に通えたかしら。

健康で幸せに長生きしてくれたかしら。何か手掛かりはないかしら、そして、どうやったら元の世界に戻れるのかしら?....いけない、またパニックになりそう....

病気もそのまま一緒に未来に来てしまったようです。

恋しないDND

こんばんは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

私は今は前の記事の通り、100年後の豊洲、正確には2083年に出来た「豊洲島」にいます。住所は東京都江東区豊洲島。

豊洲ならキャナリーゼでは?と思われるかもしれませんが、今は「アイランディーゼ」と呼ばれています。豊洲島に住む主婦の事を、こう呼ぶのだそうです。キャナリーゼより新しいアイランディーゼ、でもどちらも豊洲住まいといえばその通りなのですが。

100年後の豊洲は、新しい島に出来たタワーマンションにニューファミリーが大量に入居し、子どもを生み育て、私が住んでいた100年前の豊洲と同じような事になっています。子どもだらけの街、ママだらけの街、ママ友付き合いが濃い街のようです。

でも、子どもだらけというのは、東京ではここだけのようです。

少子高齢化はものすごい勢いで進んでおり、100年前の識者の方の予想を遥かに上回る事態となっています。

様々な見解がありますが、この少子高齢化、私達人間というより、DNAが「もう人間なんか増やしたくない」と言っているように思えてなりません。「勝手に環境を汚染するし、挙句に原発なんか作って事故起こすし、地球を人間に任せられなくなった」と。

なので、もう人間を増やしたくない→子どもを作りたくない→繁殖行為をしたくない→恋なんてしたくない草食男子、女子が増えた、という事なのではないでしょうか。そう考えると最近の草食増加も頷けます。100年後のこの世界、ほとんど草食男子女子で出来上がっています。

希少価値な草食でない方々は、子どもを産み、ここ豊洲島に住んでいます。日本中から子どもを生みたいカップルが集まってくるんですよ。豊洲島以外で子どもを産みたい人、いないんじゃないでしょうか。

その理由はまた後日記事にしてみたいと思いますが、そのせいでここは日本で唯一、ママ友トラブルの発生する街なのです。そんな豊洲島にタイムスリップした私、どうやらここでも「森生ゆり子」なようです。

家族もいます。夫も。どんな人か知りたいですか?なんと、Hydeさんにそっくりで素敵な年下イケメン君と、言いたいのですが、そうは問屋が卸しませんでした。

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この辺りもまた、というかあまり話したくないのですが、後日記事にしてみたいと思います。

恋をしなくなったDNAのせいで、日本は、ここ豊洲島はママ友密集地となり、大変な事になっているようです。ちなみに、100年前の映画のタイトルで「恋するxx」とつけるとなんでもヒットするというジンクスがあったようですが、100年後の現在にはもうそんなセオリーは通用しなくなっています。

なぜなら、ほとんどの人達が、恋というものにあまり感心がなくなっているからです。恋は繁殖行為の源ですものね。でも人間のせいではなく、DNAの意思のせいだとどれだけの人が気がついているでしょうね?それから、ママ友付き合いが濃くなる要因もDNAのせいだと。

何もかもDNAのせいだと思えば、何もかも納得してしまいそうです。

それは置いておいて、100年後の世界にタイムスリップして尚、ママ友付き合い、ママ友コミュニティで苦労しそうな予感。しかも以前より濃密そうな...

夢なら早く覚めて下さい !

2083年豊洲島誕生

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

100年後の未来にタイムスリップし、豊洲に新しく出来た「豊洲島」に住んでいます。ここはかつて100年前の豊洲と同じように、ニューファミリーが移住し子どもを産み育て、そして政府は13歳以下の子どもを持つ家庭をとても大切いしています、子どもを育てる島と言っていいかもしれません。私も恩恵を受けています。

この豊洲島、いつ誕生したかというと、今から30年前だそうです。いえ、私はもちろん実際に見聞きした訳ではないのですが、豊洲島図書館で資料を見つけて読んでみました。娘に聞いてもいいのですが、「ママ、頭大丈夫?」と言われるのが嫌で、自分で調べました。軽い記憶喪失とはいえ、その辺は自分でなんとかしてねという事らしいです。

それはそうですよね、娘は学校や習いごと、塾にはまだ行っていませんが、そろそろ行きたいそうで、それからお友達と遊んだり、ゲーム、録画したDVD、色々と忙しそうです。100年前の豊洲にいた時の娘も忙しそうでしたね。私がママ友なぞで悩み倒している間に、赤ちゃんから少女になっていました。息子もそうです。赤ちゃん時代、もっと楽しめばよかったわ。かつての子ども達には気の毒な事をたくさんしてしまいました。

かつて豊洲時代、娘に「ママはママ友達がひとりもいないから、お友達やそのお母さん達とランチしたり、イベントを楽しんだりしないし出来ないのよ」と言った事がありました。ママ友達で溢れ返る100年前の豊洲で、ママ友ゼロなんて私くらいでした。小さな子どもを持つ豊洲のお母さん達というのは、漏れなくママ友達を作り、どこかのグループに所属し、それぞれのグループのボスママさんを通じて他のグループとも交流を図るという事をしていました。

私はどこのグループにも所属していなかったので、いえ、正確には入っていたのですがボスママさんに嫌われグループを出され、ひとりになってしまたのです。 娘は言いました。「え、別にいいよそんなの。私忙しいし、学校で友達作るから」と。 かつて学校の代休で、私とふたりぼっちなのに疑問を抱き「どうしてお友達のお母さんとかと一緒にランチがないの?遊園地とか。みんな行ってるよ」と、不満をぶつけて来た娘はもういませんでした。

様々な出来事や私の姿を垣間見、ママに頼っていたら共倒れだわと思ったのでしょうか。自分でなんとかお友達やコミュニティを作り上げていたようです。ご近所の方もよく言っていました。「梨花ちゃん、本当にしっかりしていて偉いわね」と。そして私をチラッとみてくすっと...いけないいけない、被害妄想はやめましょう。

話を戻して豊洲島の事。この島は、30年前に東京が三度目のオリンピック招致の決定を受けて、国家の大プロジェクトとして作られました。今はタワーマンションが所狭しと立ち並び、江東区民の住む住宅地ですが、その前はオリンピック島でした。オリンピックの開催も選手村もメディアセンターも、全部この島だったそうです。そして、招致の最大の目玉は、「放射能除去装置」でした。

この放射能除去装置、精度は100%で、完全に放射能を除去できるそうです。100年前のオリンピックでその時の首相が「放射能は完全にコントロールされている」とスピーチし、「コントロールしているのは情報とオリンピック委員でしょう」と風刺されていましたが、今度こそ本当にコントロールされたのです。科学の進歩はすごいですね。こんないい時代が来るなんて、想像もつきませんでした。

この放射能除去装置、最初はこの豊洲島だけだったのですが、最近は日本の地方都市にも建設されています。そして同じように、この装置の周りは妊婦さんと、13歳未満の子どもを持つ家庭が優先して住める事になっています。そして、同じように「マザー」さんも「ヘルパー」さんも派遣されます。最近は「ナニー」という、お手伝いさんもしながら各子どもの教育もする方を派遣するという動きも出てきました。 でも現状は、児童相談所などで問題ありと判断されたご家庭のみに限定され、普通の家庭にはまだ縁がないようです。

でも今後はこうした方々も活躍する時代が来るような気がします。本当に人間の子どもが絶滅危惧種になってしまったら、日本の天然記念種トキのように、家庭だけではなく、国家で育成する必要が出てくるでしょうしね。 これは私の勝手な想像なのですが。 そういう訳で、オリンピックが終わった豊洲島は、放射能除去100%のクリーンな街としてリスタートした訳です。

そしてタワーマンションが次々と建設され、子どもを作りたいファミリーが入居してきました。子どもを作る予定のカップルも、誓約書を書けば入居できます。1年以内に子どもを作ります、という書類です。今の世界では、子どもを作りたい意思のある男女なら、99.9%くらいの割合で子どもを持つことが出来ます。科学だけではなく、医学もすさまじい勢いで進歩しています。 子どもだらけ、そして子どもの数だけママがいて、女性は群れたがるのでママ友グループが出来やすく、ママ友付き合いがとても濃い街です。

あら、どこかで聞いたフレーズだわ。どこで聞いたのかしら。

そんな豊洲島、ちょっと抜けた空気読めない私でも、きちんとママ友付き合い出来るかしら。100年前の豊洲島では悉くボスママさん達に嫌われ、グループを出されて村八分にされてしまい、それをブログに赤裸々に綴ったらクレームの嵐で炎上し、閉鎖要請によりクローズしてしまいました。本当に辛い時代でした。 でも、今度こそ大丈夫、だって、私にはあれこれと経験がありますし、学習した筈ですもの。

100年前の豊洲で、もう嫌だから引っ越したいと言った私に夫は「どこに行っても同じだよ」と取り合って貰えませんでした。そんな時代を経て、私も141歳です。亀の甲より年の功、 きっと今度こそ、ママ友グループでうまくやってみせます。「ボスママさん達には逆らない、余計な発言をしない、しない」の3無い運動です。ほら、ちゃんと解ってるわ、私。

子ども達のためには、特に下の息子はまだ4歳、ママ友付きのお友達付き合いが必須ですものね。頑張ります(^^)/

新しいエネルギー

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

これを書いているのは100年後にタイムスリップした私、もう豊洲には住んでいません、豊洲に出来た新しい街、豊洲島から発信ています。それが証拠に、こちらからは記事をアップ出来ますが、そちらからコメントバックは出来ないでしょう?そちらの科学は未だそこまで発達していませんものね。

こちらは100年後の世界、放射能除去装置もありますし、過去のネットワークにアクセスしてブログを書く事も出来ます。

未来のエネルギーは100年前、Softbankの孫正義さんが企業でバックアップしていた、Bloom エナジーサーバーがもっと進化し、これがほとんどコストもエネルギーも必要なく、新しいエネルギーを生み出しています。分散設置型の画期的な固体酸化物形燃料電池という訳です。こんなニュースも当時よく見かけて興味を持っていたのですが、やはりこれでした。

火力にも水力にも風力にも、勿論原子力にも頼らず、安全安心にエネルギー提供が出来る訳なのです。こんな世界、100年前には実現するとは思ってもみませんでしたよね。誰も想像しなかったと思います。でも私は以前のブログ「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」で「豊洲の未来」というタイトルで色々予想していましたよ。

そのせいでしょうか、自分が想像していたのと、そっくり同じ未来にタイムスリップした訳なのです。

「未来日記」とタイトル変えた方が良かったかもしれません。そうしたら、もっと色々書いておけばよかったです。私が「41歳でミス日本になる」とか、「アクセサリーデザイナーで大成功」とか、「レディガガやマドンナが顧客」とか、「豊洲ビエンナーレで大注目の大型女性アーティスト誕生」とか、えーとそれから「hyde さんの大親友」とか「直木賞受賞、昨年まで普通の主婦、普通のお母さんが」とか、「軽井沢でビルゲイツさんのお隣に別荘建築」とか...

夢は果てしないですね。

話を戻して、そんな新しいエネルギーを生み出す技術を成長させた功労者として、Softbank の孫正義さんは、ノーベル平和賞を受賞されたそうです。今は孫さんのお孫さんが跡を継いでいて、益々企業は大きく発展したようです。それはそうですよね、100年前でも大きな企業でした。

SoftBank、最初は小さなパソコンソフトやパソコン雑誌、書籍を扱う会社でした。その頃からやや大きくなりかけた頃、もうちょっと後でしょうか。知り合いの方が何人かいらして、会社に誘われた事があります。私もそういう仕事をしていましたから。でも、自信がなくてお断りしました。勿体ない事をしました。

そんなSoftbank の開発したエネルギーで、放射能除去装置は稼働しているそうです。それどころか、かつての原子力発電所で生まれた困ったちゃん、廃棄物核燃料がリサイクルされているそうなのですね。すごいですね、あんなにどうしようどこに捨てよううちはダメだようちだって困るよ海もダメだよ陸はもっとだめ、などと忌み嫌われた物質が、今はなくてはならない装置を動かすエネルギー。

頭のいい人っているものですね。この仕組みというか、放射能除去装置を開発した方は、勿論ノーベル物理学賞を受賞されたそうです。外国の方なので名前を覚えていないのですが...また調べておきます。

昔、100年前にテレビのニュースで話題になっていた時、夫や家族とこういう話をしていました。核燃料を完全に廃棄するのには、どうしたらいいかしら?と。夫は、「たったひとりの天才の出現を待つだけだ」と常々言っていましたが、本当にその通りでした。

凡人が、ああでもない、こうでもないと集まって話をしたところで、何も生まれません。たった一人の天才、この方の出現で、地球は救われたのです。でも、今からまた放射能ゼロでカウントを始めたとしても、もしかして手遅れなのではないかしらと思います。地球の生態系も随分変わったようですし、北極の氷も消滅しました。

何よりこの少子高齢化、一体平均寿命はどこまで伸びるのかと思います。豊洲島を出ると、本当にお年寄りだらけらしいです。それを今度、直接確かめる機会があるかもしれません。近々、豊洲島を出るかもしれないのです。用事が出来たのです。

なんでも揃う豊洲島ですが、私にとって必要なものがありませんでした。それは、パニック障害専門の医師です。100年後の世界には、パニック障害や鬱という病気はほぼ消滅していました。心の病にかかる人は少ないみたいです。

それでもなんとか専門の先生を探して、お隣の豊洲地区に専門らしき医師の方を見つけました。なので、その先生の診察を受けるために、豊洲島を出る予定なのです。といっても、お隣の豊洲に行くだけなのですが。

移動は勿論、都営バスの予定です。

豊洲島5丁目から乗車し、豊洲島3丁目→豊洲島2丁目→豊洲市場前→豊洲5丁目→豊洲総合病院前、ここで降りる予定です。自家用車はありますが、運転の仕方がわからないんですね。事故でも起こしたら大変。私は免許を持っているそうですが、私が取得した訳ではない筈ですから。そしてこのバス、なんと10cmほど浮いています。リニアモーターカーの技術なのかしら?

そして靴を履くと、私も5cm程浮いていました。いえ、歩行はしますが、地に足がついていません。まるでこれではドラえもんだわ。これも新しいエネルギーがもたらした技術なのでしょうか。詳しい事は、わかりません。また調べておきますので、お待ち下さい。豊洲島図書館にいちいち行くのは面倒です。早く「ブレイン」の使い方をマスターしなければ。

「ママ、しっかりして!」

おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

今日はやっと豊洲島からレポートしたいと思います。ブログって不思議です。今日はこれを書こう、そろそろ「ライトなラノベ」用の記事を、と思ってパソコンに向かいますね、でも思考と手は別々の意思を持っているようで、あれよあれよという間に全く違う記事が完成したりします。

昨日の記事もそうでした。パソコンの横に冊子が置いてありましたので、ついチラチラを見ているうちに、はっと気がついたら記事が出来ていました。頭の中では豊洲島のゆり子の続編、「ママ友マトリックス」のまとめ、豊洲にいた時、それから子ども達の事。いっぱい詰まっています。なのに突然「ニューモラル」。大変失礼いたしました。

それから忘れてはならないのが「hydeさんを大河ドラマに」の続編。そうです、まだ書き足りません、実は。

それはさて置き、豊洲島のゆり子の続きです。10cm浮いたバスに乗り込み、お隣の豊洲の病院に行くつもりのゆり子は、とある事に気がつきました。そうです、病院に行くときに忘れてはならない「健康保険証」どこにあるのかしら?

ダイニングでお茶を飲んでいたゆり子は、同じくダイニングテーブルでハッピーターン豊洲島限定バージョンを食べながら3DVDを観ている娘をチラチラ眺めだしました。ちょっと反抗的で、でもなかなかにしっかりしている娘。今のゆり子にとって、この子が命綱というのは大げさですが、頼るところはこの子だけです。

「あの、私、隣町の病院に行きたいの、それで...」

娘はチラとゆり子を見て、また視線を3DVDに戻します。3DVDというのは昔のDVDが3Dになったようなもの、裸眼でも立体的な映像が楽しめます。規格はブルーレイなどより遥かに大容量なのですが、DVDという名称だけそのままのようです。

ゆり子はモニターと娘の間に無理やり顔を出して、もう一度声をかけました。

「あの...」

娘は目がきっと吊り上がり、「ねえ、今私、忙しいのよ?」と言いました。

「お願い、バスの時間が迫っているの」
「バスなんて5分置きに来るじゃないの」
「じゃあ、日が暮れる前に病院行きたいのね」
「もうっ。お留守番しているから行ってきたら?」
「どうやって行ったらいいかわからないの」

娘ははっとした顔をして、ああそうだったという顔になり、「何がわからないの?」と聞いてきました。ゆり子はほっとして話だしました。

「付いて来てくれないかしら?初めは色々と心配で」
「えー?...私これから友達と豊洲島図書館に行く約束があるのよ」
「そう?じゃあ、明日にしようかしら」
「明日はチアの練習日なの」
「あ、そうだった?じゃあ明後日は?」
「明後日はプールの日」

かつて、豊洲に住んでいた時も同じようにゆり子の娘は忙しかった事を思い出しました。「豊洲の小学生は大変ね」と声をかけると、「えー?普通じゃない?みんなそうだもの」と返ってきた事を懐かしく思い出しました。豊洲島の小学生もなかなかに大変なようです。

「じゃあ、今日だけだよ。次からはちゃんと自分で行ってね」

あら?どこかで聞いたセリフ。そうだわ、豊洲にいた時も娘にこんな風にお願いした事が何度かあり、そして同じように返事が返ってきた事がありました。そうだわ、息子ちゃんのお迎え。娘にお願いすると決まって断られるのですが、なんだかんだと結局は行ってくれていました。豊洲にいた時の娘ちゃん、あれからどうなったかしら?思い出すのは娘の事ばかりです。

豊洲島の娘は胸のあたりを指であちらこちらタッチし、そしてひとり事を言いだしました。

「あ、慧ちゃん?私、うん、うん。ごめん、今日ちょっと用事が出来て、、、え?違うわ、ママが病院について来てっていうの。そう、うん...まだちょっと...」

そしてゆり子をチラッとみて視線をまた部屋の中に戻し「じゃあまた。明日学校でね」と言って、また胸のあたりをぽんとタッチしました。何をしているのかしら?それにひとりごとなんて・・・頭、大丈夫ですか?

「誰とお話していたの?...小人さん?」
「え?慧ちゃん、学校の友達」
「ふうーん、どういう仕組みなの?」
「えっ???...うん、あのね、ブレインっていう端末の操作パネルがここにあるから、ほら、指でこうして、ね」

さっぱりわかりませんでした。でも後にららぽーと豊洲島のSoftbankショップで操作方法を聞いて、やっと操作方法がわかりました。昔、携帯電話からスマートフォンに端末を変えた時のように、最初は手間取りましたが割とすぐ慣れました。そんな風に少しづつ、ゆり子は理解したのです。

慣れると本当に便利です。操作パネルはウエラブルで、朝起きた時に洋服を着るのと一緒に身につけます。スイッチを操作すると、電話も出来ますし、情報検索もできます。自身のパーソナルデータも全て入っています。情報は全てバーチャルドライブに入っているようで、管理は「情報管理省」というところで扱っているそうです。

この名称ちょっとダメですね。また後日書籍化する際に考えなおします。

ゆり子が驚いたのは、これらのデータは全てIPアドレスで管理されているということ。昔、戸籍を番号化するしないで揉めた事があったように記憶していますが、100年後は当然のようにナンバーで管理されていました。それはそうですよね、早くこうすればいいのにとゆり子は常々思っていました、やはりそうなっていました。

そしてIPアドレス、赤ちゃんが生まれると、ひとりにひとつ貸与されます。これは生涯変わらないそうで、ネットの書き込みをすれば誰が書いたかすぐわかりますし、ブログやネット小説も然り、何かのイベントにエントリー、入学、入試、就職活動など、それから何かのイベントに応募したり、懸賞、勿論タレントさんのコンサートの抽選などにも利用されるようです。ネットの匿名性はほとんどなくなったようです。

勿論個人情報については、表示される項目に制限があるようで、ゆり子が病院に行ってブレインを提示すると、100年前の健康保険証に羅列していたデータのみ提供されるようになっています。そのあたりのセキュリティは、様々な法律で決まっているようです。

100年前のゆり子は、忘れ物、無くしもののチャンピオンでした。一日に一回はスマホを探し、カードを紛失し、買ったものをどこかに置き忘れ、息子をお迎えに行くのを忘れ先生から電話がかかってきたり。年をとって痴呆になったとしても、誰も変化に気がつかないだろうと思えるくらいでした。

でも、この世界ではもうそんな事はありません。病院に行って、診察券を忘れただの、お財布を忘れただの、そんな心配もありません。全てはブレインにデータがありますし、決済もブレインで済ませられます。そこまで理解するのに、ゆり子は半月掛かった訳ですが、それでもなんとかブレインを使いこなすまでになったようです。

でも今日のお話は、その前のお話です。ブレインの使い方がよく理解できないゆり子は、娘に聞きました。

「身分証明書、どこにあったかしら?持っていないといけないんでしょう?」

外出する時は必ず持ってと、今朝も夫から何度も言われました。100年後のゆり子の夫も、100年前の夫と同じくらいいちいち小うるさい細やかな神経の持ち主のようです。

娘が言いました。「ブレイン着いてる?」
「うん、着ていると思う」
「じゃあね...」

ゆり子の手をとり、ゆり子の人差し指をゆり子の胸のあたりにタッチさせます。途端にゆり子の目の前にスクリーンが浮かびあがりました。いえ、スクリーンなのでしょうか?それしか呼び方が思いつかないのですが、目の前に塞がっている訳ではなく、ちゃんと周りも見えています。

「わあーすごい」

ゆり子はつい声をあげます。娘は「くすっ」と笑いながら、尚もゆり子の指をゆり子の胸のあたりをあちこち移動させます。

「指紋認証?」

ゆり子は思い当たりました。本人識別は、IPアドレスと指紋認証。な、なる程~。感心しながら目の前に広がる透明なスクリーンを眺めていると、「Health insurance」という文字がみえました。もしかしてこれが?

「あの、ヘルスインシュアランスって、健康保険?」
「え?健康保険?直訳すぎ。うん、そういう意味かしら?」

どういう意味かしら。よくわかりませんが、とにかくそういうものらしいのです。

「これで安心した?じゃあ、病院行きましょうか」
「待って、あの、もうちょっと見せて?」
「どうぞ、じゃあ私おやつ食べるから見ててね」

ゆり子は娘がその場を離れるのは、ちょっと困ったなと思いました。何故なら全てが英語だからです。英語、よくわかりません。Health insurance くらいはなんとか勘でわかりますが、長い文章となると全くダメです。娘にこれ以上頼るのはちょっと気が引けました。記憶を無くした事になっていますが、英語まで忘れてしまったと言っていいものかどうか。

豊洲島は言語は日本語ですが、媒体は全て英語表記です。新聞も、テレビのテロップも、雑誌も。豊洲島はオリンピックが開催された島。その時から全てが英語になっています。いえ、最初から英語がスタンダードな街でした。本当の日本のインターナショナル化は、この島から始まったと言っていいようです。

そんな事を考えながら、ゆり子は根気良く表示されているデータの単語を確認し始めました。

「name : yuriko morio」うん、私の、というより、100年後の森生ゆり子さんのデータといった方がいいかしら?私だけれども、私じゃない。でも私がこれから生きていくために必要なデータ。頭がこんがらがりそうね。

「Birth date;2072/03/05
Occupation; Homeworker
Husband:satoru morio
Eldest daughter :sun morio
Eldest son:ashitaka morio
Clinical history:xxxxx xx xxx xxxxx xxxxxxx
Outpatient treatment record:xxxx xxxxxxxx xx
・・・・・・・・・・・・・・・・ 」

え?子ども達の名前、sun? ashitaka?
サンとアシタカ?

Beautifill Name

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

今朝から熱心につぶやいていましたら、こんな時間になってしまいました。楽しい時間はあっという間といいますが、自分を曝け出すのに熱心になるというのはどうなのでしょうか。読んだ方、もしくはつぶやきの中に登場したスターの方々、少し引き気味かもしれません。

そしてhyde さん、何度も何度も話題にしていますので、yasu さん共々こちらのブログを一度や二度はご覧になっているかもしれません。

「こんな根暗なブログを書く信者...ちょっと困るかも」などと思っているかも…そしてyasu さんが「そうですよ、hyde さん。もし直木賞で名前を呼ばれても無視した方がいいですよ。危ないかもしれませんよ」などと熱心にお話されているかもしれません。

小人の声は聞こえませんが、自分の心の声はよく聞こえるようになりました。絡まった糸が、だんだん解けてきたのかもしれませんね。

ところで、今日は豊洲島ゆり子の続きです。ケモナーさんも一部完結されたようですし、もうあちらこちらで完結の文字がちらほら見えます。私もしっかりしないと。それでは、「ママ、しっかりして」の続きです。

「娘はサン、息子はアシタカ。一体どういう名付けセンスをしているのかしら?100年後の世界に存在していた私、いいえ、森生ゆり子さんが付けたのかしら。それとも、そうよ、夫に違いないわ。100年前の豊洲でも、梨花と龍馬というキラキラ✨ネーム、夫が考えて付けたといってきかなかったもの。

考えたのは確かに夫かもしれないけれど、数々の候補の中から選んだのは私なのに。選んだって事は、名付けたって事じゃないの?今思えば、100年前豊洲に住んでいた頃も、よくこんなどうでもいい事で喧嘩したものね。もう会う事もないと思うとちょっとせいせいする寂しく感じます。お元気でね、100年前の夫くん。さ・よ・う・な・ら

こんなに気が合わないなんて、そもそもどうして結婚したのかしら?とよく悩んだものだわ。別居?いっそ離婚?でもそれだと子ども達が可愛そう。それにどちらがどちらを引き取るか、などとよく口論になったものです。

夫は娘がマスト、私は勿論息子を連れていきたいけれど、職業も人脈もスキルも何もない私が連れて出たところで苦労させるだけですし、間違って新しいお父さんが出来たとしても、それはそれで心の負担になるだけです。

そうやって考えていたところに、突然のタイムスリップ。こんな事ってあるんですね。ママ友ゼロの豊洲からもすっきりお別れ出来ましたし、もうボスママさんとか(名前をよんではいけないあの幼児施設)での息子の立場とか心配しなくていい、そういうものとも決別できました。いえ、そうなってしまったというか、私の意思ではないのですが。

でも、こうなってしまって思うのは、ママ友ゼロでも豊洲に住み続けるとブログで大見得きったものの、やはり色々思うところはあり、相変わらず「遠くへ行きたい」と思っていたのではないかしら。なので神様が私をあまりにも気の毒に思い、こうしてタイムスリップさせてくれた、という事ではないでしょうか。

そうすると「はからずもママ友ゼロになってしまいました」と常々言っていますが、もしかして自分が望んでいたという事はないかしら?

いえ、それはないと思います。時々様々な自責の念で、子どもから顔を背ける事はありましたが、やはり子どもは幸せに守られて育ってほしいと祈っていました。それにはやはり友達に囲まれるということは不可欠で、それにはママ友はマストアイテムです。

でも、そんな風に思っていたから、ママ友が出来なかった、出来てもうまくいかなかったのではないかしら?わからないわ、わからない。私、悟ったふりをしていても、まだまだ何もわかっていないようです。

それより、名前。ちょっと聞いてみようかしら。

「ねえ、サン?そのお菓子美味しい?」

娘はいつもの通り、いえ、100年前の梨花と同じように眉毛をちょっと上にあげて「え?」という表情をした後、言いました。

「うん、美味しいよ。限定販売だから、今のうちに食べるの。」

どうやら名前は「サン」で合っているようです。

「へえーママにもひとつ頂戴?」
「いいよ、どれがいい?チョコ掛け、メープルシロップ味、塩バター、美味しいパウダー増量...」

それ、100年前の豊洲、とういか、普通にどこにでもあったわ。いつもの期間限定のハッピーターンよね?でもそんな事は言えません。

「じゃあ、チョコ掛け」
「ダメ、もうあと一個だから」
「(´-`).oO(なら聞かないで?) じゃあなんでもいいわ...それより、あなた自分の名前好き?」

また同じようにちょっと眉毛をあげて、「え?」という顔をした後に娘は言いました。

「う...ん、時々友達にからかわれるけれど、でも好きよ。ママとパパが私のために付けてくれた名前でしょう?ひまわりの花のように明るい方を向いて生きられますようにって。」

ああ、Sunflower!!のsun!?サンじゃなくsun?もののけじゃなくて?

妻の秘密

おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

参加してからというもの、常に2位か3位を行ったりきたりしていたこのブログですが、ついに「ライトなラノベコンテスト」4位に墜落です。3位と4位には大きな差があります、そう、オリンピックではメダルがあるかないか、大きな違いではないでしょうか。

なので、という訳ではありませんが、逆に少しペースを落としたいと思います。上位にランクインすると、余計な雑念がまとわりつきます。

「もっと面白い事を書かないと」
「ラノベ的にしないと」
「アクセス増やすにはあの記事を復活させようかしら」

今回のタイトルも「妻の秘密」ではなく、「人妻の秘密」にして、裸エプロンの画像にしてみようかしらと一瞬考えたりもしました。確かにそれだとアクセスが増えるかもしれませんが、売れなくなったタレントさんがヌードになり再起復活をかけるような事はできません。何故なら私はお母さん。

「将来娘にもみて欲しいブログを書く」それを思いだしました。

最近ブログやTweet に時間をとられてリアルな生活に支障が出てきました。なので、毎日書いていたブログですが、これからは短めに、隔日更新くらいの気持ちでリスタートしたいと思います。よろしくお願いします。

昨日の続きです。

ゆり子は、サンがSunfrower のsun だと知り感心しました。キラキラネームですが、素敵な意味が込められています。でもこうも思いました。

「本当にそうかしら?だって息子がアシタカよ?ひまわりのようにというのは、後からのこじ付けではないかしら」

夫が時々そういう変な後だしをしていました。弁の立つ夫がそうこじ付けや下手な言い訳を話すのを聞くと、本当に怒り倍増で、燃えたぎったものです。

いけない、イライラしてきたわ、もう昔の夫の事は忘れてしまいましょう。

「サン、そうなのよ。ママとパパの願いが詰まっている明るい名前なの。でも、弟はどうしてアシタカなの?…いえ、アシタカなのか、知ってる?話たっけ。」

「うん、その頃、もののけ姫の3Dデジタルリマスター版がヒットしていたから、サンのついでにアシタカって付けたんでしょう?」

「(つ、ついで...)」

思えば100年前の息子も、いつもこんな対応だったように思います。娘や娘のママ友付き合いで疲弊し、消耗しているうちに、勝手に大きくなった息子、出なくなったおっぱいを吸い続けた息子、娘と息子が社会に出てから様々な雑務が生まれ、対応できなくなった私をいつも補って助けてくれた息子、自分のスタイルを大切にしていた息子、信念をもっていた息子、プールのコーチに「不思議な生命体」と呼ばれていた息子。

どう考えても娘の1/2のリソースで成長したと思います。あの頃豊洲ではそうでしたから。誰もかれもが「二人目はどうしてもねぇ」「みんなそうよ」と言ってくれましたが、私はひとつの事にしか集中できない人、片手落ちでいい事と悪い事があります。息子の事はそういう意味で常に気になっていました。

そんな息子、今頃、いえ、もう今は100年後、彼はどんな人生を歩んだかしら?知りたい、会いたい、息子ちゃーん。

それにしても、サンとアシタカ。100年後豊洲島の森生ゆり子さんか、その夫、どちらの嗜好なのかしら。いいえ、多分、森生ゆり子さんね。話を聞いていると、どうもケモナーっぽいもの。多分、私と似ているもうひとりのゆり子さん。名前が一緒という事は、字画も一緒、性格も運命も似ている筈です。

「サン?今日はもう病院やめておくね。ママ、なんだか色々考えていたら疲れちゃったの。」
「えーーーーー??じゃあ慧ちゃんと図書館行けば良かった。ママはいつもそうなのよ。もうっ!!」
「あ、ごめんなさい。でも...」

バターン!!

怒ってダイニングを出て行ってしまいました。ごめんなさい、私、いつもそう。100年前の夫もいつも言っていたわ。でも夫には悪いと思った事はないけれど、子ども達にはいつも心の中で謝っていたのよ。

「ママ友達がうまく出来なくてごめんなさい」
「ママ友達と仲たがいしてしまってごめんなさい」
「いつもニコニコ出来なくてごめんなさい」

そして100年後の豊洲島です。神様の采配というより、自分の現実逃避が生んだ賜物のような気がして、自分が悲しくなりました。「もうやっぱりこんなお母さん、いなくて良かったのよ。

梨花、龍馬ちゃん、きっと私がいなくなっても、いいえ、いなくなったからこそ、楽しく幸せに暮らした筈。私がいなくなれば、私を嫌っていた人達だって、子ども同士遊ばせても問題ないと思ってくれた筈、お友達に囲まれて、いつもイベントに参加して、お友達の家にいったりきたり,,,私がいなくなって良かったのよ...

「たっだいま」

そこに夫が帰ってきました。え?こんな時間に?

「おかえりなさい、早かったのね」
「え?だって、今日病院ついてきてって言ってたでしょう?会社に事情を話して早びけしたよ」
「え?本当?いつ言ったかしら?」
「もう~ママはいつも...いや、ママは病気だものね。さ、支度して行こう」
「う....ん...じゃ、お願いします」
「車出してくるね、下で待ってて」

夫の顔をまじましとみてしまいます。100年前の夫と似ていなくもないです。いえ、似ています。そんなに高くない背、少し小太りな体躯、神経質そうな目つき、ぷりっとした唇からキリキリと言葉が零れ、それが今にも皮肉に代わりそうな口調。銀縁の眼鏡…

100年後、いえ、豊洲島のゆり子さんは、この人の何処が好きで結婚したのかしら。そして私は、100年前の夫の何処が好きで結婚したのだったかしら?

それより、私はこの人と、何を話せばいいかわかりません。でもそれは当然ですよね、夫といえど、初めましてに近いのですから。そうだわ、話題、あったわ。忘れないうちに今聞いてしまいましょう。ただの興味本位ですけれど。

「子ども達、大きくなったわね。今、サンと名前の話をしていたのよ。もののけ姫の登場人物の名前なんて、ねえ...」

語尾は濁します。すると夫は言いました。

「いいじゃない、本人達も喜んでいるみたいだし。それに君がこれがいいって言ったんじゃない。ほら、当時流行った「Beautifull Name」っていう名付けソフトが流行って、確か占星術に基づいて作られたんだよね。そこではじかれた中から君が…」

「占星術?」

「ほら、サンの同級生のお母さんで、占いする人が監修したやつ。君、色々あたり過ぎて怖いって言ってたでしょう?「Beautihuull Name」ではじかれた名前なら、頭脳明晰スポーツ万能、幸せな人生が送れるっていう触れ込みだったし、それから…」

相変わらず、いえ、この人もよく喋る人です。100年前の夫、どこにOFFのスイッチがあるか調べてみたいと常々思っていましたが、100年後も同じような夫…

それより名前を決めたのは占星術のソフトで?そうだったの。それって100年前の私達夫婦が、画数で名前をはじき出すサイトで夫が名前をどんどん出力して、私がその中から決めたっていうのと同じだわ。娘といい、夫といい、100年後でも何もかもが似ているのね。

「xxxx、xxxxx....」

夫がまた話し出しました。今度は私に向けてではありません。誰と話しているのかしら?ああ、ブレインで操作してどこかに電話しているのね。あら?待って?夫が話しているのは、英語?だとしたら、100年前の夫とは違うわ。

だって、100年前の夫はTOEICのスコアは高かったけれども、英語は話せなかったのよ。毎晩勉強していたみたいだけれど、あれから話せるようになったのかしら?私がやり残した家事をやってくれて、娘の宿題を確認し、何か資格試験の勉強をし、それから英語の勉強。夜中に目を覚ますと、彼はいつも勉強していました。まるで受験を控えた学生のように。

ああ、こんな風にまた夫の事を書いて、また「僕の事は書かないでよ」って叱られるわ。それに、夫自慢と思われるとまたイジメられるわ

でも、ここは100年後の豊洲島。私のブログは豊洲の方々は読めない筈、それにまたブログ始めたって、夫には内緒にしていますから。夫婦だからって、何もかも申告する義務があるなんて法律はありません。

ママ友ゼロにしてへそくりもゼロな私。このくらいの秘密はあっていいのです。

ママ友との遭遇

「ブレイン」を操作し、英語で話す夫に私は驚愕しました。そして、とても違和感を感じました。TOEICのスコアは良くても英語が話せない、そしご近所の外国人のママ友さんと挨拶する私の横でもじもじしている夫、それが私の夫だからです。私は思いました。「この人、やはり私の夫ではないんだわ、当たり前だけれども」

ブレインは英語でしかコマンドを受付ないようなんです。えーだったら私、使えないわ。まあちょっとづつ練習しましょうか。多分、単語を覚えればいいはず。昔英語でちらっと仕事していたこともあるし、なんとかなるんじゃないでしょうか。でも「なんとかなる」と思ってなんとかなったことって、あるかしら?まあ頑張ってみましょう。

「タクシー呼んだから行こうか?すぐ来るって」
 が言います。
「え?タクシー?いいですいいです、そんな勿体ない。私のタクシーポリシーは、タクシー使っていいのは、お年寄りとけがをした人、妊婦さん、小さな子どもを連れた人、それから・・・」
「今日は遅くなったから、もう行かないと病院終わっちゃうよ」
「そ、そうですか?なら私、やはりサンと行きたい」
「え?ならそう言ってよ?会社早びけしたんだよ?」

夫はぶつぶつ言いながらも、なんとなくスマートな身のこなしでサンを呼びに行きました。やっぱり夫じゃないわ、こんなこじゃれた人、当たり前だけれども。そして案の定、部屋のドアの向こうでは、サンの怒声が聞こえてきます。娘は100年後も変わらないのね。「xxx買ってあげるから」夫が取引しながらなだめる声が聞こえてきます。

「もうっ」娘のサンが怒りながら部屋に入ってきました。「じゃあ、行く?タクシー下に来てるって」私はほっとしてソファから腰をあげました。それからまた夫に細々と注意されながら、サンとマンションの下に降りていきます。

マンションのエレベーターは、大きな縦に細長い透明なカプセルのような形をしていました。そして、高い!窓から見える景色で想像はしていたのですが、私達の住んでいる階は52階でした。どれだけ高層なのかしら?まだ上に階層があるようです。

エレベーターに、住居階のボタンはありません。エレベーターの中にある名刺大のパネルに指をタッチすると、自分の住んでいる階に行くようです。ボタンを押していけるのは、下b5~5階まで、それから最上階上から5階まで、多分、共用施設の階なのでしょう。今度探検してみたいと思います。

エレベーターの中にチラシが貼ってあります。どうも最上階には天体望遠鏡があり、星を観測するイベントがあるようです。英語なので詳しくはわかりませんが、近々開催されるようです。

「サン、これ行くの?」指をさして聞いてみます。
「うーん、どうしようかな。特に大きなイベントがある天体じゃないから、行かないかも」
「大きなイベントの天体って何?」
「え?うーん、彗星とか、流星群が来るとか、そういうの」

成る程ね。そういえば100年前の去年は、夏休みに山へ行って、流星群を観たのでした。娘は眠い寒いと泣きながら、寝袋に入って観測していました。懐かしいわ、100年前の娘はどうしているかしら?

そんな事を考えていると、エレベーターは一瞬で地上に着きました。耳も痛くないですし、ふわっとする違和感もありませんでした。そしてエレベーターを降りると、足が浮いています。ちょっと怖い、滑って転びそう。娘はスケートのように滑りながら歩いています。私も、と真似をするのですが、きれいに滑りません。

「ママのシューズはローラーがついていないから、滑らないわよ」

ああ、そうなの。100年後でもローラーシューズは人気なのね。娘はさも慣れた風にすいすい滑って進んでいます。私はやや慌てて、タクシー乗り場に向かい、タクシーに乗り込みました。ちょっと形は未来形というのか、すらっとした形ですが、普通の車と同じ形状です。タイヤもありますし。

「豊洲総合病院までお願いします。ママ、すぐ着くからね」

サンがテキパキと指示してくれました。なんとこのタクシー、運転手がいません!自動運転?はああーなんか大丈夫なんでしょうか。マンションの車寄せからタクシーが発車しました。すうーっと動いて、体が浮いたような感覚です。多分、車が浮いているのでしょう。果たして窓から見る他の車も滑るように動いています。

道路もきれい、シンガポールもこんなかしら?ゴミひとつ落ちていませんし、道路のペイントも今塗ったばかりにはっきりくっきりしています。車の車輪が道路に触れないせいでしょうね。アスファルトも黒々としています。タイヤの粉塵も、排気ガスもゼロ。喘息持ちの子供もゼロになったかしら?

そんな所に感心していると、豊洲島と豊洲を繋ぐ橋に差し掛かりました。綺麗な橋ね、レインボーブリッジに似ているかも。色々な形の車があるのね。あ、あの車、100年前のと同じ形。

「ブロロロロロ・・・」

車が急に、音を立て始めました。周りをみると、信号が見えます。「豊洲5丁目駅前」

どうやらいつの間にか豊洲に入ったようです。他の車をみると、車輪が回っています。人も普通に歩いています。どうやら人や車が浮いて移動するのは、豊洲島だけのようです。

「豊洲・・・」

100年前にゆり子が住んでいた街、色々な事がこの街でありました。ママ友付き合いで苦労した事、娘の反抗に悩んだこと、(名前をよんではいけない幼児施設)の園長先生に叱られたこと、クリスマス会で息子の拘りに感心したこと、ボスママ達に次々と苛められ、仲間外れになった事、そして地域でも排除され、村八分のような状態になり、今度こそ豊洲から脱出したいと思った事、みんな、みんなこの街で100年前にあったことなのです。

ゆり子は胸が熱くなりました。懐かしい豊洲。やっぱりここは、第二の私の故郷なんだわ。

「ママ、降りて」

いつの間にかタクシーは大きな病院の車寄せに到着していました。私はは慌てて車から降ります。

画像1

「ここ、聖路加?」
「ママ、何言ってるの。聖路加は月島でしょう。ここは豊洲よ」
「なんだか似ていたから、ごめんね」
「ママ、ぼさっとしないで。ほら、車椅子の方を先に通してあげて」
「あ、ごめんなさい」

私は後ろから来た車椅子をよけて、道をあけます。

「ありがとうございます」

車いすを押した方がお礼を言いながら通り過ぎていきます。

「あら?ダリアちゃん?」娘が声をかけます。車いすを押す女性にくっついて歩いている女の子、どうやらサンの知り合いのようです。となると、車いすを押している女性はその子のお母さん?となると、、、、もしや、、、、

「ママ友?」

豊洲島に来て初めて遭遇する、ママ友かもしれません。私はドキドキしました。そして同時に100年前にママ友で辛酸を舐めつくし、あげく心の病に苦しんだ事も思いだしました。

今にも胸がきゅうーっとなり、倒れそうです。

でもここは100年後の豊洲、私を知っている人は誰もいない筈。挨拶よ、ゆり子。そして当たり障りのない会話を二言三言、そして会釈をして華麗に立ち去るのよ。余計な事は言っちゃだめ、目線も強く合わせちゃダメなのよ。さあ、今よ、相手がこちらに気がついた今のタイミング、ほら・・・。

「こんにちは、いつも娘がお世話に・・・・

挨拶をしないということ

100年後にタイムスリップして初めて「ママ友」に遭遇しました。ママ友付き合いでは、豊洲で散々な目に遭い辛酸を舐めつくした私ですが、ここではどうでしょうか。

「あの、こんにちは。いつも娘がお世話になっています」

車いすを押す女性に挨拶しました。笑顔が引きつっていたかもしれません、心臓がドキドキします。

「あ、いえ、こちらこそお世話になっています」

女性は軽くお辞儀をしながらやや他人行儀な挨拶を返してきました。なんだか慇懃無礼のような。もしかして、豊洲島の森生ゆり子さんも、あまりママ友付き合いは上手くいっていなかったのかしら?

挨拶をされた事で、かつて100年前の豊洲でのママ友セオリーを思い出してしまいました。

親しいママ友達同士というのは、最初の挨拶は声が一オクターブ高くなるのです。瞳孔が開いたかのように瞳がキラキラし、口は開きっぱなしで口角もぎゅっと上向きです。「一番素敵な笑顔をあなたにあげるわ」、というような。

「あーおはよう」
「昨日はありがとうねぇ」
「またねえ~」

勿論言葉使いもフラット、本当のお友達のようです。

そし逆の場合は、音域だけがフラットで、そしてあまり好ましくない場合なとは反対に低くなり、顔の表情も、上記とは正反対になります。勿論言葉使いは、やや堅苦しい感じの敬語。丁寧語ではありません。

「あ...おはようございます...」
「お疲れ様・・・でした」
「さようなら」

もしくは目線を合わさず挨拶をしない。
存在に気がつかない振り。
以上。

こんな感じですよね。

以前、前のブログを書く前までは、(名前をよんではいけないあの幼児施設)で、私に挨拶をしてくれる人はほんの数人でした。その数人に時間差で遭わない時などは、同じ学年のお母さん達誰からも挨拶をして貰えないという日々でした。

ある日「森生さん」と声を掛けられましたので、びっくりしました。その頃私の名前を呼んで声を掛ける人など誰もいませんでしたから。振り向くと、なんともいえない無表情なお母さんが立っていました。

「あ、こんにちは」と返事をすると、「集金...いいですか?」と。クラス全員で何かを購入し、その代金をお支払いしなければらなかったのですが、一体誰にどうやって渡せばいいのかわかりませんでしたので未払いでした。確か、ランチ会で集金しますというお知らせが一斉メールであったように記憶していますが、このあたりからママ友の何かの集まりというのに参加しなくなりましたので、この時もどうしたらいいかわからないでいました。

「あ、はい。えーと、これでいいでしょうか」

私は託す方が見えたらお渡ししようといつも持ち歩いていたポチ袋に入った代金をお渡ししました。

「はい、ありがとうございます」

その方は一度も笑顔を見せず、目線も最初合わせただけでずっと無表情のまま、勿論挨拶もありませんでした。そしてポチ袋を受け取ると、さあっと何処かに行ってしまいました。この時ほど情けない気持ちになった事はなかったと思います。

「ねえ、誰か森生さんに集金してきてよ」
「ええっ、逆切れされたら怖いわ」
「そうね、じゃあ、私が行くわ」

まるで猫に誰が鈴をつけるのか、そんな相談があったのではないでしょうか。そしてそういうやり取りがあったのかな、なんてちょっと思ってしまいました。そんな雰囲気を感じたような気がしましたから。

いえ、被害妄想ですね。きっとどこか体調が悪いか、何かその直前に嫌な事でもあったのでしょう。そんな時に笑顔というのはなかなか難しいですから。

それより、そんな時にわざわざ声を掛けて下さり、代金を運んで下さった、それを感謝しないといけないのに私ときたら。その節はありがとうございました。

でもその時は、

「何かが変わるだろうと期待して、いじめ会議なんかにノコノコと行くんじゃなかった」
「苛められても、仲間外れにされても、その後地域のママ友さん達全員に無視されたとしても、ただたじっと時が過ぎるのを待てば良かったのよ」
「その前に、ボスママさんに、BBQ行きたいなんて言わなければよかった」

そう思いました。

2013.3.10 の「いじめ会議」の後、ブログ閉鎖2013.10.25 まで、ずっとそんな日々が続きました。

こうして数字にして書いてみると、約半年ですね。うーん、よく耐えたなと感心します。今も別な意味で大変な日々となりましたが、その時に比べたら、そして、king of BOSSMAMAさんとのバス停での日々に比べたら、どうという事はないような気がします。

その後、ブログを書いた事で様々な誤解が解けたのか、それとも噂が75日経ち風化されたのか、普通に挨拶をして下さる人が出てきました。そして、なんとか未だ息子を通わせている、というところです。いえ、100年前のお話ですよ。その後どうなったかは知る由もありませんが、きっと子ども達、逞しく生きていてくれていると信じたいです。

それはさて置き。

サンのお友達のお母さんらしき方の挨拶を分析すると、低い声でやや丁寧な挨拶というのは、親しくないという印、しかもこれにプラス目線がやや流れがちというのは、「私にあまり関わらないでね」というメッセージにもなります。目線は普通だとしても、今回は後者に当てはまるのではないでしょうか。

あら?待って?でも待って?だんだん笑顔になってきたわ?立ち止まって、サンと娘さんらしき方がくすくすキャッキャッと話しをしているのを、ニコニコとみています。という事は、サンはこのお母さんにとっては「仲良くしてもいい娘」として認識されているのでしょうか。

私はほっとして、緊張が解けたように感じました。でも、早合点は命取り。何か話しかけて余計な事は言わない方がいいでしょう。でも、色々話しかけて色々聞いてみたい、知りたい、特にこの世界の、100年後のママ友事情を。

途端にいつもの好奇心がむくむくと頭を擡げてきました。100年前にあんなにママ友で苦労した筈なのに、本当に懲りない人です。

「ねえ、ママー、あっちのソファにいるからね」
「あ、待って、サン?受付終わってからにしてくれない?ママわからないわ」
「えーもう、受付の人に聞いて頑張って。ね?ダリアちゃん、行こ」

娘のサンはお友達とさあーっと待合にあるソファに行ってしまいました。車いすを押す女性とふたり、いえ、正確には車いすに乗った方と三人で取り残された形になり、一緒に受付に向かう事になりました。どうしましょう、いえ、困っている場合ではありません。お話するチャンスかもしれません。

「今日は暖かいですね」

相手の方から先に声が掛けられました。高くもなく、低くもなく、無表情でもなく、破顔でもなく、普通の声と普通の笑顔です。そしてそのまま去るでもなく、じっと私の返事を待っているかのような佇まい。かつての豊洲で、こんなほっとするような存在感を得たことがあったでしょうか。

かつて豊洲のママ友さん達といえば、いつもの群れ以外のものには、特にあちらこちらのボスママさんに排除され、どこの群れにも属していない私のようなお母さんに使う笑顔も労力はないとばかりに、なるべく関わらないように、挨拶をしたりしたら仲間だと思われて私まで同類になってしまうとばかりに、そそくさと通り過ぎる人達ばかりでしたから。

狭い歩道で遭遇しすれ違う時など、散歩させている犬を観察するふり、子どもに突然話しかけだして夢中になるふり、遠く道の彼方に視線を合わせて気配を察知しないふり、そういうものに慣れきって、人との挨拶というものが苦行のように感じていました。

コミュニケーションの第一歩はまず挨拶といいます。新しく言語を習う場合、まずは挨拶からというのもその通りだからです。

英語なら、Hallo(ハロー)
イタリア語 ciao(チャオ)
中国語 您好(ニイハオ)
韓国語 안녕하세요(アンニョン ハシムニカ)
ロシア語 Здравствуйте)ズドゥラヴストゥヴィティェ)
フランス語 bonjour(ボンジュール)
ドイツ語 guten Tag (グーテン ターク)
スペイン語 ¡Hola(オラ)
アラビア語 اَلسَّلامُعَلَىْكُمْ. (アッサラーム)

「挨拶」の「挨」は「近づくこと」、「拶」は「引き出すこと」、すなわち「挨拶」とは「自分から相手に近づいて行って、相手の気持ちを引き出すこと」なのだそうです。

挨拶をしないということは、コミュニケーションをとりたくないという意思表示です。こんな小さな事ですが、こうして普通のなんでもない挨拶に遭遇したせいで、今まで自分がどんなに「挨拶」で傷ついてきたのかと思い当たりました。こんな風に挨拶してくれる人、豊洲にいたかしら?なんて言うとオーバーなのですが、そういう事は日常茶飯事でした。

目の前の女性、この人はそうではないようですが、本当のところはどうなのかしら。人、特に小さな子どもを持つ母親という人種が信用出来なくなっていた私は、優しい表情のこんな小さな言葉掛けひとつとっても逡巡する癖がついていたようです。

それでも私は極めて普通を装って返事をしました。

「いいお天気ですものね」

これで良かったかしら?あっさりしすぎかしら?もう一言何か付けくわえようかしら?そんな私の胸の内を知ってか知らずか、サンのお友達のお母さんは、私のやや斜め前に佇み、そっとまた微笑んでいました。

ママ友会合禁止令

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

6日から夫が会社に、8日から娘が小学校に、9日から息子の(名前をよんではいけないあの幼児施設)が始まり、やっと今日一息ついていいます。どうも家にごちゃごちゃと人がいると、居心地が悪いというのか、何もする気が起きないというのか、家庭内でのコミュニケーションも億劫になってきているような気がします。

そのせいでしょうか。息子が突然、

「ママは子どもっていうものについて、どう思っているの?」

と、聞いてきました。びっくりしつつ、「次世代にDNAを運ぶ生命体?」などと答えたのですが、良かったでしょうか。いいとも悪いとも言わず、「ふーん」と言っていました。もしかして、「家族というものについて、どう思っているのか?」と聞きたかったのかもしれません。

他にも「死について」「人はどこから来たのか」「人間の最初は?」などと聞いてきました。5歳って、そんな事を考えるようになるんですね。娘もそうだったような気がします。

大きくなったのですね、成長しているんだなと感じました。

比べて私ときたら、相変わらずママ友がどうとか、ママハラがああだとか、全く成長していません。でも、大人になって尚成長したり、性格を変えるとしたら、余程何か大きなきっかけが必要だそうです。

・ものすごい努力をするか
・そういう大きなきっかけがあるか
・脳の病気での変化

私はどうでしょうか。大きなきっかけもありましたし、病気にもなりましたけれども、性格は変わっていませんし、成長しているとは言い難いです。努力が足りないのではないかと思いますが、努力をする力も性格に拠るところが大きいそうで、以前のままな私故、これも難しいと思います。

でも、子どもを持ち、ママ友達という世界であれこれあった事で、色々と気付いた事もありました。「自分って、こうなんだ」「こんな風に感じる人なんだ」「私は強い人ではないんだな」と。人付き合いで挫折するという事、昔も色々あったと思いますが、ぶつかったり仲直りしたり、離れたとしてもまた復活したり、やや他の人よりは濃いながらも普通の交流があったように思います。

それが、ママ友付き合いでは、にっちもさっちも行かず、もがけばもがく程どんどんマイナスな方向へ進んでしまう、私の意思とは関係なく。そんな感じです。でも思い切ってブログを立ち上げ、私だけではないんだなと思える事が沢山ありましたので、やはり書いて良かったと思います。

世の中にママ友で悩む人、私だけじゃなかったわ、と。

以前の「森生ゆり子Twitter」で、「ママ友会合禁止令出された小学校があり驚いた」と呟いた事があります。

去年の夏頃のお話で、今さらなのですが、あの小学校はどうなったでしょうね。禁止令を出したのが、その小学校の校長先生だとしたら、TOPが代わればまた総意も変わるかもしれませんし、「ああ、あんな事もあったのね」と、またママ友会合が復活されているのかもしれません。

私がタイムスリップしてたどり着いた豊洲島、ここでもそういう禁止令が発令されているそうです。娘のサンが付き添ってくれた、お隣の街豊洲にある総合病院で出会ったママ友さんが教えてくれたのです。

そして、そのママ友会合禁止令、豊洲島だけのものらしいです。以前の豊洲のように、ニューファミリーが大挙して集まり、家庭を築き、子どもを生み育てる島。

小さな子どもを持つ家族が多い訳で、ママ友が大量生産される島でもあります。こんな島にトラブルがないわけないわと密かに思っていました。なので初めて遭遇する、娘サンのお友達のお母さんに対して、緊張しつつ丁寧に挨拶をしたという訳です。

明るくて煌びやかで誰とでも気さくそうな素敵オーラのママ友さん、でも自分にだけ牙を向けられるという事、もう出来れば経験したくありませんでしたから、誰に対しても敬語くらいで丁度いいのです。

病院の玄関でニコニコされているママ友さんらしき方を前に、神妙な面持ちで対峙する私に、その方は言いました。

「ゆり子さん、私の事も忘れているのね」
「え?あの」
「お話は娘から聞いています、大丈夫ですか?何かお手伝いしましょうか」

ああ、そうでした。私は記憶障害ということで、昔の事は覚えていないという事になっていました。それにしても、親しそうなもの言い、豊洲島の森生ゆり子さんのママ友らしいですが、結構仲良しさんだったようです。

「ありがとうございます」
「受付はあちら、それから私は東十条桜子、ダリアの母です」
「森生ゆり子です。サンの母です」

そういうと、女性は「ぷっ」と笑いだしました。確かに初対面ではないとしたら、なんとも妙な挨拶に思われたのでしょう。私もおもわず「ふふっ」と笑ってしまいました。

緊張が解けたせいで、その女性と病院の待合のソファに座り、あれこれとお話をする事が出来ました。娘サンとダリアちゃんは学校外でも同じ習いごとをしているせいで、学校でも仲良しだそうです。ダリアちゃんの住まいは、うちと同じマンション、車椅子に乗っている方は、ダリアちゃんのひいおばあちゃん。子の方の病院の付き添いで豊洲にいらしたそう、週一の検診だそうです。

「ぴんぽーん♪森生ゆり子さん、診察室17番におこし下さい」

アナウンスが聞こえました。もっとお話したかったのですが、診察室に行かなくてはなりません。またお話したいのですが、どうしたらいいでしょうか。こんなに親しげにお話しして下さるなら、アドレスを交換しているでしょう。返ってからブレイン端末をあちらこちらデータを探してみましょう。メールをする練習にもなるかしら。同じマンションから、ホールでお会いするかもしれないし、またここで遭うかもしれません。

ともかく、これからずっと豊洲島で暮らす事になりそうなのですから、急いで親しげに振舞う必要はないでしょう。それに、こちらがご迷惑になるのは必須です。相手が歩み寄ってきてくれたら、こちらも一歩踏み出す事にしましょう。豊洲で2014年の年賀状を出す時に決めたマイルールでもあります。

一歩踏み出さないと友達は作れないとよく言いますが、頑張って一歩踏み出した時に友達が出来た試しはありませんでした。独身の時も、ママ友時代も。静かに、空気が変わるの待てばよかったのです。そしてその流れが心地よければ、静かに流されてみる。

そんな事を考える私に、女性は言いました。

「豊洲島だとお話ししにくいし、SNSは出来ないから、またここでお会いしたらお話ししましょう。そうだ、ご都合がついたらまた来週ここでお会いしませんか」
「豊洲島だと、ダメなんですか?SNSって、メールも電話も?」
「メールや電話、またおばあちゃんみたいな事を。。。いえ、ブレイン出来ないんです」

どうやらメールや電話とはもう言わないみたい。多分、スマホやLINEももうないというか、言わないのでしょうね。ブレインというのは、100年前の時代のパーソナルシステムの総括のような存在なのでしょう。

「豊洲島は、ママ友会合禁止令が出ているので、同学年の父兄同士のお付き合いは禁止なのですよ」
「え?ママ友会合禁止令?」

私はかつて豊洲に住んでいた頃、どこかの地方自治体の小学校で、こんな禁止令が出たとニュースでみた覚えがあります。どこの小学校だろう、ママ友で悩む人は私だけじゃない、そしてそういう取り組みをしている組織があるのだと思った覚えがあります。

「森生ゆり子さーん」

アナウンスが再度私を呼んでいます。行かなくては。でも。

「またここでお会い出来たら、ね。毎週この時間にここにいますから」

私は後ろ髪を引かれる思いで、診察室に向かいました。そうだわ、娘のサン、どこ?きょろきょろする私に、女性が言いました。

「サンちゃん?うちの娘と一緒に豊洲島図書館へ行ったみたいですよ」
「え?そうなんですね。黙って行くなんて...」
「ブレインにそう表示されていませんか?私の方にも娘からそう届いています」
「...はい、ありがとうございます」

女性に会釈しながら再度お礼を言い、ちょっと急いで診察室に向かいました。

ふと見ると、車椅子に乗ったダリアちゃんのひいおばあちゃん、うとうとされていましたが、目が覚めたようです。でもまだ夢心地なのか、ぼうっとして自分の足元を眺めています。

「おばあちゃん、起きた?お水飲む?」

女性がおばあさんに話しかけながら、私に会釈をしてくれました。実の娘さんなのかしら。こんな優しそうな人に介護されて、幸せなおばあさんね。それにしても、この病院の待合、見事にご老人ばかりね。若い方は、東十条さんのように、付き添いをされている方ばかり。

確か、豊洲島の豊洲島総合病院は、小さな子どもと若いお母さんでいっぱいだったわ。すごいコントラストね。豊洲、こんなにお年寄りばかりになるなんて。100年前に予想する人達もいたけれど、こうして現実をみてみると確かにその通りになった訳です。

でも、豊洲島が子どもでいっぱいになるなんて、豊洲島が出来るなんて、誰が想像できたかしら。

そんな事を考えながらも、私はある決心をしました。

今日どんな診察がなされ、診断が出ようと、毎週この曜日この時間に、診療予約を入れる事にするわ。そして、親しそうにしてくれるダリアちゃんのお母さんに、豊洲島のママ友事情について、色々教えて貰いたい。このチャンスを逃したら、こんな人にもう巡り会えないような気がするの。

※画像は拾い画です。

ばか!ぶす!けち!

2014年01月10日09:20

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

昨日今日と本当に寒いですね。夜娘を習いごとに迎えに行きましたら、雪がちらほら降ってきました。娘ちゃんはいいとして、息子ちゃんのアウター事情が急に気になり、今朝ほどユニクロのライトテックダウンをポチりました。

お正月過ぎるとあちらこちらでセールが開催され、うかうかと出かけると、あれもこれもと両手いっぱい持ち切れない程買ってしまう自分のサガを知っていますので、なるべくネットでお買い物するようにしています。

一昨日もビバホームに新しい土鍋を買いに行ったのですが、つい2Fに立ち寄り、そして1Fでも、あれもこれもと買ってしまい、自転車が山盛りとなり、後ろ座席に乗りたがる甘えん坊な息子を乗せ、その上に荷物を積みあげ帰ってきました。

でも、丁度買わなくてはと思っていたものがあれこれお買い得になっていて、けして無駄使いという訳ではないのでいいのですが。娘が欲しいというバッグとモコモコブルゾンも買ってあげられましたし、お気に入りで履きすぎてボロボロだったスニーカーも新しく買えました。

一昨年ママ友さんから、「それどこの?可愛い」と言われ「ふふふ、GUCCI よ」「え?うそ?」「うん、うそ。ビバの二階で買ったの」というやりとりがあったブーツも最安値になっていたので色違いが欲しかったのですが、自分の分はやめました。

大人はサイズが変わりませんしね。いいのです。

でも、ららぽーと豊洲、ちらっと覗いてこようかしら?書いていてすごく気になってきました。それにしても、豊洲がこんなにキラキラとブランド化されたのは、ららぽーと豊洲あってこそですよね。それまでは何か気の利いたものが欲しいとなると、銀座に行くしかありませんでした。

ショッピング、グルメ、エンターテイメント、病院、エステ、銀行…ないものって、何があるでしょうか?

一日遊んでいいと言われれば、オープンから閉店まで遊ぶ自信あります。実際行くと半日くらいはあっという間に過ぎてしまい、そして両手には,,,

そんな便利で楽しい「ららぽーと」。勿論、豊洲島にも「ららぽーと豊洲島」がオープンしました。ららぽーと豊洲がクローズしたので、新規というより、移転だったようです。2083年オリンピック開催後に住宅地として整備され、タワーマンションが立ち並んぶと同時にオープンしたそうです。

オープニングはグラミー賞を受賞した、歌手の「Hydie」さんがミニコンサートを開催したそうですよ。Hydieさんは名前の通り、100年前にカリスマ的な人気を誇ったL'Arc-en-Ciel のHyde さんの子孫の方です。私は一目見てわかりました。だっておじいさんにそっくりなんですもの。

病院の診察が終わり、待合に戻ると、東十条さんの姿はありませんでした。診察中だとしたら、少し待とうかと思いましたが、来週またここでと言って下さったのですから、その通り、来週の機会を待とうと思いました。

受付の人に会計について問い合わせたところ、ブレインで自動決算しています、ということでした。ふむふむ。

さて、どうやって家まで帰ろうかしら?あら?なんだか胸のあたりがもぞもぞするわ?なんでしょう。ちょっとそのあたりをポンポンと叩いてみました。すると、ふわっと何がが目の前に浮かび上がりました。サンの顔です。ホログラムのように、あちらこちら透けてみえます。

「ママ、ららぽーとにいるんだけど、アイス食べていい?」
ニコニコとした豊洲島の娘、サンが揺らめきながら話しかけてきます。
「あら?あなた図書館じゃなかった?」
「うん、でもお知らせで、ららぽーとで竹馬体験会があるっていうから来たの」
「ダリアちゃんと一緒なの?」
「うん、そう一緒」
ダリアちゃんの名前を出した途端に、ぱっと嬉しそうな笑顔がはじけます。本当に仲良しなんだなあと友達のいるサンが羨ましくなります。
「もうすぐ晩御飯じゃない?」
「おねがい。一個だけだから!」
「えーもう、一個だけよ」
「わーい、いいって」
「食べたら帰ってきてね、それから。。…」
「(ぶつっ、ぷーぷーぷー・・・)」

100年経っても私の娘って、どうしてこういう感じなのかしら?もしかして本当に私と血が繋がっているかと思うくらいです。
でも、同じ森生ですが、私の子孫という訳ではないようです。豊洲島の夫にさりげなく聞いてみたところ、出身も全然違いますし、家系図にも私らしき人は載っていませんでした。その上のご先祖様も違う名前でした。でもわざわざ「アイス食べていいか」聞いてくるなんて、素直で可愛いわね。豊洲の娘はもう少し小さかったけれど、これからどんな風に育つかしら。もう見られないかと思うとやっぱり寂しく悲しくなります。でももう仕方ないのかもしれませんね。

タクシー乗り場にはタクシーが列を作って並んでいましたが、私はその隣の都営バス乗り場まで歩き、豊洲島行きのバスに乗り込みました。帰りも5分置きにバスが来るようで、待たずして乗ることができました。介護や実家に行った帰りなのでしょうか?私くらいの年代の女性が、ひとりで何人も乗っています。中にはサンと同じくらいの年齢の子どももいて、母親に「おばあちゃん、これくれたの」なんて話しています。

豊洲に里帰り。

かつてはお盆やお正月は、住民の方ほとんどが帰省されるためにマンションの駐車場がからっぽになっていましたが、今は逆のようです。豊洲は新興住宅街ではなく、故郷の街になっているようです。

と、いうことは、私の住んでいたマンションも、誰が住んでいるかしら?もしかして娘の梨花が嫁き遅れて、ひとりで住んでいたりしないかしら。あのマンション、間取りがいまいちどころか、今三くらいあちらこちらリフォームしたいところがあり、息子ちゃんが小学校高学年になったらリフォームか、近所の間取りの多いマンションにリハウスしたいなんて言っていたわ。どうなったかしら?

あれこれ考えていると、程なく私の住むタワーマンションの前に停まりました。降りてロビーから部屋に上がります。いつも何階だったか忘れるのですが、指紋認証で自動的に自宅フロアに着きますので乗るだけです。防犯という意味でもすごくいいですね。そのフロアの住人が許可した人しか、そのフロアに行けないのですから。

玄関を開けると、わあっ。な、なに?

「ママっ、何処行ってたんだよ!お土産は?」

小さな生命体が玄関に仁王立ちしています。もののけ?いいえ、男の子です。100年後の豊洲島に住む森生ゆり子さんの息子さんです。この子はいつも思いもしない場所から登場して、私を驚かせます。

「お・み・や・げ・は・と・き・い・て・い・る!」

この話し方、怒った時の100年前の私の息子にそっくりです。お土産はありません。いつも帰ってくると、お土産はとうるさいので、100年前の私はこう答えていました。

「ママが無事ちゃんと帰ってきたのが一番のお土産よ」

すると、100年後の森生ゆり子さんの息子さんは、みるみる憎たらしい顔になり私に言い放ちました。

「ばか!ぶす!けち!」

気まぐれロボット

2014年01月11日23:33

こんばんは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

明日から旅行に行きますので、更新はお休みになるかもしれません。かもといいつつ、なります、きっと。今日は旅行の準備と、息子の合宿の支度をしたり、プラス、娘ちゃんが、珍しくお買い物に付き合ってというので、ららぽーとに行きました。全部終えたらもうこんな時間です

合宿の支度は旅行から帰ってでも大丈夫なのですが、「ママはちゃんと帰ってくるかどうかわからないから、支度しておいて」と言われましたので、今日やりました。

旅行、西日本へ行きますので、途中下車して地元に寄ってしまうのではと懸念しているようです。もう、いやだわ。行くなら行くとちゃんと言ってから行くに決まっています。何故そんな心配をするのかわかりません。

どうせ私なんて、家族だけじゃなく、ママ友さん達とか、新旧の友人知人、そんな風に思われているのでしょう。落ち込みませんけれども、あまり気分はよくないですね。でも、もしかしたら寄る事になるかもしれませんし、合宿の支度と送迎はお願いしておきました。

(名前をよんではいけないあの幼児施設)の冬合宿ですが、上の姉の時は、お正月を過ぎると、間近に迫るこのイベントを非常に嫌がり毎日朝晩泣きわめいていたのですが、下の息子はそうでもなく、「おやつ買った?」「ゴーグル入れてくれた?」などと、姉とは別な懸念が多いようで、あれこれ指示が飛んできたりします。

本当に「さかさまきょうだい」です。#「キャナリーゼゆり子の豊洲日記」より

話は戻って、今日の午前中はヘアサロンに行ってきたのですが、いつも担当して下さる美容師さんが、面白い話をしてくれました。

この方はもうかれこれ15年くらいのお付き合いになるでしょうか。なのでヘアカットの間は、ああでもない、こうでもないと取り留めもないお喋りを互いに展開するのです。私の小説の話、100年後の放射能除去装置のある豊洲島という構想をとても面白がって下さり、更に持論をあれこれと披露して下さいます。

「新しい発明ってまず想像から始まるものだから、そう言い続けていればいつか実現するかもしれないですね」

それから、話があちらこちらへ行き、何故かロボットの話に移り、

「ロボット開発の使用目的は、介護やサービスであるべき。何故ならロボットは感情がないので、そういう仕事もきちんと淡々とこなせる筈です。人間は感情が入るから、そういう仕事には向いていないですよ」

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私は感心しました。確かに人は気まぐれですが、気まぐれなロボットはいません。

介護って、感情の豊かな心優しい方が向いているんじゃないかと思っていました。そうすれば、例えばひとり暮らしの方や、家族と暮らしていても、そういう方がひとりでも多く接して下さるなら、豊かな介護が実現するのではないかしらと。

でも考えてみれば、確かに人は誰でも虫の居所というものがあり、弱い者に八つ当たりする生き物です。ママ友関係でも、私はいつも八つ当たり、排除される側の人でした。これも「当たりやすい人がそこにいるから、当たっただけ」という理由なのかもしれませんが、弱い者、八当っても声をあげない(だろうと思われる)人がそこにいれば、やや感情が高ぶっている時にはしてしまうのが人間ではないでしょうか。

だとしたら、やはり介護や、ちょっと問題が色々ありそうではありますが育児など、淡々と任務を遂行するロボットの方が適役かもしれません。勿論ずっとロボットだけというのは支障があると思いますので、例えば、人間は介護者の元へヒューマノイドロボットを送迎し、作業効率をチェックしつつ、介護者の希望により様々なプログラミングをするだけ、というような。

もし我が家に子育てロボットがいたら、、、「もうママいらない」と言われそうですね。

それなら、家事支援ロボットはどうでしょうか。私がキレる理由がぐんと減り、優しいニコニコママになれるような気がします。家事をロボットにお任せ出来たら、毎日毎日何をこうも散らかす必要があるのかとイライラしながら片づけをしたり、掃除機をかけたり、床に這いつくばって食べこぼしの拭き掃除したり、洗濯ものを干し、取り込んで仕訳、季節毎の衣替え、食事の支度など、する必要がなくなったとしたら...

いいですね。考えただけでニコニコしてしまいそうです。ニコニコママになれそうです。

豊洲のお隣、有明にある、未来科学館にはASIMO がいますが、彼らの動きはまるで中に人間が入っている?と勘違いしそうな程年々洗練されてきたように思います。

100年後の豊洲は、お年寄りばかりです。もしかしたら100年後にはロボットがもっと精密になり、人間そっくりで見分けがつかないような、ヒューマノイドロボットが様々なシーンで活躍しているかもしれませんね。

いえ、待って?豊洲総合病院からの帰り、帰省から豊洲島に帰る若いお母さん達でいっぱいと思っていましたが、もしかしてあれはヒューマノイドロボットだったのではないかしら?夕方にしては疲れた感じがしませんでしたし、みんなきちんとメイクして背筋も綺麗で、スタイルのいい方ばかりだったわ。

豊洲総合病院でも、やけに「お年寄りプラス介護者」が多かったけれど、人間だったのかしら?

ダリアちゃんのお母さん、東十条桜子さん、もしかして・・・?

ソノママノワタシデイイト

2014年01月14日11:06

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

今はアイランディーゼと呼ばれています、何故なら100年後にタイムスリップしてしまい、今は豊洲の湾岸に出来た豊洲島ということろに住んでいるからです。

先回お話した通り、家に戻ると玄関には小さな生命体が仁王立ちして怒っていました。お土産がないとわかると「ばか!ぶす!けち!」と私を罵倒します。こんな小さなうちからこんな言葉使い、全く親の顔が見たいものだわ。

一体、どんな教育をなさっているのかしら?なんて。

それでも、今後、この小さな男の子も私の息子として共に生活をしないといけない訳です。敵対していては仕方がありません。なので私は素直な気持ちで言いました。

「そうよ、私は馬鹿でブスでケチなの」

小さな男の子は「このお」と言いながら私の太ももの辺りをパンチしてきました。これが痛いのです。小さなゲンコツ、なのに強い力、痛点を的確にピンポイント攻撃されているようです。

「痛、痛いってば」

攻撃に怯んだ様子に満足したのか、くるっと向こうに走り去ってゆきました。そして手の届かないところに行くと、またこちらを見てにやっとしました。私が追いかけるのを待っているようです。

やんちゃな子どものようです。私は追いかける気力もなく、にこっと笑い掛けました。男の子は私の笑顔を見てちょっとびっくりした顔つきになり、家のどこかに行ってしまいました。

名前はアシタカ君、だったわね。もしかしてこの家でもきっといつもホッタラカシなのかもしれないなと思いました。私は豊洲での息子を思い出し、アシタカ君がちょと気の毒になりました。甘えたいのかしら?と。

これからは息子だと思って、いえ、そうなのですが本当はそうじゃない、でもそうやって生きていくことになるのですから、仲良く慈しんであげよう。

そんな事を考えていると、娘のサンが戻ってきました。

「ただいまあ。ママ聞いて、ダリアちゃん、すごいのよ!!」

興奮して、頬はバラ色、目がキラキラと輝いています。

「おかえりなさい、どうしたの?」
「あのね、ダリアちゃん、未来科学館の懸賞に当たって、タイムカプセル第一号を手に入れたのよ」

私はドキッとしました。

「タイムカプセル?あれかしら?未来や過去に自由に飛べるというやつ?」
「うん、そう。ほら、テレビでやっていたでしょう?」
「え?そんなのやってた?」
「ママと一緒にニュースで見たよ?」
「覚えていないわ」
「もう、ほら、同じDNAを持つ人のところに飛ばせるっていうやつ。自分の先祖か子孫にしか送れないって」
「すごいじゃない?そんなのが出来たの?」
「うん、お手紙というか、メッセージ限定だけれども、送れるって」
「すごいすごい、私も欲しいわ。そうしたら100年前の子ども達に送りたいわ」

「え?100年前の子ども達?」

「いえ、なんでもないの」

慌てて言いました。娘のサンは特に気にするでもなく、また話し続けます。

「でも、ダリアちゃんの当たったのもそうらしいよ、100年の未来か過去限定らしいから」

なんと。100年後の未来には、こんなすごいものが発明されていたのですね。リアルどらえもんの世界も、あともう一歩なのかもしれません。すごいすごい。

「すごいわねぇ~見てみたいわ」

心底感心する私に、娘のサンは、まるで自分の手柄のようにまた話しだしました。

「今度見せて貰う約束をしたの。ダリアちゃん、過去か未来か迷って、100年過去に送る事にしたんですって。亡くなった自分のおばあちゃんに今の自分の事を知らせる事にしたんですって!」
「まあ、おばあちゃん喜ぶでしょうね」
「うん、今メッセージを考えているところだって。メモを見せて貰ったの。私もそういうのに当たったら書いてみたいな」
「じゃあ、練習であたなも書いてみたら?」
「うん、そうする。じゃあママ、ご飯になったら呼んでね」

バタバタと自分の部屋へいってしまいました。やれやれ、忙しい娘ね。でも今日は習いごとの何もない日だし、自由にしたらいいのだと思いました。豊洲島の森生ゆり子さんは、どんな教育方針だったのかしら?ご主人はどんな風に考えているのかしら?一度話をしておかないといけないわね。

そういえば、豊洲島の森生ゆり子さんのご主人はどこに行ったのかしら?あら?息子さん、ひとりで幼稚園から戻ってきたのかしら?お迎えしなくて良かったのかしら?

「ゆり子さん、食事の支度が出来ていますよ」

後ろからいきなり話しかけられて、びっくりしました。ああ、そうでした。100年後の豊洲島には、家事を手伝ってくれるサポートの方が、希望する家庭にはひとり派遣されるのでした。勿論わたしも、いえ、豊洲島の森生ゆり子さんも依頼されていたようで、この方は娘さんが小さな時からずっといて下さったようです。

そうだわ、先日ヘアサロンで担当の方とお話したヒューマノイドロボットのお話しで思ったのですが、こうした家事介護育児などのサポートの方、ロボットではないかしらと思い当たったのでした。豊洲に住んでいた時も、こうしたニュースをみたことがありました。あまりにも人間に似ていて驚いたのを覚えています。

まじまじとお手伝いの方を見てみます。どことなく、私のリアルな世界の実母に似ていなくもないです。それに、ゆり子さんって呼び方。普通、お手伝いさんて、奥さまとか、ご主人さまとか呼ぶのではないかしら?

「あの、息子ちゃんのお迎え、してくれたんですか?」

声をかけるとお手伝いの方はにっと笑って

「はい、しておきましたよ」

と言います。ロボット的でぎこちないといえばそうですが、こういう喋り方の人と言われればそんな気もします。でもこの人の作る料理は美味しいですし、余計な事は言わないですし何もかも手際がよく、お手伝いさんとしては有能です。子ども達もこの人の言う事はきちんと聞いています。まるで厳しくて優しい本当のおばあちゃんみたい。

「ありがとう。今日のご飯何?」

実の母にどことなく似ているせいでしょうか。子どものように聞いてしまいます。

「いいえ、どういたしまして。今日の晩御飯は、あなたの好きな煮込みハンバーグ。。。。煮込みハンバーグ。。。煮込みハンバーグ。。。煮込み。。。。。。。ピッピッピッ。。。ピィーーーーーー・・・・」

「きゃあっ」

思わず悲鳴が出てしまいました。「どうしたの?」どこからか夫が飛び出してきます。

「あー煮込みハンバーグ、か。君、煮込みハンバーグリクエストしすぎで、ここのプログラムのレコードが摩耗しているんだよ。取り換えないとダメかな、プログラムを変更しようかな。」

夫はお手伝いさんの首の後ろをプッシュしました。するとお手伝いさんが押し黙りました。

ああ、びっくりした。ロボットだったんだ。全然わからなかった。今の技術ってすごいわ。これならタイムカプセルが出来たとしても不思議ではないような気がしてきました。人類の科学へのアプローチのスピードは、この100年で加速したのでしょうか。もう何を見ても不思議ではないような気がします。

「もう煮込みハンバーグのプログラムだけdelete していい?どうしてもここでショートするみたいなんだよ」

煮込みハンバーグ、かつて実の母が実家でよく作ってくれたメニューです。100年後の豊洲島の森生ゆり子さんも、そうだったのでしょうか?だとしたら、私がdeleteする権限はないのかもしれません。もちろん私がこれからもお付き合いするロボットで、道具と思えばいいのかもしれませんが、ヒューマノイドとヒューマンとの違いをまだきちんと認識できません。

ロボットに感情はないのかしら?言い方を変えると、ロボット側に心や感情があるかないかだけではなく、それをどう受け止めるかという、ユーザーと言ったらロボットに失礼ですが、サービスを受ける側の認識や感情はロボットに作用されないのでしょうか。そんな風に思ってしまいました。

「なるべく煮込みハンバーグはリクエストしないから、今はそのままにしておいて」

私はお願いしました。

「大丈夫?じゃあ、とりあえずこのままにしておくよ」

夫がまたロボットの首の後ろを押しました。たちまちロボットに表情が戻り、にこっと私に笑いかけました。私はまたドッキリしました。まるで「ありがとう」と言っているように感じたからです。

「ソノママノワタシデイイト イッテクレテアリガトウ」

そんな声がいまにも口元から零れそうな気がしたのです。

ママ友ロボット

2014年01月22日19:10

「お手伝いさんロボットのプログラム」をそのままに、と夫に嘆願した時、ロボットさんがほほ笑んだような気がしましたが、やはりそれは気のせいだったようです。それもそうですよね、ロボットに感情があったとしたら、すごくややこやしい世界になりそうです。

お手伝いロボットさんは、Type Mother:M5SN という名前だそうです。子ども達も夫も、そして私も、「お手伝いさん」と、味もそっけもない呼び方をしていますが、ロボットなら気を悪くされる事もなさそう。余計な気を使わずに、色々お願いする事が出来て助かります。

他には介護用ロボットというものが存在し、Type Angel やType Helper などなど、ジャンル分けされているそうです。Helper は普通の介護用で、Angel は、かなりなお年寄りに元気を出して貰うというような役割もするそうです。初恋の人や、亡くなったご家族などに似せるカスタマイズが出来るのが特徴です。

人生の最後くらい、好きな人、好きだった人と一緒にいたいですものね。尤もAngel のエンジェルは、エンジェルケアを連想させるので名前を変えようという動きもあるそうですが、清らかで温かいイメージが良いという意見もあるそうで、賛否両論だそうです。私は可愛い名前でいいと思いますけれど。

そんな事を考えてロボットさんを眺めていると、急にこちらを振り向き言いました。

「ゆり子さん、病院に行く時間じゃないの?」

Type Mothe だけあって、まるでお母さんのような話し方です。これも理由があって、実家が遠い方も心細くないように、実のお母さんがそばにいるかのようにカスタマイズされているそうです。これも、とてもいいアイデアだと思います。ひとりぼっちの育児、本当に孤独を感じますものね。バーチャルでも母がそばにいてくれると思うと、ほっとします。

それよりも、そうでした。今日は豊洲総合病院に行く日でした。初診の日に担当医師と話をしたのですが、わざわざ豊洲まで来られなくとも、豊洲島総合病院で診察出来るように配慮しましょうか。私の所見では、パニック障害も落ち着かれているようですし、安定剤くらいでよろしいかと思いますよ。などと言われるではないですか。

そんな事をしたら、東十条桜子さんと、ここ豊洲総合病院で待ち合わせ出来なくなります。せっかく出来そうなママ友さんだもの、逃してなるものですか。いえ、また是非お会いしたいもの。

「先生、こちらで大丈夫です。あの、知り合いのお見舞いにも来る用事がありますし、こちらの方が都合がいいのです」

私は咄嗟に嘘をつきました。そんなやりとりがあり、毎週豊洲の方の病院にお邪魔出来ることになったのです。

先週はサンが一緒でしたが、今日はひとりで行くつもりでした。でも、今日はお願いもしていないのに一緒に行くというではないですか。なんでもお友達のダリアちゃんと、病院の待合で会う約束をしたそうです。

「病院で待ち合わせなんて、他の方にご迷惑よ。図書館かスカイルームに行ったら?ほら、マンションの最上階にある部屋で」

「ううん、今日はダリアちゃんが、おばあさまにタイムカプセルを見せに行くっていうから、私も見せてもらう約束をしたの」

「え?タイムカプセル?私もみたいわ」

「ママも見せてもらうといいわよ。ね?一緒に行こう」

優しい娘です。豊洲島の森生ゆり子さん、優しいお母さんだったのでしょうね。かつての私の娘は、私がいつもイライラしているせいで、だんだん私に心を閉ざしてしまっているような気がしていました。豊洲島の森生ゆり子さん、もし私と入れ違いになって、豊洲にタイムスリップしたとしたら、色々お困りではないでしょうか。

反抗的な子ども達、くどくどと口煩い夫、うまく機能していないママ友ライフ、あの幼児施設・・・

でも、豊洲島にいらした森生ゆり子さんなら、結構そんなところでもうまくやってくれている気がします。何よりサンちゃんの明るさ、優しさがそれを物語っている気がします。子どもを見れば親がわかるとはよく言ったもので、色々反省させられます。

「ママ、次降りるわよ」

豊洲総合病院は今日もお年寄りでいっぱいでした。そうだわ、介護用ロボットさん、どれがAngel でHelper なのかしら。全員人間に見えます。ロボットはこうした待合や診察には付き添わないのかしら。

そっと辺りを伺いますが、さっぱりわかりません。

「そうだわ、東十条桜子さんのロボット疑惑・・・なんてね、そんな事、ある訳ないわね」

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受付を済ませて、待合のソファに娘のサンと共に座ります。豊洲島小学校の話、クラスで席替えがあった話、仲良しのお友達のこと、図書館で借りた本の感想。次から次へと、嬉しそうに話します。私はうんうんと聞いていました。何か気の利いた合いの手も、批判も肯定もなく、ただただ、ふんふんと。

うーん、いい感じだわ。仲良し親子の会話ね。

どうして私、豊洲の時に、娘にもこうしてあげなかったのかしら。やはり自分の娘だからかしら。聞く話聞くはなし、色々心配になってついつい色々とアドバイスや勝手なお節介的な口出しをしてしまっていたけれど、娘はきっとそんなもの望んでいなかったでしょう。

サンちゃんは私の娘だけれど、本当の娘じゃない、なのでこんな風に気楽に話を聞くことが出来るのでしょうね。

「あっ、ダリアちゃん!」

サンちゃんが、私の背後に視線を移し、嬉しそうに叫び、さーっと行ってしまいました。東十条桜子さんも一緒でしょうか。私もダリアちゃんの方に振り向きました。

「こんにちは、ゆり子さん。お会い出来ましたね、良かった」

車いすを押した東十条桜子さんが、声をかけてくれました。

まだ二度目なのですが、なんだかとても懐かしい気持ちになりました。彼女の笑顔、前も思いましたが、見るとほっとします。豊洲島に家族以外知り合いが誰もいないせいかもしれません。私を知っていて、そして笑顔で話しかけてくれる、そんな人がひとりでもいるという事、嬉しいことなのです。

いえ、探せば、調べれば、かつての豊洲島の森生ゆり子さんのお知り合いが他にもいるかもしれませんが、私はそんな気になれませんでした。100年前の豊洲でママ友付き合いに挫折した私、そんな元気も気持ちもありません。

そんな中、東十条さんにお会い出来た事は、なんだか偶然には思えないような、必然といったら大げさですが、そんな風に感じていました。

「こんにちは、桜子さん。ダリアちゃん」

車椅子の方は今日も頭を傾けて眠っています。なので私は、桜子さんとダリアちゃんだけに挨拶をしました。

「マンションのエントランスでお見かけしたんですけれど、同じ学年の子どもを持つお母さん同士は、立ち話も禁止なの。だから声をかけなかったわ」

「え?そうなんですか?色々大変ですね」

まるで他人事のように答えてしまいました。それにしても、未来の「ママ友禁止令」すごいですね。そうしなくてはならない何かがあったのでしょうか。

「ママ、ほらあ、これがダリアちゃんのタイムカプセル」

娘のサンが自分の事のように、嬉しそうに言いました。そして、得意そうなダリアちゃんの手元を見ると、青いテニスボールくらいの玉がちょこんと掌に乗っています。よく見ると、メタリックな素材で出来ているようです。小さなボタンがあちらこちらに着いています。これが時空を旅する物体なのでしょうか。俄かには信じられませんが、これがタイムカプセルだそうです。

「これが時空を旅するなんて、すごいわね。良かったわね、ダリアちゃん」

ダリアちゃんは嬉しそうに、玉を手で覆うようにして答えてくれました。

「今日はお婆ちゃんの診察の日だから、お婆ちゃんにも見せにきたの」

それを受けて、桜子さんが言います。

「タイムカプセルなんて、本当かなと半信半疑なんですけれども、ダリアがおばあちゃんの母親にメッセージを送りたいそうで、色々聞きに来たのです。でも、本人は寝ている事が多くて」

私はまたダリアちゃんに言います。

「ダリアちゃん、どうして大お婆ちゃんにメッセージ送るの?」

「だって、私が今いるって事を教えたいから。未来だと、メッセージ貰っても知っている事ばかりでしょう?」

成る程、なかなか賢い娘さんだわ。確かに未来へ送るメッセージなら、今書いたものを残せばいいだけで、過去に飛んでこそタイムカプセルの意味があるのでしょうね。私のように本人が飛ぶ訳ではありませんから。

それに100年というのも微妙だなと思いました。100年って、過去でも未来でも、そんなに遠い未知でもありません。行っても行かなくても、何かが多少変わっても、あまり歴史的影響はなさそうです。

少し会話の声が大きかったのかもしれません。車いすの女性が目を覚ましました。先回も眠っていらしたので、多分私的には初めましてなのですが、豊洲島森生ゆり子さんからしたらそうではなく、こういう場合なんと挨拶しようかしら?

目を開き、きょろきょろした後私にゆっくり目線を移し、不思議そうな顔をしました。

「おばあちゃん、ダリアのお友達のサンちゃん、それからサンちゃんのお母さん」

「あ、はい。こんにちは・・・」

少し笑って、それからキョトンとした惚けたような表情になり、私をじっと見つめています。この表情、何処かで見たような気がします。何処だったかしら。知り合い?いいえ、そんな筈ありません、100年後に知り合いなどひとりもいませんから。

それに、かなりなお年みたいだけれど、何歳くらいなのかしら。聞いたら失礼ね、後で桜子さんにそっと聞いてみようかしら。その前に、まだ色々聞きたい事があります。ダリアちゃんのタイムカプセルのせいで、なかなか聞きたい話しに移れません。

あら?何かしら、このピッピッっていう小さな電子音。桜子さんの方から聞こえてきます。

ふいに桜子さんが言いました。

「ダリアちゃん、ママ、エネルギーチャージしてきますね。ゆり子さん、まだいらっしゃる?ちょっと失礼しますね」

えっ?エネルギーチャージ?電子音?ということは、やはり桜子さん、ロボットだったのかしら?全然わからなかったわ。こんな風に普通の会話もできるのね。そういえば、うちのお手伝いロボットさんもそうだったわ。

という事は、桜子さん、ママ友じゃなく、ママ友ロボット?

ブログ閉鎖要請

2014年01月25日07:01

「チャージしてくる」と言って何処かに行ってしまった桜子さんを唖然として見つめる私に、娘のサンが言いました。

「ママ?どうしたの?」

「ね、ダリアちゃんのお母さん、何をチャージに行ったの?もしかして・・・」

「え?車いすにじゃない?エネルギーが切れると自分で押さないといけないからでしょう?」

ああ、そうなのね。車いす、電動なの。そういえば、かつての豊洲でも、小さなギアのついた電動車いすのようなものに乗ってらっしゃる方を何度かお見かけしました。私はてっきり桜子さんがロボットで、ご自分のエネルギーをチャージしに行くのだとばかり。

よかった、変な事口走らなくて。「あなた、ロボットなんですか?」なんて。

赤面しつつ桜子さんを待っていると、すぐに戻ってみえました。すると、ひとりの女性と一緒です。女性はダリアちゃんのおばあさんの車いすを押しています。雰囲気や服装からすると、看護師さんでしょうか。聞けば果たしてそうでした。

「ゆり子さん、ごめんなさい。ちょっとおばあちゃんの弟さんの病室に行く事になったので、今日はこれで。またお会いしましょうね。来週もきますから」

車いすを押している看護師さんは、私に笑顔で会釈をします。とても綺麗な女性です。笑顔も艶やかで、大輪の薔薇が花開いたよう。あら?この方も誰かに似ているわ、そうそう、確か…

「ダリアちゃん、またね」

娘のサンがちょっと残念そうにダリアちゃんを見送ります。

「あーあ、ダリアちゃん、いいなあ。おじいちゃんもおばあちゃんも近くにいて。今日はおばあちゃんの弟さんにもタイムカプセル見せるんだって」

という事は、あのおばあさんの弟さんは、この病院に入院されているのでしょうか。ご親族の方が皆さん近くにいらっしゃるというのは良いことですね。病気で入院されていても、こうしてちょくちょく面会出来ますし、おばあさまの方も多分豊洲近辺にお住まいなのでしょう。大きな病院が近くにあるというのは心強いものです。

かつての豊洲も、病院の建設が始まってからもマンション建設ラッシュが続いていましたが、そのせいで更に人気が上がったのでしょうね。いえ、私はその病院のオープンを見ていません。その前にタイムスリップして100年後の豊洲島に来てしまいましたから。

でもこうしてお邪魔してみると、お年寄りばかりで、それが豊洲が新しい街ではなく、故郷の街になっているのだと実感しました。時は流れてゆきます。あの時様々な悩みを豊洲で抱えていましたが、タイムスリップで100年経ち、豊洲の海の泡のように消えてしまっています。なんだか不思議な気持ちがします。

それより、あの看護師さん、桜子さん達とちょっと親しそうだったけれど、何かあるのかしら?

「ねえ、サン?ダリアちゃん達と一緒の女性、看護婦さんかしらね?随分きれいな方ね」
「ああ、Angel さんじゃないの?」
「Angel さんて?」
「介護ロボットでしょう」
「えっ???」

そうなの?ロボットなの?もう全然わかりませんでした。とはいえ、うちの「お手伝いさん」も故障するまでわかりませんでしたので、今回もわからなくても当然かもしれません。そうなんだ、そうなんだ・・・

そう思って周りを見渡すと、診察を待つ方の付き添いのような方々、全部そうなのでしょうか?いえ、本当にどれが人間でどれがロボットなのか、見分けがつきません。100年後なんて大して変わらないわなとど思っていましたが、密かにみっちり科学は進歩していました。

ヒューマノイドロボットの漫画を描いていらした手塚治虫さんにお見せしたら、なんておっしゃるでしょう。

そんな事を考えつつ、いつもの診察をして、もうお薬だけなので豊洲島の病院でもいいですよという先生を誤魔化し、来週もこの病院へ来る算段をつけてから病院を後にしました。

家に戻ると息子のアシタカが、オムライスを食べています。ちらっとこちらを見て、すぐにまた熱心に食べだしました。「スープおかわり」と言っています。「ママがやろうか?」と声を掛けようとした時、夫が帰ってきました。

「たっだいまおっ、オムライス。僕、これ好きなんだ」

「あなた食べ物で嫌いなものなんてないでしょう」という軽口は引っ込めて、「私、しましょうか?」と声をかけます。美味しそうにオムライスを食べる夫の前で同じように食事をしながら、今日の出来事を話しはじめました。それから、桜子さんの言っていた「ママ友会合禁止令」についても聞いてみたのです。

「「ママ友会合禁止令」って、いつ頃からあるの?SNSもダメなんて、徹底しているわね。不便じゃないのかしら?」

すると夫の顔色がちょっと変わり、言いました。

「何言ってるんだ、君がブログなんて書いたから。そしてその後失踪したでしょう。大きなニュースになったんだよ」

「え?ブログ?失踪?」

「そう、君がママ友付き合いでイジメにあった顛末やらをブログに綴りだして、その後いなくなったんだよ。捜索隊が豊洲島のまわりの海にまで出て、ニュースや情報番組で一時特集が組まれたりしたよ?」

「えええ?そうなの?大変だったのねぇ」

まるで他人事のような言い方ですが、本当に他人事、私の体験ではないので、そうとしか言いようがありません。それにしても、豊洲島の森生ゆり子さんも、ブログを書いていらしたのですね。しかも同じようなテーマで。ブログ、読んでみたいわ。是非。

「そのブログ、読んでみたいわ、どこにアップされているの?」

「もう、何言ってる・・いや、覚えていないのかな。ブログは閉鎖要請がありクローズされたんだよ。そして、イジメられた上にブログまで非難されて閉じる事になったと悲観した君が失踪というか、蒸発というか、消えていなくなってしまったんだよ。覚えていない、よね?」

な、なんですって?ブログ閉鎖要請!?かつての豊洲での私と、そっくり同じじゃないの?どういう事?

そして、その後失踪だなんて。もしかして100年前の豊洲でも、私がいなくなって大騒ぎになったのかしら?ニュースや情報番組だなんて。顔が出てしまった?困る、困るわ。本当に困ります。

だって、私がマスメディアに顔を出す時は、直木賞を受賞する時だけって決めていたのに。

100年後の豊洲島の「森生ゆり子」さんも、ママ友についてのブログを書いていらして、そして赤裸々に書きすぎて炎上し、閉鎖要請の後そのブログをClose した、それは多分ですが、子ども繋がりの、子ども絡みの関係者からの要請だったに違いありません。私がそうでしたから。

そして、そのまま「森生ゆり子」さんは、失踪した、いえ、消えてしまったというのです。

私は愕然としました。かつての豊洲の私と、まるっと一緒だったからです。驚きよりも、驚愕の方がぴったりでした。そしてこうも思いました。

「そうしたら、豊洲の私と、豊洲島の森生ゆり子さん、入れ替わったんじゃないかと漠然と思っていたけれど、やはりその通りだったのではないかしら」

タイムスリップや時空を超えたというお話を読む度に、そこから消えた人はどうなったのかしら、よく失踪や蒸発したというニュースで、ああ、時を超えてしまったのかしらなどと思ったのですが、そうは簡単にいかない様々な事情や事件もあったようです。それを鑑みても、時空を超えるとか、未来に飛ぶとか、過去にさかのぼってしまうということ、どういう仕組みなのかしらと不思議に思っていました。

あの、そんな事ばかり考えている頭のいっちゃってる人ではありませんので、勘違いしないで下さいね。このブログだけです、ライトなラノベだからです。よろしくお願いします。

という訳で、豊洲島の森生ゆり子さんと私、やはり入れ違いになってしまったと考えていいのかしら、などと思いました。

そして、以前この世界にいらした森生ゆり子さんのブログ、もう閉鎖してしまって読めないと夫はいいます。そして、そのせいで「ママ友会合禁止令」。どういう事でしょうか。もっと知りたいです。

こういう時はどうしたらいいでしょうか。そう、まずは夫の口をほぐさねば。私はお手伝いロボットさんにこっそり、甘いものとお茶を持ってきてとお願いしました。なるべく豪華で甘いやつを、と。

このお手伝いロボットさん、本当に出来た人、いえ、なんといえばいいのかしら、よくわかっています。まるで、腹ペコ青虫の土曜日かしらと思う程、様々なスィーツを運んできてくれました。

「あれ?今日なんかあった?」

夫がそれを見て、急に顔がぱっと明るくなりました。夫だけではなく、好きなものを前にすると人間はみなそうです。夫は甘いもの、私はHydeさん、娘は、息子は、なんでしたっけ?ダメ母です。すみません。

気持ちのほぐれた夫は、様々な事をベラベラと話しだしました。

私が失踪した後、大きなニュースになり、捜索隊まで出たそうです、そして、遺書ではありませんが、閉鎖して消えたブログのキャッシュがとある週刊誌に全文掲載され、大きな社会問題になったそうです。

「ママ友いじめ、ママハラは、誰も知らないところで行われ、そして声をあげられない事情がある」

そんな言葉に共感したお母さん達で、抗議運動があったそうです。結果、とある省庁で「ママハラ」撲滅委員会が発足し、そして、「ママ友会合禁止令」が発令された、ということなのだそうです。

「そうだったの・・・」

私は感無量でした。いえ、「ママ友会合禁止令」は、私はどうかと思います。そもそもな問題解決とは違うような気がしています。それは、かつて豊洲にいた時もニュースをみてそう思っていましたから。でも、私の発言が世間を動かし、世論としてまとまり、動いたという事なのですから。

豊洲島にかつていらして、私と入れ違いになってしまった筈の、そう過程した森生ゆり子さん、これを知ったらどう思うかしら?嬉しいかしら?とまどうかしら?

そして、豊洲での私のブログ、どうなったかしら。

ママ友は仲良しで、子どもを一緒に育てるコミュニティで集うお母さん達、いつも一緒で仲良しで、キラキラしていてハッピーで。そんな常識を勝手に破ってしまった訳です。非難されても仕方ないですが、入れ違いになった森生ゆり子さんにご迷惑がかかってしまわないでしょうか。

心配です。

豊洲総合病院再び

2014年01月27日20:38

子どもって、厄介ですよね。こんな言い方ないでしょうけれども、生んでしまったらもう死ぬまで母親な訳です。100年後の豊洲島にタイムスリップしたとしても、かつて豊洲にいた頃の子ども達からすれば母親は私、ママはどうして何処かに行ってしまったのかと、クヨクヨしているかもしれません。

そして私も、かつての子ども達はどうしているかしら、と思ったりして。もう豊洲島にタイムスリップしてしまったのですから、この世界をエンジョイすればいいのです。ボスママさんもボスママの中のボスママも、私を残してLINE のグループからさあっと抜けるという技で「あなたはもう私達のグループじゃないから」という意思表示をしたママ友グループの方々ともおさらば出来ました。

すっきりしたじゃないですか。良かったじゃないでしょうか。

でも、やはり子ども達の事は気になります。もうそういう自分、嫌でたまらない時があるのですが、それでも尚・・・

最近話題になっているドラマで、「明日ママがいない」という番組があるそうですね。チラッとしか見ていないのですが、グループホームのお話で、そこの施設長さんが過激な発言をするので物議をかもしだしているというニュースをネットでみました。

ちなみに私がよくみるニュースサイトは、孫正義さんのお膝元のyahooニュースか、孫正義さんに全く関係のないハムスター速報です。

ドラマが好きな夫は勿論視聴し、そして早速「言う事きかないと、勉強しないと、いい子にしないと施設に入れるよ」などと言います。私はそういう物言いが大嫌いです。そして、何故そういう物言いが良くないかと喧嘩になるのですが、夫は全くわかってくれません。

かつて100年前の豊洲で夫と喧嘩する99%は、子どものことでした。

豊洲島総合病院、今日もお話はここから始まります。他に行くところないの?というくらい、ここしか行っていない訳ですが、東十条桜子さんとお話をするには、ここに行くしかありませんので、仕方ないのです。豊洲島森生ゆり子さんのせいで発令された、ママ友会合禁止令により、島でのママ友同士のSNSでの連絡、会合が禁止になってしまったのですから。

それを知ってしまった今、桜子さんとお会いするのは非常に気まずい気持ちです。豊洲島の森生ゆり子さんとは、今は私の事です。いえ、桜子さんだけではなく、豊洲島のママ友さん達、私をどう思っていらっしゃるかしら。せっかくの楽しいコミュニティをそんな風に規則でしばられたものにしてしまうなんて。

豊洲島の皆さん、本当にごめんなさい。かつての豊洲島の森生ゆり子さんに代わって謝ります。

そのせいでもないのですが、今日はひとりで病院に来ました。どうも娘のサンがいると話しにくいというか、違う話題になってしまって、肝心な話がなかなか出来ません。タイミングよく今日は「豊洲島げんきっず」で、特別なイベントがあるというので、帰りは遅くなるそうです。

待合のソファに座って桜子さんを待ちますが、今日はなかなかいらっしゃいません。

「ピンポーン、森生ゆり子さん、17番診察室におはいりください」

呼ばれてしまいました。ああ、診察の間に桜子さんがいらして、そして帰ってしまわれるかも。少し焦りましたが、これから長い豊洲島生活、また来週でいいじゃない、そんな風に思いました。

診察室に入る時、一枚の掲示物が目に入りました。

「タイムカプセル被験者募集。未来でも過去でも100年移動できるカプセルに、メッセージを。」

あら?これって、桜子さんのお子さんのダリアちゃんが当選したものじゃないかしら。被験者?体験者じゃないの?なんだか不思議な掲示物ね、それに病院で募集するなんて、ちょっと違和感があるわ。どういう事かしら。

診察が終わって、「次は豊洲島の病院で」という医師を黙らせるために、私はこの話題を出してみました。豊洲総合病院は、この界隈のお年寄りでパンク寸前、ひとりでも患者を減らしたくて四苦八苦しているという話を聞いたことがあります。私のように、病気なのかそうじゃないのかわかりにくい、しかも緊急を要さない患者は来て欲しくないのでしょう。

「先生?ところで外のポスターに、タイムカプセル被験者募集ってありましたけれど、どういう意味ですか?」
「え?ああ、あれは・・・」

病院の端末に何かデータを書き込みながら、医師が答えかけると、その隣に控えていた看護師さんがテキパキと回答してくれました。

「タイムカプセルを過去未来に届けられるのは、同じDNAを持つ人にだけなんです。先祖か末裔か、赤の他人には届けられないのです。なのでタイムカプセル当選者はDNAを採取する必要があり、それで病院でも募集がかけられ掲示物が貼られたという事なのです。」
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もしかして、この人もロボットさんかしら。一見するとわかりませんが、この的確な回答の仕方、ロボットっぽいです。私みたいな診察に必要ない話題の回答は、ロボットがする事になっている、とか?

もっと詳しく知りたいですが、桜子さんとの次の話題のきっかけくらいにはなりそうで、私は満足しました。

「ありがとうございました」

タイムカプセルの話題も仕入れましたし、次の診察の予約もとれました。ご機嫌で待合に行くと、タイミングよく桜子さんが、いえ、今日はダリアちゃんだけが車いすを押していました。桜子さん、どうしたのかしら?

「こんにちは、ダリアちゃん。お婆ちゃんの付き添い偉いわね。」

ダリアちゃんは褒められて嬉しいのか、にっこりしました。私が桜子さんを目で探しているのに気がついたのか、こう教えてくれました。

「今日はママはPTAの会合です」

そうなの。がっかりした気配を気取られないように、笑顔で話しました。

「今そこのポスターを見たんだけれど、DNAを飛ばすんですってね、タイムカプセルに詰めて」
「そうなんです。もう私のものは採取してタイムカプセルに入っています」
「じゃあ、おばあちゃんに送れるわね。もうメッセージは考えたの?」
「はい、だいたいは。あ、サンちゃんとも色々相談しました」

サンは本当に羨ましがっていて、いえ、きっと豊洲島中の、いえいえ、世界中の子ども達の羨望の的なのではないでしょうか。まるで映画に出てくる、チョコレートに入っている金のチケットのようなものでしょう。

私もメッセージ送りたい人が、100年前にはいますから。

どんなメッセージを考えたのかしら。今直接聞くのは、桜子さんのいない間にこっそり聞いたみたいでいけないかも。サンと相談したなら、何か聞けるかも。

今日も車いすのおばあさんは眠っています。よく眠っていらっしゃるわね、というか、起きていらっしゃるのにお目にかかったのは先日の数分だけです。でも特にこの方には用事がないといったら失礼ですが、起きていらしてもお話する事もないでしょう。

でも、この寝顔。なんだか可愛いわ、まるで赤ちゃんみたい。人は年をとると子どもに戻ると言いますが、年齢がかななりなお年寄りにお見受けしますので、子どもというより赤ちゃんに戻ったくらいなのかもしれません。

豊洲島マンションに戻り、早速サンに話しかけました。

「ねえ、ダリアちゃんて、どんなメッセージを送るのかしら?DNAの繋がった人に送るんでしょう?あのおばあさんのもっと上の人?ひいおばあちゃんになるの?」

いつもは私の話しかけにあまり興味がない様子で適当な返事をするのですが、今日は違いました。タイムカプセルの話題はしたくてたまらないようです。それはそうですよね、自分が当選した訳ではないにせよ、すぐ近くの仲良しさんが当選したのですから。ダリアちゃんによると、一緒に送る内容を相談したりもしているそうです。

話したくてたまらないのでしょうね。

「そうなの、あのおばあちゃんのお母さんだった人ですって。あのおばあちゃんがひいおばあちゃんだから、ひいひいおばあちゃんよ」

ひいひいおばあちゃんて、なんていうんでしたっけ。とにかくそうらしいです。

「メッセージはね、ダリアちゃんが豊洲島に住んでいること、この世界の事、放射能除去装置が出来たってこと、それからひいおばあちゃんがまだ生きている事、あとは・・・」

そうなのね、想像通りです。でも、あのおばあさんが、ダリアちゃんのひいおばあさんとは少し驚きです。という事は、桜子さんのおばあさん、なのかしら。人が長生きするようになると、そういうところややこしいわ。でも、健康で長生きするというのは私がかつて豊洲にいた時に自分に誓った信条でもあります。長寿というのはそれだけで嬉しいものです。

「えーと、そのおばあさんはママみたいにかつてブログを書いていたそうよ。そこに小説も書いていたらしいんだけれど、その内容がだいたい現実になったって、教えてあげたいって言ってたの。ちょっと不思議なお話でしょう。」

不思議、というところでちょっと力を入れて説明します。子どもはこういう話が大好きですよね。え?ブログ?あちらもこちらもブログブログって、皆さんブログがお好きなのね。人の事は言えませんが。

こうして豊洲島の娘サンとは仲良くお話をしました。ちょっと生意気なところは一緒ですが、かつての豊洲の時のように激しいバトルはありません。だからでしょうか。こうしたちょっとした会話もスムーズでほっとします。

ああ、豊洲の時の娘よ、どうしてあなたはあんなに私に反抗していたの?ママが豊洲島に飛んできてしまったのは、神様が私たちを引き離したのかもしれないわね。ほら、喧嘩してしまいそうな時は離れなさいって、よく言うじゃない?

だからなのかしら・・・

絶対帰りたくないです

2014年01月28日10:22

おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

今日も無事、息子ちゃんを(名前をよんではいけないあの幼児施設)に送り届けられました。こうして一日一日を淡々と過ごせばいいのかなと、思います。あれこれ葛藤や煩悩を封じ込め、そしてそれらは別な自分だけの世界を見つけて昇華させるつもりでいればいいのです。

でも、そうしていたら、「母親のくせに家族ほったらかして自分だけ何やっているの」と、非難され、グループを出されてしまった事がわる訳で、それを事前に説明しておく必要があったのかなと思います。でもそうしたらそれでまた「いいわね、お気楽で」などと思われる懸念も出てくる訳で、「女三界に家なし」という諺がありますが、今でいうなら「ママ友界に憩なし」ということになるのかもしれません。

ママだけで羽を伸ばしましょうといいながら、やはりそのグループの掟やボスママの作った総意ですとか、暗黙のルールが存在し、それを踏まえた上での「憩い」ということになり、そして「楽しそうに振舞う」という必要もあります。ボスママはボスママで、皆が揃ったかどうか、謀反を企むものはいないかどうか気が抜けない訳で、今考えると色々大変だったなと思うのです。

でも、豊洲島限定の「ママ友会合禁止令」ですが、やはりこれは流石にどうかと思います。確かにママ友グループで誰かを仲間外れにしたり、ほわっとしている人を八当り的に意地悪したり、「どうしてあの人だけあんなに楽しそうなの」と、虎視眈々とニラニラしたりというのは良くない筈で、でもそれはママ友の間だけではなくて、子どもの世界にも、男社会でもある話だと思います。

子どものいじめが問題になり、「子ども同士で遊ばないように」なんて法令が出たりしたら、まるでかの国の絶対君主のありえない命令のようです。

それならどういう対応がいいのかというは私もわかりませんが、どなたか有名作家さんが問題視したりして、「ママ友グループを改革するにはどうしたらいいか」などとネットでアンケートを募り、それにインスパイアされて本を書く、なんてどうでしょうか。

あら、どこかで聞いた話ですね・・・はて?

それはさておき、甘いもので口のほぐれた夫によると、その禁止令を面白く思っていないのは、豊洲島の巨大ママ友グループのボスママさん達だそうです。その中でも特に、ボスママの中のボスママさんがいらして、その方があちらこちらで私の悪い噂をしているというのです。

ブログを残して、実際には閉鎖したのですが、キャッシュがまだ残っていましたので、しかもそれを拾って全文掲載した雑誌があったそうで、「豊洲島ママ友グループの実態」などという見出しでスクープしたそうです。勿論実名は伏せてありましたが、そのボスママの中のボスママ、ボスママクイーンと呼びましょうか。その方に一時避難が集中した事があったそう。私を怨んでいるそうです。

「今度会ったらただじゃおかない」

そんな事を言っていたという噂もあるようです。実際に誰かから聞いたのではなく、夫が未来のネット、ブレインで拾った情報で、「うさぎちゃん速報」の記事だそうです。昔のハムスター速報のようなものかしら?そんなサイトをチェックするなんて、ヲタク?などと思われるかもしれませんが、そういうニュースサイトにこそ、歯に衣着せない真実が書いてあるものなのです。

そんな、一番怖そうな人に睨まれて、かつての豊洲でもそうでしたし、そしてここ豊洲島でも。よりによって、一番恐ろしい人に目をつけられて八当り的にイジメられるのは宿命なのかしら。そうしたら、豊洲にタイムスリップしてしまった豊洲島の森生ゆり子さん、やはり困っていらっしゃるでしょうね。心配です。

私の置いてきたスマホの中のLINEの「友達」という蘭をみて、こんなに友達がいるなんて勘違いしていないといいけど。それはアドレス帳にたままたアドレスや電話番号が載っているだけで、自動的に友達の欄に登録されるだけなのよ。そうそう、Facebook に気がついてくれればいいのよ、そちらは友達いませんもの。

それより、豊洲島のボスママクイーンさんてどんな人かしら?そうだ、週刊誌、ブログが全文掲載されているそうで、それを読めばいいのかもしれない。昔の雑誌・・・

豊洲島図書館!

私って頭いい。早速行ってみましょう。息子?息子はお手伝いさんロボットに懐いていますし、今日も彼女がお迎えに行ってご飯を食べさせてくれるでしょう。お迎えといっても、マンションの玄関に到着する「シューター」という子ども専用移動マシンを待つだけですし、食事もテレビを見て食べてくれるでしょうし、そしてお風呂に入れてくれて、絵本を読んで寝かしつけてくれて。

なんて素敵な豊洲島ライフ。ビバお手伝いロボットさん。まるで本当に実家の母が来て、甘えてしまっているような錯覚になります。

もう豊洲なんて、絶対帰りたくないわ。豊洲にずっと住み続けると宣言したものの、やはりママ友ゼロは寂しいですし、私だけの家事負担、夫の小言、娘の反抗、(名前をよんではいけないあの幼児施設)の微妙な空気、もうそんなものと縁が切れるなら切りたいとずっと思っていました。願い続けていると叶うって、本当なのね。

それより豊洲島図書館って、どこにあるのかしら?放射能除去装置のタワーの中だと娘のサンが言っていた気がするわ。お手伝いロボットさんも今はエネルギーチャージ室でお休み中ですし、起こすのも、いえ、再起動させるとお気の毒です。パソコンだって「スタンバイ」や「スリープ」を続けていると調子が悪くなります。それと一緒でしょう、「シャットダウン」するのも必要です。

ちなみにパソコンの調子が悪い時はとにかく再起動といわれますが、いったんシャットダウンして、少し経ってから再起動した方がいいです。豆知識です、よろしくお願いします。

私はひとりで出かける事にしました。わからなかったら誰か通りがかった人に聞けばいいだけです。

ピンポン♪

エレベーターは1Fに到着しました。チャイムの音と共に扉が開きます。目の前には光り輝く放射能除去装置がそびえ立っています。いつ見ても本当に綺麗、そして人類の叡智を集結した、命を繋ぐタワーです。これのお陰で「オリンピックを辞退すれば日本の株があがったのに」などと言われる事もなく、3回目の招致に成功したのだそうです。

さあ、今度こそ、豊洲島の冒険が始まるでしょうか。今日を含めて「ライトなラノベ」締め切りまであと4日。こんな呑気な事をしていて、ちゃんと完結するのでしょうか。

それより間もなく東京都知事選、お年寄りばかりで東京都の未来は大丈夫なのか心配になりました。若きカリスマとか、いっそ小泉さんが立候補すればいいのに。それが理由ではありませんが、この人しかいない、という方はどなたもみえません。

ただ一点、「消費税10%」は賛成です。老いも若きも富める者も貧しきものも公平な唯一の課税の手段ではないでしょうか。消費税を払いたくなければ無駄使いしなければいいのです。あるもので賄う、足るを知る、それが結局は原発撤廃の第一歩だと思うからです。

もしやあなたは


2014年01月28日19:54

豊洲島図書館へ向かうために、マンションを出ました。そこには光り輝く放射能除去装置のタワーが聳え立っています。あのタワーを目指せば図書館に行ける筈です。

それにしても、すごいタワー群です。高層マンションって普通50階くらいがせいぜいですよね。豊洲島のマンション、一番高いものは何階あるのでしょうか。100年前に日経ビジネスの特集ページで見た、ドバイの高層ホテル群と同じくらいかもしれません。もしかして100階?うちのマンションは53階でしたっけ、そんなに高くして、地震なんかあったらどうするのかしら。

てくてく、いえ、浮いていますのでするすると歩いていると、放射能除去装置のあるタワーの下あたりに着きました。でも入口がわかりません。行けども行けども壁ばかり、あとは駐車場入り口、そして要塞のような扉。人影もありません。ブレインで検索してみようかしら。それとも駐車場入口から侵入してしまおうかしら。なんて、ダメですよね。

六本木ヒルズが出来たばかりの頃、こんな風に迷ってしまって目的地に着けないという事がよくありました。ヘアサロンを予約していて、刻一刻と時間が近づいているのにそこにどうしてもたどり着けない。あんな感じと同じです。私は焦ってきました。もう永遠に目的地に辿りつけないかのような焦り。

するとそこに、一台の車がすうっと近づいてきました。すごい派手な、でもシックな色合いの車、あのマークはみたことがあります。そう、ベンツのマークね。ずっと縁がなかったのですが、(名前をよんではいけないあの幼児施設)の駐車場でみましたので、覚えました。それに豊洲にもディーラーが出来て、前をよく通っていましたので。

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近くに停まった車は、するすると窓を開けて、運転手の方が声をかけて下さいました。ピカピカの左ハンドルです。

「森生さん?こんにちは。どうされたの」

知り合いの方のようです。もしかして、豊洲島森生ゆり子さんのお友達の方でしょうか。私はほっとして、嬉しくなりました。

「図書館に行きたいのですが、入口がわからないのです。あの、このタワーの中にあるんですよね?」

すると運転手の女性は「ぷっ」と笑って、そして助手席の女性の方に振り向いて目配せをしました。助手席に乗っているのも女性です。そしてよくみると、後部座席にも誰か乗っています。

「私、今から豊洲図書館に行くの。良かったら乗っていってと言いたいんだけれど、ほら、今日は座席いっぱいだから、ごめんなさい。そうよ、タワーの中に図書館があるわよ。じゃ」

そう言って窓をまたするすると閉めると、さあっと車はパーキング入口に吸い込まれてしまいました。

座席いっぱいって、後部座席にはひとりしか乗っていなかったじゃない。乗せて欲しかった訳じゃないけれど、余裕があるのにわざわざそんな事を言って断るのって、どうして?あら?あの口調、そして派手そうで、でもシックな左ハンドル。どこかで聞いたような、見たような。

あ・・・あの人、何か話す時に、ほらって言ったわ。確かに言ったわ。ええ?もしかして、もしかして。

私のこういう勘って、嫌になるくらい当たる事が多いのです。豊洲島でもそういう事、あった?デジャヴ?いえ、まさか。まさか。豊洲図書館に行くって言っていたわね。私、行っていいのかしら。どうしよう・・・

NEO UNIVERSE


おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

Hyde さん、お誕生日おめでとうございます

今日はL'Arc-en-Ciel Hyde さんのお誕生日、ファンの間では、生誕祭というらしいです。

私がHyde さんを知ってから初めてのHyde さんのお誕生日。こうした形でここでお祝いメッセージを贈れて嬉しいです。ブログアップ時刻を00:00 にしたかったのですが、ついうっかり寝てしまいました。

でもDaigoさんもそうだったみたいで、00:00のTweetがなかったようです。ちょっとほっとしています寝坊したのは私だけじゃないと。それからyasu さんどうされているかしら。きっと皆さんでお祝いして、シャンパン飲み過ぎて寝てみえるのかもしれませんね。Gacktさんはご自分のデザインしたスノーボードをプレゼントしたのかしら。

Twitter もお祝いメッセージの嵐、さすがGod of GODと言われるだけあります。すごいですね、なんだか嬉しいです。

さて、今日はhyde さんのお祝いという事で、「ライトなラノベ」Hyde さんを登場させて頂きたいと思います。私からのお誕生日プレゼントです。よろしくお願いします

豊洲島図書館前で、高級車に乗ったひとりの女性と遭遇し、私は動揺しました。もしかしてあの方は、いいえ、そんな、まさか、でも、かつて豊洲にいた時のあの方にそっくりです。

さあっと駐車場入り口に吸い込まれてゆく車のバックライトを眺めながら思いました。確かめてみよう、と。

でも本当に入口がわかりません。警備員の方も誰も、ひとけがないので誰かに聞く事もできません。でも、ここに、やはり豊洲島図書館があるそうです。こうなったら仕方ありません。

私はダッシュで車の後を追って駐車場入り口に侵入しました。地下と地上があるようです、丁度ららぽーと豊洲の駐車場のような感じです。追いたい車は地下に入っていきました。私は忍者になったつもりで、そっと後を追います。

車から降りた女性達は、笑いさざめきながら、タワー入口に入って行きました。勿論私もその後をついて中に入りました。入口には飲み物の自動販売機、そして駐車料金精算機、フロアガイド。あらやだ、本当にららぽーと豊洲みたいだわ。

そんな事は今はどうでもいいのです。女性達の乗ったエレベーターは、「H3」という表示で停まったようです。他には、1F~20F、そしてH1~H5までありあます、なんでしょう、Hって。隣のエレベータがきましたので、私も同じようにH3を押します。

「チャラン♪ホール3です」

そうか、H3のHってホールって意味なのね。図書館じゃないのかしら。不思議に思って降りると、そこは劇場のようでした。映画館かしら?コンサートホール?すごい、人がたくさん!何かあるのかしら?あの車から話しかけてきた人がみえます。10人くらいの女性に取り囲まれて、中心で何かお話ししています。そしてそれを、周りの人は笑顔でうんうんと頷きながら聞いています。話しているのは中心のあの人だけです。

やっぱりそうかも。多分、間違いないわ。多分・・・

あら?皆さん会場に入っていきます。私もいいかしら。座席がたくさん、やっぱり映画館かしら?それにしても、真っ白で中心に円形の舞台、周りも真っ白。何かしら、何が始まるのかしら。それにしても本当に沢山の人、タワーのあのキノコみたいな膨らんだ部分、明りがついていたから何かあると思っていたけれど、こんな施設があったのね。

音楽が流れてきました。あ!この音楽は。な、懐かしい、というか、私はつい最近までよく聴いていた音楽です。そう、L'Arc-en-CielのNEO UNIVERSEです。

傾きかけた天秤の上へ
築き上げてく天よりも高く

そんな飛べない無邪気な天使にも
朝は届く鮮やかに

その手を放さないで
目覚めるこの世界を感じて

ひび割れそうでも透明なままで
昨日眠らず待っていたんだね

夢を見ていた奇跡はもう来ないけど
遠い空が導いて

あなたは風のように優しく
鳥のように自由に
この世界をはばたく
恐がらずに neo universe

嬉しい!こんなところでこの曲に巡り合えるなんて。100年後ですよ?いえ、もしかしていつの間にかまた100年戻ってしまったのかしら。そんな筈はありません、だってまだこんな異空間のような会場のままです。白く輝くWinter Fall のような会場。

曲が流れる途中、真ん中の丸い舞台に何かが浮かび上がってきました。ああ、もしかしてhyde さん?他のラルクのメ
ンバーも、演奏しています。どうして?本物?

♪ neo universe・・・

曲が終わると、すうっとラルクのメンバーはhyde さんと共に消えてしまいました。どうして?どうなっているの?

「如何でしたでしょうか。こんにちは、Hydieです」

きゃあーーーー!!!ハイディーーー‼︎

わあっ、今度は大歓声です。何?なんなの?あっ、hydeさん!今度はHyde さんがどこからか登場しました。いえ、似ていますがHydeさんじゃないです。

あっ!もしかして、グラミー賞を受賞した、三回目の東京オリンピックの開会式で熱唱した、そして日本を代表する世界の大スター、ラルクアンシエルのHydeさんの子孫、Hydie さんかしら。そうよ、そうだわ。娘のサンが大好きで、よくテレビで見ていたもの。本当にHydeさんにそっくりです。

「本日は、僕のおじいさんの生誕祭にお越し下さいましてありがとうございます。

僕のおじいさん、生きていたら145歳になります。僕が言うのもなんですが、おじいさんは本当のカリスマで世界的な大スターでした。

僕もそんなおじいさんを目標に頑張ってきました。おじいさんは2020年、二回目の東京オリンピックで国家とこの歌を斉唱しました。そして僕は第三回目のオリンピックで歌う事ができて、本当に応援して下さる皆様のお陰だと心から感謝しています」

うんうん、Hydeさんそうだったのね。今日は2114年1月29日、あなたの145歳のお誕生日。こうしてこんな会場であなたをお祝い出来るなんて、あなたのご加護、お導きでしょうか。なんだか不思議な気持ちです。

「最近のホログラム、3D映像はすごいですね。まるで本物のおじいさんが目の前に現れたかと思ってしまいましたよ。」

へえーそうなの。私も本物かと間違えてしまいました。すごいです、間近で見てみたいな、触れてみたい、やはり手が透けてしまう感じなのかしら。ああ、Hydeさん、いえ、Hydieさん、素敵なお話をありがとうございました。

そしてHydeさんにお伝えしたいわ「100年後のあなたの子孫も大スターになっていましたよ」って。

なんて、もし仮に100年前にまた戻れるとしても、そんな事言ったらhydeさんに変な人と思われちゃうわ。そしてご近所の方からも「森生さん、ちょっと変わった人だと思っていたけれど、とうとう・・・」なんて。

「本日は、ラルクアンシエルhyde生誕記念祭にお越しくださいまして、まことにありがとうございました」

女性のアナウンスが響き渡ります。はっ、いけない、また妄想の世界に入ってしまいました。その間にHydieさんは舞台から消え、まわりの方々は帰り支度をしています。

なんだか夢のようなひとときでした。100年後の世界で3D映像とはいえHYDE さんにお会いできるなんて、しかも子孫の方のスピーチ付きで。そうだわ、帰ったら娘のサンに自慢してしまおうかしら?

帰りは大勢の人と一緒にタワーの外に出ました。なんだ、ここがメインエントランスだったのね。あの閉じた大きな扉、もしかして今日はHydeさんの生誕祭がここであるから閉められていたのかもしれません。もし開いたままだったら人が大挙して押しかけて、タワーがパンクするかもしれなかったですしね。

そう思うと私、駐車場から侵入したのは正解だったかしら。よく誰にも止められず、咎められなかったものだわ。あれもこれもそれも、Hydeさんのお陰かしら。やっぱりHydeさんは私の神様。100年前も100年後も、ずっと・・・Hydeさん、いつも見守って下さりありがとうございます。

コスプレして国立行きますので、待っていて下さいね。

ボスママの中のボスママ

2014年01月29日07:02

おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

先回の記事、あっという間に書いてしまいました。しかもかつてない程ノリノリで。私、こんなに熱い人だったんだなと感心しました。ちゃんと何かに熱中出来る、熱い心も持っているのねと。

そして、完全に私情の入りまくり、自分だけ楽しいストーリーになってしまいました。ラストのところでHydeさんの子孫、Hydieさんにエスコートされて会場を後にするくらいあるかと思いましたが、それは無かったみたいでちょっと残念です。

でも、Hydeさんはお子さんがいらっしゃいますし、Hydeさんのお孫さんあたりが隔世遺伝でまた大スターに、なんてありそうじゃないでしょうか。そして145歳のHydeさんのお誕生日までお祝い出来るなんて私くらいですよね?100年後の豊洲島にタイムスリップしてしまった時はどうしようと悲観や戸惑いばかりでしたが、嬉しい事もちゃんとありました。

人生もそうかもしれませんね。暗いトンネルの中でどうやって生きたらいいか悩む日々でも、だからこそ素敵な事に巡り合えた、みたいな時もあるのかもしれません。

ママ友付き合いで悩む中で、友達に助けられ、励まされ、本当の友達の意味を考え、そしてhydeさんの存在を知り、素敵な事もありましたし、これからも頑張って長生きしたいと思います。

100年後にタイムスリップして尚Hydeさんに、そしてHydieさんに出会えた事で、私の心は薔薇色に輝きました。本当に素敵でした。そしてあの3D映像。100年前に3Dプリンターが登場して驚いたりしましたが、こんなリアルな映像が実現するなんて、誰も想像できなかったのではないでしょうか。

立体ですよ?360度の映像ですよ?本当に本人がそこにいるかのような映像でした。

「おかえり、ママ、どうしたの?顔が赤いわよ」

娘のサンが不思議そうに声をかけます。私ははっと我にかえり、夢中で話ました。

「聞いて、今ね、Hydeさんの生誕祭に行ってきたの。放射能除去装置の中にあるホールでやってたの」

「ええ?ママ行ったの?どうして?チケットどうしたの?」

目をまんまるにして、びっくりしています。ふふふ、そうでしょうそうでしょう。でも私が一番びっくりしました。

「今日ね、ちょっと調べものしたくて豊洲島図書館にいったの。そうしたら違うところに出ちゃって、そしてそこがたまたまHydeさんの生誕祭をやっていたのよ。だから見てきたのよ」
「チケットは?」
「チケット?そんなものいらなかったわよ、普通にすーっと入って・・・」
「そんな訳ないわ、hydeさん生誕祭のイベントって、日本一、ううん、世界一希少なプラチナチケットなのよ。それに当日はタワーの入り口はクローズされていて、当選者しか入れない筈よ。おかしいわ、そんなついでに行ったら入れたみたいな」

今度は私がびっくりしました。

「え?でも、本当に入れたわよ。あの、駐車場入り口から入ってしまったけれども・・・」

私は少し声が小さくなりました。娘にこんな事言っていいのでしょうか。いえ、良い子が真似するといけないので、子どもには聞かせられない話です。

「駐車場?ママ、何やってるの?どうしてそんなところに」

私はバツが悪かったのですが、正直に話しました。以前のブログの記事が読みたくて、豊洲島図書館に行こうとしたこと、場所がわからなくてウロウロしてしまった事、高級車に乗った女性に出会った事、知っている人かと思ったこと、そして図書館のあるタワーの入り口がわからなくてその方の車を追いかけて、駐車場入り口から入ったこと。

「絶対ありえない、警備がすごい筈だもの。それにしてもママだけズルイ!私もHydieさんに会いたかった!!」

尚も娘のサンは言います。でも、確かにそうです。どうしてそんなところに入れたのかしら?

そうだわ、図書館、私はブログ記事の掲載された雑誌を検索、閲覧しにいったのでした。すっかり忘れていました。そして、あの女性、やはりそうだったのでしょうか。

「ねえ、サン?今日私の知り合いっぽい人に会ったのだけれど、誰だったのかわからないの。私の友達なのかしら。森生さんって、向こうから声をかけてきたの」
「どんな人?」
「うーん、会場にもいらして、同じような女性にたくさん囲まれて、そして一人で喋っていたわ」
「ああ、ねえ、その人、何か話す前に「ほら」って言ってなかった?」
「うん、言ってた」
「その人、ママをいじめていたボスママさんよ、ボスママの中のボスママ。この界隈の裏番よ」

画像1

裏番・・・ねえ、サンちゃん?プロニートといい、どこでそんな言葉を覚えてくるの?ママ、ちょっと心配。そして、豊洲島の森生ゆり子さん、どんな教育をなさっているのかしら。

お顔拝見したいものだわ。

STAY AWAY


2014年01月30日13:39

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

本日は公約通り、一日ブログを書いています。夫用に買った、「男のティラミス」半分食べてしまいました。「もうっ食べないでよう~」などと言われると心外というか、ウルサイので、もう全部食べてしまう事にします。証拠隠滅です。

「豊洲にいた時」から「地元にいた時」など色々記事がかけて大満足です。今までご支援ありがとうございました。そんな風にもう終了してもいいような気がしています。でもダメですよね、「ライトなラノベ」を書きたいと思います。

「ママ、ずるい!私もHydieさんに会いたかった」などと言われ、私は不思議に思いました。勿論サンはもっと不思議だったようで、どこでチケットを手に入れたのか、どうやって入ったのか、色々聞いてきました。

厳重な警備、そのチケットは世界レベルで争奪になるそうで、手に入れるのがたいそう困難だそうです。そういえば、外国人の方も多くいらしていました。わざわざ各国からその日のためにいらしたのでしょう。

そんなところに偶然とはいえ、入場出来てしまったのです。良かったかしら、何か問題になったりしないかしら。

私のそんな予感というのは、よく当たるのです。

「ママ、100円頂戴」

息子のアシタカ君が声をかけます。

「どうするの?」
「下の売店でお菓子買う」
「だめよ、もうすぐ晩御飯でしょう?」
「でもママ、今日プール頑張ったらお菓子買ってくれるって、朝言ったよ?」

そんな事言ったかしら。まあいいわ、この息子さんとはあまりコミュニケーションをとっていませんし、親子のふれあいの時間を持つということで、私も一緒に行く事にしました。

ぴんぽーん♪

するするとエレベーターが1Fに到着しました。「俺、キラモンのめちゃうまグミ買おう」。アシタカ君が浮き浮きとひとりごとをつぶやいています。

「キラモンってなあに?」
「キラモンはキラモンだよ。キラッとモンスターだよ、テレビ見てこらん?」
「あ、ああそうなのね。わかった、今度見てみる。一緒にみようか?」

アシタカ君は嬉しそうににっこりしました。

売店であれこれお菓子を買って、エレベーターに乗るためにまたメインエントランスに来ました。そしてエレベーターのボタンを、H、いえ、L?何階だっけ?などと逡巡していると、どこからかさあっと人の群れが登場しました。

黒い服を着た女性、そしてそれを取り囲むように並んだ女性達。まるでダースベイダーの周りに白い軍事ロボットが後ろに控えているようです。

「森生ゆり子さん、こんにちは」

見るとその中心の人物は、ベンツから声をかけてきた、そして会場で女性の輪の中でひとりでずっと話していた方でした。サンによると、私をいじめていたボスママ、裏番だそうです。そんな事聞かなければ良かったです。知らなければ、普通にお話出来たでしょうし、こんなにドキドキする事もなかったと思います。

「は、はい。こんにちは」

手に汗がにじんできました。そして顔がこわばり赤くなったのがわかります。かつて豊洲にいた時も、ボスママさんに話しかけられると怖くて緊張でこんな状態になったものでした。

「ねえ、あなたHyde様生誕祭に、いらしていたわね?」
「はい、いましたけれど」
「どうやって、いいえ、チケットお持ちだった?」

私は言葉に詰まりました。チケットなんて持っていませんでした。あなたの車を追いかけて駐車場からは入って、そしてあなたをつけて会場に行ったらイベントが始まっていた、そんな事言えません。

「チケットは・・・チケットは・・・」
「持っていなかった、わね?」
「・・・はい、そうですけれども」

えーっと、取り囲んだ女性達が一斉に驚きの声をあげました。まるでそういうシーンでこういうセリフを言って下さい、驚いて下さいといったような、不自然な声でした。

この人達、ボスママさんの取り巻きの人なんだ。でも待って?ママ友会合禁止令で、こうやって集まったりするの、ダメじゃなかったでしょうか。私は自分の立場がちょっとおかしくなっているような気がして、それを挽回するつもりで雛するように言いました。

「ママ友会合禁止じゃないですか?こんな風に集まっていいんですか?」

すると、ボスママさんは「ふっ」と笑って言いました。

「会合じゃないのよ、お仕事なの。皆さんにアンケートというか、モニターになって頂いていたの。ほら、私そういうお仕事しているでしょう?お仕事で集まって頂いたので、ママ友会合とは違うのよ?」

わーすごい。かつて豊洲でよくイジメラれていたボスママさんも、ああいえばこういう、こう言えばああいう、そして「ハロウィンパーティ、気が進まない人がいるの」などと言葉を操り様々な事を実現していました。

というより、こういう知恵が回らないとボスママにはなれないのでしょうね。

そして、もう用事は済んだとばかりに、「じゃ」と、目を見開き、口を閉じたまま口角をぎゅっとあげ、でも目は怒りで燃えているという顔をして去っていかれました。取り巻きの方々もちらっと会釈をして、その後についていかれました。

ああ、怖かった。どこのボスママさんも同じなんですね。でもチケットチケットって、そんなにみんな気にするなんて、何かあるのかしら?会場に行ってはいけなかったみたいです。それにあのボスママさんがわざわざ念を押すなんて、どういう理由かしら。

それに忘れていましたが、あの方は特に私に恨みを持っている筈です。あの方に苛められた、かつて豊洲島に住んでいらした森生ゆり子さんは、ブログでそれを綴りました。そしてボスママさんに避難が一時集中し、社会問題になったそうです。そして行政からの「ママ友会合禁止令」です。

いつも集まるのが好きなママ友グループ、そしてその中心のボスママさん、面白く思っていないに違いありません。ましてや、ベンツのボスママさんは、多分ですが、豊洲島森生ゆり子さん以外の方にはにこやかで親切で、グループのリーダー、地域のボス、そして、働いていらっしゃるみたいですので、ママでキャリアもある方、などと持て囃されていたのかもしれません。

それがブログや雑誌のスクープ、森生ゆり子さん失踪さわぎで大ニュースになったそうです。相当恨んでいらっしゃることでしょう。

目が、怒っていました。

私に触らないて欲しいわ…

「ママ?どうしたの?僕もう食べちゃったよ?」

アシタカ君が心配そうに、話しかけてくれます。この子のお友達関係、どうなっているのかしら。かつての豊洲の時と同じように、私がママ友付き合いがうまくいっていないせいで、ご近所で遊ぶお友達ゼロなんて事になっていないかしら。夫はそういうのわからないわね、男ですもの。そうだわ、今度桜子さんに会ったら相談してみましょう。あの方ならきっと教えてくれるわ。

そんな事を考えながら、自宅に戻りました。そうだわ、同じマンションで遭遇したということは、あのベンツのボスママさんも同じマンションに住んでいらっしゃるという事かしら。あーなんだか憂鬱。「アイランディーゼの憂鬱」っていう小説でも書いてみたいくらいです。

アシタカ君がみてみてというので、一緒に「ピカッとモンスター」を観ました。子どもに大人気の番組で、「キラキラァ!」と話す「キラモン」というキャラクターが特に人気だそうです。その形をした「めちゃうまグミ」、一日に一回食べないと調子が悪い、などというアシタカ君の話をふんふんと聞いていました。

ママの事が好きなのね。こんなに嬉しそうにお話をして、可愛いわ。これから私がこの子のママになるんですもの、これからも、こうして触れ合って、お話して、親子の絆を・・・

「ゆり子さん、ブレインが光っているわよ」

お手伝いロボットさんが言います。あら?何かしら?胸のところをタッチすると、低い男性の声が聞こえてきました。

「森生ゆり子さんですか?豊洲島署のものですが、ちょっと今お時間よろしいでしょか?」

豊洲島署?署って何かしら。

「はい、大丈夫ですけれど」
「あなたが昨日お出かけになった、Hyde生誕祭の事についてちょっとお伺いしたいのですが、こちらにいらして頂けませんか?」
「こちらってどこですか?」
「豊洲島警察署です」

えっ・・・・???警察?どうして?どうして私が???私、何か悪い事をしたのかしら?

何度も言っています


2014年01月30日15:39

こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

そう言えば、私のブログのこの出だし、どうしてこんな風に思いついたんだろう?と考えていて、思い出しました。かつて(名前をよんではいけないあの幼児施設)のスクールバスを利用していた頃、マンションの前にそのバスが停留しる場所がありました。目印も何もないのですが、その辺りを「バス停」と呼んでいて、毎朝毎晩子どもを連れてバスに乗降させていたのです。

毎朝毎晩ですよ、4年間ずっとです。全員ママ友さんです。「揉めるな」といっても揉めない方がおかしいくらいじゃないでしょうか。尤も私以外の方で、揉めたという方を知りませんけれども。そして、そこのボスママさん、ボスママの中のボスママさん、king of BOSSMAMAさんは、そのバス停の方全員の住所、電話番号、メールアドレス、携帯の番号、そして兄弟の有無などを一覧表にしていました。

そしてその一覧表のメールアドレスに向けて、時々メールを配信していました。

「こんにちは、御徒町桃子です。寒くなりましたね、如何お過ごしですか?インフルエンザが流行っています。昨日病院に行きましたら、先生からこんな話を聞きましたので紹介しますね、それは・・・」

こんな感じです。季節のイベントの話題、(名前をよんではいけないあの幼児施設)の改善要望の賛同を募る、ランチ会のお知らせ、などなど。

そのうち何故かメールではなく小さなチラシが配布されるようになりました。それも同じような内容で。全員に配るのですが、私はなかなか頂けない事が多かったですね。手を出していても、さあっ無視される。自分だけお菓子を貰えない子どものような気持ちになったものでした。

話が飛びましたが、そのメールに書いてあったのですね。

「こんにちは、御徒町桃子です。」という風に。それで私も「こんにちは、元キャナリーゼの森生ゆり子です」と倣ったのではないでしょうか。今日思い出しました。

御徒町桃子さんというのは仮名です。「ライトなラノベ」に登場して頂くにあたり、名前を考えないといけません。ちょうどライトなラノベは秋葉原賞もあります。秋葉原の次は、御徒町、なので御徒町さんにしました。桃子はなんとなく。

可愛い名前と恐ろしいボスママ、ギャップがあってちょっといいんじゃないかと思いました。そもそも名前の可愛い人って、恐ろしい人が少なくないような気がします。いつかブログか小説にしたいと思っているテーマがあるのですが、そこに登場する人も名前の可愛い人でした。

美しいとか、幸せとか、そういうほんわかするような文字の名前、そんな人が大きな不幸を呼んできたというような。いえ、なんでもありません。先回のストーリーの最後の方で警察署が出てきましたので思い出してしまいました。先生、お元気ですか?ご無沙汰しています。

私は慌てました。どうしよう、来てというからには、行かない訳にはいきません。でも、一体なんの要件でしょうか。私が「警察署?」と大きな声を出したせいでしょうか。娘のサン、お手伝いロボットさんも心配そうに近寄ってきました。わかるのかしら?そしてアシタカ君も、テレビをみるのをやめて、私の方をみています。

「あの、どういうご用件でしょうか?」

私は聞きました。そう、まずはどういう用件なにか聞かなくては。忘れものが届いているとか、私は失踪していた事があるそうで、その顛末をもう一度聞かれるとか、そんな事かもしれないじゃないですか。

「んっんんっ」

咳払いをして、電話の男性は話はじめました。

「実はですね、hyde生誕祭の会場にチケットもなしであなたが参加したという匿名の電話があったのです。それについてお聞きしたくてお電話しました」

「え?そうなんですか?」

「はい、あなたが会場にいらした事は防犯カメラの映像で確認しています。駐車場から入られたんですよね。何故そんな事をされたんですか?これもカメラに写っていました」

ええ?確かにそうですが、故意にそうした訳ではなく、いえ、故意なのですが、別にhyde生誕祭に侵入しようとした訳ではなく、図書館に行きたくて、そしてベンツのボスママさんを追っただけです。でも、そんな事言って、信用して貰えるでしょうか。

図書館に行きたかったのは、豊洲島森生ゆり子さんの書いたブログの記事が掲載されている雑誌を探しにいくつもりでした。でも、それもおかしいですよね。今の豊洲島の森生ゆり子さんって、私ですもの。私が私の記事を探しにいくなんて、普通コピーやバックアップがある筈です。わざわざ図書館に行くという理由になりません。

それに、私はhydeさんの大ファン。多分、豊洲島森生ゆり子さんのブログにも、Hydie ハイディとラブラブに書いてある筈です。hyde生誕祭、どうしても行きたいと思われても仕方ないです。

言い逃れ、出来ません。違うのに、そんなつもりじゃなかったのに。

「もし、そうだとしたら、チケットを持っていないのに会場に入ったとしたら、私はどうなるのですか?」

「チケットをお持ちでなかったのでしたら一般的には不法侵入罪、それからチケットの入手法によっては東京都迷惑条例、ダフ屋行為は禁止ですからね、あとは物価統制令、購入金額によってはこれに当たります。

まずは署にいらして頂けませんか。もしお越しいただくのが困難でしたら、こちらからお邪魔させて頂きますが」

「いえ、行きます。行きますから家には来ないで下さい」
「いつ来ていただけますか。なんなら明日でも大丈夫です」
「いえ、今から行きます。「ライトなラノベ」の締め切りが明日ですので、明日では間に合わないかもしれませんから」

私は叫びました。

「ではお待ちしています。私は落合聡、刑事課二科のものです。受付でそう言ってください」

ブレインをクローズすると、心配そうな家族の顔がありました。私は泣きたいのを堪え、笑顔で言いました。

「ママね、お財布を落としたみたいなのよ、それで届けがあったみたいで取りにいってくるわ」

そういうと、息子が口を開きました。

「ママ、さっき下の売店で買い物したじゃない。お財布持っていたよ?」

「あーあれはもう一個のお財布、落としたのはお金がいっぱい入っている方のお財布なのよ。ないと困るのよ」

怪訝な顔のままですが、「なーんだ」と言いました。

娘のサンは、多分なんとなくわかっているような気がします。Hyde生誕祭に私が参加した事を知っています。そしてチケットを持っていなかった事も。でも、知らないふりをしてくれたのでしょう。こう言いました。

「ママはそそっかしいわね、早くいったら?アシタカの面倒は私に任せてよ」

かつての豊洲の時もそんな事がありました。「もう子育てなんて嫌ー!お母さんなんてやめたい、今すぐ!」などとやさぐれる私に、「今日は私が弟の面倒みるから。任せてよ」などと言ってくれる事がありました。まだ、彼女だって子どもなのに。

「ありがとう、サン。ママ、いってくるわね」

「ゆり子さん、暖かくしていくのよ。日が沈むと冷え込むからね」お手伝いロボットさんが声をかけてくれます。その声にもありがとうと返事をして、お化粧を綺麗にして、髪をくるっと巻いて、そして一番お気に入りのワンピースを着ました。

「何か辛い事や嫌な事がある時は、綺麗になって御覧なさい。気持ちが明るくなるし、悩みも小さくなるわよ。」

実家の母はいつも私が落ち込んでいると言っていました。なので豊洲にいた時、ボスママさんに苛められた時、辛い時は綺麗にしていました。そうじゃない時はすっぴんでボサボサ。でもいつも綺麗にしていないといけなかったですよね。そんな油断が何もかも、そして今回の件も悪い方に繋がってしまったのかもしれません。

本当に自分に怒りたくなりました。

豊洲島署、どこにあるのかしら。もういいわ、タクシーで行ってしまいましょう。節約している場合ではありません。

「豊洲島警察までお願いします」

タクシーの運転手の方は、ちらっと私を観て「えっ?」という顔になりました。その顔をみて、私が「えっ?」と思いました。なんでしょう、何かあったのでしょうか。

豊洲島警察署に到着しました。門をはいると、なんでしょう。正面玄関が黒山の人だかりです。何かあったのかしら?タクシーを玄関につけて、料金を支払ってタクシーから降ります。画像1


バシバシバシパシャパシャパシャ

一斉にフラッシュがたかれました。ま、眩しい。何なの?

「たった今、森生ゆり子さんが豊洲島警察署に到着しました。失踪後、「ママ友会合禁止令」発令、そして今回はhyde生誕祭の不法侵入ということで事情を聞かれるという事です。一体今度は何が彼女の身に起こったのでしょうか」

レポーターが騒いでいます。私?私の事でこんなに人が集まっているの?そんな、テレビ、カメラマン、それからマイクを持ったレポーターの方達。困る、困るわ。やめて下さい。何度も言っているじゃないですか。

直木賞以外ではマスコミに出たくないって。前にも言ったわよ?

カミングアウト

2014年01月30日18:37

こんばんは、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

雨ですね、でもそんなに寒くないです。

春の気配を感じてしまいました。(名前をよんではいけないあの幼児施設)の息子は年中半袖短パン、そうです、噂ではないのです、その通りなのです。なので寒くない日はほっとします。子どもが風邪をひかないで済むかしら?と。

「寒くない?元気ねえ」と言われると、ものすごい得意そうな顔になります。私は「上着、着てと言っても着ないんです」と慌てて説明します。

指定のジャージ、長袖長ズボンの制服もあるのですが、嫌がって着ません。先生達は「ジャージ着てきて」と声をかけて下さっていますので、多分ですが子ども同士の見栄なのではないかなと思います。

「俺、寒くないもんねえ」
「おれだってジャージなしで平気」

などと。子ども同士でお話しているのではないかと思うのです。 子どもは風の子、でもインフルエンザにはなる。

「学級閉鎖のクラスが出たそうで、手洗いうがいはしっかりお願いしますね、皆さまごきげんよう」おほほほほ。

メルマガ風まで真似してどうするんですか。やめましょうねふざけるのは。また苛められますよ?

それよりも目の前の、カメラのフラッシュやテレビカメラのライト、それにグレーのふさふさのついた長い棒の先についたマイク、かつて豊洲にいた時は、ららぽーと前の交差点あたりでよく街頭インタビューに遭ったものでした。そして、「そのままそのお話、スタジオでお聞かせ頂けませんか?」なんて言われる事もありました。

でも今は違います。街のお母さんの声じゃない、私自身、森生ゆり子を追求するために、マスコミが詰めかけているようなのです。

「どうなんですか?森生さん。チケットはお持ちだったのですか?駐車場から侵入したというのは本当ですか」
「Hydieさんの大ファンだったとブログに書いていらしてましたよね。だからですか?」
「どうしてもHYDIEさんに会いたかったのですね。違いますか?」

ちょ、ちょっと待って?やっぱりそういう事になっているのね。あの、私はHydieさんじゃなく、HYDEさんの大ファンなんです。間違えないで下さいね。

ちょっとむっとしつつ、でもその顔もテレビで全国放送されているかと思うと不機嫌なダンマリも心象が悪くなるかもしれません。かつて弁護士さんととある事件を解決するために奮闘していた時、よくこう言われていました。 「心象が大事ですよ」と。

尤も弁護士さんが言われたのではなく、保険屋さんが言っていただけなのですが。

そうだわ、弁護士さん、豊洲島に弁護士さんはいないのかしら。どうしたらいいか聞かないと、そしてこういうマスコミ対策を一緒に考えて貰いたい。 私はマスコミに向けて言いました。

「弁護士に相談中ですので、こちらでの回答は控えさせていただきます」

ざわざわとマスコミの方が何か言っています。でも、弁護士さんなんていないし、担当して下さる方、豊洲島にいるかしら?こんな回答、時間稼ぎの何かへました芸能人みたい。こんなの、私じゃない、卑怯だわ。でも本当の事は言えないし、言っても信用されないわ。

「私は100年後からタイムスリップしてきたんです。どうやら豊洲島の森生ゆり子さんと、入れ違ってしまったみたいなんです」 でも、豊洲島の森生ゆり子さんと入れ違ったかどうか、本当はわかりません。そうなんじゃないかなと、勝手に思っているだけですから。

それよりまずは刑事課に行かなくては。色々聞かれるけれども、正直に答えてみましょう。タイムスリップの話も、してみましょう。法の前では何もかも公明正大に。それが解決の近道だと、かつての弁護士の先生も言ってみえました。

「お待ち下さい、皆さん」

澄んだ大きな張りのある声、自信に溢れ、そして誰もがひきつけられるようなトーン、このタイミング。まさかあの方じゃないでしょうね?と、思ったら、やはりそうでした。かつての豊洲のボスママさんもそうでしたから。

「どちら様ですか?」

先ほどマイクを向けて私を追求してきたレポーターの女性が、ボスママさんにマイクを向けました。それに倣って慌ててマイクやカメラを向けるマスコミの方々。そして、全部のセットがその方にさあっとスタンバイされたを確認してから、その声の主は、すうっと一呼吸おいて、にかーっと笑顔になり、そして、おもむろに言いました。

「こんにちは、わたくし、御徒町 桃子と申します」

ママ友は友達?


2014年01月31日05:48

おはようございます、元キャナリーゼの森生ゆり子です。

とうとう「ライトなラノベ」最終日ですね。頑張って早起きしてみました。というのは嘘で、大抵こんな時間にいつも起きます。それも自然に。

眠くて眠くて死にそうになって、何度も母親に起こされて起きていたあの頃は遠い昔、ぱちっと目が覚めたらもう眠れません。そんな年になったのでしょうか。

前のブログにも書いたのですが、子どもを産んでからそうなりました。赤ちゃんが隣でごそっとすると、はっと目が覚めてしまう、そしておっぱいをあげたりおむつを替えたり。

体がそういう風に変わったのでしょうね。人間の本能ってすごいなあと思ったひとつでした。死んでも早起きなんて出来ない、一生寝坊人生なんだわと思っていましたから。

体は変わっても性格は変わりませんでした。団体行動、足並みそろえて、グループのボスのいいつけを忠実に守る、そしてそういう方を持ちあげて話を感心したふりをしてふんふんと聞く、丸く円になって道端でいつまでも。

そんな事はやっぱり苦手なままでした。今もそうです。そして、ここ豊洲だけではなく、遠いあちらこちらでも、同じような円陣が出来ているのでしょう。

若い方などがコンビニの前でお菓子を食べたり、しゃがんでお話をしているのを観ると「今時の若い人は」「ねえ、全く」などと、小さな子どもを連れたお母さんなどが眉をひそめますが、コンビニの前ならいいじゃないですか。道をふさぐように歩道のど真ん中で円陣作られる方が迷惑じゃないでしょうか。

なんて、またこの界隈のママ友さん達から総スカンをくらいそうな事を書いてしまって、私は全く反省というか学習しないというのか、出来ない人みたいです。もういいです、これで一生、生きていきます。

結婚する前、夫の母とお茶をしていた時に義母が私にこう言った事があります。

「あなた、そのままで生きていきなさい。取り繕ったり、よく見せようとか思わずに。そのままで、ね」と。

どういう意味だろうとその時は不思議だったのですが、今思えば「こいつどうやらあかんやつ。でも息子が好きで結婚したいというなら仕方ないわ」などと思ったのかもしれません。

でも、お義母さん、あなたの事だって私もそう思っていますよ?「この人みたいに、こんな風に生きていけばいいのかしら?」なんて。

珈琲を淹れたり洗濯物の乾燥具合を確認したり、そしてブログを読み返していたらあっという間に一時間程経過してしまいました。時は金なりブログはお金にならないでも賞金入れば10万円、でも断トツトップにランキングしているブログは既に存在するのでそちらに流れそうですね。

でもいいのです。こうしてまた締め切りがあると思って焦る気持ちが書きたい放題をしてくれました。

私ひとりでゴソゴソ書いていたら書けなかった事、あれもこれも書けました。この辺りの方々、そして(名前をよんではいけないあの幼児施設)の関係者の方々、もう驚きを通り越してあきれてものがいえない状況なのかもしれませんが、一番そう思っているのは本人である自分、そんな心境です。

頑張って書いたら明日は中華街だ!あら?行くつもり?まだわかりませんけれども。早く決めなければ。でもそういうテキパキした采配、多分周りの誰からも期待されていませんので大丈夫です。よろしくお願いします。

こしうして書いていると、結局は「ママ友達は友達じゃない」という事になるのでしょうか。

ママ友や友達について色々ブログに書いてきましたけれども、まだよくわからない事がいっぱいです。

あのking of BOSSMAMAさんとか御徒町桃子さんとか、彼女達はママ友についてどう思っているのかしら。多分ですが、お二人ともお仕事をずっと続けられて、その華やかな世界で「ママ」を看板に更に上昇気流に乗ろうと考えているような節があり、

「ママ友達?キラキラして幸せや元気を運んでくれるものよ。ママ友とか友達に境界線はありません。みーんな私の素敵な仲間よ\(^o^)/」

なんてセリフが聞こえてきそうです。

そんな彼女が今、マスコミの前に姿を現しました。

こんなタイミングで、いいえ、彼女はいつもこういうびっくりするようなタイミングで現れ、人々の注目をさっとさらい、そして輪の中でひとりで話し始めるのです。今日もそうみたいです。いつもと違うのは、その輪がママ友かマスコミか、それだけでした。

注目が一身に集まったところでおもむろに言いました。

「こんにちは、わたくし、御徒町、桃子、と申します」

すごい、マスコミ慣れしているわ。名字と名前の間をちょっとあける間の取り方、空気の掴み方。

そして、話す前に周りを笑顔でさあっと見渡すところ、ららぽーと豊洲のユナイテッドシネマの初日舞台挨拶で登場する人気女優さんみたい。

堂々として、「さあ、私を見なさい」というオーラ。豊洲にいた時のking of BOSSMAMAさんとそっくりです。

でも、いつも、豊洲にいた時もここ豊洲島にいる今も思うのですが、こんなすごい人がどうして私みたいなちょこまか挙動不審でつつくとすぐぺしゃんこになる大人しいお母さんを攻撃したりいじめたり仲間外れにしたりするのかしら。

わたしなんてどう見てもその他大勢なんだから、知らん顔してくれればいいのに、いつもニラニラとした表情で目をつけられて、イジメられて、本当に怖かったわ。今もそう、全然変わっていないです。

そんな彼女がまた登場しました。マスコミに叩かれかけている私に何の用事かしら。更に陥れようと思っているのでしょうか。あまりありがたくない方向に物事をすすめようとしているのは、間違いありません。いつもそうでしたから。

輝くような笑顔で、マスコミの群れをゆっくり見渡すようなしぐさをして、更に言いました。

「私、森生ゆり子さんのママ友達、いえ、友達です」

マスコミからどよめきが上がりました。そうだわ、私の失踪騒ぎの時、テレビの情報番組でもニュースになった事があるって夫が言っていました。

彼女がすごく非難されたって。そしてその輝かしいキャリアが一時寸断されそうになり、SNAP担当から子供向け番組の担当に異動になったって噂で聞いたことがあります。テレビ局にお勤めなのかしら?

そんな彼女、もともとというか、あれで一気に私と共に有名人になった筈。

「ママ友同士の確執、ママ友イジメは何故無くならないのか」と、香山リカさんが本を書いてらして、そして講演会をお願いして、ママ友で悩むお母さんが沢山集まって、そして、そして…

私、混乱しているわ。豊洲島の時なのか、豊洲にいた時なのか、よくわからなくなっています。

それより、king of BOSSMAMAさん、いえ、御徒町さん、私の友達だなんて、そんな筈ないでしょう。友達っていうのは、まず仲が良くないとなれないのよ。私をイジメ続けたあなたが何言ってるの?

私の心を見透かしたように、彼女は続けました。

「森生ゆり子さんと私、確かに色々ありました。彼女がブログや小説に書いた事、あったかもしれません。

でも、あのブログがあったからこそ、私達わかりあえて、ママ友じゃない本当の友達になったんです」

また、静かなどよめきが起こりました。そしてそれが収まるのを待って、また御徒町さんは話し始めました。

「お互いに反省し、歩み寄り、ほら、ママ友達って子どもの友達のお母さんじゃないですか。だから普通の友達付き合いと違って、煩悩や葛藤もその分多く、そして自分自身の気持ちを抑えつけたお付き合いをしなければならない事があります。

それで彼女も私も誤解が増えて、そして彼女は小説家志望の妄想家ですから・・・」

なによ?妄想家って。でもちょっと面白いわね。「懲り懲りゴリラ」には負けますけれども。

それにしてもよくまあこれだけベラベラとお喋り出来るものだわ。あ、また「ほら」って言った。彼女はどこに行ってもどんな状況でも、円陣の中でずっとお話する担当なのね。

それがボスママなのかもしれませんね。そして彼女は特に、ボスママの中のボスママ。

敵う相手など、どこにもいないのかもしれません。

と言っても、私、彼女に喧嘩売ったことなど一度もありませんし、それどころか彼女にはずっと低姿勢なまま、自分の意見どころか普通にお話するのも怖々おっかなびっくり、近くに立たれるだけでぞわぞわして笑顔がひきつっていたと思います。

バス停の時だって、いつも彼女を中心にお喋りの円陣が出来ていましたが、それをちょっと離れたところで眺めるような日々でした。

なのに、なのに・・・

「…と、言う事は、hyde生誕祭のチケットは、あなたが彼女にプレゼントしたということですか?」

え?チケットをプレゼント?すみません、話聞いていませんでした。

ああ、いつもそう、私って自分の妄想の世界に入ると人の話というか、周りが全然みえなくなる人なんです。今もそうでした。何か彼女が話していたのですが、私を妄想家といったところからすっぽり別の世界を旅していました。

「豊洲にいた時」に。

「そうなんです。ほら、ご存じのようにhyde生誕祭は我が社がメインプロデュースを担当しています。Hydieさんもそうですが、hydeさんが活躍されていた時代にも我が社とはご縁がありましたし、それはずっと続いています。

そして私はhyde生誕祭のPR担当をさせて頂いておりますので・・・あ、申し遅れました。わたくし・・」

そしてまたすううっと一呼吸開けたかと思うと、

「広告代理店、株式会社美宝堂、事業企画部、イベントプロモーション戦略室、HydiePRグループに所属しております。

今回のHyde生誕祭も企画担当させていただきました。今年の生誕祭、如何でしたでしょうか?ニカ」

ほお・・・そんなどよめきが上がりました。私も思わず「へえー」っと声をあげてしまいました。

「そうなんです。世界的に争奪戦になる希少価値なプラチナチケット、こんな風にどなたかにプレゼントというのはコンプライアンス的にもよろしくない事は重々承知なのですが、私、どうしても彼女をこのイベントに今回は招待したかったのです。

それで社長に直々に談判しまして、チケットを一枚彼女に用意したのです。

社長も彼女の事は知っていました。「ママ友付き合いに挫折した可愛そうなお母さん、そして誰も助けない、関わりたくない変態・・・いえ、ちょっと変わったお母さん」だと。

だからこそ、私だけは彼女の味方になりたかったのです。勇気つけようと、元気を出して貰おうと、それでチケットを。だって私達、ママ友を通り越して…(すううう…)

・・・本当の友達になりましたから」

おおーっとどよめきがあがりました。私は何言っちゃってるの?と鼻白みましたが、黙っていました。

そういう事にしないと、不法侵入罪で逮捕されてしまうかもしれません。初犯ということになるので起訴猶予とか書類送検で済むかもしれませんが、そんな事で有名になるのは困ります。

だって、私はお母さん。子ども達の将来にも傷がつきます。森生なんて珍しい名字、名乗れば、ああ、あの、という事になるでしょう。進学にも就職にも、そして次世代にDNAを繋ぐための結婚にも。

なので彼女の言うことを、うんうんと頷いてただ聞いているしかありません。マスコミの方も私の存在など忘れたかのように、彼女のスピーチを聞いています。すごいわ、もう彼女しか存在していないかのような空気。

長年ボスママを、そして今は裏番と言われるだけはあります。

それより、彼女がそんな会社にお勤めだったこと、そういう仕事をしていること、しかもhydeさん生誕祭のPR担当だったこと、全然知りませんでした。でも助かりました。

「・・・と、いう訳ですので、彼女はチケットなしの不法侵入者ではないのです。わたくしが証明しますわ」

パシャパシャパシャバシバシバシバシ

画像1

気がついたら私と彼女のツーショットが、マスコミのフラッシュの嵐を浴びていました。

ぽかーんとした私の顔と輝くような笑顔の御徒町桃子さんの写真は、世界中のトップニュースになりました。

ママ友同士の諍いなどどうでもいいのですが、かつての世界のスーパースターhyde生誕祭、そして現在の世界的なビッグスターHydieさんが出演するイベントのチケットの行方についての話題ですから、世界中が注目するニュースになったのです。

そして、私はいつの間にか、御徒町桃子さんの友達、そんな事になっていました。

そして私が書いた御徒町さんにつて苛められたというブログや小説、気の小さい根暗なお母さんが御徒町さんと仲良くなりたいがために妄想して想像して書いたフィクション、という事になってしまいました。それも世界的に。

でもこの一件のお陰で「森生ゆり子」という名前も有名になり、様々な雑誌社から原稿依頼がくるようになりました。このまま頑張れば直木賞も夢ではないかもしれません。

そして御徒町桃子さん、彼女には本当にやられっぱなしでへとへとですが、不法侵入で逮捕される事も免れましたし、助けて貰ったのですからもうなんでもいいです。

「あのブログや小説は真実です。私、彼女にいつもイジメラられていました。そして辛すぎて本当に死のうと思った事があるんです」

とは言えなくなってしまいました。でも、これで良かったのかもしれません。だって彼女はママ友さん、ご近所さんなのですから。敵対するようなことは絶対あってはならないのです。

でないと、子ども達の友達関係に影響しますし、子ども達の健やかな成長を信じる事も困難になります。

なので、これでいいのです、不本意ですよそれは。私が沈黙して我慢し続けた8年、娘が8歳だから8年なのですが、ずっとずっとずっと、私は、何をしてきたんでしょう?

本当でしょうか?ママ友達は友達?私がずっと書き続けてきたブログ、そんな結論でいいのでしょうか。

ママ友の女神さま、これで本当におしまい?もう私の事、いじめたりしないで下さいね。

Pieces

2014年01月31日06:48

そして、豊洲島の穏やかな日々が再び戻ってきました。

「あははは、あの時のゆり子さんの顔。テレビで実況見ていたけれど、おかしくて堪らなかったわ」

東十条桜子さんが笑っています。

そうです、今日も豊洲総合病院の待合室に来ています。私の担当医もテレビをみて私を知ってくれたのでしょう。もう「豊洲島総合病院へ」と転院をすすめる事もなくなりました。変わった人、何を言っても無駄、そんな風に思われたのかもしれません。

そして今日は娘のサンも一緒です。ダリアちゃんも。そして車いすのダリアちゃんのおばあちゃん、いえ、ひいおばあちゃんも。今日は珍しく起きていらっしゃいます。でもぼんやりとした笑顔で、お話もあまり聞こえていないような感じです。

お年を聞いたところ、108歳だそうです。もうそんなお年なら、こんな風に赤ちゃんみたいになっても仕方ないですね。人は年をとると、だんだんまた赤ちゃんに戻るそうですから。

「おばあちゃん、タイムカプセル出来たよ。おばあちゃんのお母さんにちゃんと届くと思う?」

ダリアちゃんがおばあちゃんにタイムカプセルを握らせて、そして耳元で大きな声で話ています。そうだわ、タイムカプセル。こちらの方が世界的に大きなニュースになりそうなのに、あんな私のぽかん顔が新聞のトップを飾ったりして変よね。恥ずかしかったわ。

「でも、御徒町さん、ゆり子さんにマンションの下でチケットについて聞いてきたんでしょう?その後すぐ警察から電話がかかってきた。そしてマスコミの前に突然姿を現す。ねえ、もしかして・・・」

桜子さんが小さな声になり、そっと言いました。

「えっ?」

私はびっくりして桜子さんの顔を観ます。彼女もじっと私の顔をみます。

ああ、そうか!そうかもしれません。全ては彼女が仕組んだこと?

あんな風にいじめをする事が世間に知れ渡り、「みんな大好き、だから私もみんなが大好き」みたいなキラキラした存在だったのに、それが覆されてしまった訳です。

名誉を挽回するために、ニラニラと虎視眈々と機会をうかがっていたのかもしれません。

そして私のhyde生誕祭の不法侵入騒ぎ。

絶好のチャンスだと思ったのかもしれません。待って、その前に図書館のある放射能除去装置のタワーの前でお会いしたのも偶然かしら?

駐車場のスロープとはいえ、警備員が誰もいなかったのって変だと思っていたけれど偶然だったのかしら?

それに、アシタカ君と下の売店でお菓子を買った後に「チケット持っていた?」と聞かれたのは…

全ては偶然?必然?それとも・・・神様?hyde様のご加護?ああ、hyde様・・・

「まあ、いいじゃない。それで御徒町さんとは仲良くなれたんでしょう?」

桜子さんが私のもやもやした妄想を打ち破るように言いました。そうだわ、御徒町さん、それが・・・

「先日マンションの渡り廊下でバッタリお会いしたの、お互いひとりだったわ。あのマスコミ騒ぎから初めてお会いしたのね、だからお礼を言わなくちゃと思って、笑顔で「こんにちは」って挨拶したの、

そうしたら・・・」

「どうしたの?」

「すごい顔で睨まれて、挨拶無視されたの」

「ぷっ・・・あははははは!」

また桜子さんに大笑いされてしまいました。私は笑えませんでした。何も変わっていないのです。ママ友は友達じゃない、そしてボスママはボスママのまま。私は相変わらず苛められっ子の孤独が好き、でも本当は違う、寂しがりやさん、そしてちょっと変わったお母さんのまま。

ママ友で悩んだ8年間とずっと書いてきましたが、まだ記録は更新されそうです。

でも、良かった事もありました。以前は会うと挨拶もされない無視されていたマンションのご近所さん、(名前をよんではいけないあの幼児施設)のご父兄の方々、普通に挨拶をして下さる方が増えました。

立ち止まって話をしたり、円陣の輪に入ることはないのですが、空気がちょっと暖かくなった気がするのです。気のせいでしょうか?

そして東十条桜子さん、こんな風に赤裸々に話を聞いて下さる方もみえますし、もうママ友の悩みも消えてしまったのかもしれません。

そもそもママ友で悩むって事自体、平和で幸せな事なのかもしれません。

夫婦の不仲、嫁姑の確執、経済的な身体的な精神的な悩みがないという、あってもママ友の悩みにすり替えられる程度という事です。幸せでなくてなんでしょう。

ママ友って、一時的な仲だそうです。子どもが大きくなって必要なくなれば消えてしまう関係。

「もうね、子どもが大きくなったらそれどころじゃないわよ」

先輩ママ達は口々に言います。本当にそうかもしれません。子ども達も大きくなってきました。ママ友が必要な時期もあとほんのわずかかもしれません。

「だから、タイムカプセルなの!わかる?おばあちゃんのママに送るの。ほら、「to yurikomorio」って書いてあるでしょう?」

ダリアちゃんの声に、びっくりしました。ゆり子?森生?森生ゆり子って?私?このおばあちゃんのママが森生ゆり子さん?

おばあちゃんは108歳?私は100年後の世界に来ているのよね、と、いう事は、このおばあちゃんは。

まさか、まさか…

桜子さんも、ダリアちゃんも、サンちゃんも、はっとした顔で私をみました。ああ、そうだった、この人、「森生ゆり子」じゃない。そう思ったのかもしれません。

私はじっと車いすのおばあちゃんを見つめてしまいました。思わず近寄ります。そして、顔をじっと観察、いえ、そんな、誰かの顔をじろじろ見てはいけないって母がよく言っていました。そして、娘の梨花にもよく言っていました。

「梨花、どうしているかしら」と100年後の世界にきても尚心配し続けたのは、娘の事でした。

「梨・・・花・・・?」

そっと声をかけます。すると、車いすのぼんやりしたおばあさんが、はっとした顔で私をみました。どこにこんな力があったのかと思うほど強い視線に変わりました。そして、

「・・・ママ?」

梨花?梨花なの?そうだわ、この目、梨花だわ。しわくちゃになっても、目の輝きでわかります。いつもいつもこんな顔で、目で私の顔を見つめていました。そうだ、この口元の黒子、手の甲にもありました。小さなシミ。

「ママ、どうしてこんなところに黒いのがあるの?」と聞くので「これはね、幸せの印なの。神様がつけてくれたのよ」

なんて言っていたものです。

間違いありません、私の娘です。梨花、梨花、長生きしたのね、そしてこんな素敵な娘さん、お孫さん、家族に囲まれて幸せになったのね。あなたのすぐそばに新しい花が生まれて、木漏れ日の中で穏やかに揺れているのね。

あんなに「ママ友で揉めたのはあなたのせい」とか、「子どもなんか嫌い」「あなたなんか生まなければ良かった」などと言ったりした事もあったのに、ひどい母親だわ、ごめんなさい、私のせいで・・・可愛そうな事をいっぱいしました。八当りとか、叩いたり、髪の毛を引っ張ったり、たくさん、たくさん。

なのに、こんなに幸せそうに、安らかそうに。現実かしら、夢じゃないかしら、いつもの私の妄想?

手を、手を握らせて、梨花、梨花、あなたも私も生きているのよね?ああ、暖かいわ、あなたの手。こんなに皺皺で、すっかりおばあちゃんになって・・・

私は涙が溢れてきました。咽が詰まって言葉も出てきません。

108歳になった娘の手の暖かさだけが現実のようでした。桜子さん、ダリアちゃん、そして豊洲島の娘のサンちゃん。驚いて私と梨花をかわるがわる眺めている気配がします。誰も何も言葉を発しません。梨花もそうみたいです。

きっと小さいころと同じように、不思議なものを見る時のぽかーんとした顔をしているでしょう。見えなくてもわかります。

私、お母さんですもの。

ピカッ

娘の手に握られたタイムカプセルに私の手が触れた瞬間、青いタイムカプセルが赤色に光りました。涙でよくみえなくなっていますが、赤に光ったのはわかりました。そして、どこからか赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。

梨花の赤ちゃんの頃も、あんな風に泣いていたわね、そしてお母さん一年生な私は色々わからない事だらけで育児で悩み、困って、そして、だんだん慣れて、そして慣れた頃には今度はママ友さんの悩みで困って・・・そして・・・そして・・・

小さく光った赤い光が大きくなり、私を包み込みました。暖かいわ、お母さんのお腹の中ってこんな感じだったのかしら。ママ、ママ、お手手が暖かくなってきたわ、眠いわ・・・ママ・・・

梨花・・・私の、大切な、娘・・・泣かないで・・・

Flower

2014年01月31日10:31

「森生さん?こんにちは」

誰かが私に声をかけました。「こんにちは、森生ゆり子です」といつも語り初めてブログは始まります。今日は逆じゃないでしょうか。おかしいですね。

ガクン

はっ、いけない。寝ちゃった。あら?ここ何処?

目の前に大輪の花のような笑顔の女性がいます。私に話しかけたのはこの方のようです。あら、この方は。

「Angel さん、こんにちは」
「は?エンジェル?」

首をかしげています。私、何か変なこと言ったかしら。だってこの方は、豊洲総合病院でダリアちゃんのおばあさんの車いすを押していた、介護ロボットのTYPE:Angel 通称Angelさんです。私がAngelさんと呼んではダメなのかしら?

「今日、龍馬頑張っていますよ」

えっ?龍馬?豊洲にいた時の息子の名前じゃないですか。どうしてAngel さんがそんな事知っているの?そして、頑張っているって何を?

「ママー見ててねー」

小さな男の子が私に向かって手を振っています。そして7段の跳び箱をぴょーんと飛び越しました。しかも軽々とお猿さんのように。

ああ、ここは。

見渡すと、そこは(名前をよんではいけないあの幼児施設)のテントドームでした。息子の龍馬が体操をしていて、そして私は近くにあるブルーの平均台の上に座って、それを見学しています。声を掛けて下さったのは息子の担任の先生、介護ロボットではありませんでした。

私、今どこにいるの?

テントから外を除くと、見慣れた風景が広がっていました。すぐ隣にあるカフェ、そしてBBQテラス、そこで若い男女がBBQパーティをしています。テントの中は体操だけではなく、サッカー、バスケット、一番遠いところでは大人の男性がフットサルをしています。

そうだわ、ブレインで日付を確認すればいいわ。胸をぽんと叩きました、あら?何も反応がないわ、ぽん、ぽん。ブレインの代わりにコートのポケットから振動音が聞こえてきました。手探りでそれを取り出すと、薄い四角い物体でした。

これ、なんだっけ?ああ!そうだわ、これスマホだわ。このデコケース、ららぽーと豊洲のダイソーで100円で買ったやつです。お気に入りで割れてしまってもまた同じものを買ったのです。スマホで日付を確認します。

2014.1.31 pm3:37

おおー時間が元に戻ってる。いえ、私が豊洲に戻ってきたのです。そして、青い平均台はひとりぼっちな私のいつもの定位置、そして、ちょっと離れたとこのに同じように見学にきているお母さん達が4~5人、固まって立っていました。

いつもの風景です。何も変わっていません。

豊洲島の事、放射能除去装置のタワー、ママ友桜子さん、Hydieさん、そして108歳の梨花、私の娘。

あれは、夢だったのかしら。それともいつもの私の妄想?Angelさん、そうだわ、梨花の弟の介護ロボットっていっていたわね、という事はおじいさんの龍馬があの病院に入院していたって事じゃない?

あーしまった見てくれば良かった。今目の前でお猿のように飛び跳ねている息子、どんな風に枯れてたのか、枯っぷりをみてみたかったわ。100年後もふたりとも、私の子ども達は生きていたのですよね。

でも待って?やっぱり夢?私の妄想?

ですよね?

よく不思議な物語とか時空を超えるとか、結局は最後は「夢でした」という完結のものがありますが、あれって一番腹が立つパターンです。そんな事を言ったら、チャーリーのチョコレート工場も、ハリーポッターも全部「作者の夢でした」みたいな感じじゃないですか。そんなラストな小説、「読んで損した、お金勿体なかった」なんて事になります。

私の物語も、夢落ちで完結ですか。それはそうですよね。だって私、ただの専業主婦。何も取り柄のないただの主婦が書いた小説なんて、こういうオチがお似合いです。そもそも小説なんて、書いた事もないし、ラノベなんて意味も存在も知らなかったですし、ましてや「ライトなラノベ」なんて・・・

それ、美味しいの?

なんて感じですから。ふふふ、でもちょっと楽しかったです。ひとりぼっちで孤独な少年が実は魔法学校の生徒になる、そんな感じかしら?ママ友ゼロの孤独でちょっと変わったお母さんが、時空を超えて自分の子どもに会う愛と冒険とhydeな物語な訳です。夢でもそう思い込んでいればいいのです。

何も変わっていませんが大丈夫です。ママ友なんてどうでもいい。子ども達、夢でもあんなに長生きしてくれて、そして優しい子孫達に慰めて貰って、元気がでました。自分のひ孫がママ友なんて、私くらいじゃないかしら?こんな体験。

あら?名前?そうだわ。みんな花の名前だったわね。豊洲島の娘の名前もサンフラワーのサンだったし、桜子、ダリア、娘は梨花、私はゆり子。

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私のママが言っていたわ、女は凛と咲く花でいなさいって。だからうちはずっと女の子には花の名前をつけるのよって。そうだわ、梨花にそう話した事があったわ。そして花と言えば「Flower」。hydeさんがボーカルを務めるラルクの好きな曲ランキングで一位なのです。#豆知識

梨花、覚えていてくれたのね。でも待って?でもそもそも、あれは夢よね、妄想よね?どうなの?

そう思いながら、私は懐かしいスマートフォンで検索してみました。やっぱりこの指タッチでないとしっくりこないわ。ブレインも便利でしたけれども。

でも数年前はこうした指でスライドさせる機能なんてなかった訳で、こうして考えると将来本当にブレインみたいな端末が登場するかもしれないですね。

「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記」どうなったかしら?ライトなラノベコンテストに参加して、一生懸命書いたものです。

ああ、でもそれも夢だったかもしれません。

現実だとしても、100年後の世界で書いたブログなんて、100年戻ったここ豊洲で読める筈もありませんから。

でも一応、、、ん?何これ。何このブログ?

「元アイランディーゼゆり子の豊洲島にいた時日記」???

『元アイランディーゼゆり子の豊洲島にいたとき日記』


2014年01月31日11:10



「こんにちは、元アイランディーゼの森生ゆり子です。

今は100年前の豊洲にいます。豊洲島で書いていた私のブログ、あまりにもリアリティに溢れていたため炎上し、閉鎖要請が出てClose しました。

ママ友についてあれこれ悩んでいた私の唯一の息抜きだったのに。

青空幼稚園の中田先生、サッカーでご先祖様が有名だった方みたいですが、その方が園長を務める幼稚園の事、それから、その中でのママ友事情を赤裸々に書きすぎて、それで・・・」

何これ?ブログ?森生ゆり子って私?私、こんなの書いた覚えないわ。

となると、豊洲島の森生ゆり子さん、実在されていたのでしょうか。そしてやはり私が思っていた通り、100年前と100年後のふたりが入れ替わったのでしょうか。

そうだわ、タイムカプセル、あれのせいかもしれません。ダリアちゃんがおばあちゃん、いえ、梨花の母親にタイムカプセルを飛ばしたいと言っていたけれど、それは私の事ですよね。

未来がどんな風になったか教えたいって言っていたけれど、もう十分すぎる程わかりました。

あのタイムカプセルのせいで、私は100年後の世界に呼ばれてしまったんじゃないでしょうか?タイムカプセルが来ないといけないのに。そしてタイムカプセルは役目を果たしました。

だって、私、実際に見ましたもの、この目で。

豊洲の臨海地区にぽっこりと浮かぶ豊洲島、そこに光り輝き聳え立つ放射能除去装置のタワー、hydeさんのお孫さん、そして私の子孫達。

未来を知ってしまうと先がわかって人生つまらない、そんな事を聞いたことがありますが、私は逆に元気が出てきました。

ママ友付き合いに挫折し、苦しみ、一時は死んだ方がマシとまで思った事、そんな過去はもうどうでもいいです。

私をイジメたママ友さん達、仲間外れにされたママ友グループ、LINE、バス停、king of BOSSMAMAさん。遠い未来には、何も残っていませんでした。きれいさっぱり、私自身も含めて消え失せていました。

そして2014年豊洲に戻ってきました。勿論まだ色々な問題はそのまま、悩みも苦しみも何も解決していません。

でも、時間が経てば何もかも消えてしまうという事、この目で見てきました。そうしたら、もうどうでも良くなってしまいました。いえ、まだ終わっていませんし、またこれから別な問題や課題、子どもについての悩みがもっともっと出てくるかもしれません。

でも、いいのです。自分の命が、DNAが繋がって、未来へと続いていたのですから。

ラルクのhydeさんも「Driver's High」(ドライヴァーズ・ハイ)の中で歌っています。

もう数えるくらいで僕らは消え失せて、
真っ暗な朝が来るね
お気に入りの服にさあ着替えたなら
駈け出して

本当にそうです、悩みはいつまでも続きません。そして自分の命も。明日、消え失せてしまうかもしれません。私だけじゃない、生きとし生けるもの全て、パパもママも友達もワンころりんも花も木も鳥も。

子ども達だけがいました。私の中のDNAが喜んでいるでしょう、新しい乗り物が存在する事を確認できましたから。勿論私も嬉しいです。もう、それだけで満足です。お母さんになれて良かった、子どもを生んで良かった。

今、初めてそう思ったかもしれません。

ママ友付き合いで挫折し、地域で孤立し、ひとりぼっちだと悩んだ日々は本当の事ですが、私、ひとりぼっちじゃありませんでした。

友達もいますし、家族もいます、ママ友ではないですが親身になってくれるご近所さん、そしてママ友から友達になれた方々、そんな方々の存在のありがたさ、ママ友付き合いで悩まなければ、当たり前だと思っていました。

でも悩んだからこそ、ありがたみがわかるようになりました。そして遠くに離れていながらネットで繋がる昔の友達、ネットがあるからこそ、今でも友達と思えています。

ネットで炎上したり、メールやLINEで失敗したりすると、こんなものない方が良かったなどと思ったりもしましたが、いい事もたくさんありました。

そしてブログ。ライトなラノベコンテストに参加したのも、ネット上でのやりとりをした方からのアドバイスでした。

そして13歳のハローワーク主催者様、その節は大変失礼いたしました。またどこかでご縁がありましたらよろしくお願いいたします。

そしてラルクのhydeさん、hydeさんを知って私の人生は輝き始めました。ラルクの歌、hydeさんの歌声、何もかもが奇跡です。飽きっぽい私ですが、きっとずっとファンでい続けると思います。

ロックバンドなんて、J-Popなんてと思っていたのを反省します。将来子どもがそういう系統の音楽を聴く時がくると思いますが「クラシックを聴きなさい」などと言わず、一緒に楽しめるお母さんになれると思います。

そしてhydeさんの美貌、パワフルさ、これからも見習います。国立でお会いできるのを楽しみにしています。ファンクラブにも入りました、会報楽しみです。

そして、ブログにアクセスして下さった、読んで下さった皆さん、TwitterのフォローFacebook のお友達申請、本当にありがとうございました。顔も知らぬ方々にも励まして頂いて、挫折しそうなところを何度も救っていただきました。本当にありがとうございました。

エピローグ的な何か『Vipper賞ありがとうございました!』

2014年03月07日11:12


こんにちは、キャナリーゼの森生ゆり子です。

豊洲島から帰ってきました。

そして豊洲島にいる間、「ライトなラノベコンテスト」に参加しました。

思えばこのコンテストに参加したのは、ほんの偶然からでした。正直に言うと、「ライトノベル」というもの、なんとなく聞いたことがある程度で、私とは全く無縁のものでした。カテゴリ的にも合わないだろうな、書いていて楽しい訳がない、オタクみたい、変な人と思われるかしら?などという理由で、当初は参加するつもりは全くありませんでした。

それでも参加してみようと思ったのは、自分のカテゴリというか、立ち位置というものが把握出来ていない状態で、闇雲に公募に小説を送るスタイルが果たして正しいのかという疑問を持ち始めたこともありました。縁があったのだから、とにかくチャレンジしてみよう。そんな風に考えて参加してみました。

いつものブログに小説をプラス、そして締め切りまでに完成、様々な思いを馳せ、煩悩、葛藤、苦悩、喜び、悲しみ、全部詰め込みました。これは書いていいだろうか、閉鎖要請がきたらどうしよう、今度こそ転園?そうだ、ブログがダメならTwitterに書いちゃえ、でも大丈夫?などなど。

俺さんがイラストを書いて下さいましたが、ほんとうに毎日こんな気持ちで書いていました。「だめよゆり子、だって私はキャナリーゼなのよっ!子どももいる、家族の立場は、ボスママが怖い・・・」

そして、完成しました。二次選考は敗退しましたが、自分的には大満足です。我ながらなかなか面白い。いつかドラマ化のお声がかからないでしょうか。そうしたらhydeさんと、ふふふ・・・

ブログやラノベを書いている間は、他の参加者さんについて思いを馳せる事も作品を読む事もなく、ただただ自分のスタイルを貫いていました。特に、作品については故意に読まないようにしていました。

何事にも影響を受けやすい自分のこと、つい読んでしまったばかりに他の作品のスタイルやプロットが似てしまったり、同じフレーズを使ってしまったりしないかなどを危惧してのことでした。

でもそれは後に他の方の作品を読んでみて、全くの杞憂ということがわかりました。とにかく皆さん、本当に個性が強い、ダイナミック、真似しろと言われても無理でしょう。文章の中に、妄想から生まれた物体を、具象したりを抽象化したり、ありとあらゆる手法で表現されています。ただただ、呆然です。

それと、もうひとつ強く思ったのは、「ラノベ」を書く人達の生真面目さ、こう言ったら失礼ですが、とても意外な気がしました。ラノベは軽くライトなもの、中の人達もそう、そんなイメージがありました。それは確かにある意味ではそうでしたが、いざ事が起こった時の真摯な対応、物事の本質への追求、理解、そしてリテラシーへの向き合い方には御見それしました。

子どもを生み育てるコミュニティで、いつも暑苦しい正義感や方向違いの使命感で疎外され続けてきた私は、自分の尊厳のようなものを失いつつあったように思います。それが、この「ライトなラノベ」に参加することで、重さやベクトルはやや検討違いであるものの、あながち間違いではなかったのではないかと思えました。

特に、例の投票所騒ぎでは、ラノベの武士達が挙って意見を戦わせていました。まるで維新の時代、新しい夜明けについて語り合う同士のように感じました。「ララノコンの夜明けは近いぜよ」とういように。

そんな中で私も、小さな脳みそで様々な事を考えました。今の自分について、これからの生活、モラル、リテラシー、そしてやはり子ども達のこと。世の中で大切な事は沢山ありますが、自分が関与出来ることはそんなにないのではないか。だとしたら、これからどのように自己を確立すればよいのか。次世代の子ども達にどう伝えたらよいのか。

未だよくわからないでいます。

ただ、このコンテストで作者の方々と交流を持てた、やはりそれが一番の収穫でした。そして、こんなにも小説を書く人達が世の中にいるということ、本当にびっくりしています。小説やラノベを書く人なんて、そんなにいないだろう、私くらいじゃないか、というのはオーバーですが、それに近い事を考えていました。

中学二年生でもそのくらいわかるでしょうね。

そんな私に、あれこれとアドバイスやコメント、そして雑談に混ぜて頂いて、豊洲に住むひとりの孤独なお母さんは、本当に嬉しくて楽しかったです。とても感謝しています、ありがとうございました。

「LAST MESSEGE」でも書きましたが、ご支援下さった皆様、そして、嵐ででもコメントを頂けたのは嬉しかったです。「嵐や怒りや軽蔑でもいい、無視されるよりは」そんな風に今は思います。存在を否定も肯定もされないという事、本当に辛く悲しいこと、それに比べたら・・・

ライトなラノベに参加している間、それから締め切り後の皆さんとの交流、とても暖かく楽しい毎日でした。

二次選考も終わり、ララノコン用のTwitterアカウントを削除したり停止したり、ブログもクローズする方もちらほらみえるようです。私もそろそろララノコンはいったん卒業したいと思います。それは、ライトなラノベの仲間達とのお別れを意味し、私が現実に戻るという事でもあります。とても寂しく思います。

でも、そうしないと次のステップに進めない自分がいます。

また、新しいブログを書きます。今度は締め切りのない、のんびりしたものになるといいなと思います。閉鎖期日、エントリー期日、そういうものがないブログ、今度こそ、「ブログは続くよどこまでも」というように、3年、5年と穏やかに続けていけたらなと思っています。

それでですね・・・、今回の某所の嵐騒ぎで思ったのですが、これからもし何処かで、

「~かしら?」
「~よ」
「~だわ」

などという書き込みを発見されましても、私ではありませんのでよろしくお願いします。私が何か発言する際は、「森生ゆり子」という、ブログやTwitterやFacebook、それから小説をアップする「星空文庫」さんという枠の中で発言します。

よろしくお願いします。

I LOVEララノコン。We♡ララノコン。

また次のコンテストで、皆さんにお会い出来たら幸いです。

最後に、私が時々Facebookに書いている「キャナリーゼゆり子の妄想日記」をこちらでもひとつ書いて終わりにしたいと思います。

俺さん、ゆり子のイラストと、みんなにVipper賞をありがとうございました

ララノコンとラルクは永遠に不滅でーす\(^o^)/ #hyde


☆☆☆


LNSS(ラノベショートストーリー)
タイトル「ララノコン学園の憂鬱」

監督「ハイッ!スタート(カチン)」

♪カーンコーンカーンコーン♪

先生「じゃあ今日はここまで、宿題やってこいな」
当番「起立、礼」

ザワザワザワ・・・

JC1「ゆり子、帰ろう~」
JC2「今日部活休みでしょう?」
ゆり子「うん、あ、でも今日ちょっと用事があるの」
JC1「なに?」
ゆり子「マネージャー日誌書かないと、部長に言われているの」
JC2「そうなの?じゃあまたね」
JC1「おっさきにー」
ゆり子「うん、またね」

(誰もいなくなった教室)

ゆり子「はやくやって、帰ろう、お腹空いたな」
パンダ「ゆり子さん・・・」
ゆり子「きゃっ、びっくりした。え?誰?」
パンダ「僕です・・・」
ゆり子「パンダくん?箱なんかかぶってるから、解らなかったわ。どうしたの?」
パンダ「はい、僕、ちょっとやっちゃって・・・それで・・・」
ゆり子「ま、また?前もやっちゃったわよね」
パンダ「はい、でも僕寂しくて、どうしてもやっちゃうんです・・・」
ゆり子「でも箱かぶっても、寂しさ消えないでしょう?」

優しく頬笑み見つめるゆり子、箱を脱ぐパンダ。

ゆり子「ほら、パンダの方が可愛いわ。ね?」
パンダ「ゆり子さん、僕、僕・・・あの・・・」

(教室の扉が開くガラッ)

灰堂「ユッリコ、帰るぞー」

ゆり子「あ、灰堂くん、うん、待ってて、これ書いちゃうから」
灰堂「パンダ、何やってんだよ」
パンダ「いっ、いえ、僕は・・・」
灰堂「箱脱いだんだな、そんな箱捨てちまえよ」
パンダ「うるさい!君に何がわかる」
灰堂「だいたい、箱かぶったってバレバレなんだよ。ダサ」
ゆり子「やめて灰堂くん、パンダくん可愛そうじゃない」
パンダ「ゆり子さん・・・ありがとう・・・僕・・・僕・・・」

灰堂「こら、パンダ。お前感違いするなよ?ゆり子は俺の彼女だぞ?それ以前に、

ゆり子はお前の事なんてなんとも思ってないんだからな」

ナレーション「嵐もやめとけ ( ´∀`)ナー」

監督「かああーーっとお!」
アシ「はい、オッケーでーす」

(完) I love hyde ♡

元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記

「LivedoorBLOG賞」を受賞された「Vipperな俺」さんの粋な計らいで、ライトなラノベの仲間達と電子書籍を出版することになりました。

ブログ小説をまとめて、イラストを選んで、誤字脱字修正してさあ送信、と思ったところに問題が発覚しました。「ライトなラノベ」部分だけ抽出した筈のファイル、なんと10万文字近くにもなっていました。

本来の「ライトなラノベコンテスト」の文字制限は、「3万字程度」、そして、俺さんの作品は4万文字くらいだそうです。仲間に入れてもらう身分の私がこの文字数とは如何なものか。なので、初心に還る意味でも、ベラベラベラベラ書き綴った部分をカットして、ぎゅっと凝縮して「ライトなラノベ的豊洲にいた時日記」作品に仕上げてみました。「元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記☆今度こそライトに改訂版☆イースター島じゃない豊洲島の物語」です。

俺さん、何から何までイラストまで、ありがとうございました。また、ラノベというジャンルにナビゲートして下さった「ライトなラノベコンテスト」様、叱咤激励して下さったララノコンの皆さま、この場をお借りしまして御礼申し上げます。

元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記

LivedoorBLOGさん主催の、ブログを更新しながら小説を連載するという「ライトなラノベコンテスト」に参加して書いた作品です。全20万字、小説部分だけ抜粋すると12万字 ブログで日記や雑感を綴りながら小説も書き、「ママタマ」などのスピンオフ小説を書いたり、参加者の皆さんと交流したり事件が起こったり、本当に楽しく参加させていただきました。Livedoor 担当者様、参加者の皆様、ありがとうございました。 小説の内容は、100年後の豊洲にタイムスリップした私が、現在と同じようにママ友で苦労しながら、愛と夢とhydeな冒険を繰り広げるお話全31章です。 元のブログはこちら。 『元キャナリーゼゆり子の豊洲にいた時日記』 一話から読む→ http://blog.livedoor.jp/yurikomorio-100later/archives/1128359.html

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ご無沙汰をしておりました
  2. 豊洲島からこんにちは
  3. 恋しないDND
  4. 2083年豊洲島誕生
  5. 新しいエネルギー
  6. 「ママ、しっかりして!」
  7. Beautifill Name
  8. 妻の秘密
  9. ママ友との遭遇
  10. 挨拶をしないということ
  11. ママ友会合禁止令
  12. ばか!ぶす!けち!
  13. 気まぐれロボット
  14. ソノママノワタシデイイト
  15. ママ友ロボット
  16. ブログ閉鎖要請
  17. 豊洲総合病院再び
  18. 絶対帰りたくないです
  19. もしやあなたは
  20. NEO UNIVERSE
  21. ボスママの中のボスママ
  22. STAY AWAY
  23. 何度も言っています
  24. カミングアウト
  25. ママ友は友達?
  26. Pieces
  27. Flower
  28. 『元アイランディーゼゆり子の豊洲島にいたとき日記』
  29. エピローグ的な何か『Vipper賞ありがとうございました!』