桐咲碧衣の絶望奇譚

桐咲碧衣の絶望奇譚

・これは実際にあったクトゥルフ神話TRPGの後日談を小説として書き起こしたものです。何卒。

 最後に問いかけた。 「君は、誰?」

 水底の街。あの暗く深い深海の街の生還から、早一週間が過ぎようとしていた。
 幸い異世界をよく知るらしい霊能者……月見里夕月の懸念していた現実との不適合や自我の消失も発生せず、ぞっとするほど穏やかに日常はすぎていた。そう、穏やかすぎるほどに。
 花恋が八方手を尽くして(噂によるとこの病院の委員長とはクラスメートとか。世間は狭い)用意してくれた僕の死を知る人間から隠れるための病室は病的なまでに白い。まぁ病院の隔離病棟の一部屋であることを考えれば当たり前なのだろうけれど。それでも空気すら遮断された、監獄のような部屋はどうにも田舎育ちの僕には少し息苦しい。それを見かねてか花恋がいろいろと家具やら調度品を見繕ってくれたのだが……こう、センスはやはり女の子のようだ。嫌いじゃないけど、これはちょっと恥ずかしい。言わないけど。
 ……当の花恋本人はどうも前より内心複雑らしく、物憂げな顔でため息吐くことも多い。何か声でもかけてやれれば少しは気が楽になるのかもしれないけれど、僕はそこまで器用じゃないみたいだ。

 そう。きっとそんな、無垢な空気に毒されすぎたのだろう。そして僕はそういうモノに近づきすぎた。
 ある深海の夜。あの街を思い出すほど深い夜に、僕は偶然にも同じ存在を見つけてしまったんだ。



 清浄すぎる一ヶ月は僕の中から危機感というモノを綺麗さっぱり消し去ってしまったようで、僕の好奇心はすぐに実行に移された。花恋の目を盗み、こっそりと閉鎖された非常階段から外へ。服は入院患者のそれだし、おまけに裸足の僕はどこからどう見ても脱走者だろうけど気にしてはいられなかった。
 久々に触れた外界は、酷く異質なにおいがした。爛熟し腐敗する寸前の果実をすりつぶして煮詰めたような甘いにおいに飽和寸前まで腐敗臭を混ぜたような、胃液の逆流する臭い。星はちらちらと切れかけの街灯のように瞬き、落ちた影が生き物のようにうごめく。何て滑稽。何て皮肉。零れかけた壊れた笑みを飲み込んで、ふらふらと気配の主の元に向かって歩み始めた。
 夜の街は、水底の街と気味の悪いほどに大差がない。異界の主はいつも視界の死に潜みその陰をちらつかせる。知らない間に影は世界を食い尽くしていたんだ。そして何より、そんな事を気にかける自分が一番滑稽で壊れていた。

「本当、どうして」

 くくく、と喉を鳴らして笑う。大して面白くもないのに笑えるあたり僕は欠陥だらけだ。あの世界の呪縛はまだ僕を縛り続けているようで。
 ああ、本当にくだらない。熱病にかかったように震える体を抱いて足を止める。街の隙間のような細道は青い街灯に照らされ気の狂いそうなほど深い影を生んでいた。そんな物陰に潜む僕に相手は当然のように気づいていて、さも当然のように歩いてくる。この上ない死と絶望を引き連れて。

 ひた隠しにした僕の本性がずるりと暗闇から身を剥く。僕は化け物だ。そして僕は僕を殺せる同類を捜している。

 そして、同類は程なくして目の前に現れた。
 目に刺さる青い光の元で彼女は足を止める。人形のように動かない表情と長く艶やかな髪。光にほんのりと染まった肌は白く、上背の割に骨格は華奢だ。爛と光を宿す瞳は白い炎のように揺らめき、黒い古風な外套を肩に羽織るようにして風になびかせている。彼女は僕をじっと凝視して、ほんのかすかな笑みを浮かべた。
 その瞳に焦点を合わせる、瞬間。化け物同士。お互いに、その背後にあるモノを見てしまった。彼女は数秒にわたってまじまじと僕を見つめた後、微睡む猫のように目を細める。その細められた目の奥には、ぞっとする程暗い光。

「……これはこれは、副王」

 くすり、と彼女はこれ以上なく邪悪に笑った。
 ……そう、僕は。おそらく彼女からすれば、僕はどうしても救えないほどに愚かなのだろう。だって彼女は僕みたいな中途半端なまがい物じゃない。そんな遙かに上の存在を同類などと、

「君は……焔?」

 霧散しそうになる理性をかき集めてそれだけをようやく口にする。
 見てしまったのだ。彼女を取り巻く無限の白焔と、彼女の瞳の最奥に渦巻く彼女の正体を。彼女は比喩やたとえ話ですらない、本物の焔。
 そう。魅入られた故の半端な力なんかじゃない。生まれついてのすべてを凌ぐ全能性に裏打ちされた圧倒的な力。人智の及ばない世界の最果ての存在にすら比肩する人類最凶最悪。
 そんな彼女は、僕の言葉と様子に表情を崩して驚くほど人間らしい顔で笑った。

「なるほど焔ね。うん、間違ってないよ。オマエ見る目あるな」

 砕けた口調と意外と親しみやすい笑顔に毒気を抜かれ、ゆっくりと息を吐く。だが彼女を取り巻く炎は相変わらず威嚇するように鎌首をもたげ、僕を注意深く観察していた。

「……君は、なに?」
「何って、オレはオレだよ。オマエの言うとおりのただの焔さ」
「僕を、知っているの?」
「知らん。だがオマエも道を踏み外してることくらい見ればわかる」

 そういって彼女は小さく鼻で笑う。嘲笑とも自信とも取れないその仕草に、僕は出来損ないのような作り笑いしか返せない。
 ……聞いたことがある。史上最年少で魔導師の名を冠した焔の魔女。だがその正体は魔女だなんて比喩も生ぬるい。羽織った闇色の外套は夜影に溶け、彼女の輪郭すら曖昧にするくせに肌は月のように白い。ぞっとするほど鮮烈で、そのくせ焦点を合わせられないほど蒙昧。致命的なまでの矛盾にクラリとする。僕が同類だと思った人間は、あまりにも僕から遠すぎた。

「……オマエ、殺してほしいのか」

 そんな、背筋の凍るような言葉すら哀願したくなるほどに。彼女は瞳に焔と、どこか憐れみのいろを宿して僕の背後を見つめ返す。

「僕は……この世界に、戻るべきじゃなかった」

 ざわざわと蠢く化け物の影を飲み込んで、ただそれだけの言葉を紡ぐ。

 この一ヶ月。ずっと自分の中の化け物と戦っていた。負ければきっと助けてくれた人たちもなにもかも喰らい尽くす化け物になってしまう。それだけは、嫌だ。
 花恋のことを、殺したくない。

「贅沢な悩みだ。ジョゼフ=カーウィンですらたどり着かなかったアカシャ年代記に触れながらも取殺されもせず、副王の加護を一身に受けたのにまだ物足りないか。人間」

 そんな僕の葛藤すら知らない、理解できない彼女は少しばかり不機嫌そうに言う。仕方ないだろう。焔は何があっても彼女に仇なすことはない。だが僕と化け物は紙一重の主従関係だ。あっちは常に僕を見張り、隙あらば殺しに来る。
 一瞬たりとも気の休まらない生活に。終わりの見えない戦いに、疲れ果ててしまった。それだけだった。

「何もオマエを殺しに来るのは内側のそれだけじゃないだろう。他の全てに繋がり無限に泡を増やす生ける時空なんて存在、教団は放っておかないぞ。そうなったらもうこの街も何もかもおしまいだな」
「……僕は、誰も殺したくない」
「無茶を言うな。中に飼ってるそいつは底なしだろうが。食っても食っても空腹のままだ、だから暴れてるんだろう」

 見て見ぬ振りをしていた現実を、彼女は容赦なく口にする。全てをわかっていて、僕が何を望んでいるか知っているくせに。
 やがて、彼女のいたぶるような口調に根負けして僕はゆっくりと僕の望みを口にした。

「殺して、ほしいんです」

 ……助けられたことは恨んでいない。むしろ感謝している。だからこそ、僕は誰にも迷惑をかけない内に死ぬべきだ。
 それでも普通の死に方はダメだ。僕の中のこいつが解き放たれるのは避けたい。それに。花恋を、悲しませたくない。死ななければ、わかっているのに手段がなくて。生きれば生きるほど生き続けたくなって。そんな我が儘な自分を殺してしまいたくて。そんな葛藤を、全部殺して。
 そうやって死にながら生きてきた僕を彼女は深淵に灯した焔のような瞳で見つめる。

「……それは意志か? それとも義務か?」
「僕の意志だ。……できれば、跡形もなく消えてしまいたい。だからあなたを捜していた」
「戯け。戯れ言を、本当に死にたいのなら手段を選ばず死んでいる」

 彼女は僕の紡ごうとした言葉を踏みにじるように乱暴に詰め寄り、胸ぐらをつかんで僕を見上げる。僅かながらも僕の方が背が高いというのに、睨むような彼女の視線に圧倒された。

「そいつを殺さなければなんてくだらないことを考えているから死に損なっているんだろう。半端者が死を語るな。生きられるなら生きたいとずるずるこの世を引きずり、曖昧な生きる手段に飛びつき神に媚びる弱者風情が」

 淡々とした声色に僕は二の句を継げず押し黙る。能面のように無表情な彼女の白い美貌の奥で、眼は爛と強い光を宿していた。
 ……ぼくは、弱い。余りにも。

「覚悟もない人間がそうやって死を人に押しつけて逃げるな、この愚か者。
 ……教えてやる。この世界の一番の悲劇は死なんかじゃない。永久の別れを受け入れられない余り手段と目的を取り違え魔法に奇跡を望み、道を踏み外して狂い果てる残された人間の話なんだよ。……オマエは身勝手だ。逃げてそれで許されたつもりか? 残された人間の悲劇的な結末を、知りもせず勝手に眠るつもりか? そんなもの、オレが許さない」

 ……魔法に奇跡を望み、道を踏み外す魔術師。そんなのありふれた話だ。死んだ人間を蘇らせたくて。失った記憶を取り戻したくて。不治の病を治したくて。健全なはずの望みを叶える手段はいつしか目的にすり替わり、道を踏み外して転げ落ちる。
 僕が死んだ後。花恋はどうなる?

 死ななければと言う義務感と、生きたいと言う願望と。それらがぐちゃぐちゃに絡み合って解けなくなっていく。震える息を吐き出すようにして喉から嗚咽が漏れ、膝から力が抜けて崩れ落ちた。

「ぼくは……死にたく、ない」

 死にたくない。なのに生きられない。
 何を呪えば。何に祈れば。そんな簡単なことすらわからない。生きていてもいいのか。死んだ方がいいのか。

 彼女はその場にへたり込む僕をしばらく見下ろして。やがて、細くため息を一つ付くと片膝をついて僕の顔をじっとのぞき込み

「いいんだ。生きてもいい。オレが権利をくれてやる」

 そして、あまりにも甘い言葉を吹き込んだ。優しい響きを孕んだ、甘いだけの残酷な言葉。彼女は顔を上げた僕の双眸をじっとのぞき込み視線すら絡め捕るように薄く微笑んだ。

「……もしも、オマエがその  をくれると言うのなら。オレが、そいつを殺してやる」



 最後に問いかけた。
「君は、誰?」
 彼女は笑って答えた。
「フォウマルハウトの魔女だよ。奇跡を起こすのが仕事なんだ」



 肉の焼ける音が苦悶の悲鳴に塗りつぶされる。……この手段を取った後でこんなことを言うのも何だが、もう少し別の方法を模索した方がいいかもしれない。
 青い甚平のような入院患者の服を着た裸足の青年は、左腕を突っ張り体から引き離すような姿勢で地面に倒れていた。痛みの元を体から離そうとする本能行動は見ていて痛ましいと取るべきか、はたまた無駄な足掻きと取るべきか。
 彼の左腕には、焼き印を押したように赤黒い火傷がくっきりと浮かび上がっていた。普通の火傷でも苦痛は相当なものだが、封印の印を焼き込んだのだから反応も当然かもしれない。

 さて、と青年から少し視線をはずして魔女は静かに星空を仰ぐ。あの星の向こうに神はいるのだ。カミサマは見ているよ、なんて無意味な言葉を人間は唱えるけど見ているわけがない。たとえ何百光年も遠くにあるのこの星の一個人を見つけられる視力があったとしてもカミサマに見えてるのはいい線行って昭和ごろだよ。それにたとえ時空すら超越する眼力を持っていてもそれこそそんな無駄なことに使わないと思うしね。

 そこまで考えたとき。不意に、重い破裂音が路地に響きわたる。……想像よりもずっと早いお出ましだ。

「離れて。碧衣から、離れろ」

 低く唸るような獰猛な声。だがその声は細く高く、どう聞いたって少女の物だ。そんな怖い声色だと可愛らしい声が台無しだよ。
 ゆっくりと振り返ると、そこには現代日本に似つかわしくない拳銃を携えた少女がいた。少女はかなりの小柄で、どう差引してもオレと15センチは身長差がある。それに加えてドール顔負けの繊細であでやかな金髪に白地の肌、そしてよく似合っているゴシックロリータの衣装。まるで重厚な童話の本からそのまま主人公が抜けだしたかのよう。その整った目鼻立ちに思わず視線を奪われ、完璧な造形に感嘆する。……まぁ、顔の右半分さえ見えなければなんだけどね。それでも骨格は綺麗に左右対称だし群を抜いた美少女だと思うよ。
 彼女はルビーのような赤い双眸に怒りの色を宿して、銃口をしっかりとこちらに向けている。銃には詳しくないが、音からして相当口径の大きい銃だと思う。

「……やだなぁ、そんなに怖い顔しなくてもいいだろう? ね?      、」

 彼女の名前を口にした瞬間、少女は息を飲んでその表情を凍り付かせる。おかしいな、名前を知っているくらいでどうしてそんなに驚くのだろう。

「どうして、」

 震える唇で彼女はそれだけ呟くと、それでも銃を構えなおして。今度は怒りに憎悪と、微かな怖れを混ぜた瞳でこちらを睨み付ける。
 ……驚くほど、感情の制御が出来ていない。あれでも本当にギャンブラーなのやら。

「さぁ、どうしてだろうなぁ?」

 そう言って首を傾げ、ゆっくりと少女に歩み寄る。そして動けない彼女の首に手を、



 最後に問いかけた。
「貴女は、何?」
 魔女は笑ってこう答えた。
「フォウマルハウトの魔女だよ。オマエにも殺せる程度のカミサマだ」

桐咲碧衣の絶望奇譚

桐咲碧衣:NPC
焔魔女:NPC
花恋:NPC

収録日:無し

桐咲碧衣の絶望奇譚

音を無くした深海の夜。絶望作家桐咲碧衣は焔魔女と邂逅する。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-15

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