practice(81)


八十一






 うんしょ,と聞こえるわけはない距離でもあるし,降りたばかりのバスのエンジン音が耳の中で目立って仕方なかったのだけれど,これから向かうことを想像してしまえば,主観は先行して台詞を当てはめる。膝をさする癖と,厚手の靴下を通した靴は軽く,財布や携帯,それにデジカメといった気ままに撮りながら移動をするのに,必要な分の所持品を収めた肩掛けを今は手にして,車内から連れ立って来た暖気がほこほことしていたことをより強く感じさせた。開けていたダッフルコートの大まかなボタンは暫くそのままにして,低く見えるからより伸び伸びと広い空と,静かな鳥の気配に,坂向こうの活気ある湯気が甘栗や煎餅といった定番の楽しみをお腹のあたりで思わせる。マフラーは要らずの日差しに,しかし気温が踏ん張って肌を寒がらせるから先に進もうとする参拝客は上がり坂の最初の陰りに身を縮こませて,二,三言,語り合ってからぐっと進む。建物の造りを気にしている人もあるのは案内図にそれを示唆する記述が確かあったからで,二階にある喫茶店もその雰囲気を大事に美味しい飲み物を提供している。一階には確か,男の子の興味を引く造形が見事な飛行艇やスポーツカーが陳列されていたりして,屋内も一風変わった楽しさを備えている。寄り道の時間は長くなりもする。荷物になるからと言って諭し,あるいは我儘と知って諭されまいとする会話が聞かれるのもまたここであり,玄関に備え付けられたベルが来客をまた告げるのを店内で知る。
 近付けば,でも緑の気配はやっぱり高まる。路地で途切れる日溜りもまた強くなって温かくなる。今や香ばしい匂いを目に見える具体的な美味しさで伝える,手の込んだ呼び声の通り具合も大きなものから小さいものへと変わる。下りて来る人たちと行き交う道すがら,幅のある一段一段にはよちよち歩きの子供が挑んで,無事に乗り越える。何かあるのかな,と見回すことはもう少し先の平坦なところで行われる,そこから道なりの曲がり角。ひと息を深く肺にいれながら,上のボタンを一つ留める。振り返れば明るい光が注いでいることは知っているけど,今は前を見たいのだった。牽引力は,新しくも新鮮。
 至るまで,葉は揺れずに目に触れる,土の感覚が多くなる,配置された空がここではまたより風景としての役割を担っているように途切れない。陽に対する影はこちらに伸びている。それを踏んだり,離れて,立ったり。小さい頃は,上を眺めたりするより池を泳いでいる鯉の数を追いかけることに夢中になっていた。白と赤の配色のもののうち,一番大きいものを発見すればそこに居たことを報告して,指差した。そこに架かる橋は一つだけある。水面にも写り,歳月を置いてから,ここで聞いたことが当時の両親の喧嘩話であったり,自転車でも来た時の不公平な,買い食い話であったりするのは歩きながら思い出した。使わなかったビニール傘と,突発的な雨の濡れ具合が点々と打ちつつ,ゆっくりと帰ろうと決めたときにあった間隔は蛙の鳴き声が埋めて,何処に居るかを確かめられなかった,行き道。手をかざした仕草は後ろ姿のもので,見上げたことはなかった。木漏れ日が視線を上手に弾く。滴は垂れて来ない。
 こつこつという橋の音が閉じる。
 行く前に,外れたところにある樹齢千年を超えるという大樹の頭が高く望めた。変わりないようで,手を大きく広げた枝葉をそこには吹いている風に任せて,生き生きとしている。それから正殿に向かうまでに咲いていたご神木の花が色づいて,近くなる。目に止まる,続いていく香り。人の活気も増して,思い思いを抱く。瞬きを代わりにする。
 また伸び伸びと低い空を撮った。仕舞ってからは,直ぐに歩き出した。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-15

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