Cross Road Blues【再編集】

璃玖

  1. introduction
  2. Ⅰ Layla
  3. Ⅱ the Stormbringer
  4. Ⅲ Mr.Big
  5. Ⅳ Where Were You
  6. Ⅴ ”Selah”

懐かしい友人の話をしよう。

ヤツはもう 俺たちと同じフィールドにはいないが
噂をすると、今でも時折”降りてくる”事があるんだ。

ただ、少し恥ずかしがり屋なもんだから
注目されると すぐに引っ込んじまう。

ヤツに会いたいのなら 君にひとつ頼みがある。

どうか、俺が話をする間
目を閉じていてくれないだろうか。


そうすればきっと、ヤツはココへ遊びに来るハズだ。



ホントの所、あいつは今でも
 みんなに自分の”音”を聴かせたくて仕方ないのさ。

introduction

外は新緑の映える五月のはずだが、その日は見る間に気温が上昇していった。

「日本ってのは、こんなに早く夏が来る土地だったのか?」
顔にかかる漆黒の髪を鬱陶しそうにかきあげながら彼はぼやいた。
自らの生まれ育った地とは違い、日本の気候はだいぶ湿気が多い。あまり得意ではないのだ。
だからこそ、爽やかなこの時期をねらって来日していたのに。目論見が外れた事もまた、彼をウンザリさせる要因に他ならない。
「今日は特別ですよ。昨日までは寒いくらいだったんだ
‥貴方が来たから一気にヒートアップしたんじゃないですか?」
同行していた日本人の男が、少しもたついた英語で応じる。
タクシーの勘定を済ませ、目的のライブハウス前に到着した。じりじりと照りつける日差しは本当に真夏のようだ。
「‥フン、だったら嬉しいな」
彼はその日本人を振り返り、少しだけひねくれた笑顔を見せた。

独特な彼の表情は、三十年前から変わらない。
数々の音楽雑誌に載っていたあの姿がそのまま、現代に降り立ったみたいに見える。
当時『ギター・キッズ』だった男が憧れ、友人たちとこぞってプレイスタイルを真似た。
そんな、神の様な存在を間近で眺められる日が来るなんて。
彼に後光が差して見えるのは、決して日差しのせいだけではないハズだ。
アーティストってのは、やっぱ歳を取らないんだなぁ
瞬間、当時に戻ったような気持ちでうっとりと神を見つめる。

「What‛s wrong?」
様子のおかしな日本人を奇妙に思い、彼は心配そうに尋ねた。

Ⅰ Layla

〝レイ〟―レイモンド・ジェイムス―は、半生で一度だけ自分が敵わないと思うプレイヤーに出逢った事がある。
勿論、自らを天才だと思いあがる程馬鹿じゃなかったが、
当時の彼は自分の腕とセンスにかなりの自信を持っていたのだ。

ミュージシャンなんて、そのくらいの〝おごり〟が無きゃやってられないよ
当時の音楽シーンは、爆発的にプレイヤーが増え
新しい音楽―特にロック―が次々と生み出されていた。

いわゆる『ロックの黎明期』というヤツだろう。『天才』と謳われるプレイヤーは数多くいた。
特にギタリストはまさに星の数で、レイもまた、その中の一人だった。

まぁ周囲がどう評価しようが、彼にはまったく問題ではない。
要するに、自分がやりたいようにやれればいいのだ。
だが、鬱陶しいメディアは彼と他の『天才』ギタリストを比較する。
嫌でもその舞台の中央に引っ張り出されてしまう。それが腹立たしくてたまらなかった。
仕方なく意識的に無愛想を装い、取材をシャットアウトしやすいような人格を築いていた。
故に、彼は結構な確率で誤解されやすい。


「よぉ、レイ。ちょっといいか?」
ヘッドホンから声が聴こえてきた。
レイは流していたフレーズを止め、ガラスの向こうに目をやる。
若干きつめに睨みを利かせたのは、曲のアレンジがちょっとノリ始めてきていたからだ。

防音ガラスの向こうに、すまなそうな表情をしたバンド仲間が見えた。
両手を合わせ、何やら東洋式の謝罪のジェスチャーをしている。
「‥フン」
一度止められてしまえば、この先いくら繋げようと思ってもモチベーションは上がらない。
仕方ない。レイは愛機を置いてヘッドホンを外し、席を立った。

無音の箱から出るべく分厚い扉を内側から開けると、途端に騒がしい空気が彼を包み込む。
卓前に座るチーフエンジニア、テープを操るアシスタント、
その後ろにはバンドのメンバーが座っていた。レイのアレンジを聴いていたのだろう。
「‥お前の一声で台無しだぞ、ダニー」
ベーシストに向かって皮肉を投げた。
「悪い悪い」
が、ちっとも悪びれた様子ではない。
レイが不機嫌になる事を予測した上で水を差したのだ。いちいち気に病んではいられない。
「お前に客が来てるんだよ」
ダニーは早速本題を口にした。
「客? 俺に?」
怪訝な顔をするレイに耳打ちするように、傍らから声が掛かる。
「すげぇ美人」
ドラムのスティーブ。その口調はいつも軽妙だ。
「はぁ?」
〝美人の客人〟と聞けば、さすがのレイもまんざらではない顔をする。
だが、自分の大事な時間を邪魔された憤りの方がまだ勝った。
「待たせときゃいいじゃねぇか」
「それがなぁ‥」
今度は言いにくそうに、ダニーが頭をかく。
「お前のアレンジに、口出ししたいんだと」
途端にレイの顔色が変わる。今にも怒鳴り出しそうな様相をした直後
「ハイ、レイ!」
スタジオの外から扉を開け、見たことのない金髪がにこやかに入ってきた。

「⁈」
怒りを吐き出そうと吸い込んだ息を飲む。先のスティーブの言葉通りだ。
まばゆいばかりのブロンドに、抜けるような白い肌
エメラルド・グリーンに近い瞳の色を携えた
…女?
レイが困惑したのを察知したのか、客人が毅然と言い放つ。
「あ、俺はれっきとした男だからね」
「…」レイはほうっとひとつ息を吐き出した。
「セラです。君たちのトコのウルフとは、長いこと悪友やってるんだけど」
「へぇ‥そう」
レイは気のない相槌を打つ。

と、後方後方からセラを追うようにして、一同見慣れたバンドのヴォーカルであるウルフが現れた。
「急で悪いな。どうしても紹介してくれって言うもんで…」
ニコニコして頷くセラの横で、申し訳なさそうな表情でレイを見た。
レイは舌打ちしそうになるのをこらえ、代わりにため息をつく。別に、ウルフが悪い訳じゃない。
「レイ・ジェイムス?」
セラが笑顔を向ける。ハスキーな声であるとは言え、やはり彼は〝彼女〟にしか見えない。
「ああ」
努めて無愛想に答える。
忘れちゃいない。コイツが俺のアレンジにいちゃもんつけようってこと。
「さっきのアレンジ、もう一度聴かせてくれない?」
セラはそう言っておもむろにレイの手を取り
先の重い扉を開けて、防音の箱に促す。
「は?」
珍しく主導権を握られ、
見ようによってはたじろいでいるようにも見えるレイを他のメンバーやスタッフは興味津々と見守っていた。
「‥おい、回しとけ」
チーフエンジニアがテープを顎で指し示す。
「え?」
アシスタントがきょとんとして聞き返すと、彼は不敵に笑って言った。

「スゲぇのが録れるかも知れねぇぞ」


レコーディングルームに入ると、再び無音の空間がレイを包む。
「えーと、さっきはこっちを使ってたよね。…俺にこっちを貸して貰える?」
セラはそう言って、黒いレスポールを指差した。
レイはしばらく黙っていたが、やがてつっけんどんに「いいぜ」と答えた。
「ありがと」
レイがサンバースト色のテレキャスターを抱え、さっきのフレーズを思い出す。
セラがストラップを掛け終える前に、音を紡ぎ出した。
ブギー調の小気味好いリフが蘇る。

レイが先のノリを取り戻し始めた時、傍らのレスポールがうなりを上げた。
「⁈」
さすがのレイも、その瞬間 表情を一変させた。
何だ、こいつ‥
レイのサウンドに挑むように、セラのサウンドが力強くかぶさってくる。
まるで、喧嘩を売られているようだ。勿論、黙って手をこまねくレイではない。
驚いたのはほんの一瞬ですぐに眼の色を変え、野太いレスポールの音に応戦した。
「…スゲェ」
レコーディング・ルームの外から見守っていた全員が固唾をんで見守る。
目の前で、見た事も無い化学反応が起きている。
お互いの音の波が競うようにフレーズを繋いでいく。
レイの性質を知ってか知らずか、
セラが喧嘩腰のサウンドを奏でることで、より好い音が引き出されて行くようだった。
実験が、成功したかのような そんな作品が完成しつつあった。

セラは決して、派手な奏法をひけらかす訳ではなく
あくまで基本的なラインを辿るだけだ。ただ、サウンドはその容姿から想像も出来ないほど力強い。
そして、信じられないくらいの指さばき。
それでもレイのテレキャスを追い越す事はせず、途中から何処かサポートするような形すら見せ始めた。
初めこそ、挑戦的で威圧的な音に負けまいといきり立ったレイだったが、
次第に自分のペースを取り戻してきている事に気付いた。

―弾き易い。
認めたくはなかったが、独りで弾いていたものよりも、格段に良くなっていた。

Ⅱ the Stormbringer

「あれが、噂に聞く『ストーム』ってヤツか」
テープを止め、何度か聴き直しながらチーフエンジニアが言った。

「ストーム?」
後ろで一緒にリプレイを聴いていたメンバーの中で
初めにダニーが口を開いた。
「〝嵐(荒らし)〟ってヤツだな。スタジオに乱入しては、ああやってギターソロでバトルするんだ。
で、あのテクだろ?大抵は食われて終わっちまうんだけど」
「時折、レベルの近いプレイヤーとぶつかると
とんでもないシロモノが出来上がるって訳か」

各々が先の奇跡の様なバトルを思い起こし、空になった部屋を見つめる。
ぶつかり合った当人たちは、既にその場に居なかった。
「‥都市伝説だと思ってた」
若いアシスタントが感嘆の息をもらす。
「ウルフはアイツの友達なんだろ?何で今まで黙ってたんだよ」
スティーブに肘で小突かれ、ウルフが決まり悪そうに視線をそらした。
「いや、その噂とアイツが繋がらなかったんだ。
確かに昔から巧いヤツではあったけど、本気で音楽やりたいなんて話は聞かなかったし‥」
「誰かと組んだりしないのかな?」
ぽつりと出た疑問に、ウルフが苦笑した。
「まぁ、何て言うか‥
ヤツは少し性格に難があるからね」

スタジオを出て数ブロック程歩くと、大きな公園がある。
入口で売っていたホットドッグを買って、レイはセラと共にベンチに腰掛けていた。
「あー 面白かったぁ。さすがは レイ・ジェイムスだねぇ
今までで一番のセッションが出来たよ」
ホットドッグをかじりながら、レイは返すべき言葉を探していた。

確かに、これまでにないサウンドが引っ張り出されたが…諸手を挙げて称賛する事が出来ない。
何を言おうとしても、負け惜しみにしかならない気がして口が開けない。
その様子に気付いているのかどうか、セラはちらりとレイを見やり
そして、前を向いてコーヒーをすする。

「‥あのテイク、使えそうかな?」
ポツリと呟いたセラの質問は、まるで独り言のようでもあった。
「…まぁ もしかすると」
散々探した挙句、答えられたのはそんな言葉だけだった。
「やった」
そう言って喜ぶ姿がまた、女の子のようだ。

ふと、思い立って聞いてみる。
「使う時は、アンタの名前、クレジットしてもいいのか?」
「―ううん」セラが即座に首を横に振った。

「俺の名前は出さないで。君がダブルテイク録ったことにすればいい」
レイは心外そのものという顔をする。自分のものじゃない音を俺のもんだと言うなんて、願い下げだ。
レイの気持ちを察して、セラは苦笑いして続けた。
「あ、やっぱイヤだよねー」

「何で、自分の名前を出したくないんだ?アンタ、〝世に出たい〟訳じゃないのか?」
レイが尋ねる。駆け出しとは言え、メジャーデビューしているバンドのレコーディングに〝殴り込む〟なんて、
それなりの野心があって然るべきだろう。
当然とも言えるレイの疑問を受けて、セラはもう一度首を横に振る。

二人の目の前を、若い母親がベビーカーを押して行った。見るともなしに、その姿を見ていた。

「‥俺の名前は、残すべきものじゃない」
「どうして?」
セラは笑顔をレイに向ける。何処か寂しげな眼の色を、レイは忘れる事が出来なかった。
「俺は所詮〝嵐(ストーム)〟だ。
名前を残しちまったら、君の〝名作〟に傷がつく」

『一緒にやらないか』とは、何故か言えなかった。
若さゆえのこだわりがあったのかも知れない。
今思えば、隣にいたあの天才の腕を掴んで
離してはいけなかったのだ。

◆◆

「レイ、紹介しますね。俺の友達であり、一番の理解者でもある『マサキ』です」
そう言って、レイの前に一人の日本人が紹介された。
「初めまして、ミスター・レイモンド。
此処のオーナーとエンジニアをやっている、マサキ・ツジドウです」

幾分か流暢な英語で自己紹介した彼は、金髪に近い色の髪とピアスという、日本人にしては少し軽そうな風体の男だった。
黒髪のレイの方が落ち着いて見えるくらいだ。だが、挨拶はとても丁寧で礼儀正しい。
レイもそれに倣って答えた。
「レイモンド・ジェイムスです。今回は呼んでくれて、どうもありがとう」
いつにない低姿勢と愛想のよさが『マサキ』だけでなく、周囲の人間を驚かせた。
「…何だよ」
空気を察して、レイは憮然とする。
隣にいた長身の日本人が慌てて言う。
「いや‥何て言うか、すごく日本的だなぁ‥と」
しどろもどろな言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。

こいつは、いつもそうだ。たどたどしく俺をフォローして、いつの間にか空気を和ませる。
無意識なのか、それとも計算なのか
いまだにこの男は掴みどころがない。
「郷に入っては郷に従え、とか言うだろ?」
レイが言うと、周囲も笑って緊張感が一気に緩んだ。


当時のバンドが解散してから、レイはほぼ独りで活動を続けている。
その時々でパートナーやバックのメンバーを選び
自らで交渉して、セッションやライブをする。
上手くいけばアルバムリリースまでこぎつけるが、元々こだわりと自我の強い性質だ。
納得のいくものが出来なければ、作品はお蔵入りにしてしまう。
その事で相手と仲たがいすることも無い訳ではなかったが、
初めから彼の人間性を理解しているメンツしか誘いには乗らないので、さして大きなトラブルを抱える事も無かった。
レイ・ジェイムスとセッション出来る
先ずは、それだけで嬉しいのだ。

レイ自身も、ソロアーティストと言うよりはセッションプレイヤーとしての色が濃く、
表舞台に立つよりも誰かのサポートとしてステージやレコーディングの場に立つ事がほとんどだった。
裏方のほうが、気楽でいい
そういうスタンスで、ずっとやってきていた。


イギリスでの生活に飽きを感じ始めた頃、思い立ってアメリカに飛んだ。
自らのルーツでもあるブルース発祥の地を回り、小さなライブハウスで気ままに弾く日々を送る。
そんな中で出逢ったのが、一人の日本人だった。

使う英語も頼りなく、おっとりとした雰囲気の男で
こんな優男がこの国にいて大丈夫なんだろうか…と
心配にすらなったのだが
それも、彼の唄う姿を観て払拭された。

レイは俄然、この日本人に興味を持ち
以後、彼の隣でギターを弾き始める。
名前をジン・イナムラと言い、現地の常連の間で『ジミー』と呼ばれていた。

◆◆

稲村(いなむら) (じん)の音楽的活動は、中学に上がる頃から始まっている。
あまり裕福でない家庭環境で、初めは楽器を持つ余裕がなくひたすら歌を唄っていた。
自分ではどうしようもない境遇に苛立ち、同年代の他の子供たちに劣等感を感じた。
そんな鬱屈した感情は、何処かでブルース音楽と共鳴するようになり、次第に音楽そのものにのめり込んで行く。
やるせない日常をどうにかするだけの力を持たない自分を唯一、唄う事で忘れることが出来る。

高校に入ってようやく、ギターを手に入れる事が出来た稲村が次に欲しいと思ったのは、パートナーだった。
生まれも育ちも自分とは対象的な背景を持つ、辻堂(つじどう) 真綺(まさき)に出逢うのはその頃だ。

何処か商社の社長の息子だと言う辻堂は、
稲村が欲してやまない全てのものを当たり前のように持っていた。
恵まれていると言う自覚を持たずに、親からの恩恵を享受している辻堂に怒りを覚える半面で
何故か強烈に惹かれていった。
その理由が解った時初めて、彼を音楽の道へ誘った。

二人は共にギターを抱え、更に他のポジションが出来るメンバーを探し、バンドを組む事に成功する。
当初の目的は学園祭で演奏する程度のものだったが、
彼らの音楽のクオリティの高さは高校生のレベルを軽く超えており、奇跡的に大人の耳にも認められる程だった。
〝Victorian Brew〟(ヴィクトリアン・ブリュー)と名乗ったバンドは、以後十五年近く活動を続ける事になる。

バンドが活動を続ける中、辻堂は自らがプレイヤーとしてよりも、裏方として動く方が性に合っている事に気がついた。
そんな時、雑用バイトで働きつつバンドのライブもさせて貰っていた
ライブハウス『スタジオG7』で、PAの仕事をしないかと誘われた。
エンジニアの面白さを感じ始めてきた頃、
先代のオーナーが体調不良を理由に引退し、『G7』の全権を辻堂に譲ると言ってきた。

その頃の『G7』のメインアクトは『ヴィクトリアン・ブリュー』であり、
やがて稲村が唄い、辻堂がサウンドを創り上げる形がスタンダードになった。

ブルースを基盤にしたバンドの音楽は通好みで、大人も楽しめるステージだ。
同時に流行りの感覚にも敏感なセンスは適当にポップなサウンドも創り出す事が出来、
彼らと同年代の音楽ファンにも相応に受け入れられた。

メジャーに駆け上がっても、メディアの露出は極力抑えて地元密着の小さな箱でライブを重ねた。
地味で地道な活動で全国各地にファンを増やし、バンドはアンダーグラウンドな所でかなり有名になっていく。

自然と、稲村やメンバーの目線は海外へ向いて行った。
ブルース音楽のルーツであるアメリカへ、バンドは期間限定で『武者修行』に出る事を決める。


◆◆

レイ・ジェイムスがアメリカでライブ活動をしていると言う噂を聞いたのは、稲村が渡米した直後だった。
稲村がボーカルに転向する前は、ともかくギタリストを追っていた。その中でもレイは別格だった。
ボーカルを取るようになった今でもずっと、憧れの存在だ。

彼のギターは、唄うようなサウンドを創り出す。
時にシャウトするように、時に抒情的にしっとりと
レイのギターは〝詩(うた)〟でもあるのだ。

そんな彼が、表舞台にほとんど顔を出さなくなって久しい頃。
しばらくは無責任な情報が独り歩きし、音楽の世界から退いて日々大好きなバイクいじりをしているとか、
オフロードレーサーとして何かのレースに参戦するのではないかとか、随分とぶっ飛んだ内容の話が囁かれていた事もある。

『レイは、シカゴの小さなライブハウスを拠点に今でも音楽活動しているらしい』
比較的信ぴょう性のある噂だった。

稲村の率いるバンドは、ニューヨークで活動を始めた。
時期を見てシカゴへも向かう予定だった彼らにとって、奇跡的で是非とも信じたい噂だった。
あの、レイ・ジェイムスがシカゴにいる。
それが本当ならば、直接会える可能性は無いにしても、ステージは観られるはずだ。
稲村たちは予定通りニューヨークでの活動に区切りを打ち、シカゴへ移動する。

果たして、その噂は本当だった。
が、自分にとって神のような存在が
まさか向こうから歩み寄って来るなんて
稲村は 夢にも思っていなかった。


馴染みのライブハウスに、新顔が来る…とレイは聞かされていた。
若い輩の新しい音楽を聴くのは楽しい。
凝り固まった自分のプレイスタイルやサウンドに、新風を吹き込ませてくれる。何より、刺激になる。
「珍しい事に、今回は日本人のバンドだぜ」
「ジャパニーズ?」
レイが持っている日本の知識なんて、なしのつぶてだ。
せいぜい性能のいいバイクメーカーがある事を知っているくらいで、あまりピンと来ていない。
「マンハッタン辺りじゃ、結構好評だったみたいだけどな」
そう言って、東の先の方に目をやった。
「ふうん」
前評判なんて当てにならないし、正直あまり信用はしていない。
ただ、この地で奏でようとする心意気は 見上げたものだと思う。
ジャズやブルースの本場であるシカゴをわざわざ選び、挑もうという精神だけでもなかなかのものだ。
…まぁ、自分もその一人だが。

そのステージの1曲目を聴き終える前に、全身が総毛立った。
何だ、コレは…。
クオリティの高いバンドのブルースサウンドに乗せられている その歌。
しゃがれ声が導き出すのは、聞き覚えのない言語。
…いや、日本語か?
発音が何処か英語のようだが、言葉がつかめない。
意味のない擬音を並べているようにも聴こえた。
それが逆に、純粋に〝サウンド〟としてだけで染み込んでくるので、すんなりと耳に馴染むような気がする。
おそらく、その場でステージを観る誰もが同じ印象なのかもしれない。
その日本人の歌は、とても不思議な『音』だった。


「hey, JIMMY
アンタに会いたいって人が来てるぜ!」
ステージが終わった後、スタッフの一人がそう声を掛けてきた。
「‥俺に?」
稲村がバンドのメンバーと顔を見合わせる。
「行ってこい。俺たちは先にホテルに戻ってるよ」
背中を押される形で、促された。

シカゴには到着したばかりだ。
俺を知っている人なんて、誰もいないと思うけど…

その相手は、静まったステージの上に居た。
他の機材は撤収され、
自らが立っていた時よりも少しだけ広く見えた。

一つだけ残されたスポットの下で照らされている姿を確認して、稲村は呼吸が止まる思いがした。

…嘘だろ
「Hi,〝JIMMY〟」
使い古されたテレキャスターを抱え
レイ・ジェイムスが座っていた。

さっきのスタッフが、興奮気味に伝えてきたのも無理はない。
稲村はしばらくの間、まばたきするのも忘れて立ち尽くす。
その様を見てレイは苦笑し、殊更仰々しく自己紹介をした。

「俺は レイ・ジェイムスってギター弾きだ。
今日の君らのステージ、楽しませてもらったよ」

今度、『天才』を見つけたら
絶対に その腕を離しちゃいけない。
もう 二度と会えない
あいつの二の舞にしないように

「早速で悪いんだが…
俺とセッションしちゃくれないか?」

Ⅲ Mr.Big

「あの、ミスター‥」
辻堂が口を開きかけると、
「〝レイ〟でいい。みんなそう呼んでる」
言って、レイは訂正した。辻堂は若干恐縮したが、ひとつ息を吸って改めて呼び掛ける。
「‥レイ、ひとつ気になってた事があるんです」
「何?」
準備前の静かなスタジオ『G7』の中で 二人の会話だけが聞こえる。
稲村はスタッフと共に買い出しに出ていた。残っているのは、辻堂とレイだけだ。

自分の店に、あの レイ・ジェイムスが居る
辻堂にとっても、夢のような出来事だ。
だが、生きた心地はしていない。
「こないだ貴方のバンド時代の旧作が、リマスターで再発されたんで、聴かせて貰ったんですけど」
レイは小さくお辞儀をして「ありがとう」と言った。いえ、と 辻堂は更に恐縮しつつ続ける。

「日本盤のアウトテイクの『the Storm』って短い未発表曲ですけど…
あのレスポール…誰が弾いてるんですか?」
聞き終える前にレイの目の色が変化したような気がして、辻堂は口にした事を後悔した。
だがレイは笑顔を見せて、そしてハッキリと答えた。
「俺だよ」
「‥本当に?」しまった。つい、流れに乗って聞き返してしまった。
「疑わしいか?」
慌てて打ち消す。
「いやいや!疑うなんてそんな…」
「でも、何か気になるんだろ?」
怒っている風ではない。それどころか、レイはむしろ興味深そうに辻堂を見つめ、話の続きを促す。
「気になるって言うか…
いつもの貴方らしくない音だなぁと思って」
「ふうん…」
辻堂が話すのを、レイは何処か楽しんで聞いているように見えた。
あるいは、試されているような。

少しの沈黙。やがて諭すようにレイが告げた。
「アレは俺の音だ。少し毛色の違う弾き方をしたが、間違いなく俺が弾いた」

◆◆

「おはよーございます!」
威勢の良い挨拶が聴こえてきた。
重たい扉が開かれ、外の光が薄暗い店内に射し込む。
生ぬるい風が、扉の開閉と共に緩く吹き込んできた。

今日はやたらと暑い日だったが、陽が傾いてきたお陰で外気温も少し下がったようだった。
レイ・ジェイムスは少しほっとして、新参者の顔を見た。
「よぉ、(りょう)
辻堂が声を掛けた。そのまま手招きして、その彼を呼ぶ。
辻堂や稲村たちより、随分と歳の若そうな…子供に見えた。
これまた少し茶色い髪色と、幾分か陽に焼けた肌色の、心身とも健康そうな子供だ。

「ツジさん!早いッスね」
「今日はスペシャルだからな。昨日、ちょこっと話しただろ?」
「ああ!例の‥」
そう言って、椋がレイを見る。
早口という訳でもないが、掴みどころのない言語のやりとりはすぐに理解出来ない。
レイは、黙って日本人たちの発する『音』を聴いていた。
〝子供〟と眼が合った。
「レイ、うちのスタッフのリョウです。ドリンクのオーダーとか、店の切り盛りをして貰っています」
辻堂が英語で伝えると、椋はぺこんとお辞儀をして
「どうも!和久井(わくい) 椋です」
子供が日本語で言った。
「リョウ?」
かろうじてファースト・ネームは聴きとれた。
レイが反芻して呼びかけると、椋は人懐こそうな笑顔で返事をする。
「イエース! ナイストゥミーチュー!」
完全にカタカナで発生された英語は、不思議な擬音としてレイの耳に届いた。
いつか聴いた、あの唄のようだ。
昔のジミーに似てるな
レイは、初めて逢った時の稲村の姿を思い浮かべて微笑んだ。
「初めまして。レイです」
極力ゆっくりと自己紹介して、元気な子供と握手を交わした。


「マーキー。あの坊やは一体いくつなんだ?」
椋が奥のスタッフルームに消えたのを確認して、レイが聞いた。〝マーキー〟こと辻堂が、苦笑して答える。
「二十五なんですよ、あれでも」
レイは素直に驚いた。
体格の良いジミーやこのマーキーも、実年齢より童顔に見える。
ましてあのリョウという青年はさほど大きくも無いので、どう見ても中学生くらいにしか見えなかった。
「日本人ってのは、時間の進みが遅いんじゃないか?」
ぼそりとこぼすレイの皮肉には、若干の羨望も窺えた気がした。
「貴方だって、そうでしょ?」
辻堂が笑いながら返す。「…て言うより」
「貴方こそ、時間が止まっているようだ。二十代の頃とまるで変わっていません」
マーキーの言葉に、レイも笑った。
ずっと変わらない、独特の表情で。
「早く大人になりたいもんだな」

◆◆

ステージが徐々に作られていく。

『ころがし』と呼ばれるモニタースピーカーが各ポジションごとにセッティングされ、
ドラムやアンプの周囲につけられたテープの印をなぞるように、スタンドとマイクが立てられていく。
PA卓の前に辻堂が座り、真正面でマイクを持った稲村が、音程を変えながら発声する。
サウンドチェックを繰り返し、少しずつ『理想の音』を組み上げていく。

『子供』だと思っていた椋もまた、いそいそと準備に動き回っていた。時折、〝マーキー〟に呼ばれて意見を交わしている。
音作りにも混ざるのか?
レイの心の内を読んだかのような言葉が、彼の隣りから聞こえた。
「あの子、耳がいいんですよ」
「ふぅん」
先まで、ステージの中央に居た〝ジミー〟がいつの間にかレイのすぐ脇にいた。

「ココに居る間、お前さんはこうやってステージを創ってきてたのか?」
ジミーこと稲村は、ニコニコと人懐こい笑みを浮かべてレイを見ていた。
レイは、何故かこの男の笑顔に騙される。
少しだけざわついていた神経が、ふっと和らいだ。

「ええ。俺たちは一から自分たちで作りましたよ。
プレイヤーでもあり、ココのスタッフでもありましたから」
その笑顔が、何処か誇らしく輝いている。
今までに、ちょっと見た事のない表情をしていた。
「〝マーキー〟とは、高校の頃からずっと一緒でした。
自分と同じ音楽が好きだって知って、無理矢理この世界に引っ張ってきたんです。
でも、彼もまんざらじゃなかった。
そして、センスを持ち合わせていた」

だから、ココにいる
レイは、つかまえ損ねた天才の顔を思い浮かべる。
「‥お前さんは、ちゃんとつかまえられたんだな」
「‥Pardon?」
ぼそりと落とされたレイの言葉は、稲村には聞き取れない程だった。
「いや‥何でもない。そろそろ、俺の出番かな」
言って、愛機をつかみ立ち上がった。

ギターのサウンドチェックが始まった。
全てのスタッフが、何かしらの作業をしつつ片耳をいつもより大きくして『神』の音を拾う。
「スゲぇや」
ドリンクバーのカウンターから身を乗り出して、椋が目を輝かせている。
決して音楽に詳しい訳ではない。
けれど、並のプレイヤーとの違いは歴然だ。
こんなにクリアーで深みのあるテレキャスの音を初めて聴いた。
視線を落として音を紡ぐその姿が まるで、一枚の画のようだ。
綺麗だな…と単純に思った。
ツジさんやジミーさんが憧れる気持ちがよく解る。

Ⅳ Where Were You

『嵐』が過ぎ去ったあと、レイは自分たちのサウンドに何処かもの足りなさを感じ始めていた。

他のメンバーが悪いのではない。むしろ、レイのわがままな要望によく付き合ってくれる。
彼らは、レイにとって数少ない友人でもあった。
だからこそ、お互いの言葉に遠慮がない。特に、ベースのダニーとはしょっちゅう大喧嘩をする。

「ああもう!勝手にしろよ!」
その日の言い争いも仲間たちにとっては日常茶飯事の光景だった。けれど、喧嘩の原因は少し違った。
スティーブもウルフも、そしてダニーも解っている。

荒々しく扉を開けて、ダニーが出て行く。
他の二人がどうしようもない、と言う顔を見合わせた。
そして、レコーディング・ルームに残されたレイを見つめる。
「…」
やるせない表情をして宙を睨むギタリストが見えた。
何が悪いのか、レイ自身だってとうに気付いているのだ。
俺は、無い物ねだりをしてるだけだ
行ってしまった『嵐』を呼び戻したいと、今更ながら切望しているだけなんだ

アルバムのレコーディングはスケジュールが大幅に乱れ、
結局、バンドとしての活動を少し休止しようという事態にまでなった。
嵐は確かに、今までの均衡を乱し
彼らの内に大きな波紋を起こした。
だからこそ、彼は『荒らし』と呼ばれているのだ。


休止宣言をした数週間の後、レイの元にウルフが訪ねてきた。

バンドメンバーとけんか別れしたような形になってしまい、
ダニーはおろかウルフと顔を合わせるのも久しぶりだった。
「よぉ大将。元気でやってるか?」

彼は、メンバーの中で一番温厚で物静かだ。
その性格がボーカリストとしては若干の弱点にはなるものの、天性の素質とたゆまぬ努力でカバーしている。
レイですら、ウルフの練習量には敵わないと思っている。
「ああ」
初めに何を言えばいいのか分からなくて、結局はぶっきらぼうに答えただけだった。
そういうレイの不器用な面も、ウルフはしっかり理解している。予想通りの反応を見て苦笑した。
「ちょっと、いいか?」
そう言って、親指で外を指す。レイは黙って頷いた。

アパートから五分ほど歩くと、大きな広場に出られる。
休日には蚤の市や大道芸などが出て、たいそう賑やかになる場所だ。
街の中心部でもあり、ウィークデイでも人の足がせわしなく行き交う。
その中に紛れるようにして、二人はゆっくりと歩きながら話をした。

「お前、セラに会いたいんだろう?」
余計な事は一切言わず、ウルフは本題を切り出した。
「…」
レイは何も答えない。ただ、眼だけが訴えている。
「実はな、俺もヤツをつかまえたくてしばらく心当たりをいくつか探してたんだ」
レイは驚いた。ダニーやスティーブの前で、ウルフはセラの事を一切口にしていなかったのだ。
バンドに亀裂が入った原因でもある『嵐』の話だ。彼の事など、無いものにしていたと思っていた。

「あいつは俺の事を『悪友』だって言ってたが、実際それほど深く付き合っていた訳じゃない。
だから、あいつが今でも音楽をやってた事も
まして『荒らし』なんて呼ばれてた事も知らなかった」
「‥だろうと思ったよ」
独白の様なウルフの話に、レイがようやく相槌を打つ。
瞬間的にウルフは意外そうな顔をしたが、すぐに相好を崩して続けた。
「あいつな、今街外れで女と住んでる」
レイの目の前に、一枚のメモが出された。
「クラスメイトだったヤツで、こっちは簡単に連絡がついた。あっさり教えてくれたよ」
メモを受け取って、レイが聞く。
「俺に、行けってことか?」
「彼女に了解は取ったよ。セラも〝まだ〟家に居るって言ってた」
「…まだ?」
ウルフは眉を八の字に寄せて、情けなく笑う。
「あいつは何か思い立つと、すぐにどっかに消えちまうんだ。
だから、誰も一つ所につかまえておけない」
彼女ですらな…と付け加えた。
「急げ。早く行かないと、次はいつつかまるか分かんねぇぞ」
ポンと肩をひとつ叩き、ウルフはくるりと踵を返した。
レイは黙ったままその後ろ姿を見つめ、やがて思い出したように口を開く。
「‥ウルフ」
振り返った彼の眼が、柔和で温かくレイを見つめていた。バンドメンバーではなく、友人としての視線だ。
「ありがとう」
「よせよ。お前に言われると鳥肌が立つ」
最後は精一杯の皮肉で返された。
レイは、ひねくれた笑顔で肩をすくめた。


街外れまででも、バイクで走るのは久しぶりだった。
愛機の調子も良さそうで、レイの鬱々とした気分も次第に晴れてきた。
のどかな丘陵地帯を通り過ぎると、小さな家が見えた。
「へぇ‥」
ヘルメットの中で、レイがつぶやく。
イイトコ住んでんじゃねぇか

少し躊躇ったが、呼び鈴を押す。間もなく静かに扉が開かれた。
「‥どなた?」
レイは言葉に詰まった。
一体、俺の事を何と言って説明すればいいのだろう。
「あの‥」
そう言って、視線を上げると彼女と眼が合った。
栗毛色の髪は美しいストレートで、空気の動きに揺れる。
明るい青色の眼の中に、外の空模様を見た。彼女もセラに負けないくらい、美しい。

「‥貴方‥レイ?」

自分が言うより先に名前を呼ばれ、レイは目を見張る。
そう言えば、ウルフの奴が話を通したような事を言っていたな…
「レイモンド・ジェイムスです」
レイの挨拶を聞いて、彼女も微笑んで応えた。
「ウルフから話を聞いたわ。私はスージー。どうぞ、入って」

部屋に通されると、ふわりと風が舞った。奥の窓が空いていたのだ。スージーがその先を示して促す。

「セラは、よくそこで演奏していたの」
「え?」
聞き返すレイに向けられたスージーの二度目の笑顔は、とても寂しそうだった。
その表情を、何処かで見た気がした。

「彼は、もうココにはいないのよ」
爽やかな風と緑の中、緩やかな時間が流れている。
何の音も聴こえてこないな
そうして、ようやく思い出した。彼女の笑顔は、あの時に見たセラのものとよく似ていた。

「―セラね、二週間前に死んだのよ」


◆◆

どうしたらいいのか分からなかった。

例えば、このやり場のない怒りと悔恨。
打ちひしがれる彼女へかけるべき言葉も見つからず、レイはただ黙って立ち尽くす事しか出来なかった。

交通事故だったと言う。
それは、ウルフから連絡を貰ってすぐの事だった。

『もしかしなくても、うちの天才ギタリストはお前のトコに行くだろうから、ちゃんと待ってろよ』
「ああ、勿論だよ」
セラもまた、嬉しそうに答えたのを彼女は傍らで聞いていた。
「それから、すぐだったのよ」
酩酊したまま、フラフラと外へ出て行った。
煙草をきらしたとか、何とか言って。
彼女は引きとめ、後で私が行くから…と諭したにも関わらず
気がついたら、彼の姿は部屋に無かった。

車の通りが多い訳ではない田舎道でたまたま通りかかったダンプカーにはねられた、と
だが、見ようによっては自らで飛び込んできたようにも感じられた…と
少ない目撃証言や運転手の話は、彼女の頭の上をかすめていった。もう、何も聴こえない

二週間と言う時間の中で、泣き腫らした彼女の瞳は
どうにか、元の青い色に戻っていた。
「一目で判るくらい、彼は楽しそうだった。貴方に逢えるのを楽しみにしていたはずなのよ
けど‥やっぱり〝逃げて〟しまったの」

逃げる?
レイは首を傾げた。
「彼はね、昔からいろいろあって人と関わる事にとても臆病になっていたの。
唯一、音楽を通じてだけ自信を持って人と向き合えた。
貴方と音楽を通じて話が出来た事を嬉しそうに聞かせてくれたわ。
だから、私思ったのよ。『ああ、ようやく見つけたのね』って
これで、変われるかもしれない‥って」

彼女がまた泣き出すかも知れない、とレイは思った。
もう これ以上話を聞くのは酷な事だと。
が、澄んだ瞳をまっすぐレイに向け
凛とした声音を崩さずに言葉をつないだ。

「でも、やっぱり恐くなったのね、きっと。

彼は、貴方から
この先を生きる事から、逃げ出したのよ」
涙など、もう残っていやしなかった。

◆◆

セラとスージーの家を後にしたレイは、その足でレコーディング・スタジオに向かった。
馴染みの場所で、バンドがアルバムを作る時はほとんどそのスタジオとスタッフに依頼する。
「―レイ!」
外で休憩を取っていたらしいチーフ・エンジニアがバイクで乗りつけてきた彼を見つけた。
「よぉ」
「久しぶりだなぁ!元気そうじゃないか。そろそろ、仲直りしたのか?」
おどけて言う彼を横目に、レイは扉を開けてスタジオのある地下に降りようとする。
「あの時のテープ、残ってるだろ?」
そして、本題をつきつける。
「あの時?」
振り返りもせずに言った。

「嵐が来た、あの時だ」


『嵐』が残していった音を聴き返してみる。
セッションした当時も、弾き易いと思っていたが
改めて聴いてみると
驚くほど、自らのテレキャスの音が引き立っている。

レスポールが、セラの奏でるサウンドが、力強く
そしてさりげなくレイのサウンドをサポートしていた。
が、決して自身は目立とうとしない
感情を押し殺したようなリフ
初めこそ挑むようにしてかぶせてきたフレーズも、レイが応戦して乗り始めると、すぐに引いてしまった。
まるで、負けが見えた途端、売り始めた喧嘩を引っ込めてしまったような。

やがて何度も、何度も繰り返し聴くうちに
自分のものではない感情の渦が押し寄せてきた。

『嫌われたくない』
レイの脳裏に、そんな言葉がよぎる。
これは、セラの気持ちだろうか
彼の音には、そんな感情が隠されていたような気がしてならない。

スージーの話を思い出した。
『彼は人と関わる事に臆病になっていた
でも、音楽を通じてだけ 自信を持って他人と接する事が出来た』

彼女の言葉にはひとつだけ間違いがあったとレイは思った。
ヤツは、決して〝自信を持って〟接していた訳じゃない。
音楽を通じて会話をする時でさえ最大限に気を遣って、相手に好かれようとしていたんだ。

今更ながら、セラが感じていた孤独感や焦燥感
そして、必死に発していたSOSを受け取った。
結局、誰も気づいてやれなかったんだな
そう考えた途端に、溢れてきたやるせなさ

「…不器用なヤツだな」
声に出して落とした言葉と共に、温かい滴がひとつ
レイの頬を伝って、ぽつりと手の甲に落ちた。


◆◆

稲村たちのバンドが活動を休止するという話が、辻堂の元にメールで届いた。
『詳しくは 帰国してから話すよ』
そう締めくくられていた。
「何だって急に‥
あいつ、シカゴで何があったんだ」
辻堂は、ただ困惑したまま旧友の帰りを待っている事しか出来なかった。


「ジミー。お前さん、一度バンドから離れる気はないか?」
シカゴで何度めかのステージの後、レイは稲村にそう切り出した。
「‥え?」

二人はあれからちょくちょく、バックステージで顔を合わせていた。
バンドのメンバーと共に飲みに行った事もある。穏やかで気のいい仲間たちを、レイもとても気に入っていた。
だから、レイのその言葉が初めはよく理解出来なかった。その様子を察して、彼はもう一度簡潔に伝えた。
「お前さんは、一度バンドを離れた方がいい」
「‥どうして?」
稲村の疑問は、至極当然のものだ。

レイは、少しゆっくりとした口調で話を続けた。
「お前さんもバンドのヤツらも、素晴らしいサウンドを持っている。
けれど、今のままじゃお互いの良さを殺し合ってしまう。
長いつき合いの中で、メンバーはお前さんの力量を〝思い知って〟いる。
お陰で、バンドの形としてお前さんだけにスポットが当たるように…と
彼らが無意識に遠慮しているように見えるんだ」

稲村は目を見張った。
レイの言葉に、確かに思い当たる節がある。
「それと、お前さんもな。
『こうあるべきだ』と言う形に、とらわれてしまってはいないか?」
「…」

どう答えればいいのか
稲村は言葉を探すように、視線を彷徨わせる。
指摘が図星である事は明確だった。
レイは相手に向けていた視線を、ふと緩めた。

「何も解散しろって訳じゃない。
少しの間 一人ひとりになって、違うことしてみるのも悪くないって話さ。
その先で再開する事だって、いくらでも出来る」

レイの視線と言葉を受け止め、稲村は少しの間考える素振りを見せた。
そして、
「じゃぁ…俺が独りでいる間は、貴方が一緒にステージに立ってくれる?」
上目遣いで切り返した。
「俺は唄い手だから、ギタリストがいないとステージに立てないよ」
一瞬だけ間が空いたが、直後レイが笑い出す。
「お前さんは面白いヤツだなぁ。
それを、俺が今から持ちかけようと思ってたんだぜ」


三年間のアメリカでの活動を終え、メンバーと共に帰国した稲村は、一番初めに辻堂の元を訪れた。
「レイ・ジェイムスに逢ったよ」
三年前と変わらない、少しぼんやりとした口調でそう告げる。
「マジか?」
「うん。‥でね」
学生の頃から、コイツの話は突拍子もない。
まったり喋る内容じゃないんだよな…
辻堂は幾分か構えて、友人の次の言葉を待った。
恐らく、もう一つくらい爆弾を抱えている。

「彼と組んで、しばらくやってみる事にした。
このツアーが終わったら、もう一度シカゴへ行くよ」
ほら、予想通りだ。
…いや、予想以上の話だな
『爆弾』に驚く反面、辻堂の頭の片隅は割と冷静に働いていた。

一年間かけて、バンドは『凱旋ツアー』を行った。
それはどの場所でも大盛況で、待たされた三年分のファンの盛り上がりは最高だった。
そのステージの最中〝ジミー〟がバンドの活動休止を告げる。
驚きと悲しみの声がバンドを包んだが、彼らの決意は変わらない。
もちろん、メンバーが納得いくまで話し合った結論だから、どんな声が聞こえても覆す訳にはいかなかった。

その後、一年。
辻堂の元に、一枚の音源が送られてきた。
特にジャケットも無く、中のディスクも味気ないものだ。海賊盤だって、もう少し気が利いている。
ケースに貼りついていたレーベルに
『Cross road Blues』
と、走り書きのような字だけが記されている。ブルース好きなら、少なからず心が躍るタイトルだ。

差出人の名前を確かめなくても解る。
早速、ディスクをプレイヤーにセットした。

ガヤガヤとした声と雑音が聴こえ、やがて歓声がひとつにまとまる。誰かがステージに出てきたのだ。
ライブ録音か。
あまり手を加えていないらしく、録音したものがそのまま焼かれているような雰囲気だが、
それがうまく臨場感を際立たせる。
二言三言挨拶をして、すぐにギターのイントロが鳴り出した。聴いた途端に鳥肌が立つ。
憧れのレイ・ジェイムスの音だからだ。
ボーカルが入ってきた。聴いた事のない曲だ。二人のオリジナルだな。
ジミーは相変わらず不思議な発音の日本語で唄う。
声が少しだけ太くなったような気がした。

泥臭いテレキャスのリフに絡みつくようなボーカル。
互いにバトルするようであり、一方で艶を失わないサウンドは官能的ですらある。
驚くぐらいに 二つのサウンドは相性がいい。

辻堂は、しばらく考えながら聴いていたが
次第に頭の奥がしびれるような感覚を覚え
思考を止めた。
理屈は要らないな、コレは。
純粋に ただひたすら、最高にクールだ。

そして、抗えない欲求に気持ちが逸るのを感じた。
この二人を俺の箱に呼びたい。

あるいはコレは、稲村が辻堂にしかけた『巧妙な罠』だったのかもしれない。

Ⅴ ”Selah”

ライブハウススタジオ『G7』の前には、オープンを待ち焦がれる客で溢れていた。

オーナーでありメインのPAでもある辻堂のセンス
日本で活動していた頃の稲村のバンドの人気
それに加えて、今回は非公開ながらまことしやかに囁かれていた噂のお陰で
いつにも増して、数が多い。
『あのレイ・ジェイムスが来る。らしい』と言う噂だ。

「何か…いつもよりスゴいんすけど、客足」
外の様子を見てきた椋が、誰ともなしに口にした。
「そりゃそうだろ」
「噂、流れちゃってたもんねぇ」
スタッフが作業の合間で口々に答える。
卓前でやり取りを聞いていた辻堂が、椋に告げた。
「なるべくたくさんのヤツらに聴かせてやりたいな。ギリギリまで当日増やそうか」
たくさんの人間に、クールな音楽と時間を届けたい。
出来る限りの融通を利かせるオーナーの心意気
『G7』が幅広い層に支持を集める所以だろう。
「了解です!」
椋が元気よく返事をした。

◆◆

「二人共に頼みがある」
店の外に少しずつ客が集まり始める頃、レイが稲村と辻堂を並べて切り出した。
「何です、改まって?」
「何処ででも構わない。三分だけ、俺に時間をくれないか」
レイの意外な言葉に、二人が顔を見合わせた。
そしてお互いが目配せをし、辻堂が快い返事をする。
「勿論ですよ。好きに使ってください」
稲村が思い出したように聞いた。
「‥レイ。もしかして、レスポールを使うの?」
シカゴで活動している間、レイの愛用はテレキャスターのみで、
昔使っていたレスポールを持ち出す事はほとんどなかった。
が、今回の荷物の中には黒いレスポールが積まれていた。稲村は、何となく気になっていたのだ。
レイは稲村と辻堂の顔を交互に眺めた。
そういえばさっき、マーキーもレスポールの話をしていたな
「‥ああ」
辻堂は思案気な表情で、彼を見ている。二人の様子を見て、レイがクスリと笑った。

「最後にちょっと〝使わせる〟だけだ。マーキー、音は何もいじらなくていい」
「…分かりました」
〝使わせる〟なんて、まるで
他の誰かが来るみたいな言い方だな…
その言葉の意味を量りかねたが、辻堂は了解した。
返事を聞いたレイは、初めの挨拶と同じように
「ありがとう」
と、丁寧に礼を言った。


客入れが始まる。
暗い店内に人々の声と足音が流れ込んでくる。
椋はドリンクバーのカウンターに入り、いつも通りに切り盛りする。
いつにも増して、客の年齢層の幅が広い事に気付いた。
旧い世代と新しい世代の『キッズ』が同じ空間に集まってきているのだ。
普段ではなかなか見られない光景を興味深く見ていた。


「ツジ」
声を掛けられて振り向くと、懐かしい顔が辻堂を待ち受けていた。
「お前ら‥」
稲村と辻堂が作ったバンド、そして稲村がレイと組む前まで一緒だった 〝Victorian Brew〟のメンバーだ。
「来てくれたんだな」
辻堂が微笑んで迎える。彼らには各々、今日のステージを知らせるメールを送っていた。
どういう反応をされるのか 
そして、来てくれるかどうかは判らなかった。
だが喧嘩別れした訳ではなかったから、辻堂はどうしても彼らに観に来て欲しかったのだ。

「〝うちのフロント〟の凱旋ライブだぜ。そりゃ、気になるだろ」
「オマケにあのレイ・ジェイムスも一緒なんだからね」
そう答える彼らの表情に曇りも陰りもない。辻堂はひとまずほっとした。
「楽屋にいるぜ。会って来いよ」
辻堂が促すと、メンバーはそれぞれ目配せした。
やがて、行ってみるかと声が上がり、彼らにとっては懐かしい楽屋の方へ足を向け始める。
「最高のステージ、楽しみにしてるぞ」
去り際にポンと肩を叩かれ、辻堂は笑顔で応えた。


SEが『Dust My Bloom』に変わった。
エルモア・ジェイムスの懐かしいブルースサウンドが場内を包むと、
かつてをよく知るファンは堪え切れずに嬌声を上げる。
〝ジミー〟が出てくる合図だ。
椋は無意識にPA卓の方を見た。辻堂もまた、椋を見ていた。笑顔を作り、頷いてみせた。
久しぶりに、うちの看板役者が帰ってくる。

ぼんやりと点っていたステージの照明が暗転し
ざわざわと無秩序な騒ぎが一斉に同じ方向を向いた。
ほんの一瞬だけ、静寂が降りてきたかと思った
次の瞬間、アカペラで紡ぐフレーズが聴こえてくる。

JIMMY!!
黄色い女子の声も、野太い男子の声も上がった。
1フレーズ唄い上げると、追いかけるようにテレキャスターのイントロが降り、バックバンドの演奏が始まる。
満を持して、ジミーとレイが姿を見せた。
場内が歓喜の渦に飲み込まれていった。

◆◆

ステージは予想通りの大盛況で、アンコールが箱を壊さんばかりに叫ばれた。
辻堂は当然、と言いたげな顔をしてほくそ笑む。
椋を始めスタッフも興奮して手を叩いていた。
バックステージでは、狂喜の渦の中心にいた二人が
とめどなく流れる汗をふき、浴びるようにして水を飲む。
ほんの一瞬の、息継ぎをする。稲村がレイに視線を向けた。
「…行けますか?」
漆黒の髪から滴がしたたる。タオルで乱暴に拭き取りながら、レイは答えた。
「もちろんだ」
隣の優男がふっと笑う。
行ってらっしゃい、と柔らかく見送ってくれる彼を何処か愛おしそうに眺め
ギタリストは、黒のレスポールをつかんだ。

「行ってきます」
レイは敢えて苦手な日本語を使った。
驚いた顔をした稲村の肩をポンと叩いて、再びステージに向かった。

レイがステージに上がった事で、無秩序な騒ぎがぴたりとやんだ。
直後、歓迎の拍手喝さい。再び当てられたスポットの下で、マイクを口元に向ける。
辻堂がボーカルマイクのボリュームを上げた。
「Thank You」
レイは、なるべく多くの日本のオーディエンスに伝わるようにゆっくりと話し始めた。
「君らの大好きな〝JIMMY〟に出てきてもらう前に、少しだけ時間を借りたい」
クスリと笑い声が聴こえた。つられて、レイも笑った。

「これから一人、ゲストを迎えたいと思う」
…え?
誰よりも驚いたのは、ステージ裏にいる稲村と卓前の辻堂だ。そこでふと、お互いの視線がぶつかった。
『誰かいるのか?』と尋ねるような辻堂の目に、稲村が首を横に振る。

騒然とする場内を見まわし、レイの話は続く。
「そいつはえらく恥ずかしがり屋で、みんなに注目されてしまうときっと出てきづらいと思う。
そこで、みんなにお願いがあるんだ。

どうか、曲の間だけ 眼を閉じていてくれないだろうか」

瞬間、静まり返った場内からぽつぽつと拍手が起こり
それを呼び水にして、大きく沸いた。
賛同の意味と受け取っていいだろう
レイはそう確信して、胸の前で両手を合わせた。
「アリガトウ」
わざとたどたどしく日本語を使ったような気がして
袖から観ていた稲村は、思わず吹き出してしまった。

ギターを抱え直し、チューニングをする。
観客と同じように、辻堂もまた息を飲む。
『ゲスト』と言った割には、誰が来る気配もない。
彼は、一体何をしようと言うのだろう。

場内全員の懸念をよそにレイはもう一度、マイクに向かって口を開いた。
「彼は、俺の旧い友人だ
― Close Your Eyes, Please.」
察したように、照明が少しだけ落とされた。


一瞬だけ、水を打ったような静けさが会場を満たし
それから一気にレスポールがうなりをあげた。
稲村も辻堂も、椋たちもオーディエンスも、その場に居た全員が、確かに『ゲスト』の到来を悟った。

眼を閉じる訳にはいかないスタッフと辻堂だけが、目の前の光景にただ混乱していた。
間違いなくそこでプレイしているのはレイ・ジェイムスだ。けど、音がまるで違う。別人のものだ。
激しく猛るサウンドは、一体誰のもの?

バックステージで眼を閉じて聴き入る
稲村の全身が強張る。

一本のギターが創り出した音とは思えない世界
巨大な台風が暴れ狂い、稲村のすべてを奪い取ってしまいそうな、
抗えない重力を感じるような
そんな衝撃が、全身を包んでいる。
…誰だ?!

『嵐』は聴いていた人間の心をかき乱し
大きな波紋を呼び起こす


音が少し緩んだ。
嵐が徐々に過ぎ去っていくように、次第にレスポールが平静を取り戻す。
その時辻堂は、レイの姿に重なるように
何かの影を見た気がした。

―何だ?
レイとはまったく別の
それは 金色の髪をした
人間だったようにも思えた。

いや、まさか…
そう考え直した途端に、影も見えなくなった。

その後の穏やかなサウンドは、いつものレイ・ジェイムスのものだった。

開け放った窓から吹き込む 初夏の風を彷彿させた。
かき乱されたオーディエンスの神経が
レイのフレーズと共にゆっくりとならされていく。
曲は三分間の短いものだった。

音が止む。
それを合図に、それぞれが目を開き、『嵐』の去ったステージを見た。
そこには、アンコールが始まる前と同様
ぼんやりとしたスポットの下に、少し上気した顔色のレイがいるだけだった。

「〝Selah〟と言う曲だ。聴いてくれてありがとう」



◆◆

観客もステージも、ほぼ撤収が終了し
スタッフは打ち上げの算段を取っていた。

「悪い、先に行っててくれるか?」
辻堂が椋に告げる。
「了解っす。いつもの店、取れてますんで」
辻堂が頷くのを確認し、椋は「はーい、行きますよー」と遠足の引率よろしく一同を促して出て行った。

稲村がレイを連れて行こうとするのを制し
「ちょっとだけ、彼を貸してくれないか?」
レイに聴こえないように耳打ちした。
稲村は不思議そうな顔をして見返してきたが、特に何も言わず
「ん。じゃ、先に行ってるね」
すぐさま微笑んで踵を返した。

「君がエスコートしてくれるのか?」
稲村に残るように告げられたレイは、肩をすくめて見せた。
「すみません。戸締りしたら、行きますから」
辻堂は拝むようにして謝った。

夜も深い時間に入ろうとする頃合いは、五月でも少し冷える。肌寒い空気が街を包んでいた。
ただ、この街が盛り上がるのはむしろこの時間で
音楽や演劇のライブを観終えた興奮冷めやらぬ集団や、
その関係者たちが打ち上げに繰り出してくるせいか、あまり寒さは感じない。

帽子を目深にかぶっても、彼の出で立ちは人目を引く。
外国人が珍しい訳でもない場所で、何人もの通行人がレイの姿を見つめて、
何処かで見たような記憶を探し出そうとしていた。

「お待たせしました、行きましょう」
辻堂が先を促した。
いつも打ち上げで使う店は、歩いて五分もかからない。
ただ、辻堂にはどうしてもその五分が欲しかった。

「大成功でしたね」
店のオーナーとしての謝辞も込め、伝えた。
「ありがとう。いい箱だった。そして、君のアプローチも最高だった」

夢じゃないかと思う。
自分の『神』のステージで、PAを務める事が出来た。
そして、その神から自分の仕事を称賛されるなんて
辻堂の胸に、じわじわと熱いものがこみ上げてくる。

「最後のわがままも、聞いてくれて感謝するよ」
レイの方から振ってくれたので、辻堂は思いきって続けた。

「いえ。スゴイものを聴かせて貰いました。
‥あの曲を弾いた貴方の友人
彼が『the Storm』を弾いていたんじゃないですか?」
やっぱり、どうしても気になるのだ。神の機嫌を損ねるかもしれない。
けれども、今を逃したらもう二度と聞けない気がした。
「…」
レイは深くかぶった帽子の影から視線だけを辻堂に向けた。
辻堂には、その時間が永遠にも感じられるくらい長く沈黙が続いた。

ふっと息を吐き、レイが笑った。
「半分、当たり」
「半分‥?」
特に怒っている訳ではなさそうだ。
そう言えば、昼にこの話をした時もそうだった。何処か試されているような、思わせぶりな沈黙を挟む。

「マーキーは、どうしてもあの曲が気になるんだな」
「‥ええ」
「さっきの『Selah』を聴いた時、初めはやっぱり貴方が趣向を変えてプレイしたものだったんだ、と思ったんです。
けど‥曲の途中で僕は、貴方の影に違う〝誰か〟の姿を見た」
辻堂の言葉にレイも眼を見張った。
「誰か?」
「金色の髪をした人でした。貴方の姿に重なるようにして、レスポールを弾いていた。
‥僕にはそう見えました」
「…」
レイは何も言わず、視線を落とした。彼もまた驚いているようだ。

「勿論、それは僕の見間違いなんだと思う。
でも…あれがきっと、貴方が呼んだ
‥呼びたかった『ゲスト』だったんだ。
そして、『the Storm』を弾いた人だったんじゃないか…って」

レイは黙ったまま思案を繰り返していた。
そして、静かに語り出す。

「『Selah』は、セラへ捧げた曲だ」

「アイツとは一度だけ、かなり強引な成り行きでセッションした事があった。
その時に生まれたのが『the Storm』だ。
当時、収録するハズのアルバムがお蔵入りになって 
そのままバンドも解散しちまったから、長い事ほったらかしだった」

「もう一度、ヤツと会いたいと思ったが それは叶わなかった。
ヤツが俺に残してくれたものは、ただ一つのフレーズだけだった。
志半ばで逝っちまったアイツに、俺が何をしてやれるか考えた。
まぁ、遺された人間の思い上がりに過ぎないが…

ヤツは、自分のフレーズを俺の曲で使って欲しいって言っていた。
ただ、自分の名前は出さないで欲しいとも」
「へぇ?」
「わがままなヤツだよな」
レイは苦笑した。辻堂も一緒に笑う。
「アイツのわがままを全部クリアしてやるには、どうすればいいか
―おんなじフレーズを、俺が弾けばいい
そう考えた。
オリジナルのテープを何度も聴き返して、すべてを覚え込んだ。
それこそ、プレイ中の息遣いまでコピーして録り直した。
あの、再発のアルバムに入れた『the Storm』は、本当に俺が独りで弾いてるんだ」

辻堂はただ感服するばかりだった。
耳で聴いただけで、あれほどまでに他人のプレイスタイルをコピーする事が出来るのか。
オマージュという意味でのものとは違う。
別人格であるかのようなサウンドは、まさしくレイの体を借りてセラ本人が演奏していたとさえ思えてくる。

「お陰で、俺の中にヤツが生きてるような気がしてきちまうんだ。
今回の『Selah』も、俺の中の〝セラ〟に聞きながら作った」
「‥曲名は彼の名前、なんですね?」
辻堂が疑問を口にすると、レイはほくそ笑んで答えた。
まるで、うまい悪戯を思いついた子供のように。

「ヤツは、プレイヤーとしてクレジットするなとは言ったが、
自分の名を曲名に使うなとは言っていない」


「君の〝JIMMY〟を、長い事借りちまってすまないな」
言い出しづらい事を吐き出すように、レイはぼそりと告げた。辻堂は驚いた顔をする。
「僕の‥?」
すると、その反応をレイが意外そうに見つめた。
「君の店の〝看板〟じゃないのか?」
確かにそうだが、素直に肯定するのがこの上なく恥ずかしい。辻堂は苦笑いでごまかすことにする。
「…まぁ、三年も空けられちゃってますし。
それに、うちの看板はひとつじゃありませんよ」
「そうか」
レイも笑って応えた。

「唄以前に、あいつは本当にイイヤツだ。俺はヤツの笑顔に何度も助けられた」
話をする神の表情が優しい。こんな顔をするレイ・ジェイムスを、辻堂は見た事がない。
何だか、無性に羨ましくなった。
神をこんな表情にさせる友人の事が?
それとも友人の最高のパートナーが、自分ではなく彼だった事だろうか。
「‥そうですね」
まぁ、どっちでもいいか。俺は、二人とも好きだから。
「あいつは、俺の自慢の友人ですから」
ハッキリと言いきった辻堂の顔を見つめて、レイはもう一度笑った。
「君たちが羨ましいな」
「え?」
「お互い、出逢うべくして会った時に相手の腕を離さなかった。だから今があるんだ。
俺は、つかまえなきゃいけなかった友人の腕を
離してしまったから」

プレイヤーとしてだけでなく、友人として
もっと ちゃんと、ヤツと向き合えば良かった。
今となっては、後の祭りでしかないが。

「…それが俺たちの〝結果〟だから、仕方ないんだけどな」
賑やかな雑踏にかき消されるくらいの声でレイはつぶやいた。それでも、辻堂の耳には神の嘆きが届いている。
何を言うべきか迷っている間に、レイの方から話を切り替えた。

「マーキー」
「はい?」
「俺は、もう少しだけジミーを借りて行きたいんだが」
その時のレイは何処か、親の様子を窺う子供のような眼をしていた。
辻堂は笑って応える。
『心配ないよ』と諭す親のような心境になり、何となく可笑しかった。

「それは、僕が決める事じゃない」
夜風が渦を巻いて、二人の足元をかすめて行った。

「〝JIMMY〟も〝Selah〟も
勿論、僕も貴方も 誰のものでもない。
自分の進むべき道は、自分の眼でしか見極められないんだ」

レイは黙ったまま、空を仰いだ。
明るい都会の夜空に、星の影はくすんで見えなかった。
「…そうだな」
そうして ひねくれた笑顔を作り、辻堂の肩をひとつ叩いた。

「ありがとう。
君ら二人共、俺〝たち〟にとって最高の友人だ」

皆が待つ店は、すぐそこだ。


◆◆◆

Cross Road Blues【再編集】

趣味に走った舞台を作ったことなかったなぁ…と思って書いたモノです。
諸々半端で古い知識をもとに書いておりますので、正確さを欠く部分が多々ありますこと何卒ご容赦ください。

※改めて加筆修正しております。描写や人物名など、当初のものとは若干異なる部分がありますこと、重ねてご容赦願います。

Cross Road Blues【再編集】

音楽ライブのシーンをアレコレ妄想したお話。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2014-04-15

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