息をすーはー

書く言葉が見当たらない

すーはーすーはーと私は息を吸っている。
もちろん息を吸っているのだという意識はない。
息を吸って呼吸をするのが当たり前だから、息を吸っている、息を吐いているといちいち考えたりしない。

そうみたいに、ここに書き出す言葉も見つからないでいる。
何か面白い話を書きたい、頭の中にある面白そうな話があるのだけどじっくりと誰かが読む事を考えて書く事ができるほどの情熱や根気といったものが私にはないみたいだ。
毎日のバイトで精いっぱいだったりする。
月に一度やってくる生理の前には、精神が不安定になり世の中のすべての天と地がひっくり返ったような悲しみの雨を全身で受ける。
被害者面をぶらさげて、何に怒っているのかもわからず、何に悲しんでるかもわからない状態で涙が出そうになる毎日を送る。
生理が終わると、太陽が顔をだし暖かい日差しを体で浴びるだけで元気になるようなハイテンショーンな私になる。

そんな私に私がついていけない。
私がもし私をやめれるのだというのなら、私は私をやめて、北堀江とかにおる前髪ぱっつんのそこそこかわいい女の子になりたいなと思う。
今まで私は私でいることに、自虐的でありながらもどこか自分はそこらへんにおるかわいいだけの頭すっからかんの女ではないと思っていた。
自分は特別だとでも言いたげに、人からは悟られるような大きなプライドをさげて生きていたのだ。
でも、なんかそういうのも最近すごく疲れてしまった。
かわいいだけの頭すっからかんの女だろうがなかろうが、私だって何も特別なものを持ってないんだもの。
普通に生きてるだけの、猫毛の髪が薄い24歳の女なのだ。

アイデンティティーもくそもあったもんじゃない。
何も持っていない。才能も、人を引き付ける容姿だってもちろんない。
何も持ってないというとすべてが終わりのようだけど、そうじゃない。

別に大きな何かをしなくても私の毎日は過ぎていく、という事が分かった。
何かしたいとか何か自分にはできるんじゃないかってずっと思ってた。
高校生の時は音楽でアジカンと対バンするのが夢だった。
でも、ギターは数日であきらめ、おまけに妹が高校の学園祭でチャットモンチーのコピーバンドをしているのを見て私は泣いた。
妹がシャングリラをギターを弾いて歌う。
うれしかったんじゃない。私は腹の底から嫉妬で悔しくて泣いた。

今でも思い出すと恥ずかしいし情けない。
いつも誰かを妬んで羨んでばかりの人生やった。

こうやって書いているともう妬みや嫉みが私の体の中から消えてしまった感じに聞こえるかもしれないがそうじゃない。
まだまだこれからも妬みや嫉みが私の中に生まれては沈んで、また燃えたぎるんやと思う。
でも、年齢を重ねたせいか妬んだりすると体力を消耗する。
ほんで精神的にも疲れてしまう。
最終的に何をうらやましく思っていたのか忘れてしまうのに、怒っているというわけのわからない状態になる。

私がこういう自分でも考えられない妬みや嫉みを覚えるのは何でやろうと考えた。
その理由は、やっぱり人からどう見られたい自分の像というのがあるからやと思った。

いつもこんなんじゃないのに、わたしってこんなんじゃないのにってずっと思ってた。
何かできる気がしてたし、なんにでもなれるような気がしてた。

でも実際は過剰なエネルギーだけが溢れてるだけの人やった。それ以上でも以下でもない。
それに気づいてたけど、どうにかしようと思ってていつも苦しくなっていた。

でも、もう私は私に過剰な期待をしない生き方をしたいと思う。

踊れない私も頭皮が透けてる私もよだれがくさい私も音楽もできない、集中もできない、仕事も白目向いている寝ている、家族に世話になりっぱなし、働くのが嫌な私もなんというか…受け入れるというとちょっと違うような気がするけど、それを知って、私らしくとかそういうめんどくさいのは捨ててこれから生きていきたいと思う。

自分らしくとか、個性とか、そんなものは…ちょっとどこかに捨てて、自分じゃないどこかに目を向けたいなと思う。


なりたい自分を作れば作るほど、それが私の首を絞める。
妹がチャットモンチーを楽しそうに歌えばそれを笑って見れるような人間になりたいなと思う。少しだけ。

息をすーはー

息をすーはー

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-12

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