花火と眼鏡と子供の話

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花火と眼鏡と子供の話


どうしてこうなった。
ぼやけた視界で前方を眺めている俺の右手側には先程から不安そうな顔をした子供がおり、そして左手には無残にも壊れ切った自慢の眼鏡が握られていた。先程まで一緒にいた晴香の姿は無い。光はまだ射的の屋台前で晴香を待っているだろうし、京助は勝手に楽しんでいるだろう。
もう一度言う、どうしてこうなった。
俺はただ、三人の友人と一緒に花火大会に来ていただけなのに……

――30分ほど前――

「おー、やはり今年もなかなかの活気」

道の両側に連なる屋台、ぶつかり合う人々、楽しそうに走り回る子供の声。俺達は今日、花火大会に来ていた。小さな町の祭りではあるが、毎年中々の活気に包まれている。

「ひゃっほう! 花火花火ぃ!」

京助が子供のようにはしゃぎながら人ごみへと突っ込んでいく。迷子になるなよとかけた声は、はたして彼の耳に届いていただろうか。順調に人に飲まれる金髪を眺めながら、溜め息を溢した。

「大丈夫かな、京助」

「あいつは目立つから大丈夫だろ」

光の言うとおり、遠くへ行ってしまってもしばらく京助の姿は見えていた。長身でありなおかつ目立つ髪色の彼は、はぐれてしまっても特に問題は無いだろう。三十路も近いというのに、いつまでも子供の心を忘れない奴だ。

「そんなことより射的やろうぜ晴香! 去年の借りは返す!」

光がそう言って晴香の手を引っ張る。晴香は眠そうに眼をこすり、まったくやる気を見せない。そういえば光は去年晴香に射的で完全に負かされていた。負けず嫌いな彼の事だ。きっと勝つまで付き合わされることだろう。
花火が始まるのも近い。人が増えてきて、どこの屋台も慌ただしく動いている。ところどころで怒声も聞こえる。俺はそんな屋台を見渡して、めぼしいものが無いかと探した。
ふと目についたタイ焼き屋に足を止めた。そういえば随分食べていないな。そう思って一つ買った。

「雄一、遅いぞ」

呑気に足を止めている俺を見て、晴香が戻って来た。光が待ちくたびれてる、と言って指差した先は人ごみで、小柄な光の姿はどこにもない。あれ、と首を傾げた晴香を見て、俺は苦笑いを浮かべた。
まあ射的の屋台さえ見つかるだろう。そう軽く考えて歩みを進めようとした時、ドン、と腰のあたりに何かがぶつかった。その衝撃で俺の顔から眼鏡が落ちた。あ、と思った時にはもう遅い。俺の前を通り過ぎた人の足もとで、今一番聞きたくない音がした。

「あああああ!」

腹の底から声を張り上げて、俺はその場にしゃがみこむ。ぼやけた視界では愛しの眼鏡の状況を確認できない。俺の、俺の眼鏡!

「ちょ、晴香! 晴香!? 俺の眼鏡どうなってる!?」

「……言っても良いのか?」

「うわあやっぱり言わないで! 嫌な予感しかしない!」

恐る恐る持ち上げてみると、レンズが無いうえ、フレームが歪んでいるのが分かった。こだわりの一品だったのに! その場にうなだれる俺の背中に、晴香が優しく手を置いた。
そんな優しさはいらん! 眼鏡じゃない晴香に俺の気持ちが分かるか! この天パ!
そんな罵倒をぶつけようと思ったが、晴香がしゃがみこんで誰かに声をかけているのを聞いて振り返った。

「……迷子?」

「らしいな」

顔は良く見えないが、俺の前には子供の姿がある。五歳くらいだろうか、目を細めると少し姿を確認する事が出来た。そんな俺の顔が怖かったのか、子供はひきつった様な声を上げた。

「雄一、その顔やめろ。怯えてるだろ」

「見えねえんだって。えっと、ごめんな」

晴香がその子供と手をつないで、人気の無い屋台の裏へ向かう。足取りのおぼつかない俺を見かねてか、俺の手首を乱暴に掴んで引っ張った。
ぐずぐずと泣いている子供は、時折お母さんと溢している。こんな知らない人ばかりのところに一人で放りだされては不安で仕方ないだろう。母親の方も、自分の、まだ小学校にも上がらない年の子供とはぐれては心配だろう。とりあえず、目つきの悪い俺を放っておいて、晴香が話を進めることにした。
名前を尋ねると、雄吾と名乗った。俺と漢字が一文字被っている。晴香が「弟か?」と聞いてきたがそんなわけないだろう。名字は原と名乗った。

「どうすっかな、この人ごみの中に入ったらまたはぐれるかもだし……雄一、ちょっと待ってて」

「は!?」

眼鏡がある状態ならまだしも、ほとんど何も見えない俺と迷子の子供を残して行くとは何を考えているんだあの天パ野郎。俺の抗議の声も彼には届かなかったのか、晴香はどこかへ消えてしまった。
そして、最初へと戻る。
俺は肺の中の空気を全部吐き出して、その場に座った。子供も、遠慮がちに俺の隣に腰を下ろす。
何を話せばいいのか分からず黙っていたが、このままでは彼も委縮してしまう。子供は人の感情に敏感だ。しかし、どうしたものか。初対面の子供と会話するようなスキルを持ち合わせていないぞ俺は。
ぐるぐると考えを巡らせていたが、ふと俺の右手に小さな紙袋があるのに気付いた。さっき買ったタイ焼きだ。子供は甘いものが好きだろうし、そう思って紙袋を開ける。

「食べる? タイ焼き」

焦点が合わない中、何とか子供の前に差し出す。しばらくどちらも動かなかったが、やがて子供が遠慮がちに俺の差し出したタイ焼きを受け取った。

「甘い!」

感動したように声を上げた子供に、微笑ましい気分になる。食べたことが無かったのだろうか。
甘い物と言えば、晴香は甘い物が大好きだった。普段は常に眠そうでテンションが低く、喧嘩の時しか大きな声を出さないような彼だが、甘い物を食べている時の晴香は目に見えて幸せそうだ。逆に京助は甘いもの全般を受け付けない。コーヒーは勿論ブラック。生クリームなんて見せたらそれだけで顔を青くするのだ、そして光はそんな二人をからかうことに全力を費やしている。普段は晴香に甘味を回し、京助にはそれらを近づけさせないことを暗黙の了解にしている俺と光だが、たまに、というか時々、いやしょっちゅう、光はその暗黙の了解をぶち破る。料理上手な光はよく俺達に手料理をふるまってくれる。晴香は光の作るお菓子が好物で、毎回目を輝かせて待っているのだが、光は笑顔でその眼差しを裏切ってしまうのだ。一つ例を上げるとしよう。
先日、光は俺達に手作りプリンをふるまってくれた。晴香の前には生クリームでデコレーションされた物、俺の前にはスタンダートなプリン、そして京助の前には甘さを抑えたと言った物を置いた。晴香が嬉々としてそのプリンを口に入れた瞬間、晴香は今にも泣きだしそうな顔をして口を押さえた。俺と京助が状況を理解できないで晴香を見ていると、飲み込み終えたらしい晴香が光の胸倉をつかみあげる。そんな光は、まさに悪魔のような満面の笑顔を浮かべていた。晴香の食べたプリンを見ると、表面はいたって普通のプリンだが、中に固形物が見える。プリンとは全く合わない緑色をしたそれを取り出してみると、どうやら野菜のようだ。京助がそれを口に入れると、何でも無いような顔をして「ピーマン」と言った。甘い物好きの晴香は、苦い物が大嫌いだ。苦い系の野菜は晴香の嫌いな物のTOPに君臨する。大好きな物だと思って食べたら嫌いな物が詰まっていたなんて、晴香じゃなくても怒り狂う。過剰なほどの生クリームは、表面に見えるピーマンを隠すためだったらしい。その後、光は正座して京助に叱られ、晴香は口直しと称してコンビニでスイーツを山ほど買ってきた。嬉しそうに帰って来た彼の手には、光の財布が握られていた。
その後どうなるかは分かりきっているのに、人を苦しめるのが好きな光には溜め息しか出ない。
食べ終わったらしい子供が、俺の服を引っ張った。そちらに顔を向けると、目の前に彼の顔があった。この距離ならいくら俺でも見える。子供は無邪気な顔で笑った。

「ありがとう!」

こっちが照れるくらい純粋なお礼だった。俺はそれにどういたしましてとどもり気味に返す。いくらか緊張がほぐれた子供は、自分のことを話しだす。
今日は母親と一緒に来ていただの、おもちゃのクジを引かせて貰っただの、友達の話など、よく話題が尽きないことだ。
俺はそれに相槌を打つだけだが、何だか年の離れた弟が出来たようで嬉しかった。
少し離れたところで一瞬ざわめきが上がったのが聞えた。きっと金髪の友人がその中心にいるのだろう。


☆☆


人ごみをするすると通り抜け、先程光とはぐれた所を晴香は目指す。人より小柄な光を見つけるのは至難の業だ。晴香とて背が高いわけではない。逆に平均よりも少し低いくらいだ。しかし光と並ぶとそんな晴香でも長身に見えるのが不思議だ。

「晴香てめえ! どこで油売ってやがった!」

ふと、聞き覚えのある乱暴な声が聞え振り返った。途端、脚に激痛が走る。思わずしゃがみこむと、目の前に履き古したサンダルが見えた。顔を上げると、眼鏡の向こうのツリ目が明らかに怒りを孕んでいるのを見て、晴香は頬をひきつらせた。

「悪かったって。足踏むなよ」

「雄一も居ねえし、京助は……まあどこにいるのか大体分かるけど」

向こうの方でわあ、とざわめきが上がった。その方向へ目を向け、光は呆れたように両腰に手を置いた。
どこにいるのか分かれば好都合だと、晴香は騒ぎの方向へ足を向ける。

「見つけにくい光を見つけられたのはラッキーだったな」

「な、それは俺の身長がアレだからかよ!? 悪かったな! 皆成長期っていつ来たんだよ! 成長痛ってあるのかよあれ都市伝説だろ!」

喚く光には目もくれず、晴香は騒ぎの方へと足を進める。光は晴香について行きながらも俺の成長期はこれからだ、だの、実は俺の身長がアレなのは錯覚で、だの色々と訳のわからないことを言い散らしている。そんな彼の年齢は28だ。その年になって流石に身長はもう伸びないだろう。
人が集まっているところへ辿り着くが、中々中心が見えない。京助や雄一並みの身長があれば見えるのだろうかと、晴香は溜め息をついた。光に置いては既に見ようとも思っていない。しかし、聞こえる声からその人だかりの中心にいるのは京助だと分かる。
突然、ざわめきが強くなり、二人の前の人だかりが割れる。そこに、一人の男が倒れこんできた。視界が開けて、晴香と光はその騒ぎの中心を見ることが出来た。人々の視線の中心では、見覚えのある金髪が仁王立ちをしている。

「口ほどにもないなぁ! 一昨日きやがれ!」

声高らかにそう叫んだ京助を見て、周りの人々が拍手を送る。晴香と光の前に倒れこんだ男は、舌打ちを一つして走り去ってしまった。

「何やってんの、京助」

「おお! 晴香と光じゃん! 何、俺の勇士を見に来ちゃった? 見てた? いやー俺のカッコよさに世界がヤバい!」

調子に乗ってペラペラと喋る京助に、光が一つ蹴りを入れて黙らせる。しばらく蹴られた脛を押さえて悶絶していた京助だが、何かを思い出したように顔を上げ、一人の女性の前へ立った。

「大丈夫でしたか? お嬢さん」

京助はまるでどこぞの国のジェントルマンのように、その女性の手を取った。女性は戸惑いながらも、お礼の言葉を返す。
状況から見るに、先程の男にこの女性が絡まれていたところを、京助が助けたのだろう。
騒ぎが終わったことで、集まっていた人々が徐々にばらけていく。京助の隣に立った晴香は、その女性の面影に見覚えがある気がして記憶を手繰り寄せた。

「……あの」

京助の行動に戸惑っていた女性に声をかけると、困ったような顔をして晴香を見る。ますます見覚えがある。もしかして、

「迷子とか、探してません?」

「知ってるんですか!?」

ああやっぱり。晴香は満足そうに息を吐くと、状況を理解していない二人に適当に説明を始めた。


☆☆


「それでね! その時先生が……」

「おー! そいつはすごい!」

この子供は笑いのセンスがあるかもしれない。先程からオチを聞くたびに笑ってしまうような話を聞かされて、俺はすっかり壊れた眼鏡の事を忘れていた。自分が幼稚園に通っていた時とは全く違う仕組みなどを聞かされ、子供の話にも関わらず興味をそそられる。
子供の話に夢中になっていると、遠くから自分の名前を呼ぶ声が聞えた。そちらに目を向けると……まあ案の定、何だか人っぽい物があるなあと思うだけで何も見えない。

「雄吾!」

その何かの中から、女性の声が聞えて、さっきまで夢中になって話していた少年がパッと顔を上げる。

「お母さん!」

一目散に駆けて行き、その女性であろう影に飛び付いた。俺は立ち上がって、そっちに向かって歩いて行く。

「雄一、母親見つかったよ」

晴香の声が聞えて、そちらに目を移す。後ろに京助と光らしい人の姿も見える。どうやら、晴香は使い物にならない俺に子供を任せ、母親を探しに行っていたらしい。途中で光に会い、騒ぎの中心にいる京助を連れ出し、母親を見つけて帰って来たと言ったところか。
子供の母親は、俺達に何度も頭を下げて、こっちが申し訳なくなるくらい何度もお礼を言っていた。少年は、そんな母親とは対照的に、心の底から嬉しそうにお礼を言うと、手を振って帰って行った。
ああ疲れた。そう言って大きく伸びをする。どこからか何かが飛ぶ音が聞え、一瞬の静寂の後、大地が轟くような重い音が鳴り響いた。光が悔しそうな声を上げる。

「花火始まった!」

「うわマジか。ここからじゃ見えねえじゃん」

「あっちの丘の上行こうぜ!」

丘の上とは、俺達が毎年花火を見る場所だ。ここからは少し離れており、人が少なく、いい穴場だ。京助が先頭に立って走り出し、晴香と光が続く。

「おいマジかよ! 置いてくなって!」

視界が悪い俺のことなどお構いなしか! あいつら!
そういう思いを込めて走ると、心底嫌そうな雰囲気を醸し出した京助が俺の腕をひっつかんで走り出した。

「お前眼鏡どうしたんだよ!」

「壊れたんだよ!」

「馬鹿じゃないの!」

「うるせえ!」

そんな言い争いをしながら、丘の上を目指す。その間も、花火の音は絶え間なく轟いている。息を切らせながら丘の上へ着くと、澄んだ空気を吸い込んで空を見上げた。

「あああ! 眼鏡ねえから見えねえ!」

頭を抱えて悲鳴を上げた俺に、馬鹿かと三人分の罵声が飛ぶ。

「ったくしゃーねえなあ。屈んで顔上げろ」

光の声が聞え、その通りにするとぐさっと何かが顔にささった。顔を押さえて悲鳴を上げる。あれ、という光の声が聞えた。京助の慌てたような声も聞こえ、俺はもう、何が何だか……

「もう一回顔上げて、雄一」

京助の声が聞えて、恐る恐る顔を上げる。すると今度は顔に何かがかけられ、一気に視界が広がる。触ってみると、俺の眼鏡よりも細いフレームの眼鏡だ。度があっていないのか、目が痛い。

「光の眼鏡。貸してくれたんだよ」

「お前のより度は強いから、見えねえことはねーだろ」

「ひ、光! ……俺そっちじゃない……」

ぶっきらぼうな光の声に感動して彼を見ると、光は晴香に向かって話しかけていた。そうだ、こいつは俺よりも目が悪いんだった。
空を見上げると、綺麗な花火がクリアに見えた。やっぱり夏はこれを見ないと終われない。しかし、このままでは光が花火を見ることが出来ないのではないかと思ってそちらに目をやると、不機嫌そうに座りこんでいた。

「……後半は返せよ。花火見ないと夏は終われねえんだ」

光の言葉に、俺は笑って頷いた。夜空を彩る花火に歓声を上げる京助の声が絶え間なく響いていた。

花火と眼鏡と子供の話

花火と眼鏡と子供の話

シリーズ「Ratel」の第二話です。 前回とつながっているわけではありません。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-11

CC BY
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