駅とチキンとゲームの話

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駅とチキンとゲームの話

「423円です」

そういう店員に五百円玉を渡し、トレーニング中と書かれた名札を見ながら会計を待つ。お釣りを渡す手が緊張のせいか少し震えていた。俺は心の中で頑張れと呟いてお釣りと袋を受け取って出口へと向かった。
出口付近では、一緒に来ていた友人の二人が思い思いの事をして待っていた。

「おまたせー」

袋を掲げて声をかけると、面白くも無さそうに雑誌を眺めていた男が眼鏡越しに睨みつけてきた。睨みつけると言っても、彼はその目つきが素のようなものだ。出会った時はさすがに怖かったが、今となっては気になりもしない。

「遅い!」

雑誌を乱暴に棚に戻しながら、彼、相沢光は悪態をついた。それもいつものことなので、俺は軽く謝るだけで流す。
アイスコーナーにへばりついていた金髪の男が、光の方を見ていた俺の肩に腕を回した。

「なんか面白いもんあったー?」

いつまでも子供のような純粋な瞳を向けてくる彼は坂井京助。スラッと伸びた長身に、絹のような金髪、整った顔立ちが特徴的で、俺達の中でも特に目立つ。
何のフェアもやっていないコンビニに彼の好奇心を満たすような物は当然あるはずもなく、首を振って見せると京助は不満そうに口をとがらせた。
広くもない店内で立派な成人男性三人が立ち止まっていると流石に邪魔になる。通路を塞がれた目の前の女子高生が腕を組んで立っているのを見て、俺達はそそくさと道を開けた。
外に出ると、軽く風が吹いて俺達の髪を揺らした。マフラーに顔を埋めるけど、それでも寒い物は寒い。そんな寒い中、コンビニ内に入るわけでもなく、外で空を見上げていた、あちこち跳ねた髪をヘアピンで無理矢理止めている男に声をかける。彼は俺達を一瞥しただけで、何も言わずもたれ掛かっていた壁から背を離した。
どこか抜けているところがあるように見える彼の名前は立花晴香。この女のような名前を彼は気に入っていないらしく、俺達は彼を呼ぶたびに名前で呼ぶなと睨まれる。普段はボーとしている晴香だが、意外と喧嘩っ早い性格で、学生時代、誰かに絡まれれば真っ先に飛び出して行くのは彼だった。ちなみに寝起きも最悪だ。
久しぶりに四人の休みが揃ったということで、今日は俺の家に集まって夜通し騒ぐ予定だ。実家から全員の職場が等距離にあり、なおかつ本日から家族がそろって旅行に出ている俺の家程適当な場所は他にないだろう。
本当はすぐにでも家に向かうつもりだったが、コンビニの前に「新作チキン」というのぼりを見つけてしまい、俺はほいほいコンビニに入ってしまった。新作と期間限定は消費者に物を買わせる魔法の言葉だと思う。
さあ帰ろうと足を半歩踏み出したところで、目の前にいきなり人が現れた。当然驚いて足を止める。
現れた人物は二人の男女で、両方とも派手な髪の色をしていた。着ている服は先程俺が利用したコンビニの制服。同じデザインのキャップを被った二人は、立派なマイクを握っていた。

「本日は、我らがコンビニエンスストアの新作チキンをお買い上げいただき、ありがとうございます!」

ショッキングピンクの色をした髪を持つ男性の方が、満面の笑みを張りつけながらそう叫んだ。その笑顔は明らかに俺達に向けられており、後ろの三人と顔を見合わせる。全員訳が分からない、なんだこいつら、殺すぞ、といった目をしている。最後のは言わずもがな、晴香だ。俺は相変わらずな友達の姿に溜め息をついた。

「本日、私共はあるゲームを開催しております。本日の19時までに当店の新作チキンをご購入されたお客様に限り参加可能! というか参加決定! お友達も勿論決定! さあ拒否権は御座いません! どうぞ参加者ステージへ!」

青色の髪を低い所で二つに揺った女性が、輝くような笑顔で腕を広げた。彼女が指差した先には、俺達と同じように巻き込まれたであろう人たちがうなだれていた。
困った視線を二人に向けるが、彼らはガッチガチに固められた笑顔で俺達を見つめていて、もはや何を言っても無駄なようだと苦笑いを溢す。

「拒否権は無いって……どういうことだよ」

光が男性の方を見上げながらそう言った。一般の成人男性よりはるかに小柄な光を見て、男性は少し屈んで目線を合わせた。光のこめかみに血管が浮いたのが見えた気がした。
そうだ、普段から喧嘩腰だから一番気を付けて置かないといけない人だった。晴香の次にキレやすいのは他でもないこのチビだ。

「それは勿論、拒否されては参加者が集まらなくて困るからですよ。おチビさん」

「あ?」

「あーーっと光! まあ落ち着いて」

いつもよりオクターブ低い声を出した光を落ち着かせようと、彼のコートの首根っこを引っ張った。

「あの、俺達急いでるんですけど……」

苦笑いを浮かべながらそう言うと、二人は顔を見合わせた後、さらに嬉しそうに顔をほころばせた。

「では! 急いで始めなければいけませんね!」

「そうですね! 姉さん! 他の方々も待ちくたびれているようですし、さあ行きましょう!」

どうやら逆効果だったようだ。どうしてやっと休みだと思ったのにこんな面倒なことに巻き込まなければならないんだ。後ろから批難するような視線が向けられているのを感じる。恐る恐る振り返ると、光が人一人殺せそうな視線を俺に向けていた。
女の方を姉さんと呼んだところを見ると、この二人は姉弟らしい。なんて、特にこれから役にも立たなさそうな分析をしてみる。
俺がそんな事を考えている間も、光の視線は着実に俺の背中に穴を開けようとしてくる。確かに原因の一端は俺にあるかもしれないが、そもそもコンビニ前にあんなのぼりを立てておくのが悪い。そう、全ての原因は今も風に揺れているあの旗だ。ああ恨めしい。
二人に半ば強引に連れてこられたのは、駅前にあるバス停だ。そこは先程までいた所より少し高くなっており、人が集まっていれば目立つところだ。
俺達の他に巻き込まれたであろう人を見てみると、各々イライラを地面にぶつけたり、疲れからか重い溜め息をついたりしている。確かに今日は金曜日。疲れの溜まっている週末にこんなことに巻き込まれたんじゃあ八つ当たりもしたくなるし、溜め息も付きたくなる。
俺も連れの三人を振り返ると、内二名は人でも殺すつもりじゃないかと疑うほど鋭い目をしており、一人は子供のようにキラキラとした目をしている。マイノリティ。

「京助、楽しそうだな」

「おっもしろそうじゃん! 雄一の家に行って騒ぐのも楽しそうだけど、それはやろうと思えばいつでもできるしな!」

京助のこういう考え方が出来る処は少し羨ましい。彼は何事も全力で楽しもうとする。よく考えると、俺はこいつとは長年の付き合いだが、笑っている顔以外をあまり見たことが無い。彼とて痛い時は喚くし、悲しい時は涙を流す。だが、それらに比べて、いや、比べるまでもなく、笑っている顔の方が断然多い。
そういえば、俺の紹介がまだだった。俺の名前は仙道雄一。こだわり抜いた黒縁の眼鏡に、他の人の黒髪よりも少し青みがかった髪が特徴だ。
下の方で、わざとらしい咳ばらいが聞えた。俺達が居る所より低くなった場所を見下ろしてみると、さっきの二人組が仁王立ちをしていた。

「さあさあ御集り下さいました皆さん! お待たせいたしました! これからゲームの説明をさせて頂きます!」

女性の方が、両手を広げて声高らかに言い放つ。彼女に向けてたくさんのヤジが飛ぶが、まるで聞こえていないような華麗なスルーっぷりだ。

「舞台はここ百十道駅敷地内! といってもややこしいでしょうから、敷地の境目には赤いテープを張らせて頂きました!」

いつのまに? そう思って周りを見渡してみると、確かに少し離れたところに赤いテープが張られているのが見えた。事件現場のようだな、と、随分落ち着きを取り戻した晴香が呟いた。

「ゲーム内容はいたって簡単! 私達対あなた達で鬼ごっこをします! あなた達が私達二人を捕まえるか、私達があなた達を戦闘不能にするか、ただそれだけです! ルール無用! 敷地内なら何をしてもOKです!」

「うわ! 何それすっげえ面白そう!」

京助が、身を乗り出して叫んだ。女性が京助に目を止め、嬉しそうに手を振って来た。変な人だが、顔が整っているため少し照れる。

「私達を捕まえるときは、私達の手を掴み『捕まえたー!』と叫んでください! それだけでOK! わあ簡単! わあ楽しそう! さあ、何か質問は?」

ハイテンションな彼女とは対照的に、わけのわからないことに巻き込まれた俺達のテンションは奈落へまっさかさまだ。質問をする気力もなく、皆うなだれている。

「はーい質問」

横を見ると、光が小柄な自分の存在を主張するように右手を上げていた。

「はい、眼鏡のおチビさん!」

「また言った! なんだよこいつら!」

それは俺達全員が思っていることだろう。一体何なんだこの二人は。
彼らを指差して、子供のように俺に訴えてきた光だが、はっと我に返って一つ咳ばらいをした。一応大人としての自覚はあるらしい。

「さっき戦闘不能って言ったけど、動けなくなるほどのダメージを受けるのか?」

「あ、それは御安心ください。こちらで用意させて頂いたHPチェッカーを体のどこかに付けて頂きます」

女性がそう言うと、隣で笑っているだけだった男性が小さめのダンボール箱を持ち上げ、中身を一つ取り出して持ち上げた。よく見てみると、それは逆三角の形をしたシールのようなものだ。

「私たちがあなた達に何らかの攻撃を仕掛けると、そのHPチェッカーが減少していきます。それが0になると戦闘不能ということにさせて頂きます。確かに物理的になんらかのダメージは受けますが、本来受ける痛みより相当軽くしております。ちなみに、鬼同士でも殴ったりすればHPを減らすことができますよ!」

安心……出来るのだろうか……

「このHPチェッカーは私達も身につけます。あなた達のHPチェッカーが0になれば戦闘不能ですが、私たちのHPチェッカーが0になっても、私達は戦闘不能にはなりません。数十秒間動けなくなるだけです。まあ、そうなれば捕まったも同然。戦闘不能と同じような物です。ちなみに、戦闘不能になればゲームに復帰は不可能。お帰り頂いて構いません。」

「質問いいですかー」

今度手を上げたのは、だるそうに壁に身を預けた晴香だ。女性が笑顔で「はい、なんでしょう?」と言う。晴香は上げていた腕を下ろし、質問内容を口にした。

「それ、俺達にあまりメリット無いみたいなんですけど、こっちが勝ったら商品とか無いんですか?」

あまりにがめつい質問に、俺は晴香の後頭部をはたいた。恨めしそうに睨む視線を無視して、前を向く。あとで真っ先にこいつに狙われるのは俺になりそうだ。
晴香の質問を聞いた女性は、顎に手をやった。答えを考えているようだ。どうやら、こちらのメリットなどは一切考えていなかったらしい。

「そうですね……では、私達を捕まえた時に残っていたメンバー全員に賞金をお渡ししましょう! 一定の金額を用意し、それを全員で均等に分けましょう! 残り人数が少ない方が、自分の取り分が増えますね! 燃えますね! 仲間割れですねえ!」

女性が興奮したように片手で頬を覆った。なるほど、変な人だとは思っていたが、変人というよりは変態らしい。
その返答で満足したのか、晴香はその後何も言わなかった。

「もうよろしいですか? それでは、みなさんHPチェッカーをお付けください!」

ピンク髪の男性が、先程のダンボールを持って俺達の所へ来た。相変わらず笑顔を顔に張り付けている。
そのHPチェッカーなるものは、赤色の逆三角で、五段に別れるように線が引かれていた。どうやら5回ダメージを受けると戦闘不能になってしまうらしい。見えないと困るな。そう思って俺は付けていた手袋をはずして手の甲にそれを貼り付けた。すると、それはまるで最初から俺の手の甲にくっついていたかのようになじんだ。引っ掻いても外れない。いったいどんな仕組みなんだ。

「皆さん、HPチェッカーは受け取りましたか? それでは、ゲームスタート!」

女性の言葉とともに、男性がどこに隠し持っていたのかおもちゃのピストルを掲げた。破裂音が鳴り、その音に驚いて思わず目をつぶる。次に目を開けた時、二人の姿はどこにもなかった。

「なんだ? あいつら」

晴香が珍しく、その伏し目がちな目を見開いていた。確かに、あの派手な髪の色やテンション、そして今の身のこなし。どうやらただの一般人では無いらしい。
さてどうしたものかと振り返ってみると、先程まで一片のやる気も見せていなかった人たちが徐々に気合いを入れ始めた。どうやら賞金という言葉が彼らのやる気を奮い立たせたらしい。中には金なんてどうでもいい、ただ早く帰りたいという人もいるのか、故意にHPを減らそうとしている人がちらほらと見える。
そんな中、俺達四人集はと言うと……

「よっし! やるか光! 晴香!」

「名前を呼ぶなって。とにかくあいつらを探すことが第一だよな」

「何やっても良いんだろ? じゃあとにかく突っ込むか!」

やる気満々だ。
元々ゲームが好きな上、負けず嫌いである奴らが集まってしまった。まあ勿論

「雄一! ボーっとすんな!」

俺もこの三人と同じだ。


☆☆


とりあえず作戦会議といくか。そう思って四人で固まった後すぐに、目の前にいた晴香が前のめりに倒れた。思わず受け止めると、彼の手の甲についていたHPチェッカーが一つ減ってしまっていた。

「何すんだ!」

そう叫びながら顔を上げると、目の前には金色に染めた髪を短く刈った、いかにもな男が右足を上げた格好で立っていた。

「賞金は残りのメンバーで山分けなんだろ? じゃあ少ない方がいいじゃねえか」

ああ、いかにもだ。この話の展開を見る限り、必ずこういう奴がいるとは思っていたが、本当にいた。漫画か何かか。
油断していたために呆気なく倒れた晴香を見て大したこと無いと思ったのか、男は勝ち誇った笑みを浮かべている。が、俺達はそんな男の事を気にしている余裕はない。何故なら俺が支えている晴香は、砕けてしまうんじゃないかという力で俺の肩を掴んで立ち上がり、いつもは眠そうに半分とじている目を見開かせていたからだ。
その後の決着は早かった。晴香が立ち上がったことで構えた男は、次の瞬間には下のタイルに倒れ、晴香専用のイスと化していた。あまりの手際の良さに、思わず拍手をしてしまったほどだ。
晴香は胸ポケットから煙草を取り出すと、男に腰かけたままそれを咥えた。ガラが悪いことこの上ない。先に手を……いや足を出してきたのは男の方だが、これではどちらが被害者か分からない。

「おい晴香、やめとけって」

珍しく光が晴香を止めるように手を引いた。あの光が? そう思って俺は京助と顔を見合わせた。

「汚れるぞ」

ああやっぱり。光が当然のように付け足した一言に、京助と俺は笑った。あの光が他人を気遣うはずが無い。
光に引っ張られて立ち上がった晴香は、煙草こそ咥えていたが、目は元の眠そうなそれに戻っていた。
晴香の手の甲を見ると、一つ分減っていたはずのHPが元に戻っていた。どうやら休憩を取ると回復するらしい。本当にゲームのようだ。
まだタイルに横たわっている男や唖然と俺達を眺めている人たちには目もくれず、俺達は駅に向けて歩みを進めた。作戦でも立てようかと思ったが、チームワークなんて言葉を知らない俺達に作戦なんて無用だ。どうせ立てたところで意味をなさないのも目に見えている。
とりあえず、と言ったようにコンビニに入ってみたが、中は普通で、あの姉弟の姿は無い。一般人を締め出しているわけでもないようで、俺達が鬼ごっこをしているにも関わらず普通に営業していた。

「四人もいてもしょうがねーし、俺、あっち見てくるわ」

「俺も俺も! どうせ聞きこみとかするんでしょ? そんな暇そうなの却下―!」

目立ちたがり屋で好戦的な光と京助は、俺達がこれからすることを見越してかさっさと出て行ってしまった。残った晴香は、先程までの勢いはどこへやら、眠そうにあくびをしてしまっている。
光と京助は熱くなれば結構長い時間冷めはしないのだが、晴香は熱しやすく冷めやすい。いっきに温度が100まで上がったと思えば、次の瞬間には20位まで下がってしまっている。ちなみに俺は熱しやすいはずだが熱くなるタイミングを逃しやすいタイプです。現在熱くなるタイミングを逃してくすぶってます。

「じゃ、聞きこみと行くか、晴香」

「おー。あいつらより先に見つけてやろうぜ」

睡眠欲よりも勝負欲のほうが勝っているらしい晴香は、ニヤリと笑って丁度出てきた店員に目を付けた。先程俺の会計をしてくれた新人だ。
彼に聞いた話によると、あの二人はこのコンビニのバイト店員らしい。行動力が豊富で人当たりも良く、客にも親しまれているとか。普段は昼間に入っているため、学生や社会人の人は知らなくて当たり前だとも、彼は言っていた。俺はよくこのコンビニを利用するが、見たことが無かったのもそのせいだろう。あんな派手な頭が二つあったら、嫌でも忘れられない。
今回のゲームも店長公認、駅員公認で開いているらしい。面白いことが大好きな店長が二つ返事で許可を出し、即日駅員にも許可を取り、そして今日決行された。巻き込まれた方は大迷惑だ。

「見つけたぁ!」

「見つかっちゃった!」

話を聞いていると、外から聞き覚えのある声が聞えた。ガラスから外を覗いてみると、京助がピンクの男と追いかけっこをしていた。いつの間にかコートを脱ぎ捨てた京助は、随分身軽そうで、なおかつ寒そうな格好をしている。
俺は話してくれた彼にお礼を言い、外へ飛び出した。楽しそうに笑いながらも全力で追いかける京助と、余裕いっぱいで飛びまわる男性が注目を浴びている。男性はいつの間にかノースリーブの服へと衣替えを終えており、二の腕のあたりにHPチェッカーがついているのが見えた。どうやら俺達とは違って向こうは青色らしい。

「待て待て待てぇ!」

「待てと言われて待つ馬鹿はいませんよ! 頑張ってくださーい!」

二人はそのまま自動改札機を乗り越えて駅内へと入って行った。駅員は微笑を浮かべて見送っている。それでいいのか!
そのまま二人を追おうと思ったが、ふと光の姿が見えないことが気になった。確かに京助の体力と身体能力はずば抜けていて、ついていけなくなったとも考えられるが、あの光が京助についていこうだなんて無謀なことをするはずが無い。
周りを見渡してみても、光の癖の強い黒髪は見えない。探そうか京助についていこうかと迷った時、駅内から悲鳴が聞こえ、俺は晴香に引っ張られるようにして駅内へと入った。

「挟み撃ちとは! 中々やりますね!」

階段を駆け上がってみると、光と京助の二人に追いかけられているピンクの男がいた。どうやら京助が真正面から彼を追い、注意が京助に集中した所で逆方向から光が彼を捕まえるという計画だったらしい。なんだ、中々チームワークがしっかりしてるじゃないか。

「ちょ、光何で出てきてんの! 俺が目立てないじゃん!」

「うるせえ! 一人で突っ走りやがって! こいつを捕まえるのは俺だっつの!」

前言撤回。作戦ではなく偶然そうなっただけらしい。撤回だ撤回! 二重線で消しておいてくれ!
ピンクの男を追っていたはずなのに、味方同士で睨み合っている二人を見て俺と晴香は重い溜め息をついた。ピンクの男は、今にも取っ組み合いそうな二人を楽しげに眺めている。

「ま、京助との喧嘩は……お前を捕まえてからだ!」

「うわぁ!?」

京助に釘付けだった視線を突然横にずらし、光がピンクの男に飛びかかった。流石に予想してなかったのか、悲鳴を上げて男が飛び退く。光が倒れる先を見て、俺は目を見開いた。
光が飛び込んだ先は、今から電車が突っ込んできそうなホームだ。右手をのばすが、当然届く訳もない。思いっきり地面を蹴るが、間に合う訳が無い。京助も突然のことに足が止まってしまっている。
光の上半身がホームの下に消えかけた瞬間、ピンクの男が光の手を掴んでいた。思いっきり引っ張ると、小柄な光の体は簡単に持ち上げられる。どうやら男も力を入れ過ぎたようで、そのまま二人、重なってホームに倒れた。
俺達は安堵の溜め息をつき、光のもとへ走った。怪我は無いかと傍に跪いた時、光が突然右手を掲げて声を上げた。

「捕まえたー!」

俺達は、勿論ピンクの男も例外ではなく、ポカンと口を開けて目の前のチビを見つめた。このチビの右手には先程自分の命を救ったと言っても過言ではない人物の手首が握られている。衝撃で眼鏡が外れてしまったのか、微妙に焦点の合わない目をしながらも、光は悪い笑みを浮かべていた。

「つ、捕まっちゃいました……」

笑顔を貼り付けて外さなかった男も、この時ばかりは茫然を光を見上げている。
光の良く通る声は駅中に響いたのか、外からざわめきが聞こえる。誰もが状況を理解できていない中、真っ先に我に帰ったのは京助だ。握りしめた左手を振り上げ、光の後頭部へと勢いよく落とす。ああ、光のHPが二つ分減ってしまった。どうやら攻撃の威力によってダメージも変化するらしい。

「いってえええ!」

「いってえじゃないでしょこのバカ! 命の恩人にお礼も言わずなんてことだ!」

坂井京助についての追加情報。素は礼儀正しくオカンである。普段は子供っぽさ丸出しの京助だが、俺達が人様に迷惑をかけたとか、何か失敗したとか、いつも叱ったり助けたりしてくれるのが京助だ。本人はそういった部分が恥ずかしいらしく、普段は隠しているつもりらしい。

「た、助けてくれたことは……感謝してます。ありがとうございました」

京助に叱られた光は、素直に頭を下げた。京助が腕を組んで満足そうに何度も頷く。隣で晴香が「お母さん」と呟いた。
光に馬乗りになられている男は、呆れたように笑いながら光の眼鏡を拾い上げて差し出した。光はそれをつけ、男の上から退いた。

「いやいや、俺を捕まえるなんてすごいですよ。おチビさん……じゃなくて……えっと、名前、教えてくれますか?」

「相沢光」

「俺は中上千歳。よろしくね、光君」

差し出された右手を見て、光は何度か瞬きを繰り返した後、その手を握り返した。その後、彼は俺達にも目を向けたため、それぞれ自己紹介をした。最後に彼は「千歳でいいよ。よろしくね」と言って笑った。先程までの作られた敬語と笑顔ではなく、彼の素の顔を見られた気がして、少し嬉しかった。
足元で何か光った気がして目を移すと、先程まで千歳が付けていたHPチェッカーが落ちていた。それを拾い上げると、いっぱいだったHPが0になってしまっている。捕まるとHPも何も関係が無くなるからか。千歳にそれを渡すと、彼は無造作にそれをポケットにしまった。まるでコンビニで貰ったレシートのように。どうやらそこまで高価な物でも無いらしい。

「ところで皆、こんなところでのんびりしていていいのかな? まだ俺の姉さんが残ってるよ?」

その言葉に、今の状況を思い出す。新しい友情の誕生なんか経験してしまったが、今はゲームの真っ最中。俺達のプライドにかけて、負けは許されない。

「こうしちゃいられねえ! 行くぞ雄一! とその他!」

「略すな!」

大声を上げて走って行ってしまった京助と光に置いて行かれないように、俺と晴香も慌てて後を追う。ふと振り返ると、千歳が手を振っていた。あ、そうだ。

「千歳って、あの女の弟なんだろ?」

立ち止まって聞くと、千歳は二度頷いた。俺達が話しているのに気付いてか、光達も立ち止まった。光の目を見ると、俺の考えていることに気付いたのかニヤリと笑った。嫌な予感しかしないと、京助が頭を抱えた。

「じゃあ、ちょっと協力してもらおうか。何でもありのゲームだし、問題ねえよな?」

どこの不良だと言いたくなるような笑顔の光に詰め寄られて、千歳はその柔らかい笑みをひきつらせた。
駅前に戻ってみると、先程参加者として集まっていた人数よりもはるかに少なくなってしまっている。どうやら賞金を奪い合って喧嘩でもしたらしい。生き残っている人たちは、改札機を通って来た俺達を目ざとく見つけると、一斉に俺達に向かって走って来た。どうやら先程一人を捕まえた俺達から先に消そうとしているらしい。

「……やるかあ?」

眠そうな目を少し開き、晴香が楽しそうに笑う。動きにくそうなコートをその場に脱ぎ棄て、マフラーを取り、そのまま襲いかかって来た一人に蹴りを入れた。それでそいつのHPは切れたらしく、一枚のHPチェッカーが外れて足元に落ちた。そこまでダメージを感じていないのか、彼は悔しそうに腹をさすりながら場外へと出て行った。
俺もコートを脱ぎ捨てマフラーを放り投げ、向かってきた一人を相手にする。いくらダメージがほとんど無いとはいえ、人を殴るのは気が引ける。なるべく避けるが、俺の運動神経はそうずば抜けているわけじゃないため、避けるだけでも必死だ。だが攻撃をかわされた人は勝手に何かにぶつかって、勝手に戦闘不能になってくれる。

「おい雄一! 余裕かましてんじゃねーぞ!」

「ゲームだからって、そう簡単に人は殴れないよ!」

「何言ってんの! 殴りかかってきてるんだから殴り返しても問題なし! 正当防衛正当防衛!」

いや、京助のそれは正当防衛を通り越している。過剰防衛だ過剰防衛。そう言おうとしたが、拳を避けるのに必死で言葉を紡げなかった。
圧倒的な力の差(ほぼ俺以外の三人の力だ)に怖気づいたのか、猛攻が止む。その隙を狙って、俺は千歳を後ろから引っ張って前へ出した。千歳の右手を掲げる俺の前に、光が仁王立ちになる。

「おい青い髪の女! お前の弟は俺達が捕まえた! 今すぐ出てこないとこいつがどうなるか分からないぞ!」

ふんぞり返ってそう言い放つ光。それを見ていた者達は、口をあんぐりと開けて光を見ている。身長も小さければ顔も幼い光が言えば、子供の精一杯の脅しのようにしか聞こえないのだろう。ただ、光の本性を知っている俺達からすれば、光の口から出る言葉は全て死の呪文の如く聞こえ、寒いという理由以外で鳥肌が立つ。

「あ、あの、いくら姉さんでもそれには引っかからないと……」

俺に捕まえられた千歳が、困ったように声をかける。確かに俺も思った。だがあの女には一般人には計り知れない思考回路が備わっていると見た。きっと普通の人では引っかからないような事にも引っかかってくれるだろう。
そう期待していた通り、視界の端に青が映る。それをしっかりと視界に留める前に、早い拳が俺の頬を捕えた。千歳を掴んでいた右手を間一髪のところで離し、俺は吹っ飛んでしまった。光の抑えた笑い声が聞えた気がした。
手の甲を見ると、HPが二つ分減ってしまっている。そこまで痛みは感じない。起き上がって前を見ると、青い髪が風になびいていた。

「千歳を人質にとるなんて、卑怯です!」

右手の人差指で俺の事を指差し、そう言い放つ。千歳が悲しそうに彼女の事を呼んだ。どうして引っかかっちゃうんだ、そんな気持ちが痛いほど伝わってくる。

「ああ? ルール無用じゃねえのかよ。卑怯も何も無いだろ」

光が言った言葉が完全に悪役側の台詞なのは、今は気にしないようにしよう。
女は悔しそうに拳を握りしめ、勢いよく構えた。

「千歳をどうやって捕まえたかは知りませんけど、私はそう簡単にはいきませんよ!」

彼女の視線は間違いなく俺に向いている。千歳を騙し打ちのように捕まえたのは俺じゃないです! 
彼女の攻撃を避けるのに必死で、その言葉は出てこなかった。何故俺がこんなに重点的に狙われるんだ! 確かに先程千歳を捕えていたのは俺だけど!
京助達に目を向けると、俺が逃げ惑っているのを楽しそうに眺めている。あいつらとの友情を疑う時が来るとは……常日頃から結構疑ってはいる。
俺の横をHPチェッカーのついていない一般人が通ろうとした。慌てて立ち止まった為ぶつかることは避けたが、これでは彼女の攻撃を避けられそうにない。衝撃に耐えるために目をつぶったが、いつまでたっても予想していた事は怒らない。恐る恐る目を開けると、彼女が少し離れたところで、両腕を使ってTの字を作っていた。サッカーなどのタイムのポーズだ。そんなルールあったのかと思ったが、俺としても助かった。
少し騒がしくなって、駅内に目を向けると、丁度電車が来た時間だったのか人の波が押し寄せてきた。確かに、この中で乱闘なんて起こしたら巻き込まずにはいられないだろう。俺はこの時を利用して京助達の所へ戻り、とりあえず一発ずつはたいておいた。

「どうする? おびき出しはしたけど、、このままじゃ終われないぞ」

「制限時間は設けてないみたいだしね」

「わざと戦闘不能になるなんて、ふざけたこと考えてる奴はいねーだろ」

「じゃあ、答えは一つしかねえな」

作戦会議とは言えない、数秒間の話し合いだった。が、それだけで俺達四人には充分だった。俺達がゲームと名のつくもので負けるなんてありえない。許されない。だったら勝つ。やることはそれだけだ。
人の波が消え、女が腕を下げた。タイムは終わった。興奮したように顔を赤らめている女性一人に対して、四人一斉に飛びかかる。はたから見れば俺達は完全に悪者だ。即通報レベル。だが、彼女はそんなことは全く気にしていないようで、嬉しくてたまらないと言ったように構えた。千歳を人質に取ったことへの怒りはどこかへ飛んで行ってしまったらしい。
右足の蹴りが飛んでくるが、俺はそれを寸前の所で交わした。続けざまに左手が飛んできたが、晴香がしっかり受け止める。彼がその手を掴むまでに、彼女は数歩下がって距離を取った。すぐに京助と光が追い、光が下から、京助が上から足を叩きこむ。女はタイミング良くバック転で避けた。あんなこと出来るんだ、俺は一瞬唖然とした。
本当にゲームの中に入ったようだ。自分の頬が緩むのを感じた。
生き残りが俺達と同じように女に飛びかかるが、彼女はいとも簡単に流してしまう。それどころか、二発ほど叩きこまれて戦闘不能になる者もいる。本当に何者なんだこの女は。

「雄一!」

晴香の切羽詰まった声が聞えて、咄嗟に振りかえった。後ろから迫っていた拳を、間一髪交わす。どこかかすったらしい。HPが少し減った。
顔を上げると、先程晴香が椅子にした男だった。ニヤリと笑った彼は、俺に向き直る。

「何で俺!?」

心の底からの思いだ。先程彼を椅子にしたのは現在余裕そうに突っ立っているくるくる天然パーマの男で、俺では無い。俺は悪くない!
だが、彼にそんなことは全く関係ないようで、体制を立て直してすぐ俺に殴りかかってくる。俺はそれを必死で避けながら、なんとかしようと頭を回す。が、普段そんなに使わない頭がこういう時に早く回転してくれるわけが無い。
どうするどうする、本気で焦り出した時、もう一度晴香の切羽詰まった声が聞えた。目の前の男を無視して彼らの方へ目を向けると、三人はタイルに膝をついていて、女は俺の方へ足を進めていた。

「仲間割れはいいですね! 燃えますね! でも、そんなことしてる場合じゃないですよ!」

その言葉と共に放たれた拳は、運動神経の冴えない俺に避けられそうもない。あ、終わった。そう思いながら、拳を受ける覚悟をした。
しかし、その覚悟は再び意味をなさない物となった。俺の前では、先程まで俺を狙っていた男が女に殴られていたのだ。
俺は目を見開いた。そして女も、何が起こったのか分からないと言った様子だ。無防備に振りきられた白い腕を見て、俺が行う行動は一つだけだた。

「捕まえたー!」

掲げた右手には、確かに女の細い腕が掴まれていた。
駅前が静寂に包まれる。俺は息を切らせながら、掴んでいた彼女の腕を解放した。同時に、彼女の二の腕からHPチェッカーがはがれおちる。
一気に緊張の糸が切れ、その場に座り込む。一息ついた直後、頭に三人分の拳が振り下ろされた。

「いってえ! 何すんだ!」

勢いよく顔を上げると、それはもう楽しそうに笑っている京助・光・晴香の三人の顔。もう三十路も近いというのに、その顔はまるで子供のようだ。

「やったぜ雄一! 俺達の勝ちだー!」

京助が両手を振り上げて叫んだ。光が小さくガッツポーズをし、晴香が笑って煙草に火を付けた。少し離れた場所では、千歳が拍手をしている。

「負けちゃいましたー」

彼女も気が抜けたようで、その場に座り込んでしまっている。
俺は横を向いて、最後にいきなり俺をかばった男を見た。彼は殴られた個所を手で押さえながら、不満そうな顔をしている。

「ありがとう」

そう言って右手を差し出せば、彼はこちらを見もせずに「は?」とだけ返した。

「俺はバランス崩して前に出ただけで、お前をかばったわけじゃねーし」

無愛想な顔でそう返されて、俺は思わず吹き出してしまった。しばらくその場には、いい年をした男達の笑い声だけが響いていた。明日は筋肉痛だな。年を感じる台詞が各々から上がる。
結局残ったのは俺達4人と、あの金髪の男だけだったらしい。俺達は賞金とやらを受け取りに、千歳と女の前に立っている。彼女は先程中上利奈と名乗った。

「えーと、それじゃあ5名様、ゲームに勝利、おめでとうございます!」

「お待ちかねの、賞金でーす! さあ、お手を拝借!」

千歳に差し出された手の上に手を出すと、俺の掌にコロン、とワンコインが転がった。

「……百円」

そう、百円だ。紛うこと無き百円玉だ。
前を見ると、千歳と利奈が困ったように笑っている。

「す、すいません。賞金って言いましたけど、そんなに大きな額は用意出来なくて……」

「俺達、自腹切ったんです!」

「自腹切って一人百円かよ!」

つまり、二人で五百円しか出せる余裕が無かったということだろう。こんな大掛かりな事をしておいて、気の抜ける結末だ。
まあいいか。俺はそのコインをつまみあげて笑った。

「そうだ、千歳と利奈は何者なんだ? あの身のこなしといい、それにこのHPチェッカーといい……」

ゲーム終了とともにはがれたシールを差し出して二人に聞いた。ダメージを軽減する効果といい、受けた攻撃によって変わるダメージといい、ただのシールでないことは確かだ。肌に張り付けただけでそんな効果が出るなんて怪しすぎる。それに、千歳はこれをさもレシートのようにポケットに突っ込んでいた。
二人はしばらく顔を見合わせた後、人差し指を唇にあてて笑った。

「企業秘密です」


☆☆


「ったく、とんだ事に巻き込まれたぜ」

「ほんとにな」

「俺は結構楽しかったけど?」

子供の小遣いのような賞金を受け取った帰り道、そんな話をしながら俺の家への道を歩いていた。
光と晴香は疲れがどっと出たように不機嫌な顔をしていたが、京助は未だ興奮冷めきらぬようで、相変わらず瞳を輝かせている。

「チキン一つであんなことになるなんて……」

……ん?
自分の言葉に一つ引っかかりを覚えて、ふと左手に持ったビニール袋を持ち上げる。右手でそれに触れると、2月の風に吹かれてすっかり冷え切ってしまっていた。

「あああ! 冷めてる!」

「そりゃそうだろ」

「長い間外に置きっぱなしだったからな!」

せっかく買ったのに。コンビニ物はもう一度温め直しても元の美味しさには戻れないのだ。
俺はがっくりと肩を落として我が家へと向かった。三人分の笑い声が、暗い道に響いていた。

END

駅とチキンとゲームの話

駅とチキンとゲームの話

シリーズ「Ratel」の第一話です。 成人男性四人が騒ぐ話です。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-11

CC BY
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