無政府執事 1-被告人、エドワード王子

無政府執事 1-被告人、エドワード王子

2035年、ロンドンではある裁判が行われていた。被告人は「皇位継承者」エドワード王子
無政府主義の荒れ狂う地、イギリスで愉快な貴族達は王と交わした約束を果たせるのか。そして政府に渦巻く陰謀と父の死の謎に迫る

ロンドン裁判

 「これよりロンドン裁判を開廷とする」
裁判官の声が粛然とした法廷に響いた。深みのある声は裁判の始まりを告げた。法廷内は厳重に警備がなされ、黒服を着た男達が見張っている。
「被告人、前に立ちなさい」
裁判官は冷然と裁判を進める。被告人は囚人服を身に纏っており、腕には手錠がかけられていた。しかしながら、彼は絶望する素振りも、かといって開き直る素振りも見せず、軽快な足取りで証言台のもとへ向かった。彼の姿は囚人のそれには見えない。
「名前を述べなさい」
裁判官の声を聴くと、被告人は満面の笑みを浮かべ、高らかに述べた。
「我が名はエドワード、次期皇位継承者であり、一国の王となる男である」

不思議な来客

      三カ月前
 今宵は実に蒸し暑い。夏季のロンドンは、決して人が住めたものではなかろう。しかも不運なことにこの屋敷ときたら、盆地にあり、その上、只今の空模様はとても良いとは言えない代物である。そのありさまと言えば旋風が窓を叩き、気を休めることですら、させてくれないほどである。更に雷雨はその演奏をより盛り上げる。とても騒がしい情景が思いつくことであろう。それに何故か、妙な匂いが私の鼻をくすぐるのだ。
「なんだか嗅ぎ慣れない匂いがしないか、プーランク」 
「焦げ臭いですね。それも、火薬の匂い。坊ちゃん、今日は、新政府設立記念日のセレモニーでもありましたでしょうか」
いやはや、この男の楽観主義には飽きれさせられる。よくも、屋敷に火薬臭がして安静に居られるものだ。こいつならもし今日が、『審判の日』であろうと、何等変わらず、愉快に過ごすことだろう。いっそのこと、一発彼の憎たらしい顔面に、煌びやかな花を咲かせてやろうか。我ながら見事な案に自惚れてしまいそうではないか。彼に実にお似合いである。第一、万が一に、新政府設立セレモニーがあったとしても、ロンドンから我が屋敷まで、渡り鳥のように花火の火薬臭がはるばる来るとでも言うのか。そもそも火薬臭が室内から匂って、推測される事態はセレモニーの花火などではないだろう。そう、例えば『爆裂弾』とか――
その瞬間、僕の背後を薄黒い硝煙と共に爆発音が襲った。それは僕に振り向かせる暇すら与えず、眼前を通り越した。煙が我が体内に潜り込み、神経を惑わしてくる。まるで肉体が乗っ取られたようだ。
「坊ちゃんッ」
プーランクが取り乱した声で僕を呼んだ。冷静沈着な彼に珍しく動揺している。だが残念ながら、今の僕には彼の慌てぶりを愚弄することも、返事をしてやることもできないのが悔やまれる。脳が思うように働かないのだ。以前からポンコツとは思っていたが、この極限状態においてまで働くことを放棄するというのか、この体たらく目が。錆に錆びたこの脳、聊か油を差さねばならぬようだ。

 ここはあの世か。視線を目先にやろうと奥にやろうと、広がるのは黒雲世界ではないか。僕の腹の中が映し出されているとでも言うのか。いやしかし、天国にしては随分悪趣味な装飾、さぞ神様も変わったお方なのだろう。
「おい糞ガキ、さっさと目を覚ませ。さもないとどうなる事か」
耳に天国に似つかわしい罵声が入ってきた気がした。幻聴であろうか。
「聞こえないのか、ガキ。その面を表に上げろと言っているのだ」
残念ながら幻覚ではないようだ。それどころか、どうやらここは、天国どころか地獄のようである。私を呼んでいるのは、ヤハウェではなくサタン。ミサならぬ、サバトといったところであろうか。はてさて、何の罪を犯したのか。憂慮すべきことに、見当がつきすぎて生前のことを悔やまざるを得ない。
「おい手前ら、外してやれ」
頭に何かが当たったかと思うと、その何かは細やかに動き始めた。幾秒か経つと、正面に広がっていた僕の腹の中、もとい黒雲世界が突如として消え去り、閃光が飛び込んできた。下を見ると、膝には黒く染められた布があった。推測するに、この布で僕を縛っていたのであろう。生憎僕はマゾヒストではないというのに、僕の腕と脚すらも縄で丁寧に括り付けられていた。天井をふと見ると、蜘蛛がゆっくりと、己の巣を作っていた。薄汚い部屋に一匹の蝶が舞い込んできた。哀れな蝶は優雅な飛行を蜘蛛に邪魔され、ついには巣にかかってしまった。例えるならば今の僕は、蜘蛛に捕らえられたあの蝶であろう。例えば可憐なところとか。前を見ると、僕の目には実に汚らしい部屋と、むさ苦しい男達が映った。身なりこそは整えられているが、そのスーツの下から目視できる筋肉隆々の肉体、おぞましい顔つきはマフィアと何が違うのかこちらが訪ねたいほどであった。残念ながら今このとき、蝶との共通点に、可憐なだけでなく、これからの運命が加えられてしまった。
「やっと起きたか坊主。王子をどこにやったのだ」
監禁したかと思えば人を叩き起こしておいて、今度は誘拐犯扱いとは何事か。鬼畜としか言いようがないではないか。後でプーランクに言わねばならぬな。
「王子なぞ知らん。それより、僕は何故このような、汚物の集まりのような所にブチ込まれているのだ」
僕がそういうと男たちは癪に障ったらしく、ただでさえ恐ろしい顔にしわが寄った。実に短気な者共である。
「手前、立場を分かっているのか」
男達はそう言うと関節を鳴らし始めた。今にも殴りかかってきそうな剣幕である。我ながら自らの失態を恨む。しかし、いくら恨もうと、勢い任せの暴言の数々は決して取り返しがつかない。僕の命も取り返しがつかなくなるまで、そう遅くはないだろう。加えて、主人がこの危機的状況において、あの執事、まだ助けに来る気配すらないのだ。あのアホ執事、許すまじ。
「そちらはウェイク家のオスカー殿だ。手荒な真似はよせ」
凛々しい声が薄汚い部屋に響いた。この哀れな蝶に、救いの手を差し伸べてくれるものがいたとは、九死一生である。僕がその声の主、及び救世主を探すため辺りを見渡すと、一人の男がいた。しかしその男の恰好は風変わりな物であった。彼の恰好は第二次世界大戦時の英国紳士のそれなのである。良く言えば、レトロな紳士。悪く言えば、時代錯誤の哀れな男だ。帽子はシルクハット。眼にはオラクル。髭はカイゼルときた。二〇三五年のこのご時世、驚くなという方が無茶ではなかろうか。

無政府執事 1-被告人、エドワード王子

無政府執事 1-被告人、エドワード王子

  • 小説
  • 掌編
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. ロンドン裁判
  2. 不思議な来客