夢の無い祈りの中でただあなたを待つ

きっともう、あなたに届くことはないから、本当は何をどうしたって無駄なのだけど、これが最後のわたしの我儘。

あなたとわたし、わたしとあなた、表と裏、裏と表、天と地、地と天、龍と虎、虎と龍、それが私たちを結びつけうる祈りであって、夢の欠片。その祈りと欠片を擦り傷にまみれた手で掴もうと、どうしようもなく巨大で、矮小で、圧倒的な現実の、全てを。お決まりの暗く狭い研究室で、時には恋人とサーフィンに向かう途中の車の中で、せっせと人々が汗水流して目一杯蓄えてきた、実在定義を破壊し尽くそうと、揺蕩(たゆた)う激情を振り回した姿は、私の瞳に今でも刻みつけられている。

「ミュン、わたし、壊すんだ。この世界の全てが美しすぎるから」

人工の昼間に緋く輝く人工太陽「アポロン」、人工の夜に碧く煌く「アルテミス」。
二百万年前、いよいよ太陽が膨張を開始し、両側を、アラビアンナイトよろしく、魔法の絨毯の力でも借りねば飛び越えられそうにない絶壁に阻まれ、一方通行の滅びの道を歩むしかないと、殺人、強盗、強姦は当たり前、クーデターにジェノサイド、過去のホロコーストなぞ屁でもない、なんでもござれと混迷を極めた世界は、もういよいよ閉幕、みなさんさようならと人類のほぼ全員が舞台袖に隠れようとしたとき、神様というものがいるならば、その尊いお方が永きに渡って秘匿し続け守り抜いてきた、宇宙法則を平然とぶち壊す、「銀弾理論」を手に入れてしまった。
大雑把に言ってしまうと、「銀弾理論」は、人類に、この宇宙に存在する、質量保存則をはじめとする物理法則、時間法則、ありとあらゆる存在法則が、書き換え可能であることを証明し、その手法を論じたものである。要するに、「なんでも出来ちゃいます」ということだ。

 この理論により、三次元空間の切除および転移は、幼稚園児を対象にした雑誌の付録を組み立てるよりも容易いものとなり、元あった太陽は、1.4×10の18乗個という荒っぽい存在座標指定の上に空間ごとの切除が行われ、数十億年の歴史に悲しいかな、なんとも呆気ない幕切れを迎えさせられた。それと入れ替わりに、出現させしめられたのが、現在、空から燦々と橙の光を地に注ぐ「アポロン」だ。アポロンは人工物でありながら、人工物ではない。
 時間法則の再構築(Re:construction)によって、元あった太陽をベースにコピーしたものであり、元あった太陽と何ら変わりがない。すなわち、オリジナルの太陽は亜空間のどこぞへと消滅させ、コピーの時間を巻き戻して若返らせ、オリジナルと入れ替えた。そんな七面倒なことをせず、オリジナルにタイムリープを生じさせてやった方が手っ取り早いではないか、という反論はあるが、太陽ほどの体積を持つ物に対し、当時のタイム・リコンストラクション演算技術は相当な時間を要した。ゲームにおいて、最強の武器を手に入れたとしても、それを用いるキャラクターがレベル1では、いきなりラスボスに挑むのは、無理なことはないが仕留めるには莫大な時間がかかる。これと同じことだ。毎日一体何千匹の命が奪われているのかは知らないが、実験用モルモットに対して、演算を行い法則を書き換えるのとは訳が違う。
 二百万年前の人類は、しかしいきなりこの怪物と戦わざるを得なかった。現在の演算処理技術をもってすれば、たとえ相手が太陽の体積の数十倍はあるリゲルに対して、同様の時間法則再構築演算なぞ、深呼吸を一回終える程度の僅かな時間のうちに、十分に終えることができる。なんでも、原始的なネットワーク技術で繋がれた、世界中の民間ゲーム機のCPUまで二十四時間ぶっ通しで、灰色の煙を出そうが、中身の金属部品が溶け出すほどに熱くなろうが、ちょっとのショートなんぞ全くおかまいなくこの対ラスボス演算勝負に付き合わされたという。おかげで、ゲーム機本体を生産していた大国の三つの大会社は、ユーザーへの故障対応に追われ、十年間は新型機体を開発することができず、ゲーム史上最悪の暗黒時代と呼ばれ、現代では一つの笑い話となっている。


第六宇宙において、あらゆる法則が崩壊しつつある。夢すらが行き場を失い戸惑いつつある。いや、それは言い旧(ふる)されたことか。少々人類は"やり過ぎ"てしまったらしい。法則崩壊速度は、自然対数eの八百二十三乗ずつ増加している。法則崩壊速度が、銀弾理論がカバーする法則再構築速度を超える日、それは明々後日に迫っていた。いわゆる「Xデー」と言われるやつ。渾身の力を込めて腕を振り下ろし、少年の手から反作用を受けて放たれる。ほぼ直線軌道、厳密には僅かな放物線軌道を描いてキャッチャーのミットに収まるべく風を切る。しかし、軌道を捉えたバットがボールに、雪兎に襲いかかる猛禽のごとく襲いかかる、と思いきや、ボールは再びピッチャーの少年の石灰にまみれた手の中に戻っている。こんな小さな綻びは既に当たり前のように現れ始めていて、それでもこの世界はなんとかして今日まで耐えてきているけれど、いよいよ明々後日、これ以上は何が起こるかわからない。

夢の無い祈りの中でただあなたを待つ

夢の無い祈りの中でただあなたを待つ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-04-10

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